未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陰月1-

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夏の極日を過ぎたとはいえ火の精霊力がまだまだ強いこの時期の日中に、私はヒノモト国の中でも特に暑いとされている熱砂の海と呼ばれる砂漠に来ています。見渡す限り砂ばかりのこの地域は日光を遮るような物が何一つ無く、暑さには強いヒノモト国の人ですら滅多に近寄らない地域です。無の月ならばまだしもこの時期の熱砂の海は、猛暑や灼熱、炎天などといった暑さを表す言葉を幾つも重ねて表現したくなる程に暑く、自殺願望がある人しか行かないと言われる程の場所なのだそうです。

唯一の救いは海に近く、遮蔽物が無いおかげで風が常に吹いている事です。
そよ風ってほど弱くもなく、強風ってほど強くもない風が常に吹き続けていて、日陰さえ作ってしまえば少しは耐えられる環境になります。

もっと強く風が吹いてくれたら涼しくなって良いのになぁと思うのですが、そうなると今度は砂が舞い上がってしまうので難しいところです。ただ幸いなことにこの国の民族衣装は長袖長ズボンな事に加えて足首や手首をしっかりと締めるので、そんな砂から身体を守ってくれます。また顔に砂が当たるほど高く砂が巻き上げられる事は滅多にないそうなのですが、日除けも兼ねている頭巾やヴェールのおかげで頭や顔もカバーしてくれています。

衣装や男女ともに頭に布をつけることにもちゃんと意味があるようで、民族衣装や風習って長い年月受け継がれていくだけの理由があるんだなぁなんて事を思ってしまいます。




そんな場所に朝早くから日除けの天幕を張ってくれていた方々には、感謝しかありません。その天幕の下で女官が持つ巨大団扇うちわが作り出した風に髪飾りの布リボンを揺らしながら、

「あぁーあ、まさか兄上様だけじゃなく兄様あにさままで来れないなんて、
 せっかく難しい話はお二人に任せて私は櫻と話せると思ってたのに……」

と愚痴るのは皐月さつき姫殿下です。彼女が兄上様と呼ぶのは第一王子の梯梧でいご殿下で、兄様あにさまと呼ぶのは第二王子の緋桐ひぎり殿下です。もともと第一王子の梯梧殿下はスケジュール調整ができれば同行するという予定だったので、皐月姫殿下も仕方がないと諦めもついたのでしょうが、緋桐殿下は小火宴の終盤で発生したトラブルが原因で急に参加できなくなってしまいました。

ただ両殿下とも、この事業に無関心ではないという証として随身を一人ずつ派遣していて、梯梧殿下からは刺桐しとうさんという方が、緋桐殿下からはもはやこの10日強で顔馴染みとなった柘榴ざくろさんが来ています。更には多数の文官や女官の他に、皐月姫殿下を守るだけにしては多すぎる護衛の兵士も出してくれました。

まぁ、護衛が多くなった理由の一端は

「そう申すな、お役目を終えてからでも遅くはないであろう?」

と艶やかに微笑むこの方の所為でもあるんですが……。

牡丹ぼたん叔母様はそう仰るけれど……」

東宮妃牡丹様が同行すると知ったのは、今朝になってからの事でした。牡丹様がヒノモト国に来られていたのは町中を飾る横断幕などで知っていたのですが、火の極日が終わればそのまま天都あまつに戻られると思っていました。気軽に会いに行けるような相手ではないので、思いがけない再会は嬉しい反面、

(知り合いってバレて良いんだっけ?)

と頭の中がフル回転する羽目になりました。まぁ今日は叔父上たちが一緒なので、対外的な会話は全て任せてしまえます。そういう意味では気楽ではあるのですが、叔父上たちが完璧に対応している中、私がボロを出して台無しにするわけにはいかないという緊張感は残ります。

そんな私の戸惑いを的確に見抜いたのか牡丹様は

「おぉ、吉野家ではないか。久しいな。
 鬱金殿とはヤマト国で茴香ういきょう殿下や蒔蘿じら殿下に紹介されて以来か?」

とにこやかに話しかけてくれました。ちなみに直接叔父上に話しかけているのではなく、横にいるお付きの侍女が「……と東宮妃殿下は申されております」と付け加えて代弁する形でコミュニケーションが取られています。決して牡丹様の声が小さい訳ではありませんし、叔父上が遠くに居るという訳でもありません。ただこの世界のルール的に華族の成人女性、特に既婚女性は成人男性とは直接言葉を交わすべきではないとされているだけです。様々な便宜上、随身は例外なんだそうですが、女性はそうするべきだと天都でもアマツ三国でも思われているんだとか。前世の価値観が残っている私からすれば、面倒だなぁって思ってしまいます。

そんな牡丹様と緋桐殿下の間でどの程度情報共有がなされたのかは不明ですが、碧宮家に関する事には一切触れずに、私達をヤマト国王家に縁深い商人として扱ってくれるようです。

「それに櫻姫はあの祟り病の時にもうたな」

「まぁ、叔母様は櫻と逢った事がございますの?」

つい先刻、自分の友人だと嬉しそうに私を牡丹様に紹介した皐月姫殿下は、私が牡丹様と知り合いだったことに驚いて目を丸くしてしまいました。

ただ、ちょっと悔しそうなのは何でなの?

「あの祟り病と言われた熱病騒ぎの少し前に、
 ヤマト国でしか取れぬ薬草の大和当帰とうきを吉野家に頼んでおってな。
 家族が病に倒れて寝込む中、少しでも早くわらわに届けねばと
 単身で天都にまでやってきたのが、当時まだ幼かった櫻姫だったのだ。
 あの時はそなたに本当に助けられた、今でも感謝しておるぞ」

「恐れ多い事でございます」

そう言いながら、うやうやしく頭を下げつつも、

(ふむふむ、5年前に天都で会った事も公開OKっと)

なんて事を考えます。まぁ確かに緋桐殿下と5年前に天都で会った理由として、牡丹様経由というのはとても自然です。

いや、自然というか事実なんですが。

ただその理由を牡丹様は、自分が頼んだ薬草を届ける為だったと捏造してくれました。

それがしも良く覚えております。
 勅命によって内裏へ移動する我らの後を小さな女童めのわらわが追いかけて来た事を。
 何事かと思えば薬草を届けに来たと言うではありませぬか。
 あの状況下で疲労困憊になりながらも薬草を届けに来た幼子に、
 思わず抱き上げて姫様の車まで運んだものです」

牡丹様の斜め後ろで頷きながら話すのは、これまた懐かしい海棠かいどうさんです。海棠さんは確か母上よりも5つ年上なので現在は43歳のはずですが、40歳を超えているようには見えない体つきです。どうやら今でも随身として牡丹様の仕えているらしく、腰には武器を下げています。

それにしても、大人はどうして昔話を楽しそうにするのか謎です。

第三者のいる場所で内密に情報を確認しあう為には仕方がないという事は解るのですが、自分の過去を話されるのは何だか居心地が悪いというか、恥ずかしいというか……。まったくのデタラメなら「そういうもの」と割り切れるのですが、大部分が事実なので恥ずかしく、早く終わって欲しいと願ってしまいます。

そんな願いが届いたか、

「おまたせ致しました。準備が整いました」

という山吹の声が聞こえました。その声に天幕の下にいた人たちの意識は全て山吹の方へと向かいます。予定では山吹が実験の進行と指示を出し、叔父上が天幕に居る人達に説明する係となっています。そして兄上の役目は山吹の補佐で、私は叔父上の補佐です。前世知識で作ったアイテムなのでこの配置は必然なのですが、それでも炎天下で作業をしなくてはならない山吹や兄上には申し訳ない気持ちになってしまいます。

今回、ヒノモト国に持ち込んだのは私個人のソーラークッカーは、特別巨大サイズという事もありませんし構造が複雑ということもありません。それに数も2つしかないので、山吹と兄上が出した的確な指示のもとヒノモト国兵の人がテキパキと動いて、あっという間に設置をし終えてくれました。さすがのパワフルさです。

実は私個人の物と言っておきながら、私一人では持てない重さなんですよね。金属製なうえに、家族全員で使うことを想定した大きさの為、私には持てなくなってしまいました。本末転倒ってこういう事をいうのかもしれません……。




ソーラークッカーの実験を開始してから体感30分程で水が触れられない程の熱さになり、そのお湯を兵士の方が牡丹様の皐月姫殿下の元にまで持ってこられたので全員でチェックすることになりました。元が海水なのでこのお湯でお茶でもという訳にはいきませんが、お茶にできそうなぐらいの温度になっています。

「これは驚いた……。本当に火を使わず湯になったぞ」

牡丹様が湯気の上がるお湯の上に手をかざし、その熱を確かめながらも信じられないとばかりに目を丸くします。

そして投入した海水は当然の事ながら少し減っていました。水は100度で沸騰しますが、蒸発は100度にならずとも起こります。なので海水を入れた容器を放置しておけば少しずつ水が減って塩が残るとは思いますが、それでは時間がかかりすぎます。そこで日光を集めて加熱して蒸発を促す訳ですが、この世界では光と熱が密接な関係にあるという事を理解出来る人は居ません。

なので

「これは……火の神の御業みわざか?!」

と兵士の方々がざわめきます。今になって思えばあやかしの技だとか、妖術使いだとか言われて迫害される可能性もあった訳で、もう少し慎重になるべきだったかもしれません。


「塩を作る為には更に水分を飛ばしていく必要が御座いますが、
 時間をかける事で可能となっております。
 またその時間も、今回使用した簡易的な風除けではなく
 よりしっかりとした風除けを設置すれば短縮可能に御座います」

と叔父上が説明している横で、私はサングラスの必要性をしみじみと感じていました。ヴェールがあるので軽減されているとは思うのですが、それでも明るすぎる日差しが目に痛いですし、ソーラークッカーで光が収束している辺りなんて出来れば視界に入れたくないぐらいです。

心話で自分の中にいる金さんに「帰り次第、作って欲しいものがある」って伝えたくなるのをグッと堪えて、とりあえずは脳内スケジュール帳にメモるだけにとどめました。流石にここで金さんに心話を飛ばすのは危険すぎだしね。

危険といえばソーラークッカーの危険性も伝えておかないとなぁ。
どこまで本当かは解りませんが、古代ギリシャでは鏡で日光を集めて敵の軍船を燃やしたなんて話が残っていますし、注意するに越したことはありません。それでなくても強すぎる光は目を痛めてしまいますし、炎のように目に見える熱源があるわけじゃないからうっかり火傷をしてしまう可能性は十分にあります。後で叔父上経由で、念のために今一度注意事項を伝えておこうと思います。




その後、加熱を続けていたもう一つのソーラークッカーで塩を作り上げました。さすがにかまどで火を使って煮詰めた時のような時間では作り上げられませんでしたが、灼熱の国ヒノモトだけあって思っていたよりは早く出来上がりました。

その塩は牡丹様や皐月姫殿下、更には随身の方々にも味を見てもらい、

ヒノモト我が国の海の塩とは到底思えぬ……。
 ミズホ国の塩に及ばぬのは口惜しいが、それでもこの味ならば……」

と褒めてもらう事ができました。ついでにその塩で魚を焼いて、料理としての塩の味も体感してもらう事にしました。ちなみにその魚は待ち時間の間に兵士の方数人に頼んで、海で取ってきてもらったものです。

もちろんソーラークッカーで焼き上げるのですが、ジュージューという音を上げながら香ばしい匂を辺りに漂わせ始めた結果、やんごとない地位におられる女性陣2人の胃袋を刺激しまくったようで、味見用の一口サイズでは満足できないとクレームが入るほどに気に入っていただけました。



そんな様子を傍から見ていて、なんだか肩の荷が下りた気持ちになりました。
私達家族の基本的、かつ最終的な決断は叔父上がしてくれています。もちろん私達にも相談してから決めてくれますが、それでも最終的な決定は叔父上がしています。叔父上はそれを自分の責務だと思っているようで、自分一人で全てを背負い込もうとしているんじゃないかと感じるほどです。

今回の交渉も叔父上が決めた方針に従ったものですが、同時に私の知識+三太郎さんの力で作られた幾つかの品が要となっています。なので自分で思っていたよりも責任を感じていて、緊張していたようです。

後は叔父上がヤマト国の茴香殿下や蒔蘿殿下にソーラークッカーを発注し、ヒノモト国で吉野家が商売を進める足がかりとするだけです。なので16歳の私がする仕事はもうありません。なにせ19歳の兄上ですら見習いとして後ろをついて回る事も許されないような仕事です。吉野家という中継地点を挟んではいるものの国と国の交渉ですし、国益が絡む事なので……。

そういう意味では私と同い年の皐月姫殿下も交渉の最前線には立てないようで、刺桐さんと柘榴さんが交渉の窓口として叔父上と話しています。そんな随身の二人の背後では老齢一歩手前といった感じの文官さんたちが、記録を取りつつも疑問点などを矢継ぎ早に質問していて、これはまだまだ長引きそうな気配がします。

なにはともあれ、コレで私の役目はひとまず終了です。

「はぁ…………」

本当に小さく、誰にも聞かれないように深く息をはきました。でもそれを耳聡く聞きつけたのは皐月姫殿下でした。

「なーに、兄様あにさまに会えなくて寂しいの?」

なんて揶揄いつつも、どこか嬉しそうに訪ねてきます。

「え、……そ、そうね」

流石に「違うよ」とは言えないので言葉を濁しますが、改めて考えてみるとヒノモト国に来てからというもの、緋桐殿下に会えなかった日の方が珍しいので、たしかに少し寂しいかもしれません。それに後数日すれば、年単位どころかずっと会えない可能性もありますし。

「櫻、恐れ多くも皐月姫殿下に対しその言葉遣いは……」

私達の会話が聞こえたのか、兄上が少し戸惑ったように声をかけてきました。兄上のその気持ち、私も良くわかりますよ。それに姫殿下の随身やおつきの女官たちの視線も痛いですし、私だってもう少し敬語を使うべきだと思っています。

でも

「構わぬ。私が櫻に対等な言動をしてほしいと願ったのだ。
 むろん公的な言動が必要な場では私が許したくとも許されんだろうが、
 今はただの友人として過ごして良い時間であろう?」

とニコニコと笑顔ではしゃぐ皐月姫殿下に、おつきの人含めて誰一人として否とは言えず……。私としても多重敬語は面倒だったので、「まっ、良いかぁ」と思ってしまって今に至ります。

案の定兄上も

「姫殿下がそうおっしゃってくださるのならば……」

なんて言いながら引き下がってしまいました。これが権力をかさにきて圧をかけてきているのなら反発心も起きたのでしょうが、友達となかよしーうれしーって感じではしゃぐ姫殿下相手では誰も何も言えません。




その時、姫殿下のお付きの一人が持っていた大きな団扇がバキッという炸裂音をさせたかと思ったら、扇部から何かが姫殿下に向かって飛んでいきました。

「あぶない!!」

思わずそう叫んで姫殿下を守ろうと腕を伸ばした私よりも先に、皐月姫殿下は顔の下半分を隠していた扇をスッと構えて飛来物に対して迎撃の姿勢をとりました。

ただそんな姫殿下や姫殿下の護衛より、誰よりも速く動いたのが兄上でした。

素早く飛来物と姫殿下の間に入り込むと、手に持っていた布を素早く振るって飛来物を全て叩き落してしまいました。その早業には私を含めた全員が目を瞠ってしまいます。

「皐月姫殿下、お怪我はございませんか?」

背に庇っていた姫殿下にそう言いながら振り向いた兄上に、皐月姫殿下はじっと兄上を見上げたまま何も答えません。どこか痛めたのかな?と不安になって近づいたら、みるみるうちに皐月姫殿下の顔が赤く染まっていきました。

「だ、大丈夫ぅ!」

そうは言うものの声は上ずっていて、最後なんて声がひっくり返ってしまっています。突然のことに驚いてしまったんだろうと思っていたのですが、顔を赤く染めた姫殿下の視線が兄上から外れません。

……これは、もしかして……
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