天国で時はゆるやかに流れて

多田莉都

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Scene 1

1-1

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 余白の多い背景のような国、そんな天国に『ムーンリバー』という名のカフェがある。
 昼は青い空の下に陽の光が優しく差し込み、夜は月の光を映すカウンターがきらめく。現世のどこかで聴いたような優しい調べが流れる店内では、コーヒーの香りが漂い、オーク素材の床が少し軋む店内にはいつも多くの客が訪れていた。
 時の流れがゆるやかなこの国で、思い思いの時間を過ごす。時折、店の中を闊歩している白い猫・ゆんに癒しを受ける者も少なくはない。
 
 そんな『ムーンリバー』で藤井雪音ふじいゆきねは、週に4回働いていた。
 この日も閉店の時間となり、雪音はテーブルやソファーを丁寧に手入れしていた。

「雪音ちゃん、明日、休みだっけ?」

 カウンターの向こうからマスターである高橋瑛大たかはしえいたが雪音に尋ねた。高橋はコーヒーカップを食器洗浄機に入れているところだった。
 雪音はテーブルを拭いていた手を止め、顔を上げる。長く首の後ろで束ねていた髪の先が微かに揺れた。

「はい、戸籍課に行ってこようと思ってます」

 そう言うと、高橋は「ああ」と言って二度頷いた。

「そうかそうか、もうそんな時期か」

 自分にもそんな時期はあったとばかりに、高橋は自分の顎を撫でた。

「今年は雪音ちゃん……どうするんだい? ああ……答えたくなかったらいいんだ。雪音ちゃんの問題なんだから」
「今年も、『待つ』で更新するつもりです」

 質問しておきながら遠慮しようとした高橋に、雪音は微笑みながら答えた。
 高橋は、すぐに表情をゆるめて「そうかい、そうかい」と微笑んだ。

「……『待たない』を選ぶもいいんじゃないかって言う人もいるんですけどね」
「いやいや、雪音ちゃんが『待つ』、それでいいって思ったんならそれが一番いいんだよ」

 そう言ってくれた高橋に「ありがとうございます」と雪音は軽く頭を下げた。
 猫のゆんが雪音の足元に擦り寄ってきた。

「あー、ごめんね、ゆんくん。お腹が空いたのかな?」

 膝を折ってしゃがみ込み、雪音はゆんの目線に合わせて話しかけた。ゆんの青い瞳を見ていると雪音はなんとも言えない心の平穏を手に入れることができる。
 ゆんだけではない。このお店で働かせてくれている高橋に、雪音は心から感謝している。いまの自分にも居場所がある、それだけで雪音は救われた気持ちでいられるのだ。


*
 どれだけ深く結ばれていた恋人たちであっても、時を同じくして現世を去ることができるケースは非常に少ない。

 どちらかが先に現世を去るケースが圧倒的に多い。

 天国に来た者は、離ればなれになったパートナーが、いつかこの場所に来たときに『またそのパートナーと結ばれる意志はあるか?』という意志を問われる。
 その意志の確認および更新手続きが年に一度、天国の戸籍課で行われる。
 
 雪音は、毎年、「待つ」という意志表示で更新を続けていた。

 病により雪音は若くして現世を去らざるをえなくなった。
 現世でいまも雪音との間に生まれた娘を育てている夫・亮介を彼女は今年も『待つ』と選択している。
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