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芽吹く春 ミツキの告白
鳥山志桜里という人
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日中は穏やかな陽気です。一言で表すならば、お天気お姉さんもそんな風に言うに違いない。日差しが柔らかく、躊躇《ちゅうちょ》していた桜のつぼみが一気に花を咲かせていた。駅前の桜並木の透けた花びらが桜色に香り、春を告げる。空色と春色の濃淡《のうたん》に少しだけ浮足立つが、横を見てすぐに自我がモノクロームに染まった。
昨晩の出来事が嘘のように、ミツキは僕から少しだけ距離を取って立っていた。意識してしまうのは僕だけなのかな。もしかしたら、ミツキの中に別の人格がいて昨晩の出来事を今の人格は知らない、とかだったら嫌だ。気付かぬうちに何度も視線を送っていたようで、ミツキは、どうしたのですか、と投げかけてくる。僕は、なんでもない、とだけ言って再び桜を見るふりをする。今まで以上に気まずくなってしまった。本当に辛い。
郵便局の前に一台のタクシーが停まると、垂直に降下するパワーウィンドウから、オリーブアッシュの色の髪が窺《うかが》える。少し毛先に動きのついた肩くらいの長さに伸びた髪の毛が、少しばかり時間の流れを感じさせた。僅《わず》か一月会っていないだけで随分と変わってしまったものだ、と感じたが、よくよく考えれば、志桜里《しおり》は会うたびに印象が違うことに気付く。
「やほー。ミツキ元気してる?」
茶目っ気のある大きな瞳で、ミツキを見ながら右手を伸ばして求める握手は再会を祝福しているのか、あるいは憂いを抱いているのか。僕には分からなかったが、ミツキは微笑んで、求めに応じて右手を伸ばす。指先が互いに抱き合うように絡みつくと、ミツキは嬉しそうに桃色の唇を開いた。
「うんうん。志桜里ちゃんも元気にしてましたか?」
タクシーのドアが開いて、ミツキは志桜里の隣に座り、僕は助手席に乗り込んだ。志桜里は、僕の顔を見るなり怪訝そうに訊ねる。
「シュンって、ミツキと仲良いの?」
いきなり来たか、と僕は嘆息したが、隠しても仕方がないと思い志桜里に告げようと後ろを振り向く。だが、タクシーの運転手がそれを遮る。業務的に訊ねる言葉は、どちらまで。僕は、ネイキッドオータムカフェまで、と告げて再び振り返った。志桜里どころか、ミツキまでも、真犯人を結末前に気付いたミステリー小説の読者のように眉尻を下げながら訊ねる。
「あれ、シュン君、志桜里ちゃんと知り合い……だったのですか?」
「だって、お互いに同じダンススクールに三歳から通っていたんだから、知り合いもなにも」
僕の代わりに答える志桜里は、一瞬僕に目配りをする。だまっていて、と。僕がミツキと知り合っていたことが気に食わないのかもしれない。嫉妬深い志桜里のことだから、怒りの矛先を僕に向けるのは仕方ないにしても、不快だ。いや、もしかしたら全然そんなことはなく、むしろ僕の反応を見ているだけかもしれない。志桜里は少しだけ、小悪魔だから。
「そう……だったのですね」
志桜里は僕に、一〇時に郵便局前に迎えに行くと連絡をしてきた。同じようにミツキも志桜里から一〇時にこの場所に来いと言われたのだから、志桜里からしてみれば、僕とミツキがここで初対面して自己紹介でもするように仕向けたのかもしれない。だが、実際は、僕とミツキがすでに知り合っていた。ミツキは、僕を志桜里と会わせるのは初めてという認識だったのだから、話がこじれている。要は、志桜里もミツキも、互いに僕を紹介させたかったようだった。しかし、それは何のために?
ネイキッドオータムカフェは、街の中心から少し外れていて静かな場所に佇《たたず》んでいる。入り口には海に流れ着いた流木でこしらえたブランコが置かれていて、看板も同じように作られていた。ところどころ、エアープランツが息をひそめている。あえて錆びさせたアメリカの道路標識が粋がって、中に入れと僕たちを見下していた。
店内の中心に巨大なミモザやシルバーブルニア、ソフトストーべなどのドライフラワーをいくつも活けて作られたツリーが飾られた柱が立っていて、それを囲むように昭和の時代に使われていたミシン台が、テーブルになっている。ブリキのおもちゃがそこら中で僕たちを見張っていて、壁に掲げられたモザイク調のゴッホのひまわりが、周囲に溶け込もうとはせずに、存在を浮かせている。
「おしゃれなカフェですね。朱莉さんのお家なのですよね?」
「うん。一応ね」
僕たちが一番奥の四人掛けのテーブルに座ると、白髪に近い金髪で切れ長の目をした店員が僕たちの前で頭を下げた。
「いらっしゃい。朱莉がいつもお世話になっています」
「怜《れん》さん。こちらこそ、いつも朱莉にお世話になっています」
「あ、今日は俺からのサービスだから、ゆっくりしていってね。アイドルさんたち」
爽やかな笑顔で踵《きびす》を返すと、怜はカウンターの向こうに消えていく。このカフェに来る女性の客の大半は、彼を目当てに来ると言っても過言ではない。白い肌と美しいプラチナブロンドのお兄さんは、ヴァンパイアのように蠱惑的《こわくてき》で、彼に生き血を啜《すす》られたい、という女性がきっと後を絶たないのだろう。十字架とにんにくが効けばいいけど。
「良かった。シュン良いお店紹介してくれてありがと」
僕の隣に座った志桜里は、僕の顔を人差し指でつんつんと刺すと、いきなり左腕に抱きついてきた。それを見ていたミツキは、訝《いぶか》しんで志桜里に訊ねる。
「もしかして、志桜里ちゃんの言っていた、好きすぎて将来結婚する人って、シュン君のこと……なのですか?」
陰ったミツキの表情は眉間に皺《しわ》を寄せていて、静かに吐き出す言葉が自分の口腔内を傷つけていくかのように、痛々しく目元を歪ませていた。人前であまり動じないミツキにしてみれば、珍しい顔とも言える。
「うん。シュンが倒れた日から決めているの。私がいなければ、きっとシュンはだめになっちゃうからさ」
「ええっと、シュン君はどう思っているのですか?」
やはりこういう流れになるのか。丸く収めるのは難しいかもしれない。店内に痛快に流れるレコードの『|ラジオスターの悲劇』。美女二人と男性ヴォーカルが交互に歌うこの曲は、僕もよく知っていた。そのあとに流れたのは『Lovin’ you』。テレビに殺された歌手と一途に愛をうたう人。僕はどちらも選べない。
腕にしがみつく志桜里を引きはがして、僕は深くため息をついた。もし、ミツキ出会わなければ、悩むこともなかったのかもしれない。ミツキと出会う少し前までは、志桜里と結婚しても良いかもしれないと思っていたくらいだ。僕の一番の理解者で、誰よりも大切な存在、だったのだから。
「ごめん。志桜里には本当に感謝しているし、すごく大切な存在だと思っている。でも、少し考えさせてくれないかな」
僕の言葉に、志桜里は少し俯いて唇を噛んだ。しかし、これはいつものこと。志桜里は決して折れない。幼少の頃から僕に何度拒絶されたとしても、志桜里はめげずに僕の後を追ってくる。
それは、ポカリを一緒に飲んだあの日も同じだった。志桜里は僕に告白をした。だけど、僕は応えることができなかった。だが、事件はその後に起きる。泣きながら追ってきた志桜里は、倒れていた僕をざあざあ降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら見つけた。もし、志桜里の心が折れていたならば、僕は死んでいたかもしれない。
「——いいわ。でも、すでに運命は決まっているでしょ。シュンは絶対に私のところに帰ってくる。昨日の手相占いでも、先週のタロットでも、みんな言うことは同じなの。シュンは絶対に私のところに来るって」
「占いかよ。僕の人生を勝手に誰かに決めさせるなんて、納得がいかない」
「……志桜里ちゃんって占いが好きですもんね。」
怜がカウンターの向こうから、人のよさそうな顔をしてレモネードを運んできた。ティアドロップの中で弾けた泡が、ミントとレモンに抱きついている。青いストライプのストローがすでに夏を告げていて、僕たちの会話はいつの間にかレモネードの清流の中に流されていった。
「おいしそう。今日は少し暑いくらいだから、冷たいもの飲みたいって思っていたのよね」
「うんうん。志桜里ちゃんは炭酸飲めるようになったのですか?」
大人になったからね。わたしも大人になりたいな。ミツキだっていい大人じゃない。全然ダメなのです。ふぅん、変わらないね。そうですかね。早く戻ってまた一緒にさ。……はい。
僕が、しばらく席をはずそうか、と訊ねると、二人は同時に否定した。レモネードの甘酸っぱい雫が舌の上で弾ける。僕は思わず二人を交互に見てしまった。喉を滑り落ちる冷たい感触が横隔膜の近くを叩いていき、僕は言葉に詰まる。ミツキも志桜里も好きだ、なんて言えるはずもない。
「お昼は食べていくよね。新しいパスタを考えたから、ぜひ試食していってよ」
怜はそう告げて、踵を返した。またカウンターの向こうで忙《せわ》しなく料理に勤しんでいるようだった。
「お兄さんって、同級生のお兄さんなの? なかなかカッコいいじゃん」
「朱莉《あかり》いわく、三次元の子には興味がないらしい」
僕の言葉の意味が理解できなかったのか、志桜里は小首を傾げた。怜には秘密があって、それを朱莉は躊躇なく話す。こんな妹がいたら嫌だ。そんなに兄を毛嫌いしないでくれよ。かわいそうだろ。
志桜里の求婚もなんとか逸らして、僕が安堵をしていると再び志桜里はドリフトをするタイヤに逆ハンドルのカウンターを決めて、ミツキと僕の関係を追求し始めた。どこで知り合ったのか、なぜ偶然にも知り合えたのか。志桜里の転がすタイヤはどれほど摩擦で焼き付いているのだろう。きっと、ミツキと僕が同じ敷地に住んでいることを知ったならば、燃え上がってしまうかもしれない。大クラッシュをして周りを巻き込み、派手に炎上しながらミツキも僕も脱出不能になってしまう。
「ダンス部に一緒に入った人っていうのがシュン君で……」
「やっぱり……そうなのね。一緒にダンス部に入った人ってシュンのことなのよね?」
「違う。志桜里、ミツキちゃんじゃなくて、僕の意思で入ったんだ」
「シュンは心臓に負担を掛けられないの。ミツキは知らなかっただけなのよね?」
ミツキは当然、志桜里が僕を救い出したことを知らないし、僕のことを誰よりも心配していることも知るはずがない。志桜里は、僕にダンスを二度とさせたくないのだろう。もう二度と僕の死んだように眠る姿は見たくない、と泣かれたこともあった。
「違うって。ミツキちゃんは悪くないんだよ。志桜里、これは僕の意思だ」
「そうやって、私の知らないところで。どれだけ私が心配しているか知らないの!?」
「志桜里ちゃん……」
「ミツキ。ごめん。シュンはきっと無理しちゃう。付き合いが長いから、性格くらい知っているつもりなの。シュンは、結局、チームのため、とか。仲間のために、とか、そういう状況になると、絶対に無理しちゃう。ね、シュン、お願いだからダンスはもう……」
「志桜里ちゃん! 絶対にわたしがそんなことさせないから。だから、お願いします。シュン君にダンスをやらせてあげて」
立ち上がったミツキに応じるように立ち上がる志桜里は、深くため息を吐いて、僕を一瞥すると瞳を閉じた。次に瞳を開けた時には、無表情で僕とミツキを交互に見て告げる。
「もし、シュンになにかあったら、私はミツキを許さない。例え、親友だったとしても、シュンを傷つけるようなことになったら、私は——」
「志桜里!!! ミツキちゃんは関係ないって言っているだろ! これは僕の問題なんだ。頼むから、ミツキを責めないでくれよ」
僕の言葉に落胆するように、志桜里は椅子に座り込んで今にも泣きそうな表情で俯いた。違うんだ。僕は志桜里を責めたいわけでも、泣かせたいわけでもないんだ。志桜里の気持ちはすごく分かるし、僕はひどいことをしているのも自覚している。でも、もう一度ダンスをしたいんだ。そこにミツキは関係ない。
「ごめん。ミツキに当たっちゃったね。そんなつもりじゃないの。ただ。ただ私は、シュンが心配で。もうあんな思いはしたくないの」
両手で顔を覆う志桜里に、ミツキは隣に立ち、座り込んで志桜里の顔を覗き込んだ。わたしのほうこそごめんね、と小さく呟くと、再び立ち上がって扉の向こうに消えていく。まさか、歩いて帰るわけでもないだろうし、少し外の空気を吸いにでも行ったのだろう。もしくは、この重い空気に耐えられなくなったのか、あるいは、僕と志桜里に気を使ったのかもしれない。
「シュンはミツキを庇《かば》うんだね。ミツキから聞いているの。ダンス部に一緒に入ってくれた人がいて、その人を今度紹介したいって。まさかシュンのことだったなんて」
今日の雰囲気を見て、なんとなくそうじゃないかなと思っていた、という志桜里の落胆ぶりは、僕の心を針で刺すようで、耐えられないものだった。
そうか。ミツキは全く無関係、と主張した僕の言葉はすべて藪蛇《やぶへび》になってしまったのだ。志桜里からすれば、僕がミツキを庇っていると受けとれる。しかし、どういう気持ちでミツキは僕を志桜里に紹介しようと思っていたのだろう。
「志桜里は、なんで僕をミツキに会わせたかったの?」
「写真家ミツキノミコトを紹介したかったの。もしかしたら、シュンに写真を撮ってもらって、やっぱりすごい、となれば、復活だって近づくかもしれないでしょ」
「それは、ミツキちゃんは知っているの?」
「言ってない。だって、ミツキノミコトの情報は絶対に流さないって約束でしょ?」
「まあ、そうだけど」
ミツキノミコトはインストグラムでフォロワー九〇万人を超える写真家である。だがその正体は謎のまま。僕がミツキノミコトだと知られてしまえば、大騒ぎになるし、情報を隠すからこそ謎めいていて、人は知りたがるのだ。だから、志桜里には絶対に僕のいないところで話さないで欲しいとお願いしている。
「だから、今日、シュンがオッケーを出してくれるなら、紹介しようと思っていたの」
それでお互いの話の食い違いができたということか。僕の予想では、ミツキは僕を志桜里に紹介して、元気だから心配せずにね、ということを言いたかったのではないだろうか。僕を志桜里に紹介しようとしていた意図として、自分は落ち込んでいないから大丈夫、と伝えたかったのではないだろうか。だが、あくまでも推測の域を出ない。
「分かった。ミツキのことは、僕がなんとかするから。あと、倒れるまでダンスはしない。これは約束する。だから、ミツキを責めないでほしい。ミツキの傍にいてやってほしい。これは、志桜里のためにも言っている。みすみす親友を無くすようなことするなよ」
「——分かった。でも、その約束忘れないで。ミツキを責めているわけじゃないの。ただ、私は、シュンもミツキも心配で、ついカッとなっちゃって」
俯き加減で僕の視線を逸らす志桜里は、わずかに眉を動かすと嘆息しながら、少しだけ首を振った。ステージ上で見せる志桜里のクールなキャラとは正反対だ。
今日はありがと。燃えたでしょ。愛しているわ。みんな。
ゆっくりと開いた扉から入ってきたショートボブの髪の子に、僕は思わず息を呑んでしまった。大きな瞳は猫のように甘えている普段の表情とは違い、眉根を寄せて怒っているようにも見える。
「ちょっと!! 誰なの!? 花山さん泣かせているのはッ!!!」
俯くミツキの前で両手を腰に当てた野々村朱莉《ののむらあかり》が、険しい表情で僕を睨《にら》んでいた。僕は半目を開き、いるはずがない朱莉が蜃気楼なのだと思い込んだ。なんで、やっと収集がつきそうな話し合いに出てきてしまったのだと。タイミングの神様みたいな存在がいたのなら、呪い殺したかった。話をややこしくしやがって。グミ攻撃は絶対に回避だ。
昨晩の出来事が嘘のように、ミツキは僕から少しだけ距離を取って立っていた。意識してしまうのは僕だけなのかな。もしかしたら、ミツキの中に別の人格がいて昨晩の出来事を今の人格は知らない、とかだったら嫌だ。気付かぬうちに何度も視線を送っていたようで、ミツキは、どうしたのですか、と投げかけてくる。僕は、なんでもない、とだけ言って再び桜を見るふりをする。今まで以上に気まずくなってしまった。本当に辛い。
郵便局の前に一台のタクシーが停まると、垂直に降下するパワーウィンドウから、オリーブアッシュの色の髪が窺《うかが》える。少し毛先に動きのついた肩くらいの長さに伸びた髪の毛が、少しばかり時間の流れを感じさせた。僅《わず》か一月会っていないだけで随分と変わってしまったものだ、と感じたが、よくよく考えれば、志桜里《しおり》は会うたびに印象が違うことに気付く。
「やほー。ミツキ元気してる?」
茶目っ気のある大きな瞳で、ミツキを見ながら右手を伸ばして求める握手は再会を祝福しているのか、あるいは憂いを抱いているのか。僕には分からなかったが、ミツキは微笑んで、求めに応じて右手を伸ばす。指先が互いに抱き合うように絡みつくと、ミツキは嬉しそうに桃色の唇を開いた。
「うんうん。志桜里ちゃんも元気にしてましたか?」
タクシーのドアが開いて、ミツキは志桜里の隣に座り、僕は助手席に乗り込んだ。志桜里は、僕の顔を見るなり怪訝そうに訊ねる。
「シュンって、ミツキと仲良いの?」
いきなり来たか、と僕は嘆息したが、隠しても仕方がないと思い志桜里に告げようと後ろを振り向く。だが、タクシーの運転手がそれを遮る。業務的に訊ねる言葉は、どちらまで。僕は、ネイキッドオータムカフェまで、と告げて再び振り返った。志桜里どころか、ミツキまでも、真犯人を結末前に気付いたミステリー小説の読者のように眉尻を下げながら訊ねる。
「あれ、シュン君、志桜里ちゃんと知り合い……だったのですか?」
「だって、お互いに同じダンススクールに三歳から通っていたんだから、知り合いもなにも」
僕の代わりに答える志桜里は、一瞬僕に目配りをする。だまっていて、と。僕がミツキと知り合っていたことが気に食わないのかもしれない。嫉妬深い志桜里のことだから、怒りの矛先を僕に向けるのは仕方ないにしても、不快だ。いや、もしかしたら全然そんなことはなく、むしろ僕の反応を見ているだけかもしれない。志桜里は少しだけ、小悪魔だから。
「そう……だったのですね」
志桜里は僕に、一〇時に郵便局前に迎えに行くと連絡をしてきた。同じようにミツキも志桜里から一〇時にこの場所に来いと言われたのだから、志桜里からしてみれば、僕とミツキがここで初対面して自己紹介でもするように仕向けたのかもしれない。だが、実際は、僕とミツキがすでに知り合っていた。ミツキは、僕を志桜里と会わせるのは初めてという認識だったのだから、話がこじれている。要は、志桜里もミツキも、互いに僕を紹介させたかったようだった。しかし、それは何のために?
ネイキッドオータムカフェは、街の中心から少し外れていて静かな場所に佇《たたず》んでいる。入り口には海に流れ着いた流木でこしらえたブランコが置かれていて、看板も同じように作られていた。ところどころ、エアープランツが息をひそめている。あえて錆びさせたアメリカの道路標識が粋がって、中に入れと僕たちを見下していた。
店内の中心に巨大なミモザやシルバーブルニア、ソフトストーべなどのドライフラワーをいくつも活けて作られたツリーが飾られた柱が立っていて、それを囲むように昭和の時代に使われていたミシン台が、テーブルになっている。ブリキのおもちゃがそこら中で僕たちを見張っていて、壁に掲げられたモザイク調のゴッホのひまわりが、周囲に溶け込もうとはせずに、存在を浮かせている。
「おしゃれなカフェですね。朱莉さんのお家なのですよね?」
「うん。一応ね」
僕たちが一番奥の四人掛けのテーブルに座ると、白髪に近い金髪で切れ長の目をした店員が僕たちの前で頭を下げた。
「いらっしゃい。朱莉がいつもお世話になっています」
「怜《れん》さん。こちらこそ、いつも朱莉にお世話になっています」
「あ、今日は俺からのサービスだから、ゆっくりしていってね。アイドルさんたち」
爽やかな笑顔で踵《きびす》を返すと、怜はカウンターの向こうに消えていく。このカフェに来る女性の客の大半は、彼を目当てに来ると言っても過言ではない。白い肌と美しいプラチナブロンドのお兄さんは、ヴァンパイアのように蠱惑的《こわくてき》で、彼に生き血を啜《すす》られたい、という女性がきっと後を絶たないのだろう。十字架とにんにくが効けばいいけど。
「良かった。シュン良いお店紹介してくれてありがと」
僕の隣に座った志桜里は、僕の顔を人差し指でつんつんと刺すと、いきなり左腕に抱きついてきた。それを見ていたミツキは、訝《いぶか》しんで志桜里に訊ねる。
「もしかして、志桜里ちゃんの言っていた、好きすぎて将来結婚する人って、シュン君のこと……なのですか?」
陰ったミツキの表情は眉間に皺《しわ》を寄せていて、静かに吐き出す言葉が自分の口腔内を傷つけていくかのように、痛々しく目元を歪ませていた。人前であまり動じないミツキにしてみれば、珍しい顔とも言える。
「うん。シュンが倒れた日から決めているの。私がいなければ、きっとシュンはだめになっちゃうからさ」
「ええっと、シュン君はどう思っているのですか?」
やはりこういう流れになるのか。丸く収めるのは難しいかもしれない。店内に痛快に流れるレコードの『|ラジオスターの悲劇』。美女二人と男性ヴォーカルが交互に歌うこの曲は、僕もよく知っていた。そのあとに流れたのは『Lovin’ you』。テレビに殺された歌手と一途に愛をうたう人。僕はどちらも選べない。
腕にしがみつく志桜里を引きはがして、僕は深くため息をついた。もし、ミツキ出会わなければ、悩むこともなかったのかもしれない。ミツキと出会う少し前までは、志桜里と結婚しても良いかもしれないと思っていたくらいだ。僕の一番の理解者で、誰よりも大切な存在、だったのだから。
「ごめん。志桜里には本当に感謝しているし、すごく大切な存在だと思っている。でも、少し考えさせてくれないかな」
僕の言葉に、志桜里は少し俯いて唇を噛んだ。しかし、これはいつものこと。志桜里は決して折れない。幼少の頃から僕に何度拒絶されたとしても、志桜里はめげずに僕の後を追ってくる。
それは、ポカリを一緒に飲んだあの日も同じだった。志桜里は僕に告白をした。だけど、僕は応えることができなかった。だが、事件はその後に起きる。泣きながら追ってきた志桜里は、倒れていた僕をざあざあ降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら見つけた。もし、志桜里の心が折れていたならば、僕は死んでいたかもしれない。
「——いいわ。でも、すでに運命は決まっているでしょ。シュンは絶対に私のところに帰ってくる。昨日の手相占いでも、先週のタロットでも、みんな言うことは同じなの。シュンは絶対に私のところに来るって」
「占いかよ。僕の人生を勝手に誰かに決めさせるなんて、納得がいかない」
「……志桜里ちゃんって占いが好きですもんね。」
怜がカウンターの向こうから、人のよさそうな顔をしてレモネードを運んできた。ティアドロップの中で弾けた泡が、ミントとレモンに抱きついている。青いストライプのストローがすでに夏を告げていて、僕たちの会話はいつの間にかレモネードの清流の中に流されていった。
「おいしそう。今日は少し暑いくらいだから、冷たいもの飲みたいって思っていたのよね」
「うんうん。志桜里ちゃんは炭酸飲めるようになったのですか?」
大人になったからね。わたしも大人になりたいな。ミツキだっていい大人じゃない。全然ダメなのです。ふぅん、変わらないね。そうですかね。早く戻ってまた一緒にさ。……はい。
僕が、しばらく席をはずそうか、と訊ねると、二人は同時に否定した。レモネードの甘酸っぱい雫が舌の上で弾ける。僕は思わず二人を交互に見てしまった。喉を滑り落ちる冷たい感触が横隔膜の近くを叩いていき、僕は言葉に詰まる。ミツキも志桜里も好きだ、なんて言えるはずもない。
「お昼は食べていくよね。新しいパスタを考えたから、ぜひ試食していってよ」
怜はそう告げて、踵を返した。またカウンターの向こうで忙《せわ》しなく料理に勤しんでいるようだった。
「お兄さんって、同級生のお兄さんなの? なかなかカッコいいじゃん」
「朱莉《あかり》いわく、三次元の子には興味がないらしい」
僕の言葉の意味が理解できなかったのか、志桜里は小首を傾げた。怜には秘密があって、それを朱莉は躊躇なく話す。こんな妹がいたら嫌だ。そんなに兄を毛嫌いしないでくれよ。かわいそうだろ。
志桜里の求婚もなんとか逸らして、僕が安堵をしていると再び志桜里はドリフトをするタイヤに逆ハンドルのカウンターを決めて、ミツキと僕の関係を追求し始めた。どこで知り合ったのか、なぜ偶然にも知り合えたのか。志桜里の転がすタイヤはどれほど摩擦で焼き付いているのだろう。きっと、ミツキと僕が同じ敷地に住んでいることを知ったならば、燃え上がってしまうかもしれない。大クラッシュをして周りを巻き込み、派手に炎上しながらミツキも僕も脱出不能になってしまう。
「ダンス部に一緒に入った人っていうのがシュン君で……」
「やっぱり……そうなのね。一緒にダンス部に入った人ってシュンのことなのよね?」
「違う。志桜里、ミツキちゃんじゃなくて、僕の意思で入ったんだ」
「シュンは心臓に負担を掛けられないの。ミツキは知らなかっただけなのよね?」
ミツキは当然、志桜里が僕を救い出したことを知らないし、僕のことを誰よりも心配していることも知るはずがない。志桜里は、僕にダンスを二度とさせたくないのだろう。もう二度と僕の死んだように眠る姿は見たくない、と泣かれたこともあった。
「違うって。ミツキちゃんは悪くないんだよ。志桜里、これは僕の意思だ」
「そうやって、私の知らないところで。どれだけ私が心配しているか知らないの!?」
「志桜里ちゃん……」
「ミツキ。ごめん。シュンはきっと無理しちゃう。付き合いが長いから、性格くらい知っているつもりなの。シュンは、結局、チームのため、とか。仲間のために、とか、そういう状況になると、絶対に無理しちゃう。ね、シュン、お願いだからダンスはもう……」
「志桜里ちゃん! 絶対にわたしがそんなことさせないから。だから、お願いします。シュン君にダンスをやらせてあげて」
立ち上がったミツキに応じるように立ち上がる志桜里は、深くため息を吐いて、僕を一瞥すると瞳を閉じた。次に瞳を開けた時には、無表情で僕とミツキを交互に見て告げる。
「もし、シュンになにかあったら、私はミツキを許さない。例え、親友だったとしても、シュンを傷つけるようなことになったら、私は——」
「志桜里!!! ミツキちゃんは関係ないって言っているだろ! これは僕の問題なんだ。頼むから、ミツキを責めないでくれよ」
僕の言葉に落胆するように、志桜里は椅子に座り込んで今にも泣きそうな表情で俯いた。違うんだ。僕は志桜里を責めたいわけでも、泣かせたいわけでもないんだ。志桜里の気持ちはすごく分かるし、僕はひどいことをしているのも自覚している。でも、もう一度ダンスをしたいんだ。そこにミツキは関係ない。
「ごめん。ミツキに当たっちゃったね。そんなつもりじゃないの。ただ。ただ私は、シュンが心配で。もうあんな思いはしたくないの」
両手で顔を覆う志桜里に、ミツキは隣に立ち、座り込んで志桜里の顔を覗き込んだ。わたしのほうこそごめんね、と小さく呟くと、再び立ち上がって扉の向こうに消えていく。まさか、歩いて帰るわけでもないだろうし、少し外の空気を吸いにでも行ったのだろう。もしくは、この重い空気に耐えられなくなったのか、あるいは、僕と志桜里に気を使ったのかもしれない。
「シュンはミツキを庇《かば》うんだね。ミツキから聞いているの。ダンス部に一緒に入ってくれた人がいて、その人を今度紹介したいって。まさかシュンのことだったなんて」
今日の雰囲気を見て、なんとなくそうじゃないかなと思っていた、という志桜里の落胆ぶりは、僕の心を針で刺すようで、耐えられないものだった。
そうか。ミツキは全く無関係、と主張した僕の言葉はすべて藪蛇《やぶへび》になってしまったのだ。志桜里からすれば、僕がミツキを庇っていると受けとれる。しかし、どういう気持ちでミツキは僕を志桜里に紹介しようと思っていたのだろう。
「志桜里は、なんで僕をミツキに会わせたかったの?」
「写真家ミツキノミコトを紹介したかったの。もしかしたら、シュンに写真を撮ってもらって、やっぱりすごい、となれば、復活だって近づくかもしれないでしょ」
「それは、ミツキちゃんは知っているの?」
「言ってない。だって、ミツキノミコトの情報は絶対に流さないって約束でしょ?」
「まあ、そうだけど」
ミツキノミコトはインストグラムでフォロワー九〇万人を超える写真家である。だがその正体は謎のまま。僕がミツキノミコトだと知られてしまえば、大騒ぎになるし、情報を隠すからこそ謎めいていて、人は知りたがるのだ。だから、志桜里には絶対に僕のいないところで話さないで欲しいとお願いしている。
「だから、今日、シュンがオッケーを出してくれるなら、紹介しようと思っていたの」
それでお互いの話の食い違いができたということか。僕の予想では、ミツキは僕を志桜里に紹介して、元気だから心配せずにね、ということを言いたかったのではないだろうか。僕を志桜里に紹介しようとしていた意図として、自分は落ち込んでいないから大丈夫、と伝えたかったのではないだろうか。だが、あくまでも推測の域を出ない。
「分かった。ミツキのことは、僕がなんとかするから。あと、倒れるまでダンスはしない。これは約束する。だから、ミツキを責めないでほしい。ミツキの傍にいてやってほしい。これは、志桜里のためにも言っている。みすみす親友を無くすようなことするなよ」
「——分かった。でも、その約束忘れないで。ミツキを責めているわけじゃないの。ただ、私は、シュンもミツキも心配で、ついカッとなっちゃって」
俯き加減で僕の視線を逸らす志桜里は、わずかに眉を動かすと嘆息しながら、少しだけ首を振った。ステージ上で見せる志桜里のクールなキャラとは正反対だ。
今日はありがと。燃えたでしょ。愛しているわ。みんな。
ゆっくりと開いた扉から入ってきたショートボブの髪の子に、僕は思わず息を呑んでしまった。大きな瞳は猫のように甘えている普段の表情とは違い、眉根を寄せて怒っているようにも見える。
「ちょっと!! 誰なの!? 花山さん泣かせているのはッ!!!」
俯くミツキの前で両手を腰に当てた野々村朱莉《ののむらあかり》が、険しい表情で僕を睨《にら》んでいた。僕は半目を開き、いるはずがない朱莉が蜃気楼なのだと思い込んだ。なんで、やっと収集がつきそうな話し合いに出てきてしまったのだと。タイミングの神様みたいな存在がいたのなら、呪い殺したかった。話をややこしくしやがって。グミ攻撃は絶対に回避だ。
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現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
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彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
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私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
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