【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

1歳 -無の月1-

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「はあぁぁぁぁ……」

オヤジくさいと言われようが、温泉につかる際には無意識に出ちゃうこの声。春には春の、夏には夏の、もちろん秋には秋の温泉の良さがあるけれど、やはり雪深くなったこの季節の温泉は格別です。大きく息を吐きながら空を見上げると、そこには夜空を二つに区切る光る環があり、上り始めたばかりのお月様と一緒に温泉を照らしていました。

ふと

(この視界に入る全ての雪が、全部塩に変われば良いのに……)

なんて事を考えてしまいますが、それはそれで塩害で大変な事になるので、すぐにダメダメと考え直しました。そもそも流石の三太郎さんたちでも雪を塩に変える技能なんてものは持っていませんし、そんな技能を持つ妖も居ません。

……いや、塩を作る妖怪なんて……流石に居ないよね? 
念の為、後で三太郎さんに聞いておこう……。




叔父上たちが旅立ったのが約50日程前。あの頃はまだ雪がちらつく程度だったこの付近も、無の月になればどこもかしこも大量の雪で覆われてしまいます。叔父上たちが居なくて寂しいと思う気持ちは今でもあるのですが、慣れとはまたちょっと違う感じで日常化してきました。寂しいけれど寂しいことが日常という感じです。

何より色々とやらなくてはならない事や、考えなくてはならない事が山積みなのです。忙しくしている間は寂しさを忘れられるという法則は前世でも今世でも同じようで、決して寂しさを忘れる為だけに忙しくしている訳ではないのですが、今の私は一日の大半を塩の入手方法や竹醤の販売方法の模索に費やしています。

「櫻、どうしたの? のぼせちゃったかしら?」

お湯につかったまま静かな私に、母上が顔を覗き込んできました。

「だいよーぶよ、はーうえ」

心配そうな母上の顔を見上げて、私は笑顔で返事をしました。母上やつるばみ、それに兄上も今では私が指示を出さなくても、自分でちゃんと全身を綺麗に洗って湯に入ってくれます。泥パックもずっと定期的に続けているので全身がぴかぴかつやつやで、母上たちの見た目はかなり若返りました。

……まぁ、元が少し老けて見えていたという事もあるんでしょうが。

「はい、坊ちゃま。リンスも終わりましたよ」

向うでは橡が兄上の洗髪の仕上げにリンスをしてあげていました。
去年は柚子果汁を薄めたものをリンスとして使っていましたが、水の陰月に入る頃にはストックしていた柚子が無くなってしまいました。なので当初の予定通りリンゴ酢を薄めて使う事にしたのですが、柚子果汁よりもリンゴ酢の方がべたつきが少ないので、今では柚子果汁を使う事はなくなりました。

柚子果汁を使わなくなった理由のもう一つに、柚子はマーマレードにしたりシロップにしたりと、大半を食用で使い切ってしまう事が簡単に予想できたからです。今年は母上や橡にも手伝ってもらって昨年以上の量を仕込む事ができましたが(当然ながら桃さんも昨年以上に甘葛煎作りに精を出しています)、1年持つか持たないか怪しいラインの量しか作れませんでした。なにせ柚子シロップは水で薄めて柚子ジュースとして飲む事もありますが、それ以上に柚子シロップに塩を少量加えてスポーツドリンク的なものを作り、毎日のお風呂上りに飲むので減りが早いのです。夏場は更に減りが加速しますし……。

また私の来年の目標の一つとして、家族全員に好評だった焼肉のタレのバリエーションを増やしたいというものがあります。その為に塩レモンならぬ塩柚子を作りたいのです。塩柚子なら毎朝の魚料理や冬場の鍋料理にも使えますしね。その塩柚子を作るためにも柚子は出来るだけたくさん残しておきたいのです。


なので柚子の香りを纏いたくなった時は、試行錯誤して作り上げた柚子の精油エッセンシャルオイルを使うようにしています。塩柚子やマーマレードは皮ごと使いますが、皮を使わないシロップ用の柚子の皮で精油を作る事にしました。水の陽月の頃から試行錯誤し続けましたが、香りの抽出がこんなに大変だったとは……と何度も遠い目をしてしまったものです。

一般的な香りの抽出法として水蒸気蒸留法というものがあります。
柚子の皮や、さまざまな花や葉・果実・樹皮・根などを密閉した容器の中で蒸して、その香りが移った蒸気を冷やして水に戻し、その水の上に浮いた油が精油で、下に溜まる水がフローラルウォーターと呼ばれる物になります。

ですが私は最初、蒸気を冷やして水に戻すと精油とフローラルウォーターになるという事しか覚えていなくて、コトコトと柚子の皮を煮込んで蒸気を集めていたんですよね。当然ながら上手くいくはずがなく……。

勘違いに気付いたのは水の極日騒動のあの時でした。ウォーターベッド御帳台から出る事を禁じられた私は、回復を少しでも早める為に時間があればとにかく眠るようにしていました。そのついでとばかりに精神世界でフレーム映像のチェックと整理をしていたのですが、その時に情報番組で見かけた精油の取り方の記憶を見つけ、

「あれ?……これ、煮てない! 蒸してる!!」

と、自分の間違いに気付いたのでした。

柚子はそれで何とかなりましたが、材料によっては同じようにしても上手く香りが抽出できなかったり、出来ても匂いにおいじゃなくて臭いにおいという表記が妥当なニオイだったりと試行錯誤の連続でした。そしてようやく良い匂いの物が作れたと思っても、数日でニオイがしなくなったりして、満足がいくものが出来上がるまでにかなりの日数を要しました。

そんな訳で本当は今年中にみんなが其々好きな香りを調香して、お風呂や洗濯物などで香りを楽しめたらなぁと思っていたのですが、その目標は来年に持ち越しになりました。




そしてリンゴ酢が定番となった事で、一つ変化が生まれました。
それが橡が使っているリンスという言葉です。

ついポロっと

「はーうえ、りんす してください」

と油断してリンスという言葉を使ってしまったのです。ですが、母上たちはリンスをリンゴ酢の幼児語だと思ったようで……。それ以来私や兄上に対して「リンスしましょうね」と言うようになりました。それが叔父上たちにも伝わって、今では洗髪時に使うリンゴ酢=リンスと呼び方が変化してしまったのです。

言葉には気を付けないと……と気を引き締め直した一件でした。




その日の夜遅く……。

「あなたの予想通りでしたよっ!」

と、珍しく少し興奮気味の浦さんが外出から戻ってきました。そんな私の部屋の床には、大きな白い布にこの付近の地図が描かれたものが広げられています。この地図は金さん特製の地図で、この世界では珍しい真俯瞰図です。

珍しいというか、これしかないかもしれません。

何せこの世界の地図は、歴史の授業で習った古代の絵図のような鳥瞰図で、微妙に斜め上から見下ろした感じの地図ばかりなのです。大まかな方角を知るだけならそれでも充分でしょうが、私にとって地図=真上から見下ろした図なだけに違和感が酷く……。金さんにこの拠点とその付近だけでも!とお願いして作ってもらいました。

そして金さんの地図製作とほぼ同時に、浦さんにも一つお願いをしていました。それが海を行き来する船の増減のチェックです。この拠点からずっと西側に進むと断崖絶壁に行き着きますが、その崖の向うは海です。その海は多くの船が行き来する航路になっているのですが、人や荷物の往来が減る無の月でも船が行き交うのか?と疑問に思った私は、浦さんに行き交う船の数を調べてもらいました。

結果として無の月に入った頃から船の数は日に日に減っていき、今ではほとんど船を見かけないという事でした。それに何より航路も少し変わっているらしいのです。以前は海岸線の形をなぞるように少し沖を船が行き来していましたが、今はそこに大量の氷が流れ着いているのでかなり沖の方へと航路が移った様子。

<この世界には砕氷船なんてないだろうし……。
 氷を避けて航海するとなると、沖に出ざるを得ないんだね>

と地図を見ながら答えました。これは好機です。またとない好機です。

「いまなら すこしぐらい がけ いっても だいよーぶ?」

私一人で向かうのは無謀なので協力してほしくて三太郎さんに尋ねますが、金さんは少し渋い顔です。

「確かに海から視認されるという危険は減ったが、崖付近は元々危ない。
 雪がこれだけ積もっていると、どこまでが大地か解りづらい。
 ゆえに最悪、落ちかねん」

という金さんに、

「ですが櫻の知識が必要な以上、
 櫻自身に見てもらわなければならないのでは?」

という浦さん。三太郎さんたちは以前から私に対して過保護な所がありましたが、約1年前の土蜘蛛遭遇事件以来、特に過保護な気がします。

「ならさ、俺様が常時櫻を抱き上げていれば良いんじゃね?
 そうすりゃ万が一にも崖から落ちてもどうとでもなるし
 何より俺様が抱き上げてりゃ寒さ対策も可能だし?」

と、これで決まり!とでも言いたげに立ち上がったのは桃さんです。ひょいっと私を抱き上げると、一言

「……なんか、おまえ。以前に比べて重くなってね??」

と爆弾を私の頭上に落しました。
そんな乙女心をえぐるような言葉に、思わずズビシッと桃さんに指を突きつけながら

「おもくじゃなくて、おーきくなってのっ!!」

と即座に訂正しておきます。実際、どれぐらいの体重なのかは自分では解りませんが、自分のお腹や手足を見て……いや、確かにちょっとぷくぷくだけど……乳幼児の平均的な体重・体型だと思います。

……たぶん。




「おぉ……うみが しろい」

夜の暗い海を想像していたら真っ白い流氷に月の光が反射して、とても幻想的な光景が広がっていました。思わず抱きかかえられているのに背伸びをして、遠くまで良く見ようとする私でしたが、

「危ねぇから、じっとしてろ!」

と桃さんにぎゅっと抱え込まれました。

今、私達は崖のすぐ近くまで来ています。ここまで来たのは初めての事で、大海原を見て興奮してしまった私はテンションが爆上げ状態です。前世でも山育ちだった私は海を見かけると、無意識に電車や車の窓からずーーっと海を見続ける習慣というか習性?がありました。生まれ変わってもその習性は変わらないようです。

「ほら、ちゃんと布を被ってください」

横に居た浦さんからも注意されてしまいました。万が一にも船が通った時の為に、土蜘蛛の糸で織られた白い布を頭からすっぽりとかぶって、髪をしっかりと隠して遠目には目立たないようにしています。

<ごめん、落ち着く。海に喜んでいる場合じゃないんだよね>

三太郎さんに謝ってから、改めて海を見ました。怖いので桃さんにしっかりとしがみつきつつですが、崖下も覗き込みます。正確には解らないけれど1000mは余裕でありそうな高さに、膝からスーッと力が抜けていくような感じで血の気が引いてしまいました。

<かなり高いんだね。それに流氷も多い。
 浦さん、あの流氷って水中はどれぐらいの大きさなの?>

「そうですねぇ……、
 物によりますが、大きいモノで私の背丈より大きく……。
 だいたい2m~3mぐらいかと」

首を少し傾げてそう答える浦さん。

ちなみにメートル法の無いこの世界でメートルという単位で三太郎さんと意思疎通が行えるのは、三太郎さんがフレーム映像を見てメートル法を覚えてくれたからです。基準はなんと私の身長で、学校に提出する書類の関係で母子手帳を見た時の記憶映像(黒抜け多々あり)にあった出生時の身長を、叔父上に拾われた直後の私の身長に当てはめて算出しました。なので前世とまるっきり同じ長さなのかはちょっと不明ですが、一応似たような数値になっているのではないかと思います。

そこまでメートル法にこだわった理由、それはこの世界には身度尺しんどしゃくという身体の寸法を元にした単位しかない為です。例えばあたという単位は親指と中指を広げた幅なのですが、「1咫半の棒を~」なんて言われても、そんなの人それぞれ違うからっ!と突っ込みたくなります。また、長さの単位一つとっても複数の単位があって、尋(両手を広げた長さ)だの寸(親指の幅)だのと覚えるのが大変なのです。

勿論この身度尺にも良い所はあって、お茶碗やお箸という自分だけが使うものを作る時などは、自分の身体を基準にしているのでピッタリと合った物が作れます。ですが誰が計測しても同じサイズになる固定基準が無いと意思疎通に不便なので、三太郎さんと私はメートル法を使うようになりました。三太郎さんは自分の関与している物なら感覚で長さが解るようですが、私はそういう訳にはいかないので金さんに特製の竹尺を作ってもらって、50cmまでならそれで対応しています。


<金さん、この下に空洞はある?>

今度は金さんに尋ねます。それに対し「しばし待て」と答えた金さんは目を閉じました。少しの間の後、

「絶対に無いとは言い切れぬが、
 恐らくこの付近に大きな空洞はない」

と少し眉根を寄せて渋い表情をしつつ答えてくれました。探査(金属)で幾つかの金属を指定して地中に空間があるかないかを調べてくれたのです。

海水を誰にも見られず安全に採取できれば、塩の問題は簡単に解決できます。だとしたら人目につかず、流氷に塞がれることもない海中や海底……最低でも海水面から3m以上下から海水を陸側へと引き込めば良いと考えたのです。

海水さえ安定して手に入れる事が出来れば、あとは土蜘蛛の糸で織った布で濾過し、竹炭を使って煮詰め、石膏分を除く為にもう一度濾過してからまた煮詰め、最後に乾燥させれば塩が出来上がります。

<って事で、海水を安全に汲み上げたいんだけど……
 この地下に大きな空洞を作ってそこで海水を汲み上げて塩を作るのと、
 ここから拠点近くまで海底洞窟を作って海水を引き込むのとだったら、
 どちらの方が良いと思う?>

そう尋ねた私の耳に三太郎さん全員の特大の溜息と、金さんや桃さんの

「嫌な予感ほど、当たるものなのだな……」

「出たな、櫻の無茶振り……」

と呆れた声が聞こえてきたのでした。
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