果てなき輪舞曲を死神と

杏仁霜

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第一夜

慈悲の短剣

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真夜中 24:15        ~プロローグ~

「大変申し訳ございませんが…お時間でございます」
 真夜中の自室にノックが響き、扉を開くと執事さんが辛そうに俯きながら佇んでいた。
「時間? 何の…です?」
 その時の俺は相当、怪訝そうな顔をしていたのだろう。それはそうだ。もう真夜中、先ほど玄関の大時計の鐘が十二回鳴り、そろそろ寝ようとしていたところなのだから。
「何か、お約束ごとでもありましたか?」
 そう問いかけると、執事さんはさらに辛そうに奥歯を噛みしめる。
「いいえ…私どもの、都合に…ございます…」
 続く俺からの問いは、閃いた銀光によって永久に遮られた。
 
 ____ドッ!

「…え…?」
  冷たい衝撃が俺の胸を貫いた。
後ろ手に隠していたのは、綺麗に磨き抜かれた短剣だったのだろう。俺は、その刀身を見る事が出来なかったが。

 柄から先は、俺の胸に深々と突き立てられている。おそらく切っ先は背中まで貫通していることだろう。考えなくてもわかる、明らかな致命傷だ。痛みと衝撃、そしてそれよりも圧倒的な脱力感で、息ができない。

 悲鳴の代わりに血を吐いて、崩れそうな膝を立て直すと執事さんを信じられない思いで見返す。彼の表情は影になって見えなかったが、相変わらず辛そうな顔をしていることだろう。

 しかし…何故?

 彼に殺される、その理由が思いつかない。
 それも、こんな辛そうにしながら。
 
「お許しください…こうするより他に…。お許しください…」
 
 まともに彼の言葉が聞こえたのは、そこまでだった。少しずつ、目の前が暗くなっていく。それに伴って、膝から力が抜けた。
 その場に崩れた拍子に刃が抜け落ち、床で涼やかな音を立てる。
「…しつ…じ…さ…、な…ぜ…」
 問いかけの声は、自分のものと思えないほど掠れ、喉からは浅くて早い呼吸音。伸ばした手は、虚しく宙をつかむ。苦しい…苦しい、息ができない。肺を貫通しているせいだろうか?  目の前が暗くなってゆく。
 じわりと広がる、赤い色。もはや、痛みの感覚さえ遠ざかりつつある。

「…うか次回は…解き明か…てくださ…」
 …次回…? …可笑しなことを。…こうして瀕死の俺を目にしながら、何を懇願することがある?

 …次回など、あるはずもないのに。

「申し訳ありません、さぞかしお辛いことでしょう。長く苦しめるのは本意ではありません。どうか速やかに『お眠り』下さい…」

 やけに近くで聞こえた最後の言葉に、失笑が漏れそうになる。これが本当の『おやすみ』の挨拶ということか…? お優しいことだ。

 ただ、最後に心残りがある。
 死ぬ前にせめて、もう一目…彼女に会いたかった…。
 一緒に育った孤児院で、今も子供たちの世話を手伝っている、彼女に…。
 ごめん、ティアラ…俺、君を迎えに行けそうもない…。
彼女の素朴で温かい笑顔。せめて、もう一度見たかった…。

 霞んだ意識で想いを馳せている間にも、冷たい手に抱き起こされて。そして心臓の位置にぴたりと当てられる、血まみれの刃。

 ああ…思い出した…。慈悲の短剣…!
 戦場で瀕死の兵士を速やかに『楽にする』ための短剣のことを…。
 まさに…こういう、こと…か…。

 そして振り下ろされる衝撃。俺の意識は、そこで終わった。
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