【本編完結済】未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

10歳 -火の陰月1-

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To be, or not to be, that is the question.

シェイクスピア作の悲劇「ハムレット」の中で一番といって良いぐらいに有名なこのセリフ、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳される事が多く、現代日本人の感覚からすればその選択はどういう事なの?!とツッコミたくなる二択です。ただその後に続くセリフを見れば大きく意味合いが変わって、生死ではなく今後の生き方に悩むセリフになります。かなり大雑把にまとめれば父王を毒殺した犯人を知ったハムレットは、その犯人が父親の全てを奪ってのうのうと暮らしている事実に悩みます。父親の仇を取りたい、でも宗教的に許されていない仇討ちを行えば大罪人確定です。どちらがより気高い生き方なのか?と悩むハムレットのジレンマを表す独白なのです。「どちらの道を選んでも苦難が待ち受けているが、何方の方がまだマシだろう?」という苦悩は現代人にだって分かりますし、現代人を既に10年も前に止めてしまった今の私にもわかる心情です。

「行くべきか、行かざるべきか。それが問題だ……」

文机の前に座り、広げた竹簡を見ながら思わず呟いてしまいます。広げた竹簡は茴香ういきょう殿下からの手紙……いや、紙じゃないから書簡かな。そこに日本語で書かれている文の要点を抜き出せば

えんじゅ君の十三詣りに合わせて君も大和に来てくれないか?】

というもので、兄上が十三詣り……この世界の成人の儀で大和に行く際には、私も一緒に来てほしいというお誘いの書簡でした。七五三や十三詣りは王都でなくても出来るのですが、3年前に私が王都で七五三をした事を兄上がすごく羨ましがった事があり、兄上の十三詣りは王都でしようという事になっていました。

そして殿下が兄上の十三詣りに合わせて私を呼ぶ理由は、9割がた浄水を含めた衛生環境の整備に関する事だと思います。殿下たちがこの地に来て、霊石に精霊の技を籠める事が可能だという事を知ってから約3年。未だに人の手で技能を籠める事は出来ていません。

「あっったり前だろ。そんな簡単に出来てたまるかよ。
 俺様ですら最初は滅茶苦茶苦労しただろうが。
 今だってまっさらな霊石に技能を籠めるには櫻の手が必要なんだぜ?」

「あの頃から櫻の無茶振りは凄かったですよねぇ
 最近はすっかり慣れてしまいましたが……」

「我は今でも慣れぬが?」

なんて後ろで井戸端会議よろしく世間話をしている三太郎さんをチラリと見やってから、聞こえないふりをして再び書簡に視線を落とします。一応私としても無茶振りをしている自覚があるので反論はできません。

実は殿下たちも私の無茶振りの被害者ともいえます。

なんでもここで過ごした短い日々の間に、身体を清潔に保つ事の重要さを再確認したそうで……。まぁ、正確には再確認というよりは、自分たちが清潔だと思っていた事が全然清潔じゃなかったと思い知ったって事のようでしたが。

そんなショック状態の殿下たちに止めとどめを刺したのが、殿下たちが記憶しているどの時よりも健康極まりない状態になった母上たち。「私たちが健康でいられるのは毎日入浴して清潔さを保ち、しっかりと身体を温めているからなんですよ」と母上たちが力説すれば、その説得力は凄まじく。

それを聞いた殿下たちは入浴のための施設を作る事を即決して、それに関する知識を得ようとしました。特に石鹸は殿下たちの知識では再現が不可能な物なので、製造法を伝授してほしい、せめて売ってほしいとお願いされました。その願いに対し「石鹸で汚れた排水の全量を浄水できる手段を確立できたなら作り方を教えます」という無茶振りを浦さん経由でしたのは私です。

ただ私も決して意地悪でそう言った訳ではなく、こちらの世界で公害問題を起こしたくないだけで……。殿下たちは浄水の技能を込められた霊石を浦さんに見せてもらって紋を正確に書き写し、持ち帰って試行錯誤を続けているようですが失敗の連続のようです。霊石自体が簡単に手に入るものではないのですが、幸いなことに蒔蘿じら殿下の兵座計画が順調に進んでいて、ここ1年程は禍玉まがたまを定期的に三太郎さんが浄化する事で賄っているようです。この浄化も自分たちで出来ないか殿下たちは試しているようですが、これもそう簡単ではないみたい……。

ちなみに妖石の名称は禍玉で統一されました。私は妖を倒した時に稀に入手できるから妖石と名付けたのですが、どうも不浄が極まるとそこに自然生成されることもあるらしいので禍玉で統一した方が良いという事になりました。三太郎さんは元々名前にはあまり拘りませんし、私も三太郎さんと話しが通じれば良いからと暫定でつけた名前だったので特に拘りがある訳ではありません。逆に大人組が「精霊様が名付けられた事に異議を唱えるのは……」と戸惑ったぐらいでした。


そして浄水に関しては私も何かしら手段が無いかと試行錯誤を続けています。三太郎さんが何時も傍にいてくれるおかげでつい忘れがちですが、前世では決して精霊の技能で水を綺麗にしていた訳ではありません。それを思い出させてくれたのは、叔父上たちが使う日本語教材を作る為に小学校の記憶を見直していた時でした。社会科見学で浄水場に行ったんですが、その際に授業で下水処理場の事も教えてもらったんですよね。子供向けの説明なので詳細にはやらなかったのですが、ようは沈殿を繰り返して不純物を取り除き、微生物を使って汚れを更に取り除き、薬剤で消毒してから放出という手順でした。

ここでは三太郎さんたちの技能を込めた霊石で全て処理できますが、その霊石を使わないで再現するとなると、沈殿は時間さえかければ出来そうですが微生物と薬剤が問題です。

この世界、微生物っているのかなぁ??

いや、いるとは思うですよ。ただ林檎などの植物も毛美もみや馬などの動物も、何だったら人間すら前世基準で考えたら大きいんですよ。大きい微生物って定義が矛盾してしまいっています。

そういえばその社会科見学の年の夏休みの自由研究で、石鹸水に濃い塩水を加えて濾過するという実験をしたことも一緒に思い出しました。そうする事で石鹸成分が固形化し、布で濾過すれば水が綺麗になるという実験です。あれなら石鹸成分限定ですが浄水できるんじゃ?とは思ったものの、それをすれば残るのは塩水です。海に放出すれば何とかなるかなとは思うのですが、環境にどのような影響を与えるかやってみなければ解りません。しかも塩はこの世界では貴重品です。それを浄水の為に大量に使うとなると別の問題も発生してしまいます。何より私の作ったこの世界の石鹸はどう頑張っても固形化できない8分立て生クリーム状の石鹸です。こんな石鹸でも塩水を加えれば固められるのかなぁ?

「いっそ技能を籠めた霊石を渡した方が早くねぇか?
 何かしらの条件はつけなくちゃならねぇだろうが……」

一つ道を見つけたと思ったらすぐに行き詰まり、何日も何十日も唸るような声を出しながら悩み続けていた私を見かねたのか、桃さんが心配半分呆れ半分といった感じの声で言います。ですが……

「駄目だよ。それじゃ私達が手助けできなくなった途端に殿下たちが困っちゃう。
 それとも私が死んだ後も三太郎さんは未来永劫、協力し続けてくれる?」

私の問いかけた内容に桃さんは驚いたのか、目を見開いて言葉に詰まってしまいました。

「無理でしょうね。
 あなたの死後、新たに別の者の守護をする事はあるかもしれませんが、
 その者が天女の可能性は低いですし、傍に居られるとは限りません」

「我としてもそなただからこそ協力しているのであって、
 それ以外の者であったなら、こうして会話をする事もないであろうな」

三太郎さんは精霊の中では少々変わり者に分類されるという事を、この10年の間に知りました。大多数の精霊は人間とは付かず離れずな距離感を良しとして、積極的に人間に関わるような事はしません。あくまでも神に与えられた役目=仕事をこなしているだけで、こんなに人間に良くしてくれる精霊は三太郎さんぐらいです。

三太郎さんがここまで人間に関わってくれるのは、自惚れでもなんでもなく私という存在があるからです。私がこの世界に持ち込む前世の価値観や技術といったモノに興味を惹かれるからです。なので私が寿命を迎えてそれらを得られなくなった後も、今と同じように手を貸してくれるかどうか……。

「死ぬとか……言うんじゃねぇよ。
 お前以外のヤツの守護なんて……やりたかねぇ……」

フイッと顔を背けられてボソボソッと呟かれた桃さんの言葉に胸が痛みますが、どれだけ長生きしたくても出来ない事もあるのだという事を私は身をもって知っています。桃さんの言葉を嬉しいと思ってはダメなのかもしれませんが、それだけ私を大事に思ってくれているという証左に思えて、私は不貞腐れている桃さんにぎゅっと抱き付いてから顔を見上げました。10歳になった私は身長も140cmぐらいにまで成長したのですが、家族の中で一番小さいという事に変わりはありません。

「勿論、簡単に死ぬ気はないよ。
 でも流石に100年も200年も生き続ける事はできないでしょ?
 殿下たちのような生粋のヤマト国人でも無い限り」

碧宮家は帝の指示で混血を繰り返しているので、純粋な血統を極力保つようにしている各国王室と違って寿命が予測不可能です。何よりそもそも私とは血の繋がりが無いので、尚更予測なんてできません。それにもし殿下たちと同じぐらいに長生き出来たとしても、不老長寿の三太郎さんを残して死んでしまう事は確かです。

「とりあえず殿下たちには幾つかの案を提示して、実験してもらう事にするよ。
 これ以上私一人で考え続けても、良い結果が出るとは思えないし。
 そんな訳で桃さん、気分転換に甘いお菓子でも作って食べようよ」

かなり無理矢理な感じで話題を変えたので、桃さんには大きく溜息をつかれてしまいました。それでも私の無理な話題転換に乗ってくれて、小さい頃と同じように私を抱き上げると自室を後にしたのでした。




「行かせるべきか、行かさざるべきか、それが問題だな」

つい先ほど私の口から出た言葉とよく似た言葉を、今度は叔父上が呟きます。母上や叔父上、山吹につるばみといった大人組が相談している内容は、私を兄上の十三詣りに同行させるべきかどうかという事なのですが、悩みは同じでも内包する問題点が違います。

母上たちは「子供たちの為にはどうする事が一番良いのか」と悩んでいるのです。私も兄上も山を1回しか下りた事がありません。兄上は成人の儀があるので山を下りる事は確定ですが、同時に世間の常識的なモノを身につけさせるには如何すれば良いのかと母上たちは悩んでいるようです。私に関しては大きくなった分だけ、その子供の世界を広げてあげるのは親の務めだと思っているようで、他人と触れ合う機会を少しでも作ってあげたいと思っているようです。なので一緒に行かせたいけれど道中には危険が伴いますし、碧宮家が生き残っていたと知られれば命の危険は一気に上がってしまうために決断ができないようです。


対し私は10歳という自分の年齢が気がかりなのです。原作の小説では今年、原因不明の疫病が発生して母上や橡の命を奪うのです。それを防ぐために転生した直後からこの年に向けて備えてきました。幸いにも三太郎さんたちの尽力のおかげで母上たちはここ数年一度も寝込む事がなく、元気いっぱいな日々を過ごしています。原作2部は殆ど読み進められなかったのですが、確か疫病によって亡くなったのは女性や子供が中心だったと記憶しているので、やはり免疫力や体力が低い人から亡くなったのだと思います。

原作の母上たちはそんな人々の筆頭で、母上は1年の殆どを寝たきりになっていて起き上る事が出来なくなっていましたし、それをフォローするために働き尽くめだった橡は疲労困憊で気力だけで日々暮らしているような描写でした。そんな状態と今を比べれば、母上たちの生存率はグッと上がっているとは思います。ですがそれでも心配な事に変わりはありません。

<そんなに心配ならば、様子を見に行ってみれば良いのではないですか?
 大勢の人が亡くなるような疫病ならば、何かしらの前兆があるはずですし>

話し合っている母上たちを前にして再び悩み始めてしまった私に、浦さんが心話で助言してくれました。

<そうだな、それにあの王子たちの事だ。
 そういった異変があるのならば、お前を呼び寄せようとは思わぬはずだ。
 報告が上がっていないだけという可能性もあるが、
 それならば尚の事、自分の目で確かめる方が良いだろう>

<お前があいつらに教えた、酒を蒸留して消毒用の酒にするやつ。
 アレがちゃんと運用されているのかも確認したいって言ってたじゃねぇか。
 丁度良い機会なんじゃね?>

浦さんに続いて、金さんや桃さんも背中を押してくれます。確かにここで不安な気持ちのまま悩み続けるよりもずっと健全だし、百聞は一見に如かずと言うしね。

よしっ、決めた!!

「母上、叔父上!
 私も兄上と一緒に大和に行きたいですっ!」

そう私が手と声を上げ、三太郎さんも同意した事で母上たちも踏ん切りがついたようで、私も一緒に大和に行くことがきまりました。
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