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しおりを挟む海風が、ぬるく肌を撫でる。
その風を切り裂くように、〈殻喰い〉が唸りを上げて迫ってきた。
ギィ……ギギィ……!
鋼鉄のように硬質な殻が軋み、赤く光る棘が蠢く。まるで海から生まれた悪夢――あれが、純子の両親を貫いた魔物。
「絶対に……逃がすか」
俺は剣を構える。目の奥が熱を持つ。
「〈完全見切り〉、発動――!」
一瞬、世界が静止したように感じた。時間がわずかに引き伸ばされ、敵の動きが手に取るように見える。
〈殻喰い〉の棘が、稲妻のようにこちらへ突き出された。
「甘い!」
身体をひねって、紙一重でかわす。次いで二本目、三本目――すべて見える。受け流す。跳ねる。弾く。
「〈斬光断〉!」
光をまとった一閃が、敵の棘を一本、斜めに切り落とした。だが、硬い。ダメージは浅い。
「くそ……ならば――〈ファイアバレット〉!」
俺の詠唱に応じて、炎の球が敵に向かって炸裂する。続けて、〈サンダーボルト〉を放つと、殻に火花が走った。
「焼けろ……!」
明も後方から剣を振り抜く。
「〈フレイムバスター〉ッ!!」
炎に包まれた紅蓮のミスリルブレードが、〈殻喰い〉の殻を裂く。だが、奴はビクともしない。むしろ棘が唸り、こちらを包囲するように広がっていく。
「やべっ、囲まれる――!」
俺はすぐに手を突き出す。
「〈ストーンウォール〉!」
地面から土壁が隆起し、棘の一部を受け止めた。しかし、それも一瞬。棘が穿ち、壁を砕く。
「っ……時間がない……!」
「卓郎、まだか!」
「――もう少し!」
明が〈殻喰い〉の注意を引き、炎で攻撃を繋ぐ。その間に、俺は精神を集中する。
この街で、誰かの人生が奪われた。
純子の涙が、俺の中に焼きついている。
あの子が、言葉にしなかった悔しさを、怒りを――俺が、背負う。
「明、下がれ! こいつで決める!」
「おう、任せたぜ、相棒!」
明が飛び退いた瞬間、俺は力を解放した。
「〈終天の一閃〉――!」
天に光が走る。剣が閃光を帯び、空気を裂く。すべての魔力をその一撃に集中させる。踏み込んだ足が岩を砕き、振るった刃が、世界を裂いた。
ズガァアァアァン!!
凄まじい轟音。海が裂けたような衝撃。
光の斬撃が〈殻喰い〉の殻を真っ二つに断ち割った。赤く光っていた棘が、力を失って砕け散る。断面から、黒い粘液とともに魔力の瘴気が噴き出し――そして、すべてが、沈黙した。
俺は、崩れる膝をなんとか支えながら、剣を突いて立つ。
明が近づき、敵の亡骸を見下ろして、小さく笑った。
「クソウニ……ざまぁねぇな」
俺はうなずき、波間を見つめた。
水平線の向こうから、穏やかな朝日が差していた。黄金に染まる光が、岩場に、海に、そして俺たちの剣に反射していた。
静かな、勝利の光だった。
〈殻喰い〉が絶命すると同時に、濁っていた海水がゆっくりと澄み始めた。
巨体は岩場に横たわり、残されたのは大量の黒いウニ状の外殻と、ぷるりと揺れる肉質の内臓部分。そして――ほんのり磯の香りが漂ってきた。
「……これ、もしかしてだけど」
明が魔物の中身を見下ろし、うっすら笑う。
「食えるぞ。いや、たぶん……めちゃくちゃ美味いやつだ」
「……えぇ……」
さっきまでの壮絶な戦闘が嘘のように、二人は顔を見合わせる。
「いや、真面目な話な? これ、普通のウニの三千倍はデカいし、よく見ろよ、中身の色。金色っぽいオレンジ……最高級のやつと同じだぞ!」
明の目がキラキラと輝いていた。戦闘中とは別の意味で、完全にハンターの目だ。
「お前、どこでそんな知識……」
「元々海辺の町出身だし! 親父が漁師だったから、こういうのは分かるんだよ!」
すでに明はナイフを取り出して、〈殻喰い〉の棘を一本一本切り落とし、食材としての部位を選別し始めていた。手際がいい。
「おい卓郎、こっち手伝え! これ、取り出して宿に持ち込めば絶対イケるぞ。海鮮好きの奴がいたら泣いて喜ぶレベルだ!」
俺は明が取り出したウニをストレージに収納する。
「……鬼ドン、やるか」
「やるぞ!」
二人で〈殻喰い〉の身を丁寧に採取し、宿に戻る道すがら、明は目を輝かせながら叫んだ。
「今日はウニ尽くしだ! 名付けて――『ウニ鬼ドン祭り』!!」
宿の厨房を借り、手際よく調理が進んでいく。
海水で軽く洗った〈殻喰い〉の身は、舌の上でとろけるような濃厚な甘みを放ち、磯の香りは上品で、まったく生臭さがなかった。
「くはぁ……こりゃとんでもねぇな……!」
明が炊きたての白飯にウニを盛りつけ、ご飯が見えなくなるほど豪快にかき込む。
「おい、ちょっとは味わえよ……!」
卓郎も一口食べると、思わず目を閉じた。
――うまい。とにかく、うまい。とろりとした甘さ、塩気、そしてほのかに香る潮の風味。
今日の戦いが、すべてこの一口のためにあったのでは、と思えるほどだった。
「ウニの天ぷらもできたぞー!」
厨房の奥で手伝ってくれた宿の女将さんが、衣の中でふんわりと蒸されたウニを差し出す。これまた絶品だった。
「やばい……これ、一生分のウニ食ってる気がする」
「だが、止まらない……!」
その後も、ウニと新鮮な刺身を乗せた「海宝丼」、ウニをだし汁で溶いた「うに茶漬け」、ウニを塗って焼いた「ウニトースト」まで次々と生み出されていき――
「鬼ドン、ここに極まれり……!」と、明が満足げに箸を置いたとき、宿のスタッフも含め、全員が満腹と感動で笑顔になっていた。
夜。
二人は港に面した小さなベンチに座り、潮風を浴びながら、食後の余韻にひたっていた。
「純子もさ、もしここにいたら、絶対喜んでたよな」
「ああ。あいつ、こういう豪快なの好きだったしな」
しばし沈黙が流れた。
でもその静けさは、満たされた静寂だった。
遠くで波が静かに打ち寄せる音が、今は心地よく響いていた。
――そして夜空には、どこか微笑んでいるような、月が浮かんでいた。
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