【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

2歳 -水の陽月1-

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「母上、叔父上は今日帰ってきますか?」

水の陽月に入ってからのここ数日、兄上は朝の挨拶後に必ずこう聞くようになりました。それに対し母上は少しだけ苦笑した後

「そうねぇ、後10日程もすれば帰ってくると思うわ」

と答えます。そんなやりとりが毎朝恒例の光景となりました。1年前とほとんど変わらない光景です。変わったところといえば兄上の言葉が、かなり流暢になった事でしょうか。無の月の間は兄上の日課の一つ、身体を鍛える時間が激減しました。その代わりに座学の時間が激増したのです。そのおかげでかなり語彙が増えて、今までよりもずっと会話が解りやすくなっています。とは言っても敬語などはまだまだ使えないようですが。

その無の月の間に室内+省スペースで出来る運動として、私は縄跳びを提案してみました。去年と同様に数少ない晴れた日には巨大すべり台で遊び倒した兄上。滑り台はバランス感覚を養うにはとても良い遊びです。

ですが当然ながら天気が悪い日には外で遊ぶ事はできません。なので最初の頃には超が着くレベルで長い階段を上り下りして塩精製所兼釣り堀に行く事もあったのですが、塩精製所は大人と一緒じゃないと危険だから入る事は禁止されていましたし、かといって単に階段を上り下りするだけでは兄上も飽きてしまって……。基本的に兄上は真面目で、コツコツと小さなことを積み上げて行く事が苦にならないタイプなのですが、流石に階段の上り下りを延々と続けるのは無理だったようです。

なので周囲に荷物が無くて天井もそこそこ高い渡り廊下で出来る運動として、縄跳びを桃さん経由で提案してみました。私はまだ縄跳びが出来ないので……。縄跳びなら道具の縄も簡単に用意できますし、前世でいうところの幼稚園の年中組さんと同じ年の兄上にも出来るはずです。なので縄を作ると同時に、桃さんに記憶フレームの映像を見て覚えてもらいました。

兄上は最初は縄を手渡されても、どうすれば良いのか全く分からずに首を傾げていましたが、桃さんが簡単に縄をピョンピョンと跳ぶ「前跳び」や「後ろ跳び」、そして「あやとび」や「二重跳び」、更には「はやぶさ」に「三重跳び」と、どんどん技を繰り出し、しかもとっても簡単そうに跳んで居るのを見て、目をキラキラと輝かせて真似を始めました。

兄上からすれば縄跳びなんて今まで見た事も聞いた事もない遊びなので、いきなり上手に跳べる訳がありません。でもコツコツ型の兄上はまずは基本的な跳び方の練習から始めて、毎日欠かさずに跳び続けた結果、無の月が終わる頃には跳びながら走りまわれるぐらいにはなりました。

それを見ていた母上たちも、毎朝のちょっとした運動に手軽で良いと縄跳びをするようになりました。母上たちは室町時代ごろの庶民の着物に近いものを着ているのですが、当然ながら運動には向いていないので農作業や採取をする時に身に着けているモンペのような裁付袴たっつけはかまを身に纏って縄跳びをしています。ちなみにここに引っ越してきた当初に作ったイオニア式キトンは、ゆったりとした着心地から今では寝間着として母上たちは使っているようです。

母上たちが縄跳びを気に入ってくれた理由は手軽さだけでなく、無理なく全身の運動が出来るという面もありました。縄跳びは体幹を鍛える事ができますし、高校の時の体育の先生の言葉によれば有酸素運動で心肺機能が、骨への適度な刺激で骨密度が上がるとの事でした。もう少し大きくなったら、私も縄跳びにチャレンジしたいところです。

……この縄跳び。
数年後にヤマト国で、雪が積もっていて外で運動できない時でも簡単に出来る運動として大流行するのですが、この時の私は未来でそんなことになるなんて夢にも思わないのでした。


他に変わったところといえば、家族全員で座れる大きなテーブルを金さんに改造してもらって、囲炉裏テーブルにした事でしょうか。寒い寒い無の月、温かい椀物のおかわりをする際にいちいち台所に行くつるばみが大変そうで……。勿論床や壁に温水を流しているのでどの部屋もそれなりに温かいのですが、台所の下には(真下ではないのですが)貯蔵庫がある為にあまり温度を上げられないという理由もあって、やはり少し冷えしてしまうのです。

囲炉裏テーブルがあれば、その場で常に鍋を温め続ける事ができるので、橡が毎回台所へ行く必要がなくなりますし、竈の火や鍋の煮詰まり具合を気にしながら食事をする必要もなくなります。それに外から戻ってきたときに、囲炉裏があれば直ぐに手を温める事もできますしね。

本当は炬燵こたつも欲しいのです。今年は色々とやる事が多すぎて手が回らなかったので、今度の無の月までの課題ですね。幸いにも前世で使っていた炬燵が豆炭を燃やすタイプの炬燵だったので、電気を使わない炬燵には馴染みはあるんですよね。後はそれをどうやってここで再現するか、囲炉裏テーブルにどうやって布団を被せるかに悩んでいて、三太郎さんたちと試行錯誤中です。




そんな感じに今日もいつもと同じようで、少しずつ変わっている朝でした。朝食後の食休みに「去年は山吹が想定外に早く戻ってきて大変だったわね」なんて話しをしていたら、金さんが

「……誰かが来たようだ」

とスッと視線を水力ケーブルカーのある洞窟の方へと向けました。その言葉に母上や橡が顔を見合わせます。

「また山吹かしら?」

「ですがどれだけ急いでも、天都からここまでは……」

と母上たちは眉を顰めます。今日は水の陽月5日なのですが、天都からここまでは天候次第ですが8~10日はかかるそうです。勿論不眠不休で馬を飛ばせば時間短縮もできますが、それでも5日は無理です。しかもこれはあくまでも雪が積もっていない時期での計算なので、今ならもっと時間がかかるはず。

「いや、そうではない……。
 正確にはどちらかが戻ってきてはいるようだが、それだけではない」

そう言いつつ金さんは目をスゥーッと細めます。金さんの悪い癖ですが言葉が少ないんですよね。金さんとしては、あまりにも不確定な事は口に出したくないようなのですが、もうちょっと詳細な説明が欲しいのです!

「なら、何だってんだよ」

当然のように桃さんが突っ込みます。

「解らん。ゆえに少し見て参る」

そう言って腰を上げて部屋を出ていきました。

「浦しゃん……」

思わず横にいる浦さんの服をキュッと掴んですり寄ってしまいます。最近では日々の生活が快適な事に加え、新たな快適さを求めて忙しく……。つい忘れてしまいそうになりますが、母上たちは命を狙われています。ここに居れば安全だと思っていましたが、油断は出来ません。そんな私の背後から大きな手が伸びてきて頭をガシガシッと力いっぱいに撫でられました。

「心配すんな! 俺様達がいるだろう!!」

そう、ニカッと笑う桃さんに、「うん」と言って頷き返しますが、心の中に不安という種が芽吹いてしまった事実を無かった事にはできません。

「櫻、大丈夫! 兄上も母上も居るよ!」

そう桃さんの向う側から顔を覗かせて笑顔を見せてくれる兄上に、思わず(兄上も立派になって……)なんて感想を抱いてしまいましたが、一番不安に思っているのは母上たちのはず。私が暗い顔をしている訳にはいきません。

「うん。みんな いっしょらもんね!」

そう答えると、兄上が嬉しそうに笑います。兄上ってばやっぱり天使!!


そんな私達のやりとりを見つつ、橡が居間の壁に備え付けてある棚の白い布の上に置かれた小さな石を見に行きました。そこには叔父上が持って行った双子石の片割れと、山吹が持っていたた双子石の片割れが二つ並んで置いてあります。去年は割れやすい赤紫色をした方の小石を岩屋に仕込んでいましたが、今年は旅の途中で壊れる事を心配して、赤紫色を此処に置いて丈夫な青緑色した石を二人は持って行きました。その青緑色した小石を水力モノレールの発着場まで来たら割って、到着した事をコチラに伝えるという段取りになっているのです。

「あっ!」

と小さく橡が声を上げ、その声にその場に居た全員が橡の方へ顔を向けました。

「今、若様の方の双子石が割れました」

「まぁ! 今年は鬱金ですか?!」

橡の言葉に母上が目を丸くして驚きます。山吹が出稼ぎに向かった天都より、叔父上が向かったヤマト国の首都大和の方が近くではありますが、それでもこの雪が積もった中を5日で戻ってくるのはかなりの強行軍だったはずです。というか、叔父上たちは関所の通行料の無料期間ギリギリまで働いて戻ってくると思っていたのですが、去年も今年も水の月に入った途端に戻ってきているような……?

「では迎えに行かないとなりませんね」

母上が腰を上げると、兄上も一緒に行く気満々で立ち上がります。

(どうしよう、金さんが戻ってくるの待った方が良いんじゃないかな?)

そんな二人を尻目に、慌てて浦さんに心話を送ります。何か良く分からないものが叔父上と一緒にこちらに向かっていると言っていた金さん。用心に用心を重ねた方が良いのでは?と思った私の心話が届いた浦さんが、少し遠くを見てから

「私達も一緒に行きましょう」

と私を抱え上げました。それに桃さんも続きます。

(金から連絡があった。
 なんでも土の精霊が鬱金にくっついてきたらしい)

と後ろからついてくる桃さんが心話で伝えてくれた言葉に安堵します。妖でも敵対勢力の人間でもないのなら、大きな問題にはならないでしょう。何より精霊なら三太郎さんが居れば対処可能です。


良かった良かったと安心した私は、精霊の事を知らな過ぎたのです。
それを思い知ったのは…………。

「姉上! ただいま戻りました。
 申し訳ありませんが、詳しい話や土産等はまた後で。
 橡! すまないが馬と荷を頼む!!」

と一度も足を止めることなく、怒涛の勢いで温泉の脱衣場に駆けこむ叔父上を見送り、呆気にとられた母上たちが苦笑いをしつつも馬と荷を母屋へと運んだ後の事。


その場に残ったのは浦さんに抱っこされたままの私と桃さんの3人だけで、その浦さんと桃さんは先程までとは違ってピリピリとした空気を放っています。どうしたのかと首を傾げる私の前に現れたのは、浦さんたち以上に厳しい表情をした金さんでした。その金さんの両手でグッと抑え込まれた金の玉……、それは三太郎さんたち以外で初めて遭遇した精霊でした。

「この! 土の精霊の面汚しめ!!!
 そっちの水や火の精霊もあり得ない、何を考えてる!!」

その新しい精霊の罵倒が三太郎さんに向けられ、その言葉が放たれた理由を知った時。私は自分がやらかした事の重大さを改めて思い知ったのでした。
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