未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -水の陰月2-

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兄上の顔をじっと見上げたまま動かない皐月さつき姫殿下に、兄上は不思議そうに首を傾げています。そんな姫殿下の心中が気になってずっと見ていたい気がしますが、背後で起きた騒動に一気に意識はそちらへと移りました。

「きゃぁ!! も、申し訳ございません。
 平に! 平にご容赦を!!」

熱砂の海の名に相応しい高温の砂に顔を押し付けるようにして取り押さえられているのは、先程まで姫殿下に向かって大きな団扇うちわで風を送り続けていた女官でした。その女官の腕を背後にねじりあげて取り押さえている護衛官は

「静かにしろ!」

なんて言っています。その強硬な言動は女性に対するものではなく、犯罪者に対するソレです。

「皐月姫殿下、護衛官たちを止めてください。
 あのままではあの女官は深刻な火傷を負ってしまいます!」

日本の砂丘ですら、夏には砂の温度が60度に達する事があるといいます。そして今は火の精霊力が特に強くなると言われている火の月のヒノモト国、ましてやヒノモト国の中でも特に暑いとされている熱砂の海の砂なんて触れるだけで大火傷は必至です。

「え、えぇ、そうね。止めなさい!」

姫殿下の声に護衛たちは女官を強引に跪かせようとするのを止めましたが、それでも腕を離すことはありません。悪意があったのかどうかは置いておいて、少なくとも王族に危害が加えられたという事実は変わりようがなく。身分社会であり無礼討ちすら許されるこの世界では、皐月姫殿下の処断によってはこのまま死罪すらありえます。

ちなみに無礼があったことを証明できなければ、更に上位の身分から逆に処断されてしまう事もあるので、誰でも彼でも何時でも何処でも無礼討ちができるという訳ではありません。

とりあえず姫殿下が護衛官を止めてくれている間に、私は気になっていたモノを探します。いったい何が飛んできたのか……。

(石のようなサイズと形だったように思うけど……)

絶対だとは言い切れませんが、少なくとも短刀のような細長い形ではありませんでした。だとしたら……。周辺を砂の熱に顔が焼けそうだと思いながらも探し続ければ、おそらくコレだと思えるモノを見つけました。

「兄上、先程の布を見せてください」

そう兄上に言いに行けば、何の躊躇いもなく私に布を渡してくれました。何に使ったとか言わなくてもスッと目的の布を渡してくれるあたり、兄上との付き合いも長いなぁなんて思ってしまいます。

そういえばコレは何の布なんだろう?と広げてみると、姫殿下に渡すために持ってきていた艶布で作られた大きめの手ぬぐいサンプル生地でした。大人たちは難しい顔をして説明や交渉を続けていますが、それに加われない私達は完全に休憩時間となっていました。なのでその時間を使って、姫殿下にサンプルを渡そうとしていたようです。

その布にキラリと小さく光る何かが付着しています。それを確認してから、念押しで女官が使っていた大団扇を見に行きました。この世界では紙がとても貴重なので、団扇も紙ではなく布を張って作ってあります。

(あぁ……やっぱり)

自分の予想通りだった事に、ホッと胸をなでおろしました。

「姫殿下、こちらを御覧ください」

そう言って、取り押さえられた際に放り出されたと思われる大団扇を手に皐月姫殿下の元へと戻ります。

「大団扇がどうか致し……って、コレは……?」

元々白い布だったので気づきませんでしたが、白い布にびっしりと塩と思われる結晶が付着していました。

「塩に御座います。
 思い返してみれば、その女官様は姫殿下に少しでも涼んでもらおうと、
 しきりに大団扇に海水をかけては、濡れた大団扇で風を送っておられました。
 その海水が乾いて塩となり、意図せず姫殿下に向かって飛んでいって
 しまったのではないでしょうか??
 酷暑の中、姫殿下のために一生懸命にお仕事をされていた方なのですから、
 悪い方ではないと私は思いますが……」

水うちわと呼ばれるモノが前世にはありました。水の気化熱を利用したもので、元祖冷風扇といえるかもしれない物です。それと同じことを女官さんはしようとしたのでしょう。

ただ、この国では真水は貴重です。だから飲用として持ってきている真水を、団扇を濡らす為には使うことはできません。そこで女官さんは、塩作りで使用した海水の一部を貰って団扇を濡らした結果、扇部の表面で海水が蒸発して塩が結晶化。それでも更に濡らす+乾かすを続け、厚くなった塩の層が剥がれて礫となって姫殿下に飛んでいった……と。

「そうなのです!
 最近知り合った者からこうする事でより涼んでもらえると教えられ……。
 まずは自分で試したところ確かに効果があったものですから、
 是非とも姫殿下にも涼んでいただこうと思っただけに御座います。
 欠片たりとも姫殿下に危害を加える気はございませんでした!」

そう自分の無実を叫ぶ女官さん。確かに塩の塊では怪我は難しいかなぁ。岩塩みたいに固形化していたら別だろうけど、扇いだあおいだ拍子に結晶化した塩が剥がれ落ちて塊で飛んでいったぐらいでは大怪我には繋がらないと思います。現に布に当たっただけで、砕けてしまったぐらいですし。

もちろん当たりどころが悪かったり、目に入ったりしたら大変な事にはなります。ですが姫殿下も武術を嗜まれている人なので、扇で撃ち落とす気満々でしたし大事には至らなかったと思います。




如何いかがしたのだ??」

そう声をかけてきたのは東宮妃牡丹ぼたん様でした。その後ろには海棠さんや叔父上たちの顔も見えます。

少し離れたところで仕事の話をしていた大人組もこちらの騒動に気づいたようで、何事だと口々に言いながら全員がこちらに合流しました。ただ交渉や説明はまだ終わっていないようで、後ろにいるお爺さん一歩手前の文官さんは何かを言いたそうにしています。ですが東宮妃や第一王子・第二王子の代理として参加している随身の刺桐しとうさんと柘榴ざくろさんが決めたことに口を挟める訳がなく、大人しく後ろを着いてきています。

「実は……」

説明しなければならない相手が東宮妃なので、事情を知っている人の中で一番高位の皐月姫殿下が説明しました。その説明を聞いた刺桐さんと柘榴さんが女官さんに、故意ではなかったとしても王族に危害を加えた罰として火の陰月のお給料の減額と、暫くの間は姫殿下付きの女官から外される処分が言い渡しました。

また続いて護衛官に対しも「護衛対象を危険に晒した」と叱責し、女官さんと同様に給料の減額を言い渡しました。更には兄上に遅れを取った事が問題だとして、特別訓練を受けるようにと命じています。

無罪放免とはいかないだろうなぁとは思っていたけれど、思っていたより厳しい処断です。それをこっそり兄上に

「罰が厳しすぎない?」

と小さな声で尋ねれば

「いや、かなり寛大な処断だと思うよ。
 火の陰月の間だけの減給なんて一番軽い処分だし、
 女官にしろ護衛官にしろ再教育後に復帰できるんだから」

そう小さな声で返されました。姫殿下に怪我が無かったんだから、それで良いじゃないでは済まないのが彼らの仕事なんだそうです。そして万が一にも姫殿下が怪我を負ってしまっていたら文字通り首が飛んでいたかもしれないと聞いて、やっぱりこの世界は命が軽いなぁって思ってしまいます。

ただ前世の古代エジプトや中国などでは、権力者の夫の死を追って妻や臣下などが殉死・殉葬する習慣があったので、それに比べれば殉葬という考え方の無いこの世界の方が命が大切にされているといえなくもありません。日本でも卑弥呼の時代には殉葬の習慣があって、それを憐れに思った天皇が埴輪を埋めるようにしたなんて話があったはずですし……。

まぁ、何にしても……。
最低なところと比べて、ソレよりはマシだよねって評価はどうかとは思いますが。




罰が重いと思っても、王族が下した判決に対して私が異を唱える訳にはいきません。でも刺々しい空気が残っているのは居心地が悪く、何か無いかなと辺りを見回します。

ふと目に入ったのが塩の結晶がたっぷり付着した大団扇。その表面の塩を軽く突くと、場所によってはポロリと落ちてきます。女官さんは乾く度に何度も何度も海水を掛けていたので、布に接している所からポロリと落ちるところもあれば、上辺だけポロリと落ちるところもあります。流石に布に接していたところは衛生面が気になるので、上辺だけ剥がれた塩の小さな一欠片を口に入れてみました。

「…………にっっっがっ!!」

山の拠点で初めて塩作りをしたのは、もう何年前になるのか……。
その時に一番最初に作った失敗作よりも更に苦く、思っていた3倍は苦く感じます。

「まったく、何をやっているだか」

私の凄まじいしかめっ面を見て苦笑する兄上に、周囲の人は何事かと思ったようですが、少ししてクスクスと小さな笑い声が聞こえてきました。

「兄上も口にしてみて。さっき食べた塩とは全然違うから」

先程ソーラークッカーを使って作った塩と見た目はよく似ていますが味は全くの別物で、思わず兄上にも味見をしてもらいたくなります。美味しい物を大切な人と分け合いたいという気持ちは良く理解できますが、こういうネタになる味も分け合いたいと思う心理は何なんでしょうね。

「それ程までに苦いのかえ?」

味見を渋る兄上に対し、興味を示したのは牡丹様でした。牡丹様のように地位が高い人は、たとえヒノモト国人であっても自国産の塩は使いません。

またヒノモト国の塩はグレード調節用の塩としてミズホ国の塩に混ぜて使われるのですが、多くて2割、平民ですら5割ぐらいしか混じっていません。食べられるギリギリのラインはヒノモト塩8割らしいのですが、誰だって苦味を我慢しながら食べるより美味しく食べたいに決まっています。

なので此処に居る人全員が知識としてヒノモト国の塩はとても苦いということは知っていますが、実際に100%ヒノモト塩を体験した人は皆無なんです。

「どれ……」

そう言ってほんの少し指先に塩を付けて、口に入れた牡丹様は固まってしまいました。少ししてから

「海棠、そなたも味わってみよ」

と無表情で言い出しました。その言葉に渋々海棠さんも味見をし、途端に硬直してしまいます。

「水だ!! 水を持て!!」

直ぐに再起動した海棠さんは水を手配をするのですが、牡丹様は相変わらず遠い目をして微動だにせず、まるで少しでも動いたら苦味が口から溢れ出てしまうとでも思っているかのようです。

ヒノモト我が国の塩がここまで苦いとは……。
 いや、苦いというのは正確ではないかもしれん。
 苦味に渋味やえぐ味や、悪いところをギュッと集めたような……」

そう評価する海棠さんの横で刺桐さんや柘榴さん、それに付き添いの女官や護衛官や文官までもが100%ヒノモト塩を味が気になるのか、味見をしては悶絶し始めました。

みんな、興味津々だなぁ……。




ただそのおかげで私達が作り上げた新しいヒノモト塩が、いかに素晴らしいモノであるのかを知ってもらえました。これで少しは叔父上の交渉が楽になると思いますし、ついでに場の空気も明るくなって一石二鳥です。

「もう少し水が飲みたいわ」

皐月姫殿下の言葉に、女官の一人が

「誠に申し訳ありません。今、大天幕から取ってまいります」

と返しました。どうやら真水のストック自体は物資を保管してある大天幕にあるようなのですが、此処まで持ってきた真水は底をついたようです。

「で、では、私が取ってまいります!!」

そう張り切って声を上げたのは、大団扇で姫殿下に塩の結晶を飛ばしてしまった女官でした。ここで少しでもお役に立ちたいという意気込みが、見ているだけで伝わってきます。

(私も行った方が良いかな??)

周囲を見てそう感じたのは、この場にいる平民が私達一家だけだからです。女官にしろ文官にしろ、位の高い低いはあるにしても全員が華族です。交渉相手の叔父上たちは仕方がありませんが、私や兄上は何か手伝った方が印象良くなり、交渉を潤滑に進められるかもしれません。

「では、私も手伝います」

そうは言ったものの、先日から打算ばかりで自己嫌悪に陥ってしまいます。

もちろん打算だけじゃなくて、ここに居る人たちはそれぞれ仕事がある為、持ち場を離れて水を取りに行ける人は限られています。その事も手伝おうって思った一つの理由です。それに大天幕もそう遠くは無いので、あまり力が強くない私でも水差し一つ持って来るぐらいならできるはずです。

また、この国では水汲みや水運びは女性の仕事なので、

「僕も一緒に行くよ」

という兄上の提案に頷く事もできません。兄上は気にしないと言うでしょうが、周囲のギョッとした表情を見るに避けておいた方が無難そうです。

「ううん。兄上は皐月姫殿下に艶糸の布をお渡しして、その説明をお願い」

それにその時間で艶布の売り込みをしてもらえますしね。
友好的に進めたい相手に、あえて波風立てる必要はありません。




そうして女官さんと二人で大天幕に向かって歩き出しました。後ろを振り返れば心配そうにこちらを見ている叔父上や兄上、それに山吹の視線があります。叔父上はともかく山吹は私に着いてこようとしましたが、兄上と同じ理由を告げて断りました。母上やつるばみが一緒だったら良かったのですが、あの場で平民女性は私だけなので仕方が有りません。

心配性な保護者たちなので、流石に女官さんと二人っきりで天幕に行くとなったら許可は出なかったでしょうが、大天幕には物資を守る為の衛士が当然ながら複数居ますし、その大天幕も皆がいる場所から丸見えの場所にあります。それに周辺は障害物が無い砂漠となれば、賊が隠れる場所なんて何処にもありません。

なので手を上げて大丈夫だよと心配そうな家族に応えてから、再び大天幕へと足を進めました。




入り口を守っている衛士さんに、女官さんが

「飲み水の補充に参りました」

と伝えればすんなりと天幕の中に入れてくれました。天井の高い大天幕の中は外に比べれてかなり涼しく、その中央に置いてある水瓶付近は更に涼しく感じます。

「これよ。この大瓶の中の水を水差しに入れて持っていけば良いの」

そう教えてくれた女官さんは、まず見本とばかりに自分が持ってきた水差しに水を移します。そして次は私の番です。大瓶の横にある台に水差しを置いて、そこに柄杓で水を何度も何度も入れていきます。残り少ないというほどではないのですが、手を思いっきり伸ばさないと届かないぐらいには水が減っていて、ついつい上半身を乗り出すようにして柄杓を持った手を伸ばしていました。

大瓶の中の水に意識が全て向いた、その次の瞬間、

<櫻!!>

という桃さんの心話と同時に後頭部に強い衝撃が走り、私の意識はプツリと途絶えたのでした。
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