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2章
7歳 -無の月2-
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「いい加減にせぬか。
我は気が長いほうではあるが、流石に目がに余るぞ」
金さんの落ち着いた低音ボイスが部屋に響いたものの、私がちゃんと聞きとれたのは「いい加減」の2個目の「い」ぐらいまででした。何故なら声が聞こえたと思った次の瞬間には、床を這っているように見える程にグッと姿勢を下げて私に向かって突進してくる茴香殿下に驚き、えっ?と驚いている間にその低姿勢から立ち上がる勢いでいとも簡単に肩へと担ぎ上げられてしまいました。その拍子に肺の中の空気が一気に抜けて、「ぐえっ」と女の子が出して良い物じゃない声が口から溢れ出てしまいます。それも(好みはあるでしょうが)イケメン王子の耳のすぐ近くで。
ただ私が恥ずかさに赤面するよりも先に、茴香殿下は私を抱えた手とは反対の手で私の横に居た兄上を小脇に抱え込むと、一気に壁際まで飛び退くようにして移動しました。そうやって移動する度に腹部から胸部にかけてが圧迫されて、苦しいったらありません。何とか楽になろうと身体をよじるのですが、そうすれば余計にグッと腕で抑え込まれてしまいます。
余りの苦しさに「放して!」と言おうと茴香殿下を見た私は、眉間の皺が増し増し状態の険しい表情をした殿下に息を飲んでしまいました。今まで蒔蘿殿下に比べて愛想の無い茴香殿下を少し怖い人と思っていましたが、その程度は全然怖いの範囲に入らなかったのだという事を悟りました。単に眉間に皺が寄って口元に笑みが無いというだけの事で、怖いと思っていた過去の自分が馬鹿でした。何故なら金さんを睨みつけている茴香殿下は視線も吐く息すらもが鋭く、肩に担がれていなければ腰が抜けていたかもしれない程に怖かったのです。
その茴香殿下の向う側では、何時の間にか母上のすぐ傍に出現していた浦さんから母上を背後に庇うようにして蒔蘿殿下が何時でも攻撃できるように身構えていました。
何このカオス……
両殿下の態度から金さんたちを不審人物だと思い込んでいるって事は解りましたが、その思い込みを解消しようにも胸部や腹部を圧迫され過ぎて呻くような声しか出せません。前世では「お米様抱っこ」と呼ばれていたこの体勢、上からがっちりと抑え込まれている事もあって、浅い呼吸をするだけで手一杯です。
仕方なく、金さんに
<この体勢、本当に苦しいからやめてもらって!!
っていうか、予定と違ーーーーう!!!>
と心話を飛ばしました。本来の予定では到着した二人……殿下二人だとは思いませんでしたが……に温泉で全身を綺麗にしてもらった後、一息入れて落ち着いた後に説明と紹介をすることになっていたのです。
この不測の事態に母上たちも驚いてしまっています。ここで一緒に暮らしていくうちに三太郎さんが突然現れる事には慣れたようなのですが、事前の打合せと違う事が起きれば驚いてしまうのも当然です。
「どうやら驚かせてしまったようだな。
だが、そろそろ落ち着いて櫻を放してやってくれ。
とても苦しそうだ」
そう金さんが言うと同時に、母上もハッとして
「茴香殿下、蒔蘿殿下。
こちらの方々が櫻をお守りしてくださっている土の精霊様と水の精霊様です。
どうかお控えください」
と蒔蘿殿下の戦闘態勢を解除させる為、その腕に手を添えたり
「茴香、櫻や槐が苦しがっている。
下ろしてくれ」
と叔父上が茴香殿下の肩から私をひょいと抱き上げてくれたりしました。その途端に肺いっぱいに空気が流れ込んできて、はぁぁと大きく深呼吸してしまいます。どうやら兄上も下ろしてもらえたようで、私とほぼ同時に大きな吐息が聞こえてきました。
「精霊……様……だと?」
そう言うと同時に茴香殿下の眉間の皺がいつもの本数に戻りました。先日まで取っつきにくいと思っていた表情なのに、(あっ、いつもの茴香殿下だ)と思うとホッとしてしまいます。我ながら現金なものです。
母上の言葉に唖然としていた茴香殿下でしたが、叔父上たちが話しかけた事で幾分か何時もの調子を取り戻したようで、訝し気に金さんを見はするものの先程までのような鋭い空気はなくなりました。
「「申し訳ございません!!」」
と土下座する両殿下の姿に過去の山吹の姿が被ります。正直な所、殿下の態度はあの状況では仕方がないと思うんですよね。
「まぁ、殿下たちの気持ちも解らなくはないですよ。
俺も精霊様が人の形をとるなんて、ありえないと思っていましたから」
そう慰めを言う山吹でしたが、まさにコレに尽きるんですよね。
この世界の精霊は神様の一部という扱いなのですが、その神様は真球の姿をしていると言われ、実際に宗教画などでは真球で表現されます。そして精霊は真球や真円で表現されています。人の手で作り出すことができないその真球の状態こそが神としての完成形である以上、神の欠片である精霊がわざわざ不完全である人の姿を取るはずがないという認識がこの世界の人の共通認識としてあります。なので人の姿をとっている三太郎さんを見て、精霊だとは思えないのです。
自分の価値観や常識外の事象は意識から外してしまいがちですし、すぐにソレらを信じられなくても仕方がありません。
そう考えると、常識というのは一番の難敵かもしれません。
「気に致すな」
「驚かせてしまった事は申し訳なく思っています。
ただ私達にも思うところがありましたので……」
両殿下の謝罪に対し鷹揚に答える金さんと、穏やかに答える浦さん。ここで初めて(あっ、桃さんが居ない!)という事に気付いた私は、やはり急展開のあまり精神的余裕が消し飛んでいたのかもしれません。
<ぅぉい!! 俺様の事を忘れてただろ!!>
きょろきょろと周囲を見回す私に気付いたらしい桃さんが、どこからか心話を飛ばしてきました。当初の予定でもまずは金さんと浦さんを紹介して、桃さんは一番最後に紹介する事になっていました。私が天女である事は両殿下は既に知っていますが、三属性の守護持ちとは知りません。なので桃さんの存在を明かすかどうかは、金さんと浦さんが直接両殿下と対話して、その態度や印象を見てから決める事になっていました。母上たちからすれば、出来れば両殿下やヤマト国王家の方々には秘密を持ちたくないようでしたが、私の身の安全や行く末に関わる事だからと三太郎さんが断固として譲りませんでした。
<だって予定と違うから驚きすぎて、頭が真っ白になっちゃったの。
桃さんは知ってたの?>
<ん? まぁな。
浦も言ってるだろ。俺様達にも思うところはあるって>
<吃驚するから、前もって私には教えておいてほしかった……>
<そりゃぁ悪かった。
でも、まぁ……これで最低限だが納得はできたからさ>
何処に居るのか解りませんが、桃さんにはこちらの様子がしっかりと伝わっているようです。金さんあたりが情報流してるのかな??
一連の流れの中に桃さんたちが納得する何かがあったのだとすれば、私が頭真っ白になるぐらいに慌てたり、グエッなんて女にあるまじき声を出した甲斐もあったというものです。いや、やっぱり呻き声に関してはやり直しを要求したいです……。
「改めて、始祖たる土の精霊様と盟友たる水の精霊様にご挨拶申し上げます。
私はヤマト国王巌桂が長子、連翹の息子の茴香と申します」
「同じく私は茴香の双子、蒔蘿と申します」
「「謹んで宜しく御願い申し上げます」」
と、床に正座して膝の外側に拳をつけるようにして頭を下げる両殿下。七五三の時に大和の大社で聞いた祭文も似たような文章でしたし、この世界ではこの挨拶の仕方がどうやら最上級の敬意を表しているようです。
私としても想定外でしたが、殿下たちにとっても想定外だった事でしょう。まさか精霊が人の姿をしていて、飲んで食べて喋って笑っているなんて……。
大きな囲炉裏テーブルへと移動して、ちょっとした摘まめるモノと一緒にお茶を出し、いざ会話を!と思っても、両殿下共に見ていて痛ましいぐらいに緊張しているのが解ります。何せテーブルから少し離れた場所で平伏したまま顔を上げないのですから。
「金さん、浦さん、驚かせ過ぎだと思うよ?」
と苦笑して釘をさしてから、両殿下に
「茴香殿下、蒔蘿殿下。
この二人が私の守護をしてくれている
土の精霊の金さんと水の精霊の浦さんです」
と紹介すれば、信じられないモノを見るような目で私を見てきました。顔色も真っ青になっています。あれ?具合が悪いのかな?と首を傾げる私に
「櫻ちゃん、不敬になるから」
と頭を下げたまま、小声の言葉に加えて視線や手振りで私にも頭を下げるように指示してくる蒔蘿殿下に、
「まだ幼子ゆえ、平に平に御容赦を……」
と何故か私に変わって謝る茴香殿下。ちょっと二人とも落ち着いてくださいと言いたいところですが、二人とも私の事を守ろうと、庇おうとしてくれているのだという事は解ります。
「安心致せ。櫻のコレは今に始まった事ではない。
それに我らもそれを許しておるし、楽しんでもおる」
「勿論、櫻以外の者はそれなりの言動を心がけていますし、
私たちもその程度で腹を立てるほど狭量ではありません。
ですからあなたたちも、もう少し気楽にして良いのですよ」
そう穏やかに笑顔を浮かべる浦さんに、両殿下も少しほっとされたようです。やはり笑顔はコミュニケーションを潤滑にしてくれますね。
「そ、それではお言葉に甘えまして……。
お二柱の精霊様は櫻嬢の守護精霊としてここに居られるという事でしょうか?」
言葉に甘えるとは言いつつも、慎重に言葉を選びながら話す茴香殿下に
「あぁ、そうだ。
この子が家族と一緒に穏やかに暮らす事を望んだゆえな」
と金さんが答え
「何故、不完全なる人型を取られているのですか?」
という蒔蘿殿下の質問には
「そうでなくては櫻を抱き上げる事も頭を撫でる事もできません。
この子の為に出来る事の一つとして人型を取っているのです」
と浦さんが答えます。一番最初に人型になったのは私がやらかした所為なのですが、それ以降も人型をずっと保ち続けているのは、偏に三太郎さんたちの好意によるものです。
「では我らからも尋ねるが、何を求めてここに参った?
此処を脅かすものは、誰であろうと我らが許さぬぞ」
その言葉と同時に部屋の空気がズシッと重さを増したように感じます。金さんの両殿下にかける圧が強すぎます。
「ただただ心配だったのです」
その圧に再び頭を下げて平伏し、そう答えたのは茴香殿下でした。言葉の少ない茴香殿下の答えを引き継いで蒔蘿殿下が
「姫沙羅様や橡は大丈夫だと令法は繰り返し言っていました。
私どももそれを信じていましたが、先日櫻嬢と会った時に不安になったのです」
と言います。えっ! そこで私の名前が何故出てくるの??
「櫻嬢はとても7歳には見えません。小さめの5歳と言って良い体格です。
それは日々の生活がとても過酷な所為ではないかと思ったのです。
それを令法に問いただしても大丈夫だとしか言いません」
蒔蘿殿下がそういえば、母上や兄上や叔父上、橡に山吹。そのうえ金さんや浦さんまでもが
「「「「あぁ……」」」」
と私を見ながら納得したような声を出します。
「私は皆から見たら小さいのかもしれませんが、じゅうぶん元気ですっ!」
思わず反論しても、「ウンウンそうだねぇ」と私の意見は流されてしまいます。それに「何かある度に熱を出してしまうしね」と言われたら反論も出来ません。
なんてこったい……。前世基準が頭にある私にとっては標準的な体格と体力いう認識だったのですが、何もかもが大きいこの世界基準だと深刻なレベルの発育不良だったようです。確かに小さい小さいと言われ続けていますし、体力も同じ年齢だった頃の兄上に比べて……いや比べられない程に御粗末なものです。
結果として「うぐぅ……」という呻き声しか出せない私を、皆してなんだか微笑ましいモノでも見るかのような表情で見てきます。うぅぅ、何だか悔しい……。
更に蒔蘿殿下は続けて
「そうなると、無の月に出稼ぎに来なくなったのも
姫沙羅様や櫻嬢をはじめとした家族の看病がある所為ではないか?
傍を長期間離れることができなくなっているのではないかと不安が膨らみ、
これは一度自分の目で確かめねば……と思った次第に御座います」
と両殿下の心中にあった不安を話してくれました。
叔父上たちが長期間の出稼ぎに行かなくなったのは決して看病が理由などではなく、単にそれが耐えられない程のストレスだったからですと言いたいのですが、今の感情のまま話してしまったらバラしてはダメな所まで話してしまいそうで堪えるしかありません。
「精霊様への不敬をはじめ、謝らねばならない事が幾つもありますが、
それでもこうして姫沙羅様たちの元気な顔を見れて良かったと思っております」
私から視線を金さんたち移した茴香殿下は、そう穏やかに言うと眉間の皺が取れてほっとした表情をしていました。どうやら殿下たちもようやく落ち着いたようです。
「では、殿下たちもお疲れでしょうから様々なお話は明日以降にして、
今日はもう夕食にして早めに休むようにしましょう。
今準備をしますね」
そう橡が言って立ち上がると、母上や私、兄上も手伝う為に立ち上がりました。
その直後
「待ってました!
今日は御馳走作るって言ってたから、俺様楽しみだっ!」
…………え?!
「桃さんっ?!!」
いきなり耳に聞こえた桃さんの声にバッと後ろを振り返れば、楽しそうな桃さんと目が合いました。確かに桃さんを紹介する場合は夕食前にするとは決めていましたが、こんな前振り無しのいきなり登場なんてする予定ではありませんでした。
だーーかーーらーー!!!
段取りとか報連相とか、もっと徹底してーーーーーーーっっっ!!!
我は気が長いほうではあるが、流石に目がに余るぞ」
金さんの落ち着いた低音ボイスが部屋に響いたものの、私がちゃんと聞きとれたのは「いい加減」の2個目の「い」ぐらいまででした。何故なら声が聞こえたと思った次の瞬間には、床を這っているように見える程にグッと姿勢を下げて私に向かって突進してくる茴香殿下に驚き、えっ?と驚いている間にその低姿勢から立ち上がる勢いでいとも簡単に肩へと担ぎ上げられてしまいました。その拍子に肺の中の空気が一気に抜けて、「ぐえっ」と女の子が出して良い物じゃない声が口から溢れ出てしまいます。それも(好みはあるでしょうが)イケメン王子の耳のすぐ近くで。
ただ私が恥ずかさに赤面するよりも先に、茴香殿下は私を抱えた手とは反対の手で私の横に居た兄上を小脇に抱え込むと、一気に壁際まで飛び退くようにして移動しました。そうやって移動する度に腹部から胸部にかけてが圧迫されて、苦しいったらありません。何とか楽になろうと身体をよじるのですが、そうすれば余計にグッと腕で抑え込まれてしまいます。
余りの苦しさに「放して!」と言おうと茴香殿下を見た私は、眉間の皺が増し増し状態の険しい表情をした殿下に息を飲んでしまいました。今まで蒔蘿殿下に比べて愛想の無い茴香殿下を少し怖い人と思っていましたが、その程度は全然怖いの範囲に入らなかったのだという事を悟りました。単に眉間に皺が寄って口元に笑みが無いというだけの事で、怖いと思っていた過去の自分が馬鹿でした。何故なら金さんを睨みつけている茴香殿下は視線も吐く息すらもが鋭く、肩に担がれていなければ腰が抜けていたかもしれない程に怖かったのです。
その茴香殿下の向う側では、何時の間にか母上のすぐ傍に出現していた浦さんから母上を背後に庇うようにして蒔蘿殿下が何時でも攻撃できるように身構えていました。
何このカオス……
両殿下の態度から金さんたちを不審人物だと思い込んでいるって事は解りましたが、その思い込みを解消しようにも胸部や腹部を圧迫され過ぎて呻くような声しか出せません。前世では「お米様抱っこ」と呼ばれていたこの体勢、上からがっちりと抑え込まれている事もあって、浅い呼吸をするだけで手一杯です。
仕方なく、金さんに
<この体勢、本当に苦しいからやめてもらって!!
っていうか、予定と違ーーーーう!!!>
と心話を飛ばしました。本来の予定では到着した二人……殿下二人だとは思いませんでしたが……に温泉で全身を綺麗にしてもらった後、一息入れて落ち着いた後に説明と紹介をすることになっていたのです。
この不測の事態に母上たちも驚いてしまっています。ここで一緒に暮らしていくうちに三太郎さんが突然現れる事には慣れたようなのですが、事前の打合せと違う事が起きれば驚いてしまうのも当然です。
「どうやら驚かせてしまったようだな。
だが、そろそろ落ち着いて櫻を放してやってくれ。
とても苦しそうだ」
そう金さんが言うと同時に、母上もハッとして
「茴香殿下、蒔蘿殿下。
こちらの方々が櫻をお守りしてくださっている土の精霊様と水の精霊様です。
どうかお控えください」
と蒔蘿殿下の戦闘態勢を解除させる為、その腕に手を添えたり
「茴香、櫻や槐が苦しがっている。
下ろしてくれ」
と叔父上が茴香殿下の肩から私をひょいと抱き上げてくれたりしました。その途端に肺いっぱいに空気が流れ込んできて、はぁぁと大きく深呼吸してしまいます。どうやら兄上も下ろしてもらえたようで、私とほぼ同時に大きな吐息が聞こえてきました。
「精霊……様……だと?」
そう言うと同時に茴香殿下の眉間の皺がいつもの本数に戻りました。先日まで取っつきにくいと思っていた表情なのに、(あっ、いつもの茴香殿下だ)と思うとホッとしてしまいます。我ながら現金なものです。
母上の言葉に唖然としていた茴香殿下でしたが、叔父上たちが話しかけた事で幾分か何時もの調子を取り戻したようで、訝し気に金さんを見はするものの先程までのような鋭い空気はなくなりました。
「「申し訳ございません!!」」
と土下座する両殿下の姿に過去の山吹の姿が被ります。正直な所、殿下の態度はあの状況では仕方がないと思うんですよね。
「まぁ、殿下たちの気持ちも解らなくはないですよ。
俺も精霊様が人の形をとるなんて、ありえないと思っていましたから」
そう慰めを言う山吹でしたが、まさにコレに尽きるんですよね。
この世界の精霊は神様の一部という扱いなのですが、その神様は真球の姿をしていると言われ、実際に宗教画などでは真球で表現されます。そして精霊は真球や真円で表現されています。人の手で作り出すことができないその真球の状態こそが神としての完成形である以上、神の欠片である精霊がわざわざ不完全である人の姿を取るはずがないという認識がこの世界の人の共通認識としてあります。なので人の姿をとっている三太郎さんを見て、精霊だとは思えないのです。
自分の価値観や常識外の事象は意識から外してしまいがちですし、すぐにソレらを信じられなくても仕方がありません。
そう考えると、常識というのは一番の難敵かもしれません。
「気に致すな」
「驚かせてしまった事は申し訳なく思っています。
ただ私達にも思うところがありましたので……」
両殿下の謝罪に対し鷹揚に答える金さんと、穏やかに答える浦さん。ここで初めて(あっ、桃さんが居ない!)という事に気付いた私は、やはり急展開のあまり精神的余裕が消し飛んでいたのかもしれません。
<ぅぉい!! 俺様の事を忘れてただろ!!>
きょろきょろと周囲を見回す私に気付いたらしい桃さんが、どこからか心話を飛ばしてきました。当初の予定でもまずは金さんと浦さんを紹介して、桃さんは一番最後に紹介する事になっていました。私が天女である事は両殿下は既に知っていますが、三属性の守護持ちとは知りません。なので桃さんの存在を明かすかどうかは、金さんと浦さんが直接両殿下と対話して、その態度や印象を見てから決める事になっていました。母上たちからすれば、出来れば両殿下やヤマト国王家の方々には秘密を持ちたくないようでしたが、私の身の安全や行く末に関わる事だからと三太郎さんが断固として譲りませんでした。
<だって予定と違うから驚きすぎて、頭が真っ白になっちゃったの。
桃さんは知ってたの?>
<ん? まぁな。
浦も言ってるだろ。俺様達にも思うところはあるって>
<吃驚するから、前もって私には教えておいてほしかった……>
<そりゃぁ悪かった。
でも、まぁ……これで最低限だが納得はできたからさ>
何処に居るのか解りませんが、桃さんにはこちらの様子がしっかりと伝わっているようです。金さんあたりが情報流してるのかな??
一連の流れの中に桃さんたちが納得する何かがあったのだとすれば、私が頭真っ白になるぐらいに慌てたり、グエッなんて女にあるまじき声を出した甲斐もあったというものです。いや、やっぱり呻き声に関してはやり直しを要求したいです……。
「改めて、始祖たる土の精霊様と盟友たる水の精霊様にご挨拶申し上げます。
私はヤマト国王巌桂が長子、連翹の息子の茴香と申します」
「同じく私は茴香の双子、蒔蘿と申します」
「「謹んで宜しく御願い申し上げます」」
と、床に正座して膝の外側に拳をつけるようにして頭を下げる両殿下。七五三の時に大和の大社で聞いた祭文も似たような文章でしたし、この世界ではこの挨拶の仕方がどうやら最上級の敬意を表しているようです。
私としても想定外でしたが、殿下たちにとっても想定外だった事でしょう。まさか精霊が人の姿をしていて、飲んで食べて喋って笑っているなんて……。
大きな囲炉裏テーブルへと移動して、ちょっとした摘まめるモノと一緒にお茶を出し、いざ会話を!と思っても、両殿下共に見ていて痛ましいぐらいに緊張しているのが解ります。何せテーブルから少し離れた場所で平伏したまま顔を上げないのですから。
「金さん、浦さん、驚かせ過ぎだと思うよ?」
と苦笑して釘をさしてから、両殿下に
「茴香殿下、蒔蘿殿下。
この二人が私の守護をしてくれている
土の精霊の金さんと水の精霊の浦さんです」
と紹介すれば、信じられないモノを見るような目で私を見てきました。顔色も真っ青になっています。あれ?具合が悪いのかな?と首を傾げる私に
「櫻ちゃん、不敬になるから」
と頭を下げたまま、小声の言葉に加えて視線や手振りで私にも頭を下げるように指示してくる蒔蘿殿下に、
「まだ幼子ゆえ、平に平に御容赦を……」
と何故か私に変わって謝る茴香殿下。ちょっと二人とも落ち着いてくださいと言いたいところですが、二人とも私の事を守ろうと、庇おうとしてくれているのだという事は解ります。
「安心致せ。櫻のコレは今に始まった事ではない。
それに我らもそれを許しておるし、楽しんでもおる」
「勿論、櫻以外の者はそれなりの言動を心がけていますし、
私たちもその程度で腹を立てるほど狭量ではありません。
ですからあなたたちも、もう少し気楽にして良いのですよ」
そう穏やかに笑顔を浮かべる浦さんに、両殿下も少しほっとされたようです。やはり笑顔はコミュニケーションを潤滑にしてくれますね。
「そ、それではお言葉に甘えまして……。
お二柱の精霊様は櫻嬢の守護精霊としてここに居られるという事でしょうか?」
言葉に甘えるとは言いつつも、慎重に言葉を選びながら話す茴香殿下に
「あぁ、そうだ。
この子が家族と一緒に穏やかに暮らす事を望んだゆえな」
と金さんが答え
「何故、不完全なる人型を取られているのですか?」
という蒔蘿殿下の質問には
「そうでなくては櫻を抱き上げる事も頭を撫でる事もできません。
この子の為に出来る事の一つとして人型を取っているのです」
と浦さんが答えます。一番最初に人型になったのは私がやらかした所為なのですが、それ以降も人型をずっと保ち続けているのは、偏に三太郎さんたちの好意によるものです。
「では我らからも尋ねるが、何を求めてここに参った?
此処を脅かすものは、誰であろうと我らが許さぬぞ」
その言葉と同時に部屋の空気がズシッと重さを増したように感じます。金さんの両殿下にかける圧が強すぎます。
「ただただ心配だったのです」
その圧に再び頭を下げて平伏し、そう答えたのは茴香殿下でした。言葉の少ない茴香殿下の答えを引き継いで蒔蘿殿下が
「姫沙羅様や橡は大丈夫だと令法は繰り返し言っていました。
私どももそれを信じていましたが、先日櫻嬢と会った時に不安になったのです」
と言います。えっ! そこで私の名前が何故出てくるの??
「櫻嬢はとても7歳には見えません。小さめの5歳と言って良い体格です。
それは日々の生活がとても過酷な所為ではないかと思ったのです。
それを令法に問いただしても大丈夫だとしか言いません」
蒔蘿殿下がそういえば、母上や兄上や叔父上、橡に山吹。そのうえ金さんや浦さんまでもが
「「「「あぁ……」」」」
と私を見ながら納得したような声を出します。
「私は皆から見たら小さいのかもしれませんが、じゅうぶん元気ですっ!」
思わず反論しても、「ウンウンそうだねぇ」と私の意見は流されてしまいます。それに「何かある度に熱を出してしまうしね」と言われたら反論も出来ません。
なんてこったい……。前世基準が頭にある私にとっては標準的な体格と体力いう認識だったのですが、何もかもが大きいこの世界基準だと深刻なレベルの発育不良だったようです。確かに小さい小さいと言われ続けていますし、体力も同じ年齢だった頃の兄上に比べて……いや比べられない程に御粗末なものです。
結果として「うぐぅ……」という呻き声しか出せない私を、皆してなんだか微笑ましいモノでも見るかのような表情で見てきます。うぅぅ、何だか悔しい……。
更に蒔蘿殿下は続けて
「そうなると、無の月に出稼ぎに来なくなったのも
姫沙羅様や櫻嬢をはじめとした家族の看病がある所為ではないか?
傍を長期間離れることができなくなっているのではないかと不安が膨らみ、
これは一度自分の目で確かめねば……と思った次第に御座います」
と両殿下の心中にあった不安を話してくれました。
叔父上たちが長期間の出稼ぎに行かなくなったのは決して看病が理由などではなく、単にそれが耐えられない程のストレスだったからですと言いたいのですが、今の感情のまま話してしまったらバラしてはダメな所まで話してしまいそうで堪えるしかありません。
「精霊様への不敬をはじめ、謝らねばならない事が幾つもありますが、
それでもこうして姫沙羅様たちの元気な顔を見れて良かったと思っております」
私から視線を金さんたち移した茴香殿下は、そう穏やかに言うと眉間の皺が取れてほっとした表情をしていました。どうやら殿下たちもようやく落ち着いたようです。
「では、殿下たちもお疲れでしょうから様々なお話は明日以降にして、
今日はもう夕食にして早めに休むようにしましょう。
今準備をしますね」
そう橡が言って立ち上がると、母上や私、兄上も手伝う為に立ち上がりました。
その直後
「待ってました!
今日は御馳走作るって言ってたから、俺様楽しみだっ!」
…………え?!
「桃さんっ?!!」
いきなり耳に聞こえた桃さんの声にバッと後ろを振り返れば、楽しそうな桃さんと目が合いました。確かに桃さんを紹介する場合は夕食前にするとは決めていましたが、こんな前振り無しのいきなり登場なんてする予定ではありませんでした。
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