後宮生活困窮中

真魚

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第六章 昨日の友は今日の敵? 2

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――懐かしいなあ。あの頃も私たちは二十人いたんだ。今は四人だけだ。

 
 気が付けばすぐ先に石造りの円形の塔が見えていた。
胸壁のあいだから小北江に架かる大橋も見える。対岸から伸びる海南街道がさっきよりずっと幅広く見える。


――京はあの道の向こうか。本当に、一体何が起こっているんだろう?


 宿駅に馳せてきたという使者は十中八九麗明だろうと月牙は踏んでいる。
 母方にゲレルト氏族の血を引いているものの純粋のカジャール系ではない桂花は、生まれ持った身体能力だけなら柘榴庭でもぴか一だが、幼少時から騎馬に親しんできたわけではないため、乗馬の技にかけては麗明のほうが優っているのだ。


――桂花は留守番か。一人で寂しがっていないかな。


桂 花は月牙が頭領職を引き継いでから入ってきた最初の妓官だ。月牙にとってはある意味では初弟子ともいえる。梨花殿領の荘園の衛士の家に生まれて、先の媽祖大祭の行列の護衛をする妓官を見たときから、必ずや妓官になるのだと心を決めたのだという桂花を月牙は師として深く愛している。


 ――順調に育てば、あの子はきっと飛燕様についで二人目の非カジャールの次官になれるはずだ。なんだか大変な世の中になってきたけど、あの子の未来のためにも、せめて内宮妓官の仕組みだけは残っていて欲しいな。


唐突に湧いてきた懐かしさに駆られて見えない道の行く手を見やったとき、遠くかすむ地平線の手前に奇妙な色が見えた。


 紫だ。


 黄土色の沼地と褐色の葦原、黄金色の浮田のないまぜになった広漠たる低湿地帯のさなかに、一点だけ、紅筆でポツリと落としたような鮮やかな紫の色味が見える。

 ――あれは一体なんだ?

 月牙は思わず足を止めた。

「月?」
「柘榴庭どの?」
「頭領、どうしたんですか?」
「いや――小蓮、火長、ちょっと見てくれ。道のあの辺りに何か見えないか?」
「海南道上にか?」
「何かって、何が?」
 訝しそうに問い返しながらも、小蓮と九龍が揃って月牙の指し示すあたりへと視線を向ける。
「――俺には特に、何も見えんが」
「私も――あ、ううん、何か動いている。何かこう、紫っぽいものが」
「紫?」
 九龍が問い返し、胸壁に右腕を預け、今にも落ちそうなほど身を傾けて、額に手を翳して遠景を注視した。
「ああ、確かに。濃い鮮やかな紫色が見える、ような気がする」
「道を進んできている。何かの旗印かな? あの紫はまるで、まるで――」
 月牙はそこで言葉に詰まった。
 今思いついてしまった言葉をぶしつけに口にするのが不敬であるような気がしたのだ。
 代わりのように雪衣が首を傾げて言う。
「まるで、主上の禁色のような?」


「禁色? まさか、そんな」
 九龍がうろたえた声を出す。

「主上が京からお逃れになってきたということか?」
「それが最悪の想定だね」と、雪衣が眉間にしわを寄せて地平を注視しながら呟く。「多少ましな想定は――勅命による王旗の移動、かな?」
「つまり、禁軍の旗印として?」
「ほかに王旗が移動する理由が何かある?」
 月牙は答えられなかった。
 九龍がごくりと息をのんでから、自分自身に言い聞かせるような口調で言う。
「急ぎましょう。ともかくも使者の話を聞かなければ」


 円塔に入って柱をめぐるらせん状の階段をぐるぐると下っていく。
 塔は三層だった。地階まで降りると、外へと続く出口らしきチーク材の扉の前に、九龍とほぼ同じ身なりをした小太りの武官が一人いた。

「子明、大急ぎで男物の適当な古着を見繕ってきてくれ。判官様とそっちの小さい妓官どのはそこの古着に着替えて。柘榴庭どのはちょっと待ってくれ」
 九龍が説明抜きで一息に指示を飛ばす。一見ぬぼーッとした見た目の子明は、月牙を見るなり目を瞠ったものの、意外にも一切声をあげず、
「はい火長」
 とだけ答えて外と出て行った。

 階の下の古びた櫃に用意されていたのは、色褪せた藍色の筒袖の衣だった。
 九龍が壁を向いたまま説明する。
「洗濯女の変装だ。人相書きの背格好に合わせて大中小と三人分支度しておいたんだが、その、何というか、柘榴庭どのには少々――」
「悪いね。私はたぶん洗濯女には見えなそうだ」
「頭領、豪華に着飾れば絶世の美女には見えるんですけどね――」



 じきに子明が戻ってきた。腕に布包を抱えている。
「ええと――柘榴庭どの? はこちらを」
「ああ、ありがとう」
 手渡された包の中身は古ぼけた白麻の筒袖の上衣と藍染めのくくり袴、生成り色の麻の頭巾だった。箙を背負わず刀も持たなければ、地方官吏の家の無役の若者といった身なりだ。

「そのなりなら俺の親戚で通るな。柘榴庭どの、まず一緒に行くぞ。判官様とそっちの小さい――」
「お言葉ながら火長どの、わたくし孫小蓮です」
「ああそうか。すまんな。俺は杜九龍だ。で、判官様と孫小蓮は、俺たちが駅に入ったあとで洗濯女のフリをして後ろについてきてくれ。法狼機服と箙と刀は全部包んでもってこい」
「仕上がりを届けるって格好だね?」
「ええ。これが通行木札です」
「了解。もし見失ったら?」
「西崗の道祖神廟に。場所は分かりますか?」
「当然。私は海都人だよ?」
「火長、私は何を?」
「お前はここを押さえておけ。何かあったとき判官様がまた租界へ戻れるようにな」
「承りました。判官様に護衛は必要ないので?」
「わたくしがおりますとも」と、小蓮が不服そうに応えた。


 杜九龍とだけ連れ立って扉の外へ出ると、目の前に広がっているのは瓦屋根付きの築地に囲まれた一辺一町〈約100m〉ほどの石畳の広場だった。
 壁沿いにいくつもの小屋がかけられ、前には露店が並んでいる。

「ここまでは通行手形が必要ないからな。旅芸人なんかはここいらで寝起きすることが多いんだ」
 日暮れ間近の門前の広場は賑やかだった。差し掛け小屋の前から煮炊きの煙が上がり、脂と魚醤の入り混じった香ばしい匂いが漂ってくる。南東の一角に大きな厩があり、そちらからは獣の臭いがした。
「こっちだ」
 九龍が人混みのあいだを抜けて右手へ歩いていく。衣類を満載した大きな平たい籠を頭に載せた洗濯女たちが三人、連れ立って前を歩いている。その背に続いていくと、左右に並んだ高床小屋の向こうに、鮮やかな朱色の柱を備えた二層門が見えた。
 外砦門とよく似た東華風の美々しい門である。庇の上に飴色の額がかかって、勇壮な筆跡で八文字が書かれている。


 海都河津宿駅東門


 門前にはマスケットを担った武官が一人だけいた。洗濯女三人が通ったあとで杜九龍が進むと、月牙に目を止めて訝しそうな顔をする。
「おい九龍、誰だその役者みたいな色男は」
「ああ、これは俺の親類だ」
「へえ。名前は?」
「あ――志雲だ。嶺西の杜志雲。父方の祖父さんの従弟筋でな。こっちに出てきたから駅長に挨拶だけでもしたいんだと」
「結構な遠縁だな。似ていなくて当然か」
「似ていないか?」
 九龍はちょっと不服そうに答えた。九龍は九龍で結構な色男なのだが、いかんせん月牙とはタイプが違う。そもそもなにより性別も違う。


 門を抜けるとなだらかな石段が始まっていた。やや先を三人の洗濯女が上っていく。適当な距離を保ったまま後へと続き、踊り場のような小さな広場まで上る。
 左側に何件か茶店が並んでいた。右手にはまた築地があり、扉のない円い入り口を抜けた先に、碧い瓦で葺かれた黒木の六角堂が建っていた。軒に架かった金縁の額に「海都道祖神廟」と刻まれている。
 ややあって後ろから軽い二つの足音が近づいてくる。

「おっかさん大丈夫かい?」
「いやだねえ蓮々、年より扱いして。ほれ、ここが海都の道祖堂さ。立派なもんだろう」

「判官様か? 御足労を――」
 九龍が振り返りざま硬直する。
 築地の円い門を潜ってきたのは、衣類を満載した大きな平たい籠を頭に載せ、色褪せた藍色の筒袖の裾からにょっきり足を突き出した洗濯女の母子だった。どちらも髪はボサボサで、顔も脛も土埃でくすんでいる。
「いやその、人違い、」
「じゃないよ、生憎。で、使者は何処に?」
 雪衣が焦れた声で訊ねたとき、

「――判官、使者はここにおるぞ」

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