後宮生活困窮中

真魚

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第五章 謎解きは茶碗とともに 3

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 結論から言って、領事館からル・メール邸に内密に運ばれた控えのなかに、証拠品の銃と同じ製造番号は見つからなかった。

〈判官、本当に間違いないのですか?〉

 領事が訊ねると、雪衣は隈のある目で剣呑に相手を睨んだ。
「私は三度確かめました。御疑いならどうぞご自分で確かめてください」
 翌日、同じく隈を拵えた領事が、〈すみません〉と謝りにきた。雪衣は鷹揚に笑って許し、二人そろってル・メール邸の食堂で茉莉花茶を飲みながらため息をついていた。

〈こちらにないとなりますと、やはり近衛兵ですか――判官、その場合、考えられる最悪の黒幕は、そちらでは誰になるのですか?〉

「最悪は左宰相でしょうね。竜騎兵の編成を進言した親リュザンベール派の大臣です」

〈仮にそうだった場合、あなたがたはどうするつもりですか?〉

「その場合は――」と、雪衣が考え込む。
「ああ、その場合は領事、どうかあなたが我々を捕縛して、リュザンベール側の法で裁くという形にしてください」

〈なぜです?〉

「私が単独で罪を被れば、少なくとも王太后様ご自身が弾劾される事態だけは避けられますからね」
 雪衣は当たり前のように言った。領事が眉をよせる。

〈判官、そのやり方は賛成できない〉

「なぜです?」

〈組織全体の一時的な安寧のためにあなたご自身を犠牲にしたところで、卑劣なふるまいの黒幕はそのまま放置されます。真実は明らかにされるべきです。そして、罪人は常に法に従って裁かれるべきです。長い目で見ればそれこそが最も大きな公益に繋がるはずですから〉

 領事が真摯に言った。雪衣が目をあげてふっと笑った。
「独裁的な領事裁判権をお持ちの方が仰ると矛盾を感じますね!」

〈ええ、辛い立場です〉

 二名は顔を見合わせ、疲れたような笑みを交わし合った。もちろん、それぞれの背後には背後霊みたいに通訳のル・メール夫妻がくっついている。



 京洛からの返信は半月後に届いた。

〈なかなか複雑な話し合いになりそうなんだ。できればゆっくり時間をとりたい。すまないけどまた君の居間を貸してもらえるかな?〉
〈そりゃ勿論かまいませんけど。なんの変哲もない私たちの借家に長いこと滞在なさるとなると口実が必要ですね〉

 ル・メール夫妻は「安息日の午後の御茶会」という名目で領事を自邸に招くことにした。



 通いのメイドの証言によって御茶会の噂が広まったため、はす向かいに住む領事邸付き内科医の奥方は、その日は朝から玄関ポーチに籐椅子を出して刺繍に精を出しつつ、ル・メール邸を観察していた。

 待ち人は昼過ぎにやってきた。
 いつも以上に髪をフワフワさせたシャルダン領事である。
 菓子でも収めてあるらしい白い布巾をかけた籠を片手に、もう片手には青いリボンで束ねたクリーム色の秋薔薇の小さな束を携えている。
 奥方の鋭い目は領事の着ている黒繻子のジレに上等の金刺繍が入っていること、クラバットにはレースが、黒いジュストコールの袖口には金の土台に埋め込んだ真珠のカフスがついていることを余さず見て取った。あの髪のふわふわも間違いなく鏝を使ってカールさせたものだ。

 これはやはり――と、奥方は内心で慄いた。

 ル・メール邸にこのごろ身なりの悪からぬサールーン人の貴婦人が品のよさそうな小間使いを二人も連れて滞在していることは、通いのメイドと洗濯女がさんざん吹聴しているために、租界では今や周知の事実である。貴婦人はかなりの美人らしい。めかしこんだ若い男が薔薇を片手にその邸を訪ねる目的は? 

 そんなものひとつしかない。
 奥方がひそかに興味津々と盗み見るなか、領事はいかにも緊張しきりといった様子で咳払いをしてからル・メール邸へと入っていった。



 さて、そのル・メール邸の二階の居間には、本当に午後の御茶会の支度がなされていた。
 借家備え付けの小型の丸テーブルは真っ白いリネンのテーブルクロスで覆われ、せまっ苦しい借家の居間での御茶会向けにこの頃流行りはじめた三段重ねの皿スタンドが二組並んでいる。
 一番上に乗っているのはタゴール風の黄金色のシロップに浸したひよこ豆の揚げ菓子と月牙がレシピを提供した双樹下北部風の胡麻風味の捻じり揚げ菓子。
 二段目は鮮やかな黄色の杏子の砂糖漬けと、小蓮が苦心して作り方を思い出した京洛風の豆餡要りの緑の餅菓子。一番下の皿に並ぶのは純リュザンベール風の卵とキノコとベーコンのキッシュと、こちらも純・海都風の芭蕉の葉に包んで蒸しあげた海老入りの餅米団子だ。
 リュザンベール風のガラスのピッチャーには冷たいココナツミルクが、上等の河東青磁の急須には熱々の寧南緑茶が、それぞれたっぷりと支度されている。
 雪衣じきじきに毒見を命じられた小蓮がほくほく顔で全品を一口ずつ平らげ終えてすぐ、アンリが領事を伴って部屋へと入ってきた。


〈マダム・ル・メール、そうして白いドレスに装っているとあなたは可憐な白バトのようにお可愛らしい。それにしても随分本格的な御茶会の支度をなさったものですね!〉
〈ええ領事、わざわざあなたをお招きするのに何の特別な支度もしなかったら、いくら通いとは言えメイドも怪しみますからね。折角ですから今日はたくさん召し上がっていってくださいな〉
〈ありがとうございますマダム。それから小さい妓官どの、ご苦労だけど、今日も外で見張りを頼むよ〉
〈はい領事様!〉

 若者の柔軟性か、この半月でずいぶんとリュザンベール語を聞き取れるようになった小蓮が目を輝かせて答える。領事は笑って頷くと、手にした籠をそのまま手渡した。

〈いい子だね。これはカスドースだよ。おやつに食べなさい〉

 完全に小さな子供に対する態度である。小蓮はちょっと不本意そうな顔で受け取って部屋をあとにした。



「――領事、我々への余計な支出はできるだけ控えてくださいよ。ことなく宮へと戻れたら弁済する予定なんですから」
 ドアが閉まるのを見計らってから雪衣が苦情を申し立てる。領事が眉をあげる。

〈大丈夫、私のポシェットからです。領事館の記録には残りませんよ。判官、質素なメイドの服装に身をやつしていてもあなたはぬかるみで煌めく薔薇色の真珠のようですが、日常の小さな出費に対してあまりに厳格すぎます。こんなにご馳走が並んでいるのにあの子だけ食べさせないなんて可哀そうじゃありませんか〉

「事前にたっぷり食べさせています。人を意地悪な継母みたいに言わないでください。ところで手紙の結果は? 番号はあったのですか?」
 雪衣が単刀直入に訊ねる。
 領事は椅子にかけながら首を横に振った。

〈いいえ、残念ながら〉

「すると、あの品の出所は」

〈密貿易品――ということになりますかね?〉

「密貿易ですか――」
 雪衣がうなだれて深いため息をついた。
「そうなるとどうしようもありませんね」

〈ええ。少なくともあのマスケットから黒幕をたどるというのは難しくなるでしょう〉

 領事もため息をつく。
「お二人とも、あまり根を御詰めなさるな。判官様もこのごろ御顔色が悪い。昼餉も殆ど上がっていらせられなかったであろう? この玉夏を助けると思って何かお召し上がりくだされ」
 玉夏が気づかわしそうに言いながら椀に茶を注ぎ、まずは雪衣に、次は領事へと差し出した。
「かたじけない太太」

〈ありがとうマダム〉

 二人が別々の言葉で同時に礼をいい、薫り高い緑茶を啜ってから菓子へと手を伸ばした。
 雪衣がシロップ漬けの揚げ菓子を一切れとって、用心深い猫みたいに匂いを嗅ぎにかかる。領事は捻じり揚げ菓子をとる。
「肉桂が効いていますね。リュザンベール菓子ですか?」

〈どちらかというとアムリット菓子でしょうかね。こちらは海都菓子? 胡麻の香りがたいへん香ばしいです〉

「どちらかというと北部の名物でしょう。胡麻は妓官たちが交代ですりおろしていましたよ」
 通訳を介して世間話を交わしながらそれぞれの菓子を食べていたとき、雪衣がふと顎に手をやった。

〈どうしました判官?〉

「ひとつ気になったのですが」

〈なんでしょう〉

「竜騎兵のもとにあるマスケットの番号の照らし合わせは誰が行ったのでしょうか?」

〈十中八九ル・フェーヴル大尉本人でしょうね〉

「例の竜騎兵の師範ですか。あの師範は信用できる人物なのですか? つまり――我々のほうで呉翠玉の失踪を隠蔽していたように、身内で生じた脱走や盗難を領事にさえ隠している可能性は?」

〈ないとはいいきれません。ル・フェーヴルは前任のド・ランクロ氏の頃に任じられた顧問ですから、私は彼の人となりまではよく知らないのですよ〉

「ほかに確かめられる筋はないのですか?」

〈残念ながら全く。私も、できるなら首都には信頼できる文官を常駐させたいのですが、前任者がこの悪しき慣習を確立させてしまいましてね。王宮は何であれル・フェーヴルを通じて命令を寄越すのです〉

「あの師範はそれほど高い地位にある武官なのですか?」

〈いや、地位はそれほどでも〉

「では、正后様の御身内で?」

〈それは前任の領事のド・ランクロ氏のほうです。ジュヌヴィエーヴ・ド・ランクロ嬢は南シャンパーの総領事館で彼が一等書記官を務めていたころ、孤児になったとかで本国から送りつけられてきた遠縁の姪だという話です〉

「孤児が王の后になったのですか! まるでおとぎ話だ」

〈ええ。おそらくド・ランクロ氏自身も、若きサールーン国王がよるべない異邦の孤児を正妻として遇するとまでは、思っていなかったでしょうね〉
 領事がそこで言葉を切り、傷ましそうな顔でため息をついた。

〈私は幼いジュヌヴィエーヴ嬢を見たことがあります。ちょうどあの小さな妓官どのほどの背格好で、金鳳花のような金髪の巻き毛の可愛らしい少女でした〉

 領事はおそらく小蓮を十一、二だと誤解しているのだろう。なんともやるせなさそうな顔つきでもう一度ため息をつく。

〈ド・ランクロ氏は若き国王に孤児の姪を女奴隷としてプレゼントしたつもりだった、のかもしれません〉


 
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