【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

青い空が綺麗です :橡

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それは青天の霹靂、或は予想外や想定外。
そういった言葉を100個程寄せ集めて一つにまとめても、今の私の驚きを表すには足りない……そう思える程の衝撃でした。

「桃様……。いま、何と??」

火の精霊であらせられる桃様の言葉を聞き逃す事も、異を唱える事も烏滸がましいとは思いますが、そう尋ねずにはいられません。

「ん? だからつるばみもこの林檎を収穫してくれって話し。
 お前たちも好きだろ? この林檎のじゅーす。
 それに来年用の酢や酒を仕込む分も必要だから
 出来るだけ多く集めてくれよな!」

そう言いながら桃様が腕を伸ばした先にあったのは、真っ黒い人の頭ほどの大きさの果実でした。実物を見たのは初めてでしたが、知識としては知っています。それは……

「ですがこれはジンドです。
 いえ、カラナシと呼んだ方が良いのでしょうか?
 ともかく、これを食べるのは良くありません!」

大慌てでジンドへと手を伸ばす桃様の腕を掴んで止めます。不敬である事は重々承知しておりますが、桃様に死の穢れを近付けるなどあってはならないことです。

庶民からはジンド人頭、華族からはカラナシ体無しと呼ばれるこの木は、付近の死の穢れを集めて実をつけると言われている不吉な木です。人の頭が木の枝からぶら下がりユラユラと揺れているようかのように見える不吉極まりない光景は、その名の由来が事実であると告げているかのようです。

ですが、

「それ、最初に誰がそう言ったんだろうなぁ?
 死の穢れなんてこの木は溜め込んでねぇよ。
 おおかた、美味い果物を独り占めしたくて、
 嘘を言いまくった奴が大昔に居たってだけなんじゃねーの?」

と、けらけらと楽しそうに笑う桃様に私の思考が追いつきません。

(え? 死の穢れは関係ない?
 いえ、それより何より桃様の言葉によれば
 日々使っている酢がジンドの酢って事で……)

バッと思わず桃様の腕から自分の頭髪へ、それから身体へと腕を忙しなく動かして自分の身体を確認してしまいました。何処も痛くもおかしくもないことに、ホッと安心して胸をなでおろします。

桃様の太鼓判があっても、人の頭そのものに見えるその果実に触れる踏ん切りがつきません。確かに顔がある訳ではないので、人の頭と称するには無理がある……そう自分に言い聞かせつつ勇気を振り絞ります。

「あの、それは精霊である桃様だからという訳ではなく……?」

念の為にそう尋ねた私に桃様は

「ぁあん? お前らに危険だったら櫻に食べさせられねぇだろうが」

そう少し不機嫌そうに告げる桃様に慌てて謝りました。
桃様も金様も浦様もそれはそれはお嬢様を大切になさってくださいます。自業自得ではあるのですが、息子の山吹に対して若干きつく当たる事が多い桃様。ですがそれも裏を返せば、それだけお嬢様を大切に思ってくださっている事の証でもあります。

息子の事を思い出すと同時に、ハッと気付いたことがありました。

「あ! ……あの、もしかして他の場所もこのような??
 浦様と姫様やお子様方が向かわれた油の実の採取や
 金様と若様や息子が向かった糸の採取も、
 ジンド……いえ、林檎と同じような感じなのでしょうか??」

日々様々な事に使っている油や、今も身に纏っている着物。それらが全て人々から忌み嫌われているモノを材料としているのでは?と思い至った私に、桃様はニッと楽しそうに唇の端を上げて笑うと

「良く分かったな!
 油はアケビ、おまえら風に言えば開け目ってヤツを使ってるし、
 糸は土蜘蛛……じゃねーや、えと八束脛やつかはぎの糸だ!!」

と胸を張って誇るように宣言されました。クラッと眩暈がします。

(あぁ、土の陽月の青空は綺麗ですねぇ……)

なんて現実逃避をしてしまいますが、目の前にはドーンと人頭大のジ……林檎が。更には桃様がつまみ食い!とウキウキしながら林檎の実に小刀を刺し入れ、器用に切り分けて皮をむいてから自分の口へと放り込まれているのですが、その実からはまるで血液のように真っ赤な液体が吹き出しています。そして切り取られた果実からは滴り落ちる赤い液体、その液体が桃様の口のまわりを真っ赤に染め……。

(夜中に見たら叫び声をあげそうな絵面……)

思わず目の前の赤から目を背け、再び空の青へと視線と意識を向けます。
今頃、姫様たちも私と同じ気持ちでおられる事でしょう。
とんでもない品を手に持ちながら。




その日の晩。
開け目とジントを眼前に置いて、姫様と若様、山吹、そして私が遠い目をしながら今日の報告をしあっていました。八束脛の糸はそのままでは使う事が出来ず、色々な処理をする必要があるそうで今ここにはありません。それら処理の仕方は後日、時間に余裕が出来る無の月に入ってから教えて頂く事になりました。

それにしても目の前にある開け目の白く濁った眼が、私達をじっと見つめているようで落ち着きません。精霊様たちはアケビと呼ばれていますが、私達にとってこれは通称「開け目」と呼ぶジンドと並んで不吉とされる実です。正式名称を「死人しびとの目」と言いますが、その名に含まれる”死人”という言葉すら不吉だから口にするべきではないと教えらえていた実です。それ程までに忌み嫌っている実から、あんな良質な油が搾れるなんて……と、4人揃って言葉を無くしてしまいました。

周囲の穢れを取り込んで実をつけると言われているジンドや開け目とは傾向が違いますが、妖である八束脛の糸を利用するという事も驚きです。八束脛は生息地域が山奥なので、人間の生活圏とは基本的には被りません。また八束脛は縄張り意識が強いので、人間が八束脛の縄張りに入り込まない限りはそうそう出会う事はありませんし、縄張りも糸が幾重にも木々の間に張り巡らされているので、余程粗忽者でも無い限り間違って入る事もありません。ですが山の恵みが少ない年は人里まで下りてくる事があり、その時は里の農作物だけでなく人も餌となってしまいます。特に赤子や幼子を狙って襲うらしく、天候が不順な年はそう言った悲報を聞くことも珍しくありません。

「鬱金、山吹。八束脛の縄張りはこの近くなの?」

姫様が青い顔をして尋ねます。ここに移り住んで1年ほど経ちますが、その間にこの近辺で八束脛の痕跡を見る事はありませんでした。ですが万が一があってはいけません。

「そうですね、私や山吹の足ならばそこまで遠い距離ではありません。
 ですが、金様が仰られるには八束脛がこの辺りへ入り込まぬように
 対策は厳重にしてあるので、安心して良いとのことでした」

そういう若様に続いて山吹も

「それに何も八束脛を倒せという話しでは無いのだそうです。
 あくまでも縄張りを誇示するための糸の一部を採取すれば良いそうで。
 その糸の良し悪しや採取の仕方を本日習いました」

危険が全く無いという訳ではないようですが、縄張りに入らずに糸だけ採取するという事のようで一安心しました。本来ならば採取は女性の仕事ですが、八束脛の縄張りに近づかねばならないとあっては、私はともかく姫様には絶対にさせられません。

八束脛の糸は今となっては私達にとっては無くてはならない品です。精霊様たちは艶糸つやいとと呼ばれていますが、その糸で織った布の肌ざわりの良さは今まで触れた事のあるどんな布よりも良い物で、衣服や寝具もこの艶糸で織ったものです。また硬糸かたいとは釣り糸として日々使いますし、伸糸のびいとも髪をまとめる為の「しゅしゅ」や坊ちゃまの腰帯にと様々な場所で使っています。

そういった八束脛の糸から作られる様々な品の他にも、ジンドから作られるお酢や酒。アケビから作られる油。そしてその油から作られる石鹸。どれもこれもが、ここで暮らしていくうえで必要不可欠であり、もうそれが無い生活など考えられない程に私達の生活に浸透してしまっていました。

「桃様も仰っていましたが……。
 精霊様はお嬢様に害があると判断したモノは決してお嬢様に近付けません。
 それを考えれば、これらはあくまでも人間が勝手に忌み嫌っているだけで
 害あるものではないのでしょう」

と私が言えば、姫様や若様が頷いて同意を示してくださいました。
そして私の言葉を引き継ぐように姫様が

「今までも精霊様から馴染みの無い道具や食材を、幾つもお教えいただきました。
 竹醤などは精霊様が作られたものという認識がなければ、
 箸をつける事すら躊躇っていたと思います。
 今回の品々は竹醤やハマタイラ等とは違って、
 私達には先入観があって受け入れがたいモノではありますが、
 改めて考えてみれば、湯につかる習慣も本来ならばありえませんでした」

そう静かに言葉を紡がれます。そういえば約1年前に初めて湯につかって指がシワシワになった時などは、心胆を寒からしむる思いをしたものです。ですが今ではもう湯に入らない生活なんて考えられない程に、日常の一部となっています。

そう思ったのは私だけでなかったようで、若様に至っては十数日後に迫ったヤマト行きが不安だと小さく零される程でした。

何に致しましても、人である私が精霊様のお言葉に逆らうという選択肢はありません。ですが、そこにあるのは盲目的な崇拝ではなく絶対的な信頼です。三柱の精霊様共に決して無理難題を仰る方々ではないという事と、お嬢様を本当に大切にしてくださっているという事。これはこの1年、共に過ごさせて頂いた中で培った経験です。或は、私のような人間から申し上げるのは不敬かもしれませんが、家族として過ごさせていただいた事による絆ともいえます。


ただ……当然の事だとは解ってはおりますが、

今まで人間の常識が通じない……)

と、少し現実逃避する時間が欲しい私達でした。
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