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晴先
しおりを挟む荘厳なる円卓。そこには、神妙な面持ちの面々が座していた。
ある者は手元の資料と睨めっこをし、ある者は人差し指を使って、机から規則的なハーモニーを奏で、ある者同士は一触即発の雰囲気を漂わせる。
「私はやはり反対ですな」
眉間に皺を寄せ、反対の意を示す初老の男性。その意見に、円卓の大多数がうなずきで賛成を示し、数人は沈黙をもって中立を示す。異議を唱えた初老の男性に対して、齢20にも満たない青年は、睨みに近い眼差しで対抗する。
「彼でなくとも、適任はいるでしょう?それこそ、《至印将》は誰かいないのですか?」
初老の男性の提案に、青年は少し口角を上げる。
「その至印将の方々から、彼に任せても良いのでは、というご意見を頂戴しておりましてね。案件が案件です。彼にお任せするのも、決して悪手ではないと思いますが?」
歳不相応の凛とした雰囲気に、初老の男性や、円卓の面々は黙り込む。
「貴方たちの、彼に対する懸念も分からなくはないです。確かに、例の事件は無視できない。しかし、彼はその事件を乗り越えて、むしろ帳消しにするような仕事ぶりを見せていると思いますけどね。それに事件以降、今の今まで彼がそれらしい動きをしたでしょうか?少なくともボクには、彼が貴方たちの引きずっている懸念に対して、誠実に職務を行ってくれてると思いますがね。それに、今回のようなな案件において、彼ほど適任はいません。至印将よりもいい結果を持ってきてくれる可能性も、決して低くはない」
なにやらデリケートな部分に心当たりがある者が多いのか、冷や汗をかく者や、青年を睨みつける者が半々といったところだ。その光景を見て、青年はため息を吐き、1枚の紙を机に出す。その紙の下側、印鑑欄に自分の印を押し、隣に座する人に差し出す。
「貴方たちも、彼に任せてもいいと考えている節もあるでしょう?懸念はお察ししますが、どうでしょう。彼に賭けてみませんか?」
青年は面々に、書類への判を促す。実際に円卓内でも青年の提案に賛同できる者がいた証明として、差し出された隣の人から順に、ゆっくりと判が押されて円を回る。そして、最後の1人。それは先程、青年と議論を交わした初老の男性。今、回ってきた紙に判を押す直前、
「《成宮》殿、最後に一つよろしいか?」
初老の男性が向けた視線の先には、青年、成宮。無言で続きを促す。初老の男性はそれを察し、形式ばった咳払いをした。
「もし、彼が今件にて我々に仇をなすようなことになったら、貴方が責任を取るということでよろしいかな?」
その言葉に、元々殺伐としていた空気だったが、さらにピリつく。成宮はため息をつき、懐に手を移す。
「そんなにボクも彼も信用できないですか?評議会員に選ばれているともあろう方が、情けないですね…」
軽く煽りを入れつつ、机の上に懐から取り出したとあるバッジを置いた。蠍のようなデザインが彫られた丸いバッチだった。
「その時は、コレを返上します。それでいかがですか?」
それを見てざわつく面々。
「正気ですか?」
ざわつきの真意にある懸念をひとまとめにし、初老の男性が代表して成宮に問う。
「ええ。このくらいしなきゃ、貴方たちは納得しないでしょう?至印将の座くらい賭けますよ」
冗談の類ではない。差し出された条件の重さ、成宮の人柄からして、本気であることを疑う者はいなかった。しかし、だからこそ尚更疑うべきは、成宮の正気。
そんな周囲の懸念をよそに、成宮は初老の男性の手元にある書類を顎で指す。
「この条件でいいなら、判を押してください」
差し出された条件の重さに、初老の男性は軽く周囲を見渡す。目を伏せる者、不機嫌そうにそっぽを向く者、その中の、初老の男性と同じ年齢と思われる男性と目が合う。その男性は、ゆっくり目を閉じて、深くうなずいた。
そのジェスチャーを受け取り、初老の男性は、自分の右手の指でつかんでいた判子に意識を移す。そして、ゆっくりと最後の印鑑欄に、初老の男性を示す判が押される。
迷いがあってか、やや押し跡が擦れた判の押された書類が、成宮の手元に戻ってくる。しかし、判の状態がなんであれ、有効なことに変わりはない。
「結構。じゃ、決定で」
成宮は満足そうに口角を上げ、円卓を後にする。
成宮の手にある書類。その書類は、とある場所についての調査の任命書。その書類が定める命を授ける人物の欄には、当然、名前が印刷してあった。
《天津晴馬》と。
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古来より、「魔」を冠する存在がいた。
妖怪や怪異の総称である《魔属》
人でありながら、人間社会に影と堕とす存在、《魔徒》
いずれも、いつの時代も、人間社会を脅かし続ける存在である。
同時に、そんな存在に対処する者達もいた。彼らは《伏魔師》と呼ばれる者達。彼らもまた、古来より魔属や魔徒から人間社会を守ってきた、影の英雄達である。
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とある地域の高校、私立間立高校。比較的、偏差値が高く、いわゆる進学校。また、部活動も盛んで活気あふれる学校だ。校舎自体も、通常の高校と比較すると中々の敷地面積を誇る。進学先として中学生からも人気の1つに挙がる高校。
「さてと」
季節は春。これからの新生活、その世界へ踏み出す空砲のような独り言をつぶやき、校門をくぐる青年。彼は《天津晴馬》。端正な顔立ちと、姿勢の良い佇まい、グレーの髪、そして、黒をベースとした軍服のような装いを身に纏う青年。一般的な感性に当てはめると、いわゆる『イケメン』に該当するような外見をしている。
空砲を発したとは言え、すぐさま新生活、もとい、学生生活とはいかない。なぜなら彼が今いる時間帯は、一切の光閉ざす真夜中だからだ。
正確には新生活への空砲ではなく、晴馬の本業である《伏魔師》への本腰入れである。
「……なるほど、これは妙だ」
右手を顎に当て、1人、真夜中の校舎を見て呟く晴馬。校舎はまるで黒い要塞のように、見る者の精神を押し潰してくる。一般的な感想を当てはめると、『出そう』な雰囲気である。実際、それは正解だ。それに、彼がここにきたのはそれに関することだ。
「いかがしました?晴馬様」
晴馬の傍に来る者。ソレは体は黒く、犬のような耳が生え、翼を携え、サイズ的には小さい犬猫といったところ。いわゆる『悪魔』をポップにしたら、こういった風貌になる姿形。
小さな翼を上下に動かし、正確には浮いて?飛んで?兎に角、地面には接せずに、晴馬の傍で彼の呟いた独り言に反応する。
「あぁ、《ヤミ》さん。首尾はどうですか?」
「上々です!結界も貼り終えましたし、人払いも済ませました!それで、妙とは?」
そのポップな悪魔のような存在は《ヤミ》。晴馬の仕事の手伝いをしている。
業務連絡を済ませ、先ほどの疑問へ。
「平ら、なんですよね」
その言葉に、ヤミはモフモフの体毛を擁する首を傾げる。
「基本として、《魔属》はあまり群れません。各々が、自分の赴くままに動いています。時に人を驚かせ、時に害を加え、時に魔属で共食いをする。本能のまま、弱肉強食と言ったところです」
《魔属》
いわゆる『この世ならざる存在』。基本的に、伏魔師はこの魔属を相手にすることが多い職種である。
魔属に関する前提の講義のような話を、ヤミは真剣に頷きをもって聞いていた。
「でも、1つ例外はあります」
「強力な個体の魔属、通称《頂点個体》を主とした組織形態ですよね?」
先を答えるヤミ。
「その通り。さすが、基本は押さえてますね」
ヤミの回答に、晴馬は微笑んでヤミの頭を撫で、ヤミはやや照れくさそうに応じた。ヤミの見た目がまさしくペットのそれにつき、はたからみれば飼い主とペットである。ヤミはまんざらでもないが。
「見たところ、今回もそれに近いようですが…。晴馬様には、何か違うように見えていると?」
ヤミもそうだが、伏魔師はある程度、遠くから魔属などの気配を探ることが可能。もちろん、人によって精度や観測可能な距離は異なる。今回、ヤミも校舎を見た限り、前述の魔属による組織形態に見えていた。
「ええ。まぁ、あくまで勘に近い段階ではありますが、この校舎に巣食う魔属たちの強さが平らすぎるんです」
晴馬の見解に、ヤミは先ほどとは反対の方向に首をかしげる。
「通常、組織形態ができると、頂点個体を頂点として序列ができるんです」
基本的な情報につき、ヤミは違和感なく応じる。
「しかしながら、ここにいる魔属は、どれも強さにさほど差がありません。上位体や下位体も見当たらない。魔属の性質上、群れはしませんが、1つの所に集まると、先ほども言った通り組織態の序列ができるか、弱肉強食の共食いが始まるはず」
「けど、ここにいる魔属は、組織態どころか共食いも起こっていない、と」
ヤミが察し、先を続ける。晴馬もそれに頷きをもって応える。
「不気味ですねぇ。これは私が送り込まれる訳も分かるし、私にお鉢が回るのに1年を要した訳も理解できます」
やや嗜虐に近い嘲笑を浮かべ、仕事の準備に取り掛かる。懐から狐のお面を取り出し、漆黒の校舎へと歩みを進める。
「全く!失礼極まりないです!晴馬をこのようにこき使うなんて!」
「まぁまぁ、いつもの事ですから」
道中、ヤミが頭から湯気を立たせ、怒りをあらわにした。
対して晴馬は、自分の事は棚に上げヤミの怒りを常套手段で鎮める。実際、こういう扱いはもう慣れっこだったし、自分でも自身を『異端』として自覚しているため、今は別に怒りは感じない。それに、この地を放っておくわけにもいかないことも事実。自分で解決できるなら、どのみち断る理由はない。
「でもですよ!晴馬様なら、至印将すら下に見れる力があるというのに……!」
「お褒めの言葉として受け取りますが、彼らは彼らで伏魔師の主力として活躍しています。下に見る必要はありませんよ。さ、雑談はこのあたりで、そろそろ本腰入れましょう」
「はーい」
せいぜい数分の距離にて、校舎入り口に到着した晴馬とヤミ。中は非常に静かで、静寂時に聞こえる特有の耳鳴りに近い音が、晴馬の耳を占める。更に、当然ではあるが視界も闇に包まれる。しかしながら、晴馬は臆することなく奥へ進む。
「そうだ。《ヨミ》さんの首尾はいかがでしょう。そろそろだと思われますが」
「はい、少々お待ちくださいね」
晴馬の問いかけに対し、ヤミは自身の両耳を畳み、何かに集中している。
「お待たせしました!ヨミの方も整ったそうです!」
たたんでいた耳を天井に向かって立たせ、嬉々として報告をするヤミ。
「結構。では、始めましょう」
晴馬とヤミは雑談と仕事話を混ぜつつ、とある場所に辿り着いていた。その場所は、ほぼ校舎の中心地のとある教室。
晴馬はその教室の中心地にて目を閉じ、右手を顔の前に上げる。人差し指と中指のみを天井に上げ、以外の指をたたんで『印』を結ぶ。
そして、発動させる《術式》
《黒色術式・星空》
晴馬の発動したこの術式は、まるで星空のように、校舎内のほぼ全範囲の情報が晴馬の脳内に表示される。建物の構造を始め、それこそ魔属やその他の生命体の情報も、おおかたの把握が可能。
伏魔師はこのように、様々な《術式》と呼ばれる手段を用いて、魔属などを相手にしている。
「いかがですか?晴馬様」
目を閉じて、術式による校内の情報を取得していく晴馬に、傍らのヤミが進捗を問いかける。
「……外で見た感じと、大差ありませんね。魔属はいますが、静かです。平和なものではありますが、魔属の性質に当てはめると妙なことには変わりありません」
魔属の性質とは、一ヶ所に集まった際の組織態か共食いか、ということだ。ヤミの問いに答えつつ、術式の把握範囲を微調整しながら気になる点を探していく。しかし、どうにも目ぼしい異常や変化は見当たらない。
晴馬は「うーん」と難色を示す。もちろん、このままノープランで終わりではない。
「少し突っついてみましょう」
《黒色術式、黒蜥蜴》
人差し指と中指を軽く曲げる。呼応するように、星空の範囲内にいる数体の魔属に、蜥蜴の影のような術式が槍の如く貫く。そして消滅。
難なく魔属を処理した晴馬。ややケースが特殊だが、今のようにして、魔属に術式を用いて処理していくのが基本となる。
「どうでしょう?」
「変化なし、ですね」
ヤミの問いかけに、眉を顰める晴馬。どうやら、思ったような異常は見受けられないようだ。そのまま暫く星空を使って校舎内を見渡すが、なんら変化はない。
時間経過にして約1時間前後、晴馬の避けたかった『異常なし』の文言の報告書と、相応の人物達からの嫌味などを覚悟して引き上げようとした、
その時
「?」
「晴馬様?」
晴馬の様子の変化に、ヤミが察して問う。
「これは…。面倒になりましたね……」
晴馬の脳内にある星空の情報。その中に、数個の《生命体》の情報が映りこむ。
《生命体》とは、読んで字の如く、人間や動物といったこの世で生きている者達のこと。当然のことではあるが、魔属や霊の類は人間などの生きている者、伏魔師的に言うと《生命体》として定義も認識されない。この星空に映り込んだ情報にも、魔属や霊と生命体とでは表示が異なる。そして、晴馬が使う星空は、虫や動物などの情報はキリがないため遮断するようにできている。つまり、映りこんだ生命体とは、
「……人です。星空の反応からして、恐らく一般人でしょう」
「人!?なんで!?」
ヤミが驚くのも無理はなかった。ヤミが最初に行っていた作業である結界張りと人払い。それは無論、一般人が魔属の巣窟と化す夜中の校舎へ近づかないようにするためだ。正直、ヤミにしてみれば、晴馬以外の人間がどういう目に遭おうと、どうだっていい。しかし、晴馬の仕事管轄内で、晴馬に石を投げられるような事態になることは避けたかった。
自分の耳をたたむように、頭を抱える仕草をとるヤミ。ヤミの頭には、真っ先に晴馬への謝罪文が作成された。
「原因究明などは後回しです。対処はできますので、そんなにご心配なく」
冷静に提案する晴馬に、ヤミはネガティブな思考を切り替えようと頭を左右に振る。しかし、状況は畳みかけてくる。
「これは……!?」
ヤミにしてみれば、珍しく驚きの声を漏らした晴馬。
「校舎内の魔属が、一斉に彼らに向かっていってます……!」
あまり見ない光景の連続に、ヤミは驚嘆の声も出てこない。形容するなら混乱だ。対する晴馬は、やや面倒くさそうに左手の人差し指で、左のこめかみを規則正しく叩く。
「仕方ありませんね……。面倒ですが、直接対処しましょう。ヤミさん、こちらへ」
晴馬はこめかみを叩いていた左手を使い、ヤミを傍らに来るように誘導する。
「非常事態です。彼らを直接、護りに向かいます。ヤミさんには、それまで星空の維持をお願いしたいです」
「か、かしこまりました……!」
ヤミは晴馬の立っていた位置に着き、晴馬と同様に小さな右手で印を作る。
「すぐ戻りますので、頼みます」
直後、晴馬は一般人には到底できようもない速度で教室を出ていく。これは術による瞬間移動の類ではなく、あくまで術と連動させた体術のなせる業である。伏魔師によって速度は異なるが、大体の伏魔師がこのように身体強化を使って任務をこなす。
目的の場所へ走る晴馬。ただ魔属を討伐するだけなら、星空を経由した術式で屠ればいい。しかし、本来はいないはずの一般人が紛れ込み、ターゲットとなってしまっている。魔属の討伐はもちろん、その一般人を安全に校舎から離れさせる為に、晴馬は直接現場への赴きを余儀なくされた。同時に脳内では、様々な疑念とそれらに対する解消に向けて、情報を整理していた。
星空を使って再確認した、平たい強さの魔属達。一般人が紛れ込んだと分かった瞬間に、一般人に向かって動き出した。
魔属は共喰いも勿論だが、生命体も喰らう。中でも人間を優先的にターゲットにする傾向にあり、気配にも敏感だ。しかし、晴馬が星空を使って一般人と魔属との距離を見ていたが、察知するには距離が離れすぎている。晴馬であればなんとなく察知は可能だが、ここにいる魔属の格からして、それは難しい。しかも、一般人との距離に関係なく一斉にだ。不気味すぎる。
ただ、幸いというべきか、一般人に向かった魔属達の強さはそうでもない。晴馬なら難なく処理は可能。無論、一般人にとっては脅威だから、晴馬が直接向かうことにはなっているが。
そして、最も気になったことは、一般人がヤミの結界内にはいってきたこと。
先ほど、その情報を聞いたヤミが頭を抱えて困惑したのは、傲慢ではない。晴馬が信頼をもっていつもヤミに任せている仕事だからだ。同業者にもそうそう侵入されたり、破られることはない。今回も相応のクオリティの結界を張ってくれたことは、晴馬にも感じ取れた。
それこそ、一般人に侵入されたり破られたりということは、ほぼ不可能。今回で言えば、結界自体は保っているため「破られた」というより「侵入された」というほうが適切だ。どちらにせよ、伏魔師の常識ではあまり考えられないが。
晴馬はそれらの情報を整理しつつ、大半の疑念の根幹は、1つに集約されると考えていた。それは、魔属の組織態、その頂点個体の存在。
現在はそんな気配はない。しかし、過去の事例からしても、その頂点個体であればそういった芸当も可能だし、根拠こそないが辻褄が合う。
そんな考察をしつつ、晴馬は校舎を駆ける。
----------------------------------------
ほぼ同時刻。
「正さーん、なんで急に警備依頼なんてきたんです?せっかく推しの配信があるってのに…。確か、特殊な夜間業者が入るから、警備はしばらく不要、ってことでしたよね?」
「……そのはずだったんだがな。気持ちは分かるが、仕方ない。雇い主からの依頼だからな。これでさぼってなにかあろうもんなら、首が飛ぶぞ」
懐中電灯を片手に、警備服を身にまとう男性2名。やや腰の曲がった歳を召した男性、笹野正行が先頭を歩き、若めの男性、小野則文がその後ろを歩く。彼らはこの学校の警備員である。普段は決まったこの時間帯に警備の巡回を行っているが、事前に本日から別の特殊な夜間業者が入るため、警備不要との連絡を受け、各々好きなように過ごす予定、
だったのだが、昨日になって突如として、警備依頼が舞い込んだのだった。困惑や疑念もあったが、後で話を聞くとして、一先ず雇い主の命に従うことに。
いつも通り裏口から中に入り、真っ暗な廊下を進む。2人とも普段行っている業務だけあって、特に雰囲気に気圧されるような様子ではない。「出そう」なことには変わりないが、あまりそういった経験がないため、次第に感覚が麻痺していったようだ。
決まったルートを通りつつ、問題ないことを確認していく。しかし、ここで想定外の事態に直面する。
とある廊下に差し掛かった際に、懐中電灯の明かりに差し込む人影。思わず立ち止まり、息をのむ。互いに顔を見合わせ頷き、
「……失礼、どちら様ですか?」
笹野が恐る恐る声をかける。振り返ったその人影は、若い青年だった。見たところ、幽霊の類ではないことを察した警備員2人は、安堵のため息をついて近づいた。
「君…、困るよ…。こんな時間に何をやっているの…?ここの生徒?」
「あ、はい」
青年は、懐から学生証を取り出す。時刻は22時。部活動にしろ、そのほかの理由にしろ、学校に残るには遅すぎる。
警備生は学生証を確認していく。それを見た笹野が、「ええ…」と、呆れてた声を上げる。
「君…、新入生なの…?」
今の正確な日時は、4月2日。つまり、入学した翌日だった。仮に在校生でも未成年な以上、この時間まで学校に残る理由はほぼ無いが、新入生となれば尚の事。
色々と言いたいことを飲み込み、笹野は人差し指で自分の後頭部を掻く。
「あのねぇ…。入学早々、下手な問題起こさない方がいいよ?ていうか、なんでこんな時間までここにいるの」
警備員の問いに、新入生の青年は「あー…」と、自身から見て右上の虚空に目線を移す。
「ちょっと課題に熱中してまして…。気がついたらこんな時間に…」
この学校はそれなりの進学校ゆえ、新入生でも相応の課題を課せられることもある。普通は自宅で済ませる人が多いだろうが、熱心というか異常というか。警備員ゆえ、そこまで学生の生活を知っているわけでも、課題の内容を知っているわけでもないため、否定も肯定もできない。
「……熱心なのはいいけどね、限度ってもんがあるだろうに…。まぁ、いいや。とりあえず、今回は見なかったことにするから、すぐ家に帰りなさい。出口まで送るから」
「はーい」
だからと言って、学生がこんな時間まで1人で学校に居残るのは褒められた話ではない。笹野の正論に、素直に従う青年。
1階の廊下にさしかかり、もう少しで裏口にたどり着こうという時。笹野が持つ懐中電灯に明かりに、なにかの影が映りこむ。なんともデジャヴだが、どうにも様子が違った。
その人影は良く見ると、四つん這いで長い髪を床に垂らした女性らしき人影だった。笹野も小野も、全身で感じ取った。
この世の者ではないと。
笹野と小野が数歩後ずさった瞬間、その者は四つん這いのまま、彼らに向かって走り出してきた。思わず悲鳴を上げて逃げる小野。しかし、笹野があまりの光景に尻もちをついてしまっていた。その間も迫るなにか。明らかに危害を加えようと突進してくる。
ついにその手が笹野にかかる直前、
とある人影が、両者の間に入り込む。その人影は、突進してきた者を右腕で受け止めていた。月明りに照らされて見えたその人影。軍服のような衣類を纏い、狐の仮面をつけていた。
「ここは危険です。さっさと立ち去りなさい」
少しボイスチェンジがかかっているような音声で、短く、それでいて圧を感じる命令。やや混乱気味で、すぐさま行動に移せない笹野。すると、先ほど逃げた小野が駆け付け、肩を貸して撤退していく。
その間、狐のお面の主である晴馬が、すぐにでも消せる魔属を右手で抑えていたのは、一般人に必要以上の余計な視覚情報を与えないためだ。下手に色々見せれば、主に情報統制の面でリスクが発生する。だが、今その縛りは無くなった。
仮面をつけたまま、晴馬は魔属を目に捉える。目の合う魔属。怨念を大いに含んだ眼。通常であれば、人が圧されてしまうだろう。しかし、実際は真逆だった。
魔属の眼に映ったのは、間違いなく自分の存在を脅かす者。しかし、もう後には引けない。理由は単純。仮面の者は、魔属を消すことを決定していたからだ。
晴馬は、自分の右手に乗っていた魔属の重さを、右手で払いのけることで無に帰す。その代わり、その反動は魔属を後ろに仰け反らせることに成功した。態勢が整う前に、魔属の運命は決定した。
《無色体術・点掌》
魔属の身体、その中心部に打ち込まれた晴馬の右手による掌底。低い姿勢で、しっかりと晴馬から打ち込まれる力の奔流は、魔属の身体をめぐりにめぐり、魔属の身体を破散させた。
この体術は、伏魔師の間で使われる最も基本的な体術の1つである。魔属の体に力の流れを打ち込み、内部破壊を可能にする。
利点として、魔属の体で完結させるため、周囲の環境、主に破壊などの影響が薄くなる点だ。弱点として、一定の強さを持つ個体以上の魔属相手には通じにくいことがあげられる。主としては、さほど強さのない個体を処理することが多い。伏魔師にとって、登竜門と呼ぶべき技術の1つだ。
そのまま、複数の魔属を討伐していく晴馬。ここで後続の1体が、晴馬とは違う方に向かっていく。その目線の先にいた者。それは、先ほど撤退したと思っていた男子生徒。迫る魔属に対し、逃げようとしない男子生徒。晴馬は急いで対処に向かうが、
間に合わない。
そう思い、男子生徒に当たるリスクを負って術式の準備をした晴馬。しかし、魔属の動きが男子生徒を目の前にして停止した。ほんの一瞬、困惑した晴馬だったが、すぐさま男子生徒に影響がない体術で、魔属を処理する。
あらかた片付いたことを確認し、晴馬は男子生徒に向き合う。無論、苛立ちを含んで。
「どういうつもりですか?死ぬところでしたよ、貴方」
明確な怒気をはらみ、男子生徒に冷たくぶつける。男子生徒はぼーっとしていたが、晴馬の声にハッとなる。
「あ、えっと、ごめんなさい」
謝罪のみで、撤退しない理由まで言葉が出てこなかった。やや呆け気味の男子生徒に対し、晴馬は左のこめかみを軽く指で叩く。
「……もう結構です。少し目を閉じていなさい」
晴馬の言葉に、男子生徒は言う通りに目を閉じる。晴馬が男子生徒の身体に触れた瞬間、ほんの一瞬、突風のような感覚が男子生徒を纏う。
「開けていいですよ」
晴馬の言葉に従う男子生徒。そこには、いつもの学校の外の光景が広がる。
「いいですか。ここまま真っすぐ自宅へ帰りなさい」
その言葉の直後、晴馬は男子生徒の前から姿を消した。
----------------------------------------
「晴馬様!」
「遅くなりました。校舎内は如何ですか?」
星空の継続を行っていたヤミの元へ、晴馬が帰還。「遅い」という言葉を使うには、同業者からしても迅速な仕事ではあったが、晴馬からすれば「遅い」のだろう。
「一般人に向かった魔属以外、特に変わったことはありませんでした」
ヤミからの報告に、軽くため息を吐く晴馬。褒められた話ではないが、一般人の侵入は、晴馬にとってすべてがマイナスということでもなかった。変化のない不気味さに対し、ほしいのは刺激と変化。もちろん、下手に場を荒らすのは避けたいが、現状維持はマイナスだ。晴馬が薮をつついたのもその一環だが、予期せぬ外的要因の参入により、頂点個体の魔属のしっぽが見えることを少し期待した。
だが、結果はうまくはいかなかった。
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「致し方ありません。収穫はほぼ無いですが、今日のところは撤退しましょう」
以降も、星空を使いつつ状況を見ていったものの、どうにも目ぼしい成果は上がらなかった。ただ、そもそも初日は校舎の状態や、魔属の動きなど、状況確認の意味合いが強い。よって、仮に成果という成果がなくとも落胆するには早いというところだ。
晴馬は星空を解除し、ヤミと共に陽が差し掛かる校舎を後にした。
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(フーム、今回も中々に良さそうな伏魔師が来たじゃねえか。前回は知らねぇうちにどっかいっちまったが、運がいいな。ま、この状況を手繰り寄せる為に、性に合わないやり方したんだけどよ)
晴馬の眼が一瞬、校舎に向かう。
(おー、あぶねぇ、あぶねぇ。この距離で気配に気が付くか。下手に顔出さなくて正解だったなぁ。思った以上の野郎だ。おもしれぇじゃねぇの)
校舎内に、誰にも観測できない笑い声が響き渡った。
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