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2章
11歳 -水の陽月11-
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喉元に突きつけられた懐剣の切っ先が、肌に触れるか触れないかギリギリところで止まりました。ほんの少しでも動けば喉が切り裂かれそうな状況に、逃げるどころか叫び声すら上げられません。
<浦さん、どうなってるの?!>
<あの菖蒲という女性が呪詛を放っている事に間違いはありません。
ただ、間近で見て気付きましたが、彼女は少々特殊な体質のようです>
<もっと簡潔に!
今はゆっくりと説明聞いている時間は無いから!!>
緊迫した事態に背中を冷たい汗が流れていきます。金さんや浦さんが精霊力に関する事で間違うはずが無いので、菖蒲様が呪詛犯である事は間違いありません。ですが、どうも何か特殊な事情があるようです。それをどうやって伝えるべきか、何よりこの懐剣を退けてもらうにはどうすれば良いのか、必死に頭をフル回転させます。そんな私を見かねたのか、御簾の向うから菖蒲様が
「お止めなさい、朝顔。
幼子に無体な仕打ちをしてはなりません」
と止めてくれますが、懐剣の先端は1ミリも動くことはなく。むしろ柄を握る手にグッと力が入ったように見えます。
「この子供は姫様にありえぬ無礼を働いたのです。
例え子供といえど、許せる事と許せぬ事が御座います!」
朝顔さんの怒りに同意するように、昼顔さんや夕顔さんも視線で私を切り裂いてしまいそうな程に鋭く睨みつけてきます。この三人の女性は姉妹らしく、ここに来る前に牡丹様から
「武術を嗜み随身として菖蒲様に仕える朝顔と、
知識豊富で傍仕えとして菖蒲様を助ける夕顔。
そして調整力に優れた昼顔という女房が必ず傍に控えておるはずじゃ。
菖蒲様は穏やかで話しの通じる方なのじゃが、
この3人……特に朝顔は思い込みが激しいのが難点でな。
菖蒲様が大事ゆえの事なのじゃが、話が通じない事が多々ある」
と教えてもらっていました。牡丹様の評価通りの三人の言動に、ふと昔の山吹を思い出してしまいます。徐々に変わっていきましたが、それでも山吹は相変わらず母上や叔父上に仕える随身としての言動が抜けきれません。随身という仕事の性質上、「主が一番」という気質になるのは当然なのかもしれませんが、何事も限度というものがあると思うんですよね。
「牡丹様、この不始末。如何様に付けるおつもりですか?」
夕顔さんが絶対零度の声で牡丹様がいる几帳へと視線を移しました。このままでは色々と手を貸してくれた牡丹様に迷惑がかかってしまいます。反射的に「牡丹様は何も悪くありません」と声を上げようとしたのですが、ほんの僅かな動きを察した朝顔さんが
「動くでない!!」
と制止すると同時にグッと懐剣が喉へと当てられました。切り裂くつもりの行動ではなく、脅しとして少しだけ……そうチクッとする程度のつもりだったのだと思います。ですがそうはなりませんでした。
「「なっっ!!!」」
その場にいた私以外の全ての人が、驚きの余り息を飲むのが解りました。私の前にあった湯呑からすっかり冷えてしまった白湯が飛び上がったかと思うと、朝顔さんの懐剣の刃をすっぽりと覆ってしまったのです。
目を真ん丸にして驚いた朝顔さんは慌てて私の首から懐剣を離すと、血振るいをするかのように懐剣を振って白湯を取り除こうとしますが、不思議な事に白湯は刃を覆ったまま一滴も零れ落ちません。こんな事ができるのはこの場には浦さんしかいません。繊細な精霊力の操作が得意な浦さんらしく、【流水】で湯呑に入っていた白湯を動かして刃を包み、私を守ってくれたようです。
「これはいったい……。何をした!!!」
この世界、精霊や妖は居るのに魔法はありません。なのでこんな摩訶不思議な現象に慣れているのは三太郎さんたちと一緒に住んでいる私達ぐらいで、大半の人は朝顔さんのように慌てふためいたり、昼顔さんや夕顔さんのように絶句してしまいます。
「私は訳あって水の精霊様の加護を頂いております」
牡丹様や菖蒲様の手前、流石に精霊様と呼んで言葉にも気をつけます。山では三太郎さんが「櫻は構わない」と言ってくれて、母上たちも「精霊様がそう仰られるのなら……」と大目に見てくれていますが、母上たちの普段の言動を見るに精霊にフレンドリーに接するなんてありえないって事ぐらいは解ります。
「ヒノモトの子が、これ程までに強い水の精霊の加護を……?」
信じられないといった表情で朝顔・昼顔・夕顔三姉妹が私を見てきます。ちなみにヒノモト生まれだからといって、全員が火の精霊の守護を持つ訳ではありません。あくまでも火の精霊の守護を受けやすいというだけですし、一時的な加護に至っては万人が受ける事ができるので国籍は関係ありません。
なので三姉妹の驚きのポイントは水の加護の強さ、これに尽きます。
「神降ろしをした直後でなければ、名と顔の確認が出来たものを……」
小声で口惜しそうに呟く夕顔さんの言葉は聞こえなかった事にしました。この世界において神楽を踊るという事は神をその身に下ろすという事らしいのですが、その為に舞う日の前後1旬間は精進潔斎することになります。特に十三詣りを終えていない子供は守護精霊が確定していないために、名前も顔も隠して神事に挑むのだそうです。そうしないと妖に目を付けらてしまうと信じられているからで、おかげで私は顔出しNG、名乗りNGで通せたのですごく助かりました。唯一欠点があるとすれば、精進潔斎なので飲食全てにタブーが存在する事です。肉魚は食べられませんし、香りの強い野菜もアウトです。後はお茶も飲めません。そんな訳で私の湯呑には白湯が入っていたのです。
三姉妹が自分の主をとても誇りに思っている事は言動からも解りますが、その主よりも強い(ように見える)加護を持つ私に納得がいかないようで、更に何か問い詰めようとしてきます。ですが、今は少しでも早く呪詛の大元を断ちたいのです。
<櫻、今から私が言う事をそのまま伝えてください>
なので浦さんからの指示通り、しっかりと顔を上げて菖蒲様の方へと今一度姿勢を正し、三姉妹よりも話が通じると牡丹様が称した菖蒲様に向かって話しかけます。
「菖蒲様、狗ヶ汰血の宣言を変えてください。
“私を守護する精霊様は、私の願いを聞いて呪詛を行っていない”……と」
「お前はまだ姫様を侮辱するのか!!」
カッとなった朝顔さんが、怒りのままに腕を振り上げます。
「朝顔! 控えなさい!!
……解りました。そう宣言すれば良いのですね??
ですが夜も遅いですし、これを最後にしますよ。良いですね?
では……わたくしを守護する精霊様は、
わたくしの願いを聞いて呪詛を行っておられません」
ピシャリと朝顔さんを窘めた菖蒲様は、一度大きく深呼吸をしてから私が頼んだ通りの宣言をしてくれました。
すると菖蒲様が持っていた狗ヶ汰血がどんどんと真っ赤に染まっていきます。その変化に誰よりも菖蒲様が驚いたようで、絶句して自分の掌の上にある玉を見詰めています。
「そ……そんな、そんなはずは……」
震える唇で何とか言葉を口にする菖蒲様ですが、後が続きません。菖蒲様に仕える三姉妹も言葉が無いようで、呆然として菖蒲様の掌の上の玉を見ていましたが、夕顔さんがハッと気付いたような表情の後、
「ですが先程、姫様が呪詛を行っていないと仰られた時、
狗ヶ汰血は清い水のままで御座いました! これは何かの間違い……
いいえ女童! そなたが何か細工を致したのでしょう!!!」
とんでもない濡れ衣をかけてきました。
「そんな細工をする隙が何時あったというのですか」
出来るだけ冷静に返しますが、彼女たちにとって菖蒲様に不利な発言をする私は敵でしかありません。
その時、それまで一言も発さずに静観していた牡丹様がようやく口を開きました。
「女童。何故そうなったのか、妾にも解るように説明できるか?」
「はい、出来ます」
そう即答します。正確には浦さんの説明をそのまま言うだけなんですが……。
「菖蒲様は呪詛を行っていないという事も、
菖蒲様の守護精霊様が菖蒲様の願いを受けて呪詛を行った事も、
どちらも正しいのです」
とりあえず三姉妹にも座ってもらって、ついでに白湯を入れ直してもらって説明を開始しました。不承不承という感じでしたが、菖蒲様に命じられては三姉妹も従うしかなく、今は大人しく……それでもいつでも私に飛び掛かれる位置と、菖蒲様を守れる位置に座っています。
「どちらも正しい? 明らかに矛盾していますが?」
夕顔さんからツッコミが入りますが、今からそれの説明をするので大人しく聞いていてほしい……。
「それが矛盾しないのです。菖蒲様が特殊な体質をお持ちな所為で。
まず、皆さまは精霊力や霊力というものを勘違いされています。
皆さまの認識では自分の中に水の入った器があり、
その水が霊力で、器の大きさが霊格の高さだと思われているようですが、
実際は全く違います」
「違うのですか?」
「なんと……」
御簾の向うの菖蒲様が驚いたように声をあげ、几帳の陰にいる牡丹様も小さく呟きます。
「人は精霊力や霊力を持ちません。これはあくまでも神様や精霊様が持つ力です。
その代わり人は二つの力を持っています。一つは精霊様に願いを届ける力。
もう一つは願いを聞いた精霊様が届けてくださった力を受け取る為の力」
送信アンテナや受信アンテナという単語が使えないので、何とか解ってもらえるように言葉を変えてみます。こんな時、心話が人間同士でも使えれば良いのにと思ってしまいます。
「通常、この二つの力はほぼ同じぐらいの力になります。
例えば朝顔さんでしたら、届ける力が4で受け取る力は3ぐらいですし、
夕顔さんは届ける力が3で受け取る力が4。
昼顔さんは両方とも4ぐらいですね」
数値はあくまでも解りやすくする為のもので、絶対的なものではありません。全て菖蒲様の異常さを解ってもらう為です。
「それに対し、菖蒲様は届ける力が10で、受け取る力が1です」
金さんや浦さん曰く、こんなに発信アンテナが強大な人は極めて稀なんだそうです。天女である母上が6~7ぐらいで、私が8~9ぐらいらしいので、菖蒲様は発信力だけなら天女すら超えてしまっています。
ただ母上や私は受信アンテナも同様の数値を示すのに対し、菖蒲様は殆ど受け取ることが不可能というレベルの低さなんだそうです。当の菖蒲様は自分の霊力が1と言われた事がショックだったのか、ぽとりと扇子を落とされてしまいました。その様子に
「ひ、姫様の霊力が1の訳が無かろう!!!」
「まずは最後まで話しを聞いてください」
怒りの余り立ち上がろうとする朝顔さんを制して、私は更に言葉を続けます。
「菖蒲様の届ける力の10は天女をも超える力です。
例えるならば、人なら誰しもが心にふと闇がよぎる事があります。
ですが大抵の人はその小さな闇を抑える理性を持ちますし、
すぐさま呪詛を放つような人は居ません。
ですが菖蒲様の場合、
そのふとした闇すらも強大な力が願いとして精霊に届けてしまいます。
更に性質が悪い……という言い方は良くないかもしれませんが、
その強大すぎる力は前代未聞と言えるほどで、
周囲の人の願いすらも菖蒲様の願いとして精霊様に届けてしまう程なのです。
そう……朝顔さん。
貴女の呪詛を菖蒲様が受け取って放ってしまったんです」
御簾の向う側に居る菖蒲様から朝顔さんに視線を移した私は、彼女の顔をしっかりと見上げてそう言ったのでした。
<浦さん、どうなってるの?!>
<あの菖蒲という女性が呪詛を放っている事に間違いはありません。
ただ、間近で見て気付きましたが、彼女は少々特殊な体質のようです>
<もっと簡潔に!
今はゆっくりと説明聞いている時間は無いから!!>
緊迫した事態に背中を冷たい汗が流れていきます。金さんや浦さんが精霊力に関する事で間違うはずが無いので、菖蒲様が呪詛犯である事は間違いありません。ですが、どうも何か特殊な事情があるようです。それをどうやって伝えるべきか、何よりこの懐剣を退けてもらうにはどうすれば良いのか、必死に頭をフル回転させます。そんな私を見かねたのか、御簾の向うから菖蒲様が
「お止めなさい、朝顔。
幼子に無体な仕打ちをしてはなりません」
と止めてくれますが、懐剣の先端は1ミリも動くことはなく。むしろ柄を握る手にグッと力が入ったように見えます。
「この子供は姫様にありえぬ無礼を働いたのです。
例え子供といえど、許せる事と許せぬ事が御座います!」
朝顔さんの怒りに同意するように、昼顔さんや夕顔さんも視線で私を切り裂いてしまいそうな程に鋭く睨みつけてきます。この三人の女性は姉妹らしく、ここに来る前に牡丹様から
「武術を嗜み随身として菖蒲様に仕える朝顔と、
知識豊富で傍仕えとして菖蒲様を助ける夕顔。
そして調整力に優れた昼顔という女房が必ず傍に控えておるはずじゃ。
菖蒲様は穏やかで話しの通じる方なのじゃが、
この3人……特に朝顔は思い込みが激しいのが難点でな。
菖蒲様が大事ゆえの事なのじゃが、話が通じない事が多々ある」
と教えてもらっていました。牡丹様の評価通りの三人の言動に、ふと昔の山吹を思い出してしまいます。徐々に変わっていきましたが、それでも山吹は相変わらず母上や叔父上に仕える随身としての言動が抜けきれません。随身という仕事の性質上、「主が一番」という気質になるのは当然なのかもしれませんが、何事も限度というものがあると思うんですよね。
「牡丹様、この不始末。如何様に付けるおつもりですか?」
夕顔さんが絶対零度の声で牡丹様がいる几帳へと視線を移しました。このままでは色々と手を貸してくれた牡丹様に迷惑がかかってしまいます。反射的に「牡丹様は何も悪くありません」と声を上げようとしたのですが、ほんの僅かな動きを察した朝顔さんが
「動くでない!!」
と制止すると同時にグッと懐剣が喉へと当てられました。切り裂くつもりの行動ではなく、脅しとして少しだけ……そうチクッとする程度のつもりだったのだと思います。ですがそうはなりませんでした。
「「なっっ!!!」」
その場にいた私以外の全ての人が、驚きの余り息を飲むのが解りました。私の前にあった湯呑からすっかり冷えてしまった白湯が飛び上がったかと思うと、朝顔さんの懐剣の刃をすっぽりと覆ってしまったのです。
目を真ん丸にして驚いた朝顔さんは慌てて私の首から懐剣を離すと、血振るいをするかのように懐剣を振って白湯を取り除こうとしますが、不思議な事に白湯は刃を覆ったまま一滴も零れ落ちません。こんな事ができるのはこの場には浦さんしかいません。繊細な精霊力の操作が得意な浦さんらしく、【流水】で湯呑に入っていた白湯を動かして刃を包み、私を守ってくれたようです。
「これはいったい……。何をした!!!」
この世界、精霊や妖は居るのに魔法はありません。なのでこんな摩訶不思議な現象に慣れているのは三太郎さんたちと一緒に住んでいる私達ぐらいで、大半の人は朝顔さんのように慌てふためいたり、昼顔さんや夕顔さんのように絶句してしまいます。
「私は訳あって水の精霊様の加護を頂いております」
牡丹様や菖蒲様の手前、流石に精霊様と呼んで言葉にも気をつけます。山では三太郎さんが「櫻は構わない」と言ってくれて、母上たちも「精霊様がそう仰られるのなら……」と大目に見てくれていますが、母上たちの普段の言動を見るに精霊にフレンドリーに接するなんてありえないって事ぐらいは解ります。
「ヒノモトの子が、これ程までに強い水の精霊の加護を……?」
信じられないといった表情で朝顔・昼顔・夕顔三姉妹が私を見てきます。ちなみにヒノモト生まれだからといって、全員が火の精霊の守護を持つ訳ではありません。あくまでも火の精霊の守護を受けやすいというだけですし、一時的な加護に至っては万人が受ける事ができるので国籍は関係ありません。
なので三姉妹の驚きのポイントは水の加護の強さ、これに尽きます。
「神降ろしをした直後でなければ、名と顔の確認が出来たものを……」
小声で口惜しそうに呟く夕顔さんの言葉は聞こえなかった事にしました。この世界において神楽を踊るという事は神をその身に下ろすという事らしいのですが、その為に舞う日の前後1旬間は精進潔斎することになります。特に十三詣りを終えていない子供は守護精霊が確定していないために、名前も顔も隠して神事に挑むのだそうです。そうしないと妖に目を付けらてしまうと信じられているからで、おかげで私は顔出しNG、名乗りNGで通せたのですごく助かりました。唯一欠点があるとすれば、精進潔斎なので飲食全てにタブーが存在する事です。肉魚は食べられませんし、香りの強い野菜もアウトです。後はお茶も飲めません。そんな訳で私の湯呑には白湯が入っていたのです。
三姉妹が自分の主をとても誇りに思っている事は言動からも解りますが、その主よりも強い(ように見える)加護を持つ私に納得がいかないようで、更に何か問い詰めようとしてきます。ですが、今は少しでも早く呪詛の大元を断ちたいのです。
<櫻、今から私が言う事をそのまま伝えてください>
なので浦さんからの指示通り、しっかりと顔を上げて菖蒲様の方へと今一度姿勢を正し、三姉妹よりも話が通じると牡丹様が称した菖蒲様に向かって話しかけます。
「菖蒲様、狗ヶ汰血の宣言を変えてください。
“私を守護する精霊様は、私の願いを聞いて呪詛を行っていない”……と」
「お前はまだ姫様を侮辱するのか!!」
カッとなった朝顔さんが、怒りのままに腕を振り上げます。
「朝顔! 控えなさい!!
……解りました。そう宣言すれば良いのですね??
ですが夜も遅いですし、これを最後にしますよ。良いですね?
では……わたくしを守護する精霊様は、
わたくしの願いを聞いて呪詛を行っておられません」
ピシャリと朝顔さんを窘めた菖蒲様は、一度大きく深呼吸をしてから私が頼んだ通りの宣言をしてくれました。
すると菖蒲様が持っていた狗ヶ汰血がどんどんと真っ赤に染まっていきます。その変化に誰よりも菖蒲様が驚いたようで、絶句して自分の掌の上にある玉を見詰めています。
「そ……そんな、そんなはずは……」
震える唇で何とか言葉を口にする菖蒲様ですが、後が続きません。菖蒲様に仕える三姉妹も言葉が無いようで、呆然として菖蒲様の掌の上の玉を見ていましたが、夕顔さんがハッと気付いたような表情の後、
「ですが先程、姫様が呪詛を行っていないと仰られた時、
狗ヶ汰血は清い水のままで御座いました! これは何かの間違い……
いいえ女童! そなたが何か細工を致したのでしょう!!!」
とんでもない濡れ衣をかけてきました。
「そんな細工をする隙が何時あったというのですか」
出来るだけ冷静に返しますが、彼女たちにとって菖蒲様に不利な発言をする私は敵でしかありません。
その時、それまで一言も発さずに静観していた牡丹様がようやく口を開きました。
「女童。何故そうなったのか、妾にも解るように説明できるか?」
「はい、出来ます」
そう即答します。正確には浦さんの説明をそのまま言うだけなんですが……。
「菖蒲様は呪詛を行っていないという事も、
菖蒲様の守護精霊様が菖蒲様の願いを受けて呪詛を行った事も、
どちらも正しいのです」
とりあえず三姉妹にも座ってもらって、ついでに白湯を入れ直してもらって説明を開始しました。不承不承という感じでしたが、菖蒲様に命じられては三姉妹も従うしかなく、今は大人しく……それでもいつでも私に飛び掛かれる位置と、菖蒲様を守れる位置に座っています。
「どちらも正しい? 明らかに矛盾していますが?」
夕顔さんからツッコミが入りますが、今からそれの説明をするので大人しく聞いていてほしい……。
「それが矛盾しないのです。菖蒲様が特殊な体質をお持ちな所為で。
まず、皆さまは精霊力や霊力というものを勘違いされています。
皆さまの認識では自分の中に水の入った器があり、
その水が霊力で、器の大きさが霊格の高さだと思われているようですが、
実際は全く違います」
「違うのですか?」
「なんと……」
御簾の向うの菖蒲様が驚いたように声をあげ、几帳の陰にいる牡丹様も小さく呟きます。
「人は精霊力や霊力を持ちません。これはあくまでも神様や精霊様が持つ力です。
その代わり人は二つの力を持っています。一つは精霊様に願いを届ける力。
もう一つは願いを聞いた精霊様が届けてくださった力を受け取る為の力」
送信アンテナや受信アンテナという単語が使えないので、何とか解ってもらえるように言葉を変えてみます。こんな時、心話が人間同士でも使えれば良いのにと思ってしまいます。
「通常、この二つの力はほぼ同じぐらいの力になります。
例えば朝顔さんでしたら、届ける力が4で受け取る力は3ぐらいですし、
夕顔さんは届ける力が3で受け取る力が4。
昼顔さんは両方とも4ぐらいですね」
数値はあくまでも解りやすくする為のもので、絶対的なものではありません。全て菖蒲様の異常さを解ってもらう為です。
「それに対し、菖蒲様は届ける力が10で、受け取る力が1です」
金さんや浦さん曰く、こんなに発信アンテナが強大な人は極めて稀なんだそうです。天女である母上が6~7ぐらいで、私が8~9ぐらいらしいので、菖蒲様は発信力だけなら天女すら超えてしまっています。
ただ母上や私は受信アンテナも同様の数値を示すのに対し、菖蒲様は殆ど受け取ることが不可能というレベルの低さなんだそうです。当の菖蒲様は自分の霊力が1と言われた事がショックだったのか、ぽとりと扇子を落とされてしまいました。その様子に
「ひ、姫様の霊力が1の訳が無かろう!!!」
「まずは最後まで話しを聞いてください」
怒りの余り立ち上がろうとする朝顔さんを制して、私は更に言葉を続けます。
「菖蒲様の届ける力の10は天女をも超える力です。
例えるならば、人なら誰しもが心にふと闇がよぎる事があります。
ですが大抵の人はその小さな闇を抑える理性を持ちますし、
すぐさま呪詛を放つような人は居ません。
ですが菖蒲様の場合、
そのふとした闇すらも強大な力が願いとして精霊に届けてしまいます。
更に性質が悪い……という言い方は良くないかもしれませんが、
その強大すぎる力は前代未聞と言えるほどで、
周囲の人の願いすらも菖蒲様の願いとして精霊様に届けてしまう程なのです。
そう……朝顔さん。
貴女の呪詛を菖蒲様が受け取って放ってしまったんです」
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