あやかし担当、検非違使部!

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三章 次元を越えて

「おはよう」

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窓から差し込む陽光が、穏やかに一日の始まりを告げ知らせる。
1―Aの教室には、数分おきに続々と生徒が登校し始めていた。

級友と元気に挨拶しあったり、苦手な授業があることに憂鬱になっていたり、学生の表情はそれぞれだが…太陽の目覚ましも空しく、隅にいる京香は一際ひときわぐったりと突っ伏していた。
潰れすぎていてかえって存在感が薄れる程である。

こうなった理由はただ一つ——

(眠い……)

強力な睡魔に襲われているからだった。

普段からよく寝ていると言えば寝ている。
しかしそれは、他に何をする気にもなれないが故の、時間つぶしみたいなものだ。
目は閉じているが、意識の半分は起きているので周りの声くらいは聞こえている。

けれども今は、数時間の本格的な睡眠をとりたいと身体が欲している。
それも無理のない話だ。
昨夜——正確には今日——の京香は、妖怪に襲われて逃げ、そして妖怪を罠にはめた後は事情聴取があり様々なことに驚かされた。心身共々疲れきって、家に戻ってから少し就寝したところで全回復とはいかない。

(授業は起きていられるかな…。こんな疲労で現実を実感したくはなかった…)

何度も何度もあったことを頭の中で繰り返し確かめていた寝床の自分を思い出しながら、京香は首を窓とは逆方向に動かし、姿勢を変える。

その直後、急に室内の明るい声が際立ち始めた。

「雛くんおはよう! 昨日花壇の掃除を手伝ってくれたこと、先生からもお礼を伝えてほしいって言われたよ」
「雛、早速なんだが今日の古文の訳、どう書いたか教えて!」
「なあ、昼弁当じゃなかったら、一緒に食堂で食べねえか?」

登校した真緒がクラスメイトに次々と話しかけられている。
人気者が降臨したか…と、京香はぼんやり認識した。
髪の隙間から覗く彼の笑顔は昨日の朝と何ら変わりないが、感じていた恐怖がちゃんと消え去ってくれている。

桜の道では京香の目の前にいたのに、対角線上で他の人と会話をしている姿はとても遠い。
同じ「部活」に入ったのはやはり奇妙な事実だ。

少し身じろぎすると髪がさらに垂れて、視界の隙間が埋まってしまった。
それに従って京香は瞼を閉じる。熟睡しないように、軽く瞑るだけ。

しかし間もなくして、右ひじに何か感触を覚えた。
気のせいかと思ったが、再びつんつんとされる。指でつつかれているらしい。

京香は寝ぼけまなこでゆっくりと顔を起こした。すると、

「おはよう、逢坂さん」

右頬をきらきらした朝の陽に照らされた、清々しい表情の真緒がいる。
そう、真緒が。

京香はえっ、と丸く目を開いて呆然とした。ぼやけていた視界は一瞬にして鮮明になる。
ついさっきまで入り口付近で囲われていたというのに、なぜか彼はすぐそこにいた。

「どうしたの、妖怪でも見たような顔になってるよ」

真緒はそんな冗談を言って、口元を指で隠してくすくすと笑う。

「な、何か私に用が…?」
「用? 特にないよ」
「じゃあどうしてこっちに…」
「逢坂さんに挨拶しようと思っただけ」
「それでわざわざ?」
「いやいや、挨拶は基本的で大事なことだよ。気持ちの切り替えになるし、相手の様子をなんとなくでも窺える。元気かなあと思ってね…でも、元気ではないみたいだね」

真緒はちょっぴり眉尻を下げて、曖昧な笑い方をした。
それを見た京香は、昨夜が慌ただしかったがために心配して来てくれたのかと納得する。
それくらいの理由がなければ、普通後ろにまで移動して挨拶はしない、と彼女は思った。

「そんなことない…と言えたらよかったけれど、正直、とても寝たい…」
「慣れないこと沢山あったからね…週の真ん中に動くなんて、藍は罪深い」
「そう言うわりに、雛さんはピンピンしているのね」
「俺のほうは夜の活動に慣れてるから。あそこの住人は夜行性が多い。その影響か、俺も夜のほうが好きかな。…とはいえ、学校があるから毎日夜更かしはしてられないけど」

ずいぶんと妖怪に親しんでいるんだな、と京香は心の中でつぶやく。
いつから妖怪と付き合いがあるのか等、気になる点は色々とあるが、どれも教室で尋ねられる内容ではない。

「本音を言うと残念だけど、今日の活動はなしで。ゆっくり身体を休める日にしよう」
「うん…お気遣い、ありがとう」
「これくらい普通だよ。だってほら、仲間になったんだし」

ニコッと笑いかけてから、真緒は「そろそろ時間だから戻るね」と自席へ向かっていった。

京香は彼の背中を見つめながら、なんだかふわふわした感覚に包まれていた。
疲れのせいだけではない。彼女にとっては、このやり取りも妖怪との追いかけっこに負けないくらい慣れないことだった。教室でクラスメイトと雑談するのは、いつぶりのことだろう。

ずっと不必要な関わりあいを避けていたはずなのに、いざ話してみると悪くない気分だった。
しかしその感想も、あることに気づいてひっくり返る。

しっかり見渡さなくても感じた。周囲からちらちらと、不思議そうな目線を京香は向けられている。「どうしてあの二人が」という疑問が刺さるように伝わってきた。

そう思われるのも無理はない。
京香と真緒が関わったのは昨日の付き添いが初めてで、クラスメイトからしてみればたったそれだけなのに、翌日の朝には挨拶をする仲になっている。まさか誰も深夜に協力して妖怪に立ち向かったとは想像するまい。

(…やっぱり、雛さんと私が話すと目立ってしまうんだ)

注目は京香が最も苦手とするところである。
彼とは部活の仲間なのだから、きっと教室で話すことはこの先そんなにないだろうと、彼女は動揺を落ち着かせた。


疲労は身体にまとわりついていたものの、真緒にいきなり話しかけられたことでぼんやりした感覚は飛んでいったらしく、この日の授業は無事に寝ないで受けることができた。
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