未来樹 -Mirage-

詠月初香

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2章

11歳 -水の陽月12-

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静まり返った室内に居た全員の視線が朝顔さんに集まりました。

「なっ!!」

当の朝顔さんは余りにも驚きすぎたのか、それ以上は言葉にならないようで固まってしまっています。一拍後、怒りで歪んだ顔が一気に赤く染まっていったかと思うと、額に青筋を浮かべながら唐突に私の胸倉を掴んできました。そして11歳にしては小さいと言われる私の身体が浮き上がる程に締め上げてきます。

「私は誰も呪ってなどいない!!
 ましてや姫様にその罪を擦り付けるような事などする訳がない!!!」

<櫻!>

あまりに苦しくて呻き声を出すどころか呼吸すら出来ない私の内側から焦る金さんの声が聞こえ、同時に周囲に浦さんの力が満ちるのが解ります。私はといえばパニック寸前で、吸えない空気を一生懸命吸おうと必死です。そんな私の耳に

「きゃぁ!!!」

という朝顔さんの悲鳴が聞こえ、途端に肺に一気に空気が流れ込んできました。

「ゲホッ! ゴホッ!!」

急激に流れ込んだ空気に咳き込み、生理的な涙が目に浮かびます。何が起こったのかと辺りを見れば、何故か朝顔さんの着物がびしょびしょに濡れていて、しかもその箇所から湯気まで立っています。ハッ!として入れ直してもらったものの結局手つかずのままだった湯呑を見れば中は空っぽで、中に入っていた熱くは無いけれど決して温くも無いお湯が、浦さんの【流水】で朝顔さんにぶちまけられた事を察しました。

思うところはありますが、これは流石にマズいです。ミズホ国の流れをくむ蒼宮家に仕えている人たちは着ている服もミズホ国風で、女性は平安時代の十二単のように着物を何枚も重ねて着ています。ですが朝顔さんは護衛の為に動きやすさを重視しているのか妹二人に比べて着物を重ねて着ておらず、このままでは火傷は必至です。

「朝顔さん、早くうちきを脱いで!」

そう言いつつも腕を伸ばして朝顔さんの着物を脱がしにかかります。が、着物のあまりの熱さに思わず手を引っ込めてしまい、濡れていない所を掴み直しました。

<浦さんのおかげで助かったけど、火傷させちゃうのは良くないよ。
 いや……確かに、いい加減話し合いに武力行使を持ち込まないで欲しいとは
 思っていたけれどさ>

<この女房は話しが通じなさすぎます。
 しかも此方が対話で解決を望んでいるのにも拘らず、
 懐剣を突きつけてきたり、胸倉を掴んできたり……目に余る所業です!>

珍しいことに浦さんが激怒しているようです。相性の良くない桃さんを相手にチクリチクリと嫌味を言う事はありますが、こういった感じで怒る事は滅多にありません。

<ほんと、ソレね!
 ……って言いたいところだけど、彼女には彼女の価値観がある訳で……>

朝顔さんの価値観が「自分が暴言と判断した言葉には、力で対処してもOK」っていうモノだったとしても、私達には否定できません。……まぁ友達にはなりたくない価値観の持ち主として、接触を極力避けてはしまいますが。

所変われば品変わるという言葉があるように、前世の風俗や習慣や価値観が此方の世界でも通用しているか?と問われれば、通用するモノもあれば通用しないモノもあったと答えるでしょう。前世どころか此方の世界の中であっても、国や地方によって変わってくるのですから普遍的な価値観なんてものはありえません。

だからこそ言葉を尽くして話し合うべきだと私は思う訳ですが、そうじゃない人を否定する事はできません。

<それに価値観が合わない、話しが通じないから力で黙らせてしまったら、
 彼女と同じ事をしてる事にならない? だからやっぱり駄目だよ>

そんな心話を送りつつも、こっそりと心話にならないように気をつけながら、

(火傷のしようがない冷たい水だったなら、グッジョブ!って
 言っていたかもしれないなぁ……)

なんてチラリと思ってしまいましたが。

<はぁ、仕方がありませんね>

そう浦さんが言うと同時に、脱がす為に触っていた朝顔さんの袿から一気に熱が消えていきました。火傷をしないように【冷却】でお湯の温度を下げてくれたようです。ちなみに、ついでに【吸水】で袿を乾かしてほしいというお願いは却下されました。




「はぁ…………」

子供らしからぬ深い溜息を思わずついてしまった私に

「わたくしの随身が失礼をしましたね。許してください」

と菖蒲様が御簾の向う側でゆっくりと頭を下げられたのが解ります。

「いえ、私の言葉の選び方にも問題があるのだという事は解っています。
 でも本当に申し訳ないとは思うのですが、
 私は沢山の言葉の中から適切な言葉を選べるほど大人ではありません。
 一番最初に言ったように、そこはご容赦ください」

一応、部屋に入った直後の挨拶の時に「まだ子供だから東宮妃の方々に失礼のないような敬語は使えないけれど許してね」的な保険はかけていたのですが、怒りの余りその辺りの念押しは朝顔さんの頭の中から消えてしまっていたみたいです。

「それに私の言葉の大半は、
 あの日以降、聞こえてくる精霊様の言葉をそのまま伝えている事も多いので、
 東宮妃様やその傍仕えの方々には不快に感じられるかもしれません」

あの日以降……と言葉を曖昧にしましたが、こうしておけば菖蒲様や朝顔・昼顔・夕顔の三姉妹は神楽を踊った日以降って思ってくれるでしょうし、母上の守護精霊の力を一時的に借りていると思っている牡丹様も、神楽で精霊様を身に宿した事で声まで聞こえるようになったのだと思ってくれるはずです。

私は嘘は言っていませんよ。私の中で“あの日”というのは転生した日を指しているだけで、浦さんたちの声は間違いなく聞こえていますから。

「精霊様の声が……」

驚いたように目を見開く昼顔さんに対し、朝顔さんは私を睨みつけるだけで何も言いません。先程の事で菖蒲様に厳重注意され、今すぐ退室するか大人しく座っているかの二択を迫られ、後者を選んだ為に睨みつける事しか出来ないのです。

「もう一度、改めて精霊様の言葉を説明しますが……。
 これは菖蒲様が悪いとか、朝顔さんが悪いとかそう言う話しではありません。
 菖蒲様の体質が問題なのです。 例えばですが、朝顔さん。
 誰かを「菖蒲様の為に居なくなってほしい」と思った事ありませんか?」

仏頂面の朝顔さんに出来るだけ丁寧に話しかけます。
朝顔さんに退室してもらって、菖蒲様と牡丹様と3人で話すのが一番話しが早いのにと思ってしまうのですが、2人の身分では絶対に無理な事も理解しています。

「今回の呪詛の傾向だと狙いは子供ではないか?
 本当に覚えはないか?……と、精霊様が」

そう私が言った途端に、朝顔さんの表情に初めて怒り以外の感情が浮かび上がりました。ほんの一瞬ですが戸惑うような表情を浮かべたのです。

「水の陽月になって呪詛が発動したという事は
 水の陽月に入った直後か、精霊様が積極的に動かれない無の月よりも前……。
 例えば土の月の間に心当たりはありませんか?」

私が話せば話すほど、朝顔さんの顔色が悪くなっていきます。それを見て真っ先に察したのは付き合いの長い妹の昼顔さんと夕顔さん、そして菖蒲様でした。

「朝顔、まさか……」
「姉さま、本当の事を言ってください!」

朝顔さんはそれでも直ぐには何も話さず、暫く逡巡した後にいきなり菖蒲様に向かって額を床に付ける程に深く頭を下げました。

「心当たりは確かに御座います。
 ですが、まさかこのような事になるとは思いもしなかったのです」

「何時、何処で、誰を!!」

詰るように問い詰めるのは妹の昼顔さんで、夕顔さんは唇を噛んで何かを堪えるような表情です。

「あの日、ヤマト国で神事からの帰り道。
 姫様が外を御覧になっていた時、途中で急に表情を変えられました。
 その様子に私も外を確認致しましたら、そこには……あの子供が……
 碧宮家に産まれた、あの男児が居たのです。

 子供には何の罪もない事は重々わかっておりますし、
 特にの一家は被害者である事も承知しております。

 ですが、つい思ってしまったのです。
 あの子供さえ居なければ姫様がツライ思いをすることも無かったのにと」

ぎゅっと自分の膝の上で拳を握りしめた朝顔さんが、自分に非が無い事を切々と訴え続けます。

「二度と姫様の前に現れないでほしい、確かにそうは思いましたが
 決して……えぇ、決してこのような事態を望んだ訳ではありません。
 どうか、姫様どうか信じてくださいませ!」

そう言うと再び深く頭を下げてしまいました。




呪詛騒動の発端は、使節団の一員としてヤマト国に来ていた菖蒲様と随身として同行していた朝顔さんが、同じく十三詣りでヤマト国に来ていた兄上を偶然見かけた事でした。

菖蒲様も兄上を見かけた事を認め、その時は無事に生き延びていた事に安堵したのだと教えてくれました。ですが同時に不安も覚えたのだそうです。その不安とは、兄上が再び天都に戻ってきたら血を流すような騒乱が起きてしまうかもしれないというものでした。

そして同じ牛車にて移動していた朝顔さんも兄上を見つけていました。
東宮は3人の后を持つ事が律令で決められていますが、母上を東宮妃にしたいと帝が言いだした時にその事で揉めたのだそうです。簡単に言えば特例で4人の妃を持つ事ができるようにするか、それとも子供がまだ居ない蒼の妃を里下がりさせて、新たに母上を東宮妃とするかの二択でした。里下がりとはこの世界の華族や王族における離婚です。

朝顔さんからすれば机並べの儀からずっと東宮を支えてきた自分の主が、何の落ち度もないのに離婚して実家に帰れと言われたようなモノで、とても腹立たしい事でした。ですから碧宮家襲撃事件の時には心から同情し哀れみもしましたが、同時に心のどこかでホッと安堵もしたんだそうです。

ところが偶然にも東宮の血を引く唯一の男児が生きている事を知った朝顔さんは、その姿を見た時に「菖蒲様の為にも消えてほしい」と咄嗟に思ってしまったのだとか。

「ですが、ですが、天都に姿を現さないでほしいと思っただけで、
 死んでほしいだとか、ましてやこのような大勢の命を奪いたいなどとは
 欠片も思っておりません!!」

思わずそう思ってしまう事自体は仕方がないんじゃないかなと思います。人間誰しも聖人君子じゃいられません。私が家族を最優先するように、朝顔さんにとって最優先したい人がいて、その最優先したい人菖蒲様にとって不利益をもたらす兄上を排除したいと思ってしまうのは仕方が無い事でしょう。

だからといって兄上を殺そうと思った訳でも無いのです。そこはちゃんと朝顔さんだって理性が働いています。

問題は菖蒲様が傍に居た事……。
そして兄上の誕生日が来た事でした。

水の陽月9日、兄上の誕生日に東宮が菖蒲様の所に来ていたそうなのですが、その時に東宮がぽつりと

「あの子も生きていれば、今日で14歳になっていただろうに……」

と呟いたのだそうです。机並べの儀の頃から東宮が弱音を吐けるのは、菖蒲様か母上のところだけだったらしく……。その母上が居ない今、東宮が弱音を吐けるのは菖蒲様の所しかありません。東宮は寂しさから少しだけ心情を吐露したつもりだったようですが、それは傍に控えていた朝顔さんからすれば許せない一言でした。

朝顔さんは菖蒲様のすぐ傍で、つい思ってしまったのです。
「あの子供が二度と天都に近付けない程、遠くに行ってしまえば良いのに」と。

それを菖蒲様の発信アンテナは大増幅して精霊へと届けてしまいました。菖蒲様の規格外の発信アンテナは菖蒲様の心情は元より、直ぐ近くにいる菖蒲様を慕い思う心を持つ人の願いまで発信するというトンデモ性能のアンテナでした。

それがこんな事態を引き起こしたのです。その事を聞いた菖蒲様は、心底悲しそうな顔をしてから朝顔さんに向かって話しかけました。

「朝顔……。わたくしは今のままでも十分満たされておりますし、
 何でしたら里下がりで再びミズホ国の大社に仕える事になったとしても、
 そこで何かしらを見つけて満たされる事でしょう。
 
 確かに子さえ居ればと思った事はありましたが、
 こればかりはわたくしの努力だけではどうにもならぬこと……。
 仕方が無い事なのです」

「ですが、ですが口惜しくてならないのです。
 何一つ咎の無い姫様が何ゆえ!!と思えてならないのです」

「だとしても……。
 このような呪詛をアマツ大陸中に振りまいて良い理由にはなりません。
 朝顔、わたくしと一緒に罪を償いましょう?」

「姫様…………」

私の眼前で菖蒲様と朝顔さんが涙を流しながら話し合っていますが、私は私で自分の中に居る金さんや浦さんと大急ぎで心話を始めます。

<どうすれば良いの、コレ>

<当初の予定とは大きく変わってしまった事は確かだ>

当初の予定では誰かが碧宮家を呪っている事が前提になってしました。なので最善は話し合いで、最悪は物理で呪いを止める事を最終目標としていました。うん、やっぱり私に朝顔さんを責める資格はありませんね。

ところが蓋を開けてみれば、呪詛を放っていたと思われた人は放っておらず、直ぐ近くに居た人の心に呪詛とすら呼べないような……本当にちょっと負の感情がよぎっただけでした。

<あれ? でも菖蒲様から呪詛の波動が出ていたんだよね?>

<えぇ、今も出ていますよ。彼女が増幅装置となっているので、
 彼女から発した時点で既に呪詛になってしまっているんです>

<しかも送られてきた力を受け取る事が出来ぬゆえ、
 周囲に無差別に呪詛を振りまき続けておる傍迷惑極まりない状態だ>

<それ、どうすれば良いのよ……>

思わず途方に暮れてしまいます。急がないと母上や兄上、叔父上といった大切な人達の命が危ないというのに、有効な手段が私には何も思いつかないのです。そんな私に浦さんが力強く

<大丈夫、方法はあります。
 ですが今回は急を要する為に、少々手荒な方法にならざるを得ません。
 だからこそ当人が納得した上でその方法をとりたいのです。
 なので櫻、説得をしてもらえませんか?>

と言ってからその方法とやらを教えてくれました。ですがその方法というのが、私じゃ説得は無理じゃないかなぁと遠い目をしたくなるようなモノだったのです。
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