俺の可愛い弟が【勇者】だった

鈴花

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第8話 お冠

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「――……て!……お……」

 誰かが話しているのが聞こえる。
 まだ眠い俺はその声から逃れるようにもぞもぞと体を動かすが、声は止むどころか大きさを増していき、俺の眠りを妨げる。

(何なんだ……っつ!?)

「いっ、……あ、あれ? なっ……!?」

 声の出処を探ろうと、目を開こうとした俺の頭に衝撃が走った。
 眠気も吹っ飛び勢いよく目を開くと、すぐ目の前に、羞恥に塗れたヨハンの真っ赤な――

「う、わあああ!?」

 勢いよく後退して離れる。
 すっぽり肩まで被っていた布団がずれて、外気が素肌を撫でた。

(な、ななななんでヨハンが俺のベッドに!? というかなんで俺服着てねえのぉおお!?)

 俺は何故かパンツ一丁パンイチで、隣には顔を赤くしたヨハン。
 これはもしかして、もしかすると……!?

「やっ、ちまった……?」

 い、いやいやいやいや。ちょっと待て。
 俺は二日酔いでちょっと頭が痛いくらいで、ヨハンはちゃんと服着てるし、そもそも俺そんな趣味ないからいくら酔ってたとはいえ男と女を間違えるってことは……

(――ない。……と思いたい)

 若干願望が入っているのは確かだが、ここは自分を信じよう。
 俺があたふたと一人混乱している間にベッドから抜け出していたヨハンは、俺の呟きから察したのか、今度は目を吊り上げて睨みつけてきた。

「ちょっと! 変な妄想するの止めてくれる!? 寝惚けたあんたが僕をリュカと間違えただけだから!」
「へ? そ、そう、なのか……?」
「だいたい、ゲオルグはどこに行ったのさ!? 遅いと思ったらあんた一人酔っ払って帰ってくるし。ちゃんと何があったか説明してもらうからね!?」

 ヨハンとの間に何もなかったと分かってホッとしたのも束の間、大層お冠なヨハンに矢継ぎ早に昨夜のことを問い詰められて、俺は思わず顔が引き攣るのが分かった。
 帰って来てすぐに弁明しておけばまだ彼の怒りも小さかったのだろうが、昨夜は彼らのいる宿を探すために数軒巡ることになり、辿り着いた頃には疲れ果てていて宿屋の主人に案内されたあとすぐに寝てしまったのだ。
 
「話す! 話すからちょっと落ち着け……」
「兄ちゃん……? なんか大きな声が聞こえたけど――」
「きゃっ!? ふ、服を着てください~!」

 ヨハンの声を聞きつけて部屋の扉を開けたリュカが、室内の様子に何事かと目を丸くした。その後ろからひょっこりと顔を覗かせたアンジュなんか、顔を真っ赤にしてしゃがみこんでしまい、なんとも言えない空気が流れた。

「……はあ。まずは湯浴みでもしてさっぱりしてきたら? そろそろ部屋引き渡さなきゃいけないし」

 二人の登場に毒気を抜かれたのか、落ち着きを取り戻したヨハンが二人を連れて部屋から出て行く。
 すれ違いざま、「納得いく説明を期待してるから」と念を押されこそしたが、一度爆発したことで話す頃にはきっと勢いは弱まっていることだろう。


 昨夜はそれどころではなく分からなかったが、俺たちが泊まったのはかなり高級な宿屋のようだ。
 普通の、俺やリュカなど民間人が普段泊まる宿には個別に風呂なんて付いていない――個別どころかむしろ宿屋自体に付いていないことの方が多い――し、落ち着いて見てみれば、廊下や部屋の隅に無造作に置かれた調度品なんかはどれも一級品。相当なお値段がしそうだ。
 宿屋の一階で経営している食事処で朝食をとりながら昨夜のことを説明し切った俺は、刻々と眉間の皺が深くなっていくヨハンを直視することが出来ず、そんなことばかりを考えていた。

 元々、リュカは怒るというより一人で帰って来たことへの心配が大きく、アンジュは今朝のことがあってからか俺をチラチラ見ては目を逸らしてこそいるが、怒ってはいなさそうだったのだ。
 問題はヨハン。
 怒られることは最初から分かっていたのだが、それがまさか俺一人でだとは思わなかった。
 昨日何としてでもゲオルグを連れて帰っていたら、だとか、むしろ俺も屯所に泊まっていたら、なんて悔しがっても今更どうにもならない。

「……ふぅん? まあ、話は分かったよ」

 だから、ヨハン意外と怒りを感じさせない声色でそう呟いたとき、俺は心から安堵した。

「襲ってくる目的を知るために、敢えて隙を見せて誘った」
「あ、ああ。そうだ」
「実際、ちゃんと撃退したし、このあと屯所に行けば目的だって分かるだろうね」
「おう!」

 どうしたことか。
 ヨハンの言葉は先程まで怒っていたのが嘘のように穏やかで、逆に賞賛している響きさえあった。
 やっぱりきちんと説明したら分かってくれたんだな、と鷹揚に頷く俺に、「でも、」とヨハンは冷めた瞳を向けた。

「ちゃんと成果を上げたいいよ。でもただ無駄に酒を飲んで、肝心なときに使い物にならなかったゲオルグは……ねえ?」
「あ、はは……」

(すまん、ゲオルグ!!)

 元々嘘をつくのが苦手なこともあり、彼が嘔吐したこと以外は全てありのままを話した結果、ヨハンの怒りの矛先はゲオルグ一人に注がれることになったようだ。
 実際役に立っていなかったのは本当だし、言っていることは正しいのだが、俺からしたら責任を擦り付けたみたいで少々心苦しさを感じる。
 けれど自分が話した以上庇うことの出来ない俺は、「もう引き取りに行かなくていいんじゃない?」と怒り心頭のヨハンを宥めることしか出来なかった。


 静かな怒りを燃やすヨハンをなんとか説得し、屯所へと訪れたのはいいが、到着して早々、俺は頭を抱えることとなった。

「お? 遅かったな! お前らも飯食ったか?」

 本来ならば彼らの控え室であるだろう場所は、貴族の、そして【勇者】御一行の一員であるゲオルグのために解放されており、彼らが軽食をとるためのテーブルには今やゲオルグのための豪勢な食事が並んでいた。
 部屋の隅に置いてある簡易ベッドが乱れたままであることから察するに、昨夜はこの部屋で寝たのだろう。
 本来ならば夜勤の者が休憩するためのものなのだろうが、彼らはどこで休んだのか。
 流石に牢に入れることはないと踏んでいたが、こうも至れり尽くせりだと腹の虫がおさまらない。
 柔らかなパンを頬張りながら、片手を上げて歓迎する姿勢を見せるゲオルグに、ヨハンは片方の眉をくっと吊り上げた。

「へえ、いいご身分だね。楽しく酒飲んで、今度は彼らの仕事の邪魔? 少しは反省しているのかと思ってたけど、やっぱり君の頭には筋肉しか詰まっていないらしい」
「なんだとっ!?」

 一瞬にして険悪な空気に包まれた部屋の中、俺はなんとも言えない表情で彼らから視線を逸らし、ひたすら床を見つめていた。
 ヨハンが怒るのも無理はない、というか俺だってゲオルグの勝手さには「嘘だろ!?」と声を大にして言ってやりたかったし、ここに来ての彼の態度には呆れたというか、もうちょっと申し訳なさを見せてもらいたかった。
 けれど、だからといって寄って集ってゲオルグを糾弾するのも違うというか……つまり”告げ口”した状態の俺は後ろめたさを感じていた。
 
「お、おおおお落ち着いて下さい! ゲオルグ様だって、酔いたくて酔ったわけではないでしょうし、結果的には撃退出来たのですから」
「た、確かにゲオルグの作戦があったから撃退出来たようなものだな! うん!!」

 アンジュの援護に、俺は水を得た魚の如く食い気味に頷いた。
 実際は作戦のおかげではなく完全なる”装備の力”だが、この一触即発な空気が払拭されるなら喜んで捏造しよう。
 アンジュと俺が庇ったことで、二人の殺伐とした雰囲気が少しだけ和らいだ気がする。
 あと一押し、何かフォローするところはないかと考えていると、今まで黙っていたリュカがおもむろに口を開いた。

「僕はヨハンさんが言っているのが正しいと思うよ。ただでさえ人数で劣っていたのに、ゲオルグさんまでダウンして兄ちゃん一人で闘わなきゃいけなかったんだから。今回は勝てたからよかったけど、それで兄ちゃんが死んじゃってたら――……僕はゲオルグさんを絶対に許せない」

 静かな怒りを孕んだその言葉に、辺りは水を打ったように静まり返った。
 リュカの批難に思うところがあったのか、ゲオルグはきまりが悪そうに視線を泳がせると、テーブルに腕をついて勢いよく頭を下げた。

「カイ…………すまねえ! 俺が言い出したことなのに一人で闘わせちまった。リュカの言う通り、取り返しのつかないことになることだってあるんだよな……俺の考えが甘かった」
「お、おう。次はしっかり頼む」

 心底反省した様子に頷くと、ゲオルグは安堵の表情を見せた。
 俺のためにゲオルグに物申したリュカの顔はまだ強ばっていて、こんなにも心配をかけていた事実に俺は心が痛んだ。

「最初からそうやって謝ればよかったのに。……どうせ、いつも飲む酒より質が悪くて思ったより悪酔いしたとかそんなところでしょ? まあ、それに気付けない時点で馬鹿なんだけど」
「ぐぅっ……」

 呆れたとでも言いたげに首を振るヨハンに、ゲオルグは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 このままここにいると喧嘩が再発する恐れがあるため、俺たちは食事中のゲオルグを残し、男たちから調書をとった人と話をすることにした。
 厳重な警備の整った地下牢へと通され、俺はその光景に愕然とした。
 両手両足を壁に拘束され、至るところから真新しい血を流す男たち。
 見たところ欠けている部位はないみたいだが、その瞳は虚ろでかなり酷い目にあったのだと推測された。
 思わずリュカの目を手で覆い隠していると、彼らの前に座っていた男の背中がゆらりと立ち上がった。

「おや……お見苦しいところをお見せ致しました。上でお茶でも――ああ、そうか。今はゲオルグ様が使われているのでしたね。狭くて申し訳ありませんが、こちらへどうぞ」
 
 ひょろりとした風体に丸い眼鏡。研究職だと言われても信じそうなその男に案内されたのは、牢の隅に設けられた小部屋だった。
 壁や棚には所狭しと拷問に使うであろう器具がひしめき合っていて、あまりの物騒さに俺は頬を引き攣らせた。

(おいおいおい……人を通していい部屋じゃないだろ、これ……)

 テーブルの上に乗せられていた機材を払い落とし、座るよう促してきたのは拷問に使うらしきもの。
 まともな椅子もあるにはあるのだが、数が足りない。
 背もたれや肘掛けに拘束具がついている椅子や、頭のくる部分に針のようなものがついている椅子。……よく見れば所々に血が滲んだ跡までも見てとれた。

「ゲ、ゲオルグももう食い終わっただろうし、やっぱり上で話さないか?」
「で、ですよね! 私もそれがいいと思います」

 俺と同じように顔を強ばらせているアンジュが頷く。
 ヨハンは興味深そうに部屋を眺めているし、リュカに至っては何も分かっていないのか手錠型の拘束具を弄って遊んでいて、このままこの部屋にいて変な趣味に目覚められたら困る。
 俺たちの申し出に男は不思議そうに首を傾げたあと、ややあって頷いた。


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