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しおりを挟む「軽部村まで、もう少しね。向こうの暗い雲のあたりかしら?」
有紗が馬車の上から北の空を指さした。空の一部だけ、不自然に黒く染まっている。
「何だかあのあたりだけおかしくない?」
その言葉に、明の表情が険しくなる。
「まさか、黒霧のせいじゃねーだろうな」
「だとしたら、やばい感じだね」
沙耶がふざけ半分に言ったが、その声にも不安がにじんでいる。
俺も空を見上げた。黒い雲が地表近くまで垂れこめており、風もなく、音もない。まるで世界が一部だけ止まってしまったような、そんな異様な感覚。
「……止まって」
純子が馬車の手すりに手をかけたまま、急に立ち上がった。
「――あれ、何?」
彼女の指さす先。森の木々の隙間、濃い影の中から、何かが動いた。
「狼……!? いや、違う、でかい!」
その瞬間、森から飛び出したのは、全身を黒い瘴気に包まれた狼型の魔獣だった。通常の狼よりも二回りは大きく、牙は剣のように鋭く、瞳は赤く光っている。
「群れだ! 全部で五、いや六体いるぞ!」
明が叫ぶや否や、狼たちは唸り声を上げて一斉に襲いかかってきた。
「来るよッ!」
純子が即座に弓を引き、先頭の魔獣に矢を放つ。矢はまっすぐに飛んだが、霧のような瘴気が弾き返すようにして矢を逸らした。
「効かない!?」
「ただの矢じゃダメだ、瘴気に守られてる!」
有紗が補足するが、その声も焦りを帯びている。
明は剣を抜いて前へ出た。「だったら、力で押し切る!」
フレイムバスター発動! 赤熱した刀身が空気を焼き、狼の一体を切り裂く。しかし、切られた傷口から黒い霧が噴き出し、再生を始める。
「クソッ、しぶとい!」
「全員、下がって! 俺が前に出る!」
俺はミスリルソードを抜き、スキル『セラフレイム』を発動した。光と炎の魔法が剣に宿り刀身が青白い光を放つ。
「うぉおおおッ!」
一体の狼が跳びかかるのを狙って、剣を思い切り振り抜く。轟音とともに狼の巨体が吹き飛び、霧が四散した。
「やった! 一体沈んだ!」
沙耶の声が聞こえるが、気を緩める暇はない。
「『完全見切り』!」
時間が歪む。敵の動きがスローモーションに見える。
牙の角度、足の筋肉の動き、瘴気の流れ――すべてが見える。
俺はそのうちの二体の攻撃を最小限の動きでかわし、懐に飛び込む。
「遅すぎる!」
剣を左右に振り抜くと、両断された二体の狼が地面に突っ伏し、今度は再生も追いつかないほどに砕け散った。
「残り三体!」
明と俺が前衛で食い止め、純子・有紗・沙耶が支援と牽制を続ける。まるで息の合った演舞のように、仲間たちの動きが噛み合いはじめる。
「純子、左!」
「任せて!」
「有紗、援護矢!」
「射るわ!」
俺が斬り込む一瞬前に、矢が敵の動きを止める。そのタイミングで剣が狼の頭を貫き、爆ぜるように霧が散った。
――最後の一体。
唸り声とともに、ボス個体が姿を現した。
全身は他の個体よりもさらに濃い黒霧に覆われ、毛皮の下では筋肉が隆起し、牙はまるで鉄槍のように鋭く光っている。眼は血のような紅で、怒りと本能のままに敵を求めている。
「……こいつは、やばいな」
俺は一歩、前に出た。
「俺がやる。皆はさがってて!」
「卓郎! でも……!」
純子が声を上げかけたが、俺の横顔を見て言葉を止めた。
今までもっと強い魔獣と闘ってきた。この程度の相手に、恐れも焦りもない。あるのは、ただ仲間を守るという強い意志だけだ。
「来いよ、獣」
俺が地面を蹴ると同時に、魔獣も咆哮とともに突進してきた。
お互いの距離が一瞬で縮まる。
ボスの前足が横なぎに振るわれる。まるで木をなぎ払うかのような威力。しかし俺は、それをギリギリの間合いで見切り――
「遅い」
ステップで軌道を外れ、そのまま剣を胴に叩きつけた。
ミスリルソードの斬撃が、霧と毛皮を裂き、肉を削る。
「グルルゥアアアア!」
怒り狂った魔獣が跳びのく。次の瞬間、猛スピードで反撃に転じ、牙で喉元を狙ってくる。
「見切った!」
俺は『完全見切り』の発動時間が切れていたが、再発動せずとも、体の感覚だけで攻撃を読んだ。
しゃがみ込み、回避。そしてすかさず足を狙って一撃を加える。前脚の関節に的確に剣を突き立て、魔獣の動きを鈍らせる。
「よし、あと数手だ!」
怒りと痛みで魔獣の動きは荒れ始める。しかしその隙だらけの攻撃を、俺は一切喰らわない。
一撃、また一撃――すべてが致命を狙った正確無比な斬撃。
「鋼壁斬(敵の防御・ガードを貫通する重斬。盾ごと両断する威力がある)!」
最後の渾身の一撃を放つと、魔獣の巨体が吹き飛び、黒霧を撒き散らしながら地面を転がった。
断末魔すらあげず、魔獣はその場で崩れ落ちる。
……静寂。
霧が風に流され、空が少しずつ晴れていく。
俺は剣を肩に乗せて振り返った。
「終わったよ。みんな、無事か?」
「う、うん……」
有紗がぽつりと答えた。
「すご……まじで、一人で……」
沙耶が目を丸くして呟く。
「ちょっと、あんた、いつの間にあんな化け物みたいになったのよ……」
純子は苦笑しながらも、どこか嬉しそうに卓郎を見ていた。
「へっ。やるじゃねぇか、相棒」
明がにやりと笑う。
「あんなのと正面からやり合って勝つとはな。ちょっと本気でお前と勝負してみたくなったぜ」
「いや、また今度な。今は……休ませてくれ」
卓郎はへたり込んで地面に腰を落とした。安堵と疲労で、全身が少し震えていた。
空はすっかり晴れ、遠くに軽部村の屋根が見えはじめていた。
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