果てなき輪舞曲を死神と

杏仁霜

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第三夜

三たびの静寂

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真夜中 23:30

 ようやくのことで開いた扉は、秘密の中庭に続いている。シュゼット嬢が散ることを惜しんでいた、バラの花園がある庭園が。
 転がるように外に出ると、激しい風雨に服や髪がはためく。叩きつける雨粒に一瞬息が止まる。風に煽られて、赤い花びらが舞い飛び手の中のランプがカラカラと音を立てた。雨風に抵抗するため壁伝いに背中をつけて扉から離れ、叩きつける雨に耐えながら先に進む。
 
「逃がさない…」

  びくり、と肩が慄いた。背後で聞こえる、くぐもった声。雨音にも風の音にもかき消されず、その声は俺に届いた。
 ゆっくりと目を上げて。その先に。ずぶ濡れの白い影は、壁沿いに俺を追い詰める形で迫って来ていた! 気まぐれに姿を現した月に照らされ、夜目にも鮮やかな長い髪を振り乱し、俺を捕らえようと手を伸ばしてくる! 男か女か、掠れてしわがれた声ではわからない。だが、ここにいるのは俺と執事さんと…後はただ一人しかいないじゃないか!
 まさか…まさか…!
 闇に浮かぶ、鮮やかな金髪。それは、間違いなく…。
「シュゼット…嬢…?」
 今まで俺が見てきた彼女は、儚げで…無邪気な…。それがどうして、こんなボロボロの亡霊に成り果てて…?
 一体、何が起きたというんだ? 何が起きたらここまで変わり果ててしまうのか? 

 伸ばされた手に目を向けて、俺は胸を突かれた。
 未だ流れる血は、苦痛が続いていることを示すかのよう。
 そうだ、異端審問は…あらゆる拷問を受けるものだったはず…。身体中に針を刺され、無理やり大量の水を飲まされ沈められて爪を剥がされ…。彼女は死の間際、地獄以上の苦しみを味わったに違いない。どんなに辛かったか、苦しかったか想像を絶するものだろう。その挙句の死は、どんな絶望を伴っていたのだろう…!

「逃がさない…」

 …しまった…! それは、致命的な隙に繋がった。
 瞬間、俺の脇腹を見えない灼熱が切り裂く。
 背にした壁もろともに深い傷を刻み、血煙が風に煽られて広がる。
「…か…はッ…!」
 壁にもたれかかり、衝撃に耐える。どうやって斬られたのかはわからない。彼女の手には武器はなく爪すらないのだ。決して浅い傷ではないが、致命傷にはまだ遠い。とにかくここから離れなくては…第二撃から逃げなくては!

「もっと咲かせて…紅い花…」
 
 ぞくり。
 笑っている…嗤っている。
 乱れた髪の間から、ちらりと覗く狂気じみた笑み。
 彼女がゆっくりと手を伸ばしてくる。後退って避けるが、身体が思うように動かない。無視できない激痛と脇腹からの失血が、体を蝕む。
 寒い…寒い。恐怖だけではない体の震えが止まらない。
 
「咲かせて…」

 再び、見えない力が壁を穿つ。今度はなんとか直撃は避けられた。だが次は避けられないだろう。
 容赦なく叩きつけてくる風雨で、体温は確実に奪われて行く…。
 
 震える体に鞭打ち、気力を振り絞ると彼女から距離を取る。
 そうだ、霊廟に…霊廟に逃げ込もう…。
 この中庭にあるはず。どこに…?
 暗闇に目を凝らしたその時…ふらつく足が、空を踏んだ。
「うわあああ!」
  
 突然落ちた半地下の階段は、石造り独特のひんやりとした静謐を湛えていた。
 もしかしたらここが、件の霊廟なのだろうか? 熱い傷を抑えつつ、幸い壊れていなかったランプのシャッターを再び開けて辺りを見回す。点々と赤い雫を垂らしながらようやく段を踏み、一番下に扉を見つけたのですぐ閉めて閉じこもる。これで…少しは時間を稼げる…。
 壁に背中を預けて息を吐いたとき、閉じた扉の裏に何か書かれていることに気づいた。

『絶望は、本当の死を引き寄せる』

 …これは…。
 思い当たることはある。
 前回、確かに俺は絶望しかけた。オルゴールの部品が揃わないことに。シュゼット嬢の想いを繋げないことに。その時は急に、立っていられないくらいに身体が重くなった。そしてじわりと息が苦しくなり…。あの時ティアラの写真がなければ、今頃どうなっていただろうか?

 俺はそっと、その言葉のそばに赤い文字を書き加えた。苦痛に満ちた最期を具現化したような姿。ただの恐ろしい亡霊として片付けられるには、あまりに哀れではないか…。

『シュゼット嬢に、罪はない』

 誰かがこれを見つけるだろうか? たとえ俺にこの先何かあっても、他の誰かが。せめて彼女のことを
理解してほしい。その一念で、勝手に体が動いた。


 それから。俺は痛みに耐え脇腹を抑えながら、ふらつく足でさらに奥に…ランプの明かりを頼りに少しずつ進み続けた。棺が並ぶ霊廟の通路は整然としており、死者への深い敬意が見て取れた。執事さんはいい仕事をしている。
 
 少しずつ赤い雫が床に落ちることに罪悪感を覚えたが、それでも歩みは止めなかった。力が入らなくなってきた足にぼやけ始める視界。失血が進んできたらしい。いよいよ『終わり』が近づいてきているということか…?
 その時ふらりと寄りかかった壁際の棺に、見覚えのある名前を見つけた。

『明朗なる駒  オリバー・ワイルド、ここに眠る』

 「…オリ…バー…?」
 まさか、しばらく前に姿をくらませた…?
 棺にすがりつくようにして俺はその文字を確かめる。確かに『オリバー・ワイルド』とある。
 行方不明になった、同僚の名前だ。
「そんな…!」
 彼も、ここに来ていたのか? そして…。
  なんということだろう、それに何故こんな所で…?

 そうだ、執事さんも言っていたじゃないか。『ここには、ご先祖様方と『大勢の方々』を祀っております』と。確かに間違いではなかった。今までにここに来た多くの『駒』達もここに眠っていたということだ。
 執事さんは『嘘をつけない』のだから…!

 そこで気力も尽きたようだ。足から一気に力が抜け、その場にへたり込む。なんとか壁際に背をつけて荒く息をつく俺の脳裏には、快活な笑みで同僚に声をかけて回る元気な姿が蘇った。俺自身も随分と世話になっている。それが何故こんな事に?

 脇腹からの出血は止まらない。いつしか床に小さな流れが出来、傾斜に沿って赤い線が伸びて行く。失血に加え外で雨にさらされたことで、確実に体温が奪われていた。寒い…寒い…。
 もう、これ以上動けそうになかった。


「お知り合いのお方がいらしたのですか?」
 いつまで、そうしていたのだろう? 気づけばそばに、執事さんが短剣を手に現れていた。
「…オリバー・ワイルド…この名を…覚えているか?」
  息が浅くなりつつある俺の問いに、彼は目を閉じ深く頷いた。
「よく存じております。彼だけではなく、ここにおられる全てのお方を。オリバー様は賢明なお方であり、如何なる時も気丈で明朗な振舞いをなさいました」
「彼も…殺したのか?」
 俺の言葉には、全く感情が込められなかった。ただ、空虚な想いだけがそこにある。
 身近な人の死…それも、おそらく今は俺しか知らないであろう死を。認めたくなかっただけかもしれない。
「ええ。私の…この手で」
「…これからも、多くの命を…手にかけるのか…?」
「貴方で…最後になることを祈るばかりです」

 一歩。近づいてくる足音。
「ご覧になられたのですね…?」
 無言で俺は頷く。何を、などという無粋な質問は無用だった。
「あれが…幾度も訪問者たちを殺し続けた理由か? 彼女を…救うために…?」
「…勘の鋭い方ですね…」

 この屋敷では、延々と同じ一日が繰り返されていた。何をきっかけにそうなったのか…あの姿になった彼女を見て、なんとなく俺は気づいた気がする。
「訪問者…いや、この場合は…『駒』と言うべきか? その死をもって、時が戻っていた…?」

 日付が変わるたびごとに、あの哀れな亡霊の姿になるシュゼット嬢。
 それに伴って惨たらしい死に方の記憶も蘇り、壊れてしまったとしたら。 
 そしてかりそめであっても、元の穏やかな一日を取り戻すためには…。


 俺の…『駒』の命と引き換えにする他なかった…?


 だから執事さんは、泣く泣く俺を手にかけていた…。そういうことだと悟った。

『日付が変わった以上…速やかに貴方を亡き者にしなければ、お嬢様に仇なすことになる』 

 確かに、その言葉に間違いはなかったのだ。
「その答えにたどり着いた方は、貴方が二人目でございますよ…カシアン様」
 彼は明確に答えない。何よりそれが、肯定の意思を表していた。
 壁を背にもたれかかったまま、静かに赤い流れは続いている。暗くなりつつある視界に、死神の歩みは止まらない。近づきつつある終焉に少しでも抗おうと俺は言葉を綴る。

「…苦しむことなく…短剣で即死するように計らっていたのも…貴方の温情だった」
「買いかぶりですよ」
「さりげなく…小さな手掛かりを与えていたのは、俺に…苦痛を与えないため…」
「…同時にお嬢様も苦しむことになるからです。ただ…お嬢様を庇っていただいて、ありがとうございます…」
 いつのまにか、執事さんの頰には光るものが流れていた。庇う…ああ、さっき扉の裏に書いた言葉のことか…。

「最後に。何処かに…この事象を見ている何者かが…居るんですか?」
  誰かが、執事さんのこの様子を見続けている。もしくは見張っている。そういう存在がいるということで、彼の行動は説明できる。『第三者』によって、ここの繰り返しは管理されている。だとしたら…執事さんの望みは、ここからの解放ということになるのではないか?
 その質問に彼は答えない。静かに抜き放たれる、『慈悲の短剣』。

 こんな時でも美しい刀身だと感じてしまうのは、おかしいだろうか? これから俺の生命を刈り取る凶器だとしても、血に塗れることを惜しいと感じてしまうのは…学者の端くれとしての性だろうか?

「理由を知っても…多分、俺は…抵抗し続ける…。待っている…人がいるので…」
「…構いません。それこそが、生きる意思ですから…」
 
 指先の感覚は、すでにない。脇腹の痛みすらも遠いものとなっている。それでも、俺は抵抗を諦めるわけにはいかなかった。たとえそれが、無駄な意志であろうとも…!
 彼は俺のそばに膝をついて、祈るように頭を垂れる。切っ先は計ったようにたがわず、心臓の位置に当てられていた。
「申し訳ありません…おやすみなさい…!」
 その言葉が終わらぬうちに深く、深く突き込まれる短剣。
 ああ…これは、彼が持ってこその、『慈悲の短剣』だったんだな…。

 そして、三たびの静寂が訪れた。
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