ハッピーレクイエム

煙 亜月

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I 演繹と仮説

007 説教

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七 説教

 本当に、かれは死ぬべくして死んだのだろうか。
 母校のことを思い出した。キリスト教系の私立高校だったためか、こんなことをいう子もいた。
「神様は人をこの地に生ませたとき、その人にとって相応しい人生をすでに決められてるの。そのことは人を安心させるけどね、サタンはその心の隙へつけこむの。たとえば人を本来より早死にさせたり、人に人を殺させたりね」。

 公立中学校からその私立高校へ入学した当初は、キリスト教系(設置の母体が宣教系ではなく一般のプロテスタントであったため、ミッション系とは称さない)であったことは、勉強や部活動には関係ないであろうとみていたが、実際その通りだった。設置者がどうあれ、十五歳のわたしは街でひと際目を引く、お洒落なダブルブレストのブレザーを着てみたかったのだ。
 さらに中学校から吹奏楽部で楽器をはじめ、その高校も吹奏楽の強豪校であったことも進路を決めた一因だった。宗教などどうだっていい。だから敷地内に付設された礼拝堂に仲の良い子と物見遊山をするにも気負いなく行けたのだ。
「この世は、完璧である」。
 礼拝堂の伝道師はそう語った。初めて説教を受けるであろう新一年生にもわかりやすい、平易な祈祷会だった。
 創造主である神はすべてのものを造られた。光も、物質も、命も、死も。すべてのものがよりよい意味を成すよう造った。それらは神の計画でこの世に生み出され、神の計画にないものはこの世になかった。それと同時に、多くの試練をわれわれ人間に与えもした。ということはつまり、神は試練を通じ、人間がよりよい信仰に至るよう待ち望んでいる、と。神の愛はどこまでも、いつまでも、人間すべての中にあるという。

「あなた方は一人ひとり、望まれて生まれてきました。神様のご計画に一片の狂いがないように、あなた方一人ひとりの命も、神様の愛でもって造られたのです。ただ、残念ながらその愛を生きている間に神様に確認する手立てはない。でもね、だからってあなた方が恋人に『わたしを愛してるって証拠を出して』といいますか? 神様はあなた方へ愛を注いで造った。神様が欲しいと思ったから存在する。神様の欲しくないものはこの世のどこにも存在しません。また――わたしたち人間は動物とは違い、心に愛がある。
 さあ、ひとつの例として、ちょっと残酷ですが川で溺れているサルの親子の話をしましょう。母サルが助ける優先順位は自分自身、年長の子サル、最後が年少の子サル。生存能力の高い順です。しかしわたしたち人間は、本能を上回る愛の論理でもって小さな小さな子どもを助けます。優先順位では自分が最後です。
 本能は、とてもシステマティックです。合理的です。しかし、人間はおよそ合理的とはいえない。神様がご自身と同じように人間を造られたからです。自分を最優先に助けるか、それとも二人の子どもを優先するのか。
 神様は人間にない条件があります。神様は、完璧なのです。神様のことを全能者、超越者ともいいますよね。
 われわれは神様と同じような形をした心を持って生まれました。我々人間は助け合い、川で溺れようが飢えに苦しもうが、助け合える。生存能力の低い者を切り捨てるのではなく、みんなが生き延びるように、みんなが幸せになれる社会となるように、文字通り愛を注いで造られた。それは唯一感じられる神様の名残です。
 動物にはこのような思考形態を持つ者は一部を除き存在しません。ただ本能に従う機械やプログラムと同じなんです。
 どうやらわたしたちは神様に愛されているようだ、と。それでいいのです。哲学書を紐解くよりシンプルです。
 この場で覚えていただくことはひとつだけに絞ります。今、わたしたちは神様に愛されているということを拒絶しない、これだけです」
「ああ、疲れた。まあ、いろいろ気になるけど、あたしにしてみれば世の中はカオスもコスモスもない、自然現象そのものだと思うよ。耐えられない試練はないとかいうけどさ、耐えられずに死んだひとはどうなるの、って」
 礼拝は短かった。三〇分少々。その三〇分で確かにわたしは変わった。
 礼拝堂から出、同じ中学校出身の子が足元の小石をドリブルしながらいった。「だいたいさ、神がいるのにさ、さっきあたし祈ったのにぜんぜん話聞いてくれてる感じ、なかったじゃん」
 わたしはむすっとする。好きな歌手か、親兄弟をけなされたような気分だ。「ちょっともう、聖子、どうしたの? たかだか三〇分でもう染まっちゃったの?」と、その子は苦笑いしながら肩を叩く。
「あ、ああ。ごめん。眉間、しわ寄ってた? なんというか、部分否定はできても完全否定はできないなって思っただけだよ。神の不在を立証するには、証拠不十分。その逆もしかり、だけどね。まあ、わたし個人が強く興味を抱ける事柄ではないかな」
「はは、あんたらしいわ。じゃ、部活行って来る」
 またね、とその子は手を振る。「はいよ、夜には帰ろうね」とわたしも吹奏楽部のランニングに意識を集中させた。
 
 あの祈祷会や、その後ひとりで行った主日礼拝は文字通り説教じみていて、抵抗がないこともなかった。聖書の特定の一文をあげつらって(まるで言質を取るかのように)拡大解釈をしてその日の説教の題材にし、牧師は恣意的に語っているように思えた。だが、その言葉はそれまでのわたしになかった常識を新たに芽吹かせた。聖書はどこから、どれほど読んでも破綻なかった(そもそも神の言(ことば)が記されているのであれば、どの一文も欠かせず、どの一文も間違いがないのだ)。
 疑いを捨てて聞くと、説教はどれをとっても、壮大な歴史に基づいた完璧な論理であり、そこになんら瑕疵はなかった。つまり、そもそも疑いを持たない少女はさしたる抵抗もなくして、神やキリストを、そこにあるものとして見ていた。現代においてだれも姿を見たことがある者はいない。それなのに神やイエスが実際に存在したかどうかなど、論ずるに野暮だ。どうやら恐竜がいたらしいという痕跡で人びとは恐竜を信じている。進化の瞬間も見ていないし、ビッグバンに立ち会ったこともない。なのに、すべてを形而下に置こうとしている。証拠の有無は関係ない。信じてもいいし、信じなくてもいい。
 これはきっと恋と同じ原理なのだろう、と恋をしたこともないのに当時は思ったのだ。

 あまりに足しげく礼拝に通うと同級生に変に思われないかという思春期らしい心配もあった。高校へ進学して初めての夏を迎えると、自宅からほど近いプロテスタント教会へ通うようにした。本来は学校の礼拝堂の方へ名簿に名を連ねており、自宅近くの教会へはあくまでも臨時に礼拝へ通う(これはクリスチャンの間で「雨宿り」呼びならわされる)ようになった。もっとも、当時は日焼け止めのつばの広い帽子やアームカバーで人相、そして信仰に魯鈍な自分自身を隠した。ほどなくして、その自宅近くの教会で洗礼を受けた。

 両親ともに一応の仏教徒であった。一応の、というに人死ににあえば題目を唱え、クリスマスを祝い、ハロウィンにはお菓子を食べ、そして元旦には神社に詣でるという無頓着さがあったからだ。宗派問わず祝い事は祝い、しかし特定の宗派に入信することだけは警戒した。戸別に訪ねる宗教の勧誘に居留守を使うのも、かれらの勧める神仏が新聞の勧誘と同じく、すでに事足りていたからだ。
 これまでなんら神も仏も信じることもなかった。まったく不足のない、誰かの助けなど要さない家庭に育ったのだ。しかし日曜の主日礼拝や、火曜の勉強会や、木曜の規模の小さな祈祷会と、わたしは熱心に教会へ通った。進学しての唯一の特異点だった。両親も少なからず怪訝に受け取ったようだが、わたしはだれにもなにも相談せず受洗の夏を迎えた。
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