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1章
疑心・安心・親心 :三太郎
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櫻の精神世界。
無数の記憶フレームが整然と積み上げられ、または棚に並べられている部屋の中央にある大き目のちゃぶ台で、三柱の精霊が休憩をとっていた。
「今日も疲れたーーーーー。
俺様をここまでこき使う奴は初めてだぜ……」
そう言ってちゃぶ台に突っ伏すのは桃太郎だ。甘葛煎を作る為の樹液採取や煮詰め作業、台所で使う竹炭の補充はまだ良い。桃太郎がここまで疲れる原因は、不慣れ極まりない槐の子守りだった。
見た目とは裏腹に中身が分別のつく年齢の櫻と違い、槐の相手は理屈や道理があまり通じない分、疲労を感じてしまうらしい。それこそ連日限界まで精霊力を使って拠点整備をしている金・浦コンビに劣らない程に疲労してしまうのだ。それでも役割分担上、桃太郎が面倒を見るしかない。
その桃太郎は知らないが、槐は3~4歳児にしては聞き分けが良い方だ。幼子なりに周囲の状況などから色々と思うところがあるようで、この年齢で我慢する事を覚えてしまっている。また自分より小さい櫻が来た事により、良い兄であろうとして背伸びも覚えてしまった。
それが良い事なのか悪い事なのか、成長と呼ぶのか無理と呼ぶのか……現時点では判断がしづらい。我慢や無理は度が過ぎれば良くないが、成長していく過程で誰しもが覚えて行く事だからだ。
「なんか甘いもん喰いてぇ……」
我慢強さという一点だけなら槐以下の桃太郎が愚痴を続ける。出来る事なら何も飲食できない此処ではなく、外で甘い林檎の果汁……櫻が「じゅーす」と呼んでいる飲み物や、甘葛煎に漬け込んだ木の実や果物を摘みながら休憩したいところなのだが、精霊力の回復には中にいる方が効率が良いので仕方がない。
そもそも精霊力は少しずつなら何処に居ても回復するのだが、やはり其々の属する精霊力が満ちている地で休む方が回復が速い。
ところが何事にも例外というものがあって、それが天人・天女だ。
天人・天女は精霊へ願い届けたり、力を受け取ったりという精霊力の送受信アンテナが巨大なだけでなく、蓄電池……いや電気ではないので畜電ではないのだが、精霊力を体内に溜め込める性質を持っている。精霊にしてみれば、守護対象の中に常に自分好みの精霊力に満ちた地があるといった感じだろうか。しかも天人・天女に負担が掛かってしまうので精霊も滅多にする事はないらしいが、急速充電も可能らしい。
そうやって常に精霊力の補充が可能となる為、天人・天女を守護する精霊は常に守護対象と一緒に居るようになる。結果として他の人よりも精霊の守護が受け取りやすい。そうやって天人・天女の特別性が作り上げられていく訳だ。
ちなみに後天的な複数守護持ちには、この充電池機能は無い。なので天人・天女の一番の特徴は、アンテナの巨大さや精密さよりも精霊力を溜め込める事にあるとも言える。
「確かに疲れますが、自分の手で何かを作り出すというのは楽しいものですね。
それに櫻の精霊力の回復能力が異常に高い事もあって、
不思議と大変さは感じません」
そうおっとりと返すのは浦だ。
「それな!
こんなに疲れたら、少なくても数日は力を取り込む必要がありそうなもんだが、
櫻の中だと長くても数時間で完全回復可能だし、アイツ異常だろ」
笑いながら浦の発言に同意する桃太郎だが、実際には桃太郎の疲労は精霊力の枯渇ではなく気疲れだ。だが居心地の良い空間での休憩はその気疲れも癒してくれるので、細かい事を気にしない桃太郎にとってその差は些細なモノらしい。
それに傍からでも金・浦コンビの回復具合を見ていれば、櫻が持つ精霊力の回復能力が規格外な事ぐらいは解る。
そんな桃太郎が言った「異常」という言葉に、一人眉根を寄せて気難しい顔をしていた金太郎は意を決したように切り出した。
「そう、異常なのだ。
この娘は……櫻は異常すぎる」
櫻が熟睡していて、心がここに居ないが故の話題なのだが、それでも浦が咎めるような視線を金太郎へと向けた。
「貴方の言いたい事も解りますが、
あの子の前でそのような態度はとらないでくださいね」
「それは百も承知しておるし、我も櫻に露呈させる気は皆目ない。
だがな……火の極日の時に遭遇した火の妖、あれに追い詰められた時……。
櫻の瞳は確かに緑色へと変わっていた、それは間違いない」
あの日、鳴り響く銅鑼の音と共に現れた火の妖に追い詰められた時、櫻は恐怖から気を失ってしまった。それは三太郎たちも仕方がない事だと理解している。
三太郎たち全員、幾度となく櫻の前世の記憶を見る機会があったが、此方の世界とは何もかもが違っていて妖は何処にも居らず、夜でも簡単に昼のように明るくなり、全てが清潔で過ごしやすい世界だった。流石に死と無縁とはいかないようではあったが、こちらの世界程身近でもなかった。
そんな世界で生まれ育った櫻にとって、妖に追い詰められ死を意識するような事態は気を失っても仕方がない状況だ。なのでその事に関して三太郎の誰もが異を唱えるつもりも責めるつもりもない。
桃太郎が後になって「この世界で暮らしていく以上、妖の事も色々と覚えさせねーとなぁ」と愚痴っていたが、その程度の事だ。
ただ、その気を失った後が問題だった。
気を失った櫻を抱いて川沿いを逃げる金太郎。
執拗に追ってくる、後にじゃんじゃん火と命名される火の玉の妖。
それを食い止めようと、金太郎のすぐ後ろで「流水」で水を操る浦……
そして、意識を失った直後に再び意識を取り戻した櫻。
途端に辺りに三太郎の誰もが未だ感じた事のない何かの力が満ちていき、同時に櫻が腕を伸ばして浦に触れた。すると浦が操っていた水は急激に水量と勢いを増し、渦を巻いて竜巻のように周囲の火の玉を次々と飲み込んでいったのだ。そして渦の中でじゃんじゃん火の炎を……そしてその存在そのものを消していった。
その間、櫻は無表情で呼吸の乱れすらなかった。
唖然とした金太郎が櫻の顔を覗き込んで、初めてその瞳が緑色に輝いてることに気が付いたのだ。その金太郎の眼前で、櫻は再び声も無く意識を手放した。
そして翌朝、目が覚めた櫻に一度目の失神以降の記憶は一切無かった……。
元々、金太郎は櫻に対し敵意こそないものの、常に疑心を抱いていた。精霊の守護が無い赤子である事に対する警戒は異世界の魂だからと納得できたが、ただそれだけではない気がして仕方がなかったのだ。それでも共に過ごすうちに少しずつ疑心は薄れていったのだが、これを機に再び一気に高まってしまった。
「我は土の精霊として不変である事を尊ぶ。この雄大な大地が変わらぬが如く。
その大地に災いをもたらすモノならば、排除せねばならない。
櫻自身に悪意が無い事ぐらいは我とて解っている。
だが、アレに何か……得体の知れない何かがある事も確かなのだ」
そう言って浦と桃太郎に協力を求めた結果が土蜘蛛退治だった。
「あの土蜘蛛退治の時にも言いましたが、私は基本的にあの子の側に立ちますよ?
確かに瞳の色など、不可解な事もありますが……
アレは守りを必要とする唯の子供です。
突飛な行動や異世界の知識も含めて、注視しつつ守るべき対象です」
浦は自分にぎゅっと抱き付いてくる櫻を思い返すと、それだけで愛しいという感情がこみ上げてきてしまうのだ。第2世代の精霊として遥か昔から世界の運行に携わってきたが、人の子にここまで入れ込むのは櫻が初めての事だった。
「あん時、もう一度限界まで櫻を追い込めば何か解るんじゃないかって、
縄張り意識の強い土蜘蛛を、縄張りを越えて2体も呼び込んだのは
流石にやりすぎだったと思うぜ?
土の妖だから自分でどうにか出来ると踏んだんだろうけどよ。
俺様はアイツが笑ってる方が良いから、次にあんな事したらぶん殴るぜ?」
桃太郎の陽気で人懐っこい笑顔ばかりを見ている櫻が、今の桃太郎の表情を見たら脅えてしまうだろう。それぐらい険しい目をして金太郎を睨む桃太郎が居た。
第4世代の精霊である桃太郎にとって、第2世代の金・浦コンビは越えられない壁の向う側に居る存在だ。そう、精霊は世代によって大きく力と役割が異なるのだ。
神と共に世界を作り上げた、
能力的にも存在的にも別格の10柱にも満たない数の第一世代。
世界が完成後、神の中へと戻った第一世代に変わり
世界の運行を担う為に作られた第二世代。
神々の大戦がはじまり
攻撃に特化した精霊として神々に作られた第三世代。
そして世界の荒廃後
多くの力を失った神が残りの力で作り上げた第四世代。
精霊力の強さでいえば
第一世代>(壁)>第二世代・第三世代>(壁)>第四世代
といった感じになる。そのコンプレックスもあって金・浦コンビと出会ったばかりの頃は、「金の字」や「浦の野郎」と呼んでは自分の強さを誇示しようとしていた桃太郎だった。だが、そんなコンプレックスをいつも一緒にいる櫻が、桃さん桃さんと呼んで慕ってくれる度に消し飛ばしてくれるのだ。勿論櫻は全く意図していないのだろうが。
三太郎の中で一番長く一緒にいる事もあって、その笑顔を守りたいと思う気持ちは自分が一番だと自負している桃太郎だ。
「解っておる、流石に反省しておるよ。
怪我は勿論だが、櫻にあのような顔をさせるつもりでは無かった。
何よりアレは我らを心より信頼していた、それを二度と裏切る気はない」
「ならば良いのです。
それに渋々ではあったものの貴方の案に乗った私達も同罪です」
「俺様は同罪じゃねーからな!」
「全く……貴方は少しは自省という言葉を覚えなさい」
三者三様で色々と思うところはあるようだが、結果としてあの土蜘蛛退治で櫻の瞳に変化は見られず……。ただただ櫻を追い込んでしまっただけとなった。
不幸中の幸いだったのは、アレを機に櫻から良い意味で力が抜けた事だろう。
努力を重ねる事は良い事だが、“アレもコレもソレも全部上手くやらなくちゃ! 役に立たなくちゃ!!”という意識が強すぎて、当時の櫻は気持ちだけが空回りしていた。気負っては必死に動こうとする姿は、三太郎たちの目から見ても危うく……。それが良い具合に力が抜け、相変わらず視野狭窄な面はあるものの、新しい人生を楽しんでいるような表情が少しずつ増えていった。その事に三太郎たちは揃って安心したのだ。
「アイツは悪い奴じゃねーよ。
どちらかといえば、櫻の力や知識を利用されねぇように……
悪用されねぇように守らねきゃなんねーぐらいだろ」
「そうだな。それに関しては今後も注意を怠らぬようにせねば」
金太郎の中にある疑念の全てを払拭出来た訳ではないようだが、櫻が故意に災いをもたらすような悪人とはとても思えない。それが金太郎がこの1年弱の間、一緒に居て確かに感じた事であり培った絆だった。
「そういう意味では櫻は良い者に拾われましたね」
「そうだな、櫻には我ら三柱の精霊が守護としてついていると解った後でも
何一つ態度を変えず、ただただ我が子と同じように慈しむ者は稀有であろう」
「俺様、人の子に叱られるなんて思いもしなかったぜ……」
思わず遠い目をしてしまう桃太郎に、苦笑しつつも同意する金太郎と浦だった。
それは無の月に入ったばかりの頃。
熱を出して寝込んでしまった櫻を寝かしつけた後、母親の沙羅が、
「お話がございます」
と悲壮な覚悟を決めた表情で言いだしたのだ。
何事かと思った三太郎たちだったが、要は母である自分に何も言わずに娘を連れだすなという事だった。
反射的に反論した桃太郎に、沙羅はそれがどれほど駄目な事なのかと懇々と説教を始め、最終的に桃太郎に「すまん」と謝らせる快挙を成し遂げたのだ。
ただ、その直後に今度は沙羅がしっかりと頭を下げて三太郎に感謝の言葉を口にした。
「娘を守ってくださり、ありがとうございます。
娘がこんなにも早く言葉を覚えているのも皆さまの御力なのでしょう」
と頭を下げる沙羅に、三太郎は是とも否とも言えず少し困った表情となった。確かにこの世界の言葉を教えたのは三太郎たちだが、それは中身が十分言葉を理解している17歳だったからだ。櫻がこの世界の言葉を覚える手伝いをしたという程度の認識だった三太郎たちにとって「御力」と言われると、少し違和感を覚えてしまう。
「そうやって皆さまが揃って櫻をお守りくださるようになったのは
火の極日の頃の事でしょうか?」
「なぜそう思うのです?」
沙羅の疑問を不思議に思った浦が尋ね返すと、沙羅は少し考えた後にこう言った。
「……火の極日に入って直ぐの頃、あの子の体臭が変わった日がありました。
それにその日に限って珍しく朝からぐずっていたので、
何か変わった事があったのではないかと……」
更に詳細に聞くと、最初は小さな違和感だったらしい。それが積み重なり明確な違和感となったのが火の極日。櫻が温泉に入って極楽気分を味わってから、じゃんじゃん火に遭遇して地獄気分を味わうという、精神的ジェットコースターを体験した日。あの日の櫻の様子から何かを感じ取ったという事だっだ。
「母親というのは、そんな些細な事ですら解ってしまうものなのだな」
と金太郎が言えば「当然です」と返す沙羅に思うところがあったのか、三太郎たちは今一度、心配させてしまった事を心から詫びたのだった。
「そろそろ精霊力も回復しそうですね。
私と金太郎は再び、櫻が設置したがっているアレの作業に向かいます」
そう言って浦は立ち上がると、スッと姿が消えた。櫻の精神世界から外へと出て行ったのだ。
「そうだな、我も回復したゆえ向かうとする。
櫻が持つ知識は本当に興味深い。早く完成させたいものだ」
続いて金太郎も立ち上がると姿を消した。
「ハァァァァァ……。しゃぁねぇなぁ、俺様も頑張るかぁ。
後少しすれば櫻も槐も目を覚ますだろ、今日は何をして遊んでやろうかな」
盛大な溜息をついた割にはどこか楽しそうな桃太郎は、今日も食事や遊びを全力で楽しむ気で満々だ。あと少しすれば櫻も眠りから覚めるだろう。そうすれば肉体が起きるよりも先に、ここに櫻の心が現れる。
「さぁて、今日も楽しい一日の始まりだな」
無数の記憶フレームが整然と積み上げられ、または棚に並べられている部屋の中央にある大き目のちゃぶ台で、三柱の精霊が休憩をとっていた。
「今日も疲れたーーーーー。
俺様をここまでこき使う奴は初めてだぜ……」
そう言ってちゃぶ台に突っ伏すのは桃太郎だ。甘葛煎を作る為の樹液採取や煮詰め作業、台所で使う竹炭の補充はまだ良い。桃太郎がここまで疲れる原因は、不慣れ極まりない槐の子守りだった。
見た目とは裏腹に中身が分別のつく年齢の櫻と違い、槐の相手は理屈や道理があまり通じない分、疲労を感じてしまうらしい。それこそ連日限界まで精霊力を使って拠点整備をしている金・浦コンビに劣らない程に疲労してしまうのだ。それでも役割分担上、桃太郎が面倒を見るしかない。
その桃太郎は知らないが、槐は3~4歳児にしては聞き分けが良い方だ。幼子なりに周囲の状況などから色々と思うところがあるようで、この年齢で我慢する事を覚えてしまっている。また自分より小さい櫻が来た事により、良い兄であろうとして背伸びも覚えてしまった。
それが良い事なのか悪い事なのか、成長と呼ぶのか無理と呼ぶのか……現時点では判断がしづらい。我慢や無理は度が過ぎれば良くないが、成長していく過程で誰しもが覚えて行く事だからだ。
「なんか甘いもん喰いてぇ……」
我慢強さという一点だけなら槐以下の桃太郎が愚痴を続ける。出来る事なら何も飲食できない此処ではなく、外で甘い林檎の果汁……櫻が「じゅーす」と呼んでいる飲み物や、甘葛煎に漬け込んだ木の実や果物を摘みながら休憩したいところなのだが、精霊力の回復には中にいる方が効率が良いので仕方がない。
そもそも精霊力は少しずつなら何処に居ても回復するのだが、やはり其々の属する精霊力が満ちている地で休む方が回復が速い。
ところが何事にも例外というものがあって、それが天人・天女だ。
天人・天女は精霊へ願い届けたり、力を受け取ったりという精霊力の送受信アンテナが巨大なだけでなく、蓄電池……いや電気ではないので畜電ではないのだが、精霊力を体内に溜め込める性質を持っている。精霊にしてみれば、守護対象の中に常に自分好みの精霊力に満ちた地があるといった感じだろうか。しかも天人・天女に負担が掛かってしまうので精霊も滅多にする事はないらしいが、急速充電も可能らしい。
そうやって常に精霊力の補充が可能となる為、天人・天女を守護する精霊は常に守護対象と一緒に居るようになる。結果として他の人よりも精霊の守護が受け取りやすい。そうやって天人・天女の特別性が作り上げられていく訳だ。
ちなみに後天的な複数守護持ちには、この充電池機能は無い。なので天人・天女の一番の特徴は、アンテナの巨大さや精密さよりも精霊力を溜め込める事にあるとも言える。
「確かに疲れますが、自分の手で何かを作り出すというのは楽しいものですね。
それに櫻の精霊力の回復能力が異常に高い事もあって、
不思議と大変さは感じません」
そうおっとりと返すのは浦だ。
「それな!
こんなに疲れたら、少なくても数日は力を取り込む必要がありそうなもんだが、
櫻の中だと長くても数時間で完全回復可能だし、アイツ異常だろ」
笑いながら浦の発言に同意する桃太郎だが、実際には桃太郎の疲労は精霊力の枯渇ではなく気疲れだ。だが居心地の良い空間での休憩はその気疲れも癒してくれるので、細かい事を気にしない桃太郎にとってその差は些細なモノらしい。
それに傍からでも金・浦コンビの回復具合を見ていれば、櫻が持つ精霊力の回復能力が規格外な事ぐらいは解る。
そんな桃太郎が言った「異常」という言葉に、一人眉根を寄せて気難しい顔をしていた金太郎は意を決したように切り出した。
「そう、異常なのだ。
この娘は……櫻は異常すぎる」
櫻が熟睡していて、心がここに居ないが故の話題なのだが、それでも浦が咎めるような視線を金太郎へと向けた。
「貴方の言いたい事も解りますが、
あの子の前でそのような態度はとらないでくださいね」
「それは百も承知しておるし、我も櫻に露呈させる気は皆目ない。
だがな……火の極日の時に遭遇した火の妖、あれに追い詰められた時……。
櫻の瞳は確かに緑色へと変わっていた、それは間違いない」
あの日、鳴り響く銅鑼の音と共に現れた火の妖に追い詰められた時、櫻は恐怖から気を失ってしまった。それは三太郎たちも仕方がない事だと理解している。
三太郎たち全員、幾度となく櫻の前世の記憶を見る機会があったが、此方の世界とは何もかもが違っていて妖は何処にも居らず、夜でも簡単に昼のように明るくなり、全てが清潔で過ごしやすい世界だった。流石に死と無縁とはいかないようではあったが、こちらの世界程身近でもなかった。
そんな世界で生まれ育った櫻にとって、妖に追い詰められ死を意識するような事態は気を失っても仕方がない状況だ。なのでその事に関して三太郎の誰もが異を唱えるつもりも責めるつもりもない。
桃太郎が後になって「この世界で暮らしていく以上、妖の事も色々と覚えさせねーとなぁ」と愚痴っていたが、その程度の事だ。
ただ、その気を失った後が問題だった。
気を失った櫻を抱いて川沿いを逃げる金太郎。
執拗に追ってくる、後にじゃんじゃん火と命名される火の玉の妖。
それを食い止めようと、金太郎のすぐ後ろで「流水」で水を操る浦……
そして、意識を失った直後に再び意識を取り戻した櫻。
途端に辺りに三太郎の誰もが未だ感じた事のない何かの力が満ちていき、同時に櫻が腕を伸ばして浦に触れた。すると浦が操っていた水は急激に水量と勢いを増し、渦を巻いて竜巻のように周囲の火の玉を次々と飲み込んでいったのだ。そして渦の中でじゃんじゃん火の炎を……そしてその存在そのものを消していった。
その間、櫻は無表情で呼吸の乱れすらなかった。
唖然とした金太郎が櫻の顔を覗き込んで、初めてその瞳が緑色に輝いてることに気が付いたのだ。その金太郎の眼前で、櫻は再び声も無く意識を手放した。
そして翌朝、目が覚めた櫻に一度目の失神以降の記憶は一切無かった……。
元々、金太郎は櫻に対し敵意こそないものの、常に疑心を抱いていた。精霊の守護が無い赤子である事に対する警戒は異世界の魂だからと納得できたが、ただそれだけではない気がして仕方がなかったのだ。それでも共に過ごすうちに少しずつ疑心は薄れていったのだが、これを機に再び一気に高まってしまった。
「我は土の精霊として不変である事を尊ぶ。この雄大な大地が変わらぬが如く。
その大地に災いをもたらすモノならば、排除せねばならない。
櫻自身に悪意が無い事ぐらいは我とて解っている。
だが、アレに何か……得体の知れない何かがある事も確かなのだ」
そう言って浦と桃太郎に協力を求めた結果が土蜘蛛退治だった。
「あの土蜘蛛退治の時にも言いましたが、私は基本的にあの子の側に立ちますよ?
確かに瞳の色など、不可解な事もありますが……
アレは守りを必要とする唯の子供です。
突飛な行動や異世界の知識も含めて、注視しつつ守るべき対象です」
浦は自分にぎゅっと抱き付いてくる櫻を思い返すと、それだけで愛しいという感情がこみ上げてきてしまうのだ。第2世代の精霊として遥か昔から世界の運行に携わってきたが、人の子にここまで入れ込むのは櫻が初めての事だった。
「あん時、もう一度限界まで櫻を追い込めば何か解るんじゃないかって、
縄張り意識の強い土蜘蛛を、縄張りを越えて2体も呼び込んだのは
流石にやりすぎだったと思うぜ?
土の妖だから自分でどうにか出来ると踏んだんだろうけどよ。
俺様はアイツが笑ってる方が良いから、次にあんな事したらぶん殴るぜ?」
桃太郎の陽気で人懐っこい笑顔ばかりを見ている櫻が、今の桃太郎の表情を見たら脅えてしまうだろう。それぐらい険しい目をして金太郎を睨む桃太郎が居た。
第4世代の精霊である桃太郎にとって、第2世代の金・浦コンビは越えられない壁の向う側に居る存在だ。そう、精霊は世代によって大きく力と役割が異なるのだ。
神と共に世界を作り上げた、
能力的にも存在的にも別格の10柱にも満たない数の第一世代。
世界が完成後、神の中へと戻った第一世代に変わり
世界の運行を担う為に作られた第二世代。
神々の大戦がはじまり
攻撃に特化した精霊として神々に作られた第三世代。
そして世界の荒廃後
多くの力を失った神が残りの力で作り上げた第四世代。
精霊力の強さでいえば
第一世代>(壁)>第二世代・第三世代>(壁)>第四世代
といった感じになる。そのコンプレックスもあって金・浦コンビと出会ったばかりの頃は、「金の字」や「浦の野郎」と呼んでは自分の強さを誇示しようとしていた桃太郎だった。だが、そんなコンプレックスをいつも一緒にいる櫻が、桃さん桃さんと呼んで慕ってくれる度に消し飛ばしてくれるのだ。勿論櫻は全く意図していないのだろうが。
三太郎の中で一番長く一緒にいる事もあって、その笑顔を守りたいと思う気持ちは自分が一番だと自負している桃太郎だ。
「解っておる、流石に反省しておるよ。
怪我は勿論だが、櫻にあのような顔をさせるつもりでは無かった。
何よりアレは我らを心より信頼していた、それを二度と裏切る気はない」
「ならば良いのです。
それに渋々ではあったものの貴方の案に乗った私達も同罪です」
「俺様は同罪じゃねーからな!」
「全く……貴方は少しは自省という言葉を覚えなさい」
三者三様で色々と思うところはあるようだが、結果としてあの土蜘蛛退治で櫻の瞳に変化は見られず……。ただただ櫻を追い込んでしまっただけとなった。
不幸中の幸いだったのは、アレを機に櫻から良い意味で力が抜けた事だろう。
努力を重ねる事は良い事だが、“アレもコレもソレも全部上手くやらなくちゃ! 役に立たなくちゃ!!”という意識が強すぎて、当時の櫻は気持ちだけが空回りしていた。気負っては必死に動こうとする姿は、三太郎たちの目から見ても危うく……。それが良い具合に力が抜け、相変わらず視野狭窄な面はあるものの、新しい人生を楽しんでいるような表情が少しずつ増えていった。その事に三太郎たちは揃って安心したのだ。
「アイツは悪い奴じゃねーよ。
どちらかといえば、櫻の力や知識を利用されねぇように……
悪用されねぇように守らねきゃなんねーぐらいだろ」
「そうだな。それに関しては今後も注意を怠らぬようにせねば」
金太郎の中にある疑念の全てを払拭出来た訳ではないようだが、櫻が故意に災いをもたらすような悪人とはとても思えない。それが金太郎がこの1年弱の間、一緒に居て確かに感じた事であり培った絆だった。
「そういう意味では櫻は良い者に拾われましたね」
「そうだな、櫻には我ら三柱の精霊が守護としてついていると解った後でも
何一つ態度を変えず、ただただ我が子と同じように慈しむ者は稀有であろう」
「俺様、人の子に叱られるなんて思いもしなかったぜ……」
思わず遠い目をしてしまう桃太郎に、苦笑しつつも同意する金太郎と浦だった。
それは無の月に入ったばかりの頃。
熱を出して寝込んでしまった櫻を寝かしつけた後、母親の沙羅が、
「お話がございます」
と悲壮な覚悟を決めた表情で言いだしたのだ。
何事かと思った三太郎たちだったが、要は母である自分に何も言わずに娘を連れだすなという事だった。
反射的に反論した桃太郎に、沙羅はそれがどれほど駄目な事なのかと懇々と説教を始め、最終的に桃太郎に「すまん」と謝らせる快挙を成し遂げたのだ。
ただ、その直後に今度は沙羅がしっかりと頭を下げて三太郎に感謝の言葉を口にした。
「娘を守ってくださり、ありがとうございます。
娘がこんなにも早く言葉を覚えているのも皆さまの御力なのでしょう」
と頭を下げる沙羅に、三太郎は是とも否とも言えず少し困った表情となった。確かにこの世界の言葉を教えたのは三太郎たちだが、それは中身が十分言葉を理解している17歳だったからだ。櫻がこの世界の言葉を覚える手伝いをしたという程度の認識だった三太郎たちにとって「御力」と言われると、少し違和感を覚えてしまう。
「そうやって皆さまが揃って櫻をお守りくださるようになったのは
火の極日の頃の事でしょうか?」
「なぜそう思うのです?」
沙羅の疑問を不思議に思った浦が尋ね返すと、沙羅は少し考えた後にこう言った。
「……火の極日に入って直ぐの頃、あの子の体臭が変わった日がありました。
それにその日に限って珍しく朝からぐずっていたので、
何か変わった事があったのではないかと……」
更に詳細に聞くと、最初は小さな違和感だったらしい。それが積み重なり明確な違和感となったのが火の極日。櫻が温泉に入って極楽気分を味わってから、じゃんじゃん火に遭遇して地獄気分を味わうという、精神的ジェットコースターを体験した日。あの日の櫻の様子から何かを感じ取ったという事だっだ。
「母親というのは、そんな些細な事ですら解ってしまうものなのだな」
と金太郎が言えば「当然です」と返す沙羅に思うところがあったのか、三太郎たちは今一度、心配させてしまった事を心から詫びたのだった。
「そろそろ精霊力も回復しそうですね。
私と金太郎は再び、櫻が設置したがっているアレの作業に向かいます」
そう言って浦は立ち上がると、スッと姿が消えた。櫻の精神世界から外へと出て行ったのだ。
「そうだな、我も回復したゆえ向かうとする。
櫻が持つ知識は本当に興味深い。早く完成させたいものだ」
続いて金太郎も立ち上がると姿を消した。
「ハァァァァァ……。しゃぁねぇなぁ、俺様も頑張るかぁ。
後少しすれば櫻も槐も目を覚ますだろ、今日は何をして遊んでやろうかな」
盛大な溜息をついた割にはどこか楽しそうな桃太郎は、今日も食事や遊びを全力で楽しむ気で満々だ。あと少しすれば櫻も眠りから覚めるだろう。そうすれば肉体が起きるよりも先に、ここに櫻の心が現れる。
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流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
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