山椒魚

らくがき猫

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もしくば免罪符

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私には今でも答えの出ない話だ。
私は子供のころは今より体が弱くよく病気になっていた。だが両親は共に仕事をしていたため祖母の家に預けられることがたびたびあった。
おばあちゃんはとても優しく静かな人だった。熱が出て食欲のない私のためにリンゴをわざわざ買ってきてすりおろして食べさせてくれたり夕食の時まで預かってもらうときは決まって私の大好きな煮魚だった。
大好きだったけど、でも人には生きられる時間は限られている。そして現代では長く生きた人には新しい病と呼ぶべきか何なのか痴呆というものがある。
私のおばあちゃんも最後は痴呆で何もわからなくなった。
私は悲しかった。
でも彼は悲しいばかりではないかもしれないという。



大切な人たち時間を忘れていくのは悲しいなのに痴呆は悪いことばかりではないかもしれないというのがよくわからない。
「確かに大切な人たちを忘れていくことは悲しい、でもそれ以外のことも忘れていくんだよ。」
そう言ってまるで壇上の教授のように説明をしてくる彼は服装までそれらしいものを着ていた。いつも同じ服装というわけではないのか。
「いいこと楽しい思い出目の前の大切な人の顔はわかってもだれかわからない。悲しいし怖くなってしまうだろう。」
そう言いながら彼は昨日見たドラマに出てきた教授のように私の前を行ったり来たりしながら言葉を続ける。
「同時に悲しい事、恐怖したこと。自分のこの先にあるであろう死。それもわからなくなる。失うのは思い出だけじゃないよ。この先もなくなるんだ。」
忘れていくということに目を向けがちでそれは考えていなかった。
「君は死ぬのを意識したことはある?怖いと思ったことはある?」
それは当然あるし怖いと思う。できれば考えたくないことだ。

軽いようなおちゃらけたような口調から徐々に感情がなくなったような声になっていく。
「痴呆の始まっている人は若くして突然亡くなる人たちと違い身に迫る最後を近くに感じている人もいるだろう。」
「そしてすべての人がそれに勝てるほど強いというわけではないよね?」
「それらを考えずに余計なことを忘れてただ静かに待てるというのは悲しいことかな?」
それは、どうなんだろう。いつの間にかドラマの真似をやめた彼が横向きに立ったまま誰に向かってでもなく続ける。まるで自身が見たくないかのように。
「私は死が怖い。思考が止まるのは想像したくない。ここで終わりというのは嫌だ。」
「でも、それらを意識せずに最後を過ごせるのなら私は選びたいかもしれない。」
いつもの声に変って私に向かって再び声をかけてくる。
「答えを出すのはすぐじゃなくていいんだけど君はどうだい?」
そう言われ少し目をつむり考える。が
「ただ、君はもしかしたらそこまで生きていないかもしれない。だから君は答えを出す必要もないかもしれないよ。」
思わず勢いよく前を見るが彼はいつものようにいつの間にかいなかった。
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