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十二話 追いかけても
あれからどのくらい経っただろうか。
単純な日付で言えば2週間程度のはずだ。
それはカレンダーが証明している。
日常に突如として柱のように現れたXYZ ONLINEであったが、その柱が唐突に崩れ落ちても、なんとかなる。
元の生活に戻るだけ。
そのはずなのに、何か居場所を失った感覚だとか、大切なものを零した感覚だとか、それに限りなく近くて遠い感情がひたひたと胸に染みだすのを認めるしかなかった。
カズキの体感時間ではもう少し長いような、かと思えば過ぎてみると一瞬だったような、なんともいえない時間を過ごす。
そろそろ新しいVRMMOでも探そうかと、久しぶりにパソコンを立ち上げた。
すると、メールソフトに新着メールが3件届いていた。
どうせNEGLからのXYZ ONLINEに関するお知らせだろう。
かといって未読メールを溜め込むのも気持ち悪いと感じたので、メールボックスを開く。
――嘘だろう。
最新メールのタイトルが目に飛び込んだ。
【プレイヤーからメールが届いています:XYZ ONLINE】
そういえばそうだった。
今までメールは送る一方で、受けたことがなかったから知らなかった。
XYZ ONLINEのゲーム内メール機能は、登録したメールアドレスに通知が行くのだ。
動揺のせいか、胸の鼓動がやけに大きく聞こえる。
自分にわざわざメールを送ってくるプレイヤーなんて数えるほどしかいないが、それでいて全員にそれなりの可能性があった。
ログインしなくなった自分を心配して送るとしたら、ショウでもグッドスリープでもアマリでも可能性がある。
送信日付はちょうど昨日の夕方ごろ。
――開くだけなら。
カーソルをメールのタイトルに合わせる。
しかし、クリックしようと思っても指が動かない。
――恐れている?
また、傷つけられることを? 一度離れた場所から手を振られることを? 解らない。
でも、開かないといけないような気がした。
ごくりと唾を飲むと、意を決してメールを開く。
* * * * * *
タイトル:元気?
送信者:亞麻璃
本文:いきなりメールしてごめんね。
あたしはまたカズキと色々お話したいと思うんだけど。
よかったら、エンオンにログインしてよ。
* * * * * *
「……アマリ」
世話焼きな彼女にしては随分と素っ気ないと感じる文面。
恐らくは、あーだこーだと屁理屈をこねても意味がないと感じてあえて贅肉を削いだのだろう。
――心配を、かけているんだろうな。
自分がXYZ ONLINEを楽しむという点において、アマリはなにかと気を揉んでくれた。
スピカとあんなことがあって、アマリも少なからず傷ついただろうに。
このままログインせずにフェードアウトしたら、アマリはどう思うだろうか。
忘れる?
怒る?
解らない。
でも、ただ――『アマリとちゃんと話したほうが良いのではないか』と感じた。
そこからは簡単だった。
少しばかり手間取ったものの、ヘッドセットを装着してカプセルの中に横たわる。
意識がふわりと浮いて、目を開けばXYZ ONLINEのタイトル画面。
白く霞んだ視界は次第に像を結んでいき、『トロヴァトーレ』のアジトの風景を描いた。
そういえば、ログアウトしたのはここだったっけ。
「……あら」
「……あぁ」
その気配に気付いたのは、グッドスリープ。
アジトのリビングに鎮座するローテーブルの上に、あらゆる薬草のようなものが並べられている。
どうやら一人で調合を行っていたようだ。
「えーっと……」
どう切り出したものか。
彼女も、自分がログインしなくなったことは把握しているだろう。
しかしそんなカズキの杞憂とは裏腹に、グッドスリープは長い前髪の下の双眸を優しく細めた。
「おかえりなさい、カズキさん」
「……ただいま」
それだけのやり取りを交わすと、グッドスリープは薬草を弄り始める。
まるでカズキとのやり取りはこれで終了だと言わんばかりの態度であったが、今は変に腫れ物扱いしてほしくもないしこのくらいのほうが助かる。
左手中指のギルドリングに軽く触れ、メンバーリストを呼び出した。
早速アマリに1:1を……と思ったが、ここで問題がひとつ。
「……あれ」
リストのどこにもアマリの名前がない。
ログインしていないだけならメールを送ろうと思ったが、ログアウト中のメンバーのどこにも彼女の名前が見当たらなかった。
1:1やメールを行うには、相手プレイヤーの名前を『正しく』入力する必要があった。
アマリとやりとりするときいつも話しかけてくるのはあちらからで、カズキはただ履歴から呼び出して1:1に切り替えるだけ。
自分から送ったことがないのだ。
そう、アマリの正式なプレイヤーネームを覚えていない。
しかし、カズキはアマリとしか1:1したことがない。
ならばまた履歴を呼び出して――と思ったが、あろうことか履歴は消えていて、遡ることができないことが判明する。
どうやらある程度時間が経つと消えてしまうようだ。
なんということだ、さっきのメールで覚えておけばよかった。
そう思えど、ここでまたすぐログアウトすればグッドスリープに心配をかけそうだ。
最終的に、カズキは折れることにする。
「あのー……ぐっすりさん、お取り込み中申し訳ないんだけどちょっといい?」
「はぁい? なんでしょうかぁ」
薬草をごりごりと乳鉢で磨り潰していたグッドスリープが顔を上げる。
カズキは気まずさから目線を泳がせつつも、素直に彼女に頼るべく顔の前でぱんと手を合わせて『お願い』のポーズを取った。
「アマリが見当たらないんだけど、どういうことか解る?」
「あぁ……そうですねぇ……アマリちゃん、抜けちゃいましたから」
「……は?」
それを理解するより早く、グッドスリープは左手を軽く上げる。
「ログインはしてますねぇ。わたしはフレンドですが、カズキさんとは登録してなかったんですね」
どういうことだろう。
アマリが、『トロヴァトーレ』を抜けた?
何故。
そう思っても、今突き詰めるべき問題はそこじゃない。
本題に入ることにした。
「アマリにウィスパーしたいんだ。でも、俺アマリの正しい名前覚えてなくて」
「あぁ、そういう」
カズキの懇願を聞くと、「ややこしい名前ですもんねぇ」と言ってからからと笑う。
結果、グッドスリープからアマリに1:1してもらって、アマリからカズキに声をかけてもらうことになった。
締まらないなぁ。
そう思えど、自分がこの世界でビギナーなのは純然たる事実。
1:1の仕方をしっかり覚えておかなくてはいけない。
それからアマリのちゃんとした名前も。
ほどなくして、『トロヴァトーレ』のアジトに光が零れる。
その光の球は星屑のように霧散すると、見覚えのある新緑のポニーテールと紅玉の瞳、そう、アマリの姿を描いた。
どうやらグッドスリープからの1:1の後、カズキからの応答確認を待たずに来たらしい。
「……カズキ。来てくれたんだね」
そう言ったアマリの声は落ち着いていて、動揺とも感動とも安堵とも、どれともつかない。
「……ごめんな、心配かけて」
なにはともあれ、彼女に気を揉ませたのは事実。
ぺこりと頭を下げると、慌てた声が返ってきた。
「ちょ、待ってよ! 別に謝られる謂れないし! 頭上げて上げてっ!?」
「……そう?」
上体を上げれば、わたわたと慌てたように手をブンブンと振るアマリが目について、それがなんだか可笑しくて思わず笑みが漏れる。
アマリはふうと息をひとつつくと、右足を一歩引いた。
「3階行こ。そこなら二人で話せると思うから。ぐっすりさん、借りるね」
彼女の導きで、3階に初めて足を踏み入れた。
そこは1階ほど設備は充実していないが談話室のような雰囲気のつくりで、アマリの言う通り誰もいない。
壁に点々と付けられたランプがオレンジ色の光を放ち、柔らかな空間を形作っている。
座って、と言われたので適当に一番奥の椅子に座ると、アマリは簡易キッチンに向かった。
「あたしもコーヒーくらいなら淹れられるし。ちょっと待ってて」
「へぇ。コーヒーも技能? ぐっすりさんに教えて貰ったリアルに近いコーヒーはなんだったかな……」
「豆から美味しく淹れるなら技能。これはコーヒーメーカーがあるから誰でも淹れられるよ。リアルに近いのはエレッタだね。玄人はレーリドとかアジェクとか、キッツイ味が好きだったりするらしいけど」
ふむ、わからん。
アマリの言う通りどうやらコーヒーメーカーに水と粉末をセットするだけらしく、その説明をする間にはセットが終わったようだ。
アマリはかつかつと歩み寄ると、カズキの向かいに腰を下ろした。
「えーと、何から話そうかな。ぶっちゃけ、合わせる顔がない」
「そんなことは……」
「許せないんだよ。あたしが。あたしを」
そこで『スピカを』とは言わないのがなんとも彼女らしい。
メールしてくるだけあって言いたい事が色々と積もっているようなので、とりあえずアマリの言葉を待つ。
「……ごめんね。スピカについて、もっと上手く振舞えたんじゃないかなって……スピカを上手く説得出来てたら、カズキも……言いたくない事、言わなくて済んだのかなとか」
「過ぎたことはしょうがないし、俺が事情を話したのは俺の判断なんだから、アマリが気にすることじゃ……」
俯いたアマリが両手に力を込めたのが分かった。
表情は窺い知れないが、声が震えている。
「泣かないでくれ」
「……泣いてないですー。エンオンに泣くって機能はございませーん」
嘘だ。
アマリは強がっている。
このゲームに泣く機能が無いというのが本当だとしても、アマリが自分を責め続けていて苦しんでいる事は間違いない。
ぴー、と小さな音が静寂を破った。
それがコーヒーメーカーの音だと気付いたのは、アマリが立ち上がったから。
こぽぽぽ、と小さな音を立てて、小ぶりなマグカップに液体が注がれていくのをぼんやりと見ていた。
「はいよ」
「どうも」
それを受け取ると、白い湯気がふわふわと舞う。
マグカップごしに伝わる熱は、VRの技術の進歩に驚くレベルだった。
ブラックのまま口を付けたコーヒーは、なるほど確かにグッドスリープと飲んだものと限りなく似ている。
「……でも、良かった。もうログインしてくれないんじゃないかって……」
「カズキ!」
言いかけたアマリの言葉を遮るソプラノが割って入った。
跳ねるように振り向いたアマリの視線を追うと、そこには深刻そうな顔をしたスピカが階段を登ってきたところで。
「……あんた……」
急に声色に敵意を滲ませたアマリを意にも介せず、スピカはハイヒールで床を蹴ってカズキへと駆け寄ってくる。
「ごめんなさい!」
かと思えば、上体をがばりと折って謝ってきた。
これではまるで先ほどのカズキだ。
「えーと……いや、顔上げて?」
面食らいつつスピカにそう告げると、彼女はゆっくりと上体を起こす。
その顔は不安、戸惑い、困惑などを全てごちゃ混ぜにしたようなものだった。
「私、知らなかったとはいえカズキの知られたくないこと言わせちゃったから……」
それから、スピカの謝罪と説明が続く。
コスプレイヤーとして、自分の写真をイラスト化して貰えるのはとても嬉しいこと。
前作、Destiny Lifeでは結構な頻度で描いて貰っており、そのどれもを保存したり印刷したりして大切にしていること。
絵の具を用意してカズキに絵を描かせようとしたことが『トロヴァトーレ』のルールに抵触するためショウからお叱りを受けたこと。
「だから、その、私……カズキにはちゃんと謝らなきゃって思って……」
「そうだな。うん、今謝って貰ったから、じゃあそれで良いよ。スピカもあんまり気にしすぎないでくれ」
正直、スピカの発言や行動が原因で嫌な事実を『トロヴァトーレ』内にぶちまける羽目になったことについては自分でも上手く整理がつかない。
しかし、終わったことや過ぎたことはどうしようもなくて、一度吐き出した言葉は元に戻らないのが摂理。
となれば、今後どうするかを考えるべきで、スピカに永遠に苦しんで欲しいわけでもないのだから、スピカのことは一度許してしまったほうが良いだろう。
だが、言われたスピカはまだ何か言いたそうにそわそわとしていた。
「あのー……ここからはね? ただの提案なんだけど……良いかな」
「提案?」
遠慮がちに発された『提案』という言葉。
スピカの過去の言動が言動なので、言わせるべきか迷ったが、アマリは静観するつもりのようなのでとりあえず聞いてみることにした。
「このゲーム、確かに絵描きの活躍できる場面は少ないんだけれど、ギルドのエンブレムが作れるの。あと、デスライでは半年に一度くらいのペースでアバターデザインコンテストがあったから、エンオンでもやると思う。それに応募してみるってのはどう?」
「……エンブレムにアバターデザインコンテスト……か」
ふむ。
エンブレムと言うからには、恐らくイラストというよりはデザインの分野だろう。
しかし全くの素人と比べれば、こちらの方が培ったものは多いはず。
考えてみる価値はあるかもしれない。
「アバコンは採用されたら賞金も出るし、プレイヤーネームも公式サイトに載るし、もちろんゲーム内に実装もされる」
ぴん、と指を三本立てるスピカ。
その爪先にはやはり、淡い紫のマニキュアにラインストーンが光っていた。
「アバコンのデザインは基本オフラインで描くものだけど、エンオンの中で描いたデータは不可って規約は設けられないはず」
「なるほど……それは興味あるかもしれないな」
腕を組み、アバターデザインコンテストに肯定的な姿勢を見せると、曇っていたスピカの表情がぱあっと晴れる。
……彼女なりに、カズキへの罪滅ぼしを考えていて、考えた結果見つけてきたのが『スピカのためではなくカズキが個人的に有名になれる方法』だったのだろう。
「あと……アマリ? カズキが帰ってきたんだから、『トロヴァトーレ』に戻らない?」
「あんたがしに来たのは『提案』であって『お願い』ではないでしょ。それはあたしが決めること」
アマリの顔色を伺うような素振りであったが、その言葉ははっきりとしていた。
しかし、言われたアマリはぴしゃりと吐き捨てるようにそれを却下する。
さすがにこの展開には黙っていられなくて、カズキも口を挟んだ。
なにかと不明瞭なところが多すぎる。
「なんとなく聞いたけど、なんで……ギルド抜けたんだ? 俺とスピカのあれこれのせい? それについてはアマリは関係ないんだし」
「別に。ただの気分だよ。言ったでしょ? ギルドは入るのも抜けるのも自由だって。戻りたくなれば戻るし、その気が無ければ別んとこ入るし」
なかなか難敵だ。
アマリが本当にカズキとスピカのあれこれを原因としていなかったとしても、それはとても寂しくて残念なことのように感じられる。
そう思うと、自然と口から言葉が放たれていた。
「……でも俺は、アマリとエンオンがしたいなぁ」
「……う」
「『トロヴァトーレ』に入れたのもアマリのおかげだし……」
「……んん」
「フェザーブレード買ってくれたのもアマリだし……」
「……」
「そうすると俺も『トロヴァトーレ』抜けようかなってなる……」
ばん。
その音の原因は、アマリが勢いよくテーブルに手をついたからだった。
仁王立ちして腰に手を当てたアマリは、諦めたようにも開き直りのようにも聞こえる声でこう言い放つ。
「……わぁーった! わぁーかったよ! 今夜マスターに声かけて戻して貰うから! それでいい? カズキもスピカも」
思わず顔が綻んだ。
頷いた後スピカをちらりと横目で見ると、彼女もうんうんと首を縦に振っている。
それからポンと手を叩くと、嬉しそうな声でこう言った。
「これで一件落着なのかな? 私、アマリとも仲良くしたいって思ってるんだよ」
「へーそーですか。じゃあまずマイナスの好感度をゼロに戻してねぇー!」
「……二人とも、喧嘩はほどほどにしてくれ……」
とりあえずは、丸く収まったようである。
単純な日付で言えば2週間程度のはずだ。
それはカレンダーが証明している。
日常に突如として柱のように現れたXYZ ONLINEであったが、その柱が唐突に崩れ落ちても、なんとかなる。
元の生活に戻るだけ。
そのはずなのに、何か居場所を失った感覚だとか、大切なものを零した感覚だとか、それに限りなく近くて遠い感情がひたひたと胸に染みだすのを認めるしかなかった。
カズキの体感時間ではもう少し長いような、かと思えば過ぎてみると一瞬だったような、なんともいえない時間を過ごす。
そろそろ新しいVRMMOでも探そうかと、久しぶりにパソコンを立ち上げた。
すると、メールソフトに新着メールが3件届いていた。
どうせNEGLからのXYZ ONLINEに関するお知らせだろう。
かといって未読メールを溜め込むのも気持ち悪いと感じたので、メールボックスを開く。
――嘘だろう。
最新メールのタイトルが目に飛び込んだ。
【プレイヤーからメールが届いています:XYZ ONLINE】
そういえばそうだった。
今までメールは送る一方で、受けたことがなかったから知らなかった。
XYZ ONLINEのゲーム内メール機能は、登録したメールアドレスに通知が行くのだ。
動揺のせいか、胸の鼓動がやけに大きく聞こえる。
自分にわざわざメールを送ってくるプレイヤーなんて数えるほどしかいないが、それでいて全員にそれなりの可能性があった。
ログインしなくなった自分を心配して送るとしたら、ショウでもグッドスリープでもアマリでも可能性がある。
送信日付はちょうど昨日の夕方ごろ。
――開くだけなら。
カーソルをメールのタイトルに合わせる。
しかし、クリックしようと思っても指が動かない。
――恐れている?
また、傷つけられることを? 一度離れた場所から手を振られることを? 解らない。
でも、開かないといけないような気がした。
ごくりと唾を飲むと、意を決してメールを開く。
* * * * * *
タイトル:元気?
送信者:亞麻璃
本文:いきなりメールしてごめんね。
あたしはまたカズキと色々お話したいと思うんだけど。
よかったら、エンオンにログインしてよ。
* * * * * *
「……アマリ」
世話焼きな彼女にしては随分と素っ気ないと感じる文面。
恐らくは、あーだこーだと屁理屈をこねても意味がないと感じてあえて贅肉を削いだのだろう。
――心配を、かけているんだろうな。
自分がXYZ ONLINEを楽しむという点において、アマリはなにかと気を揉んでくれた。
スピカとあんなことがあって、アマリも少なからず傷ついただろうに。
このままログインせずにフェードアウトしたら、アマリはどう思うだろうか。
忘れる?
怒る?
解らない。
でも、ただ――『アマリとちゃんと話したほうが良いのではないか』と感じた。
そこからは簡単だった。
少しばかり手間取ったものの、ヘッドセットを装着してカプセルの中に横たわる。
意識がふわりと浮いて、目を開けばXYZ ONLINEのタイトル画面。
白く霞んだ視界は次第に像を結んでいき、『トロヴァトーレ』のアジトの風景を描いた。
そういえば、ログアウトしたのはここだったっけ。
「……あら」
「……あぁ」
その気配に気付いたのは、グッドスリープ。
アジトのリビングに鎮座するローテーブルの上に、あらゆる薬草のようなものが並べられている。
どうやら一人で調合を行っていたようだ。
「えーっと……」
どう切り出したものか。
彼女も、自分がログインしなくなったことは把握しているだろう。
しかしそんなカズキの杞憂とは裏腹に、グッドスリープは長い前髪の下の双眸を優しく細めた。
「おかえりなさい、カズキさん」
「……ただいま」
それだけのやり取りを交わすと、グッドスリープは薬草を弄り始める。
まるでカズキとのやり取りはこれで終了だと言わんばかりの態度であったが、今は変に腫れ物扱いしてほしくもないしこのくらいのほうが助かる。
左手中指のギルドリングに軽く触れ、メンバーリストを呼び出した。
早速アマリに1:1を……と思ったが、ここで問題がひとつ。
「……あれ」
リストのどこにもアマリの名前がない。
ログインしていないだけならメールを送ろうと思ったが、ログアウト中のメンバーのどこにも彼女の名前が見当たらなかった。
1:1やメールを行うには、相手プレイヤーの名前を『正しく』入力する必要があった。
アマリとやりとりするときいつも話しかけてくるのはあちらからで、カズキはただ履歴から呼び出して1:1に切り替えるだけ。
自分から送ったことがないのだ。
そう、アマリの正式なプレイヤーネームを覚えていない。
しかし、カズキはアマリとしか1:1したことがない。
ならばまた履歴を呼び出して――と思ったが、あろうことか履歴は消えていて、遡ることができないことが判明する。
どうやらある程度時間が経つと消えてしまうようだ。
なんということだ、さっきのメールで覚えておけばよかった。
そう思えど、ここでまたすぐログアウトすればグッドスリープに心配をかけそうだ。
最終的に、カズキは折れることにする。
「あのー……ぐっすりさん、お取り込み中申し訳ないんだけどちょっといい?」
「はぁい? なんでしょうかぁ」
薬草をごりごりと乳鉢で磨り潰していたグッドスリープが顔を上げる。
カズキは気まずさから目線を泳がせつつも、素直に彼女に頼るべく顔の前でぱんと手を合わせて『お願い』のポーズを取った。
「アマリが見当たらないんだけど、どういうことか解る?」
「あぁ……そうですねぇ……アマリちゃん、抜けちゃいましたから」
「……は?」
それを理解するより早く、グッドスリープは左手を軽く上げる。
「ログインはしてますねぇ。わたしはフレンドですが、カズキさんとは登録してなかったんですね」
どういうことだろう。
アマリが、『トロヴァトーレ』を抜けた?
何故。
そう思っても、今突き詰めるべき問題はそこじゃない。
本題に入ることにした。
「アマリにウィスパーしたいんだ。でも、俺アマリの正しい名前覚えてなくて」
「あぁ、そういう」
カズキの懇願を聞くと、「ややこしい名前ですもんねぇ」と言ってからからと笑う。
結果、グッドスリープからアマリに1:1してもらって、アマリからカズキに声をかけてもらうことになった。
締まらないなぁ。
そう思えど、自分がこの世界でビギナーなのは純然たる事実。
1:1の仕方をしっかり覚えておかなくてはいけない。
それからアマリのちゃんとした名前も。
ほどなくして、『トロヴァトーレ』のアジトに光が零れる。
その光の球は星屑のように霧散すると、見覚えのある新緑のポニーテールと紅玉の瞳、そう、アマリの姿を描いた。
どうやらグッドスリープからの1:1の後、カズキからの応答確認を待たずに来たらしい。
「……カズキ。来てくれたんだね」
そう言ったアマリの声は落ち着いていて、動揺とも感動とも安堵とも、どれともつかない。
「……ごめんな、心配かけて」
なにはともあれ、彼女に気を揉ませたのは事実。
ぺこりと頭を下げると、慌てた声が返ってきた。
「ちょ、待ってよ! 別に謝られる謂れないし! 頭上げて上げてっ!?」
「……そう?」
上体を上げれば、わたわたと慌てたように手をブンブンと振るアマリが目について、それがなんだか可笑しくて思わず笑みが漏れる。
アマリはふうと息をひとつつくと、右足を一歩引いた。
「3階行こ。そこなら二人で話せると思うから。ぐっすりさん、借りるね」
彼女の導きで、3階に初めて足を踏み入れた。
そこは1階ほど設備は充実していないが談話室のような雰囲気のつくりで、アマリの言う通り誰もいない。
壁に点々と付けられたランプがオレンジ色の光を放ち、柔らかな空間を形作っている。
座って、と言われたので適当に一番奥の椅子に座ると、アマリは簡易キッチンに向かった。
「あたしもコーヒーくらいなら淹れられるし。ちょっと待ってて」
「へぇ。コーヒーも技能? ぐっすりさんに教えて貰ったリアルに近いコーヒーはなんだったかな……」
「豆から美味しく淹れるなら技能。これはコーヒーメーカーがあるから誰でも淹れられるよ。リアルに近いのはエレッタだね。玄人はレーリドとかアジェクとか、キッツイ味が好きだったりするらしいけど」
ふむ、わからん。
アマリの言う通りどうやらコーヒーメーカーに水と粉末をセットするだけらしく、その説明をする間にはセットが終わったようだ。
アマリはかつかつと歩み寄ると、カズキの向かいに腰を下ろした。
「えーと、何から話そうかな。ぶっちゃけ、合わせる顔がない」
「そんなことは……」
「許せないんだよ。あたしが。あたしを」
そこで『スピカを』とは言わないのがなんとも彼女らしい。
メールしてくるだけあって言いたい事が色々と積もっているようなので、とりあえずアマリの言葉を待つ。
「……ごめんね。スピカについて、もっと上手く振舞えたんじゃないかなって……スピカを上手く説得出来てたら、カズキも……言いたくない事、言わなくて済んだのかなとか」
「過ぎたことはしょうがないし、俺が事情を話したのは俺の判断なんだから、アマリが気にすることじゃ……」
俯いたアマリが両手に力を込めたのが分かった。
表情は窺い知れないが、声が震えている。
「泣かないでくれ」
「……泣いてないですー。エンオンに泣くって機能はございませーん」
嘘だ。
アマリは強がっている。
このゲームに泣く機能が無いというのが本当だとしても、アマリが自分を責め続けていて苦しんでいる事は間違いない。
ぴー、と小さな音が静寂を破った。
それがコーヒーメーカーの音だと気付いたのは、アマリが立ち上がったから。
こぽぽぽ、と小さな音を立てて、小ぶりなマグカップに液体が注がれていくのをぼんやりと見ていた。
「はいよ」
「どうも」
それを受け取ると、白い湯気がふわふわと舞う。
マグカップごしに伝わる熱は、VRの技術の進歩に驚くレベルだった。
ブラックのまま口を付けたコーヒーは、なるほど確かにグッドスリープと飲んだものと限りなく似ている。
「……でも、良かった。もうログインしてくれないんじゃないかって……」
「カズキ!」
言いかけたアマリの言葉を遮るソプラノが割って入った。
跳ねるように振り向いたアマリの視線を追うと、そこには深刻そうな顔をしたスピカが階段を登ってきたところで。
「……あんた……」
急に声色に敵意を滲ませたアマリを意にも介せず、スピカはハイヒールで床を蹴ってカズキへと駆け寄ってくる。
「ごめんなさい!」
かと思えば、上体をがばりと折って謝ってきた。
これではまるで先ほどのカズキだ。
「えーと……いや、顔上げて?」
面食らいつつスピカにそう告げると、彼女はゆっくりと上体を起こす。
その顔は不安、戸惑い、困惑などを全てごちゃ混ぜにしたようなものだった。
「私、知らなかったとはいえカズキの知られたくないこと言わせちゃったから……」
それから、スピカの謝罪と説明が続く。
コスプレイヤーとして、自分の写真をイラスト化して貰えるのはとても嬉しいこと。
前作、Destiny Lifeでは結構な頻度で描いて貰っており、そのどれもを保存したり印刷したりして大切にしていること。
絵の具を用意してカズキに絵を描かせようとしたことが『トロヴァトーレ』のルールに抵触するためショウからお叱りを受けたこと。
「だから、その、私……カズキにはちゃんと謝らなきゃって思って……」
「そうだな。うん、今謝って貰ったから、じゃあそれで良いよ。スピカもあんまり気にしすぎないでくれ」
正直、スピカの発言や行動が原因で嫌な事実を『トロヴァトーレ』内にぶちまける羽目になったことについては自分でも上手く整理がつかない。
しかし、終わったことや過ぎたことはどうしようもなくて、一度吐き出した言葉は元に戻らないのが摂理。
となれば、今後どうするかを考えるべきで、スピカに永遠に苦しんで欲しいわけでもないのだから、スピカのことは一度許してしまったほうが良いだろう。
だが、言われたスピカはまだ何か言いたそうにそわそわとしていた。
「あのー……ここからはね? ただの提案なんだけど……良いかな」
「提案?」
遠慮がちに発された『提案』という言葉。
スピカの過去の言動が言動なので、言わせるべきか迷ったが、アマリは静観するつもりのようなのでとりあえず聞いてみることにした。
「このゲーム、確かに絵描きの活躍できる場面は少ないんだけれど、ギルドのエンブレムが作れるの。あと、デスライでは半年に一度くらいのペースでアバターデザインコンテストがあったから、エンオンでもやると思う。それに応募してみるってのはどう?」
「……エンブレムにアバターデザインコンテスト……か」
ふむ。
エンブレムと言うからには、恐らくイラストというよりはデザインの分野だろう。
しかし全くの素人と比べれば、こちらの方が培ったものは多いはず。
考えてみる価値はあるかもしれない。
「アバコンは採用されたら賞金も出るし、プレイヤーネームも公式サイトに載るし、もちろんゲーム内に実装もされる」
ぴん、と指を三本立てるスピカ。
その爪先にはやはり、淡い紫のマニキュアにラインストーンが光っていた。
「アバコンのデザインは基本オフラインで描くものだけど、エンオンの中で描いたデータは不可って規約は設けられないはず」
「なるほど……それは興味あるかもしれないな」
腕を組み、アバターデザインコンテストに肯定的な姿勢を見せると、曇っていたスピカの表情がぱあっと晴れる。
……彼女なりに、カズキへの罪滅ぼしを考えていて、考えた結果見つけてきたのが『スピカのためではなくカズキが個人的に有名になれる方法』だったのだろう。
「あと……アマリ? カズキが帰ってきたんだから、『トロヴァトーレ』に戻らない?」
「あんたがしに来たのは『提案』であって『お願い』ではないでしょ。それはあたしが決めること」
アマリの顔色を伺うような素振りであったが、その言葉ははっきりとしていた。
しかし、言われたアマリはぴしゃりと吐き捨てるようにそれを却下する。
さすがにこの展開には黙っていられなくて、カズキも口を挟んだ。
なにかと不明瞭なところが多すぎる。
「なんとなく聞いたけど、なんで……ギルド抜けたんだ? 俺とスピカのあれこれのせい? それについてはアマリは関係ないんだし」
「別に。ただの気分だよ。言ったでしょ? ギルドは入るのも抜けるのも自由だって。戻りたくなれば戻るし、その気が無ければ別んとこ入るし」
なかなか難敵だ。
アマリが本当にカズキとスピカのあれこれを原因としていなかったとしても、それはとても寂しくて残念なことのように感じられる。
そう思うと、自然と口から言葉が放たれていた。
「……でも俺は、アマリとエンオンがしたいなぁ」
「……う」
「『トロヴァトーレ』に入れたのもアマリのおかげだし……」
「……んん」
「フェザーブレード買ってくれたのもアマリだし……」
「……」
「そうすると俺も『トロヴァトーレ』抜けようかなってなる……」
ばん。
その音の原因は、アマリが勢いよくテーブルに手をついたからだった。
仁王立ちして腰に手を当てたアマリは、諦めたようにも開き直りのようにも聞こえる声でこう言い放つ。
「……わぁーった! わぁーかったよ! 今夜マスターに声かけて戻して貰うから! それでいい? カズキもスピカも」
思わず顔が綻んだ。
頷いた後スピカをちらりと横目で見ると、彼女もうんうんと首を縦に振っている。
それからポンと手を叩くと、嬉しそうな声でこう言った。
「これで一件落着なのかな? 私、アマリとも仲良くしたいって思ってるんだよ」
「へーそーですか。じゃあまずマイナスの好感度をゼロに戻してねぇー!」
「……二人とも、喧嘩はほどほどにしてくれ……」
とりあえずは、丸く収まったようである。
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