後宮生活困窮中

真魚

文字の大きさ
19 / 34

第四章 身を持ち崩した娘たち 7

しおりを挟む
 翠玉はしばらく月牙の胸に顔をうずめて泣いていたが、じきに嗚咽を収めると、目元を擦りながら気恥ずかしそうに訊ねてきた。

「ところでその、今更なんですけど、頭領がこんなところにいるってことは、例のあの噂は本当だったんですか? あ、もちろん濡れ衣って意味ですけど」
「噂って、どういう噂になっているんだ?」

「武芸妓官三人が王太后様を殺して海都に逃げてきているって感じだな」と、天翔が横から答えると、壁際に置物みたいに並んでぐずぐず鼻をすすっていた少年たちの一人が付け加えた。
「俺たち、てっきり、小姐の嘘っぱちみてえな身の上話に尾ひれがついちまったんだとばかり思っていたんだけど。あんた本物の武芸妓官様なんだろ?」
「まあね。確かに本物だよ」
 月牙はため息をついた。「その噂はごく一部しか正確じゃないね。逃げてきた妓官は二人、私と小蓮だ。それに紅梅殿の判官様もいらっしゃる」

「え、趙雪衣様が? 何で?」
「ああ――まあ、こっちも色々あってね。それから、私たちにかけられている冤罪は王太后様ではなく正后様の毒殺未遂だ」
「あの法狼機女の?」と、翠玉が嫌そうに顔をしかめる。「あの女なら、機会があったら私だってぜひ殺してやりたかったけど。なんで今更そんな濡れ衣がかかっちゃったんです? あの女はもうずっと前に宮を出て行っちゃったのに」
「背景を詳しく説明するのは私では無理だ。あとで判官様に聞いてくれ。ところで、ひとつ訊きたいんだが」
「何ですか?」
「そのマスケット、どうやって手に入れたんだ? 浮街では普通に商われているのか?」
「いえ、浮街でも滅多に手に入りません。ルーシャンが持っていたんです」
 翠玉の答えは思いがけなかった。
月牙は眉をよせた。
「ええと、そのルーシャンというは、例の、お前を誑かしたタゴール人?」
「ええ」
「その男が、マスケットを持っていたのか?」
「ええ。――頭領、どうしたんですか?」
 翠玉が訝しそうに訊ねてくる。

 月牙は咄嗟に表情を取り繕った。
「いや、何でもないよ。それより、明日の昼から、誰かしばらく木場門の見張りをしていて貰えるかな? 私が明日の昼までに戻らなかったら、判官様と小蓮が門まで様子を見に来るはずなんだ」
「あの方輿なしでお出ましになれるんですか?」
「そこは全く大丈夫。判官様は割合健脚だよ。今は旅芸人に身をやつしている」
「旅芸人ですか。またずいぶん思い切った変装をなさったもんですねえ。蘭児たちなら小蓮の顔は分かるだろうけど、あの子たちじゃ何かあったときまだ戦えないだろうし――」
翠玉が顎に手をあてて考え込みながら、壁際に並んだ少年たちを一人ずつ眺めていく。
 月牙は内心で舌を巻いた。


 ――大したものだ。なかなかどうして、一角のお頭ぶりじゃないか。


 月牙のひそかな感慨にかまわず、翠玉は眉間にしわを寄せてしばらく考え込んでいたが、じきにポンと手を叩くと、右端の一番小柄な少年へと視線を向けた。
「阿祥、お前が行け。目当ての客人の人相風体、頭領からよく聞いて頭に叩き込んでおけよ?」
「おうお頭、任せてくれよ!」
 チビの阿祥が胸を張って答えた。
 お頭か、と月牙は微苦笑した。
 あの泣き虫の小さな翠玉が、ここではお頭と呼ばれているのか。



 さて、翌日の夕方である。

 祖霊祭を翌日に控えて、河津門には大量の旅芸人が押し寄せていた。
 今まさに流行りの「逃亡妓官もの」を演じる女芸人も多いため、白い羽根矢も大流行りだ。
 宿駅の誰もが手形検めに忙しないなか、巡回中の武官二人が袋小路の突き当りで足止めを食らっていた。
 念のため一応巡回路に組み込んでいる壺売りの老李の木戸越しに、ちんまりとした老婆から延々綿々たる愚痴を聞かされているのだ。

「全くねえ、聞いてくださいよお役人様、このあいだまでいたあの女、あれがうちの宿六の遠縁の姪でしてね、恥知らずにも父無し子と今の男まで連れて、ここのところずっと転がり込んでいたんですよ。皿の一つも洗わんと、庭先で下手糞な踊りばっかり踊っていてねえ全くもう」
「で、その女は何処に?」
「それがね、男がね、まずね、どっかに出て行っちまったんですよ」
「だから、女は、何処に?」
「女なんてものはお役人様、出ていった男を追いかけていくに決まっているでしょうが。まあ可哀相に子供まで連れてね、宿代の一銭も払わずにプイッと出て言っちまいましたよ、私はねえ、まだちょっとばかり疑っているんですよ、あの子の父親はうちの壺売りなんじゃないかとねえ……」
 形ばかり庭先を吐きながら愚痴り続ける老婆の話はいつ果てるとも知れなかった。武官二人は謹聴し、折を見てようやく切り上げて巡回を再開した。

 途中、赤い提燈を満載した木場門の近くに、どうも件の女らしい姿が見えた。

 相も変わらず似合わない男装姿で、こってりと厚い化粧をし、背には羽根矢の箙まで背負って、予備なのか揃いの箙を背負ったチビの手を引いている。

「火長、あの女です。木場門ってことは、もしかしたら浮街へ向かっているんでしょうかね」
 子明が不憫そうに言った。火長はやるせなく頷いた。
「だろうな」
「男を追っているんでしょうかねえ」
 武官二人は哀憐と軽侮の入り混じった表情で大小二つの背中を眺めた。


 さて、件の二人組が木場門へ近づくと、門の外から元気のよい少年の呼び声が響いてきた。

「おーい母ちゃんと蓮々! こっちこっち! 矢の修理終わったかいつまでも遊び回っているんじゃねえって父ちゃん御冠だぜ!?」
「ハイハイ今きますよ、全く忙しないねえ、あ、旦那衆、あたしゃ木場のモンでしてね、ちょっくら入らして貰ったんですよ、ハイごめんなさいね」
 女がチビの手を引いてせかせかと門を出ていく。

 遠目に眺めていた子明が首を傾げる。
「あれ、子供は二人、だったんですかね? 父ちゃんってのがあの色男? うーん、どうも人間関係が読めませんね」
「ま、読む必要もなかろう」と、火長は苦笑いした。「男と女の間にはきっといろいろあるんだろう。どうやら亭主のとこに戻るようだし、ここ数日で何があったにせよ、官の口出す筋じゃないさ。戻るぞ子明。今日は河津門の出入りが激しい。手はいくらあっても足りない」
「ハイハイ火長。我々も忙しないですねえ」

 武官二人はそうして去っていった。




 さて、一方の門の外では――
 はしっこく羽根矢に目とめて即席の台詞をでっちあげたチビの阿祥が、なんとも心許なそうな顔で主計判官様と対面していた。

「あ――なんだ、ま、歩きながら話そうか」
「なんだい坊や、ずいぶん他人行儀だねえ」
「おっかさん、他人行儀なんて、ずいぶん難しい言葉を知っているんだね」
「芝居で聞いたのさ」
 ちょっと腰をかがめてのろくさと歩く雪衣とボサボサ髪の小蓮は、どこからどう見ても場末で商売していそうな貧しい旅芸人の母子そのものである。土のままのジメジメした広場を歩いていて全く違和感がない。

 浮橋の半ばに差し掛かったところで阿祥が不安そうに訊ねた。
「な、あんた主計判官様?」
「ああ。そなたは柘榴庭の使いか?」
 雪衣が今しがたとは打って変わった怜悧な声で訊ねる。
 阿祥は魚がいきなり口を聞いたような表情を浮かべた。
「あ、うん。まあね。――ああそうだ、符牒があるんだった」
「符牒?」
「ああ」と、チビが気を取り直してにやりとする。「本物の主計判官様なら答えられるって頭領から聞いたのさ。柘榴庭の兵庫の品は今どこにある?」
「ええと、茉莉花殿の西の蔵だったかな?」
「よし! あんた本物だね」
「御認めいただいて光栄の至りだよ。柘榴庭を頭領と呼んでいるあたり、そちらも間違いなく本物の使いだろう。ところで、そういうそなたは何者なのだ? ずいぶん若く見えるが、噂に高い石竹団の一員なのか?」
「へへん。まあね」阿祥が得意そうに応える。「俺たち呉一派は若いのの集まりなのさ。来いよ。根城に案内してやる。翠玉小姐と頭領がお待ちかねだ」

「翠玉小姐って、妓官の呉翠玉のこと?」と、小蓮が息せき切って訊ねる。「坊や、翠玉姉さんがあんたたちのところにいるの?」
「おいお嬢ちゃん、坊やってな誰のこったよ?」
「あんたに決まっているでしょ」
「聞き捨てならねえなあ、こう見えても俺は十三だぜ?」
「私は十四です。それより答えてよ! 翠玉姉さんここにいるの? 蘭児や喜娘や美鈴も? みんな元気にしているの? きちんとご飯食べている? ひどい目にあったりしていないよね?」
「ひどい目って、小姐は俺たち呉一派のお頭だぞ?」
「お頭?」
 小蓮が鼻に蠅の留まった猫のような顔をする。「翠玉姉さんが?」
「おうよ」阿祥が誇らしげに応える。「カピタンから俺たちを任されているんだ。石竹団の呉翠玉っていたら、この頃の浮街じゃちょっとした名前なんだぜ?」

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

『続・聖パラダイス病院』

菊池昭仁
現代文学
『聖パラダイス病院』の続編です。こんな病院なら入院生活も悪くはありません。

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

後宮の寵愛ランキング最下位ですが、何か問題でも?

希羽
キャラ文芸
数合わせで皇帝の後宮に送り込まれた田舎貴族の娘である主人公。そこでは妃たちが皇帝の「寵愛ランク」で格付けされ、生活の全てが決められる超格差社会だった。しかし、皇帝に全く興味がない主人公の目的は、後宮の隅にある大図書館で知識を得ることだけ。当然、彼女のランクは常に最下位。 ​他の妃たちが寵愛を競い合う中、主人公は実家で培った農業や醸造、経理の知識を活かし、同じく不遇な下級妃や女官たちと協力して、後宮内で「家庭菜園」「石鹸工房」「簿記教室」などを次々と立ち上げる。それはやがて後宮内の経済を潤し、女官たちの労働環境まで改善する一大ビジネスに発展。 ​ある日、皇帝は自分の知らないうちに後宮内に巨大な経済圏と女性コミュニティを作り上げ、誰よりも生き生きと暮らす「ランク最下位」の妃の存在に気づく。「一体何者なんだ、君は…?」と皇帝が興味本位で近づいてきても、主人公にとっては「仕事の邪魔」でしかなく…。 ※本作は小説投稿サイト「小説家になろう」でも投稿しています。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

処理中です...