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十四話 輝きのエスペランザ
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「……待った?」
「……まぁ、多少は」
8月30日。
暑い盛りの8月を残すところあと1日と少しとした、時刻21:30のこと。
夏の夜特有のぬるい空気が風に流されて頬を撫でる。
カズキはロクと、アジトではなくレイクファイドに存在する公園では最も僻地にある通称『使徒公園』で待ち合わせていた。
先にベンチに座って待っていた小柄な姿を見つけるとカズキは駆け寄って、隣に腰を降ろす。
使徒公園は、前作Desiny Lifeで重要NPCであった12人の天界人と同じ姿形をした彫像が、時計の文字盤のようにぐるりと等間隔で周囲に設置されていることからその異名が付いた場所である。
正式な名前は存在しない。
あくまでこの街に複数ある公園を区別する為の俗称だ。
12人の使徒はXYZ ONLINEではその存在の気配すら一切示唆されておらず、ただの前作ファンへのサービスであろうと言われていた。
しかし、魅力的なNPCであった彼らがなんらかの形でまた関わってくるのではないだろうかと期待するプレイヤーも多いらしい。
さて、そんな使徒公園で何故待ち合わせをしていたかと言うと。
「じゃあ見せる。……これ」
カズキは周囲を警戒するようにキョロキョロと視線を配らせ、こちらに注目しているプレイヤーが誰も居ないのを確かめるとアイテムインベントリから一つのアイテムを取り出す。
ざらりとした質感の画用紙を、シンプルな額縁に収めたもの――そう、ロクに鍛えてもらった『観賞用短剣』の絵が完成したのだ。
「……ふむ」
ロクはそれを見ると、まるで熟練の職人のような目付きに変わった。
額縁を受け取り、角度を変えたり顔との距離を変えたりしながら、じっくりとそれを眺めている。
暫しの静寂が二人の間に横たわり、カズキが膝の上で握る両手には無意識で力が込められた。
「……どう? 俺としては、なかなか良く描けた自負があるんだけど」
「……そうだな、うん」
短い応答の後、ロクは自分のアイテムインベントリに絵を収納する。
それからカズキが初めて見るほどの笑顔を浮かべたかと思えば、カズキの肩をバシバシと叩いた。
「最ッ高だ! これは売れる。こんな試み、まだ誰もしてないだろ。俺達が第一人者だ。そう思うとワクワクが止まらないな、これ!」
「お、おぉ……?」
突然テンションがハイになったロクに若干面食らう。
彼はどちらかというと普段は朴訥としていて、こんな高いトーンで喋るようなキャラではないはずだと認識していた。
しかしよくよく考えれば、こちらの描いた絵に感動してくれているとも捉えられるので、そこは素直に喜びを受け取っておくべきだろう。
「問題は値段設定だな……いや、その前に買い取ってくれる鍛冶屋を探さにゃならん。絵は唯一性のある一点物だし決して価値は低くないはずだが、あくまで添え物だ。となるとあまり高額を吹っかけても難色を示される可能性が高い。そこは了承してくれるか」
ロクはカズキをバシバシと叩く手を引っ込めると、指先で軽く顎を撫でながら販売プランについて考え出した。
その仕草がまるで顎髭を撫で付ける老人のように見えて、小柄な小巧なのに妙に含蓄を備えているように映る。
本当に高校生なのか、こいつは。
「そうだな……まず絵が付いてるってのも確実に喜ばれるオプションとは限らない、と俺は思う。でも短剣そのものはスピカにも少し驚かれたくらいだから、相場の1.2倍か1.5倍程度くらいにしてみたら良いんじゃないか」
「成る程。ターゲットは明確に絞ってある。見栄えの良い装備を探してる連中だ。そういうミーハーな奴らなら絵を喜ぶ可能性は高いだろ、確実ではなくても。なら1.5倍あたりで交渉してみるか。イケそうなら1.7倍……いや、1.8倍で行こう。……つーか、スピカに見せたのか。これ」
うんうん、と自分の発言に納得したように頷くと、ロクは少しだけ声のトーンを落とした。
それはどこか訝しむような声色でもあり、快か不快で言えば不快寄りのものに思える。
「見せたと言うか、見られたと言うか……」
「まぁでもあいつは弓使いだからなぁ。短剣は使わねぇか」
ここでもまたスピカか。
と思わなくもない。
目の肥えたプレイヤーでも驚いたのだ、という意味で名前を出したものの、言う必要は無かっただろうか。
ロクもあまりスピカにはいい印象が無いらしいが、絵を見られるくらいなら大した問題ではない気がする。
短剣は使わない、という言葉を受けて、スピカが銃士を目指している話を思い出した。
スピカが剣のスキルを上げる為に、見栄えを重視して刀身に幅があるものではなく細身のレイピアを使っていたことは記憶に新しい。
なら、スピカにこの短剣が売れる可能性はあるかもしれない。
自分の絵をXYZ ONLINEで売る、という行為に気恥ずかしさを覚えた為にわざわざこんな場所でロクに絵を渡したり、デザインの原画もロクにしか見せていなかったりするが、スピカは喜びはしても貶してくるような人物ではないだろう。
それに有名コスプレイヤーのスピカが使ってくれたら、宣伝効果も見込めるのではないだろうか。
そういった考えを掻い摘んで伝えると、ロクは眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「うーんん……カズキがそう言うならスピカに売るのもアリっちゃアリだが、問題が2点ほど」
「ひとつじゃないのか」
「まずひとつ。身内に売っても仕方なくないか?」
短い人差し指をピンと立てると、ロクはスピカに売るべきではない理由の説明を始める。
スピカは『トロヴァトーレ』のギルドメンバーだ。
なので彼女が主に接するプレイヤーもやはり『トロヴァトーレ』のメンバーが多くなる。
となると、この短剣を見かけるプレイヤーも『トロヴァトーレ』内だらけということになり、結局身内で盛り上がるだけになってしまうのではという危惧がある。
迷宮で拾ったアイテムをギルド内で融通するのとは話が違う。
ロクも多少は野望と言うか野心のようなものがあるらしく、せっかくカズキと共同で会心の仕事をしたのだから人目に触れたいという思いが強いようだ。
『トロヴァトーレ』内で人気を博しても、未来に繋がらない。
そう言いたいらしい。
そして、2点の問題のもうひとつ。
これを説明する時、ロクはさらに声を潜めた。
「もうひとつ。これは言いたかないが、あいつ0chでの悪評凄いぞ」
「……れーちゃん?」
「そこからしないとダメか、説明」
『れーちゃん』という単語を鸚鵡返しにして首を傾げるカズキを見て、ロクは眉尻を下げる。
どうにも、MMORPGをしているなら知っていて当たり前のことがカズキにはいちいち欠けていることはある程度予想、もしくは理解していたらしく、うーむと唸ってから説明を始めてくれた。
『れいじーちゃんねる』。
略して、俗称が0ch。
平たく言うなら、『極めて匿名性の高い、様々なカテゴリに細分化された巨大掲示板サイト』である。
書き込みの際にハンドルネームを使うという文化はなく、むしろハンドルネームを無闇に名乗ると却って袋叩きに遭うという。
掲示板のカテゴリは今晩のおかず相談から合法ドラッグ、R-18なものから野球中継まで多岐に渡る。
そして『VRMMO板』というVRMMOの話題に絞った掲示板もあり、XYZ ONLINEに関するスレッドもそこには立ち続けていた。
しかし、XYZ ONLINEではまだスピカの話題はほぼ出ていないのがロクの見た限りの認識らしい。
問題はXYZ ONLINEではい。
前作Destiny Lifeだ。
当時のスピカについては過去ログに収納されたスレッドに何度か話題が上っていたらしく、誰とは言わないがとある人から『スピカには気を付けろ』と言われた時に過去ログを漁ったらしい。
男性プレイヤーにアイテムを貢がせるだけ貢がせて捨てたとか。
オフラインイベントに出演が決まった際我儘放題だったとか。
高額な衣装を何着も持っていたので、規約違反のRMTに手を出しているのではないかとか。
「……まぁ、俺含めて0chの書き込みを鵜呑みにするようなアホだらけではないが、火の無いところに煙は立たないだろ」
「……なるほど」
カズキも、ずっと引っかかっていることがあった。
スピカに強引に『絵を描いてくれ』と迫られた、あの時。
アマリが言っていた言葉が気になっていたのだ。
――どうせ飽きたら捨てるんでしょ、前みたいに!
あの時の『前みたいに』とは、Destiny Lifeでのことだと考えれば、今のロクの説明と照らし合わせて辻褄が合う。
「だからまぁ……スピカを悪く言いたくはないが、俺はこの力作、しかも処女作をスピカに預けるのは反対だ。鍛冶屋に卸して、そっからスピカが自力で見つけて買うならいい。そこには俺達の『スピカに売ろうとした』という意思は入らないからな」
「……解った」
ロクの気持ちも、解らないわけではなかった。
ロクだって、公式のテンプレートではなくカズキの用意したデザインで短剣を鍛えることには多少の苦労をしたらしい。
カズキも公式のテンプレートに出来るだけ仕様を寄せて作ったつもりであったが、いくら自由なXYZ ONLINEと言えど、難しいものがあったようだ。
しかし彼が出した結果は完成品を見れば一目瞭然のもので、カズキの期待以上のクオリティで短剣を仕上げてくれた。
そんな、苦労をして作った記念すべき第1作に後ろ暗いエピソードを付随させたくはない。
そう思うのも無理からぬことだろう。
「さて……鍛冶屋も今夜中に当たっておくかな。なにせ俺は明後日から学校だし。まぁなんだ、ある程度アタリは付けてあるからそこを巡るだけでいいし」
「……俺も付いて行って良いかな」
「良いけど、歩き回るぞ。そんな時間があるならアマリあたりを誘って迷宮に行った方が良いんじゃないのか」
すっくと立ち上がったロクに続いて立ち上がり、同行したいと伝えたが気遣われた。
同行するのが嫌なのではなく、おそらくカズキを学生とは思ってないロクからすれば、貴重な時間を割かなくて構わないという意図なのは汲み取れる。
それに、わざわざ使徒公園で絵を渡したりするなど、カズキの『表舞台に出たくない』という気持ちを察してくれているのだろう。
しかしカズキには、この作品についてしっかり見届けたいという気持ちが強かった。
ロクがこちらの想定以上にこの短剣について真剣に考えており、気持ちを込めてくれていたのだと解れば、カズキも同じくらいの熱量を持って行方を見届けたい――そう思うようになったのだ。
「でもこの短剣と絵はロクだけのものじゃない。俺も共同制作者なんだから、この短剣と絵がどんな風にどんなプレイヤーの手に渡るのか、ちゃんと見ておきたいんだ」
「ほー。なるほどねぇ。そう言われちゃあ断れないな。よし、じゃあ二人で回るか」
にかっと不敵な笑みを浮かべたロクは、「付いてきな」と言うと使徒公園から東へと向かう。
使徒公園はレイクファイドのほぼ西端にあるので、レイクファイドの賑わいに出るには、普通なら東に向かうしかなかった。
歩いて数分で、中央の大通りから枝分かれするように伸びた道の一つに合流する。
ロクは暫くそこを先導していたが、途中で路地裏のような道に曲がった。
「この企画を持ち上げた時から本命は決めてんだ。テンプレでもそこそこ凝ったデザインのものはあって、そういうのばっかりレア素材で鍛えたようなのを扱ってるミーハー御用達の頭の痛くなるような鍛冶屋が近くにある」
「ボロクソ言うなあ……」
「女店主だしな。あとは察してくれ」
なるほど、つまりその女店主のことはそこまで良く思っていないんだろうな。
そう考えたが、ロクの話を聞く限りではこの短剣を売るにはうってつけのように思えた。
絵を付けることで値段が上がるのを想定していたため、素材はそこまで貴重なものではない。
高レア素材だからSSの見栄えが良くなるとは限らないらしい。
もちろん、高レア素材の方が『強い』。
しかし『美しい』には基本的に影響せず、スピカのような『強さより美しさに拘るプレイヤー』相手ならなんの問題もないというわけだ。
「ここだ」
ロクが、とある建物の前で立ち止まる。
青みがかったグレーの壁にぽつんと扉だけが嵌め込まれているような、なんとも形容しがたい景観の店であった。
雰囲気で言うなら、打ちっ放しのコンクリートに無理矢理扉を取り付けたような、人工的で暖かみのない印象を受ける。
看板も無ければ、灯りらしいものも扉の上に付けられた小さくシックなランタンしかない。
此処が本当にミーハー御用達の鍛冶屋?
そんな疑念が自然と湧き上がるが、ロクはお構い無しに扉を開ける。
「よぉ、リチリア。居るんだろ」
入るなりやや大きな声をあげるロクであったが、ほどなくしてカウンターの中に居た女性が振り向いた。
分厚い本に目を落としていたようであったがそれに栞を挟むとカウンターに置き、胡乱げな視線を寄越してくる。
それと同時に、カズキは圧倒された。
カウンターの内側に掛けられた剣、槍、鉾、盾、鎧――それら全てが、例えばリャンの店で見たものとはまるで雰囲気が違う。
煌びやかで、高級感があり、意匠も繊細で――そう、一言で言うなら『美しい』。
「居るに決まってンだろクソガキ。あたしゃこれがこの世界での仕事だよ」
しかしそんな感動も、リチリアと呼ばれた女性のハスキーすぎるほどハスキーな声によって現実へと強引に引き戻された。
声も声だが口調があまりにも汚い。
なるほど確かにこれはロクもボロクソ言いたくなる。
それに、女店主の服装は対照的にグレーを基調としたシンプルなドレスだった。
雑に後ろへと撫で付けた髪も銀というより古ぼけたグレーで、粗忽な印象すら受ける。
扱っている商品の豪奢さとあまりにも違いすぎて、少々の困惑すら覚えてしまった。
「あーそうかいそうかい。じゃあ仕事ついでに買取りを頼む。おそらく前例の無いレア物を持ってきた」
「ほぉん? お前がそこまで言うのは珍しい。見せてみな」
リチリアはカウンターの上に肘をつくと指を組みそこに顎を乗せた。
声は少し弾んでいたが、期待していると言うよりはただ面白がっているようにも聞こえる。
「オリジナルデザインのSS用短剣。しかも一点物の水彩画付き」
ロクはアイテムインベントリから短剣と絵を取り出し、カウンターに置いた。
ちょっと失礼するよ、と言ってからリチリアはそれを手に取ってしげしげと眺める。
「こりゃまた奇怪なモン持ってきたねェ。ふむ、モチーフは翼と百合か。幾ら?」
「……20万」
低く呟いたロク。
リチリアは答えない。
……20万リルと言ったら、カズキも相場には詳しくないがフェザーブレードの数倍だ。
ロクは『行けそうなら1.8倍』と言っていた。
恐らく、そのくらいの値段設定だ。
「……成る程、成る程」
くつくつと喉の奥で笑いを零す。
ぱんと手を叩くと、リチリアは気持ちの良いほどはっきりした声で答えた。
「解った。20万リルで買い取ってやるよ」
「……やった」
思わず口角が綻ぶ。
カズキの、XYZ ONLINEでの絵描きとしての大きな一歩だった。
20万リルとくればカズキにとっては大金。
目の前でロクとリチリアがリルのトレードを行なっていたが、現実感がない。
ふわふわしていて、まだ実感が持てそうにない。
リチリアはロクに支払いを終えてからも暫く短剣を眺めていたが、はっきりとカズキのほうを見ながらこう言ってきた。
「せっかく面白いモンなのに、名前が素材のまんま『スチールダガー』なのは頂けないねェ。デザインしたのはお前? なんか名前を考えてくれよ。その方が売れる」
「……名前?」
完全に失念していた。
確かにこの剣は、公式の用意したテンプレートに沿って作った場合と同じく素材に準じた名前が自動で付けられている。
フェザースチールの剣がフェザーブレードであるように、ただのスチールで出来ているこの剣はスチールダガーと付けられていた。
この剣をデザインしたときに想像したのは、優雅な女性プレイヤーだ。
例えるなら高貴な女神のような、もしくは天使のような。
白百合のような雰囲気と美しい翼を持つ、そんなイメージ。
――ならば、名前は。
「……アンジュダガー。その短剣は、アンジュダガーで頼む」
その言葉を受けて、リチリアは口の端を持ち上げた。
再びくくっと喉の奥を鳴らすと、アンジュダガーと名付けられたばかりのそれを軽く持ち上げて、天井のライトの光に翳すような仕草を見せる。
「天使のダガーとは大きく出たね、ただのスチールのくせに。でもその豪胆さ、あたしは嫌いじゃない。良いよ、解った。アンジュダガーにリネームしてから店頭に出す」
「よろしくお願いします」
思わず、深々と頭を下げてしまう。
これはまだ第一歩だ。
ちゃんと、見ず知らずのプレイヤーが見つけて買ってくれなければ、XYZ ONLINEでのデザイナーとしての仕事が出来たとは言えない。
誰かに頭をわしわしと掻き回される。
それがカウンターから身を乗り出したリチリアの行動と理解するまで数秒かかった。
「ロクの連れにしてはスレてない奴だねェ、気に入った! このダガーはあたしが責任持って管理して、売るよ。売れたらロクに連絡してやるから、お前は次の作品の構想でも練ってな」
リチリアに言われてはっとなった。
――そうだ、次。
アンジュダガーが一先ず卸せたことで安心したのか、急に洪水のようにアイデアがどっと湧いてくる。
早くスケッチして、イメージを纏めておきたくなった。
こうして実際に自分のアイデアがアイテムとなり売れると解ったことで、創作意欲が止まらない。
「そうだな。……ロク! ちょっとアイデア思いついたから俺はすぐにアジトに帰ってスケッチするよ。じゃあな!」
居ても立っても居られなくなり、リチリアの店から飛び出した。
その後ろ姿を見て、ロクは肩を竦め、リチリアはまたくつくつと笑うのであった。
「……まぁ、多少は」
8月30日。
暑い盛りの8月を残すところあと1日と少しとした、時刻21:30のこと。
夏の夜特有のぬるい空気が風に流されて頬を撫でる。
カズキはロクと、アジトではなくレイクファイドに存在する公園では最も僻地にある通称『使徒公園』で待ち合わせていた。
先にベンチに座って待っていた小柄な姿を見つけるとカズキは駆け寄って、隣に腰を降ろす。
使徒公園は、前作Desiny Lifeで重要NPCであった12人の天界人と同じ姿形をした彫像が、時計の文字盤のようにぐるりと等間隔で周囲に設置されていることからその異名が付いた場所である。
正式な名前は存在しない。
あくまでこの街に複数ある公園を区別する為の俗称だ。
12人の使徒はXYZ ONLINEではその存在の気配すら一切示唆されておらず、ただの前作ファンへのサービスであろうと言われていた。
しかし、魅力的なNPCであった彼らがなんらかの形でまた関わってくるのではないだろうかと期待するプレイヤーも多いらしい。
さて、そんな使徒公園で何故待ち合わせをしていたかと言うと。
「じゃあ見せる。……これ」
カズキは周囲を警戒するようにキョロキョロと視線を配らせ、こちらに注目しているプレイヤーが誰も居ないのを確かめるとアイテムインベントリから一つのアイテムを取り出す。
ざらりとした質感の画用紙を、シンプルな額縁に収めたもの――そう、ロクに鍛えてもらった『観賞用短剣』の絵が完成したのだ。
「……ふむ」
ロクはそれを見ると、まるで熟練の職人のような目付きに変わった。
額縁を受け取り、角度を変えたり顔との距離を変えたりしながら、じっくりとそれを眺めている。
暫しの静寂が二人の間に横たわり、カズキが膝の上で握る両手には無意識で力が込められた。
「……どう? 俺としては、なかなか良く描けた自負があるんだけど」
「……そうだな、うん」
短い応答の後、ロクは自分のアイテムインベントリに絵を収納する。
それからカズキが初めて見るほどの笑顔を浮かべたかと思えば、カズキの肩をバシバシと叩いた。
「最ッ高だ! これは売れる。こんな試み、まだ誰もしてないだろ。俺達が第一人者だ。そう思うとワクワクが止まらないな、これ!」
「お、おぉ……?」
突然テンションがハイになったロクに若干面食らう。
彼はどちらかというと普段は朴訥としていて、こんな高いトーンで喋るようなキャラではないはずだと認識していた。
しかしよくよく考えれば、こちらの描いた絵に感動してくれているとも捉えられるので、そこは素直に喜びを受け取っておくべきだろう。
「問題は値段設定だな……いや、その前に買い取ってくれる鍛冶屋を探さにゃならん。絵は唯一性のある一点物だし決して価値は低くないはずだが、あくまで添え物だ。となるとあまり高額を吹っかけても難色を示される可能性が高い。そこは了承してくれるか」
ロクはカズキをバシバシと叩く手を引っ込めると、指先で軽く顎を撫でながら販売プランについて考え出した。
その仕草がまるで顎髭を撫で付ける老人のように見えて、小柄な小巧なのに妙に含蓄を備えているように映る。
本当に高校生なのか、こいつは。
「そうだな……まず絵が付いてるってのも確実に喜ばれるオプションとは限らない、と俺は思う。でも短剣そのものはスピカにも少し驚かれたくらいだから、相場の1.2倍か1.5倍程度くらいにしてみたら良いんじゃないか」
「成る程。ターゲットは明確に絞ってある。見栄えの良い装備を探してる連中だ。そういうミーハーな奴らなら絵を喜ぶ可能性は高いだろ、確実ではなくても。なら1.5倍あたりで交渉してみるか。イケそうなら1.7倍……いや、1.8倍で行こう。……つーか、スピカに見せたのか。これ」
うんうん、と自分の発言に納得したように頷くと、ロクは少しだけ声のトーンを落とした。
それはどこか訝しむような声色でもあり、快か不快で言えば不快寄りのものに思える。
「見せたと言うか、見られたと言うか……」
「まぁでもあいつは弓使いだからなぁ。短剣は使わねぇか」
ここでもまたスピカか。
と思わなくもない。
目の肥えたプレイヤーでも驚いたのだ、という意味で名前を出したものの、言う必要は無かっただろうか。
ロクもあまりスピカにはいい印象が無いらしいが、絵を見られるくらいなら大した問題ではない気がする。
短剣は使わない、という言葉を受けて、スピカが銃士を目指している話を思い出した。
スピカが剣のスキルを上げる為に、見栄えを重視して刀身に幅があるものではなく細身のレイピアを使っていたことは記憶に新しい。
なら、スピカにこの短剣が売れる可能性はあるかもしれない。
自分の絵をXYZ ONLINEで売る、という行為に気恥ずかしさを覚えた為にわざわざこんな場所でロクに絵を渡したり、デザインの原画もロクにしか見せていなかったりするが、スピカは喜びはしても貶してくるような人物ではないだろう。
それに有名コスプレイヤーのスピカが使ってくれたら、宣伝効果も見込めるのではないだろうか。
そういった考えを掻い摘んで伝えると、ロクは眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「うーんん……カズキがそう言うならスピカに売るのもアリっちゃアリだが、問題が2点ほど」
「ひとつじゃないのか」
「まずひとつ。身内に売っても仕方なくないか?」
短い人差し指をピンと立てると、ロクはスピカに売るべきではない理由の説明を始める。
スピカは『トロヴァトーレ』のギルドメンバーだ。
なので彼女が主に接するプレイヤーもやはり『トロヴァトーレ』のメンバーが多くなる。
となると、この短剣を見かけるプレイヤーも『トロヴァトーレ』内だらけということになり、結局身内で盛り上がるだけになってしまうのではという危惧がある。
迷宮で拾ったアイテムをギルド内で融通するのとは話が違う。
ロクも多少は野望と言うか野心のようなものがあるらしく、せっかくカズキと共同で会心の仕事をしたのだから人目に触れたいという思いが強いようだ。
『トロヴァトーレ』内で人気を博しても、未来に繋がらない。
そう言いたいらしい。
そして、2点の問題のもうひとつ。
これを説明する時、ロクはさらに声を潜めた。
「もうひとつ。これは言いたかないが、あいつ0chでの悪評凄いぞ」
「……れーちゃん?」
「そこからしないとダメか、説明」
『れーちゃん』という単語を鸚鵡返しにして首を傾げるカズキを見て、ロクは眉尻を下げる。
どうにも、MMORPGをしているなら知っていて当たり前のことがカズキにはいちいち欠けていることはある程度予想、もしくは理解していたらしく、うーむと唸ってから説明を始めてくれた。
『れいじーちゃんねる』。
略して、俗称が0ch。
平たく言うなら、『極めて匿名性の高い、様々なカテゴリに細分化された巨大掲示板サイト』である。
書き込みの際にハンドルネームを使うという文化はなく、むしろハンドルネームを無闇に名乗ると却って袋叩きに遭うという。
掲示板のカテゴリは今晩のおかず相談から合法ドラッグ、R-18なものから野球中継まで多岐に渡る。
そして『VRMMO板』というVRMMOの話題に絞った掲示板もあり、XYZ ONLINEに関するスレッドもそこには立ち続けていた。
しかし、XYZ ONLINEではまだスピカの話題はほぼ出ていないのがロクの見た限りの認識らしい。
問題はXYZ ONLINEではい。
前作Destiny Lifeだ。
当時のスピカについては過去ログに収納されたスレッドに何度か話題が上っていたらしく、誰とは言わないがとある人から『スピカには気を付けろ』と言われた時に過去ログを漁ったらしい。
男性プレイヤーにアイテムを貢がせるだけ貢がせて捨てたとか。
オフラインイベントに出演が決まった際我儘放題だったとか。
高額な衣装を何着も持っていたので、規約違反のRMTに手を出しているのではないかとか。
「……まぁ、俺含めて0chの書き込みを鵜呑みにするようなアホだらけではないが、火の無いところに煙は立たないだろ」
「……なるほど」
カズキも、ずっと引っかかっていることがあった。
スピカに強引に『絵を描いてくれ』と迫られた、あの時。
アマリが言っていた言葉が気になっていたのだ。
――どうせ飽きたら捨てるんでしょ、前みたいに!
あの時の『前みたいに』とは、Destiny Lifeでのことだと考えれば、今のロクの説明と照らし合わせて辻褄が合う。
「だからまぁ……スピカを悪く言いたくはないが、俺はこの力作、しかも処女作をスピカに預けるのは反対だ。鍛冶屋に卸して、そっからスピカが自力で見つけて買うならいい。そこには俺達の『スピカに売ろうとした』という意思は入らないからな」
「……解った」
ロクの気持ちも、解らないわけではなかった。
ロクだって、公式のテンプレートではなくカズキの用意したデザインで短剣を鍛えることには多少の苦労をしたらしい。
カズキも公式のテンプレートに出来るだけ仕様を寄せて作ったつもりであったが、いくら自由なXYZ ONLINEと言えど、難しいものがあったようだ。
しかし彼が出した結果は完成品を見れば一目瞭然のもので、カズキの期待以上のクオリティで短剣を仕上げてくれた。
そんな、苦労をして作った記念すべき第1作に後ろ暗いエピソードを付随させたくはない。
そう思うのも無理からぬことだろう。
「さて……鍛冶屋も今夜中に当たっておくかな。なにせ俺は明後日から学校だし。まぁなんだ、ある程度アタリは付けてあるからそこを巡るだけでいいし」
「……俺も付いて行って良いかな」
「良いけど、歩き回るぞ。そんな時間があるならアマリあたりを誘って迷宮に行った方が良いんじゃないのか」
すっくと立ち上がったロクに続いて立ち上がり、同行したいと伝えたが気遣われた。
同行するのが嫌なのではなく、おそらくカズキを学生とは思ってないロクからすれば、貴重な時間を割かなくて構わないという意図なのは汲み取れる。
それに、わざわざ使徒公園で絵を渡したりするなど、カズキの『表舞台に出たくない』という気持ちを察してくれているのだろう。
しかしカズキには、この作品についてしっかり見届けたいという気持ちが強かった。
ロクがこちらの想定以上にこの短剣について真剣に考えており、気持ちを込めてくれていたのだと解れば、カズキも同じくらいの熱量を持って行方を見届けたい――そう思うようになったのだ。
「でもこの短剣と絵はロクだけのものじゃない。俺も共同制作者なんだから、この短剣と絵がどんな風にどんなプレイヤーの手に渡るのか、ちゃんと見ておきたいんだ」
「ほー。なるほどねぇ。そう言われちゃあ断れないな。よし、じゃあ二人で回るか」
にかっと不敵な笑みを浮かべたロクは、「付いてきな」と言うと使徒公園から東へと向かう。
使徒公園はレイクファイドのほぼ西端にあるので、レイクファイドの賑わいに出るには、普通なら東に向かうしかなかった。
歩いて数分で、中央の大通りから枝分かれするように伸びた道の一つに合流する。
ロクは暫くそこを先導していたが、途中で路地裏のような道に曲がった。
「この企画を持ち上げた時から本命は決めてんだ。テンプレでもそこそこ凝ったデザインのものはあって、そういうのばっかりレア素材で鍛えたようなのを扱ってるミーハー御用達の頭の痛くなるような鍛冶屋が近くにある」
「ボロクソ言うなあ……」
「女店主だしな。あとは察してくれ」
なるほど、つまりその女店主のことはそこまで良く思っていないんだろうな。
そう考えたが、ロクの話を聞く限りではこの短剣を売るにはうってつけのように思えた。
絵を付けることで値段が上がるのを想定していたため、素材はそこまで貴重なものではない。
高レア素材だからSSの見栄えが良くなるとは限らないらしい。
もちろん、高レア素材の方が『強い』。
しかし『美しい』には基本的に影響せず、スピカのような『強さより美しさに拘るプレイヤー』相手ならなんの問題もないというわけだ。
「ここだ」
ロクが、とある建物の前で立ち止まる。
青みがかったグレーの壁にぽつんと扉だけが嵌め込まれているような、なんとも形容しがたい景観の店であった。
雰囲気で言うなら、打ちっ放しのコンクリートに無理矢理扉を取り付けたような、人工的で暖かみのない印象を受ける。
看板も無ければ、灯りらしいものも扉の上に付けられた小さくシックなランタンしかない。
此処が本当にミーハー御用達の鍛冶屋?
そんな疑念が自然と湧き上がるが、ロクはお構い無しに扉を開ける。
「よぉ、リチリア。居るんだろ」
入るなりやや大きな声をあげるロクであったが、ほどなくしてカウンターの中に居た女性が振り向いた。
分厚い本に目を落としていたようであったがそれに栞を挟むとカウンターに置き、胡乱げな視線を寄越してくる。
それと同時に、カズキは圧倒された。
カウンターの内側に掛けられた剣、槍、鉾、盾、鎧――それら全てが、例えばリャンの店で見たものとはまるで雰囲気が違う。
煌びやかで、高級感があり、意匠も繊細で――そう、一言で言うなら『美しい』。
「居るに決まってンだろクソガキ。あたしゃこれがこの世界での仕事だよ」
しかしそんな感動も、リチリアと呼ばれた女性のハスキーすぎるほどハスキーな声によって現実へと強引に引き戻された。
声も声だが口調があまりにも汚い。
なるほど確かにこれはロクもボロクソ言いたくなる。
それに、女店主の服装は対照的にグレーを基調としたシンプルなドレスだった。
雑に後ろへと撫で付けた髪も銀というより古ぼけたグレーで、粗忽な印象すら受ける。
扱っている商品の豪奢さとあまりにも違いすぎて、少々の困惑すら覚えてしまった。
「あーそうかいそうかい。じゃあ仕事ついでに買取りを頼む。おそらく前例の無いレア物を持ってきた」
「ほぉん? お前がそこまで言うのは珍しい。見せてみな」
リチリアはカウンターの上に肘をつくと指を組みそこに顎を乗せた。
声は少し弾んでいたが、期待していると言うよりはただ面白がっているようにも聞こえる。
「オリジナルデザインのSS用短剣。しかも一点物の水彩画付き」
ロクはアイテムインベントリから短剣と絵を取り出し、カウンターに置いた。
ちょっと失礼するよ、と言ってからリチリアはそれを手に取ってしげしげと眺める。
「こりゃまた奇怪なモン持ってきたねェ。ふむ、モチーフは翼と百合か。幾ら?」
「……20万」
低く呟いたロク。
リチリアは答えない。
……20万リルと言ったら、カズキも相場には詳しくないがフェザーブレードの数倍だ。
ロクは『行けそうなら1.8倍』と言っていた。
恐らく、そのくらいの値段設定だ。
「……成る程、成る程」
くつくつと喉の奥で笑いを零す。
ぱんと手を叩くと、リチリアは気持ちの良いほどはっきりした声で答えた。
「解った。20万リルで買い取ってやるよ」
「……やった」
思わず口角が綻ぶ。
カズキの、XYZ ONLINEでの絵描きとしての大きな一歩だった。
20万リルとくればカズキにとっては大金。
目の前でロクとリチリアがリルのトレードを行なっていたが、現実感がない。
ふわふわしていて、まだ実感が持てそうにない。
リチリアはロクに支払いを終えてからも暫く短剣を眺めていたが、はっきりとカズキのほうを見ながらこう言ってきた。
「せっかく面白いモンなのに、名前が素材のまんま『スチールダガー』なのは頂けないねェ。デザインしたのはお前? なんか名前を考えてくれよ。その方が売れる」
「……名前?」
完全に失念していた。
確かにこの剣は、公式の用意したテンプレートに沿って作った場合と同じく素材に準じた名前が自動で付けられている。
フェザースチールの剣がフェザーブレードであるように、ただのスチールで出来ているこの剣はスチールダガーと付けられていた。
この剣をデザインしたときに想像したのは、優雅な女性プレイヤーだ。
例えるなら高貴な女神のような、もしくは天使のような。
白百合のような雰囲気と美しい翼を持つ、そんなイメージ。
――ならば、名前は。
「……アンジュダガー。その短剣は、アンジュダガーで頼む」
その言葉を受けて、リチリアは口の端を持ち上げた。
再びくくっと喉の奥を鳴らすと、アンジュダガーと名付けられたばかりのそれを軽く持ち上げて、天井のライトの光に翳すような仕草を見せる。
「天使のダガーとは大きく出たね、ただのスチールのくせに。でもその豪胆さ、あたしは嫌いじゃない。良いよ、解った。アンジュダガーにリネームしてから店頭に出す」
「よろしくお願いします」
思わず、深々と頭を下げてしまう。
これはまだ第一歩だ。
ちゃんと、見ず知らずのプレイヤーが見つけて買ってくれなければ、XYZ ONLINEでのデザイナーとしての仕事が出来たとは言えない。
誰かに頭をわしわしと掻き回される。
それがカウンターから身を乗り出したリチリアの行動と理解するまで数秒かかった。
「ロクの連れにしてはスレてない奴だねェ、気に入った! このダガーはあたしが責任持って管理して、売るよ。売れたらロクに連絡してやるから、お前は次の作品の構想でも練ってな」
リチリアに言われてはっとなった。
――そうだ、次。
アンジュダガーが一先ず卸せたことで安心したのか、急に洪水のようにアイデアがどっと湧いてくる。
早くスケッチして、イメージを纏めておきたくなった。
こうして実際に自分のアイデアがアイテムとなり売れると解ったことで、創作意欲が止まらない。
「そうだな。……ロク! ちょっとアイデア思いついたから俺はすぐにアジトに帰ってスケッチするよ。じゃあな!」
居ても立っても居られなくなり、リチリアの店から飛び出した。
その後ろ姿を見て、ロクは肩を竦め、リチリアはまたくつくつと笑うのであった。
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