【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

7歳 -土の陽月3-

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私と叔父上が止まった宿は、平民が泊まる事が出来る宿の中では最高ランクの宿でした。華族が泊まる特別な宿の豪華絢爛さは無いけれど、趣味の良い調度品や清潔に保たれた部屋は、ここに来るまでに泊まった村や町の宿とは天と地ほどの差がありました。

それでも

「ぁ、いたたたた……」

ギシギシと体中の関節が悲鳴を上げて、腕を伸ばすだけで呻いてしまいます。それというのも畳の上に布を一枚引いただけという、とても寝具とは呼べない場所で寝た所為です。この世界では畳が使われているだけで超高級寝具という扱いですが、ウォーターベッド御帳台に慣れてしまった身としては、単なる固い床でしかありません。おかげで全身が痛くて痛くて……。そんな痛む身体をほぐすように伸びをしていたら、扉をトントントンと叩く音がしました。

「櫻、そろそろ起きているかい?」

部屋の外からそう声をかけられた私は、慌てて手櫛で髪を整えてから扉の内鍵を開けました。

「おはようございます、叔父上。
 今日は大社おおやしろに行くんですよね?」

扉を開けた先にいた叔父上は既に着替えどころか、習慣となっている朝の鍛錬も終えているようでした。私も体力温存期間前は同じく早朝に軽い運動をしていましたが、今はとにかく体力を温存するようにと母上たちからきつく言いつけられているので、出来る限り眠るようにしています。

「あぁ。私はこの後、汗を流して着替えてくるから
 そうしたら一緒に朝食を食べに行こう。
 七五三の予約はその後に行く予定だ」

「はい、解りました」

では後でと一言残して叔父上が去ったのを確認してから、再び扉を締めて鍵をかけました。事前に旅の心得を教えられたのですが、その中に旅先では絶対に鍵を掛けるというものがありました。ただ私達が泊まっているこの宿はかなり特殊なつくりをしていて、広大な敷地の中に建物が点在している……そう、何棟もの大きめのコテージが森の中に距離を取って建っているキャンプ場のような感じで、この建物の中には私と叔父上しか居ませんし建物周辺にも人はいません。それならば鍵は掛けなくても良さそうと思ったのですが、誰が入り込むか解らないから駄目だと怒られてしまいました。

そういった不審者が入り込まないように広い宿の敷地は高い外壁で囲ってありますし、敷地内は宿が雇った警備兵が定期的に警邏しています。そういった安全を売りにした宿ではありますが、万全ではありません。森や壁で視界を遮って商人たちの商売上の、或は個人の秘密を守る造りと仕組みはその利点の反面、身を隠しやすくもなってしまうので最終的には自衛するのが一番という事になります。

ちなみにこの宿に泊まる人は商人の中でも豪商と呼ばれる人たちがメインで、牛車や馬車を幾つも連ねて来る事が多く、そういった車を寝泊まりする場所の近くまで持ち込めるような造りになっています。私達が借りたのは一棟だけですが、豪商や隊商のように幾つも車がある場合や人が多い時は、部屋を複数借りて対処します。基本的には各コテージに全てが揃っていて、井戸や竃や調理台、更には小さな蒸し風呂までもがあり、他にも一時的に荷物を収納できる蔵まであります。蔵や居室はともかく、井戸や竃にまで鍵が掛けられる事に最初は驚いてしまいましたが、毒を投げ込まれないようにする為の対策らしいです。




朝食は宿の受付などがある管理棟の大食堂で済ませ、気温が少し暖かくなってきた頃合いを見計らって、私と叔父上は大社に向かって出発する事にしました。叔父上は品よくまとめられた直垂ひたたれ姿で、拠点では動きやすさを重視して括袴くくりはかまですが今は普通の袴姿です。ただ帰りが遅くなる可能性を考えたのか、その上からコートのようなマントのようなモノを羽織っていました。私も今日は少し着飾って、ヤマト国の富裕層の子供が着るような着物に、毎年叔父上が誕生日に贈ってくれる組紐の髪飾りの中でも一番華やかなモノをつけました。初めて貰った時には髪がまだまだ短いうえに少なくて髪飾りをつける事ができなかったのですが、今は髪の量も増えて長くもなりました。その黒髪に映える薄桜色の紐が揺れるのが楽しくて仕方がありません。

手配した牛車に乗りガタガタと揺られながら、大社に向かって街中を進んでいきます。その牛車の揺れに髪飾りにつけられている小さな鈴が、チリチリンと可愛らしく音を立てました。こうして街に出てきて初めて解りましたが、この髪飾りはかなりの高級品です。髪飾りの本体である組紐もそれなりの値段がしますが、何よりこんなに小さくて澄んだ音が鳴る鈴は熟練の職人の手仕事があってこそのものです。

「叔父上、ありがとうございます」

私の前に座っている叔父上の顔を見上げて、しっかりと目を見てお礼を言います。髪飾りは勿論ですが、今回の旅で叔父上が私に使ってくれたお金はかなりの額にのぼるはずです。恐らく叔父上が碧宮家で育った17年間でかかった金額よりも、ずっと多い金額を7歳の私にかけてくれていると思われます。

そんな改まった私に叔父上は目を丸くしてしまいました。

「どうしたんだい、いきなり?
 まぁ、櫻の事だから宿や車の事が気になっているんだろうけど、
 私達が今、安全に、豊かに暮らしていられるのは
 全て三太郎様の御力があってこそのモノ。
 その三太郎様や守護対象である櫻にお返しするのは当然の事なんだよ」

そう言って優しく笑う叔父上。確かに叔父上や山吹が売りに行く品々の大半は、三太郎さんがいなければ作れなかった品ばかりです。特に高額で取引されている石茸いしたけをはじめとした乾燥キノコ類は、桃さんが居なければ今の品質の物を作り上げる事はできなかったでしょう。それ以前に今の生活の全てが三太郎さんのおかげなのも解っています。なので私も日々、三太郎さんには「ありがとう」を伝え続けています。でも、感謝しているのは三太郎さんにだけでは無いのです。

「ううん、例え三太郎さんのおかげだとしても
 嬉しいって思うから、心が喜んでるから、だからありがとう」

7歳になって、特別難しい言葉でなければスラスラと話す事が出来るようになって一番良かったと思う事は、こうして自分の気持ちをちゃんと伝えられるようになったことかもしれません。

「そうか、櫻が喜んでくれるのなら私も嬉しいよ」

私の言葉に叔父上はそう返すと、そっと髪型を崩さないように頭を撫でてくれるのでした。




およそ1時間弱、牛車に揺られてようやくついたヤマト国の大社は、私の想像していたモノとは全く違っていました。てっきりヨーロッパの教会やギリシャの神殿、或は日本の神社のどれかに似たモノだろうと想像していたのですが、目の前にあるのは超巨大な黄金色の水晶柱。それがズドーンと天高く聳えそびえ立ち、陽光をキラキラと反射しているだけでした。

「ぅー、ちょっと腰が痛い。何より恥ずかしい……。」

牛車から降りて小さな声でボヤく私です。まさか牛車が後ろから乗って前から降りるものだなんて知らなくて、叔父上が止める間もなく後ろから飛び降りちゃったんですよね。周りに居た人もぎょっとしていたし、叔父上は目を丸くした後クスクスと笑いだしてしまうし……。もう、本当に恥ずかしい。

「今日は体調が良さそうで良かったよ。
 普段はなかなか外に出れないから、嬉しかったんだね」

とさり気なくフォローを入れながら叔父上が私を抱き上げました。驚いて叔父上を見れば、茶目っ気たっぷりに軽く片目を瞑ってから

「でも、この先は結構大変なんだ。
 櫻の体力ではまた熱が出てしまうだろうから、こうやって行こうね」

とスタスタと歩き始めてしまいました。叔父上の視線の高さまで上がって初めて解りましたが、巨大な黄金水晶柱の手前には地下へと降りる入口がありました。そこへ入ると巨大な地下空洞が広がっていて、その空洞の中心部には黄金水晶柱が地上から地下深くまで貫いていました。その為に地上部分で取り込んだ太陽光が黄金色の光となって地下空洞の奥まで届いていて、地下だというのにとても明るく不思議な気分です。


叔父上は大社の受付で7歳児の七五三の受付を手早く済ませませると、引き続き寄付の手続きを始めました。ある程度の寄付をする事で、あの黄金水晶柱に一際ひときわ近い特別な個別礼拝所に行く事が出来るのです。

寄付の手続きを済ませ、かなり長い距離の階段や廊下を延々と歩き続けて、ようやく目的の部屋に到着しました。そこは小さな部屋でしたが、黄金水晶柱の光が部屋いっぱいに広がって、不思議と暖かい気持ちになれる部屋です。

「お待ちしておりました。こちらを」

扉をしっかりと締めた途端、そう声をかけられました。個別祈祷所で他人に会う事は無いはずだというのに、その部屋には先客が二人も居たのです。吃驚して飛び上がりそうになった私でしたが、その人は当たり前のように私達に一礼して、片方の人が身に纏っていたマントを脱ぐと叔父上に向かって差し出しました。叔父上も同時に自分が身につけていたマントをその人に渡します。

「念の為にお伺いしますが、
 本当にお嬢様をお預かりしなくてもよろしいので?」

見知らぬ人の視線が一瞬だけ私に向いた事に、私は小さく息を飲んでしまいました。7年もの間、家族としか付き合っていなかったので、他人とのコミュニケーション能力がガタ落ちしている気がします。

「あぁ、構わない。むしろ彼女を連れて行く事に意味があるんだ」

「あの方々からもそう承っておりますが……。
 極力危険を排除するよう手は打ってありますが、万全ではありません。
 どうかお気を付けください」

「あぁ、解っている」

そんな風に早口で会話する不審人物Aと叔父上。その間に不審人物Bが此方へとやってくると

「お嬢様、大変申し訳ないのですがその髪飾りをお貸し願えませんか?
 後で必ずお返しいたしますから」

と膝をついて私と視線を合わせて言います。でもこの髪飾りは大切なモノです。戸惑う私に

「櫻、大丈夫だからその人に貸してあげてね。
 無くさないように一足先に、宿屋に戻してもらうだけだから」

と叔父上までもが言うので、しぶしぶ髪飾りを外して不審人物Bへと渡しました。すると

「代わりにこちらを」

と、どこから取り出したのか不審人物Bの手には小箱が乗せられてあり、その箱の中からは繊細なつまみ細工の髪飾りが出てきて、それを私の髪へと飾ります。

「あの方々からの贈り物です」

と片膝をついたまま小さく一礼すると、不審人物Bは叔父上の方へと戻りました。そして叔父上が身に纏っていたマントの中に、持ち込んでいた大きな袋の中からマントを出して丸めて置き、更にはかつらに私の髪飾りをつけて同じように叔父上のマントの中に仕込みました。それを私の方を何度も見ながらサイズを整えてから、不審人物Aがひょいと片手で抱き上げます。その姿はまるで叔父上が眠ってしまった私にマントを巻き付けて抱き上げているかのようでした。

「これが宿の鍵だ。
 櫻は初日も疲れて眠って宿に入っているから疑われる事はないとは思うが……」

「解りました」

そう言うと不審人物Aは私達が入ってきた扉から外へ出ていきました。

「ではお二人とも此方へ。
 ただ申し訳ないのですがお嬢様は此方の袋の中に……」

そう言うとマントや鬘が入っていた袋の口を広げる不審人物B。思わず驚いて叔父上を見上げるのですが、叔父上も

「すまないが、ここを出て牛車に乗るまでの間だけだから……」

と止めてくれません。せっかく可愛い服を着て髪型も頑張ったのに、袋詰めにされたらしわくちゃになっちゃいそうです。でも叔父上たちの色んな事情を知っているので、仕方がないという事も解っています。解っていますが、トホホな気分になってしまうのです。


その日、私は初めて袋詰めにされた荷物の気持ちを知ったのでした。
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