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しおりを挟む「精霊峡温泉郷、満喫旅!」
谷を渡る吊り橋を越えた瞬間、リーナの目が輝いた。
「わあっ、すっごい……! 見て、あの湯けむり、ほんとに空にのぼってる!」
彼女の視線の先には、いくつもの湯煙が岩場から立ち上り、霧と交じって幻想的な光景をつくり出していた。渓谷の奥に並ぶ旅館や湯屋は、どれも岩と木を活かした造りで、自然と調和している。
俺はやや警戒しながらも、足を止めた。
「……ここが《精霊峡温泉郷》。魔力が強すぎる。こういう所は魔獣が好んで棲みつくから注意して」
「うんっ! でも……癒し効果は本物って聞いたよ! それに、ここには、『霧幻の泉』ってのがあってさ……えへへ、ちょっと楽しみ!」
宿に着くと、女将が丁寧に迎えてくれた。「月のしずく亭」はどこか懐かしさを感じさせる温もりがあり、部屋には岩造りの小さな露天風呂もついていた。
「では、お客様。今夜の湯は『白湯の泉』と『霧幻の泉』が交互に開放されております。なお、夜になると《幻影シェイド》が現れることがございますので、ご注意ください」
《幻影シェイド》って何?
「《幻影シェイド》……?」リナがぱちくり。
やっぱり、おかしな魔獣が住み着いているらしいな。要注意だ。
泉に行く前、少し部屋で休むことにした。
「月のしずく亭」の部屋は、岩壁と木材を組み合わせた自然味あふれる造りで、障子の向こうには個室の露天風呂がついていた。宿の魔力灯が柔らかく揺れて、どこか時間の流れまで穏やかになるようだった。
「ふぁあ……落ち着くぅ~。やっぱ旅っていいね!」
畳にごろんと寝転がったリーナが、体を伸ばしながら言った。
「はしゃぎすぎて、着いて早々バテてるじゃん」
俺は卓袱台の上に置かれたお茶をすすぎながら、苦笑する。リーナの荷物の中には、なぜかお土産屋で買った魔力入りのふりかけが三袋も詰まっていた。温泉の成分を使った限定品らしいが、使いどころが謎だ。
「だって、あっちこっち気になるんだもん。あの足湯カフェも、魔力アイスの店も行ってみたかったし……ん~、一泊じゃ足りないかも」
「……観光もいいけど、そもそもゆっくり休息が目的なんだけどな」
「そうだけどさー。癒されて元気になって、楽しくなって、ついでに温泉入って……そしたら元気いっぱいじゃん?」
「順番おかしいし。温泉がついでじゃないから」
言い合いながらも、どこか居心地のいい空気が流れていた。リーナは転がったまま、天井の梁を見上げて、ぽつりとつぶやく。
「……こうやって、ただのんびりできる時間って、あんまりなかったからさ。嬉しいんだよ、こういうの」
その声に、俺は少しだけ手を止めた。
「……ま、わかるよ。俺も、畑もしないで、魔獣と戦わず、ただ湯に浸かるなんてさ」
「ふふっ。じゃあ、今夜だけは戦うのやめようよ。幻影シェイドとか、出てきても無視してさ、もうちょっとこう……平和な旅人モード?」
「無視したら連れていかれるぞ。しかも谷底に」
「えぇ~……それはヤだなぁ……うう、やっぱ卓郎がいないと安心できないや」
「それって、俺に頼りすぎだよ」
「当然でしょ? 女の子だもん!」
「……女の子って。Cランク冒険者だよねえ?」
「それでも、女のこなの!」
思わず笑ってしまう。なんだかんだで、リーナといると、張りつめていた気持ちがほぐれていく。
ふと窓の外を見ると、もう日が暮れかけていた。
「そろそろ、『霧幻の泉』の開放時間だな。行くか」
「おっ、ついに温泉タイムだね! ……うわ、浴衣かわいくない? これ持って帰っていいかな?」
「それはダメだろ。ちゃんと返すぞ。ってか、今着替えるな、扉閉めてー!」
「あははっ、卓郎、顔真っ赤~!」
「うるさい!」
***
その夜。二人は水着姿(混浴のため)で『霧幻の泉』へと向かった。蒼く光る湯が、不思議な香りとともに揺らめいていた。
「あんまり見ないでくださいよ」
「見てねーし」
すみません。不可抗力です。意思に反して眼球が動いてしまいます。ほんのうというやつでしょうか?
「視線を感じるんですけどー」
「気のせいだし」
俺は、リーナに背を向けた。
「あー、でも素敵な温泉……ほんとに、夢を見てるみたい」
リーナが肩まで浸かり、空を見上げる。夜空に浮かぶは、まるで火の玉のような光球たち。うん?……火の玉?
だが、ふと……湯の向こう、霧の中にもう一人の自分が見えたような気がして。
「えっ……?」
——その瞬間、泉の奥からゆっくりと現れたのは、黒く揺らめく人影。《幻影シェイド》が、静かにこちらへと手を伸ばしていた。
俺は湯の気配の乱れに気づいた。
「リーナ、後ろだ!」
声を張ると同時に、俺は泉の縁に飛び出した。リーナが振り向いた瞬間、霧の中から黒い影がぬるりと腕を伸ばしてくる。まるで人形のように無表情な顔をしたそれは、《幻影シェイド》だった。
「——きゃっ!」
危ない、完全に意識を引き込まれていた。
俺は右手を伸ばして魔法を唱える。
「ファイアボール!」
掌から放たれた炎の玉が黒い影にあたって炸裂し、霧を掃うように炎の波が広がる。《幻影シェイド》の腕が焼けるように煙を上げ、低く呻くような音を立てて後退した。
リーナは小さく息を呑みながらも、すぐに構えを取る。
「わ、私も戦う! ……えっと、えっと……ウィンドカッター!」
彼女が浴衣の袖から魔力を練り、風の刃を巻き起こす。風が《幻影シェイド》の体を切り裂き、霧の流れを変えた。
だが、敵は一体ではなかった。
湯けむりの向こう、さらに二体の黒い影が湯からせり上がってくる。どれも人の姿を模しているが、表情は空っぽで、まるでこちらの心を映す鏡のように見えた。
「……これは、《霧幻の泉》の幻影じゃない。こいつは本物の魔獣だ。ここの魔力が強すぎるせいだ……!」
《幻影シェイド》は、幻を見せ、客を谷へ誘い込もうとする魔獣だ。ここで倒さなければ、他の宿泊客にまで被害が及ぶかもしれない。戦いから離れて、のんびりしようと思ったのに、まったく想定外だ。でも、ここは戦うしかない。
「リーナ! こいつは、ここで倒すぞ!」
「了解!」
「風魔法が効いたみたいだな! ウィンドカッター!」
「やった! さすが、卓郎さん。一発で倒しちゃうなんて」
「こんなに、あっさり倒せるとは、よかった、よかった? ……て、また出てきた!」
「キャーッ、いくつ出てくるのよ!」
「ならこれでどうだ! ホーリーレイン!」
光の雨が降り注ぎ、《幻影シェイド》は、消えていった。
「……ふー。どうやら、こいつらアンデッド系だったらしいな。これでもう出ないだろう」
「あーよかった。やっぱり卓郎さんといれば安心だわ」
「じゃあ、ゆっくり湯につかりなおそう」
俺たちは、気分も新たに湯船につかって体を休めた。
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