称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第二十八話 その理由を問う男

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 サヴィラは、ふと目が覚めた。
 まだ朝ではない。部屋の中は真っ暗で、窓の向こうからは雨の音がする。
一緒に寝ていたレニーを起こさないように慎重に体を起こす。
 二段ベッドが二つ詰め込まれた部屋では、今日の主役だったルイスにリースにレオンハルトがくっついていて、その下の段にジョンと双子が身を寄せ合って眠っていた。
ミアとシルヴィアは、ネネと同じ女の子部屋にいる。テディもそっちだ。
 すぐに双子と一緒に眠っていたはずのカイトの姿がないことに気付く。長い脚を持て余し気味に狭いベッドに横になっていたはずの姿がない。
 なんだろう。何か、見落としてはいけないことが起きているような不安が胸の中に、ぽつりとインクの染みのように落ちていく。

「なんだろ……なんか、嫌な感じがする」

 サヴィラは居ても立ってもいられなくて、ベッドを抜け出して部屋を飛び出すが、すぐに足を止める。冷静になれと自分に言い聞かせる。
 廊下に出ると雨の匂いが濃くなった。多分、一階の出入り口のドアが開いている。誰かが来ているのだ。
 息を潜めて階段を降りていく。やはり一階のカウンターで話し声がした。ベッドから消えていたカイトの声もそこから聞こえてくる。玄関には、案の定、カイトが居て、他にソニアとサンドロ、ローサ、そして第二小隊のガストン騎士がいた。ガストンは黒いコートを着ていて、その肩はびっしょりと濡れていた。

「一路たちが本当にこんなに早く帰って来るとはね。真尋のことに関しても夕方にあったきり連絡もなかったし、心配していたんだ」

 カイトの告げた言葉にサヴィラは息をのむ。
 イチロたちということは、父だって一緒のはずだし、父のことに関して夕方に連絡があったとはどういうことだろう。
 だって、それはカイトたちは父が帰ってくることを知っていた、と言ってるようなものじゃないか。

「父様が帰って来たの?」

 聞き捨てならない言葉に隠していた気配を解き放ち、駆けよれば大人たちが驚いたように振り返った。

「ねえ、本当に? 口ぶりからして、もっと前に連絡があったんでしょ。なのにどうして俺たちに報せてくれないの?」

 普通なら一番に報せがくるはずだ、とサヴィラには確信があった。母との再会に喜んでいたとしても、父は、とにもかくにも親馬鹿なのだ。リック辺りが迎えに来たっておかしくないはずだった。
 ガストンが言いよどみ、ソニアが「それは、ええとねぇ」と言葉を濁らせる。ローサとサンドロは目を合わせないようにそっぽを向いている。言葉にせずとも、父に何かあったのだと言っているも同然だった。

「カイト、父様に何があったの?」

 カイトは一瞬ためらう素振りを見せたが、青に緑の混じる瞳は真っすぐにサヴィラをとらえた。

「……真尋が酷い怪我をしたらしいんだ。魔獣と戦って、かなりの深手を負ったらしい。夕方に意識不明の重体だと連絡があった」

「うそでしょ、とうさま、が?」

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。

「どうして……どうして教えてくれなかったの!?」

 思わずカイトの服を掴んだ。見上げた先でカイトは困ったように眉を下げる。

「雪乃の判断だ。夕方の連絡で真夜中にはこちらに戻ると同時に知らされた。真尋の怪我の具合によっては、子どもたちは取り乱すだろう? それに真尋はすぐに平気なフリをするから治療を後回しにする可能性もある。……何より治療を優先しなければならなかったんだ。それに……死ぬわけがないんだから、家族を集める必要はないと、俺個人は思ったんだよ」

 カイトはきっぱりと言い切って、なだめるようにサヴィラの髪を撫でた。

「サヴィラ様、心配は無用です」

 ガストンが口を開く。

「神父殿は魔獣との交戦により、魔力循環不順症を発症し、治療が困難だったそうです。ですが、ユキノ夫人のおかげで、魔力循環不順症が解消され、治療を行うことができると判断されました。治療中の現在もユキノ夫人が付き添っておられます」

「治療してるのに? 母様が一緒でいいの?」

「夫人の手を……神父殿がどうやっても離さなかったので、ナルキーサス殿が諦めてユキノ夫人ごと連れて行きました」

 ガストンがふっと表情を緩めた。
 混乱する頭でも、父ならやりそうだな、と納得してしまう。だが、疑問は次から次へと湧いて出て来る。

「でも、どうしてこんなに早く……五日か六日前くらいだよね、エルフ族の里に着いたの」

「あー、それがですね……その、ドラゴンで帰還なさいまして」

「ごめん、なんて?」

 サヴィラは耳慣れないにもほどがある単語に思わず聞き返す。ソニア親子も、ぽかんと口を開けて固まっているし、カイトは異国語で何かをもらした。多分、驚いているんだと思う。

「ですから、ドラゴンで帰還なさいまして。マヒロ神父殿が交戦した相手はドラゴンで、どういう理由かは知らないのですが……なんだか真っ黒い巨大なドラゴンが、前脚で、こう……馬車を抱えて帰還なさいました」

「そんなことある!?」

 ガストンが身振り手振りをつけて教えてくれるが、思わずサヴィラは叫んでいた。ソニアが「チビたちが起きるよ!」と慌ててサヴィラの口をふさぐ。サヴィラもはっと我に返ってこくこくと頷いた。ソニアの手が離れて行く。

「あー、ほら、まあ……真尋だからね」

 カイトが遠い目をして言った。
 サヴィラは、なんといっていいか分からず、口をぱくぱくさせることしか出来なかった。

「まあ、帰り方はこの際置いといて、どうするんだい? カイトもサヴィラも行きたいだろう?」

 ソニアが問いかけて来る。
 カイトはほんの一瞬、その顔に迷いを浮かべたがすぐに首を横に振った。

「俺は一路に今すぐ会いたいけど、双子を置いてはいけないよ。それに今行ってもあの子たちは取り乱して、治療の妨げになりかねない。今夜はここにいるよ。サヴィはどうする?」

「俺だってミアを置いてはいけないよ。……ナルキーサス先生が治療してくれているんでしょ?」

 サヴィラの問いにガストンが頷いた。

「ナルキーサス殿とアルトゥロ殿、それとロイス殿と数名の助手と薬師が治療にあたっています」

「なら……信じて待つよ。本当は傍に行きたいけど……父様の治療の邪魔にはなりたくない。ミアも泣いちゃうだろうし、ノアのことがあるから傍に行きたいって言いだすと思うし」

 ソニアが優しくサヴィラの背を撫でてくれる。サヴィラは、そのぬくもりを素直に受け入れて「ありがと」と呟く。

「一路に怪我はないのか?」

 カイトが問いかける。

「怪我はありませんが、魔力切れをおこしているそうです。なんでも神父殿の治療でほとんどの魔力を使ってしまったそうで……エドワード護衛騎士とティナ嬢が傍に」

「魔力切れってすぐに治るのかい?」

「イチロ殿の場合は、自主的に魔力を放出した形ですので回復薬を飲むか、食事をして良く寝れば回復するかと」

「そう……ならいいんだ。あの子が生きているなら、それで」

 カイトが心からの安堵をその端正な顔に浮かべた。

「ね、カイト。これにカイトの魔力をいれて、ガストンに届けてもらって、イチロにあげるといいよ。治癒だから、光の魔力を付加するんだよ」

 サヴィラは、空っぽになっていた父の魔石を取り出してカイトに見せる。

「でも、それはサヴィの大事なものだろう?」

「これは父様の魔力が入ってないとただの魔石だもん。それに父様は帰って来たし、あ、でも魔力の全部はだめだよ? カイトが倒れたら困るから。それにイチロだって、お兄さんの魔力なら嬉しいんじゃない?」

 サヴィラの言葉にカイトは少しだけ嬉しそうな顔をした。

「そうかな……できるかな。やったことないんだけど……」

 そう言いながらサヴィラの手にカイトの手が重ねられた。彼も背が高い大人の男性なので、父と同じくらい手が大きくて、サヴィラの手はすっぽりと包まれた。
 掌にじんわりと熱が広がる。
 次にカイトの手が離れると、透明だった魔石の中に金色の光が揺れていた。父のより黄色味が強くて、カイトの金髪と同じ色だった。溌剌とした光が眩く輝いている。

「成功してるみたいだよ」

「本当? よかった。ありがとう、サヴィラ」

 カイトが顔を綻ばせ、魔石を手に取り、ガストンへ差し出す。

「ガストン騎士、これを一路に頼むよ」

「了解です。必ずお届けします。では私はこれで失礼いたします」

 ガストンは魔石を恭しく受け取り、懐へしまった。そして、一礼し、雨の中、外で待たせていたらしい馬に跨って去って行く。サンドロが「閉めるぞ」と告げてドアを閉め、鍵をかけた。孤児院が併設されているので、安全のため日付を跨ぐと朝までここのドアと山猫亭を繋ぐ内ドアは開かなくなる。宿泊中の冒険者がうっかり出歩いて締め出された場合、隣の山猫亭に行けば(ソニアに怒られるが)、内ドアは開けてもらえる。

「サヴィ、また寝るかい?」

「んー、さすがに無理かも……」

 カイトに聞かれて、サヴィラは苦笑を零す。
 いくらナルキーサスやアルトゥロが頑張ってくれていて、ユキノが傍にいると言われても父が心配だった。

「ソニア、食堂で少し夜更かしをしていてもいいかい?」

「いつもなら怒るところだけど、今日は仕方ないね。あたしたちだって眠れそうにないし……ただし、チビたちに見つからないようにね」

「ありがとう」

 ソニアは「眠くなったら寝るんだよ」と告げるとサンドロとともに休憩室のほうに行った。

「よかったら、ココアか何か淹れてあげようか」」

 ローサが言った。

「なら、ホットミルクを」

 カイトが言った。サヴィラも「俺も」と告げる。

「分かったわ。じゃあ、食堂で待ってて」

 そう言って、ローサが赤い髪とふさふさの尻尾を揺らして山猫亭のほうに行った。
 おいで、と言われてカイトと一緒に食堂へ行く。食堂は、長いテーブルが二本あって、同じく長い椅子が置かれている。
 カイトがテーブルの上に置いてあった燭台に火を入れて、椅子に座った。サヴィラもアイテムボックスからガウンを取り出して着込み、その隣に座る。なんとなくローサがくるまで、二人は燭台の灯りをぼんやりと見つめていた。三本のろうそくに灯された炎が、ゆらゆらと揺れている。

「はーい、お待たせ」

 ローサがもどって来て、二人の前にマグカップを置いた。

「ね、あたしもここで待ってていい?」

 自分のピンク色のカップを手にローサが言った。サヴィラは「うん」と頷く。

「どうぞ。でも冷えるからこれを着てな。女の子は体を冷やしちゃいけないよ」

 そう言ってカイトが立ち上がり、サヴィラの隣に座ったローサの肩に自分が着ていたカーディガンをかけた。

「だ、大丈夫よ。あたし、獣人族だからこれくらいじゃ寒くないし……」

「だーめ。良い子だからいうこと聞きなさい」

 甘いウィンク一つでローサを黙らせて、カイトがサヴィラの隣に座る。「美味しいね」とホットミルクを飲むカイトと「イチロくんの兄だわ」と頭を抱えるローサに挟まれながら、サヴィラもホットミルクに口を付ける。

「真尋の両親の話を聞いたことはあるかい?」

 おもむろにカイトが言った。
 カイトの青に緑の混じる眼差しは、燭台の揺れる炎をぼんやりと見つめていた。

「あたしはないかなぁ。奥さんのユキノさんの話なら頼んでなくてもしてくれたけど。サヴィは?」

「俺は……うーん、あんまり、聞いたことない、かな? お母さんの話は少しだけしてくれたけど。服のデザイナーだったとか、ちょっと抜けてるところがあったとか。でもお父さんの話は……顔が似てるってことしか聞いたことないかも」

 マヒロは、ユキノのことや、双子の弟たちのことはこちらがねだればねだっただけ、むしろ、ねだらなくてもあれこれと教えてくれたし、話してくれた。おかげで、サヴィラは両親の記念日と双子の成長記録について、大分詳しい。カイトのことも、イチロの兄であり親友のひとりだと教えてくれて、休暇や学校での出来事を教えてくれた。
 だが、マヒロの両親についての話は、ほとんどしてくれなかった。

「話をしてくれなかったっていうより、することがないのかなって思った」

「サヴィは、賢いね」

 カイトが苦い笑みを口端に浮かべた。

「思い出がね、ないんだよ。真尋には両親との思い出と呼べるほどのものがないんだ」

「仲、悪かったの?」

「お母さんとはそうでもなかったよ。でも父親とは……真尋が『父さん』って呼んでいるの聞いたことがないんだ。幼馴染として、十年以上は一緒にいたけどね」

「……父親なのに?」

 ローサが驚いたように言った。サヴィラも、ぱちりと瞬きをする。
 サヴィラでさえ、愛されても、愛してもいなかったが実の父のことは一応「父様」と呼んでいた。
 だというのにマヒロはそれさえもないのだろうか。

「人前では肩書き。会話では、あの人とか父親って呼び方だったな。抱き締められたり、頭を撫でられたりってこともないんじゃないか」

「父様は人前でもかまわず抱き締めて来るし、手を繋ぎたがるし、すぐにキスして来るのに?」

「あいつは雪乃とか双子にはいつだってそうだったよ。……真尋の父親はさ、自分の妻しか愛せない人だったんだ」

 そう言ってカイトはサヴィラに顔を向けた。

「真尋は、奥さんとお前たちを全部抱き締めて愛することができるやつだけど、あの人はそれができなかった。真尋のことも、真智と真咲のこともあの人は憎んでいたわけでも、嫌っていたわけでもない。欠片も情がなかったわけでもないだろうけど……愛してはいないんじゃないかな、って俺は傍で見ていて思ったんだ。兄だけど、父としても慕っていた真尋を突然喪って悲しみに暮れる双子を……父親は捨てる道を選んだ」

 温度を喪ったカイトの声が、淡々と告げる。

「ひどいものだったよ……真尋を喪い、両親に捨てられて、二人はボロボロだった。雪乃が必死で抱き締めて、あやして……でも夜泣きをして、家の中じゅう真尋を探して回った。普段はとても良い子なのにわざとお皿を割ってみたり、本棚の本を出して散らかしてみたり……俺にはそれが雪乃の愛情を試しているようにも見えたし……いや、事実、試していたんだろうね。血のつながりのない彼女が自分たちを捨てない保証が欲しかったんだろう。……でも、教会が俺たちに慈悲をかけてくださった。そのおかげで、双子はなんとか立ち直ったんだ。また……あんな風になったらと思うと可哀想で胸が張り裂けそうに痛む。だから雪乃が、二人には……むしろ、二人にこそ真尋のことを伝えなかったんだ」

 なんとなく時折、不安そうにしているマチとマサキの顔が浮かんだ。
 あれは捨てられた不安を、置いていかれた恐怖を、ふとした瞬間に思い出してしまっていたのかもしれない。サヴィラが、貧民街にいたころ、乳母に手を引かれて家を出た日のことを思い出したことがあるように。

「それは悲しかったろうね……俺も、親に捨てられた側だから、なんとなくだけど、わかるよ」

 カイトが微かに目を見開いた。ローサがゆっくりとミルクを飲んだ音がした。

「俺ね、貴族の妾の息子だったの。この国の爵位は男児しか継げないから育てられたけど、後継ぎが産まれた三日後に捨てられた。……だけど、そのおかげで俺は、ダビド爺さんやミアやネネたちに会えたし、父様と家族になれた。あそこにいたら苦しいだけだったと思うから、最近は必要なことだったんだな、って思ってる。こうやって人にも話せるようになったしね」

「サヴィラは、強いな」

 カイトが言った。
 サヴィラは、ふっと笑って目を伏せる。

「強くならなきゃいけなかったから、強くなったふりをしていただけだよ。……でも今は、弱いままの俺でもいいんだって父様のおかげで、随分と楽になったよ」

マヒロは、サヴィラを弱くする。でも、その分、弱さを理由にたくさん甘えることができる。そうすると不思議と、以前の何倍も強くなれる気がするのだ。

「でも、カイトも……お父さんとお母さん、置いてきちゃってよかったの?」

 おずおずと尋ねるとカイトは、苦い笑みを浮かべた。
 イチロは時折、家族の話をしていたが父の家と違って、仲は良さそうだと思ったけれど、違うのだろうか。

「俺にとって……両親よりもずっと、こんな遠くに来てしまうほど――大事だっただけだよ」

 そう言ってカイトは、なんだかこっちが恥ずかしくなるくらい、優しくて甘い笑みを浮かべた。「くそぅ、顔が良い……っ」とローサが唸っているのが隣から聞こえる。

「…………カイト、イチロのこと好きすぎない?」

「サヴィ、一路は俺にとって目に入れても痛くないほど可愛い、可愛い弟なんだ。そうだ、どうせ真尋の治療が終わるのにも時間がかかるだろうし、二人には特別に俺のとっておきの可愛い一路の可愛いお話を聞かせてあげよう!」

「え、別にい……」

「あたしも別に友だちの彼氏のことは……」

「あれはそう、俺が七歳、一路が六歳の春のことだった」

 遠慮するサヴィラとローサの声は届かず、カイトは嬉々として可愛い一路との可愛い思い出を語り始めた。
 何を言っても止まらないので、サヴィラたちは諦めて耳を傾けた。時折、異国語が混ざったが、概ね「俺の弟可愛い」という話だった。幼馴染なので父の話もちょっとだけだが出て来て、なんだかんだサヴィラは不安な夜を持て余さずに済んだ。ローサが代わりにティナとイチロの仲睦まじい様子を話して聞かせれば、カイトは嬉しそうに耳を傾けていた。
 マヒロの治療が無事に終わり「もう命に別条はない」とガストンが報せに来てくれたのは、東の空が明るみ始めた頃だった。



 空っぽになったものが満たされていく心地よさに目を開ける。
 左側を見れば雪乃が真尋の腕を枕にぴたりとくっつくようにして眠っていた。すやすやと聞こえて来る寝息は、真尋の胸をぐぅ、と締め付ける。なんとか顔を動かして、その額にキスをした。見慣れない兎の耳が生えているが、起きてみないとその理由は分からない。ただ、ミアと同じで可愛いので、真尋としては何の問題もない。

「……起きたか、問題児」

 呆れたような声に目を向ければ、目の下にクマを作ったナルキーサスと目が合った。
 椅子に座る彼女の向こうはまだ薄暗く、夜が明けていないのがなんとなくだが分かった。

「無事に君の治療を終えられた。君の奥さんが……君を覆っていたドラゴンの魔力を引っぺがしてくれたんだ。夫婦揃って規格外だな」

「どうり、で……違和感がない。魔力も、よく流れている……」

 真尋の言葉にナルキーサスは「違和感があったなら、あったと言え、馬鹿者」と顔をしかめた。分が悪いので真尋は押し黙る。

「気絶したというのに君とくればユキノの手を握って離さなくてな。長く生きているが妻同伴で手術までしたのは初めてだよ。ちなみに結局手術になったのは、その腕だ。もう二度とドラゴンを殴るな。次は知らんからな」

 ナルキーサスがこちらを睨んで来る。真尋だって、そうそうあれを何度も殴りたいとは思っていないが、言い訳をしたところで説教が増えるだけだと知っている。

「…………なんで、ユキノはここにいるんだろうな」

 今度はナルキーサスが黙った。真尋の言葉が、どうして隣に雪乃がいるのか、ではなく、いるはずのないこの場所に、この国にいるのか、という言葉だと分かったのだろう。

「孤児院には、弟たちの姿も、あった……ジョンと寝ていた」

「イチロの兄のカイトもそちらにいるそうだよ。プリシラたちを気遣って昼食まであちらで済ませて来るそうだ……そんだけ喋れればもう大丈夫だな。私はもう寝る。何かあったら起こせ、おやすみ」

 言いたい事だけ言ってナルキーサスは、立ち上がり部屋の隅へ向かっていく。そこにはパーテーションが置かれていて、その向こうにいくつかの気配があった。治療にあたってくれたのは、彼女だけではないのだろう。アルトゥロやロイドの魔力の気配もあった。彼らの深い寝息が聞こえて来る。

「ありがとう、キース」

「……私は治癒術師だから、当然のことだよ」

 ナルキーサスは、そう告げてパーテーションの向こうに消えた。
 真尋は、静かな部屋の中、もう一度、雪乃に顔を向ける。抱き締めたいが、体が重く鉛のようで、左腕は枕の仕事をしているし、右腕はまだガチガチに固定されていて動かない。

「……ん? まひろさん? どうしたの……」

 寝ぼけた声は、いつもよりまあるくなる。
 甘えるように頬を寄せれば雪乃が動いて真尋の頭をそっと抱き締めてくれた。
 とくん、とくん、と真尋が最も愛する音がする。

「まだあさじゃないわ……こうしていてあげるから、ちゃん、と……ねて、ね」

 途切れ途切れになって、消えていく。まだたすやすやと規則正しい寝息が真尋の髪に触れた。
 ほんの一筋、包帯に覆われていないほうの目元に涙が零れていった。

「……雪乃」

 返事はない。彼女は夢の中だ。
 それでも、その鼓動が聞こえるという事実だけで、真尋はこの世界へ来て初めて、すべてを手放して眠りに落ちたのだった。





 一路は、雪乃の腕の中でぐっすりと眠りこむ真尋に、ほっと表情を緩める。
 一路の隣でティナも様子を見に来たリックとエドワードも――重要なことだが、気絶でも、心停止でも無く、ただただ穏やかに――寝ている真尋に驚きの表情を浮かべていた。

「……マヒロさんって……本当に寝るんですね」

 リックが信じられないものを見ているかのような顔をしている。隣でティナまで「寝ないと思ってました」と零す。

「ふふっ、そりゃあ、寝るよ。とくに今はめちゃくちゃに疲労して、体力も底をついているだろうからね。雪ちゃんという安眠薬のおかげで、御覧の通りぐっすりだよ。まあ、ここまでよく寝てるのは僕もかなり久々に見たけど」

 こんなにぐっすり寝ている姿は、あの夜這い事件より前のことだったと思う。

「……奥様、すげぇな」

 エドワードがやっぱり語彙力のない感想を漏らした。
 寄り添い合うようにして眠る二人は、安らかそのものだ。真尋もまだ包帯まみれだが、その包帯にもう血は滲んでいなかった。
 夫婦の足元では黒いドラゴンが丸くなって眠っていて、そのドラゴンに抱えられるように白いのが眠っている。
 折角、あの真尋が寝ているのだから起こさないようにと一路は、皆を促して部屋を出る。奮闘してくれた治癒術師たちも部屋の隅に設けられたスペースでまだぐっすり眠りこんでいた。治癒魔法を使い、魔力をかなり消耗したのだろうからまだまだ起きないだろう。一路もまだ半分くらいしか魔力は回復していなかった。
 部屋を出れば、まだ朝日が昇り始めたばかりで屋敷の中はひんやりとして、静かだ。
 階段を下りて、二階の一路の部屋に行く。
 ソファに座った一路の隣にティナが座り、着いて来たエドワードとリックが向かいの席に座る。

「……ところで、ずっと気になってたんだけど、あの白いのドラゴンだよね」

 口火を切った一路にエドワードとリックが頷き、事情を知っているであろうティナを見た。
 昨夜、一路は魔力切れでティナの腕の中で気絶し、気づいたら朝だった。エドワードとリックは一晩中、それぞれの主の部屋の前で警護に立っていたそうだ。

「帰って来た時に、なんか飛んでるな、とは思ったんだけど……僕も限界だったから夢かと思ったんだよね」

「私も詳しくは知らないんですけど……なんかユキノさんが、カロル村の近くの泉で野営中に、空から卵が落ちて来たのを拾ったんだそうです。それで食べようと思って茹でたら孵化して、偶然、うっかり従魔にしたそうです。タマちゃんって言うんですよ」

 ティナがにこにこしながら教えてくれた。

「やっぱり、タマか……真尋くんはポチだけど、雪ちゃんはなんでかタマって名付けるんだよね」

「イチロ、そこじゃない。そこじゃないと思う」

 エドワードが首を横に振った。

「夫婦って、そこまで似ます??」

 リックは混乱しているようだ。

「真尋くんの奥さんだよ? 普通なわけがないでしょ……」

「すっごい説得力……っ!」

 エドワードが顔を覆って項垂れる。

「まあ、雪ちゃんに害がないなら、真尋くんも殺したりはしないでしょ」

 一路は、ふう、と息を吐いてソファに身を預ける。

「先に親切心で言っておくけど、君たち……とくに関わることが多いだろう真尋くんの護衛騎士のリックさん、気を付けてね」

「な、なにをですか」

 リックが怯えながら問いかけて来る。

「真尋くんにとって、雪ちゃん以上に大切なものってないの。そして知ってると思うけど、雪ちゃんのことに限っては、嫉妬深くて独占欲がやばいの。ミアの嫁云々の二十倍は酷いと思って。だからまず、君たちが独身の男である以上、雪ちゃんに緊急事態を除いて触らないように。あと雪ちゃんに害をなす馬鹿が湧いて出たら、そいつが真尋くんに何かされる前に連行して。嫌でしょ? 完全犯罪の片棒担ぐの……そして、二人きりにならない。二人きりになるのが許されている男は家族以外だとみっちゃんと僕だけだからね」

「みっちゃんというのは……」

「私でございます!」

「ひい!」

 エドワードが悲鳴を上げ、リックが剣を抜きかける。一路が慌てて呪文を唱えてリックの剣を押さえる。
 二人の背後からひょっこりと顔を出した園田は「おはようございます」と動じた様子もなく、さわやかに告げた。エドワードが呆然と「気配が、気配がなかった」とぼやく。

「みっちゃん、久しぶり」

「一路様! お元気になられたのですね!!」

 嬉しそうに顔を綻ばせた園田に、一路は立ち上がって腕を広げる。そうすれば、園田は「一路様!」と嬉しそうに抱き着いて来た。ぎゅうっと彼を抱き締めて、離れる。

「みっちゃん、犬耳、違和感ないね。似合ってるよ」

 何で生えてるんだろ、と思うより先にもともと生えてた気がするな、と思ってしまう。

「海斗様にも同じことを言われました」

 嬉しそうに笑って、園田が一歩下がり、ソファに座り直した一路の横に立った。

「この人は、充さん。僕と兄ちゃんは、みっちゃんって呼んでる。真尋くんちの執事だよ。みっちゃん、こっちの赤い髪のほうが僕の護衛騎士でエドワード・オウレットさん。こちらは真尋くんの護衛騎士で、リックさん。二人ともとても優秀な騎士だよ」

「そうなのですね。初めまして、私は真尋様と雪乃様にお仕えしている、執事の充と申します。どうぞ気軽になんとでもお呼び下さいませ」

 丁寧にお辞儀する園田に、リックとエドワードも自分からも自己紹介をして騎士の礼を返した。
 園田はご丁寧にとまたお辞儀を返した後、指を振ってワゴンを呼び寄せた。どうやら紅茶の仕度をしてくれたようで、一路たちの前に紅茶の入ったティーカップが置かれていく。

「みっちゃんは何してんの、こんな朝早くに」

 園田が紅茶を出し終わったところで一路は尋ねる。

「私は執事でございますので、屋敷のあれこれを。先ほど、ご挨拶に伺いましたら、起きた真尋様が私に鍵を預けて下さいまして、これまで通り屋敷全体の管理を仰せつかりました。本日より当家の執事として仕事を頑張ります」

 そう言って、充は懐から、真鍮の輪っかにいくつもの鍵がぶら下がった鍵の束を取り出した。真尋が持っていたこの屋敷のありとあらゆる鍵だ。スペアもあるのだが、両方とも真尋が持っていた。というのも主要な出入り口は、登録した魔力を感知することで開くように真尋がしたからだ。
 だが、それ以外の――例えば真尋の寝室や書斎は彼自身か、この鍵でしか開かないようになっているはずだ。リックがとくに驚いている。

「じゃあ、あとでワインを渡すよ。お土産で売るくらい貰っちゃってさ。管理をお願いね。……ところで真尋くん、もう起きたの?」

「いえ、雪乃様に『まだ寝てなさい』と言われて抱き締められて、そのまま再びお眠りになられました」

「そう。ならいいけど……困ったよ、ちっとも寝ないから。ブランレトゥに来て初めて、熟睡してるんじゃない?」

「真尋様は繊細でございますから」

 そう言って、園田は嬉しそうに笑った。真尋のことを考えている時の、見慣れた笑顔だ。

「ねえ、みっちゃん」

「はい」

 園田はワゴンの上に乗っていた林檎をナイフでするすると皮を剥いていた。

「……なんで、ここにいるの」

 園田の――琥珀に赤の混じった双眸が一路に向けられ、ナイフを操る手もぴたりと止まる。

「…………私、個人のことでしたら……どうするかと尋ねられて、雪乃様と真智様、真咲様と同じ道を選んだだけのこと、とお答えします。ですが……雪乃様や双子様、そして海斗様の選択については、ご自身の口からお話をしたいとの要望を受けております」

 そう告げて、またショリショリとリンゴの皮が剥かれていく。

「なんで、ここにいるのかって、聞いてるの……! ちゃんと答えてよ!」

 思わず荒くなってしまった声に自分でも驚く。
 ティナが「イチロさん……」と気づかわしげに呼ぶ声に、彼女の手を握って応える。

「……どうぞ、林檎でございます。朝食には早い時間帯ですからまだ、お休みになってください。少しお腹に何かを入れたほうが眠れますよ。坊ちゃま方が帰って来られるのは、昼過ぎでございます。身重のプリシラ様を気遣って、食事をあちらで済ませて来てくれるそうですので、それまでは皆さま、よくお休みくださいませ」

 木の葉の飾り切りが施された林檎が皿に乗せられ、それぞれの紅茶の横に置かれる。

「一路様、私は主寝室の掃除と仕度を真尋様より仰せつかっておりますので、失礼いたします」

 これ以上、答えることはできないのだと言外に伝えられ、一路は辛うじて頷いて返した。
 園田は「失礼いたします」と頭を下げるとワゴンを押しながら部屋を出て行った。一路は片手で顔を覆って、項垂れる。
 エドワードとリックは顔を見合わせると紅茶を急いで飲んで、林檎を手に持つと「ティナ、後は任せた」「我々も仮眠に」と告げて早々に出て行った。気を遣わせてしまったな、と思うが言葉をかける余裕がない。

「……イチロさん」

 ティナが心配そうに顔を覗き込んで来る。

「…………ここに、いるはずがないんだ」

 か細い声が空気を震わせた。

「だって、そうでしょう? 僕は……僕たちは愛する人々も全部捨てて、哀しませて、そして、ここへやって来たんだ。彼らは……僕ら以上に捨ててくることが、辛かったはずだ。だって、もう一度、大切な人たちに、途方もない悲しみを与えると、分かっているんだから……っ」

 一路を喪った父と母は、哀しんだだろう。二人は一路を心から愛して、慈しんでいてくれた。一路だって両親に会えないことは辛く、悲しかった。それに一路と兄は二人きりの兄弟だ。両親は我が子を全て喪ってしまったことになる。
 兄が――海斗が、それをどうして、選んでしまったのかが一路には分からない。一路がいなくなってしまった分、両親や祖父母を悲しませないでほしい、癒してほしいと望んでいたことは身勝手で、間違いだったのだろうか。

「また会えて嬉しいの、本当だよ? でも、……でも、兄ちゃんに、ひどいことを言ってしまいそう……っ」

 八つ当たりだと分かっているけれど、自分が護れなかったものを、哀しませたものを、押しつけてしまっているのも分かっている。けれど、心が刺々したものに包まれて、柔らかい言葉が見当たらなかった。

「……カイトさん、イチロさんのお話をたくさん、してくれたんですよ」

 ティナがつないでいた手を解いて、そっと一路を抱き締めてくれる。
 優しい花の匂いが優しく一路を包み込む。

「……会いたいって、生きているならなんでもいいから会いたいって、そう言っていました。あなたとの思い出を、まるで一つ一つが大切な宝石みたいに、大事そうに話してくれたんです。イチロさんが、同じように私にお兄さんのお話をしてくれたように」

「でも……」

「混乱しちゃいますよね。もう二度と会えないと聞いていたので私たちも驚きましたから……でも、兄弟ならそういうトゲトゲした気持ちもぶつけていいと思います。私だって、お姉ちゃんとは喧嘩とかしたりするんですよ」

 小さく落とされた微笑みが、一路の髪をふわりと揺らす。

「家族ってそういうものじゃないですか。きっとカイトさんだって、イチロさんにぶつけたいことはあると思います。だってイチロさん、急にいなくなっちゃったんでしょう? だから……ぶつけあって、お話をして、でも、最後に『大好きだよ』って伝えあえればいいと思います」

「そうかな……」

 自信のない声で問うとティナが「そうです」と優しく笑う声がした。
 ひらひらと落ちる花びらが一路の頬をくすぐり、消えていく。

「……イチロさん、これ……」

 ティナが躊躇いがちにポケットから何かを取り出した。首を傾げながら手を出せば、手のひらにぽとん、と魔石が転がった。
 金色の光が魔石の中で揺れてる。

「僕の……じゃないな。真尋くんでもないよね……これ……」

「昨夜、ガストンさんが届けてくれました。孤児院に報告に行った際にカイトさんから預かったんだそうです。サヴィラくんが自分の魔石が空だから、これにカイトさんの魔力を入れてイチロさんにって。イチロさん、昨夜は起きなかったので……」

 一路の魔力によく似た色をしたそれは、陽の下できらきらと輝いていた兄の金髪を彷彿とさせる溌剌とした輝きを放っていた。
 どうしてか情けなくも勝手に震える手で、一路はぎゅうと魔石を握りしめて、その手を額にくっつける。
 懐かしいぬくもりが、手のひらからじわじわと一路に伝わって来る。寒い日に飲むココアみたいに、優しくじんわりと一路の中に広がっていく。ああ、本当にここにいるんだ、と一路は心許ない足元に光がともったような感覚を覚えた。

「……ねえ、ティナ、兄ちゃんと会う時、ずっと僕の傍に居て。離れないでね」

 おずおずと顔を上げて、ティナの顔色を伺う。
 ティナは、サファイアブルーの瞳を柔らかに細めると、一路の額にキスをしてくれた。

「イチロさんが帰って来るということで、ギルドマスターが一週間ほど特別休暇をくれたんですよ。だから、イチロさんが、やだぁって言っても離れてあげませんよ」

「僕だってティナが、やだぁって言ったって離れないよ」

 顔を上げて、今度は一路がティナにキスをした。
 ちょっとずつ、ちょっとずつ二人で歩み寄って、今では唇へのキスだってティナは怯えなくなっていた。

「……ただいま、ティナ」

 細い手が一路の頬を包み込む。

「……おかえりなさい、一路さん」

 そう言って微笑んだティナは、とても綺麗で、愛おしかった。
 一路は「ただいま」ともう一度告げて、再び彼女へキスを贈ったのだった。


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