居候の訳アリ女子高生アイドルに三日で恋をして、相思相愛になった件。【三月の雪】

月平遥灯

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霜夜の冬・ミツキの雪

恋人以上の人

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 廊下を歩く倉山咲菜《くらやまさな》は、威風堂々《いふうどうどう》という言葉が良く似合う。エドワード・エルガーの行進曲でも流してあげれば廊下は華麗なランウェイに早変わり。道を開ける生徒たちの黄色い声援を、倉山咲菜は横目でいなしていく。きめ細かい肌が仄《ほの》かに色づく薄紅色の頬に、立ち止まり恋をする男子生徒に対して、恐る恐るサインを求め近づく女子生徒に笑顔で応じる姉さんは、本人が意識をしなくとも女優だった。僕からすればいつもの倉美月飛鳥《くらみつきあすか》なのだけれども。


「あ、ありがとうございます! あたし、倉山咲菜さんの大ファンですッ!」


 ノートに貰ったサインで舞い上がる女子生徒は、姉さんが教室に入るまで恍惚《こうこつ》とその様子を窺《うかが》っていた。そんな生徒が廊下に溢れかえり、ついには教頭先生が現れる始末。部活に行け、と声を上げる教頭の姿を見るなり、そそくさと蜘蛛の子を散らす生徒たちは、それでも物陰から姉さんを見ていた。


「姉さんは……目立ちたいんでしょ」

「当たり前じゃない。目立ちたいから女優が天職なの」

「でも、こんな田舎の高校で目立たなくてもいいじゃない」

「馬鹿ね。注目されるってことは、それだけ自分を磨けるチャンスなのよ。目立たなかったらいつまでも進歩しないでしょ」


 意味の分からない理屈で僕をまくし立てる姉さんは、教室に入るなり開口一番に言う。先生、春夜《しゅんや》と充希《みつき》がお世話になっています、と。そんな大声で言う台詞じゃないよ姉さん。


「あ、ええっと。春夜くんのお姉さんでした……よね?」

「ええ。とりあえず、なんとか卒業だけはさせてください。それ以上、なにも求めませんから」


 教室の真ん中にぽつりと残された椅子三つと机が二つ。残りはすべて後方に積み重なっている。夕陽の淡い欠片が窓から漏れる夕方の教室は、微かに聞こえる吹奏楽の雑多な旋律が溶け出していて、無味無臭の冷たい空気が口腔内で融《と》ける。姉さんの言葉の意味を咀嚼《そしゃく》するのに時間のかかった担任の山崎先生は、あ、ええと、そうですか、と当たり障りのない返事をする。考えた結果がそれかよ、とツッコミを入れたかった、のだが。


「姉さん、どんだけ低望みだよ。進学とか、就職とか、そういう希望を告げるのが普通じゃないの?」

「そんなの、卒業後にいくらでもできるじゃない。あんた、卒業できなかったら、今までやってきたことがすべて無駄になるのよ。時間の無駄が一番もったいないの」

「あ、あの。お姉さん。春夜くんは勉学のほうは平均か、少し上ですので問題ないのですが。その出席が……」

「……三年生のどれくらいまでお休みしたら卒業はできないものなのですか?」



 予想はしていたけど、僕が高校を卒業できない可能性はほぼ百パーセント。担任から言われると落ち込むものだ。でも、くよくよしても仕方ない。姉さんの言う通り、生きてさえいればチャンスはいくらでも転がっているわけだし。


「アスカさ~~~ん」


 廊下の向こうから手を振るミツキが倉山咲菜と合流したことにより、さらに注目を増していく。ミツキも姉さんも、全くと言っていいほど人の目を気にしていない。それどころか、逆に目立つような行動をするものだから、僕は陰に隠れたくなった。

 姉さんに抱きつくミツキは、まるで親が迎えに来た小学生のよう。姉さんもそんなミツキの頭を撫でるものだから、生徒の視線が痛い。なにこの二人。もしかしてそういう関係なの、と。ミツキに対する姉さんの可愛がり方は、度を越している。最近、それがつくづく目につく。僕の扱いとは正反対。


「今日はミツキちゃんのお話いっぱい訊いちゃうからね」

「はいッ! お願いしますッ!」


 再び教室に入る姉さんに素っ頓狂な声を上げる担任山崎は、きっと今頃たじたじだろう。あの二人に詰め寄られると、圧倒的オーラの二倍掛け効果で何でも押し通られてしまう。それがどんなに理不尽なことであっても。どんなにこっちに非がなくとも。



 昇降口を出ると、落ちかけている陽の光が最後の力を振り絞る空の延焼《えんしょう》の中、鴉《からす》が悠々と鳴きながら帰っていく。練習を終えたサッカー部がグランドの隅で談笑していて、野球部は未だに練習を続けていた。女子テニス部の部員がすれ違う僕に手を振ってくれて、僕も振り返す。あれ、知り合いなんていたかな、と思いながら。


「倉美月春夜くん……ですよね」


 校門から歩いてくる少しヨレたスーツの上にぶかぶかのコートを羽織る中年の男性が、僕に会釈をする。白髪交じりの髪はぼさぼさでほうれい線が目立つものの、顔立ちは整然としている、なんて言ったら失礼だけれども。

 しかし、この人に会ったこともなければ、見たこともない。まして、話したこともないその男性は、にこやかに僕に近づいてくる。いったい、誰?


「えっと、どちらさま……でした?」


「娘がお世話になっています」



 ————花山健逸《はなやまけんいつ》です。


 ————ッ!?


「もしかして、ミツキのお父さん?」

「はい。娘は元気にしていますか?」

「元気ですよ。ミツキなら、今頃教室で——」

「娘には会えないんです。今日は君に会いたくて来ました」


 意味が分からなかった。ミツキに会えないとはどういうことなのか。あんなにミツキは会いたがっているのに。それに、僕に何の用事があって来たのか。ますます理解に苦しむ。


「ここではお話できないので、少し時間を貰えませんか」

「————分かりました」



 ★☆☆



 グストの角の席に案内されて、ドリンクバーで注いできたお茶のグラスを片手に、僕は花山健逸に向き合った。深くため息を吐く花山健逸は、俯き加減でコーヒーを啜る姿は人生に疲れ果てたサラリーマンそのもの。いったいこの人になにがあったというのだろうか。

 どうやら、今日の面談の日取りを前もって知っていたようで、ミツキの面談の時間に合わせて、僕を探しに来たらしい。もし、会えなければ、僕に電話をかけるつもりだったと。しかし、どうやって。


「訊《き》いていいですか。なぜミツキには会えないと?」

「——会えるはずありませんよ」


 病気の妻を見捨てて、出て行った手前、今さら娘にどの面下げて会えばいいんですか。ですが、まさかあいつが死んでしまうとは思ってもみませんでした。それで、あの子を引き取ろうと思った矢先、あの子が不倫騒動なんて起こしてしまってね。ああ、もちろんあの子がそんなことする子じゃないって理解していますよ。実は、わたしは会社を経営していましてね。ある男に、もし、あの子に復帰をさせたいなら、ある特許の技術の永年の使用権を請求されました。それで、あの子は絶対に守られるって。


「————警察に言った方がいいんじゃ?」

「だめなんです。あの男は反社会勢力と繋がっています。警察沙汰にすれば、きっと充希に危害が……」


 しばらくすると、莫大なお金を請求されました。何十億って金額です。さすがに断りました。そうしたら、君とあの子が交際しているとの情報が洩《も》れてしまいまして。支払わなければ、この子たちに危害を加えるって。それで、仕方なく……。そして、今度は、会社を寄越せって……。それに、娘と連絡を取ったり会ったりすれば、もっとあの子が酷い目に遭うぞ、と。


「もしかして、ミツキをうちの母に……?」

「和佳子《わかこ》さんとは旧知の仲だったんです。いやぁ、酷く怒られました。罰が当たったんだって言われました。浮気していたわたしがすべて悪いって。もし家族と寄り添えっていればこんなことにはならなかったかもしれないですし」

 
 それで、僕の電話番号を入手できたわけか。


 酷く打ちひしがれてうな垂れていた花山健逸は、コーヒーを一口飲んで顔を上げる。僕の瞳を捉えたその瞳は悲しみと同時に絶望の色に染まっていて。この様子だとミツキと会ったところで、ミツキを悲しませるだけかもしれない。それに脅迫が本当であれば、ミツキに会わせるわけにはいかないのも確かだし。

 そもそも、花山健逸を脅している人物というのが誰なのか。それは、僕とミツキの情報を流した張本人だとして、かなりの実力者だということが分かる。


「脅した人物が誰なのか教えていただけませんか?」

「——言えません。君を巻き込みたくないし、君に話せばきっとあの子も巻き込むことになる。だから……」


 新井木遥香の言葉と花山健逸の言葉が重なる。ミツキは被害者であり当事者。それに、ミツキから離れることが望ましいと新井木遥香は言っていた。つまり、二人の言っている人物は同一人物か、もしくは同一の事件の可能性が高い。


「会社はどうするつもりですか?」

「社員がいるんです。数百人の社員が居場所を失くしてしまうことになる可能性だってありますから。だから、易々《やすやす》と渡すわけにはいかない……でも、君たちに迷惑が」

「もしかして……それで僕に会いに?」

「申し訳ない。君にもあの子にも迷惑を掛けるかもしれない。和佳子さんに聞きました。充希は君といつも一緒にいて、君が守っている、と。こんなことお願いできる立場ではないのですが」


 立ち上がりスーツの襟《えり》を直して、瞳を閉じる花山健逸は深く深呼吸をする。まるで死神の大鎌が首を狙う余命幾ばくの男のよう。そう。僕と同じような顔をしている。いや、少し前の一人きりで喘ぐ僕と同じ。ミツキのお陰で立ち直れた僕は、幾分この男よりもマシな顔をしているはずだ。


「あの子を。充希を守ってあげて欲しい。和佳子さんにもお願いはしているが、最終的に傍《そば》にいてあげられるのは君だけだと。本当に申し訳ない」

「ミツキを守ることは、頼まれなくても僕の役目です。でも、約束してください」


 立ち上がった僕の瞳を追う花山健逸の目は定まらずに、僕の視線を真っ直ぐ見られない宙を泳ぐ金魚のよう。揺らめく視線の居場所は、結局自分の爪先に集中する。心が折れてしまった者の行き着く先。その視線は死んでいる。


「いつか、いつか必ずミツキに会ってあげてください。そんな脅しに屈することなく、戦い抜いて、ミツキを抱き締めるって約束してください」


 何も答えなかった。ただ、俯いたまま震える唇を舐めて噛み、ひたすら僕が視線を逸らすのを待つ男は、強大な敵に出会えば逃げ惑うタイプの人間。新井木遥香ならそう言うだろう。そして、大半の人間が同じタイプだと思う。僕だってそうだ。病気がなければそうなっていた。


 だけど、死に直面したときに思うことがある。これは、そう。死を覚悟した人にしか理解できない。自分のことよりも大切に想う者のためならば、立ち向かわなければならない。


 ————死ぬときに後悔したくない。


 この一言に尽きる。だから、僕は命がけでミツキを守る。それが、姫を守るナイトの役目だから。



 ☆★☆



 シュン君今日は身体の方は大丈夫、と部屋を訪ねてくるミツキは上機嫌だった。

 夕食を食べたあと、ミツキは三者面談に来てくれた姉さんにべったりで、ずっと世間話をしていたのだから、姉さんもさぞかし疲れただろう。と思いきや、姉さんはミツキと話が相当合うらしく、ファッションの話や音楽の話で盛り上がっていた。尽きることのない親友同士のような話についていけない僕は一人、自室に戻った。しばらくするとミツキは、いつものように僕の部屋の扉をノックしたわけだ。


「ねえ、今日、学校終わってどこに行ってたの?」

「ああ、うん。ちょっと友達とファミレスに」

「ふぅん。珍しい。部活やっていない友達もいるんだね」

「学校の友達じゃなくて、昔のね。東京からたまたま用事があって来たらしくて。それで少しだけ時間を割いてくれたというか」


 僕の嘘を容易《たやす》く見破るミツキは、それ以上追及してこなかった。空気を読むミツキは、そういう時は必ず僕に密着して離れようとしない。本当は正直に話したいところなのだけれども。


「シュン君。何していてもいいけど、浮気するときは必ず報告して。ね?」

「してないから大丈夫。それに報告すればしていいものなの?」

「う~ん。やっぱりだめ。ねえ、シュン君。本当に何か隠していない?」

「ファミレスは本当。人に会ったのも本当。今度ミツキにも会わせるから」


 仕方ない、分かった、と納得するミツキは、不機嫌そうな顔で僕に抱きついてくる。しばらくそのままでいると、いい匂いだね、なんて機嫌を直して見上げるミツキは、笑顔に戻っていた。


 ————今日、お父さんに似ている人見たんだ。シュン君が帰ってくる少し前に。


 そうなんだ、としか答えらえなかった僕は、嘆息してミツキの頭を優しく撫でた。おいで、と言った僕の膝の上に乗るミツキは、そのまま押し倒した僕の頬にキスをして耳たぶを食べる。絡める指先が互いを求めて、その唇が再び僕の唇を欲しがった。


「ミツキは、お父さんに会いたい?」

「————分かんない。でも、会える日がいつか来るような気がするの」

「うん。そうか」

「それに、今のわたしにはシュン君をはじめ、アスカさんや和佳子さん、光太郎さんもいるし。本当の家族だと思ってる。シュン君と結婚して、みんなと本当の家族になれるなんて夢みたい」



 ————とくん。



 跳ねる心臓が僕の全身の筋肉を強張《こわば》らせる。詰まりそうな息を必死に吐き出す。突然訪れる発作に、遠のきそうになる意識をなんとか保とうとするも、ままならない。


「ミツ……キ」

「え……シュン君……!?」


 勢いよくベッドから跳び下りたミツキは、僕のバッグのポケットにある薬を的確に探し当てて、その中の一種類の薬の封を切ると僕の口に突っ込む。決して戸惑うことも、焦ることもせずに。僕を抱きかかえて起こすと、机に置いてあったペットボトルを片手に僕の喉の奥に流し込んだ。。


「大丈夫?」


 しばらくすると落ち着き始める僕の鼓動は、眠りにつく赤子のようにすやすやと寝息を立てる。暴れていた子供をあやすミツキの手を握り、僕はミツキの胸に顔を埋める。


「ミツキすごいよ。よく分かったね」

「だって、シュン君のお嫁さんになる人だもの。これくらいできないと、ね」


 そう言ったミツキの慈愛に満ちた表情が僕の肺の奥深くに到達する。触れてはいけない僕の弱い部分。今まで積み重ねて来たブロックの一角が崩れた気がした。


「もし、僕が病気じゃなかったら、ミツキとどんな風に過ごしていたのかな。ミツキともっと前向きな話だってできただろうのに」

「もう。シュン君は。らしくないよ。今日はどうしたの?」


 花神楽美月とは別れなさい。
 君とあの子に迷惑が掛かる。
 充希を守ってあげて欲しい。


 発作とともに奪われた勇気は熱せられた水分のように消えていく。そして、心の片隅に残された臆病な自分が問いかける。ミツキを守ることなんてできるのか、と。花山健逸は、僕に何を期待しているというのか。病気持ちの単なる高校生なのに。


「…………恐いんだ」


 吐き出す言葉は、どうしようもなく弱気の自分の欠片。立ち向かわなければならない、なんてあの時は思ったけれど、どうしようもなく怖いことに気付かされる。


 僕の頭を撫でるミツキの優しくて柔らかい手は、僕の心の深いところに到達するまでに時間は掛からなかった。だいじょうぶだよ、と言って僕に落とす視線はまるで凍てつく吹雪が止み、一条差す光のよう。雪解けの下の淡い色の溝蕎麦《みぞそば》のように優しさに満ちている。



 思い出した。そう、心臓を握られて少し弱気になっただけだ。

 僕がしっかりしなければ、誰がミツキを守るの。


「シュン君の恐怖を少しでも分かち合いたいの。だから、わたし、少しでもシュン君と一緒にいるから。怖くてどうしようもなくなったら、わたしがその恐怖からシュン君を守る。だから、苦しいとき、怖いとき、切ないとき」


 ————絶望したときは、話して。シュン君をすべて受け止めるから。



 恋人以上という言葉の意味を僕は初めて知った。
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