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Ⅳ「リセット」
033 告白
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三三 告白
夏本番の暑さなのに、日陰で風が通るというだけで涼しいと感じてしまう。
講義室前のベンチで物理学実験のテキストを読んでいると、平松がTシャツにクロップドパンツ、足元はローファーという気の抜けきった出で立ちで近づく。煙草を取り出し「吸う?」と笑う。
「死んでも吸わない」とこの上なく冷ややかにいったつもりだったが、平松は「健康志向だねえ」とへらへら笑いながら一本くわえて火を点けた。最高に不機嫌な表情(事実、最高に不機嫌であった)で顔の前で手を振る。さすがに理解したのか「あなたのためであるならば」とおどけて火を消した。意外と素直だな、と感心していたら「昨日、練習抜け出して吉川となに話してたの?」といった。なぜかは知らないが苛立ちを覚えながら「あなたには関係ないでしょ。でも、わたしもあなたたちとは関係したくなかったんだけど」と意識して冷たくいった。
「おれ、吉川とはなにもなかったんだ。今むこうがどう思ってるのか知らないけど」
「返事もしたくないけど、平松。その独り善がりな恋愛観、いつまで大事に抱えておきたいの?」
「この世に自由意思がある限り」
「身勝手ね」
「誤りを早期に修正したいだけだよ。おれはせいこが」
「誤りを早期に修正して。わたしはしょうこ。呼び捨ては駄目。第一、なんでわたしの名前」
「好きだ」
「は?」
「好きなんだ、聖子のことが。好きだ」
頭の中でその言葉が反響しては消え、しかし記銘した声を脳が反芻し続けている。
「その、ちょっと、そういうのは普通、お互いをもっとよく知ってから」
「一目惚れ、っていったら?」
「は? 顔?」
「そんなに自信あるんだ」
「なにがいいたいの」
「好きなんだよ。ぜんぶ好きなんだ。一緒にいたい」
わたしは赤面する。赤くなる耳はもはや周囲の囃し立てる音声を拾わず、泣きそうになる。ただちにその場を離れた。
下を向いて泣くのをこらえながらキャンパスを歩き、どこへ行っても人の目があり、つまりどこへ行ってもよい結果は導けないと知る。わたしは冷静な機械だ。今までもそうだったし、これからもそうだ。平松が追いかけてきていたらどうしよう。怖くて後ろも振り向けない。いやだ。なにをいわれようと答えられない。できればなにもいわないでほしい。だれかの「朝野さん」と呼ぶ声がして、それも無視する。いやだいやだいやだ。
わたしは走った。キャンパスを走った。校門までを走った。バックパックの中でテキストがゆさゆさと揺れる。キャンパスを出、外へ走った。いつものディスカウントストアを通り過ぎるあたりで、軽い熱中症になったと自己診断し、ゆっくり歩いた。今日、まるまる自主休講だな、と頭の片隅でおぼろげに考えながら、
「とても困った!」
と、小さく鋭く声に出す。毒づくにはおよそ似つかわしくない文言だと我ながらおかしく思う。でもわたしは事実、とても困っており、そのことで大変なストレスを感じているのだ。
まだ一〇時頃だろうか。夏の日差しは強く、大量の汗をかいた。背中とバックパックとの間でTシャツがびっしょり濡れているだろう。
人の数も種類も多いディスカウントストアを避け、大通りからやや離れたコンビニで酎ハイを買い、自分のアパートへ戻る。部屋に入り、一気にあおる。なぜここまで動揺しているのだ。涙を拭くのも洟をかむのもティッシュで間に合わないので、垂れてくる分だけ拭い、生まれて初めての酒をひと缶全部空けた。
「くそ」わたしは結論付ける。
夏本番の暑さなのに、日陰で風が通るというだけで涼しいと感じてしまう。
講義室前のベンチで物理学実験のテキストを読んでいると、平松がTシャツにクロップドパンツ、足元はローファーという気の抜けきった出で立ちで近づく。煙草を取り出し「吸う?」と笑う。
「死んでも吸わない」とこの上なく冷ややかにいったつもりだったが、平松は「健康志向だねえ」とへらへら笑いながら一本くわえて火を点けた。最高に不機嫌な表情(事実、最高に不機嫌であった)で顔の前で手を振る。さすがに理解したのか「あなたのためであるならば」とおどけて火を消した。意外と素直だな、と感心していたら「昨日、練習抜け出して吉川となに話してたの?」といった。なぜかは知らないが苛立ちを覚えながら「あなたには関係ないでしょ。でも、わたしもあなたたちとは関係したくなかったんだけど」と意識して冷たくいった。
「おれ、吉川とはなにもなかったんだ。今むこうがどう思ってるのか知らないけど」
「返事もしたくないけど、平松。その独り善がりな恋愛観、いつまで大事に抱えておきたいの?」
「この世に自由意思がある限り」
「身勝手ね」
「誤りを早期に修正したいだけだよ。おれはせいこが」
「誤りを早期に修正して。わたしはしょうこ。呼び捨ては駄目。第一、なんでわたしの名前」
「好きだ」
「は?」
「好きなんだ、聖子のことが。好きだ」
頭の中でその言葉が反響しては消え、しかし記銘した声を脳が反芻し続けている。
「その、ちょっと、そういうのは普通、お互いをもっとよく知ってから」
「一目惚れ、っていったら?」
「は? 顔?」
「そんなに自信あるんだ」
「なにがいいたいの」
「好きなんだよ。ぜんぶ好きなんだ。一緒にいたい」
わたしは赤面する。赤くなる耳はもはや周囲の囃し立てる音声を拾わず、泣きそうになる。ただちにその場を離れた。
下を向いて泣くのをこらえながらキャンパスを歩き、どこへ行っても人の目があり、つまりどこへ行ってもよい結果は導けないと知る。わたしは冷静な機械だ。今までもそうだったし、これからもそうだ。平松が追いかけてきていたらどうしよう。怖くて後ろも振り向けない。いやだ。なにをいわれようと答えられない。できればなにもいわないでほしい。だれかの「朝野さん」と呼ぶ声がして、それも無視する。いやだいやだいやだ。
わたしは走った。キャンパスを走った。校門までを走った。バックパックの中でテキストがゆさゆさと揺れる。キャンパスを出、外へ走った。いつものディスカウントストアを通り過ぎるあたりで、軽い熱中症になったと自己診断し、ゆっくり歩いた。今日、まるまる自主休講だな、と頭の片隅でおぼろげに考えながら、
「とても困った!」
と、小さく鋭く声に出す。毒づくにはおよそ似つかわしくない文言だと我ながらおかしく思う。でもわたしは事実、とても困っており、そのことで大変なストレスを感じているのだ。
まだ一〇時頃だろうか。夏の日差しは強く、大量の汗をかいた。背中とバックパックとの間でTシャツがびっしょり濡れているだろう。
人の数も種類も多いディスカウントストアを避け、大通りからやや離れたコンビニで酎ハイを買い、自分のアパートへ戻る。部屋に入り、一気にあおる。なぜここまで動揺しているのだ。涙を拭くのも洟をかむのもティッシュで間に合わないので、垂れてくる分だけ拭い、生まれて初めての酒をひと缶全部空けた。
「くそ」わたしは結論付ける。
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