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2章
追い求めていたもの(前):蒔蘿
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(あぁ、これだ……)
そんな思いが自然と湧き上がった。今までどれほど探し求めても見つからなかったモノが、不意に自分の手の中に転がり込んできた……まさにそんな感じだった。
「解りました。その兵座は私が請け負いましょう。」
表面上は何時もと変わらない調子で精霊様に答えてはいたものの、心の中に湧き上がる衝動の強さに我ながら驚きを禁じ得ない。何故なら単に湧き上がる好奇心という意味での衝動なら、目の前にいる櫻嬢が天女だと知った時や、彼女が精霊様と対話出来る事……今まさに私も対話させて頂いているのだが……などなど事例に事欠かない昨今ではあったが、そういった衝動とは別種の、堪えきれない程の喜びを伴った衝動を感じたのは生まれて初めてだったからだ。
俺は双子の兄である茴香とは違い、寝食を忘れて夢中になるほどの「何か」を持った事はなかった。いや、茴香だけじゃない。父だって祖父だってヤマト国の大多数の民だって、何かしらの技術開発に邁進する傾向がある。いっそ我が国の国民性だと言って良い程だ。皆が皆、気になる「何か」を幼少期から見つけ、それを解明・研究・開発に勤しむ。それこそ茴香のように寝食を忘れてひたすらに追い求める者も珍しくない。だからその「何か」を仕事にしてしまうと、寿命が縮むと言われている程だ。ヤマト国の大人ならば一度は年頃の子供に、「やりたい事と仕事は別にしておけ」と忠告した事があるぐらいだ。
だが、俺にはその「やりたい事」が無かった。
勿論、俺にだって興味を惹かれるものは色々とある。美味しい料理に便利な道具、可愛らしい女性や美しい芸術品。そう言ったものは俺の心を明るくしてくれるし、楽しませてもくれる。ただそれらの全てはあっという間に彩りを失い、心に何とも言えない虚しさだけを残していく……。そういった事が何度も続き、俺はどれほどに心が動かされてもそれらに対して好奇心以上の「何か」を抱けないのだと理解した。
確かに国民性とは言っても、全ての人に当てはまる訳ではないって事は解っている。そういう傾向が強いというだけだ。だから俺は皆とは違うようだと思う事はあるものの、それが悪い事だとは思わないし、茴香と違うという事が少し救いでもあった。
茴香は超が幾つも付くほどの真面目で、根を詰めて研究する技術馬鹿で、人付き合いが苦手だ。人付き合いの中でも特に腹の探り合いや、駆け引きといったものが苦手で、その延長で女性との会話も極力避ける程に苦手としている。茴香からすればそういった腹の探り合いや駆け引きは不誠実に見えるらしく、顔に出す事は流石に無いが嫌ってすらいる。だが俺達の立場上、それらは避けては通れないモノだ。
そこで俺の出番だった。
俺だって腹の探り合いが好きかと聞かれれば嫌いだと答えるが、必要とあれば仕方がないと割り切る事はできる。このまま大きな落ち度がなければ茴香が王太子となって国王となるだろうが、俺はその補佐を「やらなくてはならない事」、つまり仕事として務めあげれば良い。それが俺の役目であり、国や国民へ還元・奉仕できる事だと思っている。
その事に何ら異存はない。
むしろ、当然の事だと思っている。
思ってはいるのだが、長い長い年月をただ「やらねばならない事」だけをこなす人生に、はたして意味はあるのだろうかと考えるようになってしまった。そう思うようになった切っ掛けは間違いなく碧宮家襲撃事件で、人間はいとも容易く命を落とすのだと、母を亡くした時に解っていたはずなのに改めて思い知らされた。
俺も「何か」が欲しい、長い人生を義務だけで終わらせたくない。
そんな思いに悩むようになった俺を、神は天から見ておられたのかもしれない。
「妖を倒す事を生業としたい武に長けた者を募り、
また兵と討伐を依頼する者との橋渡しや様々な管理をする組織を作り、
その組織を運営してほしいと言っているのです」
そう告げたのは碧宮家の人たちが「浦様」と呼んでいる水の精霊様だった。その言葉を聞いた瞬間、俺の視界は明るさを増して視野も一気に広がったような錯覚を覚えた。精霊様に言われるまで、妖を積極的に自分たちから倒しに行くという概念が無かったのだ。あれは自然のモノだ。自然の災いが己に向かってきた場合は当然対処はするが、自分から関与しに行くものではないという認識だった。
楽しそうだ。やってみたい。
自然とそう思っていた。座の運営も確かに興味があるが、それ以上に妖を倒す兵という存在に心が引かれた。だから即座にその役目を自分が請け負えるように、理由を考えだすことにした。「アスカ村に不特定多数の人間が出入りする事は望ましくない」という理由は間違いなく本心だ。だがそこに誘導があった事も確かだった。
その日の夜遅く。
兵座に対する高揚感や、櫻嬢の守護精霊に関する衝撃的な事実等の所為でなかなか眠りにつく事が出来なかった。この驚くほどに寝心地が良い御帳台に身を横たえていても眠れないのなら、いっそ起きてしまってこの時間を有効に使う方が良いだろうと思っていたら、扉の外から小さく俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「蒔蘿、起きているか?」
その声は俺の片割れのもので、あいつも眠れないんだなと即座に理由を察した。双子だからという事もあるのだろうが、20年以上一緒に暮らしているからか、俺の事を一番理解しているのが茴香で、茴香の事を一番理解しているのは俺だという自負がお互いにある。そう思える程度には仲が良い。
「あぁ、起きてる。入ってきてくれ、俺も眠れなかったんだ。
どうせなら明日以降の打合せでもしておこう」
御帳台の傍に置いてある、小さな照明……これも正直どうなっているのか解体して調べたいぐらいなのだが、その照明に手を触れると優しい灯りが周囲を照らし出した。この部屋は櫻嬢の私室らしいのだが、この火を使わない素晴らしい照明ならば小さな子供でも安全に使える。この家の灯りは全て……それこそ廊下といった「とりあえず暗くなければ良い」とされている場所の灯りまでもが目の前にあるこの灯りと同じモノで、火皿の灯りよりもずっと明るい火を使わない画期的な灯りばかりだった。
基本的に灯りはどの国でも火皿と呼ばれる皿に油と芯をいれて火をつけるものだ。天都やミズホ国の帝族・王族や高位華族は高価な紙で風よけをつけた行灯と呼ばれる照明を使うのだが、この照明の見た目はそれに良く似ていた。ちなみに我が国では瓦職人の修行を兼ねて陶器の風よけを作らせ、それをつけた瓦灯と呼ばれる灯りが主流となっている。だから俺が住む王城でも灯りには当然火を使う。だが沢山ある部屋の中には火を持ち込むことがとても危険な部屋もある。そこの照明として是非とも導入したいのだが、精霊様からは良い返事はもらえなかった。
部屋の中は壁や床の中を温水が通っているとかで、無の月だというのに温かい。だが流石に深夜ともなれば少し冷えるのでサッと着物を羽織っていると、ぼんやりと明るくなった部屋に茴香が入ってきた。
「同じ作りの部屋なのに、やはり印象というか空気感が違うものだな」
櫻嬢の部屋は優しい良い匂いがして、これでもかと部屋に香を焚きこめる天都やヤマト国の令嬢の部屋とは全く違う。とは言っても俺も茴香も地位が地位なだけに、他家の令嬢の部屋に入った事はない。あるのは身内の令嬢の部屋だ。主に黄金宮家に住んでいる東宮妃の金蓮様と、その娘の福寿嬢の部屋になるが、彼女らの部屋(寝室に非ず)は香の匂いが強く……。今まではそれが当たり前で何一つ違和感を持つことも無かったのだが、この部屋や碧宮家の人々が纏う優しい香りを知ってしまった今となっては拒否感すら湧いてきそうで、王宮に戻ってからどうやって暮せば良いのかと密かな悩みの種になっている。
「あぁ、櫻嬢らしいというか、女の子らしい部屋だよな。
まだ7歳だから良いが、あと10年もしたら
御帳台を使うどころか部屋に入れてすら貰えなくなるだろうな」
彼女の部屋は全体的に可愛らしい作りになっていた。おそらく姫沙羅様や橡が設えたであろう花模様の帳が可愛らしい几帳や、棚の上におかれている髪飾りなどは女児ならではの部屋だ。その組紐で作られた髪飾りの横には、俺と茴香が選んだ摘み細工の髪飾りもあった。アレは彼女が初めて大和に来るというので、何か贈り物がしたくて二人で選んだものだ。実際に出会った彼女は、とても7歳とは思えないぐらいに小さくて、ミズホ国の血が色濃く出ているのかとても華奢だった。
そんな幼い子供の10年後を思うと、堪えきれない笑みがこみ上げてくる。今でもかなり規格外な言動をする子供だが、10年後にはどうなっているのだろうかと思うと楽しみな反面、かなり不安でもある。
天女、それも火・水・土の三柱の精霊の加護を受けた前代未聞の天女とあっては、どんなに当人が嫌がっても政争の火種になる事は避けられない。姫沙羅様が二度と天都には戻らないと決意された理由の一つは、彼女を隠し通す為だろう。
「そうだろうな。
…………あの子は姫沙羅様と良く似ていて……不安になる。
いつか、またあの悲劇が繰り返されるのではないかと……」
俺の言葉に頷いた後、かなり躊躇ってから茴香は不安を口にした。結局あの悲劇の首謀者は未だ掴み切れていない。おそらくといった可能性の話で良ければある程度は掴めているのだが、決定的な証拠がどうしても見つからないのだ。ただ一つ言えるのは東宮の妻、ひいては後の帝の妻となる姫沙羅様を排除しようとした一派が居るという事だ。
「姫沙羅様は勿論、そのお子たちや橡たちにも
平穏に過ごしていただきたいのだがな……」
茴香のその声色には、平穏に済むはずがないという思いが透けて見えた。
「此処に来た事、後悔しているのか?」
「いや、それは無い……。無いと思いたい。
少なくとも姫沙羅様があれほどにお元気だという事を知れた事は良かった。
それに精霊様との対話では様々な気づきも得られた。
これは何ものにも代えがたい経験だ。後悔は無い。ただ……」
そう、俺もそう思う。兵座なんて此処に来なければ思いつきもしなかっただろう。そうなれば俺は「何か」を探し求めたまま、彩の無い人生をこの先も歩んで行く事になっていただろう。ただ、ここでの経験や気付きは確かに何ものにも代えがたいが、その所為で碧宮家の皆を再び危険に巻き込んでしまわないかという不安が生まれてしまった事も確かだ
「手を尽くそう。父上の嘆きから俺達は学べるはずだ」
母を亡くした時は俺達はまだ小さく、全くといって良い程に何も覚えていない。ただ周囲の話しによると塞ぎ込む俺達や、誰よりも精神的に参ってしまっていた父上に気分転換をしてもらう為に、天都の碧宮家が俺達を招待してくれたらしい。なので父上からすれば碧の小父さんは従堂兄弟であり、学生時代からの親友であり、そして何より恩人だった。そんな人を助ける事ができなかった父上は憔悴しきっていて、碧宮家の人には話せていないが今もあまり体調が良くない。
「あぁ、俺達は必ず守り通そう。大切な人を失うのは、もうたくさんだ」
それはこの7年の間、何度も何度もお互いに約束しあった言葉だった。
その後はお互いに幾つかの事を相談しあった。一番の議題は此処に滞在できる最終日の明日、どちらが何を聞いて調べて教えてもらうかとい事に尽きた。時間が限られているので、手分けして色々と聞いて回る事になるだろう。
「何か書くものは無いか?」
忘れないようにそれらを羅列して書き出しておこうと、二人で窓辺にある文机へと向かった。前もって部屋の中のモノは自由に使って良いと許可は得ている。勿論常識の範囲内でという注釈はつくだろうが、変わった形の文机や筆記用具は十分常識の範囲内だろう。
「それにしても、この高さのある文机と椅子?というのは便利だな。
円座があるとはいえ、床に長時間座って書を読んだり認めたりしていると
あちこち身体が痛むのだが、これはとても楽そうだ。
戻ったら早速取り入れたいな」
茴香のそんな言葉を聞きつつも、俺は何も書かれていない竹簡を探していた。書棚には丸められた竹簡が幾つもあったが、それらは小さな子供が習う簡単な童話や、字の書き方をつづったもので無地のものではない。
「違う場所か?」
次に文机の横の引き出しを開けたら、そこは予備の筆や墨が仕舞われていた。ならばここかとその奥を探れば、予想通り幾つかの竹簡があった。そのうちの一つを取り出して、パラリと開いた俺は自分の目を疑った。
それは無地の竹簡ではなかった。
その竹簡には見た事のない奇妙な文字が、全体にびっしりと書かれていた。その異様さに思わずのけぞりそうになったぐらいだ。他の竹簡も調べてみたが、同じように見た事の無い文字ばかり……。
「茴香、これを見てくれ」
「これは……。ここにあるという事はあの子のモノという事なのだろうが、
俺の知っているどの文字にも当てはまらない……」
我が国は技術の開発と蓄積を何よりも尊ぶが、技術の蓄積は知識の蓄積とも言える。その最先端にいる俺達が知らない文字がここにあるという事に、俺達は驚きを隠せなかった。
そんな思いが自然と湧き上がった。今までどれほど探し求めても見つからなかったモノが、不意に自分の手の中に転がり込んできた……まさにそんな感じだった。
「解りました。その兵座は私が請け負いましょう。」
表面上は何時もと変わらない調子で精霊様に答えてはいたものの、心の中に湧き上がる衝動の強さに我ながら驚きを禁じ得ない。何故なら単に湧き上がる好奇心という意味での衝動なら、目の前にいる櫻嬢が天女だと知った時や、彼女が精霊様と対話出来る事……今まさに私も対話させて頂いているのだが……などなど事例に事欠かない昨今ではあったが、そういった衝動とは別種の、堪えきれない程の喜びを伴った衝動を感じたのは生まれて初めてだったからだ。
俺は双子の兄である茴香とは違い、寝食を忘れて夢中になるほどの「何か」を持った事はなかった。いや、茴香だけじゃない。父だって祖父だってヤマト国の大多数の民だって、何かしらの技術開発に邁進する傾向がある。いっそ我が国の国民性だと言って良い程だ。皆が皆、気になる「何か」を幼少期から見つけ、それを解明・研究・開発に勤しむ。それこそ茴香のように寝食を忘れてひたすらに追い求める者も珍しくない。だからその「何か」を仕事にしてしまうと、寿命が縮むと言われている程だ。ヤマト国の大人ならば一度は年頃の子供に、「やりたい事と仕事は別にしておけ」と忠告した事があるぐらいだ。
だが、俺にはその「やりたい事」が無かった。
勿論、俺にだって興味を惹かれるものは色々とある。美味しい料理に便利な道具、可愛らしい女性や美しい芸術品。そう言ったものは俺の心を明るくしてくれるし、楽しませてもくれる。ただそれらの全てはあっという間に彩りを失い、心に何とも言えない虚しさだけを残していく……。そういった事が何度も続き、俺はどれほどに心が動かされてもそれらに対して好奇心以上の「何か」を抱けないのだと理解した。
確かに国民性とは言っても、全ての人に当てはまる訳ではないって事は解っている。そういう傾向が強いというだけだ。だから俺は皆とは違うようだと思う事はあるものの、それが悪い事だとは思わないし、茴香と違うという事が少し救いでもあった。
茴香は超が幾つも付くほどの真面目で、根を詰めて研究する技術馬鹿で、人付き合いが苦手だ。人付き合いの中でも特に腹の探り合いや、駆け引きといったものが苦手で、その延長で女性との会話も極力避ける程に苦手としている。茴香からすればそういった腹の探り合いや駆け引きは不誠実に見えるらしく、顔に出す事は流石に無いが嫌ってすらいる。だが俺達の立場上、それらは避けては通れないモノだ。
そこで俺の出番だった。
俺だって腹の探り合いが好きかと聞かれれば嫌いだと答えるが、必要とあれば仕方がないと割り切る事はできる。このまま大きな落ち度がなければ茴香が王太子となって国王となるだろうが、俺はその補佐を「やらなくてはならない事」、つまり仕事として務めあげれば良い。それが俺の役目であり、国や国民へ還元・奉仕できる事だと思っている。
その事に何ら異存はない。
むしろ、当然の事だと思っている。
思ってはいるのだが、長い長い年月をただ「やらねばならない事」だけをこなす人生に、はたして意味はあるのだろうかと考えるようになってしまった。そう思うようになった切っ掛けは間違いなく碧宮家襲撃事件で、人間はいとも容易く命を落とすのだと、母を亡くした時に解っていたはずなのに改めて思い知らされた。
俺も「何か」が欲しい、長い人生を義務だけで終わらせたくない。
そんな思いに悩むようになった俺を、神は天から見ておられたのかもしれない。
「妖を倒す事を生業としたい武に長けた者を募り、
また兵と討伐を依頼する者との橋渡しや様々な管理をする組織を作り、
その組織を運営してほしいと言っているのです」
そう告げたのは碧宮家の人たちが「浦様」と呼んでいる水の精霊様だった。その言葉を聞いた瞬間、俺の視界は明るさを増して視野も一気に広がったような錯覚を覚えた。精霊様に言われるまで、妖を積極的に自分たちから倒しに行くという概念が無かったのだ。あれは自然のモノだ。自然の災いが己に向かってきた場合は当然対処はするが、自分から関与しに行くものではないという認識だった。
楽しそうだ。やってみたい。
自然とそう思っていた。座の運営も確かに興味があるが、それ以上に妖を倒す兵という存在に心が引かれた。だから即座にその役目を自分が請け負えるように、理由を考えだすことにした。「アスカ村に不特定多数の人間が出入りする事は望ましくない」という理由は間違いなく本心だ。だがそこに誘導があった事も確かだった。
その日の夜遅く。
兵座に対する高揚感や、櫻嬢の守護精霊に関する衝撃的な事実等の所為でなかなか眠りにつく事が出来なかった。この驚くほどに寝心地が良い御帳台に身を横たえていても眠れないのなら、いっそ起きてしまってこの時間を有効に使う方が良いだろうと思っていたら、扉の外から小さく俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「蒔蘿、起きているか?」
その声は俺の片割れのもので、あいつも眠れないんだなと即座に理由を察した。双子だからという事もあるのだろうが、20年以上一緒に暮らしているからか、俺の事を一番理解しているのが茴香で、茴香の事を一番理解しているのは俺だという自負がお互いにある。そう思える程度には仲が良い。
「あぁ、起きてる。入ってきてくれ、俺も眠れなかったんだ。
どうせなら明日以降の打合せでもしておこう」
御帳台の傍に置いてある、小さな照明……これも正直どうなっているのか解体して調べたいぐらいなのだが、その照明に手を触れると優しい灯りが周囲を照らし出した。この部屋は櫻嬢の私室らしいのだが、この火を使わない素晴らしい照明ならば小さな子供でも安全に使える。この家の灯りは全て……それこそ廊下といった「とりあえず暗くなければ良い」とされている場所の灯りまでもが目の前にあるこの灯りと同じモノで、火皿の灯りよりもずっと明るい火を使わない画期的な灯りばかりだった。
基本的に灯りはどの国でも火皿と呼ばれる皿に油と芯をいれて火をつけるものだ。天都やミズホ国の帝族・王族や高位華族は高価な紙で風よけをつけた行灯と呼ばれる照明を使うのだが、この照明の見た目はそれに良く似ていた。ちなみに我が国では瓦職人の修行を兼ねて陶器の風よけを作らせ、それをつけた瓦灯と呼ばれる灯りが主流となっている。だから俺が住む王城でも灯りには当然火を使う。だが沢山ある部屋の中には火を持ち込むことがとても危険な部屋もある。そこの照明として是非とも導入したいのだが、精霊様からは良い返事はもらえなかった。
部屋の中は壁や床の中を温水が通っているとかで、無の月だというのに温かい。だが流石に深夜ともなれば少し冷えるのでサッと着物を羽織っていると、ぼんやりと明るくなった部屋に茴香が入ってきた。
「同じ作りの部屋なのに、やはり印象というか空気感が違うものだな」
櫻嬢の部屋は優しい良い匂いがして、これでもかと部屋に香を焚きこめる天都やヤマト国の令嬢の部屋とは全く違う。とは言っても俺も茴香も地位が地位なだけに、他家の令嬢の部屋に入った事はない。あるのは身内の令嬢の部屋だ。主に黄金宮家に住んでいる東宮妃の金蓮様と、その娘の福寿嬢の部屋になるが、彼女らの部屋(寝室に非ず)は香の匂いが強く……。今まではそれが当たり前で何一つ違和感を持つことも無かったのだが、この部屋や碧宮家の人々が纏う優しい香りを知ってしまった今となっては拒否感すら湧いてきそうで、王宮に戻ってからどうやって暮せば良いのかと密かな悩みの種になっている。
「あぁ、櫻嬢らしいというか、女の子らしい部屋だよな。
まだ7歳だから良いが、あと10年もしたら
御帳台を使うどころか部屋に入れてすら貰えなくなるだろうな」
彼女の部屋は全体的に可愛らしい作りになっていた。おそらく姫沙羅様や橡が設えたであろう花模様の帳が可愛らしい几帳や、棚の上におかれている髪飾りなどは女児ならではの部屋だ。その組紐で作られた髪飾りの横には、俺と茴香が選んだ摘み細工の髪飾りもあった。アレは彼女が初めて大和に来るというので、何か贈り物がしたくて二人で選んだものだ。実際に出会った彼女は、とても7歳とは思えないぐらいに小さくて、ミズホ国の血が色濃く出ているのかとても華奢だった。
そんな幼い子供の10年後を思うと、堪えきれない笑みがこみ上げてくる。今でもかなり規格外な言動をする子供だが、10年後にはどうなっているのだろうかと思うと楽しみな反面、かなり不安でもある。
天女、それも火・水・土の三柱の精霊の加護を受けた前代未聞の天女とあっては、どんなに当人が嫌がっても政争の火種になる事は避けられない。姫沙羅様が二度と天都には戻らないと決意された理由の一つは、彼女を隠し通す為だろう。
「そうだろうな。
…………あの子は姫沙羅様と良く似ていて……不安になる。
いつか、またあの悲劇が繰り返されるのではないかと……」
俺の言葉に頷いた後、かなり躊躇ってから茴香は不安を口にした。結局あの悲劇の首謀者は未だ掴み切れていない。おそらくといった可能性の話で良ければある程度は掴めているのだが、決定的な証拠がどうしても見つからないのだ。ただ一つ言えるのは東宮の妻、ひいては後の帝の妻となる姫沙羅様を排除しようとした一派が居るという事だ。
「姫沙羅様は勿論、そのお子たちや橡たちにも
平穏に過ごしていただきたいのだがな……」
茴香のその声色には、平穏に済むはずがないという思いが透けて見えた。
「此処に来た事、後悔しているのか?」
「いや、それは無い……。無いと思いたい。
少なくとも姫沙羅様があれほどにお元気だという事を知れた事は良かった。
それに精霊様との対話では様々な気づきも得られた。
これは何ものにも代えがたい経験だ。後悔は無い。ただ……」
そう、俺もそう思う。兵座なんて此処に来なければ思いつきもしなかっただろう。そうなれば俺は「何か」を探し求めたまま、彩の無い人生をこの先も歩んで行く事になっていただろう。ただ、ここでの経験や気付きは確かに何ものにも代えがたいが、その所為で碧宮家の皆を再び危険に巻き込んでしまわないかという不安が生まれてしまった事も確かだ
「手を尽くそう。父上の嘆きから俺達は学べるはずだ」
母を亡くした時は俺達はまだ小さく、全くといって良い程に何も覚えていない。ただ周囲の話しによると塞ぎ込む俺達や、誰よりも精神的に参ってしまっていた父上に気分転換をしてもらう為に、天都の碧宮家が俺達を招待してくれたらしい。なので父上からすれば碧の小父さんは従堂兄弟であり、学生時代からの親友であり、そして何より恩人だった。そんな人を助ける事ができなかった父上は憔悴しきっていて、碧宮家の人には話せていないが今もあまり体調が良くない。
「あぁ、俺達は必ず守り通そう。大切な人を失うのは、もうたくさんだ」
それはこの7年の間、何度も何度もお互いに約束しあった言葉だった。
その後はお互いに幾つかの事を相談しあった。一番の議題は此処に滞在できる最終日の明日、どちらが何を聞いて調べて教えてもらうかとい事に尽きた。時間が限られているので、手分けして色々と聞いて回る事になるだろう。
「何か書くものは無いか?」
忘れないようにそれらを羅列して書き出しておこうと、二人で窓辺にある文机へと向かった。前もって部屋の中のモノは自由に使って良いと許可は得ている。勿論常識の範囲内でという注釈はつくだろうが、変わった形の文机や筆記用具は十分常識の範囲内だろう。
「それにしても、この高さのある文机と椅子?というのは便利だな。
円座があるとはいえ、床に長時間座って書を読んだり認めたりしていると
あちこち身体が痛むのだが、これはとても楽そうだ。
戻ったら早速取り入れたいな」
茴香のそんな言葉を聞きつつも、俺は何も書かれていない竹簡を探していた。書棚には丸められた竹簡が幾つもあったが、それらは小さな子供が習う簡単な童話や、字の書き方をつづったもので無地のものではない。
「違う場所か?」
次に文机の横の引き出しを開けたら、そこは予備の筆や墨が仕舞われていた。ならばここかとその奥を探れば、予想通り幾つかの竹簡があった。そのうちの一つを取り出して、パラリと開いた俺は自分の目を疑った。
それは無地の竹簡ではなかった。
その竹簡には見た事のない奇妙な文字が、全体にびっしりと書かれていた。その異様さに思わずのけぞりそうになったぐらいだ。他の竹簡も調べてみたが、同じように見た事の無い文字ばかり……。
「茴香、これを見てくれ」
「これは……。ここにあるという事はあの子のモノという事なのだろうが、
俺の知っているどの文字にも当てはまらない……」
我が国は技術の開発と蓄積を何よりも尊ぶが、技術の蓄積は知識の蓄積とも言える。その最先端にいる俺達が知らない文字がここにあるという事に、俺達は驚きを隠せなかった。
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