エレガントエレファンツ

うらや 

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1章

8話

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 俺は今、スノウの車に乗っていた。隣ではいやに上機嫌なスノウがハンドルを握っている。病院を出て実家に帰ろうとしたところをスノウに引き留められ、あれよあれよと両親は言いくるめられた。その結果、誘拐同然の帰路を辿っている。
「骨が何本か折れてるんだってね。お風呂とか、トイレとか手伝うからね」
「……いらない」
「遠慮しないで!」
 スノウは気味が悪いほど機嫌が良かった。ずっと笑顔で、鼻歌でも歌い出しそうだ。車が赤信号で止まる。
「あ、そうだ。僕、今晩はちょっと出かけるね」
「えっ」
「ごめんよ。寂しいだろうけど、すぐに帰ってくるからさ」
 ね。スノウがこちらを見て笑う。目が暗い、暗い穴のようだった。何も言えなかった。ただ、目の前の男がいよいよ化け物の顔を見せたのだと、何故だかそう直感した。

ーーーーーー

 スノウが家を出て三十分ほど経つ。宣言通り、風呂飯排泄の介助をほとんど無理やりされて疲労困憊だった。また何かと理由をつけて押さえつけられるかと思ったが、意外なことにスノウは介助以上のことをすることはなかった。
 三十分。徒歩にしろ車にしろ、十分遠くに行ける時間だった。シャワー室のバスタブ。そこにはスノウのパソコン本体と、忘れていった携帯が水に沈んでいた。部屋に張り付けられていた写真は全てライターで燃やした。指がうまく動かなくて、少し火傷をしたけどなんてことなかった。あの悍ましい部屋は、びっくりするほど何も無くなった。
 途方もない安堵感が胸を支配する。深く息を吐く。
 鞄を肩に掛け、動かしにくい腕で玄関の鍵を開け、ゆっくりと外廊下の様子を伺う。人気はない。なるべく物音を立てないよう、ゆっくりと外に滑り出る。周囲に誰もおらず、劣化した蛍光灯がちかちかと点滅しているだけだった。
 足早に廊下を歩き、階段を下りる。管理人の老婆も今は見当たらない。
 足の骨が折れていないのは幸いだった。暗い夜道で左右を見渡す。スノウの車が無い。戻ってくる前にさっさと何処かに逃げよう。
 なるべく人通りのない道を歩いて行く。
 風がきもちいい。日光で焼けたアスファルトの匂いの名残が、風に乗ってやってくる。踊り出しそうだった。
 殴られるのも痛かった。無理やり犯されるのも辛かった。死にたいとすら思うほど、ここ数日は最悪だった。
 でもそれも終わる! 静かに灯る街灯に、ギプスで固められた腕を通して回る。ステップを踏む。これで元の生活に戻れる! 明日の朝、一番に警察に行こう。洗いざらい話して、あのイかれた男を捕まえてもらおう。
「やあ」
 ステップが止まる。
 墜落するように体温が下がり、代わりに冷や汗が湧き上がる。
「随分、ご機嫌なステップだね。まるでミツバチのようだ」
 低い声だった。地を這うようなバスボイス。振り返るより早く、影が俺の前に立ち塞がる。黒い帽子、黒いコート、マスク。今日、ビルで出会った男だった。
「今日、あんな目にあったというのに、随分いい気分のようだ。君はいいね。すごくいい。履き違えていない」
 声が出ない。俺より随分背の高いその男を見上げる。男のマスクが僅かに動く。その下で微笑んだのだろうか。
「今晩、君の時間を買わせてくれないかな」
「……援交なら、ヨソ当たれよ」
「素っ気ないね。でも、いいのかい。今日君は夜を明かすのに困る身に見えるけれど」
 ぐ、と言葉が喉奥で詰まる。図星だった。
 実家はスノウに割れてる上、何をしでかすかわからない野郎が両親と出会うリスクは避けたい。会社や大学はとっくに閉まっている時間だし、どこかのホテルに泊まろうにも給料日前で手持ちが心許ない。
「ほら、見たまへ」
 不意に腰を抱き寄せられる。男の顔がずい、と近づき耳元で囁かれる。ふわり、と柔らかな香りが漂う。見た目によらないそれに、少し毒気が抜かれた。男が顎で示した方を見れば、そこは路地裏だった。街灯の光が届かないそこは暗闇で、何も見えない。しかし、不意にガサガサと雑音がして、バタバタと複数人の足音が遠のいて行った。
「この辺りは治安が悪い」
 ばさ、と重い音がして視界が狭まる。黒いコートが広がり、その中にすっぽりと隠されてしまった。口の端から、小さな声が漏れる。今、自分はとても危うい状況にあることが、遅れて体を震えさせた。
「怖がらないで。……ああ。そうだ。これはもう置いていこう」
 不意に、服のポケットに手を入れられる。大きな手のひらに弄られ、思わず「あっ」と声が漏れた。
 その手を止めようと腕を掴んだら、男のもう一方の手で両手を纏められる。両腕に力を込めてその拘束から逃げようとしても、その力は緩まない。
「握力バケモノかよ……!」
 腰ごと腕を引いてもびくともしない。俺だって別に非力って訳じゃないはずだ。ピエロは意外と体力仕事だし、筋力もいる。なのに動かない。玉乗りのために減量したのが良くなかったのか、なんて頭に過ぎる。
「顔が真っ赤だよ。ミツバチ」
 かしゃん、と音がして、頬に硬い感触。黒い手袋に包まれた指が俺の頬を突いてる。その手を振り払おうとするも、やはり手首はびくともしない。
 不意に、バイブレーション音が響く。咄嗟に自分の携帯と、スノウの顔がチラつく。しかし、遅れてその音が自分のポケットからじゃなくて、少し遠いところからしていることに気づく。
 足元を見れば、そこには画面が割れた俺の携帯が転がっていた。画面には次から次へとメッセージが表示される。
「どこ?」「なんでいないの」「風呂場のこれ何」「そこを動かないで」「すぐにいく」「ねえ」「怒ってるよ」「嘘だったの?」「僕に嘘ついたの」「見てよ」「ねえ」「ねえ」「どうでもよくなったの?」「なんで見ないの」「いいよ」「よくわかった」「もういい」「我慢しなくていいってことだよね」「君のせいでしょ」「誰かといる?」「一人だよね」「僕を置いて誰かと会ったりなんてしてないよね」「ねえ」
 まるで滝のようなメッセージ。絶え間ないバイブレーションと明らかに怒りを孕んだ文面。体が硬直して、やはり逃げ出さない方がよかったのでは、と頭の中で誰かが呟く。
「ひどいね。恐ろしく幼稚な悪意だ」
 かつん、と硬い音がして、携帯が滑っていく。
 え、と声を出すまでもなく発光する小さな板はからからと音を立てて、仕舞いには側溝にぽちゃんと落ちた。目の前の男の、黒く尖った革靴のつま先が突き出している。
「さあ行こう。ここにいたら鬼に捕まってしまう」
 ぐい、と再び強く腰を抱かれる。拘束されていた手首を外され、今度はまるでエスコートでもするように優しく手を引かれる。導かれるままに足を踏み出せば、背後で響くバイブレーションがどんどん小さくなっていった。
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