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プロローグ~冬の家~

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 痩せ細った指が、きつく握り締めたら折れてしまいそうで、アンセラはそっと両手で包んだ。
 隙間風は吹かないが、そう高い家賃でもない彼女達の住居はそれほど温かくもない。母の指は、悲しいほどに冷たかった。
「ごめんね、アンセラ…」
「何が?」
「貴方がせっかく買ってきてくれたのに、とても食べられそうにないわ」
「良いよそんなの。また買ってくるから」
 もう買ってこなくて良いの、と母の目が言っていたが、アンセラは見ないふりをした。少しでも暖かくなれば良いとスープを作る。大して具が入っているでもないスープはそんなに時間がかかる訳ではない。だが、彼女がスープを作るために離れた、その短い時間に、母はそっと息を引き取っていた。
「うそ………」
 どれくらいの間そうしていたのかは解らない。
 呆然と母の横に膝を着いていたアンセラが正気になったのは、どこか控えめに扉をノックする音が聞こえたからだ。
「…誰」
 いつものように声を張れなかったアンセラの誰何は、届かなかった。ノックの音が再び鳴る。
 こんな時間にやって来る者に心当たりはない。それに、近所の者にしてはノックが大人しいようだ。アンセラは扉の向こうに居るのが馴染みのない人間だと解っていたが、ふらふらと立ち上がって扉の鍵に手をかけた。
(誰でもいい)
 目の前の現実を変えてくれるなら、誰でも、何でも良いと思ったのだ。例えその先に居るのが死神だったとしても、何か変わるのなら、そう思って扉を押し開ける。
「…アンセラか?」
 そこに居たのは、死神ではなく、場違いな程に身形の良い紳士だった。
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