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2巻
2-3
しおりを挟む「本当にナジカらしいだろう。美味い名物がないところには絶対についていきたいなんて言わない」
「そんなことはないよ。エルファが行きたいなら、料理の不味いところでも案内する」
ナジカはエルファを見つめて言った。口説かれている気分にならない、変な口説き方だった。
「ナジカさんは本当に変わった人ですね」
「え、普通だと思うけど」
自覚がある人は、普通の人だ。自覚がない人ほど、普通でない場合が多い。ナジカのそういうところは、エルファも嫌いではない。
「あらあら、ナジカくんみたいな色男をいなすなんて、さすがねぇ」
ミゼルがころころと笑いながら、服の上から二の腕を掻いていた。二の腕だけではなく、先ほどから頻繁にどこかを掻いている。ここまで来ると、気のせいではないとエルファも確信できた。
「カルパにもこういうしっかりしたお嫁さんが来てくれたら、あたしも安心できるんだけどねぇ」
「見合いでもするか?」
ミゼルだけでなく、寡黙なジョズまでカルパにそう声をかける。
「まだそんな歳じゃないだろ。相手がいないわけじゃないんだ。ただ、邪魔されているだけで!」
カルパの反論に、皆諦めたような視線を彼に向けた。
カルパは顔立ちも整っており、その上、大きな茶問屋の経営者を務める男だ。女性が放っとくはずがない。きっと彼の護衛が身元の不確かな女性を排除したり、女性同士が互いの足を引っ張ったりしているのだろう。エルファには理解できない世界だ。
「まあいい。それよりクライト、次にリュキエス様がいらっしゃったら、こいつの育て方を教えてくれるように伝えてくれ。忙しい合間に植えていくぐらいだから、本気なんだろう」
ジョズが肉とジャガイモを一緒に食べながら言う。
「ついでに、正しく調理しなきゃならない食い物を売り込みたいなら、まともに調理できる奴も用意しろ、と言っとけ。うちのもんがまた腹を壊したらたまらねぇ」
「それは、よぉく言っときます。あんなの出されたら、たまったもんじゃない」
どんなひどい料理だったのか気になるが、食べたいとは思わなかった。だが、世の女性に人気があるルゼの兄なら、きっと素敵な男性だ。お目にかかれる日が、少し待ち遠しかった。
食器を洗い終えてエルファはエプロンで手をふいた。
「片付けまで手伝ってくれて、ありがとうねぇ」
ミゼルは礼を言うと、背中に手を回して掻いた。
「いいえ。私もハーブを使わせてもらいましたし」
そう言ってエルファは水で冷やしているケトルを持ち上げた。先ほど作業場の裏でもらったハーブ――ローズマリーなどを煮出した物だ。
「ミゼルさんもいかがです?」
「冷やしたのを飲むのかい?」
「いいえ。肌につけてお手入れするんです」
桶に移し替えて指先で触れ、ぬるくなっていることを確かめた。
ここにいるのはミゼルと、エルファに何か相談したがっていた恥ずかしがり屋の女の子だ。ちょうどいい。ミゼルのことをきっかけに、この女の子の話も聞けるかもしれない。
「あたしなんて今さらお手入れしてもねぇ。あたしより、ミリーはどうだい」
そう勧められた女の子――ミリーは、慌てた様子で振り返り、縋るような目でエルファを見て首を横に振った。その反応を見て引っかかりを覚えたエルファは、話を続ける。
「そんなことおっしゃらずに、ミゼルさんも。お身体がかゆいようですが、保湿すると良くなるんですよ。良いクリームも持ってきてるんです。この前、クライトさんがこちらでいただいた蜜蝋から作った物ですが、ぜひ試して下さい」
エルファが再度勧めると、ミリーはその横で何度も頷いた。
「でも、ミリーだって何か相談したがってたじゃないか」
「あ、あたしはもう解決したの。だけどたまにかゆくなったりするから、ばあちゃんが掻いてると気になるんだ。ばあちゃん、やってもらいなよ」
彼女はちらっとエルファを見た。その様子にエルファはこれが正解だと察して笑う。
どうやら彼女は、最初からミゼルの症状について相談したかったようだ。初対面のエルファが気になったのだから、ずっと一緒にいる人が気になるのも当然だ。
「そうですねぇ。人はかゆみぐらいだと大したことじゃないと思って我慢しがちですが、掻いてしまうと肌が傷つくので良くありません。原因は乾燥だと思いますが、若い方でも乾燥が原因でかゆくなることは多いんですよ。私もおばあちゃんに塗ってもらいました」
エルファがそう説明すると、ミリーはまた何度も頷きながら言う。
「ああ、あたしが塗ったげるよ。だからあたしがかゆい時はばあちゃんが塗っておくれよ」
ミリーがミゼルを慕っていることが伝わってきた。ミゼルも、ミリーが何を相談したかったのか察したらしく、愛情のこもった目で彼女を見てからエルファに向き直る。
「エルファさん、気を使ってもらって悪いねぇ」
「いいえ。ミゼルさんは私のおばあちゃんになんとなく似てて、つい手伝いたくなっちゃうんです。ホームシックでしょうか?」
嘘ではない。エルファはどうにも老婦人に弱いのだ。曾祖母に対しても、今ごろ新しい弟子にいいところを見せようとして腰を痛めたりしていないかとか、くだらないことを心配してしまう。
「あー、わかる。ばあちゃんは、何かいかにもおばあちゃんって感じだよね」
「ババアなんだから、ババアっぽいのは仕方ないでしょう」
二人の掛け合いを聞きながら、エルファは鞄の中からガーゼを取り出して、煮出したハーブ水につけた。
「クリームだけでも十分ですが、このハーブ水みたいに肌にいい物をつけてからクリームで蓋をした方が効果が高いんですよ」
軽く絞ったガーゼを、ミゼルが掻きむしっていた腕に載せた。
「ローズマリーは美肌のハーブです。カモミールもかゆみにいいので、煮出してお風呂に入れると効果的ですよ。年齢問わずお薦めです」
手で押さえて肌にハーブ水を浸透させてから、ガーゼを剥がし、クリームを塗る。
「クリームでもいいですし、品質の良い油を塗るだけでもいいんです。こうやって保湿すると、一番手っ取り早くかゆみが取れます。もちろん乾燥以外のかゆみだと効果は期待できませんが」
ついでに手の方にもクリームをすり込んで、もみほぐす。
「お上手ねぇ」
「毎日の家事で疲れている手は、たまにはこうして労ってあげないといけません」
すると、ミリーがミゼルのもう片方の手を取って尋ねてくる。
「このクリーム、簡単に作れる?」
「ええ。私達薬草魔女は、症状に合わせて身近な物で薬を作るんです。このクリームは、油以外はここの農園にある物だけで作ったんですよ。後で作り方を教えましょうか。お顔にも塗れますし。乾燥する冬には、かかとや肘なんかのカサカサする場所に塗ります。作り方を知っていると便利ですよ。材料を変えて季節ごとに色んな悩みに合った物を作ることも出来ます。女性には悩みが多いですからね」
「う、うん」
彼女はぎこちなく笑って言う。
「おねえさん、さすがクライトさんが連れてきただけあるね。すごくよく見てる。ありがとう」
役に立てたようで何よりだ。今日のことで、ミリーも少しはエルファに慣れてくれただろう。
まだ気軽に相談してもらえるというほどではないが、他の従業員達にもこれぐらい慣れてもらうのが当面の目標だ。
彼女達との付き合いは、きっとエルファにとっても実のあるものになるだろうから。
第二話 王室へ
オーブンを開くと、焼き立てのパンと、練り込んだハーブの香りがふわっと厨房に広がる。表面にうっすらと焦げ目の付いたバゲットは、見た目からしていかにも美味しそうだ。
「はぁ、今日もいい焼け具合ねぇ」
匂いにつられてやってきた給仕のニケが、オーブンを覗き込んだ。
今焼き上がったのは、レストラン・ラフーアで出す高級なパンだ。ティールーム・フレーメで使う物とは素材からして違い、水にもこだわりがある。この周辺で湧くのは軟水だが、バゲットを焼くには硬水が向いている。そのためわざわざ美味しいと評判の硬水を取り寄せたのだ。
水によって料理の味はかなり変わる。フレーメの主力商品であるお茶を淹れる時は、この周辺の癖がない軟水が向いている。
練り込んでいるハーブは、先週案内してもらったフレーメの農場から今朝届いたばかりの物だ。一緒に、ミゼルのかゆみが落ち着いたことへのお礼を述べるミリーの手紙もついていた。
「焼き立て。いいわよねぇ」
ニケがすんすんと鼻を鳴らして、給仕仲間に後頭部を叩かれる。
「ほらほら、仕事仕事。今日はエノーラさんも商談でいらっしゃるんだぞ。手を抜いたりしたら容赦なく指摘されるからな!」
それを聞いて、エルファも「そうだった」と思い出す。
ゼルバ商会の後継ぎであるエノーラは相手によって商談場所を変える。今日、この店を選んだということは、大切な商談相手なのかもしれない。何しろここは今や話題の店であり、予約がないと入れない。それでも好きな時に席を確保できるのは、出資者兼恩人の特権だ。
「お客様が誰だろうと手を抜くなよ」
ゼノンが給仕達を睨みつけると、彼らは「はーい」と気の抜けた返事をした。客の姿がないと緊張の糸が切れるようだ。しかし、厨房では料理人さえしっかりしていればいい。
「さぁて、今夜も頑張りましょう」
エルファは気合いを入れて、焼き立てのバゲットをバスケットに移し替えた。
「失礼いたします」
エルファはノックをしてエノーラが利用している個室に入った。
薬草魔女のレシピを売りにしている店なので、エルファはよくこうして料理の薬効を説明するために呼びつけられる。エノーラもまた、商談相手を喜ばせるため、必ず商談の席にエルファを呼んだ。エルファとしてもすっかり慣れたものである。
今日もエノーラは美しかった。長い金髪を緩くまとめた、少女のような愛らしさと上品な大人の魅力を併せ持つ、年齢不詳の美女だ。が、これでも二児の母である。彼女の年齢が気になるところだが、三十近いカルパよりも上ということぐらいしか分かっていないらしい。
そんな彼女の向かいにいるのは、若い女性だった。どうやら外国人のようだ。そう思ったのは、肌が浅黒かったからだ。銀色の髪をした、いかにも健康的な身体つきの美人である。
エルファは首を傾げそうになった。『身体の弱い人向けに、さっぱりとして消化が良く、滋養のつく食事を』と言われていたのに、客人は身体が弱そうに見えない。健康よりも、美容と痩身にこそ興味がありそうな雰囲気だった。
「こんばんは、エルファ。今夜も美味しかったわ」
「ありがとうございます。ご要望に沿えるように考えてみたのですが、ああいった料理でよろしかったでしょうか?」
「ええ、柔らかくて美味しいお肉だったわ」
今回は、肉がいいと言われていたので、鴨を用意した。
「お気に召していただけて光栄です。鴨は消化が良く、また美容にも良い食材です」
浅黒い肌の女性は頷きながらエルファの説明を聞いていた。眼鏡が似合う美女で──
(ん?)
エルファは今度こそ、その疑問を顔に出してしまった。
彼女の瞳の色は人間にはほとんど出ない、金色だった。この色は魔物に多いため、人間から忌避される傾向にある。特に彼女のような肌と髪色をしていると、魔族ではないかと疑われてしまう。魔族とは長い寿命と強い魔力を持つ、人間によく似た魔物で、彼女と同じ、金色の目に浅黒い肌、銀髪が特徴なのだ。しかし、彼らは滅多に地上に出てこない。恐らく肌の色から察するに、彼女は南方出身なのだろう。
「エルファ、彼女はセク。王室付きの医者よ」
「お医者……様……ですか?」
女性の医者で、しかも王室付きとは珍しい。
「その若さで王室付きなんて、すごいんですね」
エルファは言葉を選んで、しかし素直に賞賛する。
「ええ、彼女は医者の一族出身なの。セク、エルファよ。いい子でしょ」
エノーラはセクに笑みを向けた。
「ええ、そうね。あなた好みの女の子ね」
セクはくすりと笑って、ティーカップをソーサーごと持ち上げた。所作は美しく、品がある。それでも彼女が容姿のことで周りから何か言われていることは、想像に難くない。
ラフーアの皆は勝手に商談だと思っていたが、そう言えばエノーラからは『客を連れてくる』としか伝えられていない。セクが医者ということは、エノーラは商談相手ではなく、個人的な友人を連れてきただけなのかもしれない。
「私だけじゃなく、セルマ様にもお気に召していただけるんじゃないかしら」
「そうね。あの方は見ていて和む、毒のないお嬢さんがお好きだから。それにこういう料理も気に入ると思うから、指導してもらえるとありがたいわ。食事に関しては、私はあまり口を挟めないの」
エルファは今度こそ首を傾げた。王室付きの医者が食事に口を挟めない。その意味を図りかねた。
「エルファ、実は薬草魔女のあなたにお願いがあるの」
「どなたか、健康面で悩まれていらっしゃるのでしょうか?」
王室付きの医者なら、それは王族である可能性が高い。セクは深く頷き、伏し目がちに話した。
「正妃のセルマ様は、あまりご健勝とは言えなくて、胃と心臓を患っておられるの」
「胃と心臓……ですか」
今の段階では胃がどう悪いのか分からないが、心臓が悪いのは大変なことだ。
「特に胃痛で食事を受け付けないことが悩みだそうで」
「えっ、胃痛の方が大きな悩みなんですか?」
セクの説明に、エルファは驚いた。しかも『胃腸が悪い』のではなく、『胃痛』と言った。となると、病弱とは別の理由が思い浮かぶ。
「精神的な圧力がすぐに胃に出るお方なの。原因は分かってるんだけど、そればかりはどうしても排除できなくて」
予感が当たり、エルファは悩んだ。高貴な身分の方には、避けようのない役目があるのだろう。たとえストレスになっても、それが義務であればやらなければならない。
「それで病人食のような物を作らせているのだけど、宮廷料理人というのは無駄に頑固で、どうしてもこうした方が美味しいのだからと自分流の味付けをしたがるのよね。それでセルマ様は口に合わない病人食に辟易していらっしゃるの。胃腸にいいフェンネルティーにも飽きてらっしゃるようだけど、飲まないと悪化しそうで不安だから渋々飲んでいらっしゃるといった具合で」
セクは困り顔で腕を組んだ。患者の味覚だけは、医者もどうしようもない。
「胃には……肉なら山羊の肝臓がいいと言われていますが」
「へぇ、そうなの?」
「胃や腸が悪い人には山羊です。もちろん本人の体調によっては合わないこともありますが……」
説明するものの、頑固な料理人が関わっている以上、食材だけ教えてもどうにもならない。
「私でよろしければご相談に乗ります。料理人の気を悪くしないように、調理法を指導するのも薬草魔女の仕事の一環ですので。食べるご本人の好みが分からないので、そこから手探りしていくことになりますが」
「ありがたいわ。こういう料理なら、セルマ様もきっとお好みよ。私は料理は食べるのが専門だから、口を挟むとこじれてしまって」
セクは肩を竦めた。エルファは思わずくすりと笑う。
「だからこそ薬草魔女という職業が生まれたんです。最初の薬草魔女は、食が細くなった聖女様のために、食べやすく、身体にいい物を各地から取り寄せて研究なさったんです」
「うちにもそこまでしてくれる料理人がいてくれたら良かったんだけど。今の料理人達は腕がいいから、他の王族の方には受けが良くって」
健康な人達にとっては素晴らしい料理を作るのだろう。それも需要の一つだ。
「店が休みの日でよろしければ、お役に立てると思います」
エルファが快く引き受けると、セクはソーサーを置いた。
「それじゃ次の休みに来られるかしら」
「ダメよ。着ていくドレスを用意する時間がないわ」
エルファは驚いて、反対するエノーラを見た。
「ドレスなら、一着いただいたばかりなんですが」
しかも用意してくれたのはエノーラだ。
「あれはちょっとした集まりに出る時のために用意したの。セルマ様にエルファを見ていただくんだから、可愛くしないと」
「エノーラ、何も新調しなくても。この服でいいじゃない。カルパだってセルマ様に招かれる時は制服で来ているのだし」
口論する二人を見比べて、困り果てる。
「あの、私も制服の方がいいと思うのですが」
エルファはセクの意見に同調した。
「えぇえ……」
「服を用意するのはエノーラの趣味よね?」
不満げなエノーラに、セクが鋭く突っ込んだ。
「エルファ、宮殿に上がるのよ。着飾りたくはないの?」
「でも、お仕事ですよね?」
「用意してあげるって言っているのに、欲がないわねぇ」
エルファはため息をついた。もちろん服をもらえるのは嬉しいし、着飾るのは楽しい。だが仕事と個人的な楽しみは分けて考えるべきだ。仕事に支障があるならともかく、ないなら制服の方がいい。
「しっかりした子じゃない。欲で目が眩むような子を連れていくと、ろくなことにならないわよ」
「欲の薄いセク基準で語られると、私が強欲みたいだからやめてちょうだい」
「何が悪いの? 強欲でない商人なんて成功してないわよ」
「強欲なんじゃないわ。適度に欲があるだけよ。欲を出しすぎたら損をするもの」
エノーラの言い分に、セクが肩を竦めた。
エルファは美女二人の軽口を聞きながら、正妃がどのような方か想像した。
図太い人は胃痛で悩んだりしない。繊細そうな、上品で優しげな老婦人が思い浮かんだ。優しげになるのは、相手をしなければならないエルファの願望である。
それからは、いつもよりふわふわした気分で数日を過ごした。大きな失敗はしなかったが、指を切りそうになって包丁を取り上げられたり、火傷しそうになって鍋の番を交代させられたりするぐらいには浮ついていた。仕事で行くとはいえ、宮殿とはどんなところなのか。
そして今日、とうとうエルファは宮殿に案内された。直属の上司であり、宮殿にもよく出入りしているカルパとエノーラも一緒なので心強い。
宮殿なんてものに入ったのは初めてだが、実に贅沢で品のいい場所だった。よく見なければ気付かない細かなところにも彫刻があり、女神像や壺が置いてあったり、長い廊下に絨毯が敷いてあったりする。加えて自然光の取り入れ方が上手く、明るい場所が輝いて幻想的に見える。案内の中年女性も、澄まして歩く姿がとても上品で、いかにもこの宮殿の住人といった感じだ。
「あんまりキョロキョロするなよ」
美しい窓と、その向こうにある緑溢れる庭を見ていると、カルパに注意された。
キョロキョロしていた自覚のなかったエルファは、頬が熱くなるのを感じた。
「あら、大人しい方じゃない? あちこち触れたり騒いだりもしないし、緊張して歩き方がおかしくなっていることもないわ」
「ええ、庭は主だけでなく、お客様にも楽しんでいただくためのものですもの。どうぞたっぷりご覧くださいませ」
エノーラと案内の女性が涼やかに笑う。露骨に目を逸らすのも失礼なため、ゆったりとした気分でまた庭を眺めた。
季節の花だけでなく、季節外れの花も咲いている。この現象を、エルファは知っていた。
「季節外れの花は、実りの聖女様のお力ですか?」
「その通りでございます。聖下がいらしてから、この庭もずいぶんと様子が変わりました。以前とは比べ物にならないほど花が美しく咲き、手入れが楽になったと庭師も申しております」
「そうですか。奇跡の力は母国グラーゼにもわずかに残っていますが、同じお力をこうして目の当たりに出来るなんて、私は幸せ者です」
他の力だったらこんなに感動しなかったろうが、グラーゼの者にとって実りの力は特別なものなのだ。
やがて白い扉の前にやってきた。扉の側には、白い制服と鎧を着た二人の騎士が控えていた。二人とも顔立ちが良く、立ち姿にも隙がない。いかにも王族の護衛騎士といった雰囲気だ。
(わぁ、素敵、格好いい!)
エルファは目を輝かせて騎士達を見つめた。すると彼らはにこりと笑みを返してくれる。顔が良くて雰囲気もいい、素敵な男性達だ。手ひどい失恋をしたばかりなので、まだ恋をする気にはなれないが、素敵な異性が嫌いになったわけではない。こうして目が合っただけでも得した気分になる。
「お待ちしておりました」
声も素敵だった。ナジカが素敵でないというわけではないが、彼は中身がとても残念だからこの騎士達とは比ぶべくもない。
だが、ナジカが中身まで格好いい男性であったら、今のように気さくに話すことは難しかっただろう。そう思うと、今のナジカで良かった気もした。乙女心は複雑だ。
などと他人事のように考えていると、部屋の中に招き入れられた。
そこは清潔感のある白い部屋だった。白い壁、少し色味のある白い家具、窓辺でなびくレースのカーテン。そして部屋の主――正妃セルマは、金髪に雪のごとき白い肌をした、儚げな美女だった。
彼女は長椅子に横たわるように座っていた。その近くには医者のセクとギルネスト王子、彼の愛娘であるリゼが椅子に腰かけている。
ギルネスト王子は第四王子で二十代半ば。国王には妃が二人いて、最初の妃であり王太子を産んでいるはずのセルマは、少なくとも四十は超えているはずだ。なのにそれより十歳は若く見える。
「ごきげんよう、エルファおねえさま。今日もとってもかわいらしいです」
リゼが立ち上がり、スカートの裾をつまんでお辞儀をする。
エルファは結局、エノーラに用意された服を着ていた。店で着ている物とは別の、正装として使うための制服だ。エノーラの趣味でレースとフリルがたっぷりついている。
「リゼ様、ごきげんよろしゅうございます。リゼ様は今日もお人形みたいにお可愛らしくていらっしゃいますね。ラントさんとお揃いですか?」
リゼは気合いの入った愛らしいドレスを着て、髪をウサギのように二つに括っていた。隣には、以前店に来たウサギ獣族のラントがいた。
「お揃いじゃねぇだろ」
「おそろいよ! もう、ラントちゃんははずかしがりやさんなんだから」
耳を立てて否定するラントと、大人びた態度で窘めるリゼ。そんな二人は本当に可愛らしい。
「よく来たわね。リゼに聞いてとても楽しみにしていたのよ」
正妃セルマは座ったまま優しげに微笑んだ。
あまり健康そうではないが、その儚げな雰囲気が彼女の美しさを引き立てていた。
「セルマ様、本日はお招きいただきまして恐悦至極に存じます」
カルパは恭しく一礼し、エルファもそれに倣う。
「その娘が、噂の聖女様の子孫ね」
セルマはエルファを見て微笑んだ。
「お初にお目にかかります。薬草魔女のエルファ・ラフア・レーネと申します」
エルファはもう一度、今度はスカートの裾をつまんで一礼する。
「堅苦しい挨拶は必要ないわ。さあ、お掛けなさい。リゼも楽しみにしていたのよ」
セルマに上機嫌で椅子を勧められ、エルファ達はリゼの指示で彼女の隣に着席した。
「エルファおねえさまがいらっしゃるって聞いて、ずっと楽しみにしていたの。本当はおべんきょうのおじかんだけど、今日はとくべつにお休みにしていただきました」
「まあ、リゼ様、そこまでしていただけるなんて、ありがとうございます」
彼女は美意識の高い幼女だ。ラフーアが開店する前に行った試食会でも、美しくなりたいがためにエルファの話をよく聞いた。今日も目をキラキラと輝かせてエルファを迎えてくれている。
父親の前では言えないが、こういう女の子には大抵好きな男の子がいる。女の子は幼くとも女。背伸びをしたいのだ。
エルファにも覚えがあった。エルファも婚約していた頃は、精一杯背伸びをしていた。今となっては穴を掘って埋めたい思い出だ。この愛らしい幼女の想い人は、その恋がどんな結果になろうと美しい思い出にしてくれる、そんな誠実な男性であればいい、と自分の中の老婆心が囁いた。
応援ありがとうございます!
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