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3章
その時、僕は…… :槐
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その報告がもたらされたのは、ほんの数分前だった。
「女官1人と吉野家の娘が姿を消しました!」
そんな衝撃的な報告に場は一瞬静まり返り、直後に山吹は大天幕に向かって疾走し、叔父上は報告に来た兵士へと詰め寄った。ただ兵士はあくまでも伝令としてこちらに来ただけで、内部の状況を自分の目で見たわけではないらしい。
水を汲みに来た女官と女性1人がなかなか出てこないことに疑問を持った大天幕警備の兵士が中を確認したのだが、そこに誰の姿もなく。念のため天幕内部の捜索をしたものの影すらなく。そこで慌てて伝令を走らせたという事だった。
そんな報告を叔父上が聞いている間、僕は直ぐそばにいた皐月姫殿下の様子をこっそりと伺った。
(彼女が何かしたのではないか?
王族という身分の彼女が商人でしかない櫻を友人にしたいと言い出すなんて、
なにか思惑があったんじゃないのか?)
そう思ったからだ。我が吉野家はヤマト国王家の御用達を務めるだけの品と技術を持っている。その品や技術を狙ったのか……
(……あるいは碧宮家のものだと悟られたか?)
前者ならいくらでも対応は可能だが、後者の場合はこちらもあらゆる覚悟を決めなくてはならない。
だが僕たち以上に姫殿下も驚いていたようで、目をまんまるにして固まってしまっていた。どうやら彼女にとっても想定外の事態だったようで、随身の女性に「姫殿下」と声をかけられてようやくハッと意識をこちらに向けたぐらいだった。
「ど、どうしてこのようなことが」
そんな彼女の口から真っ先にでた言葉は戸惑いの言葉だった。王族の、それも直系としては少々不適切なものだったかもしれないが、まだ16歳の女の子と思えば至極当然の言葉だった。
逆に緋の東宮妃牡丹様はさすがと言うしかない。すぐさま自分の侍女から剣を受け取り自身がまず武装し、更には自分の配下の随身や侍女たちにまで警戒を促した。女性に年のことを言うものではないので口には出さないが、これが年の功という事なのだろうか。皐月姫殿下も後20年もすれば牡丹様のようになるだろう思うぐらい似たような境遇の2人なのだが、潜った修羅場や踏んだ場数の差が如実に出ていた。
そうこうしているうちに山吹が叔父上に報告するために戻ってきた。その背後にはきまり悪そうな表情の兵士が2人ついてきている。どうやら彼らが天幕の入り口付近を警備していた兵士のようだ。
彼らから聞けた情報は本当に質が悪く、ただただ天幕から消えていなくなったということと、大天幕警備として天幕周辺に等間隔に配置している兵士のうち、3人が消えているため、追跡中だと思われるという事ぐらいだった。
(は? 追跡中じゃなく、そいつらが攫った可能性だってあるだろう!
ヒノモト兵士は阿呆揃いか!!)
思わず母上に聞かれたら叱責されそうな悪態を心の中で吐いてしまってから、慌てて自分を戒める。どうやら僕も冷静ではないらしい。こういう時こそ迅速に最善の選択をしなくてはならないというのに。そのためにも冷静でいなくてはならないのに……。
(三太郎様がついておられるから命どころか怪我すら大丈夫だとは思うけれど、
それでも怖い思いはしているはずだ。……今度こそ絶対に助けるから)
僕はそうやって自身の感情を抑え込んでいたのだが、山吹はどうやら抑えきれなかったようだ。
「どういう事だっ!!!」
商談中は穏やかな笑みを浮かべた商人という風情だったのに、その態度を一変させて険しい表情で警備の責任者と思われる兵士の胸元を掴み、ギリギリと音がしそうなほど締め上げた。相手も武の国ヒノモトの兵士だけあって鍛え上げられた見事な体躯の男なのだが、もともとヒノモト国の兵士は素早さを重視した軽戦士のため、ヤマト国の血を濃く引く山吹からすれば軽いものだろう。
山吹に締め上げられている男は華族のようだが、自分よりも身分の低い山吹の態度に激昂するより自分の失態を恥じる気持ちのほうが強いようで、山吹にされるがままだ。
蛇足だが、ヒノモト国の兵士の武装は基本的には革や布を使ったものだ。当然といえば当然で、この国の日差しや気温の中で金属製の装備品は自殺行為に等しい。
「控えよ、山吹」
そう背筋に寒気が走るほど冷たい声で止めたのは、叔父上だった。こんな声を出す叔父上はとても珍しい。少なくとも僕は聞いた覚えがない。
「しかし若!!」
「警備の者を責めたとて何も変わらぬ。
それよりも……」
そう言うと叔父上は長年一緒にいる僕ですら感情の読めない表情で、こちらに向かってきた。
「皐月姫殿下。
大変申し訳ないのですが、これにて御前を失礼させて頂きます」
僕の隣にいる皐月姫殿下に向かって一礼をした叔父上は、叔父上にしては珍しく姫殿下の返事を聞かずに踵を返した。先程から口調が商人のソレでなくなっていることに加え、こんな無礼をするような叔父上ではないので、それだけ叔父上も焦っているのだろう。
「待て、吉野家鬱金。妾の提案を聞いてくれぬか?」
そう言って叔父上を引き止めたのは牡丹様だった。
「そなたのところの櫻姫と妾の随身の海棠をめあわせたいのだが、
どうであろうか?」
いきなりとんでもない提案をしてきた牡丹様ではあったが、その表情は真剣そのものだ。めあわせるとは男女を結婚させるということ、つまりこの叔父上よりも年上に見える男が僕の義弟になるということだ。華族の婚姻は家同士を結びつかせるために行われるため、こういった親子以上に年の離れた婚姻というのもちらほらと見かける。だが今の僕たちには必要のないことだ。何より今話すことではない!
「…………。
牡丹様のご厚意に篤く御礼申し上げます。
ですが随身の海棠様をお側から離されるのは悪手です。
お気持ちだけ……」
案の定、叔父上も一瞬戸惑ったような表情になったが、直ぐに牡丹様がそう言い出した理由を察したようだ。緋色宮家はあくまでも天都の華族だ。たとえ牡丹様がこの国の出身であっても、今の身分ではこの国で力を振るう訳にはいかない。そんな中で何とか力を貸そうと考えてくださった手が、海棠という随身を櫻の許嫁にすることで「婚約者を探すため」という大義名分を得て動く事だったようだ。
「某としても櫻姫のことは心配ですが、
牡丹様のお側を離れる事には同意できませぬ」
本当に苦渋の決断だと言いたそうな男に、僕は場違いだけれど少しだけホッとしてしまった。一つは彼もちゃんと妹を案じていてくれていることに、そしてもう一つはこの男が義弟になることはなさそうなことに。
「皐月、そなたが今この場では一番位が高い事はわかっておろう!
そなたが指示を出さねばならぬ!!」
随身を婚約者に据える事を諦めた牡丹様は、こんどは姫殿下を叱責し始めた。
「ですが叔母様、私は……どうすれば!
それに私が下した命で櫻の、友達の命が失われたらと思うと!」
簡単に妹を殺そうとしないでくれ! そう言いたいのをぐっとこらえる。いきなりこんな事態に巻き込まれた彼女も被害者なのだと思う。そう思うが、王族としてやるべきことはやってもらわないと……。
「良いか、妾たちは今直ぐ天都へと帰る。
もちろん一度、ヒノモト王宮へと戻ってからになるが、
そうすれば妾たちに割いていた警備の兵を捜索に向かわせる事ができる。
それとは別に今直ぐ緋桐に早馬を出させよ!」
姫殿下を落ち着かせるためなのか、彼女の肩に手をおいてしっかりと目を見て伝える牡丹様は、どこか僕たちに対する叔父上の姿と重なっった。責任はしっかりと果たさなければならないが、それはそれとして出来る限りの手助けをしようとしてくれる子供を守る大人の姿だ。
「何もそなたに捜索の陣頭指揮を取れと申しているのではない。
皐月、今、そなたができることを全力でせよと申しているのだ」
「は、はいっ!」
どうやらようやく冷静になれたらしい姫殿下は、大きくそう返事をすると自ら兵士たちの元へと赴いて帰還の指示を出した。
「兵を2つに分けます。ここの撤収作業にあたる最低限の兵と文官を除き、
他の兵は全て東宮妃牡丹様の警護兵とともに帰還します!」
万が一にも撤収作業をしてから全員で帰還となったら、僕たちだけでも先に帰ろうと持っていたのだが、どうやら今直ぐにでも帰る事ができそうだ。
「鬱金、これで良いか?
そなたらが単独で砂漠を渡るより、我らと共に行くほうが安全で早い」
砂の道は見失いやすく、現地の人が一緒でないと迷うこともあるらしい。
「心より、感謝を申し上げます」
深々とお辞儀をした叔父上の少し後ろで同じように僕も頭を下げ、いつの間にかそばに来ていた山吹も頭を下げたのだった。
「櫻嬢が?!」
小火宴以降、国境付近や王都近辺で神出鬼没の賊の対応に追われ、兵部省に詰めっぱなしなうえに睡眠や食事の時間すらろくに取れていないという緋桐殿下は、もたらされた情報に手にしていた磁器の杯を握り潰した。陶器よりも薄いが硬いはずの磁器が手の中で砕けて手のひらを傷つけたようだが、そんな痛みなど全く気にならないといった風情だ。
ここはヒノモト王宮の敷地に、王宮と肩を並べるほどの大きさを誇る兵部省だ。一応僅かながらにこちらが小さいらしいが、王と肩を並べるほどにこの国では武が重要視されていることの証左とも言える。その兵部省の一番良い部屋(だと思う)に僕たちは案内されていた。
「警備兵は何をしていた!」
「数名が後を追っているらしいという報告は来ていますが……」
そう報告するのは緋桐殿下の随身の柘榴だ。緋桐殿下もそうだが、柘榴ともこの2旬間弱で随分と信頼関係を築けたものだと思う。山吹が言うには随身としてはちょっと……ということらしいが、僕たちのような他人を自分の主の元まで大した検査もせずに通すのは信頼があってこそのものだろう。
「らしい? それは報告じゃなく推測だろう!」
そう怒鳴る緋桐殿下に思わず頷く。
「そうですよね、その兵が拐かした可能性だってあります」
思わずそう口にしてしまい、背後から別の随身や兵から刺されそうなほどに睨まれた。彼らからすれば自分の身内を疑われたに等しいのだから、そんな態度も仕方がないとは思うが、妹は警備兵で囲まれている天幕の中から攫われたのだ、そう思ったって仕方がないだろう。
「俺が、俺が行く!!」
剣をガッと掴んで駆け出そうとした緋桐殿下を、柘榴が両手を広げて静止する。
「気持ちは分かりますが、俺だって探しに行きたいですが!!
今は駄目です! まもなく蒼の東宮妃菖蒲様が到着されます。
それに時を同じくして王都の港から不審船の報告も上がってます!」
「「不審船?」」
柘榴の言葉にほぼ同時に反応したのは叔父上と山吹だった。
「えぇ。全ての船は所属する国や団体の旗を掲げる決まりがありますが、
その船には目撃されるたびに旗が違うと報告があがっていて……」
何だその明らかすぎる不審船は。船に詳しくない僕ですらおかしいと直ぐに解る。
「同じ船だと判断した理由は?」
ただ叔父上は僕と違った場所にひっかかりを感じたようで、そう訪ね返した。確かに極端に大きさや形状が違う船ならばともかく、遠く洋上にある船の大きさは判別が難しいし、形状はどこもかしこも似たような作りだ。遠目からひと目で形状が違うと判断できるのは、三太郎様が作られた僕たちの船ぐらいだろう。
「詳しくは言えませんが……。
我が国ではそれが可能だとだけお伝えしておきます」
「なるほど、了解した。
ならばその不審船が一番最後に目撃された場所を教えてもらうことは?」
「それならば構いません」
おそらく軍事的な機密で僕たちに詳細は教えられないのだろうが、そこを粘って聞き出しても時間が無駄になるし、そもそも今回はそこが重要ではない。確実に不審な船が何度も出没しているという事が重要なのだから。なので僕たちは柘榴から詳細な場所を教えてもらい、緋桐殿下に一礼をしてから部屋を後にすることにした。その間も叔父上たちは柘榴に、特別に軍が使用するための高速道を使えないかと交渉をしていた。僅かな時間すら惜しい。
「高速道はこのまま一緒に行って、その場で使用許可を申請します。
後、あなた方に出来得る限り便宜を図るようにも追って通達を出しておきます。
どうか……櫻嬢が無事に見つかりますように」
「ありがとうございます、心より感謝します」
切実に願っていると柘榴の目が物語っていた。そんな彼らの厚意に感謝する。
(少しでも早く櫻を見つけないと……)
そう思う僕の背後で
「俺も……くっ」
と血を吐きそうなほどに悔しさに満ちた声が聞こえた。チラリとそちらへと視線を向ければ、剣を握る手が震えるほどに力を込めている緋桐殿下がいた。その声音や態度から、彼が本当に心の底から櫻を案じてくれている事が手に取るように解る。
だけど同時に、身分ある人が自分の思うままに行動することの難しさも痛いほど解った。身分と責任は常に一緒にあるものだ。僕だって碧宮家の嫡子としてここにいたら、櫻を探しに行くなんてことは出来なかっただろうし、そもそもここにすら来れなかっただろう。
(身分って……王族や華族って何なんだろう。
少なくとも今の僕にとって、不必要なものであることは確実だな)
そんな事を思いながら、僕たちは兵部省を後にした。
高速道を馬で疾走しながらも、叔父上と山吹は情報のすり合わせをしていた。
「3人で港に向かって大丈夫でしょうか?
手分けをしたほうが良いのでは?」
そう言う山吹に、叔父上は視線を前方からずらす事すらなく
「いや、不審船がほぼ確実に櫻の拐かしに関係しているだろう。
王族との商談中に攫うなど、王族の顔に泥を塗る行為に等しい。
ヒノモト国の王族の顔に泥を塗る行為を平然と行い、
更に我らに対し敵意を持っているモノなど、あそこしかないだろう」
叔父上の言葉に全てに合点が行く。またあの国なのだ。
「ミズホ国の操船技術は三国一です。
万が一にもお嬢を乗せた船が沖に出てしまったら……」
「あぁ、だから急ぐぞ!!」
そう言う叔父上に頷くと、僕たちは夕闇が迫る高速道を馬で駆け続けたのだった。
「女官1人と吉野家の娘が姿を消しました!」
そんな衝撃的な報告に場は一瞬静まり返り、直後に山吹は大天幕に向かって疾走し、叔父上は報告に来た兵士へと詰め寄った。ただ兵士はあくまでも伝令としてこちらに来ただけで、内部の状況を自分の目で見たわけではないらしい。
水を汲みに来た女官と女性1人がなかなか出てこないことに疑問を持った大天幕警備の兵士が中を確認したのだが、そこに誰の姿もなく。念のため天幕内部の捜索をしたものの影すらなく。そこで慌てて伝令を走らせたという事だった。
そんな報告を叔父上が聞いている間、僕は直ぐそばにいた皐月姫殿下の様子をこっそりと伺った。
(彼女が何かしたのではないか?
王族という身分の彼女が商人でしかない櫻を友人にしたいと言い出すなんて、
なにか思惑があったんじゃないのか?)
そう思ったからだ。我が吉野家はヤマト国王家の御用達を務めるだけの品と技術を持っている。その品や技術を狙ったのか……
(……あるいは碧宮家のものだと悟られたか?)
前者ならいくらでも対応は可能だが、後者の場合はこちらもあらゆる覚悟を決めなくてはならない。
だが僕たち以上に姫殿下も驚いていたようで、目をまんまるにして固まってしまっていた。どうやら彼女にとっても想定外の事態だったようで、随身の女性に「姫殿下」と声をかけられてようやくハッと意識をこちらに向けたぐらいだった。
「ど、どうしてこのようなことが」
そんな彼女の口から真っ先にでた言葉は戸惑いの言葉だった。王族の、それも直系としては少々不適切なものだったかもしれないが、まだ16歳の女の子と思えば至極当然の言葉だった。
逆に緋の東宮妃牡丹様はさすがと言うしかない。すぐさま自分の侍女から剣を受け取り自身がまず武装し、更には自分の配下の随身や侍女たちにまで警戒を促した。女性に年のことを言うものではないので口には出さないが、これが年の功という事なのだろうか。皐月姫殿下も後20年もすれば牡丹様のようになるだろう思うぐらい似たような境遇の2人なのだが、潜った修羅場や踏んだ場数の差が如実に出ていた。
そうこうしているうちに山吹が叔父上に報告するために戻ってきた。その背後にはきまり悪そうな表情の兵士が2人ついてきている。どうやら彼らが天幕の入り口付近を警備していた兵士のようだ。
彼らから聞けた情報は本当に質が悪く、ただただ天幕から消えていなくなったということと、大天幕警備として天幕周辺に等間隔に配置している兵士のうち、3人が消えているため、追跡中だと思われるという事ぐらいだった。
(は? 追跡中じゃなく、そいつらが攫った可能性だってあるだろう!
ヒノモト兵士は阿呆揃いか!!)
思わず母上に聞かれたら叱責されそうな悪態を心の中で吐いてしまってから、慌てて自分を戒める。どうやら僕も冷静ではないらしい。こういう時こそ迅速に最善の選択をしなくてはならないというのに。そのためにも冷静でいなくてはならないのに……。
(三太郎様がついておられるから命どころか怪我すら大丈夫だとは思うけれど、
それでも怖い思いはしているはずだ。……今度こそ絶対に助けるから)
僕はそうやって自身の感情を抑え込んでいたのだが、山吹はどうやら抑えきれなかったようだ。
「どういう事だっ!!!」
商談中は穏やかな笑みを浮かべた商人という風情だったのに、その態度を一変させて険しい表情で警備の責任者と思われる兵士の胸元を掴み、ギリギリと音がしそうなほど締め上げた。相手も武の国ヒノモトの兵士だけあって鍛え上げられた見事な体躯の男なのだが、もともとヒノモト国の兵士は素早さを重視した軽戦士のため、ヤマト国の血を濃く引く山吹からすれば軽いものだろう。
山吹に締め上げられている男は華族のようだが、自分よりも身分の低い山吹の態度に激昂するより自分の失態を恥じる気持ちのほうが強いようで、山吹にされるがままだ。
蛇足だが、ヒノモト国の兵士の武装は基本的には革や布を使ったものだ。当然といえば当然で、この国の日差しや気温の中で金属製の装備品は自殺行為に等しい。
「控えよ、山吹」
そう背筋に寒気が走るほど冷たい声で止めたのは、叔父上だった。こんな声を出す叔父上はとても珍しい。少なくとも僕は聞いた覚えがない。
「しかし若!!」
「警備の者を責めたとて何も変わらぬ。
それよりも……」
そう言うと叔父上は長年一緒にいる僕ですら感情の読めない表情で、こちらに向かってきた。
「皐月姫殿下。
大変申し訳ないのですが、これにて御前を失礼させて頂きます」
僕の隣にいる皐月姫殿下に向かって一礼をした叔父上は、叔父上にしては珍しく姫殿下の返事を聞かずに踵を返した。先程から口調が商人のソレでなくなっていることに加え、こんな無礼をするような叔父上ではないので、それだけ叔父上も焦っているのだろう。
「待て、吉野家鬱金。妾の提案を聞いてくれぬか?」
そう言って叔父上を引き止めたのは牡丹様だった。
「そなたのところの櫻姫と妾の随身の海棠をめあわせたいのだが、
どうであろうか?」
いきなりとんでもない提案をしてきた牡丹様ではあったが、その表情は真剣そのものだ。めあわせるとは男女を結婚させるということ、つまりこの叔父上よりも年上に見える男が僕の義弟になるということだ。華族の婚姻は家同士を結びつかせるために行われるため、こういった親子以上に年の離れた婚姻というのもちらほらと見かける。だが今の僕たちには必要のないことだ。何より今話すことではない!
「…………。
牡丹様のご厚意に篤く御礼申し上げます。
ですが随身の海棠様をお側から離されるのは悪手です。
お気持ちだけ……」
案の定、叔父上も一瞬戸惑ったような表情になったが、直ぐに牡丹様がそう言い出した理由を察したようだ。緋色宮家はあくまでも天都の華族だ。たとえ牡丹様がこの国の出身であっても、今の身分ではこの国で力を振るう訳にはいかない。そんな中で何とか力を貸そうと考えてくださった手が、海棠という随身を櫻の許嫁にすることで「婚約者を探すため」という大義名分を得て動く事だったようだ。
「某としても櫻姫のことは心配ですが、
牡丹様のお側を離れる事には同意できませぬ」
本当に苦渋の決断だと言いたそうな男に、僕は場違いだけれど少しだけホッとしてしまった。一つは彼もちゃんと妹を案じていてくれていることに、そしてもう一つはこの男が義弟になることはなさそうなことに。
「皐月、そなたが今この場では一番位が高い事はわかっておろう!
そなたが指示を出さねばならぬ!!」
随身を婚約者に据える事を諦めた牡丹様は、こんどは姫殿下を叱責し始めた。
「ですが叔母様、私は……どうすれば!
それに私が下した命で櫻の、友達の命が失われたらと思うと!」
簡単に妹を殺そうとしないでくれ! そう言いたいのをぐっとこらえる。いきなりこんな事態に巻き込まれた彼女も被害者なのだと思う。そう思うが、王族としてやるべきことはやってもらわないと……。
「良いか、妾たちは今直ぐ天都へと帰る。
もちろん一度、ヒノモト王宮へと戻ってからになるが、
そうすれば妾たちに割いていた警備の兵を捜索に向かわせる事ができる。
それとは別に今直ぐ緋桐に早馬を出させよ!」
姫殿下を落ち着かせるためなのか、彼女の肩に手をおいてしっかりと目を見て伝える牡丹様は、どこか僕たちに対する叔父上の姿と重なっった。責任はしっかりと果たさなければならないが、それはそれとして出来る限りの手助けをしようとしてくれる子供を守る大人の姿だ。
「何もそなたに捜索の陣頭指揮を取れと申しているのではない。
皐月、今、そなたができることを全力でせよと申しているのだ」
「は、はいっ!」
どうやらようやく冷静になれたらしい姫殿下は、大きくそう返事をすると自ら兵士たちの元へと赴いて帰還の指示を出した。
「兵を2つに分けます。ここの撤収作業にあたる最低限の兵と文官を除き、
他の兵は全て東宮妃牡丹様の警護兵とともに帰還します!」
万が一にも撤収作業をしてから全員で帰還となったら、僕たちだけでも先に帰ろうと持っていたのだが、どうやら今直ぐにでも帰る事ができそうだ。
「鬱金、これで良いか?
そなたらが単独で砂漠を渡るより、我らと共に行くほうが安全で早い」
砂の道は見失いやすく、現地の人が一緒でないと迷うこともあるらしい。
「心より、感謝を申し上げます」
深々とお辞儀をした叔父上の少し後ろで同じように僕も頭を下げ、いつの間にかそばに来ていた山吹も頭を下げたのだった。
「櫻嬢が?!」
小火宴以降、国境付近や王都近辺で神出鬼没の賊の対応に追われ、兵部省に詰めっぱなしなうえに睡眠や食事の時間すらろくに取れていないという緋桐殿下は、もたらされた情報に手にしていた磁器の杯を握り潰した。陶器よりも薄いが硬いはずの磁器が手の中で砕けて手のひらを傷つけたようだが、そんな痛みなど全く気にならないといった風情だ。
ここはヒノモト王宮の敷地に、王宮と肩を並べるほどの大きさを誇る兵部省だ。一応僅かながらにこちらが小さいらしいが、王と肩を並べるほどにこの国では武が重要視されていることの証左とも言える。その兵部省の一番良い部屋(だと思う)に僕たちは案内されていた。
「警備兵は何をしていた!」
「数名が後を追っているらしいという報告は来ていますが……」
そう報告するのは緋桐殿下の随身の柘榴だ。緋桐殿下もそうだが、柘榴ともこの2旬間弱で随分と信頼関係を築けたものだと思う。山吹が言うには随身としてはちょっと……ということらしいが、僕たちのような他人を自分の主の元まで大した検査もせずに通すのは信頼があってこそのものだろう。
「らしい? それは報告じゃなく推測だろう!」
そう怒鳴る緋桐殿下に思わず頷く。
「そうですよね、その兵が拐かした可能性だってあります」
思わずそう口にしてしまい、背後から別の随身や兵から刺されそうなほどに睨まれた。彼らからすれば自分の身内を疑われたに等しいのだから、そんな態度も仕方がないとは思うが、妹は警備兵で囲まれている天幕の中から攫われたのだ、そう思ったって仕方がないだろう。
「俺が、俺が行く!!」
剣をガッと掴んで駆け出そうとした緋桐殿下を、柘榴が両手を広げて静止する。
「気持ちは分かりますが、俺だって探しに行きたいですが!!
今は駄目です! まもなく蒼の東宮妃菖蒲様が到着されます。
それに時を同じくして王都の港から不審船の報告も上がってます!」
「「不審船?」」
柘榴の言葉にほぼ同時に反応したのは叔父上と山吹だった。
「えぇ。全ての船は所属する国や団体の旗を掲げる決まりがありますが、
その船には目撃されるたびに旗が違うと報告があがっていて……」
何だその明らかすぎる不審船は。船に詳しくない僕ですらおかしいと直ぐに解る。
「同じ船だと判断した理由は?」
ただ叔父上は僕と違った場所にひっかかりを感じたようで、そう訪ね返した。確かに極端に大きさや形状が違う船ならばともかく、遠く洋上にある船の大きさは判別が難しいし、形状はどこもかしこも似たような作りだ。遠目からひと目で形状が違うと判断できるのは、三太郎様が作られた僕たちの船ぐらいだろう。
「詳しくは言えませんが……。
我が国ではそれが可能だとだけお伝えしておきます」
「なるほど、了解した。
ならばその不審船が一番最後に目撃された場所を教えてもらうことは?」
「それならば構いません」
おそらく軍事的な機密で僕たちに詳細は教えられないのだろうが、そこを粘って聞き出しても時間が無駄になるし、そもそも今回はそこが重要ではない。確実に不審な船が何度も出没しているという事が重要なのだから。なので僕たちは柘榴から詳細な場所を教えてもらい、緋桐殿下に一礼をしてから部屋を後にすることにした。その間も叔父上たちは柘榴に、特別に軍が使用するための高速道を使えないかと交渉をしていた。僅かな時間すら惜しい。
「高速道はこのまま一緒に行って、その場で使用許可を申請します。
後、あなた方に出来得る限り便宜を図るようにも追って通達を出しておきます。
どうか……櫻嬢が無事に見つかりますように」
「ありがとうございます、心より感謝します」
切実に願っていると柘榴の目が物語っていた。そんな彼らの厚意に感謝する。
(少しでも早く櫻を見つけないと……)
そう思う僕の背後で
「俺も……くっ」
と血を吐きそうなほどに悔しさに満ちた声が聞こえた。チラリとそちらへと視線を向ければ、剣を握る手が震えるほどに力を込めている緋桐殿下がいた。その声音や態度から、彼が本当に心の底から櫻を案じてくれている事が手に取るように解る。
だけど同時に、身分ある人が自分の思うままに行動することの難しさも痛いほど解った。身分と責任は常に一緒にあるものだ。僕だって碧宮家の嫡子としてここにいたら、櫻を探しに行くなんてことは出来なかっただろうし、そもそもここにすら来れなかっただろう。
(身分って……王族や華族って何なんだろう。
少なくとも今の僕にとって、不必要なものであることは確実だな)
そんな事を思いながら、僕たちは兵部省を後にした。
高速道を馬で疾走しながらも、叔父上と山吹は情報のすり合わせをしていた。
「3人で港に向かって大丈夫でしょうか?
手分けをしたほうが良いのでは?」
そう言う山吹に、叔父上は視線を前方からずらす事すらなく
「いや、不審船がほぼ確実に櫻の拐かしに関係しているだろう。
王族との商談中に攫うなど、王族の顔に泥を塗る行為に等しい。
ヒノモト国の王族の顔に泥を塗る行為を平然と行い、
更に我らに対し敵意を持っているモノなど、あそこしかないだろう」
叔父上の言葉に全てに合点が行く。またあの国なのだ。
「ミズホ国の操船技術は三国一です。
万が一にもお嬢を乗せた船が沖に出てしまったら……」
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しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
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タイトル通りのおっさんコメディーです。
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