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1章
1歳 -火の極日1-
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この世界の人は基本的には早寝早起きです。
日が昇ると同時に活動を始めて、日が沈む頃には夕食をとって早々に就寝します。それは健康に気を付けているからなんていう理由ではなくて、油がとても貴重だから。灯り用の油は他の油に比べれば安い魚油を使う事が多いのですが、魚油は煙や匂いがすごくて長時間使いたい物ではありません。それに安いとはいっても、無駄遣いできるほど安い訳でもありません。結果として早寝早起きにならざるを得ないという訳です。
逆に早寝とは無縁なのが高位華族です。
安い魚油なんて使わず、煙や匂いが殆ど出ない良質な油を大量に使っても値段なんて細かい事を気にしない高位華族は、季節の移ろいや何か御祝い事がある度に夜遅くまで歌会や宴会を催します。ただ起床時間は平民とほとんど変わらず、むしろ身支度や朝食に時間がかかるため少し早いぐらい。なので足りない睡眠時間を高位華族は午睡で補うんだとか。そしていかに自分が夜遅くまで宴を開催したり、書を読んだりして睡眠不足なのかを自慢するんだそうです。
また、そういった宴一つとっても昼よりも夜の方が格上だとされていて、年に何回夜に宴を開けるかは、その家の経済力を知る良い指針になるんだとか。夜宴をガンガン開催する家は経済的に勢いのある家で、夜宴の回数が少なくなればその家は落ち目と判断されるのだそうです。
ちなみに油より更に高価なのが蝋燭です。ただ蝋燭は神社でしか使う事が許されない特殊な灯りで、例え帝であっても使う事はできません。
そんな世界において、唯一火を使わない灯りを使う我が家。
ここでは桃さんの「発光」技能を籠めた霊石のお蔭で、夜でも部屋の隅々まで明るい生活ができます。なので夜更かしだってし放題なのですが、それでも染みついた生活習慣で早寝早起きな母上たち。
でも、今日は例外です。
すでに月が空高く上がりきった真夜中……。
母上の部屋のウォーターベッド御帳台の端に、母上と橡、そして兄上と私が寄り添うようにして座っていました。いつもならこんな真夜中に兄上が起きているなんてありえないのですが、周囲の大人たちの緊迫した空気に眠くならないようで、母上にくっついて離れようとしません。そんな私達のすぐ傍で立っているのは金さんです。
「金様、若様や息子は大丈夫でしょうか?」
珍しく不安げな橡が金さんを見上げながら尋ねます。
「二人には自分の処理能力を超えるようならば、迷わず引けと申してある。
何より浦がついておるゆえ、心配は要らぬ」
そう金さんが答えた時、遥か遠くから予想していたあの音が聞こえてきました。
ジャーーン、ジャーーーン! ジャーーーーン!!!
部屋の中にいるのに、更には木製の雨戸で窓もしっかりと戸締りをしているのにも関わらず、銅鑼のような音が山頂の方から徐々に近づいてくるのが解ります。
「やはり来たか……」
そう金さんが呟き、母上が両脇に座る兄上と私を守るようにギュッと抱きしめてきました。そんな母上を守るように橡が腰を少し浮かします。
「だいよーぶ、金しゃんも浦しゃんも桃しゃんもおいうえもやーうきも……
みーんないるから、だいよーぶ」
そう言って、私は母上に笑いかけました。
どうか顔が引きつっていませんように……と願いながら。
金さんがバーベキューには必ず戻ると言っていた理由。それはバーベキューが食べたかったからという理由以外にも、昨年の火の極日に遭遇したじゃんじゃん火対策があったからでした。
いや対策というより、待機……かな?
必要となりそうな武器や道具は水の陰月、私がウォーターベッド御帳台から降りられるようになった直後から準備を進めてきました。去年、ここの温泉でじゃんじゃん火に遭遇したのは火の極日だったけれど、極日よりも前から発生?顕現??していた可能性も捨てきれないので、火の陽月の半ばを過ぎた頃から三太郎さん全員が技能収集を止めて待機するようにしていたのです。
そして来るべき日に向けて、今年は母上や叔父上たちにもちゃんと相談したり、武器や道具の試行錯誤を繰り返したりしてきました。そんな試行錯誤の中には、剣に属性を付けるというファンタジー定番の属性付与がありました。今回の件で言えば剣に水属性を付ければ、じゃんじゃん火に対してより効果的な攻撃ができるんじゃないかと思ったのです。
ところが鉄の剣はどうやっても鉄の剣でしかなく……
金属は金属の属性でしかなく……。
どんなに試行錯誤しても鉄の剣が水の剣や火の剣にはなってくれません。精霊の三太郎さんの力をもってしても、金属という属性を別属性に変える事はできませんでした。でも三太郎さんが武器に直接属性を付与する事は無理でも、霊石を剣の一部に埋め込めばいけるのでは……と、刀身だったり柄だったりに嵌め込んでみたり埋め込んでみたりしたのですが、やはりどうにも上手くいかず……。
例えば浦さんの「流水」を柄に埋め込んだ剣は、叔父上たちが柄をギュッと握って霊石を発動させると、柄と刀身の境目から水が流れ出てきます。流れ出てはきますが、それだけなのです。せめてその流れ出る水の勢いが強ければ水流でじゃんじゃん火を吹き飛ばすなんて使い方もあったのしょうが、常に刀身を水が滴り落ちて濡らす程度の水量と勢いなのでそれもできません。
蛇足ながら、冬場の戦闘を想定してその濡れ濡れ剣を冷凍庫内で使用してみましたが、刀身を流れる水が徐々に凍っていってしまい、最終的には氷の棍棒が出来てしまう始末。まぁ、雪深いこの近辺の無の月に火の妖が出る可能性は極めて低いので、冬場に使う事は無いとは思うのですが……。ちなみに刃先を上に向け続けると水が柄の方へと流れてくるので、自分の手ごと凍り付いてしまうので要注意でした。
この世界には精霊もいますしモンスターと同義語のような妖もいます。
それなのに魔法が存在しない残念ファンタジーな世界です。ならばせめて武器ぐらいファンタジーに寄せてくれたって良いのに!とよちよち歩きが精一杯の幼児の体で地団駄を踏みたくなってしまいました。
ただ可能性の一つとして、霊石の材料である震鎮鉄や深棲璃瑠、火緋色金などで武器を作れば、それぞれの属性が付く可能性はあります。ですが現状では武器を作るだけの量が手元にありません。三太郎さんが技能を収集に行くときに霊石も探してくれてはいるのですが、そう簡単に沢山は見つからないみたいです。
ジャーーーーーン!!!!
一際大きな銅鑼の音が聞こえ、身体がビクッと震えてしまいました。最初に聞こえてきた音に比べてかなり近い位置までじゃんじゃん火が来ているようです。
「母上……」
兄上が不安そうに母上の腕の中から母上の顔を見上げます。それに応えるように母上が私達を抱きしめてくれるのですが、その母上の顔色もあまりよくありません。
<桃さん、大丈夫だよね?>
そう、すぐ横で遠くを睨むようにして立っている金さんに心話を飛ばします。
桃さんは山頂付近で独り戦っています。じゃんじゃん火が発生しそうな火の精霊力が強い場所にアタリをつけ、その近辺を戦いやすいように金さんが地面を均したり、火が燃え移る事がないように周辺の木を移植したりして準備を進めてきました。この付近と違って山頂のあたりは船から見えてしまう可能性があるので、それらの作業は夜に行っていました。なので三太郎さんにとってはかなりハードワークな期間だったと思います。
<桃は大丈夫であろう。
ただ数が多いゆえに、幾つかの取りこぼしは出るであろうな>
昨年、じゃんじゃん火に初遭遇した時に桃さんが常時押され気味だったのは、近くに私が居た事と森があった事が原因でした。全力を出せば簡単……とまではいかなくても互角には戦えたんだそうです。ただ力の加減が下手すぎる桃さんは、万が一にでも私に火傷を負わせたり、山火事で周辺を黒焦げにしたりすることが無いよう全力で力をセーブしなくてはならず、元々戦闘向けの技能持ちでは無かった事と相まって、あんな結果だった……と。
今年は昨年に比べれば力の加減も出来るようになってきているし、何より前もって燃えやすいものや燃えてはダメなものを遠ざけてあるので、桃さんの安否に関しては全く心配が要らない……と金さんが説明してくれます。
<じゃぁ、浦さんや叔父上や山吹は?>
じゃんじゃん火は数が多いので、桃さんだけでは止め切れない可能性は最初から想定していました。そこで浦さんの出番です。今、この拠点の屋根の上では浦さんが山頂付近の火の動きを監視しながら、何時でも流水や火の陽月に覚えたばかりの新しい技能「水礫【無6】」を使えるように待機しています。
その浦さんが立っている拠点の屋根自体もじゃんじゃん火対策の一環で大きく変わりました。この拠点はもともと、周囲の森にあった檜から樹皮を集めて作った檜皮葺きの屋根だったのですが、それだとじゃんじゃん火によって火が付けられてしまったら対処に困るという事で、三太郎さんと相談して銅板葺きへと変えたのです。
身分や公私の区別によって屋根の材質に明確だったり暗黙だったり色々とルールがあるこの世界ですが、銅板葺きは世界初のようでルールに抵触する事はありません。ただ余りにもキラキラと輝く銅色した屋根に、母上たちは違和感を隠しきれない様子でした。ですが燃えやすい板葺きや茅葺きや檜皮葺きは危険なので使う訳にはいきません。残るのはこの世界のルールを無視して瓦葺きにするか、前代未聞の銅板葺きにするかの二択になったのですが、瓦と銅板の形状の差で圧倒的に銅板の方が金さんにとって作りやすかったのです。
日数が少し経った今では色も少しだけくすんできましたし、このまま半年も経てば更に落ち着いた色へと変化していってくれるはずです。大阪城のような緑青色になるには何年かかるのかちょっと解りませんが数年も経てば暗褐色になって、その頃には母上たちの違和感も少しは落ち着くはずです。
そして拠点の北東と南東では叔父上と山吹も待機しています。いくら浦さんでも広い拠点全てをカバーするのは大変なので、叔父上たちにはその時その場で臨機応変に動いてもらう事になっているのです。その為、叔父上たちには濡れ濡れ剣とバケツを渡してあります。
突貫工事なので後できちんと改修をしなくてはならないのですが、川の水を引いて拠点を囲うように水堀を作ったのです。そこからバケツで水が汲めるようにしてあるので、燃えた物やじゃんじゃん火に水をかけたり、最悪堀の中に飛び込んで水に潜ってしまえば、じゃんじゃん火も水の中までは追いかけてこないはずです。
<最優先すべきことはここを守る事であり、
じゃんじゃん火を倒す事ではないと言い含めてあるゆえ、大丈夫だ>
そう答える金さんが最後の最後の守りとして此処にいます。私の心話ではギリギリ屋根にいる浦さんに届く程度ですが、三太郎さん同士の心話なら金さんと桃さんでも通じるようになっています。あってはならない事ではあるのですが、最悪の事態の時は金さんが私達を抱えて逃げるという手筈なのです。
耳を澄ませば、遠くで叔父上か山吹が大声で何か言っているのが解ります。流石に何を言っているかまでは解りませんが、普段の穏やかな声とは違ってかなり強い語調な事は確かです。じゃんじゃん火の銅鑼のような音の合間合間に聞こえるその声がパタリと途絶えたら、何も聞こえなくなったらどうしよう……と思うと不安で不安で仕方がありません。
<金さん、叔父上か山吹の所へ……>
<却下だ。万が一にもその所為で此処が危険に晒されたら如何する>
最後まで言う前に一刀両断されました。頭では金さんが正しいと解っているのですが、どうにも不安がどんどん膨らんでいってしまうのです。
早く朝になって!!
そう手を合わせて祈ります。妖にもよるのですが、じゃんじゃん火は夜にしか出ません。火の精霊力が強ければ強い程 じゃんじゃん火の力も増しますが、同時に同じ火の力でも太陽という極めて強い陽の火の力を苦手としています。なので火の陽の力が一番遠ざかる深夜になって出てくるらしいのです。
そうやって祈る事しかできない長い長い夜が明け、服を少し焦がした叔父上と、毛先を少し焦がした山吹が戻ってきました。幸いなことに二人とも全身ずぶ濡れではあったものの、大きな怪我どころか気になるほどの傷や火傷は無いようです。
「二人ともお疲れ様でした。……本当に、無事で良かった。
ともかく温泉で綺麗にしてらっしゃい。
その間に朝ごはんを作っておくわ」
そう母上が言い、橡は二人が食事の後にすぐに休めるようにと、二人のウォーターベッド御帳台を整えに向かいました。
そんな叔父上たちより少し遅れて私の元へと戻ってきた浦さんと桃さん。
「念の為、周囲一帯を確認してきましたが、今のところコレといって問題はなさそうですね」
そう言う浦さん。桃さんも
「異常な火の精霊力の高まりも、今はひとまず落ち着いてる。
周囲に火種の気配も無い。って事で俺様も休む。
だが飯になったら絶対に起こせよ」
と続きます。二人ともじゃんじゃん火による二次被害の山火事を警戒して、周囲の確認をしてきてくれたようでした。桃さんは一晩中戦ってかなり疲れた様子でしたが食事は絶対に抜きたくないらしく、念押ししてから消えました。続いて桃さん程ではないけれど、やはり疲れきった表情をした浦さんも、
「私も食事になったら起こしてください」
とだけ言い残して私の中へと消えました。
<桃さんも浦さんもお疲れ様。そして金さんもお疲れ様。
みんなゆっくり休んでね。>
結局火の極日の10日間、毎晩じゃんじゃん火は襲来しつづけました。
これ以降、私達は火の極日を「炎の10日間」と言うようになりましたが、3年後にはガクンとじゃんじゃん火の数が減り……。更にその2年後、2体のじゃんじゃん火が現れたのを最後に、じゃんじゃん火はこの山から消えたのでした。
日が昇ると同時に活動を始めて、日が沈む頃には夕食をとって早々に就寝します。それは健康に気を付けているからなんていう理由ではなくて、油がとても貴重だから。灯り用の油は他の油に比べれば安い魚油を使う事が多いのですが、魚油は煙や匂いがすごくて長時間使いたい物ではありません。それに安いとはいっても、無駄遣いできるほど安い訳でもありません。結果として早寝早起きにならざるを得ないという訳です。
逆に早寝とは無縁なのが高位華族です。
安い魚油なんて使わず、煙や匂いが殆ど出ない良質な油を大量に使っても値段なんて細かい事を気にしない高位華族は、季節の移ろいや何か御祝い事がある度に夜遅くまで歌会や宴会を催します。ただ起床時間は平民とほとんど変わらず、むしろ身支度や朝食に時間がかかるため少し早いぐらい。なので足りない睡眠時間を高位華族は午睡で補うんだとか。そしていかに自分が夜遅くまで宴を開催したり、書を読んだりして睡眠不足なのかを自慢するんだそうです。
また、そういった宴一つとっても昼よりも夜の方が格上だとされていて、年に何回夜に宴を開けるかは、その家の経済力を知る良い指針になるんだとか。夜宴をガンガン開催する家は経済的に勢いのある家で、夜宴の回数が少なくなればその家は落ち目と判断されるのだそうです。
ちなみに油より更に高価なのが蝋燭です。ただ蝋燭は神社でしか使う事が許されない特殊な灯りで、例え帝であっても使う事はできません。
そんな世界において、唯一火を使わない灯りを使う我が家。
ここでは桃さんの「発光」技能を籠めた霊石のお蔭で、夜でも部屋の隅々まで明るい生活ができます。なので夜更かしだってし放題なのですが、それでも染みついた生活習慣で早寝早起きな母上たち。
でも、今日は例外です。
すでに月が空高く上がりきった真夜中……。
母上の部屋のウォーターベッド御帳台の端に、母上と橡、そして兄上と私が寄り添うようにして座っていました。いつもならこんな真夜中に兄上が起きているなんてありえないのですが、周囲の大人たちの緊迫した空気に眠くならないようで、母上にくっついて離れようとしません。そんな私達のすぐ傍で立っているのは金さんです。
「金様、若様や息子は大丈夫でしょうか?」
珍しく不安げな橡が金さんを見上げながら尋ねます。
「二人には自分の処理能力を超えるようならば、迷わず引けと申してある。
何より浦がついておるゆえ、心配は要らぬ」
そう金さんが答えた時、遥か遠くから予想していたあの音が聞こえてきました。
ジャーーン、ジャーーーン! ジャーーーーン!!!
部屋の中にいるのに、更には木製の雨戸で窓もしっかりと戸締りをしているのにも関わらず、銅鑼のような音が山頂の方から徐々に近づいてくるのが解ります。
「やはり来たか……」
そう金さんが呟き、母上が両脇に座る兄上と私を守るようにギュッと抱きしめてきました。そんな母上を守るように橡が腰を少し浮かします。
「だいよーぶ、金しゃんも浦しゃんも桃しゃんもおいうえもやーうきも……
みーんないるから、だいよーぶ」
そう言って、私は母上に笑いかけました。
どうか顔が引きつっていませんように……と願いながら。
金さんがバーベキューには必ず戻ると言っていた理由。それはバーベキューが食べたかったからという理由以外にも、昨年の火の極日に遭遇したじゃんじゃん火対策があったからでした。
いや対策というより、待機……かな?
必要となりそうな武器や道具は水の陰月、私がウォーターベッド御帳台から降りられるようになった直後から準備を進めてきました。去年、ここの温泉でじゃんじゃん火に遭遇したのは火の極日だったけれど、極日よりも前から発生?顕現??していた可能性も捨てきれないので、火の陽月の半ばを過ぎた頃から三太郎さん全員が技能収集を止めて待機するようにしていたのです。
そして来るべき日に向けて、今年は母上や叔父上たちにもちゃんと相談したり、武器や道具の試行錯誤を繰り返したりしてきました。そんな試行錯誤の中には、剣に属性を付けるというファンタジー定番の属性付与がありました。今回の件で言えば剣に水属性を付ければ、じゃんじゃん火に対してより効果的な攻撃ができるんじゃないかと思ったのです。
ところが鉄の剣はどうやっても鉄の剣でしかなく……
金属は金属の属性でしかなく……。
どんなに試行錯誤しても鉄の剣が水の剣や火の剣にはなってくれません。精霊の三太郎さんの力をもってしても、金属という属性を別属性に変える事はできませんでした。でも三太郎さんが武器に直接属性を付与する事は無理でも、霊石を剣の一部に埋め込めばいけるのでは……と、刀身だったり柄だったりに嵌め込んでみたり埋め込んでみたりしたのですが、やはりどうにも上手くいかず……。
例えば浦さんの「流水」を柄に埋め込んだ剣は、叔父上たちが柄をギュッと握って霊石を発動させると、柄と刀身の境目から水が流れ出てきます。流れ出てはきますが、それだけなのです。せめてその流れ出る水の勢いが強ければ水流でじゃんじゃん火を吹き飛ばすなんて使い方もあったのしょうが、常に刀身を水が滴り落ちて濡らす程度の水量と勢いなのでそれもできません。
蛇足ながら、冬場の戦闘を想定してその濡れ濡れ剣を冷凍庫内で使用してみましたが、刀身を流れる水が徐々に凍っていってしまい、最終的には氷の棍棒が出来てしまう始末。まぁ、雪深いこの近辺の無の月に火の妖が出る可能性は極めて低いので、冬場に使う事は無いとは思うのですが……。ちなみに刃先を上に向け続けると水が柄の方へと流れてくるので、自分の手ごと凍り付いてしまうので要注意でした。
この世界には精霊もいますしモンスターと同義語のような妖もいます。
それなのに魔法が存在しない残念ファンタジーな世界です。ならばせめて武器ぐらいファンタジーに寄せてくれたって良いのに!とよちよち歩きが精一杯の幼児の体で地団駄を踏みたくなってしまいました。
ただ可能性の一つとして、霊石の材料である震鎮鉄や深棲璃瑠、火緋色金などで武器を作れば、それぞれの属性が付く可能性はあります。ですが現状では武器を作るだけの量が手元にありません。三太郎さんが技能を収集に行くときに霊石も探してくれてはいるのですが、そう簡単に沢山は見つからないみたいです。
ジャーーーーーン!!!!
一際大きな銅鑼の音が聞こえ、身体がビクッと震えてしまいました。最初に聞こえてきた音に比べてかなり近い位置までじゃんじゃん火が来ているようです。
「母上……」
兄上が不安そうに母上の腕の中から母上の顔を見上げます。それに応えるように母上が私達を抱きしめてくれるのですが、その母上の顔色もあまりよくありません。
<桃さん、大丈夫だよね?>
そう、すぐ横で遠くを睨むようにして立っている金さんに心話を飛ばします。
桃さんは山頂付近で独り戦っています。じゃんじゃん火が発生しそうな火の精霊力が強い場所にアタリをつけ、その近辺を戦いやすいように金さんが地面を均したり、火が燃え移る事がないように周辺の木を移植したりして準備を進めてきました。この付近と違って山頂のあたりは船から見えてしまう可能性があるので、それらの作業は夜に行っていました。なので三太郎さんにとってはかなりハードワークな期間だったと思います。
<桃は大丈夫であろう。
ただ数が多いゆえに、幾つかの取りこぼしは出るであろうな>
昨年、じゃんじゃん火に初遭遇した時に桃さんが常時押され気味だったのは、近くに私が居た事と森があった事が原因でした。全力を出せば簡単……とまではいかなくても互角には戦えたんだそうです。ただ力の加減が下手すぎる桃さんは、万が一にでも私に火傷を負わせたり、山火事で周辺を黒焦げにしたりすることが無いよう全力で力をセーブしなくてはならず、元々戦闘向けの技能持ちでは無かった事と相まって、あんな結果だった……と。
今年は昨年に比べれば力の加減も出来るようになってきているし、何より前もって燃えやすいものや燃えてはダメなものを遠ざけてあるので、桃さんの安否に関しては全く心配が要らない……と金さんが説明してくれます。
<じゃぁ、浦さんや叔父上や山吹は?>
じゃんじゃん火は数が多いので、桃さんだけでは止め切れない可能性は最初から想定していました。そこで浦さんの出番です。今、この拠点の屋根の上では浦さんが山頂付近の火の動きを監視しながら、何時でも流水や火の陽月に覚えたばかりの新しい技能「水礫【無6】」を使えるように待機しています。
その浦さんが立っている拠点の屋根自体もじゃんじゃん火対策の一環で大きく変わりました。この拠点はもともと、周囲の森にあった檜から樹皮を集めて作った檜皮葺きの屋根だったのですが、それだとじゃんじゃん火によって火が付けられてしまったら対処に困るという事で、三太郎さんと相談して銅板葺きへと変えたのです。
身分や公私の区別によって屋根の材質に明確だったり暗黙だったり色々とルールがあるこの世界ですが、銅板葺きは世界初のようでルールに抵触する事はありません。ただ余りにもキラキラと輝く銅色した屋根に、母上たちは違和感を隠しきれない様子でした。ですが燃えやすい板葺きや茅葺きや檜皮葺きは危険なので使う訳にはいきません。残るのはこの世界のルールを無視して瓦葺きにするか、前代未聞の銅板葺きにするかの二択になったのですが、瓦と銅板の形状の差で圧倒的に銅板の方が金さんにとって作りやすかったのです。
日数が少し経った今では色も少しだけくすんできましたし、このまま半年も経てば更に落ち着いた色へと変化していってくれるはずです。大阪城のような緑青色になるには何年かかるのかちょっと解りませんが数年も経てば暗褐色になって、その頃には母上たちの違和感も少しは落ち着くはずです。
そして拠点の北東と南東では叔父上と山吹も待機しています。いくら浦さんでも広い拠点全てをカバーするのは大変なので、叔父上たちにはその時その場で臨機応変に動いてもらう事になっているのです。その為、叔父上たちには濡れ濡れ剣とバケツを渡してあります。
突貫工事なので後できちんと改修をしなくてはならないのですが、川の水を引いて拠点を囲うように水堀を作ったのです。そこからバケツで水が汲めるようにしてあるので、燃えた物やじゃんじゃん火に水をかけたり、最悪堀の中に飛び込んで水に潜ってしまえば、じゃんじゃん火も水の中までは追いかけてこないはずです。
<最優先すべきことはここを守る事であり、
じゃんじゃん火を倒す事ではないと言い含めてあるゆえ、大丈夫だ>
そう答える金さんが最後の最後の守りとして此処にいます。私の心話ではギリギリ屋根にいる浦さんに届く程度ですが、三太郎さん同士の心話なら金さんと桃さんでも通じるようになっています。あってはならない事ではあるのですが、最悪の事態の時は金さんが私達を抱えて逃げるという手筈なのです。
耳を澄ませば、遠くで叔父上か山吹が大声で何か言っているのが解ります。流石に何を言っているかまでは解りませんが、普段の穏やかな声とは違ってかなり強い語調な事は確かです。じゃんじゃん火の銅鑼のような音の合間合間に聞こえるその声がパタリと途絶えたら、何も聞こえなくなったらどうしよう……と思うと不安で不安で仕方がありません。
<金さん、叔父上か山吹の所へ……>
<却下だ。万が一にもその所為で此処が危険に晒されたら如何する>
最後まで言う前に一刀両断されました。頭では金さんが正しいと解っているのですが、どうにも不安がどんどん膨らんでいってしまうのです。
早く朝になって!!
そう手を合わせて祈ります。妖にもよるのですが、じゃんじゃん火は夜にしか出ません。火の精霊力が強ければ強い程 じゃんじゃん火の力も増しますが、同時に同じ火の力でも太陽という極めて強い陽の火の力を苦手としています。なので火の陽の力が一番遠ざかる深夜になって出てくるらしいのです。
そうやって祈る事しかできない長い長い夜が明け、服を少し焦がした叔父上と、毛先を少し焦がした山吹が戻ってきました。幸いなことに二人とも全身ずぶ濡れではあったものの、大きな怪我どころか気になるほどの傷や火傷は無いようです。
「二人ともお疲れ様でした。……本当に、無事で良かった。
ともかく温泉で綺麗にしてらっしゃい。
その間に朝ごはんを作っておくわ」
そう母上が言い、橡は二人が食事の後にすぐに休めるようにと、二人のウォーターベッド御帳台を整えに向かいました。
そんな叔父上たちより少し遅れて私の元へと戻ってきた浦さんと桃さん。
「念の為、周囲一帯を確認してきましたが、今のところコレといって問題はなさそうですね」
そう言う浦さん。桃さんも
「異常な火の精霊力の高まりも、今はひとまず落ち着いてる。
周囲に火種の気配も無い。って事で俺様も休む。
だが飯になったら絶対に起こせよ」
と続きます。二人ともじゃんじゃん火による二次被害の山火事を警戒して、周囲の確認をしてきてくれたようでした。桃さんは一晩中戦ってかなり疲れた様子でしたが食事は絶対に抜きたくないらしく、念押ししてから消えました。続いて桃さん程ではないけれど、やはり疲れきった表情をした浦さんも、
「私も食事になったら起こしてください」
とだけ言い残して私の中へと消えました。
<桃さんも浦さんもお疲れ様。そして金さんもお疲れ様。
みんなゆっくり休んでね。>
結局火の極日の10日間、毎晩じゃんじゃん火は襲来しつづけました。
これ以降、私達は火の極日を「炎の10日間」と言うようになりましたが、3年後にはガクンとじゃんじゃん火の数が減り……。更にその2年後、2体のじゃんじゃん火が現れたのを最後に、じゃんじゃん火はこの山から消えたのでした。
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