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しおりを挟む俺は一歩、森の中へと足を踏み入れた。リーナもすぐに続く。足元には落ち葉が敷き詰められ、歩くたびにかさりと音が鳴る。その音すら、森の中では不自然に大きく感じられる。
木漏れ日がわずかに射し込む薄暗い森の中、鳥の鳴き声すらほとんど聞こえない。
静寂。だが、その静けさこそが、この森の危うさを物語っている。
湿り気を帯びた風が肌を撫で、木々のざわめきが耳元でささやく。自然の音――それは決して騒がしくはないが、耳を澄ませば無数の生の気配が存在していることが分かる。
しばらく森の中を進んでいく。リーナは俺のすぐ後ろを、慎重に、しかし一歩一歩確かめるように歩いていた。まだ緊張しているのが背中越しに伝わってくる。肩のあたりがやや硬直し、目は周囲を警戒するようにキョロキョロと動いている。
「足音を抑えるには、かかとからじゃなく、足の前面から静かに接地して。あと、呼吸は浅くしないで、落ち着いて吸って吐く。森はあせるやつを呑み込むぞ」
小声で言うと、リーナはこくりと頷いて呼吸を整えた。彼女の動きが少しずつ滑らかになっていくのが分かる。適応しようとしている。経験の少ない彼女にとって、この《大森林》はあまりに過酷な舞台かもしれないが、それでも、その瞳には、逃げる意志はない。
俺たちは獣道に沿ってさらに進み、倒木を乗り越え、低木をかき分けながら歩いた。時折、小さな魔物の気配を感知するが、どれも脅威には至らない程度のものばかりだ。
「この辺りは比較的安全な区域だ。まだ封印の緩みの影響は感じないが……進むうちに気配が変わってくるかもしれない」
リーナは、小さな声で「はい」と返したが、その瞳には警戒と、微かな期待が入り混じっていた。
しばらく進んだところで、俺は立ち止まった。
「ここで一旦休憩しよう。周囲に魔獣の気配はない。少し水分を取っておこう」
俺はストレージから水袋を取り出し、リーナに手渡した。彼女は礼を言ってから、それを両手で受け取り、喉を潤す。ほっとしたような表情に、一瞬だけ緊張が解けた。
そのとき――微かな違和感が、空気に混じった。
俺は反射的に再度、魔力感知を展開する。波紋のように広がった感知領域が、すぐ西の方向に異常な魔力の塊を捕らえた。
「リーナ、すぐ身を低くしろ。三十メートル先、何かいる」
俺の声が落ち着いていたのは、経験からくる冷静さゆえだ。だが、体の奥では確かに緊張が走っている。これは、通常の魔獣とは異なる。魔力の性質が荒々しく、不安定。そして異様に密度が高い。
リーナはすぐに身を低くし、俺の隣にしゃがみこんだ。
「魔獣ですか……?」
「ああ、普通じゃない。おそらく、脅威度B ランクの個体……いや、それ以上かもしれない」
その瞬間、木々の向こうから低いうなり声が響いた。空気が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
──戦闘か。それとも、やり過ごすか。
俺は、静かに精錬銀のミスリルソードを構え、魔力を集中させた。風が止まり、時間が凝縮する。
低いうなり声が、木々の隙間からじわりと響いた。
まるで森そのものが唸っているような気配だった。
そして、音の主が姿を現す。だがそれは「現れた」というよりも、「森から切り離された」と言った方が近かった。苔と蔦をまとい、背には若芽すら芽吹いているような外皮。木漏れ日の下でも輪郭がぼやけ、まるでその場に自然に存在していたかのようだ。
犬の形をしたそれ――《深緑の番犬(ヴァーリ・ウルス)》が、卓郎とリーナを睨んでいた。
「……出たな。《ヴァーリ・ウルス》。やっぱりこの辺りに潜んでたか」
卓郎はすでに剣を抜いていた。精錬銀のミスリルソードが静かに光を放ち、魔力が刀身に沿って波打つように広がる。その輝きは、どこか神秘的で、しかし確かに破壊の力を秘めていた。
隣に立つリーナは、息を飲んで魔獣を見つめた。
「卓郎さん、知ってるんですか? あの魔獣……」
「ああ。幻獣種、植物融合型。土属性の魔法に強いが、火に極端に弱い。蔦や苔で体を隠せるから、森の中じゃほとんど気配が掴めない」
リーナは剣を握る手に力を込めた。彼女のミスリルソードは微かに震えていた。それが恐怖によるものか、緊張か、あるいはその両方かは、本人にもわからない。
「……怖いか?」
卓郎の問いに、リーナは小さく頷き、だがすぐに顔を上げた。
「……ちょっと。でも、やります!」
「よし。なら、まずは支援魔法だ。集中しろ、リーナ――ライフリンク!」
リーナの体が淡い光に包まれる。魔力の波が卓郎の手から走り出し、次々と彼女を強化していく。
「防御上昇〈鉄壁〉。移動速度上昇〈俊足〉。筋力強化〈剛力〉。視覚強化〈鷹眼〉!」
魔力の奔流がリーナの体を巡るたびに、彼女の身体能力が一気に引き上げられていくのを、本人もはっきりと感じた。筋肉が軽くなり、視界が広がり、足元の落ち葉一枚までがくっきりと見える。
「凄い……! 力がみなぎってくる……!」
「無理はするな。お前は援護に回れ。俺が前を取る」
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