未来樹 -Mirage-

詠月初香

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4章

16歳 -土の陰月1-

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「陸地だ! 櫻嬢、陸地が見えたぞ!!」

そう嬉しそうに声を上げたのは緋桐さんでした。その声に私は農作業をしていた手を止めて、弾かれるように甲板を走って舳先へと向かいます。目を凝らして水平線を見れば、かなり小さくではありますが波の間に黒い何かが見えました。

「念の為に申しておくが、いきなり上陸するなんて事は考えぬように」

「いや、流石に私だってそれはしないよ?」

背伸びをして遠くを見る私の背中に、金さんが声をかけてきました。揺れない地面は確かに恋しいですが、全く情報のない場所にいきなり上陸するほど向こう見ずではありません。金さんたちの記憶や伝承にある方角や日数を元に割り出した位置と限りなく近い事から禍津地まがつちで間違いないと思いますが、全く別の陸地の可能性もゼロではありません。それに本当に禍津地だった場合、荒れ狂う戦闘系精霊の成れの果てがウヨウヨいる場所だという事になります。とてもじゃないですがウキウキ気分で上陸できるような場所ではありません。

「俺様も早く陸に上がりてぇ。
 船も嫌いじゃねぇんだが、やっぱり陸が一番だ」

「私は海での生活も良いと思いますが、
 色々と使う霊力が多くて陸地生活より疲れるのが問題ですね」

後からやってきた桃さんと浦さんは、船での生活に終わりが見えてきた事に口では色々と言いつつも少し安堵したような雰囲気です。

「何はともあれ、母上に陸地を見つけたって連絡を入れなくちゃね」

「そうじゃな。分身わけみにあちらの都合の良い時間を尋ねさせる。
 あちらも今は風の力が一番強まる時期じゃろうから、
 少しぐらい霊力の無駄遣いをしても大丈夫じゃろう。
 久しぶりにおぬしの声をあちらに届け、直接話してはどうじゃ?」

一番後からやってきた龍さんの提案に、「解った、お願いね!」とだけ伝えて、視線を再び陸地へと向けました。遠くに見える陸地は今まで見てきた陸地とは全く違い、人工物は当然ながら植物の緑色すらなく、全体が薄暗い影のような不気味さがあります。それは禍津地という地名の所為で私の中に悪い印象がある所為も多少はあるのでしょうが、なにか言葉で説明できない嫌なものを感じるのです。知らず知らず握った手に力が入り、喉がコクリと音を立てました。




母上たちに別れを告げ、アマツ大陸を出発してから約40日。叔父上が震鎮鉄しんちんてつの中で眠られてから、既に1ヶ月90日以上が経過しています。本当はもっと早くに出発したかったのですが、母上から私の頭の怪我が治るまでは出発を認めないと言われてしまい、それに全員が同意した為に従わざるを得ませんでした。

気が急いて仕方がなかったのですが、ミイラ取りがミイラになるような事があっては叔父上に怒られてしまいます。それに母上が言うように手足の怪我とは違い、頭の怪我は慎重に経過を見たほうが良いという事も解ります。なので自分の意思を押し通すような事はしないで、念入りに準備を進める事でどうにか逸る心を静める日々でした。

頭の怪我の治療には結構な日数が掛かり、その間に禍津地へと向かう船の製造や保存食の準備、それに留守を預かる母上たちの為の様々な準備や吉野家の仕事のフォローに至るまで全て終わらせました。そして出発する事になったあの日、母上は幼い頃のように私をぎゅぅと抱きしめると、

「気をつけて行ってきなさい。ただ、忘れないでね?
 鬱金を助けたいと願う貴女の優しさを私は誇らしく思うけれど、
 私にとっては貴女も同じぐらい大切で、無事を願っているってことを……」

「母上……」

「それから女の子は愛嬌よ、笑っていなさい。
 あの大変だった日々も、貴女の笑顔のおかげで私は頑張れたわ。
 もし貴女がずっとしかめっ面をしていたら、
 私もみんなも、そして鬱金だって心配になってしまうもの」

そう言いながら私の両頬を包むように触れると、コツンとおでこをくっつけてきました。

「良いですね、自分の安全が第一ですよ。
 そして旅を楽しむぐらい、心に余裕を持ちなさい。
 貴女はすぐに……考えすぎて、視野が狭くなるから、気をつけるのですよ」

母上の声がかすかに震えているのは、私の気の所為ではないと思います。三太郎さんが一緒ではありますが、危険だと言われている禍津地へと旅立たさせなくてはならないのです。弟の命と私の安全、どちらを選ぶにしても母上にとって苦渋の決断だった事でしょう。

「はい、では行ってきます」

意識して口の両端を上げ、少しぎこちなくはありますが笑顔を母上に向けます。そうしてから最後にお互いに強く抱きしめあったのでした。




あれから40日。ようやく叔父上を助ける為の第一歩が踏み出せそうです。

「はい、それでは母上もお身体に気をつけてくださいね。
 また連絡を入れます」

母上への連絡を終えてホッと一息つきました。母上を相手に緊張していた訳ではなく、前世の記憶があるので此処に居ない人と会話ができるという事に違和感を覚えた訳でもありません。ただ目の前にいる龍さんから母上の声が聞こえてくるという異常さと、皆が注視している中で母上と会話をするという事にどうしても慣れないだけです。

現在は龍さんの持っている精霊石から聞こえてくるので少しマシになりましたが、もともとは龍さんの口から母上の声が出ていました。その違和感たるや、違和感って言葉が恥ずかしくて引きこもりになりかねないぐらいの違和感です。流石に龍さんに向かって「母上」と話しかけるのは嫌すぎて、霊石にそういう技能を付けてもらって霊石経由で会話ができるようにしてもらったのですが、それでも微妙な違和感は残ります。

……なんだか違和感って言葉がゲシュタルト崩壊しそう。

後は私室で通話ができるようになればベストなのですが、少しでも風のある場所のほうが龍さんの霊力の消費を抑えられるので屋外で使用することが多く。何より今のところ分身に接続するには龍さんの微妙な力加減チューニングが必要なので、みんなの前、最低でも龍さんの前で母親と会話をしなくてはならず、少々気恥ずかしい思いを毎回する羽目になります。

「コホンッ、さて! じゃぁ早速会議を始めましょう!」

気持ちを切り替える為に一つ咳払いをしてから、全員の顔を順に見回して宣言しました。まだまだ日も高いし、目標の陸地を視認したまま甲板で会議を始めます。

「まずはあの陸地がまこと禍津地か、確かめる必要があるじゃろうな」

と龍さんが言えば、

「……ならば我が向かおう。
 神代の頃とは様変わりしているだろうが、何かしら解るやもしれん」

思うところがあるのか、少し考えてから金さんが立候補をします。

「たださぁ、あの陸地には……あぁーーうまく言えねぇんだが、
 嫌な空気があるだろ。金だけで行くのは危なくないか?」

「同感です。まずは数日かけて海から陸地を観察すべきかと」

続いて桃さん、浦さんが意見を述べてから私を見ました。まさか、私が最終決定をしなくちゃいけないんでしょうか??

「嫌な空気っていうのは皆、感じているの?」

そう訪ねたら三太郎さんや龍さんといった精霊だけでなく、緋桐さんまでもが頷きました。

「アレは迂闊に近づいては駄目なやつだ。
 ヒノモト国にいた頃、様々な妖を退治すべく幾度となく出陣しものだが、
 その中で一番手強かったヤツよりも嫌な気配がする」

真剣な表情できっぱりと言い切る緋桐さんに、もともと感じていた不気味さが更に増してしまいます。ただ、

「嫌な空気・・って事は、龍さんにならどうにかできるの?」

目に見えない微粒子レベルのものであっても、風でどうにかできるのなら龍さんの霊力で対処可能です。逆に幽霊とかのような物理でどうにもできないものなら、龍さんの力でも駄目でしょうが……。

「そうじゃな。儂の力があれば一時的にならば影響を退けられるじゃろう。
 勿論大陸全てという事ではなく、数人が活動する範囲に限るじゃろうが」

「その際の霊力の消費はどうなのです?」

「この時期ならば問題ない。空から降り注ぐ量である程度は回復可能じゃよ」

「空から??」

龍さんの不思議な発言に首をかしげ、会話の途中に思わず質問を投げ込んでしまいました。霊力は自然界に満ちているモノだと聞いていましたが、空から降ってくるというのはどういう事なの??

「神々の大戦の少し前の事じゃ。
 儂以外の風の精霊はとある神によって全て霊石と変えられて、
 あの空の向こうへ浮かべられたのじゃよ」

そう言うと龍さんは腕を高く上げ、人差し指で空を指し示しました。そこにあるのは空を切り裂く光の帯。もし地球が土星だったらこんな輪が地上から見えたかもしれないなと、小さい頃から思っていたあの光の帯です。

「まさ……か、あの光の帯って……」

「おぬしなら解るじゃろう? あの輪は決して一枚の布などではなく……」

「無数の石……」

「そうじゃ」

愕然としながらも答えた私に、龍さんは満足そうに頷きます。でもその答えに納得ができないと、桃さんが龍さんにくってかかりました。

「はぁ?! じゃぁ、アレ全部、……なんだっけ??
 風の霊石の……」

織春金おりはるこんですよ」

「それだ、さすが浦! その織春金だってのかよ!!」

馴染のない織春金という単語が出てこなくて、浦さんにフォローされる桃さん。出会った当初のギスギスした関係を知っている私としては、この二人がこんなに助け合う関係になるとは……と感慨深いものがあります。

「じゃぁ、毎年無の月の間に徐々に光の帯が薄くなっていくのは……」

「この時期、1ヶ月90日かけて無数の織春金が地上に降り注ぐのじゃが、
 地上に辿り着く前の空気中で霊力を放出するよう作られておる。
 そして長い時間をかけて再び風の力を取り込み、再び天へと昇る。
 まぁ……落下時に壊れる事も多く、徐々にその数を減らしておるのじゃがな」

「作られているって、誰が作ったの?」

私の質問に龍さんは視線をそらして口を噤みます。精霊は嘘を言わないという性質?は、どうやら第1世代も同じようです。

「櫻。それは今、必要な情報ではない。
 我らが今考えねばならぬのはいかに安全に上陸し、
 穢れによって妖化しているであろう第三世代の精霊の霊力を
 極力危険を排除して取り込むか……であろう?」

「そ、そうだね」

言われてみれば誰が第一世代の風の精霊を霊石にしたのかは、今は関係ありません。必要な情報はこの時期なら風の精霊力の回復が容易だということと、龍さんがいれば上陸した三太郎さんの安全はある程度は確保できそうだということです。

「じゃぁ、こうするのはどうかな?
 まずは上陸できる地点を探しながら陸の外周を海から調査して、
 上陸できそうな場所があったら、そこの沖で停泊。
 そのまま私達は海で過ごしつつ、龍さんと金さんが上陸して調査」

「それが良いでしょうね。海ならば私が守ることができますし……」

「だなぁ。逆に浦が上陸する時は、全員が陸に上がった方が良いだろうな。
 俺様や金じゃ、海で守りきれるかどうか解らねぇし」

「ならば浦は一番最後だな。
 ある程度陸地の安全を確保してからでなければ、櫻を上陸させられん」

私が素案を出せば、三太郎さんたちが積極的に案の補強をしてくれます。

私の我儘から始まったこの旅ですが、三太郎さんは反対せずに一緒に来てくれました。もちろん反対されたら説得するつもりではいましたが、拍子抜けするほど理解を示してくれたのです。一度、本当に良いのか訪ねたことがありましたが、同行してくれる理由は三者三様でした。

浦さんは「貴女を危なっかしくて、放っておけませんからね」と言い、桃さんは「お前の強烈な嘆きが俺様の心にまで傷をつけたんだ。責任とれよな!」から始まって、延々と理由を述べた後、最後は半ばキレ気味に「あんな痛い思いは二度としたくねぇし、お前にもさせねぇ!」とそっぽを向きながら言ってくれました。逆に金さんは「我は……我のできることをするまで」と呟くだけでした。もともと金さんは口数の多い方ではないのですが、この時は殊更言葉が少なかったように思います。




「俺は何をすれば良いのでしょう?」

そんな中、自分の為すべき事を訪ねたのは緋桐さんでした。もともと私は三太郎さんと龍さんと私だけで禍津地へ向かうつもりでした。そこに緋桐さんが立候補し、母上の心配を他所に三太郎さんがすんなり認めたという経緯があります。

「そなたは櫻を護ることに専念致せ」

「おぬしたち人の子からすれば精霊は何でもできるように思うじゃろうが、
 実は色々と約定や制約があってな、思うようにいかんことも多いのじゃよ」

自然の法則を大きく曲げる事は、精霊でも出来ません。第1世代だという龍さんならば、三太郎さんよりは曲げることはできるのかもしれませんが、それでも出来ないことは色々とあるんだそうです。

「抜け道もあるにはあるんだよ。
 例えばお前らに食べさせる為に魚を捕まる事はできる。
 だが他の誰の為でもなく、自分の為に動植物の命は奪えない。
 正確には奪えるが同時に穢れも溜まる」

「えっ? でもいつもいっぱい色々食べてるよね?」

「それは貴方がたが私達に供えた神饌という扱いだからですよ」

「他にもお零れおこぼれを貰っているという扱いだったりな」

「こぼれてる量が多すぎじゃない?!」

三太郎さんの中で一番食べる量が少ない浦さんですら、私の倍近い量を食べるのにと思ったら、ツッコミを入れずにはいられませんでした。

「まぁ何に致してもじゃ。儂らにはできる事は多いが制約も多い。
 対しおぬしには出来ぬ事も多いじゃろうが、制約もない」

それは自分たちの代わりに穢れをかぶれと言っているのに等しいのですが、緋桐さんは迷わずに

「承知いたしました。
 身命を賭して……は櫻嬢が嫌がるでしょうから、命は賭けません。
 ただ私の持つ力の全てで櫻嬢と己を守り抜きましょう」

と力強く宣言しました。私だけでなく自分も守ると言ってくれた事に、心の底から安堵します。私を庇って怪我なんて……誰であっても絶対にしてほしくないから。


こうして私達の禍津地での日々が始まったのでした。
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