【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

0歳 -土の陰月2-

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辺りは一面の銀世界。今はまだぎりぎり土の陰月のはずなのですが、既に無の月なんじゃないかと思う程に周囲に生物の気配がありません。

もわもわと湯気が立ち上る暖かい温泉に肩までしっかりと浸かりながら耳をすませば、母上や兄上たちの声と動く度に立てる水音、それに近くを流れる川のせせらぎしか聞こえず、まるで世界に此処だけしかないような錯覚に陥るほどです。

ここに来た当初は毎日温泉に入って全身を清めなくてはならない事に驚いていた母上たちも、土の極日と陰月の間にすっかりと習慣として根付きました。そのおかげかこの拠点で暮らし始めた頃に比べると、母上も兄上もつるばみも随分と体調も肌の調子も良いように思います。まぁそうなるように色々と頑張ってきたんですけどね。

この世界の人の肌のターンオーバーが何日周期なのかは解りませんが、前世と同じぐらいだと想定した場合、母上に比べて周期が遅くなっているであろう40代の橡でもそろそろ1サイクルが終わる頃になります。

そりゃぁ、もう! 母上も橡もお肌ぴっちぴちのピカピカですよ。

最近では母上と橡を綺麗にする事が、そして綺麗になっていく母上たちを見ている事が楽しくて仕方がありません。気分はシンデレラの魔法使いですね。母上たちも自分が綺麗になる事が嬉しいのか日に日に笑顔が増えていって、それがまた嬉しいのです。

だからもっともっと笑顔になってほしくて、張り切ってオイルマッサージだってしちゃいますよ。スキンシップも兼ねているので、全員で手に油をとってはお互いの背中や腕を優しく撫でるようにしてマッサージして、油まみれにしてしまいます。流石に顔だけは母上たちは自分でしていますけどね。数日おきにそういう日を作って、皆でキャーキャー笑いあいながら温泉に入るのも楽しいです。

「あぁ、今年は槐の手足も大丈夫そうね」

そんな中、母上が兄上の手に油を塗りながらぽつりと言葉を零しました。それに橡も目を細めて喜びを表します。

「本当に良うございました。
 昨年ですとこの時期には手足の指が赤紫色に……、
 凍瘡とうそうになってしまわれて、とても痛々しくて……」

「それを直そうと指を温めてあげたり揉んであげたりしたら
 痛みに泣いて泣いて……。
 それに比べたら今年のなんてありがたい事でしょう」

話を聞くに凍瘡とはしもやけの事のようです。あの岩屋での生活を思い返せば、しもやけになっても仕方がないように思います。それは母上たちにもいえる事で、私がこの世界に転生してきたばかりの頃の二人の手はあかぎれだらけでした。でも今はあかぎれどころかひびもなく、母上たちにとってもここは良い環境のようです。

オイルマッサージの次は全身を泡だらけにしての洗浄タイムです。不幸中の幸いと言うべきか、ここには身体を洗うボディタオルやスポンジが無いので毎回液体石鹸を泡立てて、その泡で撫で洗いにしていたんですよね。その結果肌の状態がますます良くなったようです。


それがだいたい20分程前の事。
その後、ゆっくりとお湯に浸かっていた母上たちは浴槽を出て、泥パックを始めました。湧き出た泥湯を沈殿させた際に出る泥なのですが、これが片栗粉を水に溶いて沈殿させたような粒子の細かい泥なんです。

前世で祖父母と一緒に温泉に行った時に、お祖母ちゃんが泥パックをやっていた事を此処に移り住んでから思い出したんですよね。ただ同時に思い出したのが、子供には刺激が強すぎるので使用禁止という看板でした。

自分で試せないものを他人に使うのもなぁ……と気がひけて、私の身体の皮膚で一番厚くて頑丈なのは何処だろう?と考えた結果、かかとが一番という結論になったのですが、1歳未満児の踵ってぷにぷにで柔らかいんですよ。

仕方ないので腹を括って左手のひらに小さく塗って少し放置して様子を見ました。手の甲ではなく手のひらなのは、以前に何かで手のひらの方が皮膚が厚いと聞いた覚えがあったからです。

泥パックは乾ききってしまうと逆にダメらしいのでその前に洗い流してみると、ツルリンと肌がすべすべつやつやになりました。色調も明るくなったような気がします。まぁ、もともと赤ん坊の綺麗な肌なので、大差は無いようにも見えますが。

泥パック後はちゃんと柚子の種の化粧水をつけて数日様子をみます。結果、初日に少し赤くなったようにも見えましたが、特に大きなトラブルはないようです。

三太郎さんからも大丈夫そうだというお墨付きを貰ってから、母上たちにも泥パックを試してもらいました。最初は綺麗にするために入る温泉で、なぜわざわざ泥を塗らなくてはならないのかと不思議がる母上たちでしたが、

せーれーしゃんの精霊さんのちかられ力できれーになるの綺麗になるの

と言えば、抵抗なく泥を塗ってくれました。と言っても最初は腕の内側でのパッチテストから始まり、大丈夫なのを確認してから腕や首、胸元へと塗り進めました。流石にいきなり顔に塗る程の勇気は出なかったようですが、それで丁度良いと思います。成人女性でも顔の皮膚は薄いので荒れてしまう可能性がありますし、人によっては合う合わないがありますしね。

その結果、石鹸の泡を手で撫でつけるようにして洗っているだけでは落しきれない毛穴の汚れやくすみが落ちて、母上たちの肌が未だかつてない手触りと色調に。

その驚きの成果に母上たちは連日のように泥パックをしようとして、逆にストップをかける羽目になりました。流石にやり過ぎはよくないので、「精霊さんがそう言っていた」という錦の御旗で止めましたとも。

この世界にも1週間に似た単位があって10日で1旬間と呼ぶのですが、泥パックは母上たちの肌の様子を見つつ1旬間に2回までにしてもらっています。




「はい、おーきくお口をあけてくださいね」

「あーー」

お風呂を出て水分補給も済ませて後は寝るだけとなった兄上と私は、母上と橡に歯磨きをしてもらっています。

「今日はどれを使えば良いのでしょうか?」

「えぇと、こちらですね」

そう言って母上に鈍色の歯ブラシを渡したのは浦さんです。歯ブラシの軸の素材を皆で順番に試しているのですが、今日は金属製の歯ブラシのようです。

「これはちょっと重いように思います。
 もちろん使えない程重い訳ではありませんが、使い続けるには少し……」

兄上の歯を磨きながら母上が感想を教えてくれます。それを横で聞きながら私も橡に歯磨きをしてもらっているのですが、金属のヒヤッとした感じが口内にあたる事にも少し違和感があります。金属は無しだなぁ。

今までに試したのは木や竹、貝殻に石と目についたものを順番に試したのですが、どれもこれも一長一短で決め手に欠けます。形状としては房楊枝よりも遥かに使いやすくはなっているのですが、まだまだ試行錯誤が必要なようです。


そして歯磨きを終えた私と兄上は就寝の時間です。兄上と二人で母上のウォーターベッド御帳台で手を繋いで眠ります。ふよふよと漂う感覚が味わえる柔らかく暖かいベッドに同じくふわふわ暖かい羽毛布団は幸せすぎる組み合わせです。

岩屋で寝ていた頃は、温石があっても朝方には寒さに震える日もありました。そんな日は兄上に抱きしめられたりもしたのですが、ここではそんなこともなくなりました。それに関してはちょっとだけ寂しくも思います。

母上たちは私達が就寝してから、再び機織りに戻ります。桃さんの「発光」技能が籠められた霊石のおかげで、夜でも部屋が明るくなりました。岩屋の頃に比べて作業が可能な時間が増えたうえに、金さんが作ってくれたヤマト国の最新鋭の機織り機のおかげでどんどんと布が織られていっています。

早急に欲しい量の布はどうにか確保できたので、明日以降は少しペースを落として母上たちにも もっと休んでもらう予定です。




翌朝、窓から入る陽光が目に痛いです。最近は曇天続きだったのですが今日は珍しく天気が良いようで、橡が雨戸を開けてくれた途端に積った雪に乱反射した陽の光が部屋へと入ってきます。

そうです、窓ガラス代わりの布が先日完成したのです。一番透明度が高い硬糸かたいとで織られた布に、べとべとさんの殻から作られた撥水溶液をしみ込ませた後、更にこれでもかと両面に塗りたくったら、普通の透明ガラスとすりガラスの間ぐらいの高い透明度の(そして少し硬い)板が出来上がりました。

ちなみに布とは呼べないぐらいには硬く、折りたたむ事はできません。

それを母上の寝室、居間、台所、母上たちの作業場と優先順位の高い順に設置していきました。まだまだ先は長いですが、現時点でよく使う部屋の中でも外の灯りを積極的に取り入れたい部屋には設置できたと思います。

ちなみに全ての品で三太郎さんの部屋は後回しになってしまっています。これは三太郎さんの「まずは私達が安全・快適に過ごせるように」という好意からです。

決して試行錯誤をし終えた最新&完全版を部屋に置きたいからなんて理由じゃないらしいですよ、えぇ。




身支度を整えたら皆で揃って朝ごはんを食べます。食べることが大好きな三太郎さんも一緒なので、ここで暮らし始めた当初は母上たちは食事の度に緊張した面持でしたが、最近では少し慣れたのかそこまで緊張はしなくなったようです。

「桃様、おかわりはいかがですか?」

と、母上が問いかければ桃さんは「頼む!」と勢いよく茶碗を出したりと三太郎さんたち……少なくとも桃さんは人と一緒の生活に慣れたようです。

今日は魚の干物を焼いた物とお漬物と根菜のお味噌汁という定番の朝食で、私はお魚の身をほぐしたものと刻んだお野菜が少し入ったお粥でした。

この後は母上は機織りをするために作業部屋へ、橡は朝食の後片付けが終わり次第、洗濯や掃除にと拠点中をあちこち移動し、金さんと浦さんは引き続き拠点整備。そして私と兄上は桃さんと一緒に兄上の部屋へと向かいます。


兄上の部屋には金さんにお願いして作ってもらった玩具があるんです。まずは定番の積み木。木製で角もしっかりと処理してもらいました。次はその積み木をしまう為の箱なのですが、一工夫して足蹴り車にしてもらいました。これが兄上に心にクリティカルヒットして、今では兄上の一番好きな玩具になっています。部屋の中や渡り廊下を足蹴り車で楽し気に移動する兄上を見て、世界は変わっても小さな男の子が好きな玩具に大差はないんだなぁなんてことを思ってしまいます。

他にも同じく木材で作られた玩具で+型やL型、I型を始めとした様々な形のブロックを四角いフレームの中に綺麗に収めるパズルタイプの玩具なんかもありますが、これはまだ兄上にはちょっと難しいようでした。




昼食をはさんでの午後。今日の午後は母上と橡にはゆっくりとしてもらう事になりました。と言っても晩御飯の準備や片付けはお願いしなくてはいけないので、機織りをしなくて良いだけではあるのですが、少しはゆっくりしてもらえたら良いなと。

それに何より兄上がちょっと母上を恋しがっているようで……。

今まで1日中ずっと一緒だったのに、ここにきて急に母上が作業部屋に籠ってしまう時間が出来たので、最近は時々思い出したようにご機嫌斜めになっちゃうんですよね。

なので午後は母上と兄上と橡には思いぞんぶん居間でくつろいでもらって、その間に私は三太郎さんと久しぶりの作業小屋へと向かいます。

私としても兄上が居ると作業小屋に入れないので一石二鳥ですしね。

私が作業小屋に入るのは約50日ぶりでかなり時間が開いたのですが、三太郎さんたちは毎日ここに来ているので、埃が積もっていたりという事はなく綺麗なものです。

ひさしうりだけろ久しぶりだけど なにからてをつけよー」

長いお休みの間にも色々とお願いして作ってもらったものが幾つもあります。逆にありすぎてどれから手を付ければ良いのかわからない程です。

「まずは酒では??
 酢の方は後は熟成させるだけという段階だが、
 同時進行の酒をどうするのかを我は聞いておらん」

と酒造を進めたいのは金さん。お酒というよりはアルコールが欲しいんですよね。消毒に使えたり化粧水に使えたりするので……。

説明するのに会話では心許ないので心話を使って金さんに

<出来上がった林檎酒を蒸留してアルコール度数をあげたいの。
 前に私がお祖父ちゃんたちと行ったお酒の蒸留所の記憶映像の覚えてる?
 アレが最終目標だけど、最初は理科の実験でやった枝付きフラスコからかな」

枝付きフラスコはフラスコで、後々石鹸に香りを付ける為の精油の抽出にも使えるだろうし、作っておいて損はないはず。もっとも綺麗なガラス瓶で……とはいかないので、そこの試行錯誤は必要だけれど。

「お酒も良いですが、以前から頼まれていた洞穴の貯蔵庫。
 どうやらあなたの目論み通り、上手くいきそうですよ」

と貯蔵庫を作ろう派なのは浦さん。拠点の外れなので少し不便なんですが、小さな洞穴があるのです。そこに積りに積もっている雪を押し込んで雪室ゆきむろを作ったのです。ただ雪を詰め込んでおしまいではなく……。

というこちょは、ということは、「ほえー」と「保冷」と「れーあく」「冷却」のくみぁーせの組み合わせがうまくいった?が上手くいった?

「えぇ、最初はあまり効果は出なかったのですが、
 毎日使い続けた結果、徐々に下がる温度の幅が広がり
 右の雪室は気温4度でほぼ固定でき、左はマイナス10度まで下がりました」

「やったっ!!!!」

思わずガッツポーズですよ。

雪室の中は吃驚するぐらい高湿度だったのですが、その空気中の目に見えない水分を冷やす事が出来るかをまずは試してもらったんです。最初は失敗していたものの何度目かの挑戦でそれができるようになりました。

そもそも浦さんの「保冷」と「冷却」は地位の技能ですが、習熟度が低い所為で効果や範囲がとても小さいんです。浦さん自身、使い勝手が悪いと思っていたぐらいです。ですがそれを

「冷却」で冷やす→「保冷」で温度を固定→更に冷却で冷やす

という感じに積み重ねたらどうなるか、気になったので試してもらっていたんですよね。他の仕事で使う技能との優先順位もあって、一日に何度も使う事が出来ないので何日もかけて。

これで食材の冷蔵・冷凍も可能になります。今回の洞穴は小さなもので、雪室1つが母上の御帳台の大きさにも満たない小さな物です。無の月の間の分の食材を保存しようとしたら、これではまだまだ足りないのですが最初の1歩としては十分です。

と思ったのですが……

「喜ぶのはまだ早いですよ。右の雪室は概ね成功といえますが、
 左の雪室はマイナス10度より下がらないので成功とは言い難い状態です」

うぅーん、そうかぁ。冷凍庫のようなマイナス20度を目指したかったのだけど、空気中の水分と部屋に詰めた雪を凍らせるだけでは、届かない気温のようです。

となると冷凍庫の方は再び試行錯誤しなくちゃなぁ……。

「何でも良いが、俺様は美味いものが喰いたい。
 肉でも魚でも甘いもんでも何でも良いから、美味いモノが喰いたい!」

どうしようか悩んでいた私の頬を高速で突きまくってくる桃さん。
当然全力では突いていないんだろうけど、ちょっと痛いよっ!

<それは私も食べたいけど、この積雪ではどうしようもないじゃない。

 ん? 冬…… 寒い…… 

 そういえば、地元の大学が甘葛煎の再現に
 成功したってテレビでやっていたのを見たなぁ。
 あれは確かツタの樹液を煮詰めた物だったと記憶しているけど、
 寒い時期の方が糖度が上がるとか言っていたような……>

昔の記憶を引っ張り出すようにして思い返していると、桃さんだけじゃなく浦さんまで釣れました。

「ソレでいこうぜ」
「それでいきましょう」

ほぼ同時に同じことをいう浦さんと桃さん。
昔ほどいがみ合う事が無くなった二人に、多数決で負けた金さんも諦めたようで、今日の午後は一緒に蔦探しをすることになったのでした。
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