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十一話 おしまい、おしまい
「……何を、考えてる? 何を期待してる? 何を……俺を、どうしたいんだよ?」
どう反論すれば良いのか解らなかった。
にこにこと微笑むスピカは、天使か、悪魔か。
そこに下心という名の悪意はあるのか、無いのか。
アマリは何の見返りも求めずに親切にしてくれて、それは違和感なく受け取れたのに、スピカの場合受け取れないのは何故だろう。
むしろ対価を寄越せと言っているだけ、引け目無く受け取れてもおかしくない筈なのに。
ただ、素直にYESと言うべきではないような気がして、漠然とした疑問を投げかける。
許してはいけない引っかかりが、無視できなかった。
スピカは軽く首を傾げると、微笑みを浮かべたままでこう答える。
「だって、描いて貰えたら嬉しいもの。『私のため』に時間を割いて貰えた。時間をくれた。その気持ちが嬉しい。それの何がおかしいの? 私はカズキに期待してるの。面白い事には早めに乗っておきたいの。勿論タダ働きさせるつもりもないから、まずはちゃんと支援する。何がダメ?」
言葉に詰まってしまった。
言いたい事は解る。
筋は通っている、気がする。
詭弁のような気もする。
しかし、それをはっきりと覆す反論が浮かばない。
「欲張って良いなら私を描いて欲しいのが本音だよ? このキャラクター、『スピカ』はもう一人の私。XYZ ONLINEでの、歌奏のSpica。それは限りなく『私』なの」
こちらの沈黙を『反論無し』と受け止めたのか、スピカはすらすらと、まるであらかじめこう喋る事を考えておいたのかとでも思う程に畳み掛けてきた。
胸元に手を当て、溌剌とした双眸はきらきらと輝いている。
確かに、スピカのキャラクリエイトはDestiny LifeのSSやオフラインイベントのコスプレ写真で見たものと限りなく似ていた。
カズキ同様、リアルでの自分のままキャラクリエイトしたのだろう。
あらゆる情報を一度忘れてから見れば、充分美人の類だ。
ただ、今は――その蠱惑的な笑顔が、不吉に見えて仕方がない。
スピカの持論は続く。
「私は自分が好き。ナルシスト、って嗤っても良いよ。それを恥じるつもりもない。だって、私はどうしようもなく私で、どうあがいたって私以外にはなれない。だからこの世界でこの身体で生きていくって決めた時点で、愛着ゲージは120%なの」
――考えが噛み合わない。
ここにきて、やっとスピカの発言を受けるたびにちくちくと感じていた不快感に気付いた。
スピカは、カズキのことを一人のプレイヤーとして見ている気がしないのだ。
そう、喫茶店でグッドスリープに話した時考えていた、カズキの中で想定していたMMORPGで起こりうるトラブル……『道具』のように、扱われている。
『私の絵じゃなくていい』は、スピカ本人が言うように本音ではないのなら、いずれスピカ自身の絵を描くことを要求されそうな気がする。
『あとは好きに描いて良い』、が覆らない保証はどこにもないのだから。
最悪、スピカの自己顕示欲を満たすためのアイテムにされる――そう感じた。
「……俺は道具じゃないから。スピカのことを描きたいと思えたら描くかもしれないけど、現段階で描く気にはなれないな」
道具、と。
はっきり言うのに抵抗が無いわけではない。
しかし、引くべき線はきっちりしておかないといけないだろう。
それはスピカ以外の他のプレイヤーとも同じ事。
ロクも言っていたように、アマリだって本音では自分を描いて貰いたいと思っていたかもしれない。
ならば、しっかりと『描きたくない絵は描かない』『似顔絵などを描くにしても自発的にしかやらない』ことは宣言しておくべきだ。
スピカともいずれきちんと話すべきだと思っていたのだし、今がその時と思う事にする。
どうせ早くスピカとアマリの問題は解決したかったのだから。
スピカはカズキの拒絶を受けてもなお、嬋娟とした笑みを崩さなかった。
色違いの双眸を細めると、先程までと全く変わらない、動揺した様子も無いトーンで反駁してくる。
「そのために私が、カズキがやる気を出せるようにお膳立てしてあげたんじゃない。何が不満なの?」
「不満とか……そういう次元の話じゃないんだよ。そもそも頼んでないし、勝手に色々プランを組まれても困るんだ」
流石にここまで拒絶されると思う事があるのか、スピカの細い眉が僅かに動いた。
まぁ、スピカからすれば、世話してやろうとした犬に噛まれた気分なのかもしれない。
ただその犬、カズキはスピカからの世話を必要としていなかった。
少なくとも、XYZ ONLINEで絵描きを目指すという道に関しては。
それだけの話だ。
「ふぅん……自分で言うのもなんだけど、私と仲良くしておくと色々良い事あるよ?」
どうしてもカズキを懐柔したいらしく、スピカはまた別ベクトルから攻め始めてきた。
ぴん、と右手の人差し指を立てるスピカ。
その指先には、淡い紫のマニキュアが施されていた。
「NEGLのネトゲなら、エンオンもそのうちオフラインイベントをやるはず」
ネイルストーンの輝く細く白い人差し指は、つう、と動いてスピカの顎許へ。
「そして私は、NEGLの前作ではイベント常連プレイヤー」
知っている、とは言わなかった。
言うべきではない。
嘘を吐くのは苦手だが、ただ言わないでいるのは嘘のうちに入らない、と自分の中で詭弁を押し通す。
さっきから詭弁の応酬をしている気がして、非生産的なことこの上ない。
何故スピカはここまで自分に拘るのだろう?
ただの気まぐれか、自己顕示欲を満たせるならなんでもしてしまうのか。
「私が声をかければ、きっとカズキもオフラインイベントに出られるよ? そしたら、そうだね……例えばライブペインティングとか出来るかも。目立てるし、リアルでの知名度も上がって良い事尽くめじゃない?」
「は……」
絶句した。
何故なら――。
その反論すら、カズキには出来なかった。
誰にも言えない、言いたくないことを突かれたから。
言葉が輪郭を持たず、見開いた目の焦点がぶれる。
スピカの姿がぼやけ、気が遠くなった。
縹渺とした意識がクリアに戻ったのは、アマリの怒声が聞こえたからだった。
「いい加減にしなさいよ」
もうログアウトしたのかと思っていたが、アマリは会話が聞こえるところに居たらしい。
気が付けば彼女は、カズキを庇うように二人の間に立っていた。
紅玉の瞳は怒りの炎を宿し、ヒールのせいで幾分か背の高いスピカをきつく睨む。
「なんで、カズキが自分なりにエンオン楽しみたいって言ってるだけなのに、あんたいちいちその道勝手に整備してんの?」
「えぇ? アマリだって剣買って押し付けたり、画材の買い出しに無理やり付いて行ったりしたんでしょ? アマリにだけは言われたくないかなぁ」
何故それを、と思ったが、剣を買って貰ったことは隠していなかったし、そもそもナナのように装備を工面して貰う初心者は少なくないと聞いていた。
アマリと直接顔を合わせないやりとりは1:1ではなくギルドチャットを使っていたので、スピカと先程まで談笑していた女性プレイヤーのうちの誰かが、その時にログインしていて聞いたのかもしれない。
フェザーブレードを押し付けられたとは思っていない。
買い出しにも付いてきてくれて助かった。
しかしそれを言ってしまうと、ならどうして私の画材は受け取れないのかと反論される気がして、何も言えない。
――情けない。
「その話は今は関係ないでしょ。カズキがはっきり拒絶してるのに食い下がるの、めちゃくちゃみっともないって思わないの?」
「別にぃ? だって私、手に入れたいモノが手に入るなら手段とか選ばないし。大事なのは結果であって過程じゃないっていうか?」
ああ……結局、アマリにまた盾になってもらってしまっている。
自分が上手く反論できないから、スピカに言いくるめられて利用されそうになっていたから、痺れを切らして出てきたのだろう。
カズキの為に。
グッドスリープは言っていた。
『誰と仲良くしようがその人の自由である』、と。
アマリもその考えと変わらないはずだが、それでも看過できなくなるほど、スピカの態度は行き過ぎている。
――言うしかない。
「無理だよ。俺は、オフラインイベントには絶対に出られない。何があっても、スピカが話を通したとしても、俺は絶対に出られない。不可能なんだ。無理なんだ。無理だから、エンオンを始めたんだ」
もう駄目だ。
頭の中がぐちゃぐちゃで、言いたい事がぼやけて像を結ばない。
はっきりと言わなくてはならないのに、スピカを説得しないといけないのに、アマリに嫌な役目を押し付けるわけにはいかないのに。
「なんで? 地方民? 招待プレイヤーなら、交通費とかも出――」
「ダメなんだよ」
言いかけたスピカの発言を遮る。
ダメ、無理、不可能の一点張りで要領を得ない支離滅裂な発言になっているが、もう仕方がない。
「あ、それともアナログ苦手な人? いるよねたまに。最近はCGの方が色々便利だし」
「ちょっとね! あんたまだ食い下がるの!? どうせ飽きたら捨てるんでしょ、前みたいに! カズキまで食い荒らさないで!」
遂にアマリは感情を抑えきれなくなったのか、スピカの両肩を掴むと揺さぶった。
悲痛さすら滲むその声は、カズキの心に突き刺さる。
彼女をここまで衝き動かしているのは、カズキを守るためなのだから。
「もういい、アマリ。スピカも。ちゃんと言わなかった俺も悪かった……とにかく、ダメなんだ。リアルの俺は」
その言葉を受けて、アマリがゆっくりと振り向く。
どこか困惑したような顔ではあったが、スピカの両肩から手を放した。
「……ごめん」
ぽつりと謝罪の言葉がアマリの口から零れたが、スピカは無反応――いや、カズキにはもはや彼女達の表情から忖度する余裕など無くなっている。
何も言わなかった、それしか認識できなかった。
口の中がからからに乾いている。
VRMMOのはずなのに、やけに心臓がうるさく感じられて、しかしそれでも今度はきちんと像を結んだ言葉で告げなくてはならない。
――事実を。
「だってリアルの俺は――事故で右手を失って、筆を握れなくなって……でも諦められなくて、VRMMOで『もう一度』絵描きになろうとしたんだから」
俯いたカズキに、スピカとアマリの顔は見えない。
ただ二人とも黙っていたし、おそらくその声が聞こえていたであろう他のギルドメンバーも、何も言わなかった。
気が付けば痛いほどの静寂の中に、3人は居た。
「悪い……今日はもう、落ちる。お願いだから、もう俺の邪魔をしないでくれないか」
そのまま、ログアウトする。
視界がホワイトアウトして、意識は現実に戻ってきた。
「……言っちゃったな、結局。隠したかったのに……」
誰にともなく一人ごちる。
起き上がりながら、左手でカプセルの天井を押し上げる。
半分電動化されたそれは力を認識して、あとは自動で勝手に全開になった。
上体を起こすと左手だけでヘッドギアを掴み、脱ぎ捨てる。
長時間ダイブしていたせいか、精神を消耗したせいか、ひどく疲れていた。
改めて、自分の右腕をまじまじと見る。
肘から先は無く、先端は丸みを帯びている。
当然、指など無い。
数年前、信号無視の自動車に撥ねられて右腕を切断せざるを得なくなって。
将来有望な絵描きだと評価されていたのに、利き腕を失ったことでその道も潰えて。
なんとか左手でもある程度の生活は出来るようになったが、左手で描いた絵はカズキにとって納得のいくものではなかった。
感覚が異なるだけで、カズキが培ってきた知識やセンスは腐っていないはずなのに、何かが、何処かが、歯車の狂ったカラクリのように上手くいかない。
義手も使ってみた。
最先端の技術を使ったアームを右腕に装着して、絵筆を持ったこともあった。
しかしそれでも、やっぱり。
何かが違ったのだ。
指先に伝わる絵具の感触も、筆がキャンバスに擦れる感触も、テレピン油の匂いも、忘れたくなかったのに。
もう二度と、自分らしい絵は描けないのかもしれない――と、絶望して。
そんな矢先に、友達から気晴らしとして勧められたのがVRMMOだった。
最初はただ、遊ぶつもりでやってみようかと思ったのだが、調べているうちにXYZ ONLINEに行きついた。
そう、『もう一つの人生』。
だから、そのコンセプト通り、もう一つの人生をVRMMO内で歩もうと思っていたのに。
今日描いたクロッキーでは、右腕を失う前の感覚で描けたのに。
やり直せる、そう思ったのに。
――引退するか。
腕が無いと解れば、腫れ物扱いされるかもしれない。
それは嫌だ。
フラットな状態で人と接していたかったのに、それはもう不可能になってしまった。
人の口には戸は立てられない。
アジトに居たメンバーには、聞こえてしまっただろう。
明日にはもう、広まっているかもしれない。
VRMMOだってXYZ ONLINEだけではない。
ただ、道が一つ潰えた。
それだけの話。
――そうして、カズキはXYZ ONLINEにログインしなくなった。
どう反論すれば良いのか解らなかった。
にこにこと微笑むスピカは、天使か、悪魔か。
そこに下心という名の悪意はあるのか、無いのか。
アマリは何の見返りも求めずに親切にしてくれて、それは違和感なく受け取れたのに、スピカの場合受け取れないのは何故だろう。
むしろ対価を寄越せと言っているだけ、引け目無く受け取れてもおかしくない筈なのに。
ただ、素直にYESと言うべきではないような気がして、漠然とした疑問を投げかける。
許してはいけない引っかかりが、無視できなかった。
スピカは軽く首を傾げると、微笑みを浮かべたままでこう答える。
「だって、描いて貰えたら嬉しいもの。『私のため』に時間を割いて貰えた。時間をくれた。その気持ちが嬉しい。それの何がおかしいの? 私はカズキに期待してるの。面白い事には早めに乗っておきたいの。勿論タダ働きさせるつもりもないから、まずはちゃんと支援する。何がダメ?」
言葉に詰まってしまった。
言いたい事は解る。
筋は通っている、気がする。
詭弁のような気もする。
しかし、それをはっきりと覆す反論が浮かばない。
「欲張って良いなら私を描いて欲しいのが本音だよ? このキャラクター、『スピカ』はもう一人の私。XYZ ONLINEでの、歌奏のSpica。それは限りなく『私』なの」
こちらの沈黙を『反論無し』と受け止めたのか、スピカはすらすらと、まるであらかじめこう喋る事を考えておいたのかとでも思う程に畳み掛けてきた。
胸元に手を当て、溌剌とした双眸はきらきらと輝いている。
確かに、スピカのキャラクリエイトはDestiny LifeのSSやオフラインイベントのコスプレ写真で見たものと限りなく似ていた。
カズキ同様、リアルでの自分のままキャラクリエイトしたのだろう。
あらゆる情報を一度忘れてから見れば、充分美人の類だ。
ただ、今は――その蠱惑的な笑顔が、不吉に見えて仕方がない。
スピカの持論は続く。
「私は自分が好き。ナルシスト、って嗤っても良いよ。それを恥じるつもりもない。だって、私はどうしようもなく私で、どうあがいたって私以外にはなれない。だからこの世界でこの身体で生きていくって決めた時点で、愛着ゲージは120%なの」
――考えが噛み合わない。
ここにきて、やっとスピカの発言を受けるたびにちくちくと感じていた不快感に気付いた。
スピカは、カズキのことを一人のプレイヤーとして見ている気がしないのだ。
そう、喫茶店でグッドスリープに話した時考えていた、カズキの中で想定していたMMORPGで起こりうるトラブル……『道具』のように、扱われている。
『私の絵じゃなくていい』は、スピカ本人が言うように本音ではないのなら、いずれスピカ自身の絵を描くことを要求されそうな気がする。
『あとは好きに描いて良い』、が覆らない保証はどこにもないのだから。
最悪、スピカの自己顕示欲を満たすためのアイテムにされる――そう感じた。
「……俺は道具じゃないから。スピカのことを描きたいと思えたら描くかもしれないけど、現段階で描く気にはなれないな」
道具、と。
はっきり言うのに抵抗が無いわけではない。
しかし、引くべき線はきっちりしておかないといけないだろう。
それはスピカ以外の他のプレイヤーとも同じ事。
ロクも言っていたように、アマリだって本音では自分を描いて貰いたいと思っていたかもしれない。
ならば、しっかりと『描きたくない絵は描かない』『似顔絵などを描くにしても自発的にしかやらない』ことは宣言しておくべきだ。
スピカともいずれきちんと話すべきだと思っていたのだし、今がその時と思う事にする。
どうせ早くスピカとアマリの問題は解決したかったのだから。
スピカはカズキの拒絶を受けてもなお、嬋娟とした笑みを崩さなかった。
色違いの双眸を細めると、先程までと全く変わらない、動揺した様子も無いトーンで反駁してくる。
「そのために私が、カズキがやる気を出せるようにお膳立てしてあげたんじゃない。何が不満なの?」
「不満とか……そういう次元の話じゃないんだよ。そもそも頼んでないし、勝手に色々プランを組まれても困るんだ」
流石にここまで拒絶されると思う事があるのか、スピカの細い眉が僅かに動いた。
まぁ、スピカからすれば、世話してやろうとした犬に噛まれた気分なのかもしれない。
ただその犬、カズキはスピカからの世話を必要としていなかった。
少なくとも、XYZ ONLINEで絵描きを目指すという道に関しては。
それだけの話だ。
「ふぅん……自分で言うのもなんだけど、私と仲良くしておくと色々良い事あるよ?」
どうしてもカズキを懐柔したいらしく、スピカはまた別ベクトルから攻め始めてきた。
ぴん、と右手の人差し指を立てるスピカ。
その指先には、淡い紫のマニキュアが施されていた。
「NEGLのネトゲなら、エンオンもそのうちオフラインイベントをやるはず」
ネイルストーンの輝く細く白い人差し指は、つう、と動いてスピカの顎許へ。
「そして私は、NEGLの前作ではイベント常連プレイヤー」
知っている、とは言わなかった。
言うべきではない。
嘘を吐くのは苦手だが、ただ言わないでいるのは嘘のうちに入らない、と自分の中で詭弁を押し通す。
さっきから詭弁の応酬をしている気がして、非生産的なことこの上ない。
何故スピカはここまで自分に拘るのだろう?
ただの気まぐれか、自己顕示欲を満たせるならなんでもしてしまうのか。
「私が声をかければ、きっとカズキもオフラインイベントに出られるよ? そしたら、そうだね……例えばライブペインティングとか出来るかも。目立てるし、リアルでの知名度も上がって良い事尽くめじゃない?」
「は……」
絶句した。
何故なら――。
その反論すら、カズキには出来なかった。
誰にも言えない、言いたくないことを突かれたから。
言葉が輪郭を持たず、見開いた目の焦点がぶれる。
スピカの姿がぼやけ、気が遠くなった。
縹渺とした意識がクリアに戻ったのは、アマリの怒声が聞こえたからだった。
「いい加減にしなさいよ」
もうログアウトしたのかと思っていたが、アマリは会話が聞こえるところに居たらしい。
気が付けば彼女は、カズキを庇うように二人の間に立っていた。
紅玉の瞳は怒りの炎を宿し、ヒールのせいで幾分か背の高いスピカをきつく睨む。
「なんで、カズキが自分なりにエンオン楽しみたいって言ってるだけなのに、あんたいちいちその道勝手に整備してんの?」
「えぇ? アマリだって剣買って押し付けたり、画材の買い出しに無理やり付いて行ったりしたんでしょ? アマリにだけは言われたくないかなぁ」
何故それを、と思ったが、剣を買って貰ったことは隠していなかったし、そもそもナナのように装備を工面して貰う初心者は少なくないと聞いていた。
アマリと直接顔を合わせないやりとりは1:1ではなくギルドチャットを使っていたので、スピカと先程まで談笑していた女性プレイヤーのうちの誰かが、その時にログインしていて聞いたのかもしれない。
フェザーブレードを押し付けられたとは思っていない。
買い出しにも付いてきてくれて助かった。
しかしそれを言ってしまうと、ならどうして私の画材は受け取れないのかと反論される気がして、何も言えない。
――情けない。
「その話は今は関係ないでしょ。カズキがはっきり拒絶してるのに食い下がるの、めちゃくちゃみっともないって思わないの?」
「別にぃ? だって私、手に入れたいモノが手に入るなら手段とか選ばないし。大事なのは結果であって過程じゃないっていうか?」
ああ……結局、アマリにまた盾になってもらってしまっている。
自分が上手く反論できないから、スピカに言いくるめられて利用されそうになっていたから、痺れを切らして出てきたのだろう。
カズキの為に。
グッドスリープは言っていた。
『誰と仲良くしようがその人の自由である』、と。
アマリもその考えと変わらないはずだが、それでも看過できなくなるほど、スピカの態度は行き過ぎている。
――言うしかない。
「無理だよ。俺は、オフラインイベントには絶対に出られない。何があっても、スピカが話を通したとしても、俺は絶対に出られない。不可能なんだ。無理なんだ。無理だから、エンオンを始めたんだ」
もう駄目だ。
頭の中がぐちゃぐちゃで、言いたい事がぼやけて像を結ばない。
はっきりと言わなくてはならないのに、スピカを説得しないといけないのに、アマリに嫌な役目を押し付けるわけにはいかないのに。
「なんで? 地方民? 招待プレイヤーなら、交通費とかも出――」
「ダメなんだよ」
言いかけたスピカの発言を遮る。
ダメ、無理、不可能の一点張りで要領を得ない支離滅裂な発言になっているが、もう仕方がない。
「あ、それともアナログ苦手な人? いるよねたまに。最近はCGの方が色々便利だし」
「ちょっとね! あんたまだ食い下がるの!? どうせ飽きたら捨てるんでしょ、前みたいに! カズキまで食い荒らさないで!」
遂にアマリは感情を抑えきれなくなったのか、スピカの両肩を掴むと揺さぶった。
悲痛さすら滲むその声は、カズキの心に突き刺さる。
彼女をここまで衝き動かしているのは、カズキを守るためなのだから。
「もういい、アマリ。スピカも。ちゃんと言わなかった俺も悪かった……とにかく、ダメなんだ。リアルの俺は」
その言葉を受けて、アマリがゆっくりと振り向く。
どこか困惑したような顔ではあったが、スピカの両肩から手を放した。
「……ごめん」
ぽつりと謝罪の言葉がアマリの口から零れたが、スピカは無反応――いや、カズキにはもはや彼女達の表情から忖度する余裕など無くなっている。
何も言わなかった、それしか認識できなかった。
口の中がからからに乾いている。
VRMMOのはずなのに、やけに心臓がうるさく感じられて、しかしそれでも今度はきちんと像を結んだ言葉で告げなくてはならない。
――事実を。
「だってリアルの俺は――事故で右手を失って、筆を握れなくなって……でも諦められなくて、VRMMOで『もう一度』絵描きになろうとしたんだから」
俯いたカズキに、スピカとアマリの顔は見えない。
ただ二人とも黙っていたし、おそらくその声が聞こえていたであろう他のギルドメンバーも、何も言わなかった。
気が付けば痛いほどの静寂の中に、3人は居た。
「悪い……今日はもう、落ちる。お願いだから、もう俺の邪魔をしないでくれないか」
そのまま、ログアウトする。
視界がホワイトアウトして、意識は現実に戻ってきた。
「……言っちゃったな、結局。隠したかったのに……」
誰にともなく一人ごちる。
起き上がりながら、左手でカプセルの天井を押し上げる。
半分電動化されたそれは力を認識して、あとは自動で勝手に全開になった。
上体を起こすと左手だけでヘッドギアを掴み、脱ぎ捨てる。
長時間ダイブしていたせいか、精神を消耗したせいか、ひどく疲れていた。
改めて、自分の右腕をまじまじと見る。
肘から先は無く、先端は丸みを帯びている。
当然、指など無い。
数年前、信号無視の自動車に撥ねられて右腕を切断せざるを得なくなって。
将来有望な絵描きだと評価されていたのに、利き腕を失ったことでその道も潰えて。
なんとか左手でもある程度の生活は出来るようになったが、左手で描いた絵はカズキにとって納得のいくものではなかった。
感覚が異なるだけで、カズキが培ってきた知識やセンスは腐っていないはずなのに、何かが、何処かが、歯車の狂ったカラクリのように上手くいかない。
義手も使ってみた。
最先端の技術を使ったアームを右腕に装着して、絵筆を持ったこともあった。
しかしそれでも、やっぱり。
何かが違ったのだ。
指先に伝わる絵具の感触も、筆がキャンバスに擦れる感触も、テレピン油の匂いも、忘れたくなかったのに。
もう二度と、自分らしい絵は描けないのかもしれない――と、絶望して。
そんな矢先に、友達から気晴らしとして勧められたのがVRMMOだった。
最初はただ、遊ぶつもりでやってみようかと思ったのだが、調べているうちにXYZ ONLINEに行きついた。
そう、『もう一つの人生』。
だから、そのコンセプト通り、もう一つの人生をVRMMO内で歩もうと思っていたのに。
今日描いたクロッキーでは、右腕を失う前の感覚で描けたのに。
やり直せる、そう思ったのに。
――引退するか。
腕が無いと解れば、腫れ物扱いされるかもしれない。
それは嫌だ。
フラットな状態で人と接していたかったのに、それはもう不可能になってしまった。
人の口には戸は立てられない。
アジトに居たメンバーには、聞こえてしまっただろう。
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