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シェロリ高原編
第10話 演技派
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小柄な婦人が桶を片手に村の水路へ向かっていた。
洗濯のためである。
村は喧騒で満ちていた。
それもそのはず、フォルタン地区のバリアが消失したのだ。
もっとパニックになっても良いはずだが、地区から魔物の声も移動する音すらも一切聞こえないため不安だけが蔓延していた。
婦人はそんな事態でも平然と家事をこなしている。
バリアが消えたとはいえ、魔物が出てくる気配が無いなら気にしなくて良いでしょうに。それより、村の近くの自然魔境の方がバリアも壁も無いし、よっぽど危険だろうに。
婦人はそう思いながら村の入り口の前を通った。
そのとき、柵で覆われた村の門扉が叩かれる。
「すみません。開けて貰えませんかねぇ」
久しぶりの訪問者に警戒心をいだきながら婦人は、門扉の横の小窓を開けて覗いてみる。
そこにいたのは八十歳程の杖をついた老婆と童顔の少年であった。
婦人は安堵した。
魔物の中には人の声を真似するものがいるが、姿までは模倣できない。
人型の魔物も存在しない。
婦人は、二人は祖母と孫の関係にあるのかなと推察した。
「どうしました? 近くの村の方々ですか?」
婦人から先に尋ねる。
「えぇ、東の方の村から来たんだけどねぇ、ほら、あそこのバリアが消えちゃったでしょお? 今のところ何も無いけどやっぱり怖くてねぇ。西の方の都市まで行こうと思って。
私は老いぼれだから、いざという時に直ぐに逃げられないし、この子が心配で…」
老婆は少年の頭を撫でる。
少年の顔は零れ落ちそうなほど不安で満ちている。
「なるほど…。では何故この村に…?」
東の方の村から西の都市に行くためにこの村を経由する理由は思いつかない。
魔境が近くにあり、野良の魔物の生息数も比較的多いこの村は近づかないのが吉であるはずだが。
「いやねぇ、それが情けないことに腰を痛めてしまってねぇ。出立したばかりだというのに…。だから宿に泊まって腰を休めたくてねぇ。この村にあるかい?」
曲がった腰をさすって痛みを堪えながら老婆が言う。
「それは大変ですね…! とりあえず入ってください」
門扉の横にある来客用の小さな扉を開けて彼女らを迎え入れる。
「…この村に宿は無いんですけど、良ければ私のお家に泊まりますか?」
婦人は少し逡巡した後、笑顔で告げた。
「…いいのかい?」
「えぇ! 夫と二人で暮らしてる狭い家ですが、それでも良ければ…」
「ありがとうねぇ。一日くらいで出て行くから…お邪魔しましょうかねぇ」
「いえいえ、一日と言わず腰が良くなるまで居てくれて構わないですよ。腰が痛いままじゃ、また直ぐに足が止まっちゃうでしょう。この先、村の数も疎らですし」
「…本当にありがとうね。ほれリアも頭をお下げ」
リアが頭を下げる。
彼の潤んだ瞳は婦人の同情を誘った。
「リアって言うのね。私の名前はリエラです。おばあさんのお名前は…?」
「ロスタノと言います…。リエラさんね。よろしくお願いします…」
ロスタノが恭しく頭を下げる。
それにリエラが笑顔で応えた。
◇◆◇
ロスタノ達が案内された家は簡素ながら他の民家より大きい。
所々剥がれた白壁の塗装が年季を感じさせる。
「どうぞ」
剥き出しの煉瓦が敷きつめられた床の部屋が三つほどある。
小さな村の家にしては十分広い。
「よいしょっ。ここに私のお布団移動させておきましたから寝ててください。あまり広くないですけど…」
「いいのかい? リエラさんの布団は…」
「私は夫の布団で一緒に寝ますから大丈夫ですよ」
リエラがにこりと笑む。
「洗濯がまだ終わってなくて、やってきてもいいですか? お昼時には戻りますから」
「えぇ。本当にありがとうねぇ…」
「いえいえ~」
そう言い残すとリエラが玄関から出て行く。
リエラが外の地面を踏みしめる音が遠ざかったとき、ロスタノのか弱そうな雰囲気が掻き消えた。
「ふぅ、村に入れたね」
「そうですね。…というかロスタノさん結構演技上手いですね。何処にでもいる腰を痛めたおばあさんって感じでしたよ。途中、ほんとに腰痛いんじゃないかと思いましたし」
「それを言うなら君だって。あの不安そうな表情は素晴らしかったよ。将来は劇場で俳優でもやったら? 天職かもしれないよ」
「悪くないかもですね」
リアは煉瓦の舞台の上で、弧を描く観客席を目の前に淡い照明の光を浴びながら台詞を述べる自分の姿を想像する。
将来の展望に俳優という道が明るく照らされた。
「ところで、何故この村に立ち寄ったんです? まぁ…村があると伝えたのは僕ですが…」
「魔力探知をしたせいでこの村の近くの魔物が私の魔力にあてられてね、活性化してしまったんだよ。今、ここら辺の魔物は攻撃的になっている。だから、魔境ごとまとめて魔物を処理してしまおうと思ってね。
今は魔力探知の『網』を広げて魔物に圧をかけて抑えつけているけど」
ロスタノが布団で横になりながら目を瞑る。
老婆の姿で、胸の上で指を組まれると死者に見えて心臓に悪いなとリアは思った。
「…腰痛めた演技する必要ありました?」
「近くにある魔物の牢獄が開放されたんだから警戒されると思ってね」
魔物の牢獄とはフォルタン地区のことであろう。
リアはとりあえず納得する。
しかし、また疑問が浮かんできた。
村に入る必要あったのだろうか。
魔境に直接向かえば良いのではないか。
リアがそう考えているとロスタノが口を開いた。
「悪いのだけど、一分間意識を手放してもいい?」
「え…、なんでです?」
「この世界の情報を得たくてね。村に来たのはそのためでもあるんだよね。
魔力探知は張りっぱなしにするから。万一、事が起きたら蹴り起こしてくれて構わないから」
「えぇ……まぁ、分かりました」
ロスタノの足りない説明に置いていかれながらも頷く。
私がそばにいるから問題ない、と言っておきながら早速離れるとは何事かとリアは思った。
しかし、一分くらいなら部屋でじっとしていれば良いかと思い直す。
「それじゃあね」
ロスタノが沈黙する。
心配になって彼女の口元に手をかざす。
ちゃんと息はしている。
胸を撫で下ろしたときだった。
「ギュウルルルガァァァ!!!!」
洗濯のためである。
村は喧騒で満ちていた。
それもそのはず、フォルタン地区のバリアが消失したのだ。
もっとパニックになっても良いはずだが、地区から魔物の声も移動する音すらも一切聞こえないため不安だけが蔓延していた。
婦人はそんな事態でも平然と家事をこなしている。
バリアが消えたとはいえ、魔物が出てくる気配が無いなら気にしなくて良いでしょうに。それより、村の近くの自然魔境の方がバリアも壁も無いし、よっぽど危険だろうに。
婦人はそう思いながら村の入り口の前を通った。
そのとき、柵で覆われた村の門扉が叩かれる。
「すみません。開けて貰えませんかねぇ」
久しぶりの訪問者に警戒心をいだきながら婦人は、門扉の横の小窓を開けて覗いてみる。
そこにいたのは八十歳程の杖をついた老婆と童顔の少年であった。
婦人は安堵した。
魔物の中には人の声を真似するものがいるが、姿までは模倣できない。
人型の魔物も存在しない。
婦人は、二人は祖母と孫の関係にあるのかなと推察した。
「どうしました? 近くの村の方々ですか?」
婦人から先に尋ねる。
「えぇ、東の方の村から来たんだけどねぇ、ほら、あそこのバリアが消えちゃったでしょお? 今のところ何も無いけどやっぱり怖くてねぇ。西の方の都市まで行こうと思って。
私は老いぼれだから、いざという時に直ぐに逃げられないし、この子が心配で…」
老婆は少年の頭を撫でる。
少年の顔は零れ落ちそうなほど不安で満ちている。
「なるほど…。では何故この村に…?」
東の方の村から西の都市に行くためにこの村を経由する理由は思いつかない。
魔境が近くにあり、野良の魔物の生息数も比較的多いこの村は近づかないのが吉であるはずだが。
「いやねぇ、それが情けないことに腰を痛めてしまってねぇ。出立したばかりだというのに…。だから宿に泊まって腰を休めたくてねぇ。この村にあるかい?」
曲がった腰をさすって痛みを堪えながら老婆が言う。
「それは大変ですね…! とりあえず入ってください」
門扉の横にある来客用の小さな扉を開けて彼女らを迎え入れる。
「…この村に宿は無いんですけど、良ければ私のお家に泊まりますか?」
婦人は少し逡巡した後、笑顔で告げた。
「…いいのかい?」
「えぇ! 夫と二人で暮らしてる狭い家ですが、それでも良ければ…」
「ありがとうねぇ。一日くらいで出て行くから…お邪魔しましょうかねぇ」
「いえいえ、一日と言わず腰が良くなるまで居てくれて構わないですよ。腰が痛いままじゃ、また直ぐに足が止まっちゃうでしょう。この先、村の数も疎らですし」
「…本当にありがとうね。ほれリアも頭をお下げ」
リアが頭を下げる。
彼の潤んだ瞳は婦人の同情を誘った。
「リアって言うのね。私の名前はリエラです。おばあさんのお名前は…?」
「ロスタノと言います…。リエラさんね。よろしくお願いします…」
ロスタノが恭しく頭を下げる。
それにリエラが笑顔で応えた。
◇◆◇
ロスタノ達が案内された家は簡素ながら他の民家より大きい。
所々剥がれた白壁の塗装が年季を感じさせる。
「どうぞ」
剥き出しの煉瓦が敷きつめられた床の部屋が三つほどある。
小さな村の家にしては十分広い。
「よいしょっ。ここに私のお布団移動させておきましたから寝ててください。あまり広くないですけど…」
「いいのかい? リエラさんの布団は…」
「私は夫の布団で一緒に寝ますから大丈夫ですよ」
リエラがにこりと笑む。
「洗濯がまだ終わってなくて、やってきてもいいですか? お昼時には戻りますから」
「えぇ。本当にありがとうねぇ…」
「いえいえ~」
そう言い残すとリエラが玄関から出て行く。
リエラが外の地面を踏みしめる音が遠ざかったとき、ロスタノのか弱そうな雰囲気が掻き消えた。
「ふぅ、村に入れたね」
「そうですね。…というかロスタノさん結構演技上手いですね。何処にでもいる腰を痛めたおばあさんって感じでしたよ。途中、ほんとに腰痛いんじゃないかと思いましたし」
「それを言うなら君だって。あの不安そうな表情は素晴らしかったよ。将来は劇場で俳優でもやったら? 天職かもしれないよ」
「悪くないかもですね」
リアは煉瓦の舞台の上で、弧を描く観客席を目の前に淡い照明の光を浴びながら台詞を述べる自分の姿を想像する。
将来の展望に俳優という道が明るく照らされた。
「ところで、何故この村に立ち寄ったんです? まぁ…村があると伝えたのは僕ですが…」
「魔力探知をしたせいでこの村の近くの魔物が私の魔力にあてられてね、活性化してしまったんだよ。今、ここら辺の魔物は攻撃的になっている。だから、魔境ごとまとめて魔物を処理してしまおうと思ってね。
今は魔力探知の『網』を広げて魔物に圧をかけて抑えつけているけど」
ロスタノが布団で横になりながら目を瞑る。
老婆の姿で、胸の上で指を組まれると死者に見えて心臓に悪いなとリアは思った。
「…腰痛めた演技する必要ありました?」
「近くにある魔物の牢獄が開放されたんだから警戒されると思ってね」
魔物の牢獄とはフォルタン地区のことであろう。
リアはとりあえず納得する。
しかし、また疑問が浮かんできた。
村に入る必要あったのだろうか。
魔境に直接向かえば良いのではないか。
リアがそう考えているとロスタノが口を開いた。
「悪いのだけど、一分間意識を手放してもいい?」
「え…、なんでです?」
「この世界の情報を得たくてね。村に来たのはそのためでもあるんだよね。
魔力探知は張りっぱなしにするから。万一、事が起きたら蹴り起こしてくれて構わないから」
「えぇ……まぁ、分かりました」
ロスタノの足りない説明に置いていかれながらも頷く。
私がそばにいるから問題ない、と言っておきながら早速離れるとは何事かとリアは思った。
しかし、一分くらいなら部屋でじっとしていれば良いかと思い直す。
「それじゃあね」
ロスタノが沈黙する。
心配になって彼女の口元に手をかざす。
ちゃんと息はしている。
胸を撫で下ろしたときだった。
「ギュウルルルガァァァ!!!!」
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