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萬魔の王
自慰1
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「パパ」
飛び込んできたラウルを受け止めて、ナークは微笑んだ。
サーラも近頃走る事を覚えて活発になった弟を追いかけ、やって来た。
「もう! ラウルってばいつまで経っても甘えん坊なんだから!」
見た目はそれほど変わっていないが、ラウルと一緒にいるとすましてお姉さん振るサーラは、少し羨ましそうにしながらもナークに飛びつく事はせず、腕を組んでふんとそっぽを向く。
サーラとラウルのやり取りを、愛おしく思いながら微笑んで見ていたナークは、足音に視線を向けた。
「姫様方。お勉強のお時間です」
どことなく蛙に似た顔の、だが頭から羊のように巻いた黒い角を生やした老女は、見た目にそぐわぬ幼い少女のような声で話す。
何とも言えぬちぐはぐさと向けられる視線の鋭さが、ナークはどうにも苦手なのだが、子供達に文字や作法を教える先生なのだという事は理解しているので、不服そうな二人を促して勉強へ向かわせた。
良い天気ではあるが、一人で外にいる事に気楽さよりも不安を覚える彼は大人しく自分の与えられている部屋に向かう。
王の不在に当たって、魔族の男がもう一人護衛に加わった。申し訳ない事だがナークには見分けのつかない尾が二股の巨大な狐の魔族だ。見た目だけでは分からないが、口を開くと声が違うので解るため、いつも挨拶を交わした時にどちらなのかを確認する。今日は新しく護衛となった男だ。
「そうえば、先ほど侍女殿が申しておりました。陛下からの手紙をレタートレイに乗せておいたそうです」
「………そう、ですか」
新しい護衛だと思っていたら、どこかのタイミングで交代していたらしい。ナークはやっぱり解らないな、と思いながら彼の言葉に頷いて自室として与えられている部屋へ入った。
ナークが扉の向こうに見えなくなるまで見送って、護衛はぐっと前足を伸ばして伸びをすると、扉の前に伏せる。王によって守られているこの部屋への出入りは今彼が塞いでいる扉からしかできないので、ここを守るのが彼の仕事だ。
(これ…手紙を置くものなんだ)
部屋として与えられた時からそこにありはしたのだが、ナークの生活にはほぼ出番の無かった机の上に銀色のトレイ。存在については彼も認識していたが、手紙とは縁遠い生活を送ってきたし、今も送っているため、用途が想像できなかったのだ。
(机に置けば良いのに…何でわざわざこれに?)
直接に手を触れずに持ち運ぶため、あるいは未開封の手紙や発送を依頼する手紙の区別が出来るように使うのだが、彼はそんな事は知らない。知る機会もなかった。ただ、見た事もないほど白い封筒が銀色のトレイに乗っている様は綺麗だと思った。
(文字…ほとんど読めないけど)
サーラとラウルが自分達の習った事を教えたくてたまらないらしく、自分の名前や彼等の名前、日常よく使うような簡単な言葉くらいならば教えられて何とか読めるようになった。滑らかな白い封筒を手に取り、裏返す。血のような暗い赤の封蝋は、王がはめている指輪の形をしていた。
王が、正確には王の横で侍従が、手紙を開けている場面を見た事はある。
だから、開け方が解らない訳ではない。
ただ、白く皺のない封筒に、綺麗な刻印の封蝋。それらを壊すのが躊躇われた。
(なんだか、もったいない…どうせ読めないんだし)
このまま取っておく方が良いような気がして、ナークはその手紙を持って寝室へ向かった。寝台横の棚上、目に付く所に立てかけてみる。
「…うん」
やっぱりこうしておこう。そう頷いて、寝台に仰向けに寝転がる。見慣れた花の絵が、何の匂いも放っていない事はもう解っているが、いつも目にする度に鼻先に一瞬だけ甘い匂いを覚える。
(王さまが戻るのは、いつだったっけ…)
地図を見ても正直その規模を理解できはしなかったが、説明を受けたので、行き来をするだけで十日かかるほどの遠い場所に行った事は解っている。行った先で仕事をするため、戻るまでは二十日だと言われたのも覚えている。ただ、ほとんど同じ事を繰り返す今の生活で、日がどれほど経ったかを忘れがちなのだ。
指を折って、王と最後に会った時から今日までを数える。
(今日で、十日…あと、半分)
数えながら上に伸ばしていた手をぱたりと倒し、寝返りを打って横を向き、手紙を見つめながら考える。
(…何なんだろう)
手紙に何が書いてあるのかは、解らない。正直に言えば、解りたいとも思えない。それでも、手紙を捨てようとか、破ろうとか、そんな事だって考えもしない。素直に、嬉しいとさえ感じている。ただ、何故読めもしないと知っているのに手紙を送ってきたのだろうかと不思議なのだ。
サーラははっきりと気持ちを口にする。
ラウルはまだ多くの言葉を持ち合わせてはいないので、言い淀んだり癇癪を起こして意味もない叫びを上げたりするが、それでも何を考えているかを伝えようとはしてくれる。
王は何を考えているのか、思っているのか、感じているのか、何一つ伝えない。
(そう言えば、あんまり話してない)
そもそも、サーラやラウルと一緒にいる時のように、会話をするという基本的な行為をあまりした事がないのだと考え至った。
誰かが周りに居る時、王はその相手と話をしているのがほとんどだ。そして、ナークと二人きりならば、言葉もなく睦み合っている。しかも彼にとっては王との行為は快楽の海に沈むようなもので、苦しいほどの悦びの中で理性などは影もないのだ。相手が何を考えているかなど、気にする余裕はない。
はっきりとした嫌悪感で逃げ出して、なのにサーラを助けて欲しくなって、希った。人間ではなくなっても死にたくはなくて、他の何処にも居場所は無いから、王の卵袋としてここに居る。望んだ訳ではなかったが、今の自分にしか出来ない事があって、それをしていれば捨てられる事も殺される事もないと信じて、縋った。
それが、どこか変わったような気がし始めたのは、いつからだろう。
「何で、手紙なんて…」
ぽつりと呟くナークの言葉は誰もいない室内に消えた。
飛び込んできたラウルを受け止めて、ナークは微笑んだ。
サーラも近頃走る事を覚えて活発になった弟を追いかけ、やって来た。
「もう! ラウルってばいつまで経っても甘えん坊なんだから!」
見た目はそれほど変わっていないが、ラウルと一緒にいるとすましてお姉さん振るサーラは、少し羨ましそうにしながらもナークに飛びつく事はせず、腕を組んでふんとそっぽを向く。
サーラとラウルのやり取りを、愛おしく思いながら微笑んで見ていたナークは、足音に視線を向けた。
「姫様方。お勉強のお時間です」
どことなく蛙に似た顔の、だが頭から羊のように巻いた黒い角を生やした老女は、見た目にそぐわぬ幼い少女のような声で話す。
何とも言えぬちぐはぐさと向けられる視線の鋭さが、ナークはどうにも苦手なのだが、子供達に文字や作法を教える先生なのだという事は理解しているので、不服そうな二人を促して勉強へ向かわせた。
良い天気ではあるが、一人で外にいる事に気楽さよりも不安を覚える彼は大人しく自分の与えられている部屋に向かう。
王の不在に当たって、魔族の男がもう一人護衛に加わった。申し訳ない事だがナークには見分けのつかない尾が二股の巨大な狐の魔族だ。見た目だけでは分からないが、口を開くと声が違うので解るため、いつも挨拶を交わした時にどちらなのかを確認する。今日は新しく護衛となった男だ。
「そうえば、先ほど侍女殿が申しておりました。陛下からの手紙をレタートレイに乗せておいたそうです」
「………そう、ですか」
新しい護衛だと思っていたら、どこかのタイミングで交代していたらしい。ナークはやっぱり解らないな、と思いながら彼の言葉に頷いて自室として与えられている部屋へ入った。
ナークが扉の向こうに見えなくなるまで見送って、護衛はぐっと前足を伸ばして伸びをすると、扉の前に伏せる。王によって守られているこの部屋への出入りは今彼が塞いでいる扉からしかできないので、ここを守るのが彼の仕事だ。
(これ…手紙を置くものなんだ)
部屋として与えられた時からそこにありはしたのだが、ナークの生活にはほぼ出番の無かった机の上に銀色のトレイ。存在については彼も認識していたが、手紙とは縁遠い生活を送ってきたし、今も送っているため、用途が想像できなかったのだ。
(机に置けば良いのに…何でわざわざこれに?)
直接に手を触れずに持ち運ぶため、あるいは未開封の手紙や発送を依頼する手紙の区別が出来るように使うのだが、彼はそんな事は知らない。知る機会もなかった。ただ、見た事もないほど白い封筒が銀色のトレイに乗っている様は綺麗だと思った。
(文字…ほとんど読めないけど)
サーラとラウルが自分達の習った事を教えたくてたまらないらしく、自分の名前や彼等の名前、日常よく使うような簡単な言葉くらいならば教えられて何とか読めるようになった。滑らかな白い封筒を手に取り、裏返す。血のような暗い赤の封蝋は、王がはめている指輪の形をしていた。
王が、正確には王の横で侍従が、手紙を開けている場面を見た事はある。
だから、開け方が解らない訳ではない。
ただ、白く皺のない封筒に、綺麗な刻印の封蝋。それらを壊すのが躊躇われた。
(なんだか、もったいない…どうせ読めないんだし)
このまま取っておく方が良いような気がして、ナークはその手紙を持って寝室へ向かった。寝台横の棚上、目に付く所に立てかけてみる。
「…うん」
やっぱりこうしておこう。そう頷いて、寝台に仰向けに寝転がる。見慣れた花の絵が、何の匂いも放っていない事はもう解っているが、いつも目にする度に鼻先に一瞬だけ甘い匂いを覚える。
(王さまが戻るのは、いつだったっけ…)
地図を見ても正直その規模を理解できはしなかったが、説明を受けたので、行き来をするだけで十日かかるほどの遠い場所に行った事は解っている。行った先で仕事をするため、戻るまでは二十日だと言われたのも覚えている。ただ、ほとんど同じ事を繰り返す今の生活で、日がどれほど経ったかを忘れがちなのだ。
指を折って、王と最後に会った時から今日までを数える。
(今日で、十日…あと、半分)
数えながら上に伸ばしていた手をぱたりと倒し、寝返りを打って横を向き、手紙を見つめながら考える。
(…何なんだろう)
手紙に何が書いてあるのかは、解らない。正直に言えば、解りたいとも思えない。それでも、手紙を捨てようとか、破ろうとか、そんな事だって考えもしない。素直に、嬉しいとさえ感じている。ただ、何故読めもしないと知っているのに手紙を送ってきたのだろうかと不思議なのだ。
サーラははっきりと気持ちを口にする。
ラウルはまだ多くの言葉を持ち合わせてはいないので、言い淀んだり癇癪を起こして意味もない叫びを上げたりするが、それでも何を考えているかを伝えようとはしてくれる。
王は何を考えているのか、思っているのか、感じているのか、何一つ伝えない。
(そう言えば、あんまり話してない)
そもそも、サーラやラウルと一緒にいる時のように、会話をするという基本的な行為をあまりした事がないのだと考え至った。
誰かが周りに居る時、王はその相手と話をしているのがほとんどだ。そして、ナークと二人きりならば、言葉もなく睦み合っている。しかも彼にとっては王との行為は快楽の海に沈むようなもので、苦しいほどの悦びの中で理性などは影もないのだ。相手が何を考えているかなど、気にする余裕はない。
はっきりとした嫌悪感で逃げ出して、なのにサーラを助けて欲しくなって、希った。人間ではなくなっても死にたくはなくて、他の何処にも居場所は無いから、王の卵袋としてここに居る。望んだ訳ではなかったが、今の自分にしか出来ない事があって、それをしていれば捨てられる事も殺される事もないと信じて、縋った。
それが、どこか変わったような気がし始めたのは、いつからだろう。
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ぽつりと呟くナークの言葉は誰もいない室内に消えた。
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