未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

1歳 -土の陽月1-

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すっかり涼しくなり、朝晩なんて肌寒く感じる今日この頃。
昨年のこのぐらいの時分には、母上に温石おんじゃくを用意してもらって、兄上と身を寄せ合って眠ったものですが、今年は程よい温水で暖かいウォーターベッド御帳台にふかふか羽毛掛布団。それに肌触りが良くて母上やつるばみが毎日綺麗に洗ってくれている清潔な敷布や肌着のおかげで、昨年とは比べ物にならないぐらいに快適に過ごしています。

それにしても、つい先日までは暑くて壁の中を通す冷水の温度を下げる日が続いたと思ったら、もう温度を上げなくてはならないとは……。1歳半の幼児の私が言うのもなんですが、こういうのを「光陰矢の如し」っていうんだろうなぁなんて思ってしまいます。




そして寒くなってきたという事は、水の陽月から約200日と少し一緒に暮らしてきた叔父上や山吹とは、またお別れしなくてはならない季節だという事です。明日にも出稼ぎに行くことになっている叔父上と山吹は、忙しそうに自分の着替えなどの荷物を袋に詰め込んでいます。

そんな自分の荷物の準備で忙しい叔父上たちに代わり、母上とつるばみが大和や天都で売る事になる品々の最終チェックをしていました。

「乾物はハマタイラ3000個に石茸いしたけ400個。
 それから躍茸おどりたけ300個に大根おほねが20袋……」

と母上が品目を読み上げる度に、橡が該当する干物を大きくて丈夫な袋に詰めたりまとめたりしていきます。私はといえば手伝えるようなことが何もなく、直ぐ近くでその作業を見ていたのですが、ハマタイラの3000個という言葉に一瞬驚いてしまいました。

ですが直ぐにハマタイラの貝柱が大きすぎる為、小さく切り分けた事を思い出しました。あの直径50センチ程もある貝柱は厚さも相応に分厚く、薄いものでも15センチ、厚いものだと20センチ越えという厚さです。流石にそのまま塩茹でしたら、火の通りにムラが出てしまいます。なので、だいたい5センチ四方のサイコロ状にしたんですよね。その結果、一つの貝からだいたい150個~200個ぐらいの貝柱キューブが作れました。だから3000個とは言っても、貝の個数換算でいえば20個と少しぐらいになります。本当はもっとたくさん作りたかったのですが、肝心の塩の残量が心許なくなり……。

やはり早急に塩対策を……って、最近は塩と保存食の事しか考えていないかもしれません。ですが衣食住のうち、衣と住はなんとか許容できる範囲になったので、食に思考が集中するのも仕方がない事なのです。

決して私が食いしん坊だからって訳ではないはず……。


ハマタイラの他には、見た目は超巨大マッシュルームで味は椎茸な石茸と呼ばれているキノコと、サルノコシカケみたいな見た目の躍茸。両方とも味・香り共にとても良いのですが生では日持ちせず、乾物だと乾燥途中でカビが生えやすいという欠点がありました。その欠点を桃さんの技能「乾燥」で解決できたのは幸いでした。母上や橡たちもホクホク顔で、

「こんな上質の石茸は天都でもなかなか……。
 桃様の御力は本当にすごいですね」

とべた褒めです。乾燥作業の最初の頃は桃さんも加減が解らず、一気に強い力で乾燥させた結果、急な乾燥に石茸がパックリと割ってしまったりもしましたが、それらは自分たちが食べる用にして練習を重ね、今では帝に献上しても問題ないレベルの乾物が出来るようになりました。そこそこの品質でも日持ちのする食品は高値で取引される事が多いらしいので、今回の出稼ぎの目玉商品はこのキノコ類になりそうです。

叔父上たちの期待の星であるハマタイラの貝柱は、味は間違いなく美味しいのですが、見慣れないモノを買う人はなかなか居ないだろうと私は予測しています。そういう意味では竹醤も同じ罠が待ち構えています。ハマタイラはハマタイラ自体に馴染みがなくても貝柱と認識さえしてもらえれば売れるだろうけれど、竹醤は前代未聞すぎて味見すらしてもらえないかもしれません。母上たちが抵抗なく竹醤を受け入れてくれたのは、三太郎さんが作った物だという認識があったからで……。流石に町で「精霊様の作った調味料です!」とは言えないので、来年までに何か受け入れてもらえる方法を考えておかねば……。


そして大根おほねは湖の岸辺に自生していた植物で、母上の持っているチェックリストの字には「おほね」と書いてあるのに、発音は何度聞いても「おおね」にしか聞こえない謎の野菜です。まぁ匂いや味からして私の知っている大根だいこんと同じと思われる野菜なのですが、見た目はまるっきり蕪です。

小学校の国語の授業で習ったロシアの昔話の「おおきなかぶ」程ではないけれど、私の知っている蕪より遥かに大きい蕪です。何人もが力を合わせて、最後にネズミの小さな力で大きな蕪が抜けるあのお話は、ネズミの僅かな力が物事の成功・失敗を決めたように最後まで決して諦めずに力を出し尽くせという事と、協力は大事だというを伝えたいのだろうと個人的に思っています。

まぁ……叔父上や山吹にかかれば、「うんとこしょ どっこいしょ」なんてのんびりした掛け声ではなく、「ズエリャァ!!」という気合の掛け声と共に一人で引っこ抜いてしまうんですけどね。

アレには流石に驚いて目が真ん丸になって口もぽかーんと開いてしまいました。採取は基本的に女性の仕事なのですが、大根は女性陣の手に余る大きさだったので、叔父上たちが手伝ったんですよね。ただ驚くべきことに、そんな直径1m弱もありそうな巨大な大根も母上と橡が協力すれば持ち上げて運ぶ事ぐらいならできるんですよ。どう見ても200kgは超えていそうな大根なのに、この世界の人の身体能力は本当に驚異的です。

その大根を湖の水で綺麗に洗ってから切干大根きりぼしだいこんにしました。切り方を変えて割干大根わりぼしだいこんも作ったのですが、切干に比べて厚みがある割干でも桃さんの乾燥のおかげであっという間に出来上がりました。

それにしても水分量が豊富な大根を上手に乾物に出来たという事は、果物を乾燥させたドライフルーツもいけるかもしれません。ここで手に入る果物は限られていますが、林檎は絶対に試したいところです。そうそう、果物といえば葡萄が欲しいんですよね。叔父上にお願いして苗を買ってきてもらおうかなぁ……。塩が最優先なのは変わらないから、余裕があればになるけれど。

そして食品以外では、雁の羽根以外にも葛の蔓やしなの木、山藤、山桑の樹皮を加工して作った糸も売り物に加えました。去年は布に織り上げてから売っていたのですが、今年は時間がなくて糸のままの販売です。私達が使う布製品には土蜘蛛の糸を使うので、この世界で一般的に使われているこれらの糸は全て販売用に採取作成したのですが、土蜘蛛の糸を外に出す事が出来ないという事は叔父上たちの服や荷物を入れる布袋などにも土蜘蛛の糸を使用できないという事です。なので販売用の糸の一部を使って叔父上たちの服などを作ったので、当初の予定より少し減ってしまいました。




その日の夕食時、次の日には出発する叔父上たちに少しでも栄養のあるものを食べてもらいたいと橡が張り切って作った御馳走を前に、三太郎さんや兄上はすごく良い笑顔です。

なのに、肝心の叔父上の表情が今一つ優れません。

「若様、何か不調法がございましたでしょうか?」

心配そうに橡が叔父上に話しかけ、同じように母上や山吹も叔父上の様子を伺います。そんな周りの態度にハッとした叔父上は

「いや、すまない。何でもないんだ。
 こんなに御馳走を作ってくれて……。
 そしていつも私達を気遣ってくれてありがとう、橡」

そう微笑む叔父上でしたが、基本的に叔父上は嘘が下手なのです。何か心に心配事や悩み事がある事がバレバレです。

「叔父上は おんせんでも ためいきを なんども ついていました」

と、兄上が更に追い打ちをかけます。兄上は日によって母上や私と一緒に温泉に入ったり、叔父上たちと一緒に温泉に入ったりとまちまちなのですが、今日は明日からいなくなってしまう叔父上たちと一緒に入っていました。

「鬱金? 何か心配事でもあるのですか?」

そう心配そうに尋ねる母上に

「いえ、その……
 明日以降の事を考えると、少々気が重いだけで……」

と少し歯切れの悪い叔父上。

「貴方や山吹にばかり危険な真似をさせてしまって……。
 気が重くて当然です、本当にごめんなさい」

「ち、違いますよ、姉上。
 私自身が望んで行っているのです、それに関しては何も問題ありません。
 ただ……その……」

母上が手に持っていた箸を机に戻して、頭を下げて謝りました。そんな母上の姿を見て叔父上は慌てて頭を上げさせて、そうではないのだと言います。

「姉上や橡はずっと此処に居るので、すっかり忘れているようですが……
 ここ以外でこんなに快適な生活を送る事は不可能です。
 明日からはまた、以前と同じ生活になるのかと思うと少し気が重かっただけで、
 私が出稼ぎに行く事に、何ら異論はありません」

そう叔父上が説明した所で、山吹が「あっ!」と小さく声を上げ

「そうでしたね……。明日からは温かい寝床や美味しい食事、
 それに綺麗な服や便利な道具は言うまでも無く、
 あの心地よい湯に入る事もできなくなるのですね……」

と少し呆然とした感じで言います。食事や寝床に関しては旅の間は仕方ないと山吹も思っていたようなのですが、温泉に入れないという事に衝撃を受けてしまいました。すっかり此処での生活に慣れてしまった二人にとって、以前の生活水準は既に戻りたくないものになってしまっているのでしょう。

その気持ち……とっても良く分かります!
一度上がってしまった生活水準を下げる事はかなりのストレスになるんですよね。
私がそうだったように……。

此処での生活を支えてくれる道具には山を下ろせない物が多く、ほんの些細な……例えば歯ブラシですら山を下ろす事はできません。叔父上たちは旅の途中で必要になるので1年前と同じように、木片を茹でて先を潰した房楊枝のような歯ブラシを昨日作っていました。

……うん、これはやるしかないな。




夜、母上たちが寝静まってから、私はウォーターベッド御帳台を抜け出しました。この夜中に母上の目を盗んで動き出すドキドキ感は約1年ぶりで、なんだか随分と久しぶりな気がします。

「金しゃん、浦しゃん、桃しゃん手伝って」

ウォーターベッド御帳台の縁に座って小さな声で告げると、私の中から三太郎さんがフワッと浮かび上がるようにして出てきてくれました。ちなみに三太郎さんの部屋というか家はまだ完成していません。母上や橡だけでなく、叔父上たちまでもが自分の持てる技術の全てをつぎ込んで作ると意気込んでいてなかなか完成しないのです。

「どうしました? 夕食の時からずっと何かを考えていたようですが?」

そう聞いてくれた浦さんに

<明日出発する叔父上たちに餞別を送りたいんだけど
 時間がないから三人とも力を貸して欲しいの>

そう言ってペコリと頭を下げます。最近はこうやって頭を下げても転ばなくなりました。以前は頭が重くてバランスが取れずによく転んだものでしたが……。


こうして私と三太郎さんは実験小屋と資材小屋を何往復もし、水車小屋やら冷蔵・冷凍庫にも足を延ばし、拠点中を駆け巡って様々な物を作りはじめました。

1:調理用鉄板。
サイズは40cm×50cmぐらいで厚さは1cmぐらい、両端に取っ手も付けて扱いやすくしました。

2:琺瑯ほーろー製の片手鍋(直径20cmぐらい)
叔父上たちは大食漢なので小さいかもしれないけれど、行きも帰りもとにかく荷物が多いので小鍋に。更に嵩張らないように柄を取り外せるようにしました。

3:琺瑯ほーろー製のマグカップ。
直火や鉄板の上に置いて温める事も可能。ピッタリサイズの蓋もセットで。

4:琺瑯ほーろー製の箸・スプーン・フォークの三点セット。
木製に比べて衛生的。旅の途中で毎回洗えるとは限らないので……。

5:竹の水筒。
乾燥させた径の大きな竹をスープジャーのように加工したもの。実は中に琺瑯容器がはめ込んであるので衛生的で水漏れの心配もなし。更には浦さんにさんざん渋られたけれど、外からは見えないように蓋の裏に「浄水」と「保冷」の小さな霊石を仕込んで、入れた水を綺麗にして冷たいまま持ち運べるようにしました。冬場に保冷は要らないかもしれないけれど、あった方が万全かな……と思って保冷もセットで付けました。

6:2m四方程度の撥水布
夜営時に地面に敷いたり、雨の日に頭から被ったり色々できる大きな布。この布や叔父上たちの服や布袋は水に強くて丈夫な科の木の糸を使用。

7:保存食(味噌玉と乾飯かれいひ
味噌に割れて売り物にならなくなった石茸を粉末にしたものを混ぜ、切干大根や大根の葉を乾燥させた物を混ぜて団子状にして笹の葉で包んだ物。他にも色々な干し野菜やお麩を具として入れてバリエーションも有り。
乾飯は炊いたご飯を洗ってから乾燥させて作成。それらを1食分ずつに小分けして袋に入れ、売り物にならない切れ端のハマタイラの貝柱をほぐして混ぜた物、干し肉をほぐして混ぜた物など数種類作成。3のマグに入れてお湯を注ぐだけで簡単に貝柱粥や肉粥が作成可能。


といった旅の七つ道具?を、三太郎さんに協力してもらって大急ぎで作りました。琺瑯のマグや箸・カトラリーは元々試験的に作ってあったので、大変だったのは竹の細工と何より浦さんの説得でした。水がいかに大事か、汚い水が人の体にどれだけ悪い影響を与えるのかを力説して、ようやく納得してもらえた感じです。

そうそう琺瑯製品なのですが……。
実はこの世界にも同じような物があるのだそうです。以前に小さいものならガラス製品があるとは聞いていたのですが、それが正に琺瑯でした。ただしこの世界では七宝しっぽうと呼ばれていて、小さな装飾品しかありません。装飾品なのでとっっても煌びやかに色が付けられていて、小さい割にとても高価なんだとか。なので装飾性が皆無の私が作る琺瑯が七宝だとは母上たちも最初は全く気が付きませんでした。そんな訳で三太郎さんたちも琺瑯製品を外に出す事に対し、勧めはしないが止めもしないというスタンスです。




そして翌朝、叔父上たちに七つ道具を渡す際、

「くれぐれも、くれぐれも……えぇ、何度でも申しますが……。
 決して他人の前で使う事の無いように。
 万が一にも他人に奪われそうになったら、
 奪われるよりは壊しなさい、燃やしなさい。良いですね?」

と何度も何度も念を押す浦さん。私だって霊石を外に出す事の危険性を軽く見ているつもりは決してありません。それ以上に叔父上たちの体が心配だったのです。

「心得ました。
 浦様や金様、桃様のご温情に深謝致します」

といって叔父上と山吹が揃って頭を下げます。うーん、仕方がない事だと解ってはいますが、もう少し砕けた言動になってほしいです。

私達9人は家族なのだから。


こうして叔父上たちは餞別を手に、大きな荷物を大きな馬に乗せてそれぞれ大和と天都へと向かいました。後々のちのち、この旅で使い勝手がとても良かった七つ道具を気に入った叔父上たちは、琺瑯の品という意味の七宝と、旅がとても便利になる道具=宝という意味から「旅の七宝」と呼ぶようになるのでした。


それにしても次に叔父上たちと会えるのは150日近く先の事になります。
少し……寂しい……かもしれません。
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