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第四章
反撃
◇ 匠 ◇
有川の電話の後、大門が急いでポストを見に行った。そうしたら、大門宛の封筒があり、その中に鍵があった。
「……竹内が借りたのか」
涼風も瑞葵も聞いていなかったのだろう。驚いた様子だったが、じゃあ、行ってみるかということになった。
元々、住居物件だったからだろう。1LDKでこじんまりとはしている。壁紙も新しく、キッチンも新しい物が入っていた。真新しい家の匂いがする。でも、どうも、何かが引っかかる。
それは、皆思うらしく、皆が不思議そうな顔で瑞葵を見る。だが、一番驚いているのも瑞葵だ。
そう、なんとなく今、涼風達が暮らしているマンションの中から、瑞葵の物を運び込んであるかのような部屋のしつらえだ。
リビングの隣にも部屋があった。その部屋を開けると、一人で寝るには少し大き目なベッドと机があった。
瑞葵が机に寄り、その上にあった木のフレームの写真立てを手に取った。
涼風と夏乃がその写真を覗き込む。
誰だろうと二人顔を見合わせ、瑞葵を見上げた。だが、瑞葵はぐしゃと顔を歪めて……。
大門が歩み寄った。涼風が夏乃を連れて下がり、そのまま外に出るぞと匠に目で言う。
音がしないように外に出る。鍵はオートロックになっているらしく、がちりという。
外に出て、三階から二階に下りながら匠が涼風に聞いた。皆、ここの事情は知っているから、二階は走り抜ける。
「なんの写真だったんだ?」
涼風と夏乃がちょっとだけ顔を見合わせ……。
「多分、俺の母ちゃんだと思う」
僕のおばあ様かなぁと夏乃がいう。匠が首を傾げると、涼風が写真が残っていないんだと呟いた。
「だから、俺は顔を知らないんだ」
なら、どこからか有川が探し出してきたのだろう。匠は涼風の方に腕を回して、そのままぐいっと自分に寄せる。
「今度、お前ももらえ」
涼風は少し、分からないと言う顔をした。
◇
さて……。匠は風呂から上がり、先にリビングでくてぇとくつろいでいた夏乃の側に行った。涼風が風呂に入っているのを確かめる。涼風達のマンションだ。驚くことに、瑞葵の荷物はちゃんとあった。もう一揃えしたと言う事だろう。どちらにせよ、金持ちだ。
匠は頭の中でずっと考えていたことを夏乃に聞こうとしていた。本当は……涼風がいたほうがいいとは思う。
でも、まずは本人に……。
「夏乃」
匠に呼ばれ、夏乃がもう眠たいと言う顔で見上げる。その顔に時計を確かめる。十一時前だ。もう、夜中に近い。
明日は土曜日で皆休みだと言え……。
「兄様、どうしました?」
ふと、思い出す。思い出して、背筋がひやりとする。
今日、この子は死にかけた。
交通量が多い駅前の車道に転がり出たと大門は言っていた。駅前の道路など、バス、トラック大型車両ばかりだ。
まだ濡れている柔らかい髪をくしゃりとかき混ぜる。
「……頑張ったな」
夏乃がきょとんとする。その柔らかい頬を指でこすり上げる。子供特有のむにとした頬に少し癒される。
大門が駆けつけた時、息ができずに喉をおさえていたと言っていた。大門が抱え上げ、整体院に戻り……瑞葵に連絡をしようとしたのを……夏乃は必死に止めたという。
『おかしいです。なにか、おかしいです』
自分も怖かっただろうに。連絡したら駄目です。誰かが見てます。
不穏が不穏を呼ぶことがある。夏乃の言葉に大門は瑞葵に連絡を入れなかった。
それを聞いて……匠はぞっとした。
もし、匡代の家を出た時に電話をもらっていたら、きっと匠達は急いで戻っただろう。
だが、それだと……どうなる?
佐倉妻は自分の娘に首を絞められていた。もちろん、ちゃんと調べれば分かる事だが……その直前に匡代の家を訪問した匠達にも警察はやってくるだろう。
殺人罪の参考人として。
どうにか……何かから逃げ切った。そんな気がする。
「夏乃、起きてるか」
匠が驚いて風呂場の方を見る。今、入ったはずなのに、涼風はパンツ一枚で風呂から飛び出してきた。体も良く拭いてない。濡れた髪の先から水滴がぽたぽたと落ちる。
夏乃がはいと返事をする。夏乃がなんの用だろうと首を伸ばす。
「心気下りするぞ」
ああ、と匠が顔を押さえる。先に言われた。
だが、言われた夏乃はきょとんとしている。
「心気下りですか?」
「長に教えてもらったな?」
ソファにどかりと座り込んだ涼風が真面目な顔で夏乃に言う。だが、夏乃はよく分かっていない。
それはそうだ。
「誰に……かけるんですか?」
「匠だ」
はっきりと、涼風は匠を見ずに、そう言った。
◇
ばれた。
涼風に『心気下り』をすると言われ、まず頭に浮かんだ言葉がこれだった。
本当は匠も夏乃に頼みたかった。だが、色々な事が匠に二の足を踏ませた。その背を涼風は蹴とばした。
「何かがいる」
涼風が頭を匠が持ってきたタオルでごしごしと拭いながら匠と夏乃に言う。
「一人は……兄様にまじないをかけていた方でしょう?」
夏乃が言うと、涼風が頷く。
「ちぃちゃんと瑞葵を呼んだ」
「え?」
匠が驚いた顔で涼風を見る。『ちぃちゃん』は瑞葵のことだったのか。いや、そういえば夏乃は『ちぃおじさま』と呼ぶが……。なぜだ?
「昔、瑞葵は自分の事を『ちぃちゃん』としか言えなかったそうだ。俺が生まれて言わなくなったそうだが、夏乃が小さい時に、なかなか瑞葵と呼べなくて、瑞葵が『ちぃさま』でいいと教えたんだ」
へぇとなる。夏乃がそうですけど……とよくわからないと言う顔をしている。
「……誰かが、瑞葵の事をそう呼んでいたらしい」
え、と匠が軽く目を見張る。それが、もしかしてと自分の口を押える。
「紡か?」
「飛び上がってたな」
それは……そうだろう。だが、え、ともなる。
今まで、こんな風に紡が出てきたことがあったか?今まで、だいたい意識が怪しい時に、匠が寝かかっていたりしていた時に……出てきて、なんか言っていたような。
「無理やり出てきたんだろう」
あ、と匠があの匡代の家で自分の体がおかしかったことを思い出す。体の中がかき回されているようだった。
いや、あまりの気持ち悪さにそう言えば吐いた。
「……あと、一人いる」
今度は夏乃がえ?となる。そして、あ、と匠を見た。
「温泉の時の人ですか?」
匠が涼風を見た。涼風も匠を見た。
思い当たるのが一人いる。
あの甘い香りはおそらく当たりだろう。涼風はわからなかったらしい。
「淫気のねぇちゃんか……」
京香さんと言ったか……。匠がはぁと深い溜息を吐き、空を睨む。いや、匠の体の中で暴れるだけ暴れ、『戻れ!』と忠告してくれたのはありがたかった。ありがたかったのだが。
なんで、淫気のねぇちゃんが、自分の中にいるのかだけはよくわからなかった。
◇
涼風の部屋に移動した。洋間に敷き詰められた畳の部屋。
三人で向き合うように座り……さて、これからどうする、となる。
「できるのか?」
匠は以前、夏乃の父、竹内の長に心気下りの術をかけられた。その時も自分の中にいる紡を確かめるためだったが、夏乃はその時、長の隣で術を教えられていた。
「……危ないです」
夏乃が真面目に言う。何が危ないんだ?と涼風が聞くと、夏乃がどこか緊張をはらんだ顔で匠を見る。
「兄様の中にいる人が多すぎます」
え?となる。
「引っ張られたら、僕、怖いです」
どういうことだ?と涼風を見るが、涼風も良く分からない様子だった。
夏乃が指を立てる。
「前は父様がいて、兄様が心気を下りました。その時、兄様の中には一人だったから父様と兄様で二人の勝ちです」
紡が一人……こちらが二人。
今は……匠の中が二人、こちらは子供と大人が一人ずつ。
「力不足か?」
真面目に聞いた涼風に夏乃が悔しそうな顔をする。そうか……と涼風が何かを考え込んだが、なら、と夏乃を見た。
「俺を足したら、どうなる?」
ん?と匠と夏乃が涼風を振り返る。
「俺、夏乃、匠で三人だ」
夏乃が何かを考え始めた。涼風を足す?どうやって?
「兄様と兄様……半分色が一緒。一人、二人……僕を足して三人……違う、四に近い」
人数で考えるのでもないのかもしれない。半分色が一緒と言われ、涼風を見る。
そう、涼風の中にも紡の気がある。匠の中にいる紡が涼風の中にもいる。
「……前、多分、そいつが俺の中に来た」
涼風が何かを思い出しながら呟く。初めて聞くことに、匠も驚く。
「紡がか?」
ん、と涼風が頷く。だが、なぜか複雑そうな顔だ。
「俺の腹の中にあいつの気がある。あいつは……その気を追って来たと言っていた」
「いつの話だ?」
「佐倉翁が亡くなった夜の話だ。俺は目が覚めたら、お前の家だった」
あの晩か!だが、そういえば……匠も何か思い当たることがある。だが、もう記憶が薄れている。……何だったか。
「バイパスができるといっていた。一度、憑かれた奴は憑かれやすい」
涼風が目を丸くする。何かに気が付いたような顔で匠を見た。
「あれは……俺に言ったんじゃない。お前の事だ!」
涼風がてっきり、自分に向かって気をつけろと言ったのかと思っていたと額を押さえる。匠はいきなり難しいことを言われ、一体、何だと言うしかない。
「お前の体は……入りやすいんだ」
何がだと聞きたかったが、涼風と夏乃がだからか、と言った顔で匠を見た。
◇
一度、何かに憑かれた人間は憑かれやすくなる。バイパスができる。
匠には思い当たることはないが、涼風と夏乃はなるほどと言った。
「お前には元々紡が入ってた。多分、普通の人間よりガードが緩い。そのガードが緩い所を狙って、陰気は入るし、紡は出たり入ったりして、俺の所に来たりする」
うーん、と唸る。確かに涼風に会うまで、ひどく自分が運がついていなかったとは思う。だが、それに理由があったとは……。夏乃が匠の後ろに回り首のあたりを見ている。
「多分ここです」
夏乃が首の後ろの骨を指で押した。匠がそこを自分で押さえるが……当たり前だが、首の骨しか触らない。
「ガードが緩いとどうなる?」
匠の疑問にそりゃあ、と涼風が夏乃を見た。夏乃がにっこり笑う。
「霊媒体質ですね」
霊媒体質……あっさり言われたが、それがさっぱり匠には分からない。
「霊能力者……じゃないもんな」
それだけは分かる。涼風が違うと首を横に振る。
「あー……依り代になる。んー……」
だが、涼風もどう言えばいいのか難しいと言う顔だ。
「神様のお告げを言う人ですね」
夏乃が楽しそうに言い、匠がぎょっ?!とした。なんだ?それは?!だが、涼風も顔をしかめてそうだなと肯定した。
「まぁ、神の言葉と言うよりも、姿なき者の言葉だな」
姿なき者……。そう言われ、そうかと思った。
紡にしても、淫気のねぇちゃん、京香にしても姿はないか。
「へぇ……」
自分の首筋を撫でながら不思議な事があるもんだと考える。もし、そうなら涼風と会う前から、匠はやはり目に見えないモノの近くに知らぬ間にいたのだろう。
撫でながら、それならと思う。
今日、何かが背中に飛んできた。飛んできた何かが背中に当たり……。
それを匠の中に誰かが招き入れた。受け入れた。
考え込んだ匠を横から涼風がじっと見つめる。
「何か入ったろ」
静かに聞かれ、気が付いたかと匠が涼風を見る。涼風が少し読めない表情で匠を見る。
有川もそんな顔で匠を見たことがある。
その顔を見つめる。何を考えている?
「夏乃」
涼風が匠から視線を外し、夏乃に封筒に入った何かを渡した。夏乃がこれはなんですか?と涼風に聞く。
「……もしもの時のだ」
涼風の言葉に夏乃が弾かれた様に顔を上げる。
「俺がやれと言った。何が起こっても、お前のせいじゃない」
夏乃が固まった後、いやだと慌てて首を横に振る。
「お前がまだ修行中だと知っているのに、長がいない場所で秘儀をやらせる。俺は多分、長に……」
涼風が顔を歪めた。匠がその顔を覗き込む。
「長になんだ?」
涼風は何かを言おうとして失敗した。失敗して……どうにか微かに笑った。
「もともと、俺は竹内の力が……術が使えなかった。……今更、だからどうした……って話だ」
夏乃が目を見開いた。その目に涙がぶわっと溢れる。
「涼風」
匠がなんだと涼風に聞く。だが、涼風は答えずに視線も合わせずに畳を見る。
「いや、です」
夏乃が溢れた涙をごしごしと拭いながら、いやです!と繰り返す。
「僕がちゃんとできればいいんです!ちゃんと、兄様達を心気を下らせて、ちゃんと、下らせて!」
ぐぅっと夏乃の喉が鳴った。せり上げてきた嗚咽を堪えたが……堪えきれずに、部屋の外に飛び出す。
その後を追ったものかと思ったが、涼風の様子もおかしい。匠がこっちを向けと涼風の顔を手で挟んんで自分を向かす。
「……どうした?」
涼風の目も赤い。泣くのを堪えている。泣いていいぞとその頭を撫でる。涼風がそろそろと匠の肩に顔を埋めてくる。匠の肩が濡れていく。
「もしもの……時の為だ」
匠にはその『もしも』がわからない。
「もしもの時は……どうなる?」
涼風が匠の胸を手で押さえる。
「俺が……ここから戻れないかもしれない」
匠は咄嗟にその手を掴んだ。え?と涼風の顔を覗き込む。涼風は笑っているのか泣いているのか分からない顔で匠を見た。
「お前の中に絶対になんかある。それはきっと、このごたごたの核だ。その核が分かれば俺達は反撃できる」
でも……。
「戻ってこないって……なんだ?」
「俺は……お前が前、心気下りを受けた時も……本当は怖かった」
涼風が腕を回して匠にしがみついてくる。そのまだ薄い体を抱きしめ、そういえば心気下りを匠が受けると決めた後も、涼風はずっと嫌がっていたことを思い出す。
「深い場所に行く。心気がもし切れたら戻れなくなるんじゃないかと思ったから……俺は怖かった」
歯で噛んだ心気の糸。それを伝って深い場所に下りていく。
そうか……糸だもんな。
「それで……長がお前をどうするって?」
涼風がぎゅっと匠に縋り付く。その頭をただ撫でる。
「勝手に……俺が勝手な事を夏乃にさせる。長の指示なしに俺が次期長に……秘儀をやらせる」
そうなるのだろうか。だが……。
「涼風」
匠が涼風の頭を撫でながら名前を呼ぶ。
「人の命が掛かっている」
ぴくと涼風が動く。そうだ。今日も二人の命が狙われ、二人共どうにか生き永らえた。そのうちの一人は、それこそ次期長の夏乃だ。
「そりゃ一番いいのは長が、一偉が出てくることだろうが」
長も今、それどころじゃない。自分の妻とその体に宿る命を守っている。
匠が顔をしかめる。
もし、誰かが……誰かが、何かを企んでいるなら……人の命も、それこそ子供の命もお構いなしに狙えるくそったれだとしたら。
「涼風」
匠が涼風の顔を覗き込む。
「多分だけど、長……一偉は何も言わない。皆、必死だ」
何から何を守ればいいのかまだわからないが……。それでも、皆、必死に何かを守ろうとしている。
「匠」
涼風が唇を震わせた。その頬に唇を寄せながら、なんだ?と聞く。
「……大門に」
「大門?白河さん?どうした?」
涼風がしゃくりあげそうになるのを堪えて言葉を続ける。
「関係ないって言葉、使うなって、前、叱られた。関係ないって言われると、言われた方は傷つくって」
へぇと思う。どういう話の流れでそんな会話をしたのか知らないが……。うん、と匠が頷く。
「でも……俺、やっぱり、言いたい」
涼風がとうとう泣きじゃくりながら言う。匠の膝の上で泣きじゃくりながら、我儘だと分かっていると言う。
「お前、いつも、巻き込まれる。いつも、危ない目にあう。俺よりも、ひどい目に合う。もう、俺やだ」
やだと言われ匠も困る。どうやら涼風は、匠が夏乃を庇い事故にあったことを、ずっと気に病んでいたらしい。
「俺がいつも、お前を巻き込む。前もそうだ。俺が電話をしろって夏乃に言った。……お前……」
関係なかったのに。
涼風の口を押えた。その先を言わせないように、口を押えた。
なるほど。そうだなぁと匠も思う。ここで『お前は関係ないのに』と言われると困るな。
「なぁ」
涼風の体を膝に抱き込み、ゆらゆらと揺する。涼風はようやく言いたかったことが言えたのか、匠の言葉をじっと待っている。
なぁと言ったものの……そうだなぁと思う。
「……もう、これは仕方がないと思わないか?」
諦めるというわけではない。なんというのだろう……。
「俺達はもう、どうやっても巻き込まれるんだ」
涼風の柔らかい腹に手を置く。
「お前のここにも紡がいる。俺のここにもいる」
そう言って、自分の胸にも手を置く。
「そんで……俺達は自分の中に紡がいるなんて知らないのに、恋人になったろ?」
恋人……初めて言ったな。言葉の響きがくすぐったい。そうか……恋人か。
「俺はもうお前と恋人……もう、こうなるのは運命だったんだと思う」
運命ねぇ……自分で言ってて何かおかしい。普段なら、口にしない言葉だ。胡散臭いといつもの匠なら思う。
「がちりってはまってんだよ。お前の運命と俺の運命。だからもう……」
仕方がない。
そう呟きながら、涼風の顔を上げさせ唇を重ねる。
柔らかく唇を啄み、舌先でくすぐる。
涼風が恐る恐る腕を上げ……首にしがみついてくる。
運命……。
その単語を幾度も考えながら、目を開け涼風を見つめる。涼風は眉を寄せ、縋り付くようにしてキスをしている。
『戻れないかもしれない』
ぞくっとした。戻れないかもしれない。それは涼風の心が自分の中に残ると言う事なのだろう。
自分の中に涼風が囚われると言う事なのだろう。
この……綺麗な存在が。
涼風の髪を指に絡めて、さらにキスを深くする。
涼風がふぁと吐息とも声ともつかぬものを上げる。
それはひどく甘美な事にも思えた。でも、それを払うようにキスをむさぼる。
戻る。
どうすればなど分からないが、絶対に心気下りを成功させ涼風を戻す。
そして、この体を……この綺麗な体をむさぼる。
「……はぁ」
涼風がなんで、と言うように顔を赤らめ腕で覆う。その首筋に顔を埋め、きつく吸い上げる。
赤い痕をつける。
「匠……」
痛いと顔をしかめられた。ごめんと言いながら、濡れた唇を拭ってやる。
「とっとと済ますぞ」
涼風の頭を抱き込み、ぐしゃっと髪をかき回す。
「さっさと片付けて、終わらせて」
この綺麗な存在を……ぐちゃぐちゃにしてやる。匠は自分の奥に淫靡な火が点いたのを感じた。
◇
飛び出していった夏乃は書斎におこもりしていた。
泣くだけ泣いたのか、泣き腫らした顔でどうにか出てきたが、なぜか怒っている。
「絶対に成功させます。成功させたのに、もし、父様が兄様を竹内から追い出したら、僕も竹内を出ます」
なるほど……。匠が夏乃の頭を撫でる。そういうことか。
「一偉には俺も言う。ていうか、一偉は……お前の父ちゃんは、ちゃんとわかっていると思う」
一偉は『任す』と言った。あれはこっちで好きにやっていいと言う事じゃないのだろうか。
「大丈夫だ。涼風はお前を信じている」
夏乃が匠を見上げる。その丸い目に頷いてやる。
「お前なら、できると信じているから、無茶を承知で言ったんだ。大将のいうこと、聞いてくれるか?」
もう一度、目に涙が浮かびそうになった。夏乃が慌てて、ごしごしと目を擦る。
「はい!」
はっきりと言った夏乃をキッチンに連れていく。ドアを開けると、ふあんといい香りがする。
夏乃がぱっと表情を明るくした。先にキッチンでタイマーを睨んでいた涼風が顔を上げずに言う。
「夜中だけど、瑞葵いないし。腹が減っては、だ」
夏乃がテーブルに飛びつく。そのテーブルの上にカップラーメンが三つ。
「うわぁ!」
目が輝いている。いつもは瑞葵が食べさせないらしい。匠がここに来る前に夜食用に買っていたものだ。
ぴぴぴっ!と可愛い音がタイマーからする。涼風ができた!と夏乃を見る。いたずらっぽい顔で夏乃を見て笑う。
二人共、泣くだけ泣いて眼の縁が赤い。だが、もう吹っ切れている。
「よし!」
「いただきます!」
二人が元気よく手を合わせた。
◇
食べながら、どうするか話し合う。
心気は夏乃が出せる。以前、匠から出したこともある。だが、それに涼風を加えるにはどうしたらいい?
「紡は糸を自分の小指に結んでいたんだ。それが俺の腹に繋がっていたんだ」
匠がへぇと涼風の腹を見る。そこに陽気の気溜まりがあるのは知っていたが。
「兄様を絶対に、戻さないといけません」
夏乃がふーふーと冷ましながら麺を持ち上げてはずずと食べている。夢中だ。
「心気に心気を混ぜます。兄様達は元々同じ色が混ざっているから混ざりやすいはずです。それに、そういう関係だし」
ぶっほっ?!と涼風と匠がむせる。そういう関係って?!そういう?!
「子供だからって、そういうの僕、いりません」
夏乃がずるずると麺をすすり上げながら言う。口が尖っている。
「……僕、父様がなんで、仕事に僕を連れて行ってたのかよくわかりました」
「……なんで?」
テーブルに飛んだ汁を拭きながら匠が聞く。涼風は鼻をかんでいる。鼻から何か出たらしい。
「僕達は人のそういうのを知らないと駄目だからです」
本来なら……子供の目から隠すことだろう。まだ、早い。まだ、知らなくていい。
「僕達の仕事は欲に関係することが多いんです。だから、人をきちんと欲で動く人間だと知らないといけません」
夏乃の言葉に匠が箸を止める。
「じゃないと、自分が何をしているのか分からないのに……させられてしまうことがあるかもしれない」
涼風がそうだなと頷く。
「した後に知らなかったじゃ、もう人が死んだ後だったということがあるからな」
匠がそうかと呟く。
夏乃の足首の手型。子供の手型。
遊びのつもりだった。知らなかった。それでも、夏乃は危なかった。
「でも、バリアしてたろ?」
はいと夏乃が頷く。涼風が肩を竦める。
以前、匠が涼風にかけられたまじないだ。
温泉旅行の時にそういえばと、匠が思い出し提案したのだ。
コミュニケーションは取りにくくなるが、おかしな『気』ぐらいなら近寄れなくできるんじゃなかったか?
あの淫気のねぇちゃんが二年程手が出せなかったバリアだ。それなりの威力はある。
涼風がこういうのと瑞葵に相談し、瑞葵がならそれに何かが当たれば、まじないが跳ね返るようにしてしまおうと何かを足した。そして、その上で何か仕掛けを付けたらしい。
そのバリアが夏乃の体を守っていた。
「呪詛返しという」
涼風が汁まで飲み干してふぅと息を吐く。
「それも竹内の瑞葵が張ったまじないだ」
瑞葵がどんなものを張ったのかは知らないが……少し怖い。だが、涼風も夏乃も顔をしかめる。
「黒幕には……届かないな」
はいと夏乃が言う。そうか……術をかけた本人には行くのかもしれないが、その術師を唆した黒幕には返らないのだろう。
「……その黒幕を探す」
涼風が呟くように言う。夏乃が汁までは飲めなかったと残念そうな顔をしながら、ごちそうさまでしたと手を合わせる。
「潰してやる」
ぶっそうな事を言った涼風に、夏乃が元気よく、はい!と言った。
有川の電話の後、大門が急いでポストを見に行った。そうしたら、大門宛の封筒があり、その中に鍵があった。
「……竹内が借りたのか」
涼風も瑞葵も聞いていなかったのだろう。驚いた様子だったが、じゃあ、行ってみるかということになった。
元々、住居物件だったからだろう。1LDKでこじんまりとはしている。壁紙も新しく、キッチンも新しい物が入っていた。真新しい家の匂いがする。でも、どうも、何かが引っかかる。
それは、皆思うらしく、皆が不思議そうな顔で瑞葵を見る。だが、一番驚いているのも瑞葵だ。
そう、なんとなく今、涼風達が暮らしているマンションの中から、瑞葵の物を運び込んであるかのような部屋のしつらえだ。
リビングの隣にも部屋があった。その部屋を開けると、一人で寝るには少し大き目なベッドと机があった。
瑞葵が机に寄り、その上にあった木のフレームの写真立てを手に取った。
涼風と夏乃がその写真を覗き込む。
誰だろうと二人顔を見合わせ、瑞葵を見上げた。だが、瑞葵はぐしゃと顔を歪めて……。
大門が歩み寄った。涼風が夏乃を連れて下がり、そのまま外に出るぞと匠に目で言う。
音がしないように外に出る。鍵はオートロックになっているらしく、がちりという。
外に出て、三階から二階に下りながら匠が涼風に聞いた。皆、ここの事情は知っているから、二階は走り抜ける。
「なんの写真だったんだ?」
涼風と夏乃がちょっとだけ顔を見合わせ……。
「多分、俺の母ちゃんだと思う」
僕のおばあ様かなぁと夏乃がいう。匠が首を傾げると、涼風が写真が残っていないんだと呟いた。
「だから、俺は顔を知らないんだ」
なら、どこからか有川が探し出してきたのだろう。匠は涼風の方に腕を回して、そのままぐいっと自分に寄せる。
「今度、お前ももらえ」
涼風は少し、分からないと言う顔をした。
◇
さて……。匠は風呂から上がり、先にリビングでくてぇとくつろいでいた夏乃の側に行った。涼風が風呂に入っているのを確かめる。涼風達のマンションだ。驚くことに、瑞葵の荷物はちゃんとあった。もう一揃えしたと言う事だろう。どちらにせよ、金持ちだ。
匠は頭の中でずっと考えていたことを夏乃に聞こうとしていた。本当は……涼風がいたほうがいいとは思う。
でも、まずは本人に……。
「夏乃」
匠に呼ばれ、夏乃がもう眠たいと言う顔で見上げる。その顔に時計を確かめる。十一時前だ。もう、夜中に近い。
明日は土曜日で皆休みだと言え……。
「兄様、どうしました?」
ふと、思い出す。思い出して、背筋がひやりとする。
今日、この子は死にかけた。
交通量が多い駅前の車道に転がり出たと大門は言っていた。駅前の道路など、バス、トラック大型車両ばかりだ。
まだ濡れている柔らかい髪をくしゃりとかき混ぜる。
「……頑張ったな」
夏乃がきょとんとする。その柔らかい頬を指でこすり上げる。子供特有のむにとした頬に少し癒される。
大門が駆けつけた時、息ができずに喉をおさえていたと言っていた。大門が抱え上げ、整体院に戻り……瑞葵に連絡をしようとしたのを……夏乃は必死に止めたという。
『おかしいです。なにか、おかしいです』
自分も怖かっただろうに。連絡したら駄目です。誰かが見てます。
不穏が不穏を呼ぶことがある。夏乃の言葉に大門は瑞葵に連絡を入れなかった。
それを聞いて……匠はぞっとした。
もし、匡代の家を出た時に電話をもらっていたら、きっと匠達は急いで戻っただろう。
だが、それだと……どうなる?
佐倉妻は自分の娘に首を絞められていた。もちろん、ちゃんと調べれば分かる事だが……その直前に匡代の家を訪問した匠達にも警察はやってくるだろう。
殺人罪の参考人として。
どうにか……何かから逃げ切った。そんな気がする。
「夏乃、起きてるか」
匠が驚いて風呂場の方を見る。今、入ったはずなのに、涼風はパンツ一枚で風呂から飛び出してきた。体も良く拭いてない。濡れた髪の先から水滴がぽたぽたと落ちる。
夏乃がはいと返事をする。夏乃がなんの用だろうと首を伸ばす。
「心気下りするぞ」
ああ、と匠が顔を押さえる。先に言われた。
だが、言われた夏乃はきょとんとしている。
「心気下りですか?」
「長に教えてもらったな?」
ソファにどかりと座り込んだ涼風が真面目な顔で夏乃に言う。だが、夏乃はよく分かっていない。
それはそうだ。
「誰に……かけるんですか?」
「匠だ」
はっきりと、涼風は匠を見ずに、そう言った。
◇
ばれた。
涼風に『心気下り』をすると言われ、まず頭に浮かんだ言葉がこれだった。
本当は匠も夏乃に頼みたかった。だが、色々な事が匠に二の足を踏ませた。その背を涼風は蹴とばした。
「何かがいる」
涼風が頭を匠が持ってきたタオルでごしごしと拭いながら匠と夏乃に言う。
「一人は……兄様にまじないをかけていた方でしょう?」
夏乃が言うと、涼風が頷く。
「ちぃちゃんと瑞葵を呼んだ」
「え?」
匠が驚いた顔で涼風を見る。『ちぃちゃん』は瑞葵のことだったのか。いや、そういえば夏乃は『ちぃおじさま』と呼ぶが……。なぜだ?
「昔、瑞葵は自分の事を『ちぃちゃん』としか言えなかったそうだ。俺が生まれて言わなくなったそうだが、夏乃が小さい時に、なかなか瑞葵と呼べなくて、瑞葵が『ちぃさま』でいいと教えたんだ」
へぇとなる。夏乃がそうですけど……とよくわからないと言う顔をしている。
「……誰かが、瑞葵の事をそう呼んでいたらしい」
え、と匠が軽く目を見張る。それが、もしかしてと自分の口を押える。
「紡か?」
「飛び上がってたな」
それは……そうだろう。だが、え、ともなる。
今まで、こんな風に紡が出てきたことがあったか?今まで、だいたい意識が怪しい時に、匠が寝かかっていたりしていた時に……出てきて、なんか言っていたような。
「無理やり出てきたんだろう」
あ、と匠があの匡代の家で自分の体がおかしかったことを思い出す。体の中がかき回されているようだった。
いや、あまりの気持ち悪さにそう言えば吐いた。
「……あと、一人いる」
今度は夏乃がえ?となる。そして、あ、と匠を見た。
「温泉の時の人ですか?」
匠が涼風を見た。涼風も匠を見た。
思い当たるのが一人いる。
あの甘い香りはおそらく当たりだろう。涼風はわからなかったらしい。
「淫気のねぇちゃんか……」
京香さんと言ったか……。匠がはぁと深い溜息を吐き、空を睨む。いや、匠の体の中で暴れるだけ暴れ、『戻れ!』と忠告してくれたのはありがたかった。ありがたかったのだが。
なんで、淫気のねぇちゃんが、自分の中にいるのかだけはよくわからなかった。
◇
涼風の部屋に移動した。洋間に敷き詰められた畳の部屋。
三人で向き合うように座り……さて、これからどうする、となる。
「できるのか?」
匠は以前、夏乃の父、竹内の長に心気下りの術をかけられた。その時も自分の中にいる紡を確かめるためだったが、夏乃はその時、長の隣で術を教えられていた。
「……危ないです」
夏乃が真面目に言う。何が危ないんだ?と涼風が聞くと、夏乃がどこか緊張をはらんだ顔で匠を見る。
「兄様の中にいる人が多すぎます」
え?となる。
「引っ張られたら、僕、怖いです」
どういうことだ?と涼風を見るが、涼風も良く分からない様子だった。
夏乃が指を立てる。
「前は父様がいて、兄様が心気を下りました。その時、兄様の中には一人だったから父様と兄様で二人の勝ちです」
紡が一人……こちらが二人。
今は……匠の中が二人、こちらは子供と大人が一人ずつ。
「力不足か?」
真面目に聞いた涼風に夏乃が悔しそうな顔をする。そうか……と涼風が何かを考え込んだが、なら、と夏乃を見た。
「俺を足したら、どうなる?」
ん?と匠と夏乃が涼風を振り返る。
「俺、夏乃、匠で三人だ」
夏乃が何かを考え始めた。涼風を足す?どうやって?
「兄様と兄様……半分色が一緒。一人、二人……僕を足して三人……違う、四に近い」
人数で考えるのでもないのかもしれない。半分色が一緒と言われ、涼風を見る。
そう、涼風の中にも紡の気がある。匠の中にいる紡が涼風の中にもいる。
「……前、多分、そいつが俺の中に来た」
涼風が何かを思い出しながら呟く。初めて聞くことに、匠も驚く。
「紡がか?」
ん、と涼風が頷く。だが、なぜか複雑そうな顔だ。
「俺の腹の中にあいつの気がある。あいつは……その気を追って来たと言っていた」
「いつの話だ?」
「佐倉翁が亡くなった夜の話だ。俺は目が覚めたら、お前の家だった」
あの晩か!だが、そういえば……匠も何か思い当たることがある。だが、もう記憶が薄れている。……何だったか。
「バイパスができるといっていた。一度、憑かれた奴は憑かれやすい」
涼風が目を丸くする。何かに気が付いたような顔で匠を見た。
「あれは……俺に言ったんじゃない。お前の事だ!」
涼風がてっきり、自分に向かって気をつけろと言ったのかと思っていたと額を押さえる。匠はいきなり難しいことを言われ、一体、何だと言うしかない。
「お前の体は……入りやすいんだ」
何がだと聞きたかったが、涼風と夏乃がだからか、と言った顔で匠を見た。
◇
一度、何かに憑かれた人間は憑かれやすくなる。バイパスができる。
匠には思い当たることはないが、涼風と夏乃はなるほどと言った。
「お前には元々紡が入ってた。多分、普通の人間よりガードが緩い。そのガードが緩い所を狙って、陰気は入るし、紡は出たり入ったりして、俺の所に来たりする」
うーん、と唸る。確かに涼風に会うまで、ひどく自分が運がついていなかったとは思う。だが、それに理由があったとは……。夏乃が匠の後ろに回り首のあたりを見ている。
「多分ここです」
夏乃が首の後ろの骨を指で押した。匠がそこを自分で押さえるが……当たり前だが、首の骨しか触らない。
「ガードが緩いとどうなる?」
匠の疑問にそりゃあ、と涼風が夏乃を見た。夏乃がにっこり笑う。
「霊媒体質ですね」
霊媒体質……あっさり言われたが、それがさっぱり匠には分からない。
「霊能力者……じゃないもんな」
それだけは分かる。涼風が違うと首を横に振る。
「あー……依り代になる。んー……」
だが、涼風もどう言えばいいのか難しいと言う顔だ。
「神様のお告げを言う人ですね」
夏乃が楽しそうに言い、匠がぎょっ?!とした。なんだ?それは?!だが、涼風も顔をしかめてそうだなと肯定した。
「まぁ、神の言葉と言うよりも、姿なき者の言葉だな」
姿なき者……。そう言われ、そうかと思った。
紡にしても、淫気のねぇちゃん、京香にしても姿はないか。
「へぇ……」
自分の首筋を撫でながら不思議な事があるもんだと考える。もし、そうなら涼風と会う前から、匠はやはり目に見えないモノの近くに知らぬ間にいたのだろう。
撫でながら、それならと思う。
今日、何かが背中に飛んできた。飛んできた何かが背中に当たり……。
それを匠の中に誰かが招き入れた。受け入れた。
考え込んだ匠を横から涼風がじっと見つめる。
「何か入ったろ」
静かに聞かれ、気が付いたかと匠が涼風を見る。涼風が少し読めない表情で匠を見る。
有川もそんな顔で匠を見たことがある。
その顔を見つめる。何を考えている?
「夏乃」
涼風が匠から視線を外し、夏乃に封筒に入った何かを渡した。夏乃がこれはなんですか?と涼風に聞く。
「……もしもの時のだ」
涼風の言葉に夏乃が弾かれた様に顔を上げる。
「俺がやれと言った。何が起こっても、お前のせいじゃない」
夏乃が固まった後、いやだと慌てて首を横に振る。
「お前がまだ修行中だと知っているのに、長がいない場所で秘儀をやらせる。俺は多分、長に……」
涼風が顔を歪めた。匠がその顔を覗き込む。
「長になんだ?」
涼風は何かを言おうとして失敗した。失敗して……どうにか微かに笑った。
「もともと、俺は竹内の力が……術が使えなかった。……今更、だからどうした……って話だ」
夏乃が目を見開いた。その目に涙がぶわっと溢れる。
「涼風」
匠がなんだと涼風に聞く。だが、涼風は答えずに視線も合わせずに畳を見る。
「いや、です」
夏乃が溢れた涙をごしごしと拭いながら、いやです!と繰り返す。
「僕がちゃんとできればいいんです!ちゃんと、兄様達を心気を下らせて、ちゃんと、下らせて!」
ぐぅっと夏乃の喉が鳴った。せり上げてきた嗚咽を堪えたが……堪えきれずに、部屋の外に飛び出す。
その後を追ったものかと思ったが、涼風の様子もおかしい。匠がこっちを向けと涼風の顔を手で挟んんで自分を向かす。
「……どうした?」
涼風の目も赤い。泣くのを堪えている。泣いていいぞとその頭を撫でる。涼風がそろそろと匠の肩に顔を埋めてくる。匠の肩が濡れていく。
「もしもの……時の為だ」
匠にはその『もしも』がわからない。
「もしもの時は……どうなる?」
涼風が匠の胸を手で押さえる。
「俺が……ここから戻れないかもしれない」
匠は咄嗟にその手を掴んだ。え?と涼風の顔を覗き込む。涼風は笑っているのか泣いているのか分からない顔で匠を見た。
「お前の中に絶対になんかある。それはきっと、このごたごたの核だ。その核が分かれば俺達は反撃できる」
でも……。
「戻ってこないって……なんだ?」
「俺は……お前が前、心気下りを受けた時も……本当は怖かった」
涼風が腕を回して匠にしがみついてくる。そのまだ薄い体を抱きしめ、そういえば心気下りを匠が受けると決めた後も、涼風はずっと嫌がっていたことを思い出す。
「深い場所に行く。心気がもし切れたら戻れなくなるんじゃないかと思ったから……俺は怖かった」
歯で噛んだ心気の糸。それを伝って深い場所に下りていく。
そうか……糸だもんな。
「それで……長がお前をどうするって?」
涼風がぎゅっと匠に縋り付く。その頭をただ撫でる。
「勝手に……俺が勝手な事を夏乃にさせる。長の指示なしに俺が次期長に……秘儀をやらせる」
そうなるのだろうか。だが……。
「涼風」
匠が涼風の頭を撫でながら名前を呼ぶ。
「人の命が掛かっている」
ぴくと涼風が動く。そうだ。今日も二人の命が狙われ、二人共どうにか生き永らえた。そのうちの一人は、それこそ次期長の夏乃だ。
「そりゃ一番いいのは長が、一偉が出てくることだろうが」
長も今、それどころじゃない。自分の妻とその体に宿る命を守っている。
匠が顔をしかめる。
もし、誰かが……誰かが、何かを企んでいるなら……人の命も、それこそ子供の命もお構いなしに狙えるくそったれだとしたら。
「涼風」
匠が涼風の顔を覗き込む。
「多分だけど、長……一偉は何も言わない。皆、必死だ」
何から何を守ればいいのかまだわからないが……。それでも、皆、必死に何かを守ろうとしている。
「匠」
涼風が唇を震わせた。その頬に唇を寄せながら、なんだ?と聞く。
「……大門に」
「大門?白河さん?どうした?」
涼風がしゃくりあげそうになるのを堪えて言葉を続ける。
「関係ないって言葉、使うなって、前、叱られた。関係ないって言われると、言われた方は傷つくって」
へぇと思う。どういう話の流れでそんな会話をしたのか知らないが……。うん、と匠が頷く。
「でも……俺、やっぱり、言いたい」
涼風がとうとう泣きじゃくりながら言う。匠の膝の上で泣きじゃくりながら、我儘だと分かっていると言う。
「お前、いつも、巻き込まれる。いつも、危ない目にあう。俺よりも、ひどい目に合う。もう、俺やだ」
やだと言われ匠も困る。どうやら涼風は、匠が夏乃を庇い事故にあったことを、ずっと気に病んでいたらしい。
「俺がいつも、お前を巻き込む。前もそうだ。俺が電話をしろって夏乃に言った。……お前……」
関係なかったのに。
涼風の口を押えた。その先を言わせないように、口を押えた。
なるほど。そうだなぁと匠も思う。ここで『お前は関係ないのに』と言われると困るな。
「なぁ」
涼風の体を膝に抱き込み、ゆらゆらと揺する。涼風はようやく言いたかったことが言えたのか、匠の言葉をじっと待っている。
なぁと言ったものの……そうだなぁと思う。
「……もう、これは仕方がないと思わないか?」
諦めるというわけではない。なんというのだろう……。
「俺達はもう、どうやっても巻き込まれるんだ」
涼風の柔らかい腹に手を置く。
「お前のここにも紡がいる。俺のここにもいる」
そう言って、自分の胸にも手を置く。
「そんで……俺達は自分の中に紡がいるなんて知らないのに、恋人になったろ?」
恋人……初めて言ったな。言葉の響きがくすぐったい。そうか……恋人か。
「俺はもうお前と恋人……もう、こうなるのは運命だったんだと思う」
運命ねぇ……自分で言ってて何かおかしい。普段なら、口にしない言葉だ。胡散臭いといつもの匠なら思う。
「がちりってはまってんだよ。お前の運命と俺の運命。だからもう……」
仕方がない。
そう呟きながら、涼風の顔を上げさせ唇を重ねる。
柔らかく唇を啄み、舌先でくすぐる。
涼風が恐る恐る腕を上げ……首にしがみついてくる。
運命……。
その単語を幾度も考えながら、目を開け涼風を見つめる。涼風は眉を寄せ、縋り付くようにしてキスをしている。
『戻れないかもしれない』
ぞくっとした。戻れないかもしれない。それは涼風の心が自分の中に残ると言う事なのだろう。
自分の中に涼風が囚われると言う事なのだろう。
この……綺麗な存在が。
涼風の髪を指に絡めて、さらにキスを深くする。
涼風がふぁと吐息とも声ともつかぬものを上げる。
それはひどく甘美な事にも思えた。でも、それを払うようにキスをむさぼる。
戻る。
どうすればなど分からないが、絶対に心気下りを成功させ涼風を戻す。
そして、この体を……この綺麗な体をむさぼる。
「……はぁ」
涼風がなんで、と言うように顔を赤らめ腕で覆う。その首筋に顔を埋め、きつく吸い上げる。
赤い痕をつける。
「匠……」
痛いと顔をしかめられた。ごめんと言いながら、濡れた唇を拭ってやる。
「とっとと済ますぞ」
涼風の頭を抱き込み、ぐしゃっと髪をかき回す。
「さっさと片付けて、終わらせて」
この綺麗な存在を……ぐちゃぐちゃにしてやる。匠は自分の奥に淫靡な火が点いたのを感じた。
◇
飛び出していった夏乃は書斎におこもりしていた。
泣くだけ泣いたのか、泣き腫らした顔でどうにか出てきたが、なぜか怒っている。
「絶対に成功させます。成功させたのに、もし、父様が兄様を竹内から追い出したら、僕も竹内を出ます」
なるほど……。匠が夏乃の頭を撫でる。そういうことか。
「一偉には俺も言う。ていうか、一偉は……お前の父ちゃんは、ちゃんとわかっていると思う」
一偉は『任す』と言った。あれはこっちで好きにやっていいと言う事じゃないのだろうか。
「大丈夫だ。涼風はお前を信じている」
夏乃が匠を見上げる。その丸い目に頷いてやる。
「お前なら、できると信じているから、無茶を承知で言ったんだ。大将のいうこと、聞いてくれるか?」
もう一度、目に涙が浮かびそうになった。夏乃が慌てて、ごしごしと目を擦る。
「はい!」
はっきりと言った夏乃をキッチンに連れていく。ドアを開けると、ふあんといい香りがする。
夏乃がぱっと表情を明るくした。先にキッチンでタイマーを睨んでいた涼風が顔を上げずに言う。
「夜中だけど、瑞葵いないし。腹が減っては、だ」
夏乃がテーブルに飛びつく。そのテーブルの上にカップラーメンが三つ。
「うわぁ!」
目が輝いている。いつもは瑞葵が食べさせないらしい。匠がここに来る前に夜食用に買っていたものだ。
ぴぴぴっ!と可愛い音がタイマーからする。涼風ができた!と夏乃を見る。いたずらっぽい顔で夏乃を見て笑う。
二人共、泣くだけ泣いて眼の縁が赤い。だが、もう吹っ切れている。
「よし!」
「いただきます!」
二人が元気よく手を合わせた。
◇
食べながら、どうするか話し合う。
心気は夏乃が出せる。以前、匠から出したこともある。だが、それに涼風を加えるにはどうしたらいい?
「紡は糸を自分の小指に結んでいたんだ。それが俺の腹に繋がっていたんだ」
匠がへぇと涼風の腹を見る。そこに陽気の気溜まりがあるのは知っていたが。
「兄様を絶対に、戻さないといけません」
夏乃がふーふーと冷ましながら麺を持ち上げてはずずと食べている。夢中だ。
「心気に心気を混ぜます。兄様達は元々同じ色が混ざっているから混ざりやすいはずです。それに、そういう関係だし」
ぶっほっ?!と涼風と匠がむせる。そういう関係って?!そういう?!
「子供だからって、そういうの僕、いりません」
夏乃がずるずると麺をすすり上げながら言う。口が尖っている。
「……僕、父様がなんで、仕事に僕を連れて行ってたのかよくわかりました」
「……なんで?」
テーブルに飛んだ汁を拭きながら匠が聞く。涼風は鼻をかんでいる。鼻から何か出たらしい。
「僕達は人のそういうのを知らないと駄目だからです」
本来なら……子供の目から隠すことだろう。まだ、早い。まだ、知らなくていい。
「僕達の仕事は欲に関係することが多いんです。だから、人をきちんと欲で動く人間だと知らないといけません」
夏乃の言葉に匠が箸を止める。
「じゃないと、自分が何をしているのか分からないのに……させられてしまうことがあるかもしれない」
涼風がそうだなと頷く。
「した後に知らなかったじゃ、もう人が死んだ後だったということがあるからな」
匠がそうかと呟く。
夏乃の足首の手型。子供の手型。
遊びのつもりだった。知らなかった。それでも、夏乃は危なかった。
「でも、バリアしてたろ?」
はいと夏乃が頷く。涼風が肩を竦める。
以前、匠が涼風にかけられたまじないだ。
温泉旅行の時にそういえばと、匠が思い出し提案したのだ。
コミュニケーションは取りにくくなるが、おかしな『気』ぐらいなら近寄れなくできるんじゃなかったか?
あの淫気のねぇちゃんが二年程手が出せなかったバリアだ。それなりの威力はある。
涼風がこういうのと瑞葵に相談し、瑞葵がならそれに何かが当たれば、まじないが跳ね返るようにしてしまおうと何かを足した。そして、その上で何か仕掛けを付けたらしい。
そのバリアが夏乃の体を守っていた。
「呪詛返しという」
涼風が汁まで飲み干してふぅと息を吐く。
「それも竹内の瑞葵が張ったまじないだ」
瑞葵がどんなものを張ったのかは知らないが……少し怖い。だが、涼風も夏乃も顔をしかめる。
「黒幕には……届かないな」
はいと夏乃が言う。そうか……術をかけた本人には行くのかもしれないが、その術師を唆した黒幕には返らないのだろう。
「……その黒幕を探す」
涼風が呟くように言う。夏乃が汁までは飲めなかったと残念そうな顔をしながら、ごちそうさまでしたと手を合わせる。
「潰してやる」
ぶっそうな事を言った涼風に、夏乃が元気よく、はい!と言った。
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