17 / 26
17.シェーラ③
しおりを挟む
そんなある日、事件が起きました。
どこかの侯爵家の夫人が、同じくらいの年齢のジェシカ様なら遊び相手に良いのではないかと言って息子を連れてきたのです。奥様はその侯爵夫人とは面識がなかったらしく、お屋敷が少しざわついていました。
普通はそういうことはないそうですので、侯爵夫人にも何か事情があったのかもしれません。
このようにして連れてこられる子はいわゆる問題児に違いないと頭が痛くなりましたが、予想に反して可愛らしい顔をしていて、物腰が柔らかく礼儀正しい子のようでした。これならジェシカ様と遊ばせても問題なさそうです。
実際、ジェシカ様と二人で過ごしている様子はとても穏やかで、仲睦まじいというよりもまるで本当の兄妹のような雰囲気がありました。物陰に隠れてじっくり観察したところ、どうも男の子のほうがジェシカ様にご執心な様子も見てとれます。
その後彼は頻繁にお屋敷を訪れるようになりました。
そうなるとやはりというか何というか、奥様がその男の子はエイミィと遊ばせるべきだと言い出しました。エイミィがジェシカ様から友人を奪おうとしているのだと私は思いました。
何といっても彼は侯爵家のご令息です。私にはよくわかりませんが、その家はかなり由緒正しい……いわゆる「良い家」らしいのです。エイミィが彼を欲しがったとしても不思議ではありません。
「お断りするわ。この子は身体が弱いから、おとなしい子と遊ばせたいの」
侯爵夫人は奥様に大きな声でそう答えました。
はっきりした拒絶の言葉に、私の心の中では良く言ったと拍手喝采が鳴り止みませんでした。
それに対して奥様が小さな声で「でも……」と何かを言いかけていましたが、
「まあーあなた、あたくしの息子に子守りをしろとおっしゃるの?」
信じられない、あきれた、そんな感じの侯爵夫人の声が響くと、奥様は顔を青くしていました。
あの奥様がエイミィに関する要求を抑えることもあるのだと、私はこの時初めて知りました。
貴族にとって序列は絶対だとは聞いていましたが、こうして目の当たりにするまでそれがどういう意味なのか私はわかっていませんでした。
残念ながらその男の子は三年足らずで王都を去ることになります。けれど格上の貴族が絡めばジェシカ様を守ることができる、という確信を得られたのは私にとって収穫でした。
〇▲◇
ジェシカ様は十五歳になり、花が咲き誇るように美しくなられました。未だに甘ったれたお子様をやっているエイミィとは気品が比べものになりません。お世話をしている私も鼻が高くなるというものです。
使用人や下級貴族の令息の視線を私の凍てつくオーラで弾き飛ばしながら、ジェシカ様にふさわしい男はいないのかと目を血走らせる日々でした。そしてついにジェシカ様宛てに求婚の手紙が送られてきたのです。
エイミィによって破られたその手紙を貼り合わせてみると『レイモンド・ラスタヒュース』と署名があり、四年前に引っ越して行った男の子の家だとすぐにわかりました。
あの侯爵家の令息がお年頃になってジェシカ様に求婚しようとしているのだと思って、私は嬉しさのあまり小躍りしたほどです。
おそらくエイミィはジェシカ様が先に結婚するのが気に入らないのでしょう。でなければ人の手紙を破る必要があるとは思えません。
……ところがその後、すぐにフォークナー公爵家からも手紙が来てしまいました。
ジェシカ様はモテるに違いないとは思っていましたが、お付き合いの時期が被るのは淑女として好ましくありません。悩ましいことです。
それなのに旦那様は勘違いをしてジェシカ様に出て行けと言うではありませんか。親とは愚かなもの……とはいえ、こういう方向に愚かな親はちょっといないと思います。
もしもの時は叔父さんの家でジェシカ様を匿うつもりだったので、私はあまり気にしていませんでした。叔父さんは自分の家にあまり帰っていませんし、空き部屋もたくさんありますから。
ジェシカ様はあの親と距離を置くことが必要なのかもしれません。侍女の私に青い顔をして謝るジェシカ様は、初めてお会いした時とそれほど変わっていないように見えました。
〇▲◇
ジェシカ様の邪魔をすることが難しくなってきたエイミィは、ついに本性を隠そうともしなくなったようです。
その日は午前中に仕立屋の訪問があり、お疲れになったジェシカ様にお茶を淹れようとしたところ、茶葉が残り少なくなっていました。
そもそも消耗品は毎朝確認しているのでいきなり減ることはありません。おかしいとは思いましたが、ないと困るのは確かなので私は茶葉を取りに行きました。
おそらく私は油断していたのです。これについては深く反省しています。
茶葉のある保管庫に入って数秒後、後ろでガチャッと音がしました。保管庫は外側から鍵をかける構造になっているため、基本的にドアを開けたまま入らなければならないのですが――そのドアが閉まっていたのです。
やられた、と思いました。
鍵がかけられていてドアノブは回らず、押しても引いてもドアは動きません。力いっぱいドアを叩き続けても、昼食作りに忙しいのか厨房の者が近付いて来る気配はありませんでした。
無駄に頑丈なドアは蹴ったくらいでは壊れなさそうです。保管庫に窓はなく、何度か叫んでみても外まで聞こえていないようでした。
小一時間程度たった頃でしょうか。
ミシミシと床板がしなる音がして、保管庫のドアが突然開きました。
「あれ? シェーラさんか。どうしてここに?」
料理人の大柄な男がぽかんとした顔で私を見ています。
「何者かにドアを閉められたのです」
「そりゃ災難だったなあ」
料理人の男は私の怒りをサラッと流して周りをキョロキョロと見回しました。
「ところでティムの奴を見なかったか? 水汲み頼んでおいたのに、やってないんだ」
「見るわけがないでしょう! 私はここに閉じ込められていたんですよ」
私は目を見開いて思い切り睨みつけていました。閉じ込められたのは私が油断していたせいでもあるので、これは八つ当たりです。料理人の男はヒエッと叫んで厨房へ逃げて行きました。助けてもらったのに申し訳ないことをしたと思っています。
急いでジェシカ様の部屋へ戻るとジェシカ様がいません。嫌な予感がしてクローゼットを開けると、しまってあったはずのドレスが消えています。なぜか今の季節には使わない火かき棒が床に転がっていて、先端にはうっすら血が付いていました。
あまりのことに何も考えられず座り込んでいたら、叔父さんが音をたてないようにドアを開けて入ってきました。私と目が合った叔父さんは声を抑えて驚いているようでした。
「シェーラ! どこへ行ってたんだ」
「叔父さん……ジェシカ様は……」
「ここじゃ危ない、俺の部屋に移動しよう」
私の腕をつかんで立ち上がらせた後、廊下に誰もいないことを確認してそっと部屋を出て行く叔父さんの様子を見て、これは絶対に何かあったのだと確信した私はただついて行くしかありませんでした。
「先手を取られたな……」
叔父さんの目には悔しさが滲んでいます。
「お前をクビにすると旦那様から言われた。おそらくエイミィが頼んだんだ」
「……ジェシカ様はどこへ?」
私の質問に叔父さんは辛そうな表情で首を横に振りました。
「行方不明だと聞いている。旦那様は、それをお前のせいだと……」
「どういうことでしょう?」
今とても許しがたい言葉を聞いたような気がします。
「旦那様は『シェーラがジェシカをさらっていくのをエイミィが見た』の一点張りだ。ジェシカ様を連れ出せそうなのがお前くらいだというのがあるんだろうが……」
「……」
確かに、ジェシカ様に信頼されていてお屋敷から連れ出すことができるのは私を置いて他にいません。そこだけは認めてもいいです。
「いったい、誰がジェシカ様をさらったんだ……」
打ちひしがれている叔父さんを見て私はますますイライラしました。ショックなのはわかりますが、悠長にしている時間はないのです。
私がジェシカ様の部屋を出てからだいぶ時間がたっています。ジェシカ様がまだこのお屋敷に留まっている可能性がどれほどあるのか……。
すでにクビになっているので、私はいったんお屋敷の外へ出たら戻ってくることができなくなります。それにもしジェシカ様がお屋敷の外に連れ出されていた場合、捜索範囲が広すぎて私の手には負えません。
エイミィが単独でジェシカ様を言葉巧みに連れ出すことは難しいでしょう。これまでのエイミィの態度が悪すぎて、ジェシカ様がエイミィを信用するとは思えませんから。
ただ……例えば、あの火かき棒でジェシカ様を殴ってどこかへ運んだとしたら。
もちろんエイミィには殴ることも運ぶこともできないので、腕力のある協力者が必要ですが――
『ティムの奴を見なかったか? 水汲み頼んでおいたのに、やってないんだ』
大柄な料理人の男の声が脳裏に浮かびました。
……水汲みをせずに、ティムは何をしていたんでしょうね。
「ティムは……」
「え?」
「叔父さん、ティムの部屋はどこですか」
私は廊下に飛び出しそうになる自分を抑えるのに精一杯でした。
身を隠しながら人のいない廊下を選んで移動し、ようやくティムに割り当てられている使用人部屋に駆け込むと、すでに彼の荷物はごっそりとなくなっていました。
「叔父さん! 馬車まで全速力です!」
このタイミングで荷物がないということは、ティムが協力者に違いありません。
乗合馬車に乗るには大通りまで出なくてはならないので、故郷へ帰る使用人は非番の御者にお金を渡して荷馬車を頼むことがよくあったのです。
逃げられてしまうかもしれない――私の額には青筋が浮いていたことでしょう。
「お、お前、大丈夫なのか?」
全力でダッシュしている私の隣で、叔父さんが息を切らして言います。
「何がです?」
「足、悪いんじゃないのか?」
ああ、と納得しました。私がこの足のせいで走ることができないという話を叔父さんは覚えていたのです。
「おかげさまで治りました」
治療のかいあって足はまっすぐになり、お医者様の見立て通り十八歳で補助具もいらなくなりました。今は無理をしなければ多少走っても問題ありません。
「で、でも、まだ補助具を、着けているじゃないか」
広がったスカートの裾から足が見えていたようです。もう叔父さんは『はしたない』と言わないのかと残念な気持ちになりました。
「これは魔除けですよ」
……エイミィの侍女になれと再び命令される可能性もありましたので、保険のつもりで付けていたのです。
私たちは建物の外へ飛び出して、そのまま馬車停めまで一気に走りました。
大荷物を持って御者と話をしているティムを確保できたのは、運が良かったとしか思えません。まさに間一髪でした。
逃げられないように私が荷物を押さえた瞬間、叔父さんはティムの横っ面を殴りました。
彼は体を宙に浮かせたあと地面に叩きつけられ、砂埃の舞う中、文句を言いたそうな顔をしてこちらを見上げました。
「ク、クロード様!」
旦那様付きの執事がいきなり現れたのが恐ろしかったのか、御者は完全にビビって逃げ出しました。
自分を殴ったのが執事のクロードだと気付いたティムは青ざめています。
以前話をした時には芯のある若者という印象だったのですが、彼には状況に流されやすいところがあるのかもしれません。思っていたよりもあっさりとジェシカ様の居場所を吐いてくれました。
「う、馬の飼い葉を保管している倉庫に、地下牢があるんです。百年くらい前からあるんだって、言ってました。入口の扉に鍵はないんですけど、地下牢の鍵は、エイミィ様しか持っていない、と思います……」
ティムの実家は王都の近くにある寒村で、貧しい親が悪い金貸しからお金を借りて返せなくなり、妹が金貸しに売られることになったそうです。売るのをやめさせるにはお金が必要で……というよくあるお話でした。
そんな時、エイミィに従えば借金分相当のお金を支払うと持ち掛けられ、どうしようもなかったのだと涙ながらにティムは訴えていました。
理由がどうであれ勤務先の貴族の娘を拉致しその罪を私に着せたことは許せません。ジェシカ様を救出してからどんな罰をくれてやろうか――と頭から湯気を出していると、馬の蹄の音が近付いてくるのが聞こえてきました。
「レイモンドと申します! ジェシカ殿にお取次ぎ願いたい!」
よく通る声と共に、見覚えのある白い髪と青い瞳の若者が、ひどく汚れた格好でお屋敷の門の前に現れたのです。
どこかの侯爵家の夫人が、同じくらいの年齢のジェシカ様なら遊び相手に良いのではないかと言って息子を連れてきたのです。奥様はその侯爵夫人とは面識がなかったらしく、お屋敷が少しざわついていました。
普通はそういうことはないそうですので、侯爵夫人にも何か事情があったのかもしれません。
このようにして連れてこられる子はいわゆる問題児に違いないと頭が痛くなりましたが、予想に反して可愛らしい顔をしていて、物腰が柔らかく礼儀正しい子のようでした。これならジェシカ様と遊ばせても問題なさそうです。
実際、ジェシカ様と二人で過ごしている様子はとても穏やかで、仲睦まじいというよりもまるで本当の兄妹のような雰囲気がありました。物陰に隠れてじっくり観察したところ、どうも男の子のほうがジェシカ様にご執心な様子も見てとれます。
その後彼は頻繁にお屋敷を訪れるようになりました。
そうなるとやはりというか何というか、奥様がその男の子はエイミィと遊ばせるべきだと言い出しました。エイミィがジェシカ様から友人を奪おうとしているのだと私は思いました。
何といっても彼は侯爵家のご令息です。私にはよくわかりませんが、その家はかなり由緒正しい……いわゆる「良い家」らしいのです。エイミィが彼を欲しがったとしても不思議ではありません。
「お断りするわ。この子は身体が弱いから、おとなしい子と遊ばせたいの」
侯爵夫人は奥様に大きな声でそう答えました。
はっきりした拒絶の言葉に、私の心の中では良く言ったと拍手喝采が鳴り止みませんでした。
それに対して奥様が小さな声で「でも……」と何かを言いかけていましたが、
「まあーあなた、あたくしの息子に子守りをしろとおっしゃるの?」
信じられない、あきれた、そんな感じの侯爵夫人の声が響くと、奥様は顔を青くしていました。
あの奥様がエイミィに関する要求を抑えることもあるのだと、私はこの時初めて知りました。
貴族にとって序列は絶対だとは聞いていましたが、こうして目の当たりにするまでそれがどういう意味なのか私はわかっていませんでした。
残念ながらその男の子は三年足らずで王都を去ることになります。けれど格上の貴族が絡めばジェシカ様を守ることができる、という確信を得られたのは私にとって収穫でした。
〇▲◇
ジェシカ様は十五歳になり、花が咲き誇るように美しくなられました。未だに甘ったれたお子様をやっているエイミィとは気品が比べものになりません。お世話をしている私も鼻が高くなるというものです。
使用人や下級貴族の令息の視線を私の凍てつくオーラで弾き飛ばしながら、ジェシカ様にふさわしい男はいないのかと目を血走らせる日々でした。そしてついにジェシカ様宛てに求婚の手紙が送られてきたのです。
エイミィによって破られたその手紙を貼り合わせてみると『レイモンド・ラスタヒュース』と署名があり、四年前に引っ越して行った男の子の家だとすぐにわかりました。
あの侯爵家の令息がお年頃になってジェシカ様に求婚しようとしているのだと思って、私は嬉しさのあまり小躍りしたほどです。
おそらくエイミィはジェシカ様が先に結婚するのが気に入らないのでしょう。でなければ人の手紙を破る必要があるとは思えません。
……ところがその後、すぐにフォークナー公爵家からも手紙が来てしまいました。
ジェシカ様はモテるに違いないとは思っていましたが、お付き合いの時期が被るのは淑女として好ましくありません。悩ましいことです。
それなのに旦那様は勘違いをしてジェシカ様に出て行けと言うではありませんか。親とは愚かなもの……とはいえ、こういう方向に愚かな親はちょっといないと思います。
もしもの時は叔父さんの家でジェシカ様を匿うつもりだったので、私はあまり気にしていませんでした。叔父さんは自分の家にあまり帰っていませんし、空き部屋もたくさんありますから。
ジェシカ様はあの親と距離を置くことが必要なのかもしれません。侍女の私に青い顔をして謝るジェシカ様は、初めてお会いした時とそれほど変わっていないように見えました。
〇▲◇
ジェシカ様の邪魔をすることが難しくなってきたエイミィは、ついに本性を隠そうともしなくなったようです。
その日は午前中に仕立屋の訪問があり、お疲れになったジェシカ様にお茶を淹れようとしたところ、茶葉が残り少なくなっていました。
そもそも消耗品は毎朝確認しているのでいきなり減ることはありません。おかしいとは思いましたが、ないと困るのは確かなので私は茶葉を取りに行きました。
おそらく私は油断していたのです。これについては深く反省しています。
茶葉のある保管庫に入って数秒後、後ろでガチャッと音がしました。保管庫は外側から鍵をかける構造になっているため、基本的にドアを開けたまま入らなければならないのですが――そのドアが閉まっていたのです。
やられた、と思いました。
鍵がかけられていてドアノブは回らず、押しても引いてもドアは動きません。力いっぱいドアを叩き続けても、昼食作りに忙しいのか厨房の者が近付いて来る気配はありませんでした。
無駄に頑丈なドアは蹴ったくらいでは壊れなさそうです。保管庫に窓はなく、何度か叫んでみても外まで聞こえていないようでした。
小一時間程度たった頃でしょうか。
ミシミシと床板がしなる音がして、保管庫のドアが突然開きました。
「あれ? シェーラさんか。どうしてここに?」
料理人の大柄な男がぽかんとした顔で私を見ています。
「何者かにドアを閉められたのです」
「そりゃ災難だったなあ」
料理人の男は私の怒りをサラッと流して周りをキョロキョロと見回しました。
「ところでティムの奴を見なかったか? 水汲み頼んでおいたのに、やってないんだ」
「見るわけがないでしょう! 私はここに閉じ込められていたんですよ」
私は目を見開いて思い切り睨みつけていました。閉じ込められたのは私が油断していたせいでもあるので、これは八つ当たりです。料理人の男はヒエッと叫んで厨房へ逃げて行きました。助けてもらったのに申し訳ないことをしたと思っています。
急いでジェシカ様の部屋へ戻るとジェシカ様がいません。嫌な予感がしてクローゼットを開けると、しまってあったはずのドレスが消えています。なぜか今の季節には使わない火かき棒が床に転がっていて、先端にはうっすら血が付いていました。
あまりのことに何も考えられず座り込んでいたら、叔父さんが音をたてないようにドアを開けて入ってきました。私と目が合った叔父さんは声を抑えて驚いているようでした。
「シェーラ! どこへ行ってたんだ」
「叔父さん……ジェシカ様は……」
「ここじゃ危ない、俺の部屋に移動しよう」
私の腕をつかんで立ち上がらせた後、廊下に誰もいないことを確認してそっと部屋を出て行く叔父さんの様子を見て、これは絶対に何かあったのだと確信した私はただついて行くしかありませんでした。
「先手を取られたな……」
叔父さんの目には悔しさが滲んでいます。
「お前をクビにすると旦那様から言われた。おそらくエイミィが頼んだんだ」
「……ジェシカ様はどこへ?」
私の質問に叔父さんは辛そうな表情で首を横に振りました。
「行方不明だと聞いている。旦那様は、それをお前のせいだと……」
「どういうことでしょう?」
今とても許しがたい言葉を聞いたような気がします。
「旦那様は『シェーラがジェシカをさらっていくのをエイミィが見た』の一点張りだ。ジェシカ様を連れ出せそうなのがお前くらいだというのがあるんだろうが……」
「……」
確かに、ジェシカ様に信頼されていてお屋敷から連れ出すことができるのは私を置いて他にいません。そこだけは認めてもいいです。
「いったい、誰がジェシカ様をさらったんだ……」
打ちひしがれている叔父さんを見て私はますますイライラしました。ショックなのはわかりますが、悠長にしている時間はないのです。
私がジェシカ様の部屋を出てからだいぶ時間がたっています。ジェシカ様がまだこのお屋敷に留まっている可能性がどれほどあるのか……。
すでにクビになっているので、私はいったんお屋敷の外へ出たら戻ってくることができなくなります。それにもしジェシカ様がお屋敷の外に連れ出されていた場合、捜索範囲が広すぎて私の手には負えません。
エイミィが単独でジェシカ様を言葉巧みに連れ出すことは難しいでしょう。これまでのエイミィの態度が悪すぎて、ジェシカ様がエイミィを信用するとは思えませんから。
ただ……例えば、あの火かき棒でジェシカ様を殴ってどこかへ運んだとしたら。
もちろんエイミィには殴ることも運ぶこともできないので、腕力のある協力者が必要ですが――
『ティムの奴を見なかったか? 水汲み頼んでおいたのに、やってないんだ』
大柄な料理人の男の声が脳裏に浮かびました。
……水汲みをせずに、ティムは何をしていたんでしょうね。
「ティムは……」
「え?」
「叔父さん、ティムの部屋はどこですか」
私は廊下に飛び出しそうになる自分を抑えるのに精一杯でした。
身を隠しながら人のいない廊下を選んで移動し、ようやくティムに割り当てられている使用人部屋に駆け込むと、すでに彼の荷物はごっそりとなくなっていました。
「叔父さん! 馬車まで全速力です!」
このタイミングで荷物がないということは、ティムが協力者に違いありません。
乗合馬車に乗るには大通りまで出なくてはならないので、故郷へ帰る使用人は非番の御者にお金を渡して荷馬車を頼むことがよくあったのです。
逃げられてしまうかもしれない――私の額には青筋が浮いていたことでしょう。
「お、お前、大丈夫なのか?」
全力でダッシュしている私の隣で、叔父さんが息を切らして言います。
「何がです?」
「足、悪いんじゃないのか?」
ああ、と納得しました。私がこの足のせいで走ることができないという話を叔父さんは覚えていたのです。
「おかげさまで治りました」
治療のかいあって足はまっすぐになり、お医者様の見立て通り十八歳で補助具もいらなくなりました。今は無理をしなければ多少走っても問題ありません。
「で、でも、まだ補助具を、着けているじゃないか」
広がったスカートの裾から足が見えていたようです。もう叔父さんは『はしたない』と言わないのかと残念な気持ちになりました。
「これは魔除けですよ」
……エイミィの侍女になれと再び命令される可能性もありましたので、保険のつもりで付けていたのです。
私たちは建物の外へ飛び出して、そのまま馬車停めまで一気に走りました。
大荷物を持って御者と話をしているティムを確保できたのは、運が良かったとしか思えません。まさに間一髪でした。
逃げられないように私が荷物を押さえた瞬間、叔父さんはティムの横っ面を殴りました。
彼は体を宙に浮かせたあと地面に叩きつけられ、砂埃の舞う中、文句を言いたそうな顔をしてこちらを見上げました。
「ク、クロード様!」
旦那様付きの執事がいきなり現れたのが恐ろしかったのか、御者は完全にビビって逃げ出しました。
自分を殴ったのが執事のクロードだと気付いたティムは青ざめています。
以前話をした時には芯のある若者という印象だったのですが、彼には状況に流されやすいところがあるのかもしれません。思っていたよりもあっさりとジェシカ様の居場所を吐いてくれました。
「う、馬の飼い葉を保管している倉庫に、地下牢があるんです。百年くらい前からあるんだって、言ってました。入口の扉に鍵はないんですけど、地下牢の鍵は、エイミィ様しか持っていない、と思います……」
ティムの実家は王都の近くにある寒村で、貧しい親が悪い金貸しからお金を借りて返せなくなり、妹が金貸しに売られることになったそうです。売るのをやめさせるにはお金が必要で……というよくあるお話でした。
そんな時、エイミィに従えば借金分相当のお金を支払うと持ち掛けられ、どうしようもなかったのだと涙ながらにティムは訴えていました。
理由がどうであれ勤務先の貴族の娘を拉致しその罪を私に着せたことは許せません。ジェシカ様を救出してからどんな罰をくれてやろうか――と頭から湯気を出していると、馬の蹄の音が近付いてくるのが聞こえてきました。
「レイモンドと申します! ジェシカ殿にお取次ぎ願いたい!」
よく通る声と共に、見覚えのある白い髪と青い瞳の若者が、ひどく汚れた格好でお屋敷の門の前に現れたのです。
282
あなたにおすすめの小説
見るに堪えない顔の存在しない王女として、家族に疎まれ続けていたのに私の幸せを願ってくれる人のおかげで、私は安心して笑顔になれます
珠宮さくら
恋愛
ローザンネ国の島国で生まれたアンネリース・ランメルス。彼女には、双子の片割れがいた。何もかも与えてもらえている片割れと何も与えられることのないアンネリース。
そんなアンネリースを育ててくれた乳母とその娘のおかげでローザンネ国で生きることができた。そうでなければ、彼女はとっくに死んでいた。
そんな時に別の国の王太子の婚約者として留学することになったのだが、その条件は仮面を付けた者だった。
ローザンネ国で仮面を付けた者は、見るに堪えない顔をしている証だが、他所の国では真逆に捉えられていた。
報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?
小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。
しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。
突然の失恋に、落ち込むペルラ。
そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。
「俺は、放っておけないから来たのです」
初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて――
ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。
婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!
パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。
君を愛す気はない?どうぞご自由に!あなたがいない場所へ行きます。
みみぢあん
恋愛
貧乏なタムワース男爵家令嬢のマリエルは、初恋の騎士セイン・ガルフェルト侯爵の部下、ギリス・モリダールと結婚し初夜を迎えようとするが… 夫ギリスの暴言に耐えられず、マリエルは神殿へ逃げこんだ。
マリエルは身分違いで告白をできなくても、セインを愛する自分が、他の男性と結婚するのは間違いだと、自立への道をあゆもうとする。
そんなマリエルをセインは心配し… マリエルは愛するセインの優しさに苦悩する。
※ざまぁ系メインのお話ではありません、ご注意を😓
【完結】旦那様、その真実の愛とお幸せに
おのまとぺ
恋愛
「真実の愛を見つけてしまった。申し訳ないが、君とは離縁したい」
結婚三年目の祝いの席で、遅れて現れた夫アントンが放った第一声。レミリアは驚きつつも笑顔を作って夫を見上げる。
「承知いたしました、旦那様。その恋全力で応援します」
「え?」
驚愕するアントンをそのままに、レミリアは宣言通りに片想いのサポートのような真似を始める。呆然とする者、訝しむ者に見守られ、迫りつつある別れの日を二人はどういった形で迎えるのか。
◇真実の愛に目覚めた夫を支える妻の話
◇元サヤではありません
◇全56話完結予定
「失礼いたしますわ」と唇を噛む悪役令嬢は、破滅という結末から外れた?
パリパリかぷちーの
恋愛
「失礼いたしますわ」――断罪の広場で令嬢が告げたのは、たった一言の沈黙だった。
侯爵令嬢レオノーラ=ヴァン=エーデルハイトは、“涙の聖女”によって悪役とされ、王太子に婚約を破棄され、すべてを失った。だが彼女は泣かない。反論しない。赦しも求めない。ただ静かに、矛盾なき言葉と香りの力で、歪められた真実と制度の綻びに向き合っていく。
「誰にも属さず、誰も裁かず、それでもわたくしは、生きてまいりますわ」
これは、断罪劇という筋書きを拒んだ“悪役令嬢”が、沈黙と香りで“未来”という舞台を歩んだ、静かなる反抗と再生の物語。
【完結済み】妹の婚約者に、恋をした
鈴蘭
恋愛
妹を溺愛する母親と、仕事ばかりしている父親。
刺繍やレース編みが好きなマーガレットは、両親にプレゼントしようとするが、何時も妹に横取りされてしまう。
可愛がって貰えず、愛情に飢えていたマーガレットは、気遣ってくれた妹の婚約者に恋をしてしまった。
無事完結しました。
謹んで、婚約破棄をお受けいたします。
パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる