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4章
16歳 -無の月9-
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(私にも扱える護身用の道具が必要だと、最初に言い出したのは誰だったっけ?)
あれは確か上陸するにあたり、「発光」や「浄水」といった必要になるであろう技能を霊石に籠める準備をしていた時でした。私の側には常に三太郎さん+龍さんの誰かに加えて、緋桐さんも付いてくれているから大丈夫だという私に、禍都地では何があるか解らないからと全員が強く勧めてきたのです。
それならばと私が最初に思いついたのは浦さんの霊力を使った水球で、敵を水の玉に閉じ込めてしまえば良いというアイデアでした。ただ人間のような肺呼吸をする相手なら有効ですが、エラ呼吸の相手では効果は微妙ですし、何より呼吸しているのかすら怪しい妖相手では無意味の可能性が高く……。それに水球を出しても常に相手を閉じ込めるように維持できなければ、簡単に抜け出せてしまいます。
そこに立候補したのが桃さんでした。
桃さんが提示した技能の「爆炎」は、桃さんが妖退治の単独行している時などに使う技能で、今まで霊石に籠めた事はありませんでした。当然といえば当然で、私が追い求めている平和で衛生的で便利な日常で使うような技能ではありません。大昔に一度だけ土蜘蛛退治の際に見た事はありましたが、アレは確実に私の手に余ります。
流石に危ないのでは?と私や浦さんが不安に思うのも当然で、金さんも渋い顔をしていました。それでも桃さんの案が通ったのは、籠める霊力は抑えめにするという桃さんの言葉と、何より「水球」を提案した時点で自分を巻き込まないようにする為に起動の合言葉を使う方法も提案していて、そのテストもしなくてはならない事を考えると、他の案を考える時間が無かった事が原因でした。
今にして思えば、桃さんは新しいコマンドワードというシステムを使ってみたかっただけなんじゃ?と思いますし、正確には「桃さん、格好良い」って言わせたかっただけなんだと思います。
桃さんの一つ言いたい。
私がコマンドワードを言うって事は、その場に桃さんが居ない事が確定してるんだけど良いの?って。これ絶対に桃さんの頭から抜け落ちています。
そして「発光」や「浄水」はともかく、「爆炎」は決して他人が唱える事のできないコマンドワードを設定することも決まりました。最初は精霊語で良いかと思っていたのですが、金さんから家族はともかく茴香殿下や蒔蘿殿下も使えるのは許可できないと言われ、無い知恵を絞って考えたのがこの世界では絶対に誰も理解できない英語のコマンドワードでした。しかも霊石一つ一つに別のワードを設定する必要があり、このワードの設定にも時間を取られました。
(だからあの小っ恥ずかしいコマンドワードを
そのまま通す事になったんだよね……)
そんな事を思っている私の頬を誰かが触っています。ペチペチというよりは、そっと撫でるような感じです。
「櫻嬢、櫻嬢!! しっかりしろ!」
触れる手はとても優しいのに、声はとても力強く……そして焦りがありました。
「うっ……」
どうしたんですか?と言いたいのに、自分の口からは言葉ではなく音としか呼べない声が漏れ出るだけなのです。あれ?と思ったこの時になって、私はようやく自分の意識が飛んでいた事に気付きました。
「ひ……きり、殿下……?」
「気づいたか!」
喉がヒリヒリと痛く、目も開けた途端に痛さを感じて再び閉じてしまいたくなります。耳もキーーンと耳鳴りがしていて、少し聞こえが悪いようです。
「目を洗い流したいから、少しだけ我慢してくれ」
緋桐殿下はそう言うと、片手で私を支えたまま竹筒保冷マグをゆっくりと傾けて私の目をできるだけ優しく洗い流してくれました。当然ながらそれだけで痛みが消える訳ではないのですが、何度かシパシパと目を瞬くとその痛みも少しだけ楽になります。
それが終わると次は口元へとマグが寄せられ、
「ゆっくりと、少しずつ口に含むように飲むと良い」
と水を飲ませてくれます。流石にそれは恥ずかしいので、自分でマグを持とう腕を動かすのですがあまりの痛みに顔をしかめてしまいます。
「すまない、俺はもとより龍様も霊力を使って守ってくださったのだが……」
「アレは想定以上じゃったな……」
苦笑混じりにいう龍さんの声にそちらへ視線を向ければ、直ぐ側に青藍を抱きかかえたままの龍さんがいました。
二人の話によると「爆炎」の霊石の威力が凄まじく、私を庇った緋桐殿下ごと吹き飛ばしてしまったのだとか。籠める霊力は抑えると言ったのに……と桃さんに恨み言を零してしまいたくなりますが、同時に2つの霊石を使った事で相乗効果が発生した可能性もあります。だとしたら、そこまで考えていなかった私の落ち度です。
私達の周囲には常時、龍さんが霊力で作った障壁があり、虫を含む軽い飛来物や臭いといった物を防いでいてくれています。ただ100%完全な風の遮断は命に関わるので、不完全な障壁なのです。三太郎さんは納得できないようでしたが、
「密閉容器に閉じ込められると酸欠になるような感じ?」
「そういう事じゃな」
と私と龍さんの間で会話が成立してしまったので、そういうものなのだろうと納得してくれました。ようは風の完全障壁を作ってしまった場合、酸素の供給が出来なくなってしまいます。なので窒息を防ぐ為に、外からの風をある程度は通すようなっているのです。
今回はそれが災いしました。
例え障壁で爆風が90%オフにされて百の爆風が10%の十になったとしても
千の爆風の10%は百だし、一万の爆風の10%は千にもなるんですよね。
それに軽減する量が比率じゃなくて固定だった場合、もっと悲惨です。
これ、一度ちゃんと龍さんに確認しないと駄目なやつですね。
話が逸れた上に自分でも何を言ってるんだと思いますが、ようは障壁で大幅に軽減された状態ですら私にとって大ダメージとなる熱風と石礫が襲ってきた訳です。咄嗟に龍さんが障壁の強度を上げてくれたのですが、瞬間的とはいえ熱風に晒されてしまいましたし、既に障壁の中に入ってしまった礫までは排除できません。
龍さんと緋桐殿下が守ってくれたおかげで大怪我はしなくてすみましたが、熱風のせいで目や喉や鼻はヒリヒリと痛みますし、打ち付けた所為で全身がズキズキと痛みます。痛いのは生きてる証拠!とは思いますが、痛いものはやはり嫌なのです。
ただ……
「ごめんなさい、緋桐殿下。殿下も怪我はありませんか?」
私を庇った彼のほうが心配です。
「あぁ、俺なら大丈夫だ。
もっと辛い戦いの経験もあるし、普段から鍛えているしな。
櫻嬢から殿下と呼ばれる方が辛くて苦しいぐらいだ」
少しおどけて言う緋桐殿下に、ようやく彼への呼び方が昔に戻っていることに気付きました。最近になって呼び慣れてきた感のある「さん付け」ですが、気を抜くとやっぱり最初に覚えた呼び方に戻ってしまいます。
「その調子なら緋桐さんは大丈夫そうですね。
青藍は大丈夫?」
本心では「本当に大丈夫なんですか?」と問い詰め、何だったら自分の目でしっかりと確認したいぐらいです。でも私に心配させまいとする緋桐さんの思いを無にするような事はできませんし、彼の言葉を信頼することにします。
「せーらん、だいじょーぶ!
でも、おみみ、へん」
青藍は顔を龍さんの胸に押し付けるようにして抱かれていた事が幸いし、爆音による耳鳴りは防げなかったようですが、目や鼻・喉は私ほどのダメージは受けていないようです。
痛む身体を引きずるようにして立ち上がり、土煙の向こう側を目を凝らして見つめます。龍さんのおかげで土や砂の粒子はこちら側には流れ込んできませんが、障壁の向こう側は見通しが悪く、山のように積み上がった瓦礫だけが確認できます。
できるだけ足止めをしたくて、そして運が良ければトドメを刺したくて上下の二重攻撃にしましたが、それが幸いしたのか瓦礫の下に居ると思われるバケモノが動く気配はありません。ですが本当にアレでトドメを刺せたかどうかは解りません。むしろ冷静になった今なら、アレで倒せるのなら地上で三太郎さんが戦っているバケモノもとっくに倒されているはずとすら思います。
つまり……
「今のうちにアレから逃げよう。
青藍の一族の人も何とか逃げられたようだし……」
私達が確認できた逃げ果せた人の数は少なく、とても青藍の一族全員とは思えません。ですが少なくともあのバケモノよりも先に遭遇したあの数人は、影や形どころか足音すら聞こえないぐらいの所まで逃げられたようです。
「そうじゃな。だが……」
逃げるという私の案に賛成の意を示した龍さんでしたが、その表情は曇りきっています。緋桐さんも私の身体を支えながらも厳しい視線を瓦礫の山に向けていて、このまま簡単には逃げられそうにない気配がひしひしとします。何でも二人の耳には瓦礫の下から微かな異音が聞こえるらしく、どうやら猶予は無いようです。
「急ごう! 龍さん、申し訳ないけれど私を……」
抱き上げて。そう続けようとした時。
山が爆発しました。
私にはそうとしか見えませんでした。(私にとっては)何の前触れもなく爆発四散した瓦礫の山は、周囲へ無数の大小の石の礫を撒き散らして凄まじい音と土煙を上げます。細かい飛来物は龍さんの障壁が、大きめの飛来物は緋桐さんが剣で叩き落としてくれるのですが、そんな対処でどうこうできるような規模じゃありません。
私の視界いっぱいに広がる巨大な岩。その岩がスローモーションでこちらへと飛来してくるのが見えます。
(アレはまずい。アレは流石に龍さんでも緋桐さんでも無理)
変に冷静な分析をする私ですが、口から出たのは
「き、金さんっっっ!!!!!!」
と、三太郎さんの中でも一番守る事を得意とする金さんの名前でした。
ドンッッ!!!
という全身を襲う激しい衝撃に身体をわななかせてしまいますが、その割には新しい痛みはありません。ギュッと瞑った目をゆっくりと開けば、まず見えたのは緋桐さんの外套。そして緋桐さんの肩越しに見えるのは青藍を抱えた龍さん。
そしてその龍さんの向こう側に巨大な岩壁がそそり立ち、その前に立つ金さんが居ました。
「金さんっっ!!」
先ほどとは全く違う心情で同じ名前を叫びます。
「我が間に合ったから良いものの……。
全くそなたは無茶を致すなとアレほど!」
「櫻を叱るのは後回しにしましょう。まずはアレを片付けなければ……」
金さんとは反対、私の後ろから聞こえてきた声は浦さんでした。同時に足元を流れる汚水がキラキラと光を放って浄められていきます。その浄められた水がバケモノの方にまで広がっていったようで、岩壁の向こう側でバケモノが一際大きく震えるのが大気の振動と、岩壁へと次々と衝突する音から解りました。その轟音の中、
「すまねぇ……」
いきなり伸びてきた手が私の頭を何時もよりは遠慮がちに撫でたかと思うと、直ぐに離れていきました。「桃さん?」と見上げた私から顔を逸らした桃さんは、そのまま岩壁の向こう側へと飛んでいきました。
「櫻嬢、もっと後ろへ下がりましょう」
龍さんから青藍を預かった緋桐さんが、私も抱えて距離を取ります。そして私達がしっかりと距離を取ったのを確認した三太郎さんは、一気に攻勢に出ました。
桃さんはバケモノに拳を打ち付けたかと思うと、私が思っていた以上に弾力のある表面を突き破り、バケモノの体内で「爆炎」を発動させます。そんな事をすればあの溶けてしまった人と同じように桃さんの手もダメージ負いそうで、咄嗟に
「桃さん、駄目!!」
と叫んでしまいました。
<安心しろ、俺様がこの程度でやられる訳無いだろ!>
<櫻が心配するから正確に伝えなさい。
安心なさい、桃は浄水の霊石を握ってアレを殴っているので大丈夫です。
火の精霊に水の霊力は諸刃の剣となりかねませんので多用はできませんが、
あの水の大妖に対抗している間ぐらいならば、どうにかなるでしょう>
<そなた達、妖に集中せぬか!>
三太郎さんからの心話が次々と飛び込んできます。彼らはこんな時でもいつも通りなんだなぁと思うと、何だかホッとしてしまいました。
もちろん敵は強大で安心はできません。
できませんが、三太郎さんが一緒なら……という信頼があるのです。
そしてそんな信頼に応えるかのように、桃さんは不定形でブヨブヨしたバケモノを次々と爆炎で千切り飛ばし、それを浦さんが次々と浄化していきます。敵の物理的な攻撃のうち大きなものは金さんが全て防ぎ、物理的じゃない瘴気のような嫌な空気や臭い、それに小さな礫は龍さんが防いでくれます。
(これならいける!!)
そう思った矢先、
<コレ、上のやつと同じヤツじゃねーか?>
桃さんがとんでもない事を心話で伝えてきました。三太郎さんが地上で戦っていた場所と此処とでは、縦軸的にも横軸的にもそれなりに距離があります。同じ種族ならばともかく、同じ個体とは思えません。
ですが龍さんも以前に言っていたように、桃さんの直感は馬鹿にできません。言葉にはできないけれど、そう思うに至った何かが確実にあるのです。
<浦さん。探査技能で水を探るように、あの妖がどこまであるか探れない?>
<そういった使い方をした事がありませんが、一度、試してみましょう。
その間、浄水が止まりますから注意してください>
その浦さんの言葉に桃さんは一旦バケモノから距離を取り、金さんと龍さんは一層防御を固めました。
浦さんは私達がいる場所まで後退して安全を確保すると、スッと静かに目を閉じて精神を集中させているようです。
浦さんの顔をじっと見上げて待ち続ける時間は、おそらく10分どころか5分あるかどうかの短い時間だったのでしょうが、とても長く感じました。最初は無表情だった浦さんの顔が、少し曇り……。その曇り顔が困惑に変わりました。そして一度だけ眉がピクッと動いた後は表情は変わらず……。そしてゆっくりと目を開けました。その顔色は何時も以上に白く、唇はうっすら青みがかってすら見えます。
そんな浦さんから告げられた言葉は
「信じられませんが……、この水の大妖は小島ぐらいの大きさがあります」
という、驚愕に満ちたものでした。
あれは確か上陸するにあたり、「発光」や「浄水」といった必要になるであろう技能を霊石に籠める準備をしていた時でした。私の側には常に三太郎さん+龍さんの誰かに加えて、緋桐さんも付いてくれているから大丈夫だという私に、禍都地では何があるか解らないからと全員が強く勧めてきたのです。
それならばと私が最初に思いついたのは浦さんの霊力を使った水球で、敵を水の玉に閉じ込めてしまえば良いというアイデアでした。ただ人間のような肺呼吸をする相手なら有効ですが、エラ呼吸の相手では効果は微妙ですし、何より呼吸しているのかすら怪しい妖相手では無意味の可能性が高く……。それに水球を出しても常に相手を閉じ込めるように維持できなければ、簡単に抜け出せてしまいます。
そこに立候補したのが桃さんでした。
桃さんが提示した技能の「爆炎」は、桃さんが妖退治の単独行している時などに使う技能で、今まで霊石に籠めた事はありませんでした。当然といえば当然で、私が追い求めている平和で衛生的で便利な日常で使うような技能ではありません。大昔に一度だけ土蜘蛛退治の際に見た事はありましたが、アレは確実に私の手に余ります。
流石に危ないのでは?と私や浦さんが不安に思うのも当然で、金さんも渋い顔をしていました。それでも桃さんの案が通ったのは、籠める霊力は抑えめにするという桃さんの言葉と、何より「水球」を提案した時点で自分を巻き込まないようにする為に起動の合言葉を使う方法も提案していて、そのテストもしなくてはならない事を考えると、他の案を考える時間が無かった事が原因でした。
今にして思えば、桃さんは新しいコマンドワードというシステムを使ってみたかっただけなんじゃ?と思いますし、正確には「桃さん、格好良い」って言わせたかっただけなんだと思います。
桃さんの一つ言いたい。
私がコマンドワードを言うって事は、その場に桃さんが居ない事が確定してるんだけど良いの?って。これ絶対に桃さんの頭から抜け落ちています。
そして「発光」や「浄水」はともかく、「爆炎」は決して他人が唱える事のできないコマンドワードを設定することも決まりました。最初は精霊語で良いかと思っていたのですが、金さんから家族はともかく茴香殿下や蒔蘿殿下も使えるのは許可できないと言われ、無い知恵を絞って考えたのがこの世界では絶対に誰も理解できない英語のコマンドワードでした。しかも霊石一つ一つに別のワードを設定する必要があり、このワードの設定にも時間を取られました。
(だからあの小っ恥ずかしいコマンドワードを
そのまま通す事になったんだよね……)
そんな事を思っている私の頬を誰かが触っています。ペチペチというよりは、そっと撫でるような感じです。
「櫻嬢、櫻嬢!! しっかりしろ!」
触れる手はとても優しいのに、声はとても力強く……そして焦りがありました。
「うっ……」
どうしたんですか?と言いたいのに、自分の口からは言葉ではなく音としか呼べない声が漏れ出るだけなのです。あれ?と思ったこの時になって、私はようやく自分の意識が飛んでいた事に気付きました。
「ひ……きり、殿下……?」
「気づいたか!」
喉がヒリヒリと痛く、目も開けた途端に痛さを感じて再び閉じてしまいたくなります。耳もキーーンと耳鳴りがしていて、少し聞こえが悪いようです。
「目を洗い流したいから、少しだけ我慢してくれ」
緋桐殿下はそう言うと、片手で私を支えたまま竹筒保冷マグをゆっくりと傾けて私の目をできるだけ優しく洗い流してくれました。当然ながらそれだけで痛みが消える訳ではないのですが、何度かシパシパと目を瞬くとその痛みも少しだけ楽になります。
それが終わると次は口元へとマグが寄せられ、
「ゆっくりと、少しずつ口に含むように飲むと良い」
と水を飲ませてくれます。流石にそれは恥ずかしいので、自分でマグを持とう腕を動かすのですがあまりの痛みに顔をしかめてしまいます。
「すまない、俺はもとより龍様も霊力を使って守ってくださったのだが……」
「アレは想定以上じゃったな……」
苦笑混じりにいう龍さんの声にそちらへ視線を向ければ、直ぐ側に青藍を抱きかかえたままの龍さんがいました。
二人の話によると「爆炎」の霊石の威力が凄まじく、私を庇った緋桐殿下ごと吹き飛ばしてしまったのだとか。籠める霊力は抑えると言ったのに……と桃さんに恨み言を零してしまいたくなりますが、同時に2つの霊石を使った事で相乗効果が発生した可能性もあります。だとしたら、そこまで考えていなかった私の落ち度です。
私達の周囲には常時、龍さんが霊力で作った障壁があり、虫を含む軽い飛来物や臭いといった物を防いでいてくれています。ただ100%完全な風の遮断は命に関わるので、不完全な障壁なのです。三太郎さんは納得できないようでしたが、
「密閉容器に閉じ込められると酸欠になるような感じ?」
「そういう事じゃな」
と私と龍さんの間で会話が成立してしまったので、そういうものなのだろうと納得してくれました。ようは風の完全障壁を作ってしまった場合、酸素の供給が出来なくなってしまいます。なので窒息を防ぐ為に、外からの風をある程度は通すようなっているのです。
今回はそれが災いしました。
例え障壁で爆風が90%オフにされて百の爆風が10%の十になったとしても
千の爆風の10%は百だし、一万の爆風の10%は千にもなるんですよね。
それに軽減する量が比率じゃなくて固定だった場合、もっと悲惨です。
これ、一度ちゃんと龍さんに確認しないと駄目なやつですね。
話が逸れた上に自分でも何を言ってるんだと思いますが、ようは障壁で大幅に軽減された状態ですら私にとって大ダメージとなる熱風と石礫が襲ってきた訳です。咄嗟に龍さんが障壁の強度を上げてくれたのですが、瞬間的とはいえ熱風に晒されてしまいましたし、既に障壁の中に入ってしまった礫までは排除できません。
龍さんと緋桐殿下が守ってくれたおかげで大怪我はしなくてすみましたが、熱風のせいで目や喉や鼻はヒリヒリと痛みますし、打ち付けた所為で全身がズキズキと痛みます。痛いのは生きてる証拠!とは思いますが、痛いものはやはり嫌なのです。
ただ……
「ごめんなさい、緋桐殿下。殿下も怪我はありませんか?」
私を庇った彼のほうが心配です。
「あぁ、俺なら大丈夫だ。
もっと辛い戦いの経験もあるし、普段から鍛えているしな。
櫻嬢から殿下と呼ばれる方が辛くて苦しいぐらいだ」
少しおどけて言う緋桐殿下に、ようやく彼への呼び方が昔に戻っていることに気付きました。最近になって呼び慣れてきた感のある「さん付け」ですが、気を抜くとやっぱり最初に覚えた呼び方に戻ってしまいます。
「その調子なら緋桐さんは大丈夫そうですね。
青藍は大丈夫?」
本心では「本当に大丈夫なんですか?」と問い詰め、何だったら自分の目でしっかりと確認したいぐらいです。でも私に心配させまいとする緋桐さんの思いを無にするような事はできませんし、彼の言葉を信頼することにします。
「せーらん、だいじょーぶ!
でも、おみみ、へん」
青藍は顔を龍さんの胸に押し付けるようにして抱かれていた事が幸いし、爆音による耳鳴りは防げなかったようですが、目や鼻・喉は私ほどのダメージは受けていないようです。
痛む身体を引きずるようにして立ち上がり、土煙の向こう側を目を凝らして見つめます。龍さんのおかげで土や砂の粒子はこちら側には流れ込んできませんが、障壁の向こう側は見通しが悪く、山のように積み上がった瓦礫だけが確認できます。
できるだけ足止めをしたくて、そして運が良ければトドメを刺したくて上下の二重攻撃にしましたが、それが幸いしたのか瓦礫の下に居ると思われるバケモノが動く気配はありません。ですが本当にアレでトドメを刺せたかどうかは解りません。むしろ冷静になった今なら、アレで倒せるのなら地上で三太郎さんが戦っているバケモノもとっくに倒されているはずとすら思います。
つまり……
「今のうちにアレから逃げよう。
青藍の一族の人も何とか逃げられたようだし……」
私達が確認できた逃げ果せた人の数は少なく、とても青藍の一族全員とは思えません。ですが少なくともあのバケモノよりも先に遭遇したあの数人は、影や形どころか足音すら聞こえないぐらいの所まで逃げられたようです。
「そうじゃな。だが……」
逃げるという私の案に賛成の意を示した龍さんでしたが、その表情は曇りきっています。緋桐さんも私の身体を支えながらも厳しい視線を瓦礫の山に向けていて、このまま簡単には逃げられそうにない気配がひしひしとします。何でも二人の耳には瓦礫の下から微かな異音が聞こえるらしく、どうやら猶予は無いようです。
「急ごう! 龍さん、申し訳ないけれど私を……」
抱き上げて。そう続けようとした時。
山が爆発しました。
私にはそうとしか見えませんでした。(私にとっては)何の前触れもなく爆発四散した瓦礫の山は、周囲へ無数の大小の石の礫を撒き散らして凄まじい音と土煙を上げます。細かい飛来物は龍さんの障壁が、大きめの飛来物は緋桐さんが剣で叩き落としてくれるのですが、そんな対処でどうこうできるような規模じゃありません。
私の視界いっぱいに広がる巨大な岩。その岩がスローモーションでこちらへと飛来してくるのが見えます。
(アレはまずい。アレは流石に龍さんでも緋桐さんでも無理)
変に冷静な分析をする私ですが、口から出たのは
「き、金さんっっっ!!!!!!」
と、三太郎さんの中でも一番守る事を得意とする金さんの名前でした。
ドンッッ!!!
という全身を襲う激しい衝撃に身体をわななかせてしまいますが、その割には新しい痛みはありません。ギュッと瞑った目をゆっくりと開けば、まず見えたのは緋桐さんの外套。そして緋桐さんの肩越しに見えるのは青藍を抱えた龍さん。
そしてその龍さんの向こう側に巨大な岩壁がそそり立ち、その前に立つ金さんが居ました。
「金さんっっ!!」
先ほどとは全く違う心情で同じ名前を叫びます。
「我が間に合ったから良いものの……。
全くそなたは無茶を致すなとアレほど!」
「櫻を叱るのは後回しにしましょう。まずはアレを片付けなければ……」
金さんとは反対、私の後ろから聞こえてきた声は浦さんでした。同時に足元を流れる汚水がキラキラと光を放って浄められていきます。その浄められた水がバケモノの方にまで広がっていったようで、岩壁の向こう側でバケモノが一際大きく震えるのが大気の振動と、岩壁へと次々と衝突する音から解りました。その轟音の中、
「すまねぇ……」
いきなり伸びてきた手が私の頭を何時もよりは遠慮がちに撫でたかと思うと、直ぐに離れていきました。「桃さん?」と見上げた私から顔を逸らした桃さんは、そのまま岩壁の向こう側へと飛んでいきました。
「櫻嬢、もっと後ろへ下がりましょう」
龍さんから青藍を預かった緋桐さんが、私も抱えて距離を取ります。そして私達がしっかりと距離を取ったのを確認した三太郎さんは、一気に攻勢に出ました。
桃さんはバケモノに拳を打ち付けたかと思うと、私が思っていた以上に弾力のある表面を突き破り、バケモノの体内で「爆炎」を発動させます。そんな事をすればあの溶けてしまった人と同じように桃さんの手もダメージ負いそうで、咄嗟に
「桃さん、駄目!!」
と叫んでしまいました。
<安心しろ、俺様がこの程度でやられる訳無いだろ!>
<櫻が心配するから正確に伝えなさい。
安心なさい、桃は浄水の霊石を握ってアレを殴っているので大丈夫です。
火の精霊に水の霊力は諸刃の剣となりかねませんので多用はできませんが、
あの水の大妖に対抗している間ぐらいならば、どうにかなるでしょう>
<そなた達、妖に集中せぬか!>
三太郎さんからの心話が次々と飛び込んできます。彼らはこんな時でもいつも通りなんだなぁと思うと、何だかホッとしてしまいました。
もちろん敵は強大で安心はできません。
できませんが、三太郎さんが一緒なら……という信頼があるのです。
そしてそんな信頼に応えるかのように、桃さんは不定形でブヨブヨしたバケモノを次々と爆炎で千切り飛ばし、それを浦さんが次々と浄化していきます。敵の物理的な攻撃のうち大きなものは金さんが全て防ぎ、物理的じゃない瘴気のような嫌な空気や臭い、それに小さな礫は龍さんが防いでくれます。
(これならいける!!)
そう思った矢先、
<コレ、上のやつと同じヤツじゃねーか?>
桃さんがとんでもない事を心話で伝えてきました。三太郎さんが地上で戦っていた場所と此処とでは、縦軸的にも横軸的にもそれなりに距離があります。同じ種族ならばともかく、同じ個体とは思えません。
ですが龍さんも以前に言っていたように、桃さんの直感は馬鹿にできません。言葉にはできないけれど、そう思うに至った何かが確実にあるのです。
<浦さん。探査技能で水を探るように、あの妖がどこまであるか探れない?>
<そういった使い方をした事がありませんが、一度、試してみましょう。
その間、浄水が止まりますから注意してください>
その浦さんの言葉に桃さんは一旦バケモノから距離を取り、金さんと龍さんは一層防御を固めました。
浦さんは私達がいる場所まで後退して安全を確保すると、スッと静かに目を閉じて精神を集中させているようです。
浦さんの顔をじっと見上げて待ち続ける時間は、おそらく10分どころか5分あるかどうかの短い時間だったのでしょうが、とても長く感じました。最初は無表情だった浦さんの顔が、少し曇り……。その曇り顔が困惑に変わりました。そして一度だけ眉がピクッと動いた後は表情は変わらず……。そしてゆっくりと目を開けました。その顔色は何時も以上に白く、唇はうっすら青みがかってすら見えます。
そんな浦さんから告げられた言葉は
「信じられませんが……、この水の大妖は小島ぐらいの大きさがあります」
という、驚愕に満ちたものでした。
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