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2章
食に始まり 食に終わる :櫻
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塩づくりに必要な海水を汲み上げる場所として作った地底湖は、作成当初は魚どころか海藻すら生えていなくて寒々しさを感じる程でした。単に海水を汲むだけならばそれでも問題はなかったのですが、どうせなら海の幸だって味わいたいと思ってしまうのは元日本人の性というもので……と思いましたが、三太郎さんも食べたがっていたので精霊の性でもありますね。
でも、この7年の間には三太郎さん以外の精霊とも少しだけ話す機会があったけれど、三太郎さんのように食に拘る精霊は居なかったような……。
まぁ、食の種類が増える事は良い事なので色々と手を尽くした結果、今では様々な海産物が獲れるようになり、私達の食生活のバリエーションを大きく広げてくれるようになりました。この変化によって湖や川の食材が不漁だったり山の食材が不作だったりしても、海のモノで補えるようになるので安心です。
そんな訳で海産物を入手できるようになった私は、今年から本格的な加工品の開発に取り掛かる事になりました。色々と加工しようと思ってはいるのですが、その中でも現在メインで手がけている商品開発が海藻を加工した寒天になります。この世界にもテングサと良く似た海藻があり、その名を「凝藻葉」といいます。凝固する藻の葉というそのまんまの名前が示す通り、使い方は前世のテングサと大きく変わずところてんとして食べられています。前世であった味付けの違いはこの世界でも存在していて、ヤマト国では酢味噌で食べられていて、ヒノモト国では黒蜜で食べられていて、ミズホ国では堅魚煎汁という、鰹の煮干しを作る際の煮汁を煮詰めた調味料をかけて食べられています。
違う点といえば、この世界の人は洗浄と天日干しを繰り返した凝藻葉をそのまま束ねて保存している事です。使うたびに必要な分の乾燥凝藻葉を煮込んで、その煮汁を固めて作るので時間がとてもかかってしまうのです。この世界の人にとってはそれが当たり前なのでしょうが、私からすれば面倒な事この上なく。そんな手間ひまがかかる凝藻葉を使った料理は一般庶民にとっては高級品で手が出せず、基本的には華族の為の食べ物という認識です。
前世で寒天を使ったお菓子や料理といえば棒寒天や糸寒天・粉寒天を使う人が圧倒的多数で、テングサから作る人なんて海無し県育ちの私の周りにはいませんでした。何より便利さやお手軽さで圧倒的に棒寒天や粉寒天の方が上で、よほどの拘りがある人でなければテングサから作る人はいませんでした。ならばこの世界でも売れるに違いありません。「手間がかかるからこその高級品」という付加価値は危うくなってしまうかもしれませんが、その分沢山の人に食べてもらえるようになれば良い訳ですし。
そんな訳で火の月に収穫して洗浄&天日干しを繰り返して色がすっかり赤紫から薄黄色になった凝藻葉を倉庫から取り出して煮詰め、その煮汁を木枠で作った型に流し込んで固めてから棒状に切り分けたり、金さんが作ってくれたところてん突きで突いていきます。それを極寒の外に並べて1旬間半ほど寒風に晒して凍結と溶解を繰り返せば水分が抜けて行って棒寒天や糸寒天ができあがります。
一応1旬間半という目安は決めましたが、この世界の気候風土で試した訳ではないので全て手探りで進めなくてはなりません。同時進行で煮汁の濃度を変えた物を幾つも作り、干す場所や時間・干し方を色々と変えて試して、一番上手に出来た作り方を来年は踏襲するという段取りです。
「アレで良かったの?」
試作中の棒寒天の凍結・乾燥具合を確認しつつ、手伝ってくれている浦さんに尋ねました。私は一つ一つ裏返してチェックしないと状態が解らないのですが、浦さんは見るだけで寒天の中の水分量がどうなっているか解るらしく、「棒寒天より糸寒天の方が乾きが良いですね。こちらを主流にしましょうか?」だとか「こちらは順調ですがあちらはよろしくない」だとか言いながらテキパキと仕訳けていきます。
「えぇ、ほぼ想定通りでしたでしょ?」
アレで通じてしまうあたり、浦さんとの付き合いも長くなったなぁなんて思ってしまいます。こういうのをツーカーというのかもしれません。
「あの2人のような好奇心が器に収まりきらずに溢れ出してしまうような者には、
隠してあるものを当人に見付けさせたほうが効果的です」
「そういうものかなぁ??
確かに2人とも私が隠しておいた竹簡を見つけてくれたし、
その中の文字にも興味を持ってくれたみたいだけど」
数日前、浦さんたちに指示された通りメモ書きに使っていた竹簡を文机の横の引き出しの奥にしまった時の事を思い返します。その際にはけっこう細かい注文があって「隠しているのは明らかだが、奥深くに隠し過ぎない……少し探すと見つかる程度の場所に隠してほしい」なんていう無茶ぶりに、枕の下やクローゼットの隅、ロフトの上など幾つも候補を上げては色々悩んだものです。
「だけど殿下たち、日本語を精霊語だと思い込んじゃってたけど、
その辺りは大丈夫なの? 他の精霊さんに迷惑かからない??」
石鹸や竹醤は私がこちらの世界の文字を覚える前に作ったモノなので、当然ながら試行錯誤した名残に一文字たりとも此方の世界の文字は使われていません。
「それで良いのです。この先、あの者たちと情報のやり取りをする際に
他者には決して理解できない文字が必要になりますから。
それに精霊語というのもあながち間違いではありませんよ。
私達も使っていますからね」
寒天のチェックを終えた浦さんがにこやかに微笑みながら言い切ります。
いや、それは精霊語と言って良いのかなぁ??
三太郎さんはチート満載な存在だなと思う事が多いのですが、そのチートっぷりは日本語の習得にも遺憾なく発揮されました。教えた訳でもないのに、一緒に見ていた記憶フレームに映り込む様々な看板や書籍、流れる会話や音楽を聞いているうちに日本語を理解できるようになってしまったのです。読み書きに比べて会話の方は少し苦手のようですが、発音が若干おかしいぐらいで意思疎通はバッチリ出来るレベルです。
前世において、授業で散々やっていたのにも関わらず英語の習得に四苦八苦していた私からすれば羨ましすぎるチートっぷりです。
殿下たちがどれぐらいの期間で日本語を習得できるかは解りませんが、おそらく困難だろうなぁと思っています。私がそう判断した理由の一つに、どこから情報が漏れるか解らないので下手に教材を渡す事ができないというものがあり……。
それを解消するために、叔父上や山吹、できれば母上や兄上たちにもこれを機に日本語を覚えてもらって、叔父上たちが行商の為に山を下りて殿下たちに会った時に指導するという形が一番良いだろうという話しになっています。
叔父上たちからすれば巻き添えを喰らった感が半端ないだろうなぁと思っていたのですが、叔父上たちの価値観からすれば精霊の使う言語は神の言語に等しいらしく、それを学べると滅茶苦茶乗り気で驚きました。こういうのも精霊チートっていうんでしょうかね。そんな訳で私は小学校1年の時の記憶フレームを見ながら、叔父上たちに教える為の教材作りを始めなくてはならなくなりました。
そんな訳で無の月も何だかんだとやる事が多く、忙しいまま終わりました。
そして日中の日差しに温もりを感じる水の月に入った頃。殿下たちをアスカ村まで送って行った山吹がようやく戻ってきました。少し遅くなるとは聞いていたのですがこんなに遅くなるとは誰も聞いていなかったので、ここ2旬間は「山吹は大丈夫かしら?」という言葉を一日に何度も聞いたり言ったりしていところでの帰還です。そんな訳で橡はお帰りなさいよりも先に
「こんなに遅くなるなんて心配するでしょ!!」
と雷を落してしまいました。更に何時もならば「まぁまぁ」と取り成す母上や叔父上も、今回ばかりはといった感じで渋い顔のままです。報連相は、いつどんな時も大事って事ですね。
ただそのお説教は比較的早めに切り上げられる事になりました。というのも山吹が超がつく程に巨大な樽を背負っていたので、とりあえずは荷物を片づけてからという事になったのです。ただ今回の下山は殿下を送り届ける為だけのもので、買い出しをする予定は無かったはずなのに何が入っているのか不思議で仕方がありません。何せ私がすっぽり頭まで入るほどの、高さ……いえ横向きに背負っているので幅が1.5mはありそうな巨大な樽なのです。いったい中に何が入っているのやら……と思ったら、中からジィーとキィーの間のような不思議な音が聞こえてきて、思わず横にいた叔父上の後ろに隠れてしまいました。
「遅くなって申し訳ありません。
思いのほか捕獲に時間がかかってしまって……。
ただこいつが居ればお嬢が作るあの絶品氷菓を
何時でも食べられるようになると思って……」
そう言いながら山吹は慎重に樽を下ろすと、フタ部分に被せていた布をそっと外して中が見えるようにしてくれました。その樽の中にはこちらの様子を探るかのように鼻をピスピスと鳴らしながら、樽の縁に小さな手をかけて私達を見詰める潤んだ大きな目をした動物が……。
「まぁ! ……毛美じゃない」
母上が驚いた声を上げ、慌てて両手で口を塞いで小さな声で続けました。最初の「まぁ!」の時点で毛美と呼ばれた動物は吃驚したのか、樽の中に高速で逆戻りしてしまっています。かなり臆病な性格のようです。
ただ、私からすれば、アレはどう見ても……
(エゾモモンガっぽいんだけど……)
と薄暗い樽の中を凝視しながら記憶を引っ張り出してみます。あのつぶらな潤んだ大きな目、小さな手、ほわほわの毛……樽の中にいるので流石に飛膜の有無までは解りませんが、色こそ真っ白ですが記憶の中にあるエゾモモンガとそっくりです。
サイズを除けば!!!
巨大な樽がピッタリサイズのエゾモモンガは可愛いけれど怖い、怖いけれど可愛いと感情が混乱してしまいそうな物体です。どれだけ可愛くても自分の背丈を越える巨大な動物というだけで、本能的に恐怖を感じてしまうのです。ト〇ロを初めて見たあの映画の少女はよく恐怖心を覚えなかったなぁと現実逃避してしまいたくなるほどに、目の前の動物は可愛さと怖さが同居してます。これがエゾモモンガと同じ20cm未満といったサイズならば、可愛い一択だったのにっっっ!!
そんな感情の混乱が行動にも影響してしまって、叔父上の背中にぎゅっとしがみついてしまいました。……後から思い返すと、身長差的に背中じゃなくてお尻だったような気がしないでもないですが、恥ずかしいので気にしないことにします。
そんな私に気付いた叔父上は振り返り、しゃがんで私と視線を合わせると
「大丈夫だよ櫻。あれは人間を襲う事は無い毛美という優しい動物なんだ。
真っ白いとても綺麗な毛をしているだろ? それが名前の由来なんだよ」
と言いながら私を抱き上げました。大丈夫と言われても一度覚えた恐怖心は簡単には消えてくれず、叔父上の首に腕を回してしがみついてしまいます。ただ続いて発せられた言葉に恐怖心が吹き飛んで今いました。
「毛美は赤ん坊や子供の守り神とも言われている動物で、
その乳は櫻も赤ん坊のころに飲んだ事があるんだよ」
あの謎ミルク!! あれ、まさかのエゾモモンガミルクだったの?!
その後、母上や橡にも詳しく話しを聞いたのですが、正確には子供を育てる為の母乳とは違って別目的の為の分泌液との事でした。毛美はとても臆病で、繁殖期以外は余程のことがない限り自分の巣穴から出てくる事が無いんだそうです。それは餌すらとりに行かないという徹底した臆病っぷりで、かわりに餌をとってきてくれる別の動物との共生関係にあるんだとか。
その共生相手は名は体を表すと言わんばかりの山に住む鼠の「山鼠」で、その山鼠が持ってきた果物の果肉は山鼠が食べて皮と種を毛見が食べるのだそうです。元々山鼠は皮や種を食べない動物らしく、そのおこぼれを毛美が貰う感じですね。共生相手がそうやって餌を運び続ける理由は毛見の分泌液を別けてもらう為で、栄養豊富な分泌液を常に飲ませてもらう事で山鼠は丈夫になり、また果物をほとんど手に入れる事ができない無の月も無事に越せるのようになります。
この栄養豊富な分泌液は人間にも栄養豊富な乳となります。なので私もそうでしたが、何かしらのトラブルで母親が授乳できない時に毛美の乳を使うのだそうです。人間からするとかなり濃いので薄めて使うそうなのですが、私もそれを飲んでいたという訳ですね。
「牛は華族の為の動物だから俺達には手が出せないが、
毛美ならば捕まえられさえすれば永続的に乳が手に入る。
そうすれば皆が喜んでいたあの氷菓をまた出せると思って。
ただ臆病なせいで、衝撃を少しでも与えないように
慎重に運ぶ必要があった為に時間がかかってしまって……」
温泉に入ってさっぱりとしてきた山吹が動機を語ってくれましたが、当人もこんなに遅くなるとは思ってもいなかったようで、改めて心配をかけて申し訳ないと頭を下げていました。
我が家はお酒やお酢、林檎シロップを作るために大量に林檎を使いますが、その際に出る皮は使い道が無く……。それを食べてもらってミルクを出してもらえるのなら、一石二鳥どころじゃありません。何せそのミルクから色々なモノが作れるんですから。もちろん牛乳と全く同じという訳にはいかないでしょうが、試行錯誤はこの世界にきてから日常茶飯事お手の物!
後日、毛美が落ち着いた頃を見計らって分泌液を搾取して加熱消毒をしてから味を見たところ、かなり脂肪分の高い牛乳に近い味である事が判明しました。牛乳というよりは若干のとろみがあるので生クリームに近い感じです。生クリームに近いとなれば甘葛煎を混ぜてホイップしたり、攪拌してバターにしたりと色々と夢が広がります。
「この毛美の乳……うーん、乳って言葉に出して言うのが恥ずかしすぎる。
なので今後はミルクで通します!!
このミルクがあれば、美味しいお菓子や料理が色々と作れるよ!!」
そう三太郎さんに伝えると、桃さんはパァァァァ!!と表情が明るくなり、金さんはウンウンと頷き、浦さんはそわそわとしだしました。やっぱり三太郎さんは食欲に弱いなぁなんて思ってしまいますが、これって私のせいじゃないよね??
蛇足ながら、この後……。
山吹だけでなく叔父上も行商帰りに毛美を捕まえてきて、最終的に我が家に4匹の毛美が同居する事になりました。
アイスクリームや生クリームを使ったデザートは女性陣に、特に生クリームと寒天と合わせて木苺のジャムを乗せたパンナコッタ風は母上の大のお気に入りとなりました。
またバターの香り豊かな魚のソテーや、ハマタイラの貝柱にバター醤油という禁断の合わせ技を知った三太郎さんや男性陣からは、連日のよう「酒の肴に作ってほしい!」と強い要望を受けるようになりました。
みんな乳製品にはまってしまって……。
食に拘るのは日本人の性だと思っていたけれど、どうやら全ての人と精霊にとっての性のようです。
でも、この7年の間には三太郎さん以外の精霊とも少しだけ話す機会があったけれど、三太郎さんのように食に拘る精霊は居なかったような……。
まぁ、食の種類が増える事は良い事なので色々と手を尽くした結果、今では様々な海産物が獲れるようになり、私達の食生活のバリエーションを大きく広げてくれるようになりました。この変化によって湖や川の食材が不漁だったり山の食材が不作だったりしても、海のモノで補えるようになるので安心です。
そんな訳で海産物を入手できるようになった私は、今年から本格的な加工品の開発に取り掛かる事になりました。色々と加工しようと思ってはいるのですが、その中でも現在メインで手がけている商品開発が海藻を加工した寒天になります。この世界にもテングサと良く似た海藻があり、その名を「凝藻葉」といいます。凝固する藻の葉というそのまんまの名前が示す通り、使い方は前世のテングサと大きく変わずところてんとして食べられています。前世であった味付けの違いはこの世界でも存在していて、ヤマト国では酢味噌で食べられていて、ヒノモト国では黒蜜で食べられていて、ミズホ国では堅魚煎汁という、鰹の煮干しを作る際の煮汁を煮詰めた調味料をかけて食べられています。
違う点といえば、この世界の人は洗浄と天日干しを繰り返した凝藻葉をそのまま束ねて保存している事です。使うたびに必要な分の乾燥凝藻葉を煮込んで、その煮汁を固めて作るので時間がとてもかかってしまうのです。この世界の人にとってはそれが当たり前なのでしょうが、私からすれば面倒な事この上なく。そんな手間ひまがかかる凝藻葉を使った料理は一般庶民にとっては高級品で手が出せず、基本的には華族の為の食べ物という認識です。
前世で寒天を使ったお菓子や料理といえば棒寒天や糸寒天・粉寒天を使う人が圧倒的多数で、テングサから作る人なんて海無し県育ちの私の周りにはいませんでした。何より便利さやお手軽さで圧倒的に棒寒天や粉寒天の方が上で、よほどの拘りがある人でなければテングサから作る人はいませんでした。ならばこの世界でも売れるに違いありません。「手間がかかるからこその高級品」という付加価値は危うくなってしまうかもしれませんが、その分沢山の人に食べてもらえるようになれば良い訳ですし。
そんな訳で火の月に収穫して洗浄&天日干しを繰り返して色がすっかり赤紫から薄黄色になった凝藻葉を倉庫から取り出して煮詰め、その煮汁を木枠で作った型に流し込んで固めてから棒状に切り分けたり、金さんが作ってくれたところてん突きで突いていきます。それを極寒の外に並べて1旬間半ほど寒風に晒して凍結と溶解を繰り返せば水分が抜けて行って棒寒天や糸寒天ができあがります。
一応1旬間半という目安は決めましたが、この世界の気候風土で試した訳ではないので全て手探りで進めなくてはなりません。同時進行で煮汁の濃度を変えた物を幾つも作り、干す場所や時間・干し方を色々と変えて試して、一番上手に出来た作り方を来年は踏襲するという段取りです。
「アレで良かったの?」
試作中の棒寒天の凍結・乾燥具合を確認しつつ、手伝ってくれている浦さんに尋ねました。私は一つ一つ裏返してチェックしないと状態が解らないのですが、浦さんは見るだけで寒天の中の水分量がどうなっているか解るらしく、「棒寒天より糸寒天の方が乾きが良いですね。こちらを主流にしましょうか?」だとか「こちらは順調ですがあちらはよろしくない」だとか言いながらテキパキと仕訳けていきます。
「えぇ、ほぼ想定通りでしたでしょ?」
アレで通じてしまうあたり、浦さんとの付き合いも長くなったなぁなんて思ってしまいます。こういうのをツーカーというのかもしれません。
「あの2人のような好奇心が器に収まりきらずに溢れ出してしまうような者には、
隠してあるものを当人に見付けさせたほうが効果的です」
「そういうものかなぁ??
確かに2人とも私が隠しておいた竹簡を見つけてくれたし、
その中の文字にも興味を持ってくれたみたいだけど」
数日前、浦さんたちに指示された通りメモ書きに使っていた竹簡を文机の横の引き出しの奥にしまった時の事を思い返します。その際にはけっこう細かい注文があって「隠しているのは明らかだが、奥深くに隠し過ぎない……少し探すと見つかる程度の場所に隠してほしい」なんていう無茶ぶりに、枕の下やクローゼットの隅、ロフトの上など幾つも候補を上げては色々悩んだものです。
「だけど殿下たち、日本語を精霊語だと思い込んじゃってたけど、
その辺りは大丈夫なの? 他の精霊さんに迷惑かからない??」
石鹸や竹醤は私がこちらの世界の文字を覚える前に作ったモノなので、当然ながら試行錯誤した名残に一文字たりとも此方の世界の文字は使われていません。
「それで良いのです。この先、あの者たちと情報のやり取りをする際に
他者には決して理解できない文字が必要になりますから。
それに精霊語というのもあながち間違いではありませんよ。
私達も使っていますからね」
寒天のチェックを終えた浦さんがにこやかに微笑みながら言い切ります。
いや、それは精霊語と言って良いのかなぁ??
三太郎さんはチート満載な存在だなと思う事が多いのですが、そのチートっぷりは日本語の習得にも遺憾なく発揮されました。教えた訳でもないのに、一緒に見ていた記憶フレームに映り込む様々な看板や書籍、流れる会話や音楽を聞いているうちに日本語を理解できるようになってしまったのです。読み書きに比べて会話の方は少し苦手のようですが、発音が若干おかしいぐらいで意思疎通はバッチリ出来るレベルです。
前世において、授業で散々やっていたのにも関わらず英語の習得に四苦八苦していた私からすれば羨ましすぎるチートっぷりです。
殿下たちがどれぐらいの期間で日本語を習得できるかは解りませんが、おそらく困難だろうなぁと思っています。私がそう判断した理由の一つに、どこから情報が漏れるか解らないので下手に教材を渡す事ができないというものがあり……。
それを解消するために、叔父上や山吹、できれば母上や兄上たちにもこれを機に日本語を覚えてもらって、叔父上たちが行商の為に山を下りて殿下たちに会った時に指導するという形が一番良いだろうという話しになっています。
叔父上たちからすれば巻き添えを喰らった感が半端ないだろうなぁと思っていたのですが、叔父上たちの価値観からすれば精霊の使う言語は神の言語に等しいらしく、それを学べると滅茶苦茶乗り気で驚きました。こういうのも精霊チートっていうんでしょうかね。そんな訳で私は小学校1年の時の記憶フレームを見ながら、叔父上たちに教える為の教材作りを始めなくてはならなくなりました。
そんな訳で無の月も何だかんだとやる事が多く、忙しいまま終わりました。
そして日中の日差しに温もりを感じる水の月に入った頃。殿下たちをアスカ村まで送って行った山吹がようやく戻ってきました。少し遅くなるとは聞いていたのですがこんなに遅くなるとは誰も聞いていなかったので、ここ2旬間は「山吹は大丈夫かしら?」という言葉を一日に何度も聞いたり言ったりしていところでの帰還です。そんな訳で橡はお帰りなさいよりも先に
「こんなに遅くなるなんて心配するでしょ!!」
と雷を落してしまいました。更に何時もならば「まぁまぁ」と取り成す母上や叔父上も、今回ばかりはといった感じで渋い顔のままです。報連相は、いつどんな時も大事って事ですね。
ただそのお説教は比較的早めに切り上げられる事になりました。というのも山吹が超がつく程に巨大な樽を背負っていたので、とりあえずは荷物を片づけてからという事になったのです。ただ今回の下山は殿下を送り届ける為だけのもので、買い出しをする予定は無かったはずなのに何が入っているのか不思議で仕方がありません。何せ私がすっぽり頭まで入るほどの、高さ……いえ横向きに背負っているので幅が1.5mはありそうな巨大な樽なのです。いったい中に何が入っているのやら……と思ったら、中からジィーとキィーの間のような不思議な音が聞こえてきて、思わず横にいた叔父上の後ろに隠れてしまいました。
「遅くなって申し訳ありません。
思いのほか捕獲に時間がかかってしまって……。
ただこいつが居ればお嬢が作るあの絶品氷菓を
何時でも食べられるようになると思って……」
そう言いながら山吹は慎重に樽を下ろすと、フタ部分に被せていた布をそっと外して中が見えるようにしてくれました。その樽の中にはこちらの様子を探るかのように鼻をピスピスと鳴らしながら、樽の縁に小さな手をかけて私達を見詰める潤んだ大きな目をした動物が……。
「まぁ! ……毛美じゃない」
母上が驚いた声を上げ、慌てて両手で口を塞いで小さな声で続けました。最初の「まぁ!」の時点で毛美と呼ばれた動物は吃驚したのか、樽の中に高速で逆戻りしてしまっています。かなり臆病な性格のようです。
ただ、私からすれば、アレはどう見ても……
(エゾモモンガっぽいんだけど……)
と薄暗い樽の中を凝視しながら記憶を引っ張り出してみます。あのつぶらな潤んだ大きな目、小さな手、ほわほわの毛……樽の中にいるので流石に飛膜の有無までは解りませんが、色こそ真っ白ですが記憶の中にあるエゾモモンガとそっくりです。
サイズを除けば!!!
巨大な樽がピッタリサイズのエゾモモンガは可愛いけれど怖い、怖いけれど可愛いと感情が混乱してしまいそうな物体です。どれだけ可愛くても自分の背丈を越える巨大な動物というだけで、本能的に恐怖を感じてしまうのです。ト〇ロを初めて見たあの映画の少女はよく恐怖心を覚えなかったなぁと現実逃避してしまいたくなるほどに、目の前の動物は可愛さと怖さが同居してます。これがエゾモモンガと同じ20cm未満といったサイズならば、可愛い一択だったのにっっっ!!
そんな感情の混乱が行動にも影響してしまって、叔父上の背中にぎゅっとしがみついてしまいました。……後から思い返すと、身長差的に背中じゃなくてお尻だったような気がしないでもないですが、恥ずかしいので気にしないことにします。
そんな私に気付いた叔父上は振り返り、しゃがんで私と視線を合わせると
「大丈夫だよ櫻。あれは人間を襲う事は無い毛美という優しい動物なんだ。
真っ白いとても綺麗な毛をしているだろ? それが名前の由来なんだよ」
と言いながら私を抱き上げました。大丈夫と言われても一度覚えた恐怖心は簡単には消えてくれず、叔父上の首に腕を回してしがみついてしまいます。ただ続いて発せられた言葉に恐怖心が吹き飛んで今いました。
「毛美は赤ん坊や子供の守り神とも言われている動物で、
その乳は櫻も赤ん坊のころに飲んだ事があるんだよ」
あの謎ミルク!! あれ、まさかのエゾモモンガミルクだったの?!
その後、母上や橡にも詳しく話しを聞いたのですが、正確には子供を育てる為の母乳とは違って別目的の為の分泌液との事でした。毛美はとても臆病で、繁殖期以外は余程のことがない限り自分の巣穴から出てくる事が無いんだそうです。それは餌すらとりに行かないという徹底した臆病っぷりで、かわりに餌をとってきてくれる別の動物との共生関係にあるんだとか。
その共生相手は名は体を表すと言わんばかりの山に住む鼠の「山鼠」で、その山鼠が持ってきた果物の果肉は山鼠が食べて皮と種を毛見が食べるのだそうです。元々山鼠は皮や種を食べない動物らしく、そのおこぼれを毛美が貰う感じですね。共生相手がそうやって餌を運び続ける理由は毛見の分泌液を別けてもらう為で、栄養豊富な分泌液を常に飲ませてもらう事で山鼠は丈夫になり、また果物をほとんど手に入れる事ができない無の月も無事に越せるのようになります。
この栄養豊富な分泌液は人間にも栄養豊富な乳となります。なので私もそうでしたが、何かしらのトラブルで母親が授乳できない時に毛美の乳を使うのだそうです。人間からするとかなり濃いので薄めて使うそうなのですが、私もそれを飲んでいたという訳ですね。
「牛は華族の為の動物だから俺達には手が出せないが、
毛美ならば捕まえられさえすれば永続的に乳が手に入る。
そうすれば皆が喜んでいたあの氷菓をまた出せると思って。
ただ臆病なせいで、衝撃を少しでも与えないように
慎重に運ぶ必要があった為に時間がかかってしまって……」
温泉に入ってさっぱりとしてきた山吹が動機を語ってくれましたが、当人もこんなに遅くなるとは思ってもいなかったようで、改めて心配をかけて申し訳ないと頭を下げていました。
我が家はお酒やお酢、林檎シロップを作るために大量に林檎を使いますが、その際に出る皮は使い道が無く……。それを食べてもらってミルクを出してもらえるのなら、一石二鳥どころじゃありません。何せそのミルクから色々なモノが作れるんですから。もちろん牛乳と全く同じという訳にはいかないでしょうが、試行錯誤はこの世界にきてから日常茶飯事お手の物!
後日、毛美が落ち着いた頃を見計らって分泌液を搾取して加熱消毒をしてから味を見たところ、かなり脂肪分の高い牛乳に近い味である事が判明しました。牛乳というよりは若干のとろみがあるので生クリームに近い感じです。生クリームに近いとなれば甘葛煎を混ぜてホイップしたり、攪拌してバターにしたりと色々と夢が広がります。
「この毛美の乳……うーん、乳って言葉に出して言うのが恥ずかしすぎる。
なので今後はミルクで通します!!
このミルクがあれば、美味しいお菓子や料理が色々と作れるよ!!」
そう三太郎さんに伝えると、桃さんはパァァァァ!!と表情が明るくなり、金さんはウンウンと頷き、浦さんはそわそわとしだしました。やっぱり三太郎さんは食欲に弱いなぁなんて思ってしまいますが、これって私のせいじゃないよね??
蛇足ながら、この後……。
山吹だけでなく叔父上も行商帰りに毛美を捕まえてきて、最終的に我が家に4匹の毛美が同居する事になりました。
アイスクリームや生クリームを使ったデザートは女性陣に、特に生クリームと寒天と合わせて木苺のジャムを乗せたパンナコッタ風は母上の大のお気に入りとなりました。
またバターの香り豊かな魚のソテーや、ハマタイラの貝柱にバター醤油という禁断の合わせ技を知った三太郎さんや男性陣からは、連日のよう「酒の肴に作ってほしい!」と強い要望を受けるようになりました。
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食に拘るのは日本人の性だと思っていたけれど、どうやら全ての人と精霊にとっての性のようです。
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ファンタジー
前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。
だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。
※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。
「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
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