インキ、ヨウキ取り扱い注意 <インキシリーズ 4>

樫村 和

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第二章

作戦会議

 ◇ 大門 ◇

 食事処で食事が始まる少し前に涼風と匠がやっと来た。
 瑞葵とあやとりをしていた夏乃がどこに行っていたんですか!と口を尖らせる。涼風と入れ違いに部屋に戻った大門がしらばっくれたからだ。
 風呂に入ったのは匠だったはずなのに、涼風の顔がつやつやして見える。
 匠は大門の方が見れないらしい。余計なお世話かと思ったが、最近の匠のイラつきが目に余った。
 思わぬ事故でしばらく体が動けなくなったのもストレスだったろうが、仕事を辞めたらどうだと言われたこともショックだったのだろう。
 
 落ち込んで、イラついてた。
 
手っ取り早いストレス解消法は自慰だ。だが、事故後、涼風のマンションに居候していたため、それも自由にはできなかっただろう。
 大門が抜いてもいいと思ったが涼風にばれたら殺される。
 食事が始まり、有川がビールを注いでくれる。それに返杯しながら、ちらと匠を見る。
 顔と体に似合わず大層な一物だった。
 そういう物を見慣れていた大門が目を見張るぐらいだったから相当なものだ。小柄ながら、あれを受け入れている涼風にも驚くしかない。
 瑞葵が匠はビールは駄目か?と聞いてきたので、一杯なら、と許す。飲みたい気分だろう。
 涼風が横から匠のグラスを狙っている。涼風もようやく落ち着いたようだ。匠は自分の事で手一杯だったから気が付かなかっただろうが、涼風の落ち込みも激しかった。
 大門が、突き出しの鮎の煮凝りを口にしながら酒が欲しいと仲居に頼むと、メニューを持ってきてくれた。
 メニューを見ながら、有川にどうしますか?と聞くと、私はもう、と手を上げられた。顔が赤い。ビール一杯で酔いが回る体質なのだろう。
 大門はざるだ。
 冷酒を持ってきてもらいながら、ぼんやりと自分の周りを見回す。
 
 少し前まで全く知らない人間達ばかりだ。縁があっていつの間にか家族のように一緒にいる。

「大門?」

 隣に座った瑞葵が空いたお猪口に酒を注いでくれる。瑞葵のお猪口にも注ぐと、綺麗な手で口に運ぶ。瑞葵も飲める。
 その右手の人差し指に大門が気に入っている黒子がある。

「瑞葵」

 小さな声で名前を呼ぶと、警戒することなく体を寄せて耳を寄せてくれる。内緒話かと思ったらしい。
 何?と仕草で聞かれ、その耳に何かを囁くふりをして、軽く噛みついた。

 ◇ 匠 ◇

 ごふっ!と涼風が天麩羅でむせた。
 隣に座っていた匠がびっくりして、慌ててお手拭きを取ってやる。

「どうしたっ?骨か?」

 だが、エビの天麩羅と山菜の天麩羅に骨があるわけがない。それでも、げほげほと口を押えて咳き込む涼風に有川が水を取ってやる。

「……いや、なんでも、ない」

 咳き込みすぎて顔が真っ赤だ。涼風の正面に座る大門が顔をしかめている。瑞葵はいつもの事だと言わんばかりにお猪口を口に当てている。酔いが回ってきたのか、目元が赤い。

「兄様、僕、それ気になります」

 有川の前で子供向けの料理が乗ったプレートをぺろりと食べた夏乃が、涼風の皿の上の料理を狙う。何が食べたいですか?と有川が聞き、自分の皿から取り分けていた。

 どかっと何か、鈍い音がテーブルの下からした。

 皆が一度、手を止めて今のはなんだと周りを見回す。だが、涼風は知らんふりで料理を食べ始めた。大門がお猪口から酒が飛び出したと顔をしかめている。
 涼風が大門を蹴った?

「涼風」

 瑞葵がじろりと涼風を睨む。だが、どうも威力がない。

「行儀が悪い」

 大門が後を引き継ぎ、手元を拭きながら言う。

「お前に言われたくない」

 涼風が焼き魚をほじりながら、きっぱりと言った。
 変な空気が流れる。一体どうしたんだろうと夏乃がきょとんとする。大門が何事もなかったかのように、夏乃に肉、食うか?と鉄板の上の肉を皿に乗せてやる。どうやら、何かがあったらしい。

「有川さん」

 大門が自分も肉を食べながら有川を見る。一口が大きいが、食べ方は綺麗だ。竹内一族は口が小さいからか、ちょこちょこと食べる。

「食事の後は、どうするんです?解散ですか?」

 夏乃がえーとつまらなさそうな顔をする。そういえば、トランプを持ってきたと言ってた。
 匠も涼風の前の火が消えた小鍋の蓋を取りながら有川を見る。鍋が煮えたぎっているのを見て、涼風が驚いた顔をする。

「また……」

 有川の部屋に集まればいいかと聞こうとして……有川が箸をテーブルに戻したのを見て、口を閉じた。
 ふふっ……と有川が意味深に肩を震わせて笑う。
 一体、なんだと皆が有川を見る。ふふふ……と笑う有川が不気味だ。

「あ、有川?」

 夏乃が大門の体にちょっと身を寄せて有川を覗いた。涼風もなんだと目を有川に向ける。

「……怪談話などいかがでしょう」

 有川の言葉に、大門が酒を飲みながら、へぇと口端を上げて笑った。
 
 ◇

 そうでございますねぇ。

 食事がすんだあと、再び有川の部屋に皆が集まった。大門は冷蔵庫からビールを取り出している。
 匠がさすがに驚く。酒豪なのだろうか。食事の時も結構飲んでた。
 怪談と聞き、夏乃は楽しそうに電気を消したりして場を作っていたが、有川が話し始めると、ぴとっと瑞葵に体をひっつけた。涼風は最初から匠の隣に座っている。腹が一杯になったからか、どこか眠そうだ。怪談など、涼風にとれば日常茶飯事だろう。
 有川が部屋の中央に座布団を置きそこに座る。

「あるところに、一人の男性がおりました……」

 静かに話し始める。
 
 その男はいつも会社に自転車で通っておりました。ロードバイクというらしいですね。そういう方が最近増えているそうでございます。

 匠が自分の前に座る有川を眺める。薄暗い中で、有川の着ている浴衣がぼんやりと浮いて見える。
 怪談というから昔話みたいなものかと思っていたが……なぜか現実的だ。怪談にロードバイク。
 ちらと大門を見ると、大門の片腕が瑞葵の腰に回っている。瑞葵も少し体を大門に寄せている。夏乃は気が付いていない。

 普段から運転には気をつけていたそうでございます。運転中にスマホなど、もってのほか……。

 ん?と匠が有川を見直す。今の話は一体なんだ?大門も顔を有川に向ける。
 
 いつもなら、スマホ自体、リュックにしまっているそうなのですが……。
 
 有川が薄い笑みを浮かべたまま話を続ける。
 
 その日に限り、なぜか、スマホをリュックにしまい忘れたそうでございます。
 
 涼風が体を起こした。眠気が飛んだらしい。夏乃は逆に瑞葵にしがみついた。
 匠と大門が姿勢を正す。

「……自転車を走らせている時に、スマホが鳴ったそうでございます。ええ、いつもなら、取らないそうです。ながら運転など、危ないとよくご存じだったそうで……」

 有川が、くくと笑う。

「ズボンからスマホを取り出し、画面を見たそうでございます。そこには知らない番号があったそうで、誰だ?と思った時に……」

 ちらと有川が匠を見る。その目に匠が息を飲む。

「道路にうずくまっていた黒い服を着た男性にぶつかったそうでございます」

 黒い服……瑞葵が思わず何かを言おうとしてできなかった。夏乃も口を開けたまま瑞葵にしがみついている。

 黒い服。

 有川はそれを知らないはずだ。
 事故にあった時、匠がどのような服を着ていたかなんて知るはずがない。そこにいなかった。

「……それで?」

 涼風だけがなんの表情も浮かべずに有川を見ていた。
 だが、手にサイコロがある。サイコロがカチカチと音を立てる。有川がはいと頷き、話を続ける。

「警察が男の携帯履歴を調べたそうです。非通知ではなかったそうで、番号が残っておりました」

 なぜ……なぜ、有川がその事を知っているのか。

「後日、その電話をかけた男に警察が連絡をしたそうです」

 匠にぶつかってきた自転車に乗った男に……電話をした男?

「ですが、その方はその時、電話をかけれるような状態ではなかったと……」

 なぜ……。

「知っている方だったんですか?」

 大門が聞いてくれる。皆が、なぜという目で有川を見ている。いや、涼風だけが畳を睨んでいる。

「……喜屋様でございました」

 そこにいた皆の目が見開かれた。

 有川がこれで話は終わりますと座布団の上でゆっくりと頭を下げる。
 その下げられた頭を見ながら、匠が自分の口を押える。
 できるはずがない。
 喜屋はあの時、大門に体を取り押さえられていた。それに、そんなタイミングよく電話が……。

「喜屋とその男は知り合いだったのか」

 涼風がカチカチとサイコロを鳴らしながら、有川に聞く。有川はいいえと答えた。そうだろうなとなぜか匠も思う。

「警察から連絡があったと喜屋様から教えていただきました」

 有川が電気を点けながら言う。そして、大門の方を見て軽く顔をしかめた。瑞葵が慌てて大門から体を離す。夏乃ごと大門に引っ付いていたのだろう。
 瑞葵が離れてようやく大門が瑞葵から腕を放す。
 だが、大門の顔も渋い。

「……どういうことだ?」

 訳が分からないという大門に涼風が何でもない事のように言う。

「怪談だ」

 怪談……。一言で片づけてしまえば……そうなのだろうか。
 あの時、喜屋は様子がおかしかった。匠は喜屋に覆いかぶさるように靄が貼り付いているのが見えた。
 匠は涼風と同じモノを見ることができる。
 陰気が膨れ上がったモノかと思ったのだ。陰気が膨れ上がり、暴走しているのかと思った。
 その陰気を涼風が喜屋からむしり取った時、その靄はまっすぐに夏乃に向かって飛んできた。涼風が捕まえようとして失敗し、瑞葵も手を伸ばしたが、捕まえられなかった。
 匠はその靄から夏乃を庇い背に衝撃を受けた。
 だが、それはその衝撃を与えた後、霧散したように感じたのだ。ほっとして、夏乃の体を抱き込んでいた腕の力を抜こうとして……。『内藤っ!』と喜屋に叫ばれた。
 その声に反射で体を丸めた。一体、何がなんだかわからないまま、体を丸めた時、再び背に衝撃を感じ、今度は吹っ飛んだ。
 あの時、喜屋が携帯をいじれるはずがない。
 そんなタイミングよく、知らない人間に電話ができるはずがない。ましてや、ちょうどそこを通りかかった自転車に乗った男になど……。

 できるか。

 匠が顔を上げると、有川が匠を見ていた。少し読めない表情で匠を見ている。なんだろうと思っていると、有川が手にしていたスマホが鳴りだした。
 涼風と瑞葵が少し驚いたような顔で有川のスマホを見る。
 有川が先程まで自分が座っていた座布団の上にスピーカーをオンにして、スマホを置く。
 誰とも表示されない。
 だが、ひどくざらざらとした音が響いた。

「御当主です」

 有川がそれだけ言うと、すっとその場から離れた。

 ◇

 紺色の座布団の上にスマホがある。一体誰が喋るんだと思っていたら、向こうから話しかけてきた。

《夏乃》

 あ、と匠が夏乃を見る。夏乃の父、一偉の声だ。夏乃がぱっと顔を明るくする。

「父様!」
《元気か?》

 はいっ!と元気よく夏乃が答えるが……ざーざーという雑音がひどい。本宅には家電しかないと言っていたが、以前、瑞葵から電話をもらった時、こんな雑音聞こえなかった。

「長」

 瑞葵もおかしいと感じたのだろう。

「何が起こっている?」
《気を飛ばされている》

 一偉が何でもない事のように言うが、匠は思わず飛び上がった。『気を飛ばす』という言葉に記憶がある。

「誰がいる?」

 思わず聞いて、自分で気が付いた。

 夏乃の母親の真子さんか!

 思わず涼風を見るが、涼風は黙ってスマホを睨んでいる。
 涼風は……母親の胎内にいる時に、『紡』という青年にまじないを受けていた。紡は涼風の父親、先代の長に腹の中の子供に気を与えるように言われ、気を飛ばしていたと言った。
 その飛ばした気のせいで、母親の美亜の体調がすぐれなくなったと言っていた。
 匠が口元を押さえる。同じ……誰かが、同じことを真子にしようとしている?真子も今、夏乃の妹を妊娠中だ。

「守れ」

 ぽつりと涼風が言った。一偉が分かっていると笑う。
 ざぁと雑音が一度、ひどくなる。

《匠》

 名前を呼ばれ、はいと答えた。思わずスマホの方に体を乗り出す。

《夏乃の礼がまだだった。助けてくれたそうだな。感謝する》

 いや、と匠が言いかけ……結局何も言えず、はいと小さく呟いた。一偉がもう一度、ありがとうと言い、夏乃ともう一度、呼んだ。

「はい」

 夏乃が真面目に返事をする。

《有川に転校の手続きを来てもらっている。しばらくそちらに》

 え、と夏乃が驚いた顔をしたが、ぐっと膝の上に置いていた手を握りこんだ。
 一偉はおそらく本宅……真子とおなかの中にいる子供を守るために必死だ。

「すまない」

 急に、大門が声を上げた。ん?と一偉が言い、ああと答えた。

《白河先生か……この度は……》

 何かを言おうとしていた一偉に大門が言葉を被せる。

「悪いが、俺は席を外させてもらう」

 え、と匠が大門を見る。大門はどこか渋い顔でスマホを見た。

「俺は、見えない。使えない」

 それだけ言い、立ち上がろうとして、隣で自分を見上げる瑞葵の肩を軽く抱いた。

「外にいる」

 そのまま部屋の外に出ようとした大門に有川が頭を下げる。

 見えない……使えない。

「瑞葵……」

 大丈夫かと匠が瑞葵を見ると、瑞葵は少し泣きそうな顔をしたが、大丈夫だというように小さく頷いた。
 涼風が一度、サイコロを鳴らすのをやめたが、再びカチカチと鳴らしだす。

「……見えないと動けない。出遅れたら、危ない」

 呟くように涼風が言う。そうかと匠は大門が出て行った襖を見た。
 大門は見えない。

《自分の事を使えないと言い切る人間は強い》

 一偉が言い、有川と呼んだ。有川がはいと答える。

《佐倉の奥方からのこともある。そちらに任せる》

 佐倉?匠がスマホを見る。先日、葬儀があった佐倉翁の妻の事だろうか。
 いつの間にか、通話が切れていた。
 しばらく誰も物も言わず……座布団の上のスマホを眺めた。 
 
 ◇

 少し、休憩いたしましょうかと有川が言い、お茶の準備を始めた。
 瑞葵が外に飛び出すが、すぐに戻ってきた。大門は本当に部屋の外にいたらしい。
 だが、今度は涼風がふいっと飛び出した。あ、と思い、どうしようかと周りを見たら、皆の目が自分を見ている。

 追いかけないのか?という目だ。

 そうか……追いかけるのが普通か。なんとなく頭を掻きながらどこにいるんだと旅館を歩き回り……疲れた。
 最近、体を動かしていない。それなのに、今日はいつも以上に動いた。

「……あの」

 馬鹿と言いたかったが言えなかった。いろんなことが頭の中をぐるぐると渦巻く。
 階段脇あったベンチに座って息を整える。

「……術」

 涼風は『術』だと言った。喜屋に貼り付いていたモノが夏乃に向かってきたのを『術』だと。ならば……今、竹内の本宅、妊娠中の真子を狙って気を飛ばしてきているのも『術』なのだろう。

 だが、一体誰がそんなことを?

 自分に分かるはずがない。自分は竹内ではない。それに『術』が使えるわけでもない。
 ただ、陰気などが見える体に過ぎない。
 先程の大門を思い出す。『見えない、使えない』はっきりと言い、席を立った。
 自分の事も、きちんんと使えないと言えるんだなとぼんやりと思う。
 自分は……どうなんだろうか。
 ぼんやりする。ひどく疲れた。

『しっかりしろ』
『何してんの、あんた』

 どこかで誰かが喧嘩でもしているのか。うつらうつらしていると、遠くから声が聞こえる。

『酒が入ったからか?』
『たった、あれっぽっちで?』

 あきれたような物言いにどこかで聞いたことがある喋り方だと思う。誰だったか……。

『あ』
「匠」

 声がかけられ、肩を揺さぶられた。その手を思わず掴む。

『淫気が絡んでる』
「は?」
『淫乱の淫気!そう言えばわかるから!』
「は?」

 ぐらんと体が揺れた。揺れた拍子に後ろの壁にしたたか頭を打ち付けて、飛び上がった。

「いてぇ!」

 ぐうっ!と頭を抱えて思わず体を丸める。くっそ、いてぇ!

「一体、なんだっ?!」

 涙が滲む目で睨み上げれば、大門が目を丸くして匠を見下ろしていた。

 ◇

 大門に部屋に連れていかれた。匠が探し回っていたはずの涼風は先に戻っていたらしい。
 部屋に連れ戻され、自分で言えと言われて何がだ?になる。
 大門が嫌そうな顔をする。

「さっき、自分で言ったろうが」
「だから、何がだ」

 それぞれが何事だろうという顔で匠と大門を見る、大門はこいつ大丈夫かと少し、慄いた顔で匠を見た。

「……インキったろ」
「陰気?」

 そんな事を言った記憶はない。だいたい、大門は陰気を知らないのに話すはずがない。陰気の説明など匠にはできない。

「陽気の陽気、陰気な奴らの陰気か?」

 また、それかと匠が涼風を見るが、大門はもっといやそうな顔をした。

「……違う」

 ものすごく言いたくないという顔だ。だが、ふと、思いついたのか瑞葵を手招きした。耳を貸せと手招きし、その耳にごにょごにょと言う。
 瑞葵が目をまん丸にする。
 そして、首から真っ赤になり顔を手で覆った。
 その破壊力に一体何を言ったんだと涼風が大門を見て、匠を見る。
 しばらく瑞葵は真っ赤になって、顔を伏せていたが、ぎっ!と大門を睨んで匠も睨んだ。

「……何?」
「淫乱の淫気だっ!」

 へっ?!それぞれがそれぞれの口からおかしな声を上げる。だが、しばし無言になる。

「それがどうした?」

 そう言わざるを得ない。一体、それがどうしたのだろう?だが、何もわからない大門が頭を掻きむしる。

「さっき、寝ぼけたそいつが言ったんだ!」

 寝ぼけた……涼風と瑞葵が飛び上がって匠を見た。

 ◇ 大門 ◇

 さすがに気持ちが悪かった。
 涼風を探しに行ったはずの匠が今度は帰ってこずに探しに出たら、階段下のベンチで寝こけてた。
 もしかして気分でも悪いのかと走り寄り肩を掴んだら、その手をするりと握られた。
 ぞわっとした。
 大門はゲイだ。女はアウトだ。患者ならともかく、普段は女とは全く縁のない生活をしている。いや、避けている。
 それなのに、匠の手に女を感じた。
 女が大門の手を握ってきた。そして、『淫乱の淫気』と言ったのだ。
 背中に鳥肌が立った。
 涼風と瑞葵は飛び上がった後、頭を抱えている。匠は困った顔だ。

「……一体、なんだ?」

 女が絡むなら、更にアウトだと一歩下がって壁に凭れる。隣で有川も、んーと考え込んでいる。

「淫乱の淫気……」
「夏乃がいるだろ!」

 珍しく瑞葵が怒鳴った。初めて見る。涼風は訳が分からないながらも、何かを考え始めている。

「……二重人格かなんかか?」

 こそっと有川に聞くが、有川はちょっと違いますかねぇと首を傾げる。

「まぁ、内藤様も不思議なご縁の方でございましたし……」

 へぇとなる。大門はてっきり匠は竹内の関係者だとばかり思っていた。夏乃が匠兄様と呼ぶからだ。

「涼風ぼっちゃまとは魂が半分ご一緒なのですよ」

 有川の言葉にぽかんとなる。

「……それは……ロマンチックな」

 魂が半分一緒……恋人なら一度は夢見るセリフだが……どうにもこうにも。
 歯が浮く。体のどこかがかゆくなる。
 匠には悪いが心の底から思う。

「大門さん……」

 夏乃がくいくいと浴衣を引いた。体を屈めてどうした?と聞く。夏乃との身長差は約五十センチほどだ。

「……おかしくなかったですか?」
「おかしいことだらけだったが?」

 夏乃の疑問に真面目に答えたのに、夏乃も困った顔だ。
 ええと、と柔らかい髪を指先でいじりながら、唇を尖らせる。

「匠兄様、口、開いてました?」
「……ん」

 もう少しで、うーんっ?!と言いそうになり、慌てて口を押える。口を開かなければ、どうやって……とふと、前も同じような事があったのを思い出した。

「……ん?」

 なんだった?何か、あったぞ?

「……くそ」

 なんだったかな……。必死に思い出そうとする。何かの時に、一体何だと思った。
 おかしいと思ったことがある。

「……大門?」

 瑞葵が畳の上で体を捻らせて大門を見上げていた。浴衣がよじれて綺麗だ……。左胸の桜が少しまだ赤い……。

「あ!」

 思い出した。

「喜屋だ」

 いきなり喜屋の名前が大門の口から出て、そこにいる者が皆、大門を振り返った。

「……喜屋がなんだ」

 涼風がもう浴衣をはだけて大門を見る。見るともなしに涼風の胸が目に入り、あ、と余計な事を思う。
 こいつ、両方とも、陥没か。

「大門」

 瑞葵の声に慌てて座る。そして、なんて言ったかなと首を捻る。

「喜屋がどうした」

 匠も不思議そうだ。大門があの喜屋に殴られた日の記憶をたどる。

「喜屋がうちに来た日だ」

 喜屋に殴られ、装置が壊れた日。

「喜屋がお前は何しにここに来てんだって聞いた」

 瑞葵を見ながら言う。そうだ、確かそう喜屋は聞いた。
 顔半分、闇に隠れていた。ひどく頭痛がするのか、頭を押さえていた姿ばかり思い出す。

「それで、俺がバイトだと言った時……だったと思う」

 あの声は……なんと言った?

「……ふざけるな……竹内だぞ……腐るほど金がある奴がバイトなどするか……」

 ぴしっと場が凍り付いた。
 有川が大門の隣に座り、顔をしかめる。涼風が有川を見る。

「前回の報酬は?」
「支払い済みではございますが、いつもより金額は減らしております」
「ん?」

 なぜだ?と皆が有川を見る。有川は瑞葵を見て、にっこりと笑った。

「二年程、ただ働きをさせようかと」

 二年……瑞葵が少し驚いた顔で有川を見て、大門を見た。大門が顔をしかめて瑞葵を見る。二年の意味に気が付いたからだろう。
 喜屋は瑞葵を大学の入学式にナンパをして振られた過去がある。それがだいたい二年前だ。
 有川は瑞葵が喜屋のせいで大学生活を楽しめなくなったことを知っているのだろう。

「金か……」

 カチカチとまた音がし始める。涼風がサイコロを手の中で遊び始める。
 大門があの金切り声を思い出す。
 細い喉。痩せた体。

「喜屋の声じゃない。金切り声だった。喉が細くないと出ない」
「女?」

 瑞葵に聞かれ、顔をしかめる。

「男だ……痩せていると思うが……」

 大門が顔をしかめて、自分の頭を指さす。

「とにかく声が響いた。がらんどうの洞穴で叫んでいるみたいだった」

 思わず耳を塞いだぐらいだ。

「金……淫気……」

 涼風がぶつぶつ言いながら、カチカチとサイコロを回す。そのうち、不思議な事に畳の上で独楽のように爪先で回し始めた。
 皆が信じられないという目でそれを見る。

「佐倉……」

 少しづつ、何かが見えてきたと涼風の口元に笑みが浮かんだ。
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