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第26話
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日もないことも手伝って、蒼真が出発するまで結構慌ただしい時間が続いていた。
圭吾は取り敢えず端末での連絡を署に入れている。
『連絡がなくてなにがあったのか心配してたんだぞ。容疑者はどうなってるんだ』
やはりだが、怒られた。1日連絡入れなかっただけなんだけどな…と思うがそう言うことでもない。
取り敢えず、容疑者であった2人「岩沙蒼真」と「岩沙 翔」はMBLからの脱走者で、自分たちの落ち度もあったが先日連れ去られ、爆破事故に巻き込まれて死亡したことを報告した。
そして2人はやはりバイオレットであったことが確定していて、組織ではなく2人のチームで行動をしていたこと、そして証拠物として、彼らが置いていった荷物のひとつに相当量のピュアがあったことも伝えた。
部長は彼らが亡くなったことを非常に残念がっていたが、これでバイオレットの捜査も打ち切りだな、となんだか少し寂しそうではあった。
ここ数年はバイオレットの捜査に打ち込んできていた部長だ。ちょっと生きがいを無くしてしまうかもな…と圭吾も思った。
「ともあれ、よくやった高梨。今日はカーランクルはいないのか」
「本日は別行動です」
「そうか、いずれにせよ本当によくやった。よく調査もしてあるし見事だぞ。休暇中ではあるが一度署まで来い。カーランクルと一緒にな」
と言って部長は回線を切った。
「何か貰えるのかな。バイオレットの捜査に決着をつけた本人たちだもんな」
画面に映らないように隣の寝室に行っていた蒼真が、のそのそと這い出てきて椅子に座る圭吾の足に懐く。
「貰えるのも結構だが、もし許されるなら頼み事をしようと思っている」
蒼真の髪を撫でながらの言葉に、蒼真は顔を見た。
「なにが欲しいんだ?」
「違う、物じゃない。申請をしようと思ってる」
「なんの?」
「オーストラリア区の所轄への異動申請だ」
ピンっと頭を上げて呆気にとられている蒼真の頬を包んで軽く引き上げると、蒼真は膝立ちになる。
「ほんと?」
「ああ、多分通ると思う」
「圭吾!」
声をあげて圭吾に飛びついた。
「おっ、おいあぶなっ」
不意に飛びつかれて、背もたれのないスツール様の椅子から蒼真を抱えて後ろに落ちるのは流石に怖い。
だが蒼真は意にも介さず
「圭吾…」
と落ちた先で、より強く圭吾に抱きついた。
本当は離れたくなかったんだ…などと素直なことを蒼真が言うわけがないが、今こうして飛びついてきた蒼真の行動は、その気持ちを表すのに充分だった。
床に座り込んで蒼真を抱きしめていた圭吾は、蒼真の頭を撫でて頷く。
「ちょっと時間はかかるかもしれないけどな…」
という圭吾の言葉に腕の中でーかまわないさーと小さく首を振って、圭吾により強く抱きついていった。
「じゃあな圭吾。今夜7時にシンジュクの『サウール』な。遅れんなよ、主賓」
圭吾の背中をポンポンと叩いてジョイスが走り去ってゆく。
あれから1ヶ月。思ったより早く圭吾のオーストラリア区への異動が決まり、今日はその送別会をジョイスと翔がやってくれるという。
出立までは2週間。その間引き継ぎや異動先での仕事の調整等で忙しい日々を送っていた。
実はあの一件で、圭吾とジョイスに昇級の打診があったのだ。
全世界を巻き込んでのバイオレットの捜査を終わらせた功績は大きい。
元々キャリアで入ったので警部補でいたのだが、今回特例で警部への昇進が認められている。
しかし2人はそれを辞退した。
バイオレットの捜査終了は、決して自分たちの功績ではないし、あの2人の胸の痛くなるような今までの人生を思うと、それを喜んで受け入れる事はできなかった。
順当に仕事をして、ちゃんとした功績をあげてから昇級をしようと2人で話し合い、辞退を申し入れた。
部長は相変わらず驚かす奴らだな、と不思議がってはいたが、こればかりは誰にも判らない話だ。
「わかった」
去ってゆくジョイスに軽く手を振って、圭吾はロッカーを閉める。
所轄の送別会も、また別でやってくれると言うので、酒も控えなきゃだな…などと考えながら、今日の捜査報告書に向き合った。
『麻薬常習者夫夫共に 重度Aランク…』
そこまで書いて圭吾は手をとめた。
この2人の逮捕に赴いた時、2人がしていた指輪が目についたことを思い出したのだ。
指輪は、形だけでもと買ったものが部屋にある。
『オーストラリアに行く時に忘れない様にしないとな』
と思いに耽ったが、ふと我に帰り時間を気にしながら慌てて調書に戻った。
入り口まで来てみたものの少し時間が早いことに気づいた。
圭吾はタバコでも買ってこようと反転したときに後になったドアが開き、ジョイスが圭吾を呼び止める。
「どこ行くんだ?」
「早く来すぎたみたいだから、たばこでもと思って」
「なにをおっしゃいます、タバコなんぞは私めが買って参ります。ささ、主賓は中へ」
気持ち悪い喋り方と動作でドアを開けて恭しく頭を下げるジョイスに
「やめてくれ…」
とお願いをして頭を上げさせた。
まあ冗談はいいとしてー とジョイスは圭吾を中へと促し、左方向を指差し、
「あの1番奥の席で待っててくれ。すぐに翔が来るからさ」
「最奥でいいんだな?」
「そそ、待っててな」
「お前はどこに行くんだ?」
そういえばジョイスは別段圭吾を迎えに店の前に来たわけでもあるまい。
「ちょっと野暮用。タバコも買ってくるから。まっててな」
と店を出ていってしまう。
相変わらず慌ただしいやつだな、と店の中へ歩を進めた。
店の中は結構広く、自分は今入り口を入って左に曲がったが、入り口正面へも客席が広がっていて、圭吾はこの店に来たのは初めてだったが、いい作りだなと周りを見ながら歩いていた。
通路の奥に向かって左側だけボックス席が並び、右側は一箇所料理を出すのであろうカウンターがあったが、そのほかは白い壁で飛び飛びに絵が飾られている。
その通路を歩いてちょうどそのカウンターの前あたりまで来た時に、不意にボックス席から
「高梨圭吾さん…ですよね」
と声をかけられた。
不意に呼ばれて、左側ボックスへと目を落とす。
「はい…ええと…」
妙な帽子を被っている上に、圭吾の方が高い位置にいるので顔が確認できない。
「あの…」
不審に思い声をかけるが
「わかりませんか…」
と言われるだけ。そう言われてもな…とは思うが、もしかしたら誰か署の奴が聞きつけてからかているだけかもしれない、と思い、
「誰だって?その帽子取っ…」
誰かのイタズラとしか思えずに、圭吾はその帽子を勢いよく剥いでみたが、そこに現れた人物をみて息が止まるかと思うほど驚いた。いや、驚くなんてものでは説明がつかない、嫌悪感と嘔吐感が一気に押し寄せて来るような…いやな…
「ハ…ワード…リ…フ」
「久しぶりだね、元気そうで何よりだ」
ニヤニヤと笑って、ハワードは座りたまえと目の前の椅子を示した。そう言われて座るわけもなく…
「なんで…」
体が硬直して動けない圭吾の声は、掠れて音が出ていたかどうか。
死んだ…はずだ。あの奈落に落ちていくのをこの目で見ていたのだから、まちがいはない…
「君は私の研究を理解しきれていないようだね」
ハワードはクッと息を詰まらせるような笑い方をする。圭吾は一瞬眉を寄せたが
「まさか…」
「わかったかい?そう、あの時死んだのは私のクローン体だ」
顔が引き攣る。どうしようもない感情に体が縛られているようだ。
「今日ここには、蒼真と翔も来るのかい?」
「来たってあんたには関係ないだろう。もうあんな研究をするところも無くなったんだからな」
「そうだね…無くなってしまった…。私の研究は全てダメになってしまったんだ」
「今更何の用があると言うんだ…あの2人に」
「別に…顔が見たいだけだ。私は会っていないからねあの時」
ハワードのいつもの様子というのを知っていたわけではないから、圭吾はハワードの様子が違うことに気づけないでいた。
「蒼真がオーストラリアにいった事は知っている。今日来るのは翔だけなんだろう?
「拳を握りしめた圭吾の『なんで知ってる…』という顔に、ハワードは人のいい笑みを浮かべた。
「私の情報網を甘く見てはいかんよ」
たとえMBLがなくなっても、元所長ということになれば情報屋の数人は抱えているだろう。
しかし妙なのは、蒼真がオーストラリアへ行ったことまで知っていて、なぜ追わないのか。
「目的はなんだ…俺の前に現れた目的だ」
言った後、ここでは人目がありすぎる、と続けた圭吾にハワードはーここでいいんだよーといってまた笑う。
「蒼真を追うのは簡単なことだよ。でもな、蒼真…いや15号は私から何もかも奪った憎いやつだ。私もやつから奪えるもの全てを奪わないと快く死ねないんだ…」
座った位置から圭吾を見上げてきた目は、正気とはとても思えなかった。
圭吾は背中に冷たいものが走った感覚に咄嗟に身構える。
ーまさか…翔を道連れにするつもりか…ー
そんな確信めいた考えが閃いた瞬間、翔が店に入って来てしまった。
翔は圭吾が話しているのは、知り合いがいたのかな…くらいにしか思わず、安心し切って圭吾に近寄ってくる。
「圭吾、遅れちゃって…」
「翔っ来るな!逃げろ!ハワードだ。生きてたんだ!」
「え?」
ハワードという名前に反射的に逃げる体制をとった翔だったが、少しだけ戸惑った意識で圭吾の傍にいる男を見てみた。
確かにハワードであったが、その手に握られている物の方が驚異だ。
「圭吾っ危ないっ!」
咄嗟に走り出して、圭吾を少しでもハワードから離そうと飛びつく。
ハワードの手に握られていた物、それは軍事用の手榴弾であったのだ。
「皆、私と共に死ねっ」
その声と共に大爆発が起こり、店は激しい音と共に弾け飛んだ。
ジョイスは自分の用を済ませ、それと共に圭吾のタバコを買ってテコテコと歩いてくる。そして爆発の音に顔を引き締めた。
見ると圭吾と翔が待っているはずの店が消し飛んでいる。
「圭吾!翔!」
駆け出して店の前まで行ったが、火の勢いが強くてとてもじゃないが近寄れない。
「圭吾……翔…」
ジョイスはその場にへたり込んで、呆然と燃え盛る炎を見つめていた。
蒼真の元へ連絡が入ったのは、それから3日後だった。
とてもじゃないが翔と圭吾が死んだなんて蒼真に連絡できない、というジョイスに代わって、ユージが事務的に知らせてきたのである。
『警察の葬儀も、翔の葬儀も済んだ。遺体は2人とも見つからなかったけど、あれじゃあ助からなかったと、俺も思う。気を落とすな…って言ったって無理だろうけど…滅多なこと考えるなよ。一度日本に来てみるといい』
その日から蒼真は一言も口を利かなくなってしまった。
ただリビングの窓から外を見ながら1日を過ごす、という毎日である。
「ねえ、トシヤ。蒼真大丈夫かしら…」
オーストラリアは冬の終わりを迎えていたが、朝晩はまだ寒い。
なんとか朝食を済ませ、自分の場所と決めた窓際の木の椅子へ座った蒼真は、サラがくれたニットの膝掛けを肩から掛けて、また外を眺めていた。
蒼真が頼ってきたサラは、蒼真が来た途端に不幸に見舞われたことに酷く心を痛め、しかしどう慰めたらいいのか判らずに毎日蒼真のしたいようにさせていた。
サラの夫のトシヤも同じ気持ちで、毎日外をみる蒼真を見守るしかない日々を過ごしている。
「難しいよな、実際…。どうしたらいいのかなんて、俺たちが聞きたいくらいだ」
「一度日本へ戻ってみたらどうなのかしら…」
「戻りたければ、真っ先に戻ってるだろう。圭吾とかいう人のことは俺たち知らないけど、翔が死んでるんだぜ…。それでも戻らないんだから、よっぽど戻りたくないんだろうな」
『オーストラリアへの異動が決まったぞ。来月の頭には一緒に暮らせる。そうしたらずっと一緒だな』
そうメッセージをもらったのはほんの1週間前だ。圭吾は約束を破らない。絶対ここへ来てくれるから、動けないんだ。と思い続けて窓辺に座っている。
「蒼真、お茶が入ったわよ」
そんなサラの言葉にも、蒼真は首を横に振るだけだった。
圭吾は取り敢えず端末での連絡を署に入れている。
『連絡がなくてなにがあったのか心配してたんだぞ。容疑者はどうなってるんだ』
やはりだが、怒られた。1日連絡入れなかっただけなんだけどな…と思うがそう言うことでもない。
取り敢えず、容疑者であった2人「岩沙蒼真」と「岩沙 翔」はMBLからの脱走者で、自分たちの落ち度もあったが先日連れ去られ、爆破事故に巻き込まれて死亡したことを報告した。
そして2人はやはりバイオレットであったことが確定していて、組織ではなく2人のチームで行動をしていたこと、そして証拠物として、彼らが置いていった荷物のひとつに相当量のピュアがあったことも伝えた。
部長は彼らが亡くなったことを非常に残念がっていたが、これでバイオレットの捜査も打ち切りだな、となんだか少し寂しそうではあった。
ここ数年はバイオレットの捜査に打ち込んできていた部長だ。ちょっと生きがいを無くしてしまうかもな…と圭吾も思った。
「ともあれ、よくやった高梨。今日はカーランクルはいないのか」
「本日は別行動です」
「そうか、いずれにせよ本当によくやった。よく調査もしてあるし見事だぞ。休暇中ではあるが一度署まで来い。カーランクルと一緒にな」
と言って部長は回線を切った。
「何か貰えるのかな。バイオレットの捜査に決着をつけた本人たちだもんな」
画面に映らないように隣の寝室に行っていた蒼真が、のそのそと這い出てきて椅子に座る圭吾の足に懐く。
「貰えるのも結構だが、もし許されるなら頼み事をしようと思っている」
蒼真の髪を撫でながらの言葉に、蒼真は顔を見た。
「なにが欲しいんだ?」
「違う、物じゃない。申請をしようと思ってる」
「なんの?」
「オーストラリア区の所轄への異動申請だ」
ピンっと頭を上げて呆気にとられている蒼真の頬を包んで軽く引き上げると、蒼真は膝立ちになる。
「ほんと?」
「ああ、多分通ると思う」
「圭吾!」
声をあげて圭吾に飛びついた。
「おっ、おいあぶなっ」
不意に飛びつかれて、背もたれのないスツール様の椅子から蒼真を抱えて後ろに落ちるのは流石に怖い。
だが蒼真は意にも介さず
「圭吾…」
と落ちた先で、より強く圭吾に抱きついた。
本当は離れたくなかったんだ…などと素直なことを蒼真が言うわけがないが、今こうして飛びついてきた蒼真の行動は、その気持ちを表すのに充分だった。
床に座り込んで蒼真を抱きしめていた圭吾は、蒼真の頭を撫でて頷く。
「ちょっと時間はかかるかもしれないけどな…」
という圭吾の言葉に腕の中でーかまわないさーと小さく首を振って、圭吾により強く抱きついていった。
「じゃあな圭吾。今夜7時にシンジュクの『サウール』な。遅れんなよ、主賓」
圭吾の背中をポンポンと叩いてジョイスが走り去ってゆく。
あれから1ヶ月。思ったより早く圭吾のオーストラリア区への異動が決まり、今日はその送別会をジョイスと翔がやってくれるという。
出立までは2週間。その間引き継ぎや異動先での仕事の調整等で忙しい日々を送っていた。
実はあの一件で、圭吾とジョイスに昇級の打診があったのだ。
全世界を巻き込んでのバイオレットの捜査を終わらせた功績は大きい。
元々キャリアで入ったので警部補でいたのだが、今回特例で警部への昇進が認められている。
しかし2人はそれを辞退した。
バイオレットの捜査終了は、決して自分たちの功績ではないし、あの2人の胸の痛くなるような今までの人生を思うと、それを喜んで受け入れる事はできなかった。
順当に仕事をして、ちゃんとした功績をあげてから昇級をしようと2人で話し合い、辞退を申し入れた。
部長は相変わらず驚かす奴らだな、と不思議がってはいたが、こればかりは誰にも判らない話だ。
「わかった」
去ってゆくジョイスに軽く手を振って、圭吾はロッカーを閉める。
所轄の送別会も、また別でやってくれると言うので、酒も控えなきゃだな…などと考えながら、今日の捜査報告書に向き合った。
『麻薬常習者夫夫共に 重度Aランク…』
そこまで書いて圭吾は手をとめた。
この2人の逮捕に赴いた時、2人がしていた指輪が目についたことを思い出したのだ。
指輪は、形だけでもと買ったものが部屋にある。
『オーストラリアに行く時に忘れない様にしないとな』
と思いに耽ったが、ふと我に帰り時間を気にしながら慌てて調書に戻った。
入り口まで来てみたものの少し時間が早いことに気づいた。
圭吾はタバコでも買ってこようと反転したときに後になったドアが開き、ジョイスが圭吾を呼び止める。
「どこ行くんだ?」
「早く来すぎたみたいだから、たばこでもと思って」
「なにをおっしゃいます、タバコなんぞは私めが買って参ります。ささ、主賓は中へ」
気持ち悪い喋り方と動作でドアを開けて恭しく頭を下げるジョイスに
「やめてくれ…」
とお願いをして頭を上げさせた。
まあ冗談はいいとしてー とジョイスは圭吾を中へと促し、左方向を指差し、
「あの1番奥の席で待っててくれ。すぐに翔が来るからさ」
「最奥でいいんだな?」
「そそ、待っててな」
「お前はどこに行くんだ?」
そういえばジョイスは別段圭吾を迎えに店の前に来たわけでもあるまい。
「ちょっと野暮用。タバコも買ってくるから。まっててな」
と店を出ていってしまう。
相変わらず慌ただしいやつだな、と店の中へ歩を進めた。
店の中は結構広く、自分は今入り口を入って左に曲がったが、入り口正面へも客席が広がっていて、圭吾はこの店に来たのは初めてだったが、いい作りだなと周りを見ながら歩いていた。
通路の奥に向かって左側だけボックス席が並び、右側は一箇所料理を出すのであろうカウンターがあったが、そのほかは白い壁で飛び飛びに絵が飾られている。
その通路を歩いてちょうどそのカウンターの前あたりまで来た時に、不意にボックス席から
「高梨圭吾さん…ですよね」
と声をかけられた。
不意に呼ばれて、左側ボックスへと目を落とす。
「はい…ええと…」
妙な帽子を被っている上に、圭吾の方が高い位置にいるので顔が確認できない。
「あの…」
不審に思い声をかけるが
「わかりませんか…」
と言われるだけ。そう言われてもな…とは思うが、もしかしたら誰か署の奴が聞きつけてからかているだけかもしれない、と思い、
「誰だって?その帽子取っ…」
誰かのイタズラとしか思えずに、圭吾はその帽子を勢いよく剥いでみたが、そこに現れた人物をみて息が止まるかと思うほど驚いた。いや、驚くなんてものでは説明がつかない、嫌悪感と嘔吐感が一気に押し寄せて来るような…いやな…
「ハ…ワード…リ…フ」
「久しぶりだね、元気そうで何よりだ」
ニヤニヤと笑って、ハワードは座りたまえと目の前の椅子を示した。そう言われて座るわけもなく…
「なんで…」
体が硬直して動けない圭吾の声は、掠れて音が出ていたかどうか。
死んだ…はずだ。あの奈落に落ちていくのをこの目で見ていたのだから、まちがいはない…
「君は私の研究を理解しきれていないようだね」
ハワードはクッと息を詰まらせるような笑い方をする。圭吾は一瞬眉を寄せたが
「まさか…」
「わかったかい?そう、あの時死んだのは私のクローン体だ」
顔が引き攣る。どうしようもない感情に体が縛られているようだ。
「今日ここには、蒼真と翔も来るのかい?」
「来たってあんたには関係ないだろう。もうあんな研究をするところも無くなったんだからな」
「そうだね…無くなってしまった…。私の研究は全てダメになってしまったんだ」
「今更何の用があると言うんだ…あの2人に」
「別に…顔が見たいだけだ。私は会っていないからねあの時」
ハワードのいつもの様子というのを知っていたわけではないから、圭吾はハワードの様子が違うことに気づけないでいた。
「蒼真がオーストラリアにいった事は知っている。今日来るのは翔だけなんだろう?
「拳を握りしめた圭吾の『なんで知ってる…』という顔に、ハワードは人のいい笑みを浮かべた。
「私の情報網を甘く見てはいかんよ」
たとえMBLがなくなっても、元所長ということになれば情報屋の数人は抱えているだろう。
しかし妙なのは、蒼真がオーストラリアへ行ったことまで知っていて、なぜ追わないのか。
「目的はなんだ…俺の前に現れた目的だ」
言った後、ここでは人目がありすぎる、と続けた圭吾にハワードはーここでいいんだよーといってまた笑う。
「蒼真を追うのは簡単なことだよ。でもな、蒼真…いや15号は私から何もかも奪った憎いやつだ。私もやつから奪えるもの全てを奪わないと快く死ねないんだ…」
座った位置から圭吾を見上げてきた目は、正気とはとても思えなかった。
圭吾は背中に冷たいものが走った感覚に咄嗟に身構える。
ーまさか…翔を道連れにするつもりか…ー
そんな確信めいた考えが閃いた瞬間、翔が店に入って来てしまった。
翔は圭吾が話しているのは、知り合いがいたのかな…くらいにしか思わず、安心し切って圭吾に近寄ってくる。
「圭吾、遅れちゃって…」
「翔っ来るな!逃げろ!ハワードだ。生きてたんだ!」
「え?」
ハワードという名前に反射的に逃げる体制をとった翔だったが、少しだけ戸惑った意識で圭吾の傍にいる男を見てみた。
確かにハワードであったが、その手に握られている物の方が驚異だ。
「圭吾っ危ないっ!」
咄嗟に走り出して、圭吾を少しでもハワードから離そうと飛びつく。
ハワードの手に握られていた物、それは軍事用の手榴弾であったのだ。
「皆、私と共に死ねっ」
その声と共に大爆発が起こり、店は激しい音と共に弾け飛んだ。
ジョイスは自分の用を済ませ、それと共に圭吾のタバコを買ってテコテコと歩いてくる。そして爆発の音に顔を引き締めた。
見ると圭吾と翔が待っているはずの店が消し飛んでいる。
「圭吾!翔!」
駆け出して店の前まで行ったが、火の勢いが強くてとてもじゃないが近寄れない。
「圭吾……翔…」
ジョイスはその場にへたり込んで、呆然と燃え盛る炎を見つめていた。
蒼真の元へ連絡が入ったのは、それから3日後だった。
とてもじゃないが翔と圭吾が死んだなんて蒼真に連絡できない、というジョイスに代わって、ユージが事務的に知らせてきたのである。
『警察の葬儀も、翔の葬儀も済んだ。遺体は2人とも見つからなかったけど、あれじゃあ助からなかったと、俺も思う。気を落とすな…って言ったって無理だろうけど…滅多なこと考えるなよ。一度日本に来てみるといい』
その日から蒼真は一言も口を利かなくなってしまった。
ただリビングの窓から外を見ながら1日を過ごす、という毎日である。
「ねえ、トシヤ。蒼真大丈夫かしら…」
オーストラリアは冬の終わりを迎えていたが、朝晩はまだ寒い。
なんとか朝食を済ませ、自分の場所と決めた窓際の木の椅子へ座った蒼真は、サラがくれたニットの膝掛けを肩から掛けて、また外を眺めていた。
蒼真が頼ってきたサラは、蒼真が来た途端に不幸に見舞われたことに酷く心を痛め、しかしどう慰めたらいいのか判らずに毎日蒼真のしたいようにさせていた。
サラの夫のトシヤも同じ気持ちで、毎日外をみる蒼真を見守るしかない日々を過ごしている。
「難しいよな、実際…。どうしたらいいのかなんて、俺たちが聞きたいくらいだ」
「一度日本へ戻ってみたらどうなのかしら…」
「戻りたければ、真っ先に戻ってるだろう。圭吾とかいう人のことは俺たち知らないけど、翔が死んでるんだぜ…。それでも戻らないんだから、よっぽど戻りたくないんだろうな」
『オーストラリアへの異動が決まったぞ。来月の頭には一緒に暮らせる。そうしたらずっと一緒だな』
そうメッセージをもらったのはほんの1週間前だ。圭吾は約束を破らない。絶対ここへ来てくれるから、動けないんだ。と思い続けて窓辺に座っている。
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